富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

1960年の大学進学率5%、2018年は50%超え

2018年06月24日 | Weblog

 高齢者の学力水準は、悲しいほど低い。だから、高等教育を受けた人間が、介護でお世話になると、その知的格差が大きな悩みとなる。愚妻は、最終学歴は魚津高校である。本人は家政科だと卑下するが、地頭力には感心する。いまや78歳となり、記憶力は低下しているが、W杯サッカーはよく見ている。僕は神戸の生まれなので、大学進学率は30%近い地区だった。それでも、中卒も多くいた。従って、高齢者の集団は、時代とともに高学歴となり豊かな職業社会の訓練を受けている。しかし、現状をみると、有効なパスポートの所有者は、富山県では5%位らしい。介護という体のよい姨捨山を抱えながら、日本社会が進化するには、国際共通語である英語と数学の教育が民族生存の基本条件である。早稲田大学の政経学部が入試において数学の必須に踏み切ったのは遅すぎる。要は、英語と数学とが民族性能の指標とできるのは、世界でも珍しい。韓国と日本だけである。ヨーロッパの英語教育は、日本、韓国よりも進展している。しかし、数学という記号の論理学は、北東アジアにのみ強みがある。こうして、現状でも富山県では毎年7000人もの新生児の誕生が可能な社会では、すでに少年犯罪は激減し、大学センター入試では、女子の受験者総数が男子を上回り、男女共生社会の基礎が生まれている。人口品質の高度化を伴いながら、人口数の減少がおきると、市場型経済原理による競争よりも、共存共栄、個性尊重の互恵型経済原理が実効性をもつようになる。案外にいい方向に社会が進化できる期待がもてるのではないだろうか。未来はバラ色とはいえないが、富山崩壊と暗く考える必要はない。地震も備えあれば、被害を最小限に抑えられる。それよりも、英語・数学の教育をしっかり固めれば、労力より学力による高度な職業社会へと高次元に高められる。バーちゃんたちには、せいぜい長生きしてもらっても大丈夫という県勢である。


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「区分所有法」の利活用の仕方と町おこし

2018年06月24日 | Weblog

 区分所有法」というのは、原型は、江戸時代の里山の入会地につき、明治になり地主制度が確立したときに、村仲間の株をもつ権利者が共同所有したことに始まる。江戸時代の株仲間の制度の名残は、地方議会にも残っている。議席を1番、2番、3番・・・というのは、固有名詞よりも、村の共有資産の共同所有権を意味している。現代の「区分所有法」は、1960年ころに、マンション型、団地型の共同所有の住宅の商品化により生まれたものである。さて、寂れた商店街の復興はプロは絶対に手掛けない。商店街としての共同資産がなく、仮にあっても負債を抱えているからだ。商店街として、一体の法人化がなされていないからだ。これには、法律のプロしかできない。民法という難問の世界に属する。憲法学はバカでもできる学問だ。道路に沿い個々の個人経営者が土地と商店・住宅を法的所有し、営業している事例は、そんなに多くなく、借地、さらにまた貸しされ、そこに極めて複雑な権利関係がある。さらに、相続により遺産分割されるために、所有の細分化が生じる。モータリゼーションにより、駐車場が前提条件で、そのうえで商業活動が成立する。首都圏のように、公共交通の利用者が多いと商店街が成立する。富山では、電車や公共交通利用の通勤者は少なく、高校生が最大の利用者である。大学の関係者は、公的な研究助成を目当てに学生を動員して町おこしの調査にあたらされるが、民法の知識にない学者や学生には、とても無理な話である。「区分所有法」を親法として、「○○管理組合法人」という法人に細分化された土地私有権を一元化しないと無理である。さらに、悉皆的な市場調査を行い、徒歩か自転車でこられる買い物客と、買い物難民化した独居老人という市場限界の現実を見て、学生が自己の無力を感じ、教員の無能さを確認すると、首都圏の商店街の栄える町への憬れを加速するだけだ。県立大学、富山大学の未熟な教員が失敗する事例研究となる。民法の専門家を核にしないで「都市デザイン学」だけが先行しても、パソコン画面に執着するだけだ。大事なのは、役所の地味な徴税担当の微細な情報と法的業務のノウハウだ。僕は、「区分所有法」の管理組合法人の理事を10年くらいしているが、広大な駐車場を共同で管理する組織の法人化に十分な時間がとられた。ここは、きちんと勉強したつもりだ。今は、その一部の児童公園の遊具の改装と、賠償保険の加入を研究している。火災保険すら共同化できない商店街では、無理だ。僕の関係している管理組合は、ボランティアで役員をしている人は、10数名は大学卒である。他のボランティア団体の役員を兼ねている。県庁OBは使えない。富山市役所OBは献身的だ。民間企業OBは、みなパソコンが上手い。年間1万、2万程度の役員手当だ。皆さん、自己の人間としての成長、進歩を最大の報酬として受け取っている。敬愛できる役員ばかりだ。


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なぜ、アジアを卒業し、ヨーロッパの仲間入りが大事か

2018年06月24日 | Weblog

 日本文明・文化が、中国大陸、朝鮮半島に優位性を確立するには、親近性を前に押し出さないことである。振り向けば、無理にからまれる。背中を見せつづける脱亜主義が正解である。嫌われても良い。それでも、憬れられる存在であることだ。つまり、日本はアジアに存在するという宿命は逃れられないが、ヨーロッパ文明と文化を共有できる唯一の条件を備えている。ワインも、ウイスキーも、品質では、肩を並べるようになった。食品文化の欧風化は、揺るがない大道となった。そのなかで、純和風という流れで、日本が江戸時代に確立した文明・文化は、ヨーロッパ貴族・市民から評価される日本観の土台となっている。アダム・スミスは、すでに日本の中国に対する優位性を認めている。中国は日本に見習うべきだと述べている。中国は、長く日本の左翼文化を取り込んで失敗した。しかし、富裕層が沿岸都市に出現し、中国大陸の一部にも、ヨーロッパの仲間入りを希望する経済人口が何億のレベルで増えてきた。日本の欧風化と中国の欧風化とは、同期できる現象である。ヨーロッパも、実は変化してきた。宗教から科学へという回路は、すでに共通文化となっている。中国による「一帯一路」は、中国大陸から欧州への道を表現した側面がある。文明の橋渡しと考えればよい。「一帯一路」は、中国からの「脱亜入欧」の願望を表現したものである。ただ、中国の、特に漢族の内向きの自己文化へのこだわりは硬直している。日本の場合は、外来文化の昇華に優れている。僕は、アジアを対象とする科学研究からみて、孫文の心の奥底では、アメリカ蔑視と欧州への崇拝がある。欧州に認められたいから、中華の近代化による強国化を至高とした。習近平にも、欧州へのあこがれは強い。中国における少数派である「脱亜入欧」論と、日本の多数派である「脱亜入欧」論とは、高次の連携論となる。その点では、台湾人はまだダサイのである。北陸で、台湾ブームは起こらない。なぜなら、北陸人の本音は、脱亜であり、アメリカ嫌いであり、ヨーロッパ好みであるからだ。さらには、先進人は、ヨーロッパの癖を知り、長短を見極めている。つまり、狭い地域の文化伝統の持続力が強く、ヨーロッパ人の内部の近親憎悪が深いことを知っている。よくよく眺めてみると、われわれは、すでにヨーロッパ水準に達しているのである。三共立山㈱は、アメリカ市場を開拓しない。芸術文化の面で、アメリカ文化の低俗性を嫌う風土が北陸にはあるからだ。それは、アメリカ的なマネーよりも、文明思想を優先する伝統のためだ。

 

 


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6月23日(土)のつぶやき

2018年06月24日 | Weblog

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ロシアW杯、予選突破できなくても、十分な日本チームの成果

2018年06月23日 | Weblog

 初戦のコロンビア戦が、戦前の予想を覆し勝利して、日本のメディアは湧きかえっている。今後、仮に2敗し予選敗退しても、南米のチームから勝利を得て雪辱を果たしたのだから、それでも充分である。日本のサッカー文化の将来は、非常に明るい。うまく世代交代の芽を育て、ブラジルでの失敗を教訓として改善してきた「老将」も役目を十分に果たしている。何よりも、アジア地区予選で敗退した中国には、大きな刺激となっている。チーム・ワークを心性の文化としてもたない中国には、日本が手本となっている。社会主義の核心価値とは、何あろう、実はチーム・ワークである。権力者へのすり寄り、貢物、贈賄の土壌は、中国の永久凍土のようなものである。習近平さんが100年かけても、中国には社会主義の核心価値は育たない。なぜ、日本の高学歴社会がサッカーや、ラグビーに力を入れるのか?One for All.All for One.という精神の育成のためである。そこに価値を見出す。特に日本サッカーは、ドイツ文化を母体とする。幼年期からの紳士の精神を育成するという社会的な目標がある。中国にも立派な紳士が指導する伝統社会が存在した。毛沢東がそれを徹底的に破壊し、紳士の家風を壊滅させた。3000年の良き伝統を破壊した。サッカーのようなチーム競技において、常勝の中国ナショナル・チームができるまえに、中国経済は成長のトラップにはまりかけている。また、韓国も北朝鮮との緊張が緩和すれば、日本への憎しみだけで強さを維持できない。日本のチームは「助け合い社会」の伝統精神、互恵型経済原理を体現する友愛を基礎とする伝統心性の土台にきちんと着地している。コロンビアに対する1勝だけで、日本人は十分に代表チームに感謝している。本当の射程は、2020年の東京オリンピックである。手倉森さんがロシアW杯のなかで、つぎの準備を始めている。日本の一流企業のマナーが、日本のサッカーに転移されている。総合商社的には、ロシアW杯は、十分に採算がとれている。これ以上、欲は思わない。東京五輪で3位以内に入ることが国家目標である、と期待したい。


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日本の製鉄には利かないアメリカの高関税政策

2018年06月23日 | Weblog

 中国の鉄鋼製品には、アメリカは25%の高率関税で輸入制限を行い、日本には、一律の高関税ではなく、除外品を指定してきた。理由は簡単である。日本の鉄鋼製品の一部は、アメリカでは国産できないからである。不二越の熱延鋼板など4社は、高関税から除外とされた。このような高い機密性のある生産技術商品は、それなくしてアメリカ軍の軍の装備が生産できないからである。こうした特殊鋼とよばれるもの。張力に強い。弾性に耐える。軽量化に耐える。磁性をもつ。さらに、鍛造の技がいる製品もある。富山にもアメリカ向けの、アメリカで生産できない鉄鋼製品や、そのような素材を使用した機械がある。心配したが、さすがにアメリカ国防省では、選別の眼が正確である。実は、アメリカの陸海空軍は、大事な顧客である。富山のアルミの用途も、さらにアメリカ軍の規格に対応する努力がいる。つまり、技術力の差異が、お馬鹿な国にも、賢い国にも、日本の潜在防衛力として機能する。最近、北朝鮮をめぐり、日本外交が孤立させられているという批判が語られているが、ローテク同盟と、ハイテク同盟との次元の差異である。大学生と大学院生との差である。日本は、量産品でエネルギ多消費の鉄鋼製品から撤退し、付加価値の高い製品群に移行し、量的縮小と質的向上を図ってきた。過去にあったアメリカの自国産業保護政策による反日を経験した結果である。品薄の状態だと、市場価格も低下しないで、高関税も免れる。日本は、きちんとアメリカさんを顧客にするコツを飲み込んでいる。では、中国はアメリカとの貿易戦争に耐えきれるだろうか?相当に無理をして、内需拡大と生産設備の更新へと急転換することになる。GDPでは日本は中国に負けたが、GNPでは実質優位が表に出てくる時期にきた。日本には望ましい環境へと変化してきた。


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忠と恕の哲学:自分には厳しく、弱者には優しく

2018年06月23日 | Weblog

 孔子の学派の古典である「論語」は、一言で括れる。人間の多様性を前提として、自己には厳しく、弱者には優しくあれ、ということだ。弱者とは、無辜の民のことである。大阪府高槻市のブロック塀の倒壊による小学女子の犠牲は、1万人の犠牲の匹敵する。教育関係者が、生涯忘れてはならない自己だ。関西の社会では、京都大学の出身の鈍才が、京大出の学閥社会を形成している。JR西日本の大規模な列車事故、大阪府教委の京大閥、京大には、独りの天才を愛するがために、万人の京大生を殺すという知の地獄がある。互いに頭が悪いと罵り合う憎悪が絶えない。その底辺層が、鉄道や教育などローテクの職業社会に派閥原理を持ち込む。京大生の底割れ現象は、いまだに堪えない百万遍交差点に並べられる立て看板である。情念を科学として身体表現する陽明学の亡霊がそこにある。彼らは自己に厳しく、弱者には優しい。けれども京大病院の医療事故は絶えない。この足元は、立て看板で自己主張するような幼稚な思考では断ち切れない。主観主義の病理である。どうしてか?それは、君子と小人という孔子の建て分けに起因する。偏差値からして、京大出身者は、全員が君子であるという大前提がある。だが、君子には忠恕の「知行」が求められ、君子の群れのなかで、あいつは小人だというレッテルを互いに張り合う関係が生じる。「南海トラフ大地震」の仮説が不備で、内陸直下型の断層地震との連関性は、阪神大震災でようやく分かったのである。彼らの内部でも、小人へのレッテル貼りは続く。京大入学者の科学者としての不発弾には生涯悩まされてきた。世間の期待がかかるから、気の毒なほどに、卒業後は厳しく評価される。努力型の天才では、先天的な天才には勝てないということを心底まで思い知らされる世界、それが東大、京大の世界だ。それでも、世界で普遍評価をうける勝率は、万分の一である。自己命題に忠であることは、必ず自己限界に突き当たる。波動関数をベースとする統計学が分からない。それが今の僕の壁である。最小二乗法では、精度が低すぎる。


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前川元文科省事務次官の危険思想

2018年06月23日 | Weblog

 大衆受けする「優しいオジサン」は、実はオオカミさんなんだ。大多数の国民は、羊にたとえられる。偏差値輪切り社会を根底から批判し、仲間はずれされた少数派が、実は数的には多数派なんだと、格好よく言い切る。偏差値だけで人間の価値は決められないという逆のモノサシ1本で、偏差値輪切り社会を否定するのは、大衆を騙す「典型的な二分法」である。しかも、多数派に味方する議論である。大衆迎合論である。偏差値輪切り社会にも、正当な理論の支えがある。反対に、登校拒否という少数派にも正当な存在意義がある。真の知識人は、その関係を均衡論で思考する。他方を否定し、一方にのみ正統性を主張することはしない。ただ、日本では、文部省ではなく、文部科学省である。前川さんが、厚生労働省の次官なら立派である。また、それを兼ねる力量があれば問題はない。科学省という省の役人であるかぎり、偏差値輪切りが必要なことも理解しなくてはならない。僕の場合、登校拒否は高校で経験した。それは、社会科学に対する未熟なのに鋭敏すぎる感性は強すぎた。結果として、中国研究を選び、近代史を経済学説から説明し、学説の効果を総合史の次元で検証する学理を建てた。異常なアンテナがあるので、自分でも困ったものだと思う。東大や京大の同じ分野の研究者は、偏差値輪切りの結果、最後は「勘」の勝負に世界では、勝者なのにそのレベルでは敗者となる。つまり、普遍的・平均的な課題の偏差値が上位でも、それは総合力の面での上位者であり、ピンポイントの課題での人類未踏の「新しい1行」を創造できる能力は、ある種の異常さが武器になる。前川元文科省事務次官の思想は、科学研究の先端を無視した大衆迎合の芸人性にある。博士の博士、教授の教授という上には上の未踏の世界がある。科学は、福祉の源泉である。科学者を育成するのが、文科省の教育の基本である。厚生労働省でおこなえる普通教育とは、次元が異なる。国家の命運をかける科学教育には、水を差すべきではない。


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富山県の人口減は衰退現象か?

2018年06月23日 | Weblog

 知事や行政マンが言えない議論であるが、歴史家ならいえる議論の仕方がある。高齢者の死亡による人口減少分と、新生児の誕生数とを比較して、死亡による減少が多いので、確実に人口減になるという算数は誰でもわかる。ただ、この算数を信じて、総人口をプラスに転じることを行政の成果目標に掲げると大きな間違いを生む。それは、議員さんも有権者が怖いので言えない議論である。中国研究では、人口品質という言葉がある。人としての能力の低い人口がいくら多くても、国家的には負担になるという議論である。いささか差別感の強いエリートからの議論である。

 若い世代から慕われるような生き方をしている高齢者には、長生きをしてもらいたい、現役時代の実績に敬意を払いたい、そのような環境の老人は自然に長生きという配当金が全社会的に支払われる。逆に、僕のように50歳まで酒量が多く、40歳までヘビー・スモーカーであった人間は、大体は80歳を超えるのは難しい。こうのように、高齢者は生きたままの過去帳により、天が寿命を自然に割り振る。高齢者には、自ずと調節原理が働く。他方、最近の若者は、日本人としての人口品質は高い。つまり、資産勘定方には含み資産が積みあがっている。他方、人口品質の低い高齢者が急ピッチで減少しているのは、負債方の不良債権の処理が進んでいることになる。昭和ジジという不良債権を今後20年で処理できると、他方で新成人が国際市場で戦える人口品質として成長し、資産勘定方の資産の含み益が現れてくる。富山県の場合、1年の新生児の総数が7000人台を保っている。彼・彼女たちは、日本でも有数の基礎学力集団として、富山の先端産業を支えることになる。彼・彼女たちの父母は優しいので、「面倒くさい」昭和ジジ・ババを上手く活用しながら、次世代富山に新しい公共を生み出すと思われる。かなり北欧風の新しい公共の社会へと脱皮していくプロセスだと前向きに考えたい。自らを厳しく律して、若い世代から慕われるような生き方をしている朝日建設の林和夫社長のような生き方と哲学に学びたい。富山大学の経済、人文の女子学生は、林さんのような方が社長をしておられる企業に勤務したいという感想文がかなりあった。哲学ポイ、面倒くさいジイなのに、若い世代から慕われる。昭和ジジという不良債権にならないように、僕も頑張ろうと思うのだ。


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6月22日(金)のつぶやき

2018年06月23日 | Weblog

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中国は、農民豊収節という祝日を新しく制定

2018年06月22日 | Weblog

 富山県日中友好協会において、中国の伝統的な年中行事の研究を講義させていただいている。ある種の予想が的中し、秋分の日を「農民豊収節」という祝祭日とすることになったそうだ。伝統的な年中行事では、秋の収穫祭は各地に存在していた。これを毛沢東思想の下では、封建文化として古い習慣を廃絶してきた。ここにきて、新たしい名称のもとに、伝統行事の復活が認められることになったという。農民に感謝するという意味もあるという。県日中の中国文化セミナーでは、2018年1月からその月の中国の伝統的な行事をテーマにしている。7月は七夕伝説を取り上げる。中国では消滅し、日本では形を変えて残っている。古代中国では、女子の、女子による女子ための祝宴であったようだ。裁縫が上達するようにという願いをかける祭りだったようだ。女子は、普段着ではなく、晴れ着をきたようだ。日本では、浴衣を縫うのが裁縫の始まり、それを着て、さらに裁縫の上達を願う。竹に飾り、短冊に願い事を書いて掛けるのは、日本式である。なぜなら、中国では、女子は文字が書けなかったからだ。中国共産党が指導する社会になり、中国の女子は、針だけでなく、筆も使えるようになった。100年かけて、中国女子は進歩したというわけだ。でも、日本では、裁縫は放棄され、浴衣は買うものになった。運針は、女性の教育に不要かどうか、深く考え直すのも悪くないだろう。バカ姫が多くなるすぎるのではないだろうか。反対に、男女平等のお陰で、小学校の家庭科で、ボタン付けを訓練された。単身赴任や、海外生活にはとても役立った。


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6月21日(木)のつぶやき

2018年06月22日 | Weblog

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迷いながらも水素利用の産業社会へ転換する大道

2018年06月21日 | Weblog

 「日本経済新聞」社によると、経済産業省は燃料電池車(FCV)の普及に向け、燃料を供給する水素ステーションの規制を緩和するようだ。ドライバーが自ら水素を補充する「セルフ式」を解禁、一定の条件を満たせば監督者1人で運営できるようにして、水素ステーションの設置を促すという。将来は無人化も検討する。次世代車を巡っては、海外では電気自動車(EV)シフトが鮮明だが、経産省はFCVにも将来性があるとみて後押しするというのだ。これは、トヨタ・ホンダの水素を原料とする燃料電池車と、日産の充電によるバッテリー電気自動車との2本建てで実用実験に取り組むということだ。富山の場合、県営の小水力発電が水素の生産にも道が開かれるならば、トヨタ・ホンダ方式に与するのも意味がある。他方では、現在の電力線から家庭で夜間充電できるとなれば、日産の方式が世界的にも先行してるので、水素ステーションのない人口があまり密集していない地域でも対応できる。経済産業省は、トヨタに押し切られ、少数派にも切符を与えた。富山では、補助金という国の金の縁の切れ目まで付き合えばよい。特に立山観光には、水素燃料の高山バスに補助金をたかればよい。問題は、北陸経済の基幹をなす北陸電力をいかに支えるのか、という問題である。下水から生まれるメタンガスからの水素分離による大型水素発電という大テーマが残されている。これが脱原発につながる。大都市の海浜でこそ、下水からのメタンガス利用が可能となる。大都市の循環型とみれば、日本の場合は、水素の製造方法という基盤が安定すれば、乗用車の方は、消費者の選択・好みということになる。燃料電池車(FCV)が、大型の重量物を運ぶ物流の手段となれば、社会貢献は大きい。


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アメリカの学説無視の高関税政策の危険度

2018年06月21日 | Weblog

 大統領選挙の公約がそのまま国策の具体化され、アメリカの国内産業を保護するためという名目で愚策が展開され始めた。これは、日本に対しても例外ではない。一番に危惧されるのは、世界経済の後退である。NYの鉱工業平均は、急速にダウンすることになる。それには、世界は利害関係はないが、景気指標のシグナルとしては、全世界的な金融資産の縮小に繋がる。世界の年金財団も保有資産の担保価値の減少に悩まされる。ここで、景況感は反転するという警戒信号が灯り、青信号が消えて、赤信号が灯る瞬間である。おそらく中国へのノックダウン政策となり、日本には、薄目を開けるとチャンスであるが、それ以上に、日本の基本である世界経済への同期性の結果、渋面に変わらざるを得ない。次の不況期に応じて、企業内の経営陣の世代交代も起きてくる。新陳代謝のチャンスが、拡大することになる。このアメリカの誤った政策のために、どのくらい長い世界不況になるのか。これは、2年あまり先のアメリカ大統領選挙までは、混乱期が続くとみられる。これは、ケインズ経済学の全否定である。それに代わる高度な経済学理論に導かれない以上は、理性による説得は不可能である。少なくとも、東京五輪2020年は世界不況の底と重なることを意味する。


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統計の基準に問題のある「住みよさランキング」

2018年06月21日 | Weblog

 またバカの壁に付き合わされるのでしょうか。どのような指標が「住みよさ」なのか、その基本的な理論設計ができていない。過去に「保育所の待機児童の少なさ」を項目に入れた結果、富山県の10市は上位に来たが、今回は、若年・幼年の人口増加率を基準にすると、富山県は砺波を除き、下位に転落したそうだ。これはまだ、人口論の呪縛から逃れていない理論設計である。人口論を加えることは行政評価の指標であり、「住む」ということの利便性の指標ではない。子育てしやすい街というなら、それに適した指標がある。だが、学力形成の差も、沖縄県を除けば、微差でしかない。出生率から言えば、沖縄が一番に住みやすいことになる。スーパーなどの買い物の利便性では、ネット通販が発達したので無意味である。それでも、我が家の女子は、富山市から砺波まで洋服を買いにいく。ベルーナの商品が試着できるからだ。「おばちゃん文化」が、砺波にはあるからだ。つまり、富山では女子が自分の車を持ち、金沢を頂点に北陸全域に目配りしている。行政区画で区切り、相互比較しても意味はない。富山市は、奥飛騨の方の需要を支えている。圏域を超えて不便なのようだが、奥飛騨の方は、富山の岩瀬浜に釣りや海浜を楽しみに来られる。それは、交通網があるからだ。経済中心地の理論では、核となる都市のサービス機能が問題となる。アカデミックな理論では、医療サービスの階層性に着眼したクリスタラー理論が「住みよさランキング」のモノサシとなる。偽もの理論による統計分析は、ランキングのジャーナリストの狭い、誤った偏見に過ぎない。富山県は、ドクターヘリをもつ緊急・高度の医療サービスが全市町村をカバーし、更なる医療機関のクリスタラー配置が充実に向かっている。ドイツの地方と比較してもそん色のない水準に来ている。これに製薬業の産業集積では、印刷業、段ボールを含めるとすでに1兆円を超えている。これを10兆円にまで高めると、富山県の全体がスイスや、北欧のようなレベルに向かう。「男は金属、女は薬」という協業知識産業社会に向かう道筋にある。富山県には明快な目標がある。課題は、農業、林業、水産業というすそ野を意識した生物資源を生かすバイオ製薬への隙間なき分業と、国際化の業務能力向上である。


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