富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

G20上海の重要性は読売新聞が理解できている

2016年02月27日 | Weblog

TMA講師代表:今朝は、土曜日、久しぶりに近所のコンビニに早朝から足を運んだ。お気に入りのビル・エバンスのアルバムをBGMとして流しながら、新聞を読もうという魂胆だつた。目当ては、日本経済新聞であったが、G20の上海会議のニュースは、北陸版では載っていない。予告記事だけである。この上海での会議の重要性は、世界経済の不安定要因といわれる上海株式市場における株価の低落の震源地であるため、異常に注目されている。

自宅で定期購読している「読売新聞」は、G20の記事を一面のトップで扱っている。だから、コンビニに行く必要がないのだが、そのあたり、他社の紙面を調べるという目的で、新聞コーナーを見にいった。いわゆる郷土系の地元紙は、明治にはじまる地方政治ゴロの伝統か、選挙がらみの政党の記事が目立つ。

確かに、民主党と維新の合流は、日本政治の重要な事項である。だが、読者はTVの報道で間に合うから、そんな情報はいらない。まして、きちんとした理論的な準備がなく、安倍政権の長期化にブレーキをかけ、少数野党の分立の非を訂正するだけのディフェンシブな対応にすぎない。

今回、20の先進国の蔵相・中央銀行の総裁が、上海という都会の、アジアで最高の金融街を肌で体験することで、中国発の世界恐慌の可能性は殆どなく、中国経済の影響への過剰反応が、ほんの一部の危惧であると、実感できると思う。

上海から、ある雑誌を恵贈して戴いているが、情報の文化の面でも、第3次産業を主体とする中国経済の構造改善の波は、上海が中国大陸全体への震源地であることが理解できる。

今、中国を正確に報道できているのは、読売新聞である。その他は、中国には民主がない、情報が秘匿されているから、記事が書けないという通信社の受け売りをするだけにおわる。中国の場合、官報のような報道記事から、隠された意図を読み取る分析力が必要である。人民網から入手した財政部部長である楼継偉のG20構造改革シンポジュームでの演説には、いくつかの注目点がある。①国際貿易の縮小に危機感を抱き、政府の公的部門よりも、私的部門の貿易促進への投資をいかにひきだすか?②労働市場の改革では、社会保障制度の体系の改革とからめる必要を提起、③新技術の創新については、制度面での優遇と保護、さらに非制度的なサポートの必要を提起。④財政の安定の持続性にかんし、判断材料となるデータが定性分析に傾き、数量的な相関が明らかにされていないと指摘。

この演説は、ヨーロッパを含む全世界に向けられたものであるが、実は、中国の内部エコノミストにむけた中国経済の実態への切り込みに関し、国際コンセンサスを理由に中国国内の改革を呼びかけたものであると読み解ける。例えば、私的部門の貿易促進への投資に関し、中国政府は制度的、非制度的な奨励と保護は、今後、検討し、実施するという方向づけである。面子の問題から、海外の遅れた国への提言として読み取れるが、国際的なコンセンサスを中国共産党の内部に反映させようとするミラー効果を狙ったものである。

さて、今度、中国では、第一次・第2次産業である重化学工業の司令部が主体となる北京政府の主導から、第3次産業を主体とする上海市の国際市場合意に重きが置かれることを意味する。それは、中国という龍の眼が上海へ空間移動したことを知るだけでも、われわれの世界経済の景色は変わる。その意味で、富山では、富山空港が上海直行便をもつ意義が深いと理解されるだろう。だが、富山は第2次産業主体、第3次産業が弱い。やがて、このギャップが、富山の重荷になってくる。

 


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マイナス金利の経済システムは、人類経済の正常な進化の道筋【校訂】

2016年02月20日 | Weblog

TMA講師代表:企業でも、個人でも、これからの時代は、マネジメント科学の理解力における差異が、その結果を大きく作用するようになった。そこで、中央銀行によるマイナス金利の制度を考えてみる。

人類史をみると、21世紀は、情報化による産業革命の完成時代だといえる。そのような情報通信の環境のもとで、資本を法的に所有し、その利息をもとに資本をさらに拡大する金融資本の仕組みが限界にきた。資本主義と社会主義という2項目の対の図式では、資本主義の原理の崩壊であると論じるむきがある。そうでは無い。「新しい公共」の時代に進化しはじめていると理解できる。

マネジメント科学は、ドラッカーが資本の法的な所有者が得られる利益を越えて、知識をもつ専門家たちが公共財として機能する資本を運用する力により、人類史は新たな段階に入ると想定した段階から本格化しはじめた。

そこで、マイナス金利とは、金利を収益源とするマネーによるマネーの増殖に近未来の果実を求める時代を終焉させる制度であるという理解が必要となる。ユーロを生みだした欧州は、経済規模は小さいが、民族主義を土台とする国民国家限界を超えて、欧州共同市場を土台とする社会を生み出し、マイナス金利の制度化に踏み出した。低利で、長期に、安定した新規投資を奨励する制度を促す。

公共財は、私的営利であろうと、公的非営利であろうと、資本の法的所有形態の違いに関係なく、公共財としての成長のパラダイムが求められる時代となった。したがって、古い思想は洗い流され、市場原理で淘汰されるから、近い将来には、ある種の経済恐慌現象が伴うことになる。中国経済の危機は、不動産バブルの崩壊が現象的に目立つが、そうではない。中国共産党のマネジメント科学の理解と、社会主義理論との整合性に大きな理論限界があるからだ。ドラッカー理論により、マルクスの古典経済学をきちんと修正し、マネジメント科学の人道性を深く理解しなおす作業を怠っているためである。中国では、マネジメント科学を「管理学」と漢語訳している。この「管理学」という訳語では、少なくともドラッカー理論の神髄は表現できない。

今後の人類経済の成長の原動力は、顧客の潜在心理に潜むニーズを全知全能で掘り起こすことである。その次元では、生産科学は厨房に過ぎない。市場の潜在ニーズは、最先進国では、古い衣食住論から、情報、旅行、遊戯などの世界に広がった。しかし、他方では、衣食住すら満たされない中進国か、それ以下の生活環境にある人口数の方が多い。それを救済するという大義名分は、社会主義政権の信仰を再来させる。そうではない。ドラッカーが想定したように、資本を所有する階級のルールを越え、地球上の全人類を顧客とする潜在ニーズに貢献できるような、新しい公共の視点をもつ企業活動である。

マイナス金利の制度は、金利の収入を利殖とする所有の限界を戒め、超低金利の時代環境のなかで、「新しい公共経済学」を生み出すバネとなる。欧州にプロテスタントが生まれたのも、金利収入を否定するキリストの精神が再興したからだと気が付けば、謎はとける。

 


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ゲーム理論の利点と欠点:日本経済が負け組となる理由

2016年02月14日 | Weblog

TMA講師代表から:アメリカ経営学では、しばらくゲーム理論が盛んであった。これには、2つの大きな背景がある。一つは、ミクロ経済学における、供給側と需要側との価格均衡のプロセスが余りにも一般に過ぎるので、個別の商品やサービスの市場に具象化すると、今度は一般的な法則が見つからず、個別の事象の理解に追い込まれたためである。それを競争戦略という観点から、供給側の企業がとりうる選択肢に応じて、具体的な指針を導き出す理論が経営学の側から生まれた。そのため、ミクロ経済学は、公共経済の利益を目的変数とする立場を見失い、ゲーム理論にはまり込んだ。

事象をゲームの眼でみると、常に一般化できるから、ゲーム理論は何にでも適用できると思われる。当てはめられる事象は、ありとあらゆる場面にある。他方、全てをゲーム理論で説明できるような錯覚に落ちいると、大目的を見失うおそれが出てくる。ここで、部分最適は、必ずしも全体最適とはならない、というゴールドラットの理論でを思い起こし、歯止めが必要である。

このように考えてみると、なにかの単一の理論により、全ての事象が完璧に説明できるわけがない、という事実に立ち返ることになる。そこで、生まれるのは、あきらめである。反対に、できるだけ総合的に分析するため、さまざまな理論をすべてツールとして頭の道具箱にいれ、必要に応じて、場面に応じて、最適のツールを使用できるように学習することである。

なぜ、そうしないといけないのか。それは、歴史学では、大まかに歴史ブロックと理解されているが、経済史学では、スパンという用語で短く区切る時間の範囲内で、ゲームが成立する基礎条件が変化するからである。西暦で、何年から何年まで・・・、それが時間のスパンである。その場合、土台の静態構造が同じ状態であることが大前提となる。土台の静態構造が違うと、ゲームを構成する要素が異なる。

例えば、最近、野村証券は、この30年間の日経平均移動線は1万8700円だから、必ずこの線まで回復すると嘘をついている。しかし、この30年という時間のスパンは間違いである。30年前は、1986年である。すると、例の異常な株高であるバブル期を含み、同時に、中国経済が世界経済の外側にいた時代も含むからである。従って、現在に関係する短いスパンでは、リーマンショックが沈静した2011年から2015年までの、最近の5年度の日経平均の移動線を用いるべきである。そうすると、15000円のあたりが、この5年間の平均移動の線であると分かる。25日、1月、8週間というようなスパンの平均移動の値は、5年間の平均移動線の方向とカーブを先導する指標となる。野村証券がこの30年間の日経平均移動線は1万8700円だとして、2015年の上半期に公的資金を含む各種の長期基金の財団に「買い」を先導してきたが、年金財団にとり、回収不能な何十兆もの含み損益を与えてきた。ニューヨークの金融街では、各種のスパンの移動平均線を求め、どのスパンの移動平均線のカーブが、目的変数になるかを日常的に計算している。

日本の大学での、人文・社会科学の研究・教育では、戦前期も、戦後期も、動態を動態として相関的に数量解析し、把握する分析ツールが供給されていない。その大前提がないところで、いくらゲーム理論をとりこんでも、部分最適の域をでないことになる。金融、証券の世界では、日本のプロは、アメリカのメジャー・リーグには届いていない。そもそも、財務大臣においては、そうである。


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