富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

全国紙のSNS批判は、どこか可笑しい。

2017年01月27日 | Weblog

SNSで流される噂は、偽の情報が多い。だから、全国紙が検証すればよいのに、まともにSNSを敵に回し、SNSなる者は、そもそも、と大議論を切り出する。そうではなく、SNSに流される情報を、偽と本物とを判別し、正解で詳細な情報に「精錬」するのが全国紙である。ただ、企業の商品広告費が、SNSに流れ、新聞広告の大幅なダウンにより、ダメな全国紙は、SNSを大衆迎合主義と切り捨てる。

せめて、ハーバーマスは読んで勉強したいものです。なお、地方紙は、冠婚葬祭の情報に密着すれば生き残れる。葬儀のお知らせは、SNSの得意の分野ではない。結婚や誕生は、SNSの得意分野である。地方紙には、さらに大事な役割がある。たとえば、細かな住宅関連の工事能力のある業者団体の情報、司法書士の一覧表など、広告が地域の経営管理者に喜ばれる仕組みがつくれる。

私は、富山大学の経営学科に寄付講座を提案しいているが、経営者に直接の経営学を学びたい、経営者は意欲的な学生にSNSで話題にされ、それで良い人材確保のための風評を形成する・・・こういうニッチなニーズのマッチングを行っている。そこに地方紙の地域貢献のサポートを絡めている。

大学も、企業も、学生も、1円の支出を要しない。新聞記者は、あまり賢くない。特に、新聞の経営にミスが多い。


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「読売新聞」が鬱になったみたい

2017年01月26日 | Weblog

TMA講師の個人研究:最近、「読売新聞」の論調がおかしくなった。トランプ政権の出現など、世界の政治地図の変化に対し、「いわゆる上から目線で、大衆迎合主義と批判」してから、論調が鬱になった。

やはり、勉強の不足が露呈される。イギリスのEU離脱など、グローバルな統合の論理への地域からの反逆は、大衆迎合主義ではない。それは、古くからEU圏に住むドイツの哲学者であるハーバーマスが、政治世界に対置し、生活者の日常に密着した生活文化圏がカウンター文化になりうることを明らかにしている。日本の新聞でいえば、ローカルなメディアが生き残れる条件である。「読売新聞」は、グローバルなメディアである。地球全体をカバーするため、グローバルメディアは、グローバルメディアと連携する。その場合、ハーバーマスの視線とはズレてしまう。

世界史は、ハーバーマスが想定した生活者の日常性の世界を飛び越えて、世界をひとまとめにする政治理論集団を不適だと、歴史の舞台からつきおとしてきた。ナチス、スターリン、孫文、毛沢東・・・、その起源は、ヘーゲルの哲学に隠されたキリスト教運動に根ざしている。実は、「読売新聞」も「朝日新聞」も、若者から見放されている。SNSは、ハーバーマス理論を基盤として、アメリカのITの天才たちが、生活者の文化圏をそのままに活かしながら、異文化と異文化との出会いを導き出している。そこに新たなツーリズムが加わり、日本文化も思わない角度で見直されている。中国政府が、極端な反日歴史教育をすればするほど、ハーバーマスが想定した生活者の日常性の世界で、日本人の小市民のローカルな暮らしが羨望されるようになった。読売も、大改革の時代に入った。生き残るために。

 


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南京事件の学術検証(第1次校正版)

2017年01月23日 | Weblog

これは、中国近代史研究の専門家として、責任をもって論述します。

1、南京事件を「南京城内の市民のみの30万人の虐殺」説は、日本軍の南京城内の占領まえと、占領後の人口を比較すると、30万という数字は虚構です。

 日本軍が占領するまえの人口数から、中国国民政府の官僚とその家族たちは、すでに武漢・漢口の移転・移住していたので、その数字を引き算したうえで、占領前と占領後の人口数を計算しなくてはなりません。30万虐殺説の根拠とされるスマイス報告が誇大で、上記の計算ミスがあることは、ビーツ教授より再検証されています。中村哲夫『日中戦争を読む』晃洋書房に、ビーツ報告の全文を引用しているので参照してください。

2.南京市民に何ら人的損傷を与えなかったという日本政府側の歴史資料は存在しません。しかも、日本軍兵士の軍規のゆるみを指摘する資料が存在します。また、婦女への強姦が一切なかったとは、日本側の資料にも存在しません。そして、確実に射殺されたのは、南京監獄に収監されていた受刑者につき、日本軍は監獄の事務を引き継ぎながらも、受刑者を射殺したことにつき、国民政府の南京監獄を管理していた機関の証言があります。こうした資料は、南京にある国家第二档案館に存在しているそうです。現在の虐殺記念館は、南京監獄の跡地と言われています。

3.日本軍の南京占領が予測されたため、南京監獄より政治犯として収監されていた中国共産党員は、日本軍占領前にすべて周恩来に引き渡されていたので、中国共産党員には、ほとんど被害者がなかった。それで、武漢・漢口に駐在した周恩来は、日本軍の「大虐殺」に関する抗議声明をだしていません。

4、蒋介石の率いた国民政府軍は、30万の将兵の損傷(戦死と負傷者)を失ったと公式声明を出しているが、同時期に大虐殺であるとは表明していません。戦闘による戦死、傷病者を含めた議論は、この事件の検証を超えた範囲です。

5.日本軍が占領するまえの南京は、中華民国の首都でした。国民革命が成功し、世界から経済学者が集まり、世界経済の安定のためにケインズ学派、アメリカの制度学派、それにロシアのレオンチェフが集まっていました。1929年の世界恐慌から抜け出るために、中国経済を調査研究し、中国の国民総生産の試算を3年間行いました。それには、レオンチェフの理論が使われたので、イギリス、アメリカに先駆けて、GDPの計算は、日本軍の占領まえに、中国国民総生産として世界初めて実施されました。

6、この国際共同研究は、英語と漢語で行われたこと、ケインズ学派(イギリス労働党の顧問)が主導したので、日本から一人の学者も参加する能力に欠けていました。日本の中国研究は、マルクス主義経済学者に拠るものでしした。日本軍の南京占領は、世界資本主義を打倒するために必要だと考えていたと分析できます。だから、近衛内閣の暴走を止められなかったのです。日本軍が南京を占領したために、日本の経済学者は、独自の判断で1929年恐慌からの脱出を試み、中国の1元=日本円1円の固定レート制を採用し、中国経済の占領統治に失敗しました。そのために職を失った南京市民が難民となって上海になだれ込み、国際赤十字のルートから、日本の行為を批判するために、日本の南京占領の被害を増幅する「南京占領」の「事件化」が始まりました。

7.最近、中国政府は、日本軍の侵略を満州事変の前夜までさかのぼらせる歴史認識に改めました。こうして、仮に南京事件の真の被害が論証されても、日本の中国侵略の一場面として大局の被害に置き換えることにしたと思われます。

8、中村の研究において、未公開の資料があります。それは、江蘇省という南京を含む省政府の政治は、基本的に親日的で、日本人との文化交流も盛んでした。しかし、日本軍の行動は、省政府のリーダーたちが「抗日」に転換しました。味方を敵に回し、まともな占領行政の準備もなしに、監獄業務を引き継ぐ用意のない軍人、英語で行われる経済学者会議に呼ばれもせず、呼ばれてもレベルが低すぎた日本の経済学者たち、本当にダメな日本を象徴する事件でした。「30万の虐殺の有無」論争こそ、レベルの低い歴史学です。孫文たちは、青年学者をロンドンに派遣し、ケインズの国際貿易通貨論を学習していました。当時、日本では誰もその水準になかったのです。


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井波律子さん、手抜き工事第3弾

2017年01月19日 | Weblog

孔子は、女子と小人は養い難し、と言い切った。実は、井波さんが、論語の全訳に挑んだ人類最初の女性である。だから、陽貨篇第25章の解説には、読書界の全ての注目が集まっていた。

なんと、「孔子がはるか二千五百年以上も前に生きた人であることを、改めて実感させられる発言である」、と小賢しい解説で逃げ切った。

これぞ、論語の難読箇所の一つである。だから、二千五百年以上も前に生きた人の「女子」の用例を学問として研究しなくてはならない。

まず、「女子」は未婚の娘たち、当時では、7歳から18歳までの、いわゆる女の子である。それ以上の年齢だと、婦人、夫人になる。刑法、家族法の規定にかかわるので、程樹徳先生の「論語集釈」は必読。また、「論語」には、「女樂」という少女の楽団の話がでてくる。また、公冶長には、無実であるが、形式では前歴がある人物に、孔子は実の娘との結婚を許している。さらに、孔子が編纂した『詩経』は、9割が娘たちの愛の賛歌である。異性をしたう恋慕の抒情に満ちている。

7歳から18歳までの、いわゆる女の子たちは、「これを近づければ則ち不遜、これを遠ざければ則ち怨む」というのは、今でも通用する。孔子も自分の子供として女子を養育し、結婚を許している。『詩経』をみると、孔子の娘が公冶長に恋をしたからかも知れない。孔子は、女ごころの分かる粋なおじさんだ、と僕は思うのですがね。孔子は母の手で育てられ、母性愛に守られた人物である。孔子が世に流布していた歌謡のなかから筋の良い「愛の賛歌」を集めたのが「詩経」である。この業績と『詩経』に現れる「女子」へのまなざしを検討しないで、小賢しい解説で逃げ切った。改めて、井波さんに「怨み」を買うような発言をしたが、貴方の「完訳論語」、<完訳>とは学者として不遜の極みですぞ


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李克強さん、洋務運動の歴史を真摯に総括したら?(校正済)

2017年01月08日 | Weblog

TMA講師代表:漢語で⒑数編の論文を中国で活字にしていただいている立場で、中国政府に警告します。

まず、私たち中国経済の歴史を研究する専門家として、毛沢東の「半植民地半封建社会」という定義から、アヘン戦争以後の中国経済の歴史を総括すると、1949年の解放戦争の正統化にはつながるが、1949年以後の経済発展の妨げとなる歴史認識であると警告してきました。1850年以後の中国経済は、すでに銀本位から金本位へのグローバル通貨のシステム変換のなかで、中国政府が中央銀行の創成に遅れ、失敗したことで、大清帝国は財政破綻が主な原因で崩壊しました。軍事力の弱体化は、その結果です。これは、梁啓超の評論文を時間順に並べたら読み解けるはずです。金銀の比較価格変動、金融保険業の未発達が主な変動要因です。今、私は貴国の現在の経済政策は、合理的な方向へと進んでいますが、まだ、5周くらい世界の最先端と遅れています。

問題は、日本経済にとっては、海軍力の増強は、19世紀から20世紀、第一次世界大戦までは消費性の支出したが、日本国債の信用力の創造に寄与し、プラス要因になりました。第二次世界大戦では、日本国債の信用力の崩壊は、海軍力の増強が原因となりました。ただ、海軍力は、戦後復興の原動力となったので、1970年の時点でみると、1868年の明治維新からの海軍の総収支は、均衡し、育成された人材の分がプラスとして残りました。しかも、現在の中国の戦艦製造の技術水準よりも、日本のそれが低いという訳ではありません。

李克強さん、日本という最強の海洋性の国家を主要敵として、中国が第3次日中戦争を仕掛けていると、東京の知識集体は、中国政府の判断ミスを待ち構えているのです。中国の世界最大の強みは、ユーラシア大陸の内部に向かうことのできる最強の国家であり、自国にイスラム教徒の大人口を擁するところにあります。中国は、大陸内部へ向かう「内陸国家」の伝統に回帰すれば、世界最強の海洋性国家である日本とイギリスとは、中国と相互不干渉という、大人の協調ができます

アメリカはホントは、おバカさんなので、中国人、日本人には、騙しやすい国なのです。イスラムの世界も、ロシアやアメリカのおバカさんを利用しています。全てのリスクと責任をアメリカに押し付ける、そういう楽しみがこれからの4年間です。李克強さん、日中は、上手くケンカしましょう。3000年、2000年のアジアの老大国が、まとめて黄禍といわれるよりも、新興の未成熟国家であるアメリカをあしらう賢さを活かしましょう。アメリカ人が見ている前で、日本と中国とは冷たい隣人関係を演じなければならないのです。しかし、本気で、日本と第二次日清戦争を準備されるなら、日本もきちんと準備することになります。でも、それは民衆に及ぼす被害が大きすぎます。

 


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中国経済の構造改革は、なお道遠し。倒さないが、地に這い尽くせ!

2017年01月08日 | Weblog

“网店是‘新经济’,但直接带动了实体工厂的销售;快递业作为‘新经济’的代表,同样既拉动了消费也促进了生产。这些典型的新经济行业,实际上都是‘生产性服务业’,都是在为实体经济服务,也是实体经济的一部分。”总理说,“我们培育壮大新经济、发展新动能,不仅是打造经济发展的‘新引擎’,也是在改造提升传统动能,促进实体经济蓬勃发展。”

ネットショップは、「新経済」である。しかし、実体の工場の販売と直接に連動している。スピード配達業に代表される「新経済」は、同様にすでに消費を引き出すことで生産を促進している。こうした典型的な新経済の産業は、実際にはすべて「生産分野のサービス業」であり、ともに実体経済のためのサービスの属し、しかも実体経済の一部分である。【李克強】総理が言った、「我々は壮大な新経済を育成し、新しいエネルギーを発展させるのは、経済発展の新しい引き金を創りだすだけでなく、伝統的なエネルギーを改造しレベルアップすることで、実態経済の盛大な発展を促進することである。」

これが中国の経済運営のトップの発言である。陸上競技の1万メートルに喩えると、日本、ドイツの水準から、5周ほど周回が遅れている。それが人民日報社でも理解されておらず、しかも、ピントがずれている。典型的な事例は、素人でも分かるレベルでしかない。中国の自動車産業が全地球的な供給者となりえない国内技術の水準で、ネット通販を事例にして議論するレベルでは、中国市場は、外資にとり美味しい肉にすぎない。中国の製造業の要のひとつは、台湾のホンハイとシャープの連合体にすでに抑えられている。産業では、外からの一つの中国経済圏に追い込まれている。政治が宇宙開発の軍事利用や、海洋進出を演出しても、先端産業の新技術は中国では低レベルのコピー段階である。李克強が広州など現場視察をしているが、彼がみた新技術なるものは、文系の私でも理解できるが、先頭集団から5周ほど周回遅れである。中進国である。

中国は19世紀の洋務運動に内在する軍事優先、官民合弁のミスで、日清戦争に敗れた。その構造要因は、いまでも改善できていない。その弱点を見透かされていることを知らないから、中国は、平気で、新たな日中戦争の火種を撒いている。歴史認識とは、自らの洋務運動を勉強しなおすことである。


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井波律子さん、手抜き工事の第2弾

2017年01月06日 | Weblog

「論語」の第2の難読箇所は、雍也篇の第10章、冉伯牛の臨死の場面で、駆け付けた孔子が、伯牛の手を執り、叫ぶ言葉の翻訳である。井波さんは、訓読では、「曰く、之を亡ぼせり。命なるかな。」とする。そして、口語訳では、「もうおしまいだ。天命というほかない」とする。解説では、訓読、口語訳につき、「不明な点がある」と認めても、大事な中国で流布している楊伯峻が中華書局から公刊した「論語訳注」の参照をネグレクトしている。

そこでは、原文の<亡之>の「之」の解釈に 新釈を打ち出している。楊伯峻は、この「 之」は、代名詞でもなく、「亡」の目的語ではないと主張している。彼は主要文字が「論語」では、どのような意味で使用されているか、丁寧に分析している。そこから、「亡」は「無」と同義で、「亡!」すなわち「無かれ」と理解する。孔子が伯牛の手を握り、「もうおしまいだ」と言ったのではない。

そこで、小生は、王引之の「経伝釈詞」を参照する。 『書経』では、「之」の用例として、「之」=「若」(ごとし)とある。楊伯峻さんは、それを知っての注釈だった。そこから、⇒「亡(無)、之(若)命矣夫。 無からん、天命のごとくとするかと口語訳できる。つまり、結論として、< あってはならない(死んではいかん)、天命のごとくするか、この人にこの病あることを、この人にこの病あることを。>と孔子が、伯牛の意識回復のために、しっかりと叫ぶ場面である。

だから、井波さんが、単なる本屋さんのチームとして、商品生産されているなら、「完訳論語」は、平気で店頭に並べるがよい。しかし、最低限、吉川幸次郎先生が没後に出された貴重な業績を見落としてのは、学者としてはお粗末すぎる。楊伯峻にもミスはあるが、「亡!、之(若)命矣夫」という学説は、傾聴に値する。まして、「古漢語常用字典」商務印書館を参照すれば、「亡」は一文字で、「無」と同義だと分かる。漢代にも用例がある。「論語」の成立のプロセスで、漢代の文献の用例も大事である。漢代では、「亡」一文字で、「無かれ」と同義だと容易に理解できていた。程樹徳を参照すると、楊伯峻の新説が成立することが分かる。井波さんは、きちんと読んでいない。なお、程樹徳は、伯牛の病が、ライ病、ハンセン氏病でないという考証に熱中している。それでも、孔子のセリフは、この病気で亡くなる道はあってはならない、と「亡」を正確に理解している。


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井波律子さん「完訳」は謙虚でなさすぎる。「論語」は文学作品ではない。

2017年01月05日 | Weblog

TMAの基本は、「論語」である。「論語」こそ、治国、平天下の基本である。従って、最も優れた「論語」の実践的な読み解きとなると、渋沢栄一の「論語講義」(講談社学術文庫)を推奨する。井波律子さんとは、面識がないが、金沢大学の教授をされていたので、あることでご縁があった。さて、昨年2016年に、天下の岩波書店が、井波さんの「完訳論語」を公刊された。まずは、女性が「論語」を受容したという点では、天下を刮目させる大事件であった。古今東西、孔子は女性を敬して遠ざけたから、「論語」は基本、女性を相手にしていない。それは、孔子の側に、女性を教育する資格がないという厳しい自覚があったからだ。「詩経」には、女子には女子の師匠があり、葛の蔓から繊維を取り出し、糸に紡ぎ、さらに染色、織布、縫製という「衣料」の全生産体系を担っていたことが読みとれる。「詩経」の主人公は、基本、女性からの恋歌である。孔子の弟子たちは、孔子の選定した「詩」300篇の暗誦が義務づけられていた。「詩経」の学習集団、その日常の断片記録が「論語」の基本形である。

井波さん、悪いけど、書名が厚顔に過ぎる。「全訳論語」とされないで、「完訳」の「完」は、天を恐れない不敬の思い上がりである。論語の最難読の章は、郷党篇の最後、孔子と子路たちが山野にでて雉たちの鋭い鳴き声に出会う場面がある。これをこなしきれないうちは、「全訳」は「全てに挑戦する」という意味で許される。「まったくする」は全でよい。でも、「完」は「まっとうする」、野球でいう投手の「完全試合」の達成を意味する。気になるので、アマゾンで取り寄せ、まずここをみた。最新の程樹徳の「論語集釈」を参照していないことが分かった。というのは、参考文献の欄で、劉宝楠の「論語正義」のまえに程樹徳の本を並べている。儒学のたしなみとしては、劉宝楠の正義を踏まえ、程樹徳があるので、中国人の参考文献の読みこみが浅いとすぐに分かる。次の難読箇所は、学而編の曽子の「三省」である。訓読と口語訳とが、完全にズレている。訓読では、「吾、日に三たび」と訓じ、口語訳では、「毎日に三つの事について反省する」と大矛盾を犯している。しかも、「伝不習」は、「不習」を目的語にして、「不習」を「伝える」ことをしなかったか、と。これは、中国語の語法には適しない。

中国の最新の楊伯峻の「論語訳注」(中華書局)は、「伝わりて、復習をきちんとしたか?」という意味の現代語訳を丁寧にしている。井波さん、ここをミスすると、学而編ですから、野球でいうと、1回の表で、満塁ホームランを打たれた投手です。それが大リーグの掟です。「北京」や、「上海」で通用しないようなレベルの中国学者ということを意味します。ともかく、「完訳」を銘打つ度胸は、孔子から学んだことになりません。謙虚に、岩波新書では部分訳だったので、次は全訳に挑戦しました、といえば済む。「完訳」ができるのは、まだ100年先の話である。中国古典学のメジャーリーグは、北京、南京、上海、西安、鄭州、成都、杭州、さらに香港。繰り返しますが、「全訳」は事実だから許される。でも、肝心の口語訳の活字が小さく、井波大先生の解説の活字が大きすぎる。

 


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中国は崩壊しない、韓国の混乱の行方こそ危機要因

2017年01月04日 | Weblog

TMA講師代表の研究:SNSでは、今年中に中国は崩壊するという観測を意識的に流す輩がいる。理由を外貨危機に求めるグループ、あるいは、国内の主な国営企業の倒産、ゾンビ企業に求めるグループ、さらには、地方政府の財政の赤字に求めるグループなど、主に経済危機に根拠を見出した議論である。人民元の対ドル相場の下げがきついから、中国経済が崩壊するならば、日本円も2016年の後半は対ドルのレートを下げたから、日本経済も危機に向かっているのだろうか?私の議論も、プロのレベルではない。まして、SNSでは、プロは発信しない。中国の経済危機は、中国共産党が問題点を中共中央が認めている範囲内でも、あるいは、派生した悪材料がさらに出てきても、国民の所得水準が向上しており、政府による緊急措置が可能な独裁制が機能するので、世界第2位国内総生産の全体が、第6位、第7位へと転落すると想定している研究者は誰もいない。

こうした中国経済危機が世界経済を恐慌的な悪循環へと導くとは、国際通貨基金IMFも想定していない。ただ、中共中央が人民元による過度な通貨供給を行う余地も、SDRの通貨バスケットのなかにある限り制約された形になる。金融は、IMFにおける調整にルール化されており、危機が起こればIMFから中共中央へ助言、勧告がなされる。

いまあるのは、中国危機ではなく、韓国危機である。韓国の左傾化による南北協調の路線が台頭し、韓国の対外輸出を中国側がうけとめる戦略が構築されると、東アジアにおける日本の孤立化が進む。アメリカがそれを簡単に容認しないならば、ここに2017年は、東アジアの軍事緊張が一気に進む。

 


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