富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

北朝鮮の視察情報:島根県立大学からレポート

2016年10月30日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:

 島根県立大学の北東アジア研究センターから、NEAR News No.50を戴きました。副所長の福原裕二先生は、朝鮮社会科学院への交流訪問を兼ねて、国内視察の旅行をされたそうです。本年6月7日からの数週間の滞在のようだ。もともと同国との関係があり、島根県立大学の朝鮮人の研究スタッフを帯同させた旅なので、先方が不都合な見学先は、当初から除外されている。だから、先方の対外宣伝の利用された面も無きにしも有らずである。とはいえ、そこは学者という第3者の眼で、主に写真撮影とヒアリングをされたので、北朝鮮の空気の一部は言外に伝わってくる。

 朝鮮労働党の暴君による暴政により、朝鮮社会は大停滞のように思われる。が、社会規律が守られ、中国官僚のようにモラル・ハザードに陥るという危機的な状況にはない、という。しかも、中国から、粗悪な古古米も古古米、家畜の飼料のようなコメを比較的に高価に売りつけた「関係」も暴露されている。経済の一番のネックは、石油にあることがきちんと実証されている。中国が石油の輸出を完全に零にしたら、・・・という制裁は、民用の交通から順に軍用の輸送へと経済を麻痺させるに違いない。国際社会の経済制裁の圧力が高まれば、中国の対朝貿易の商社、つまり中国籍朝鮮族には、粗悪品を安く仕入れ、高価に売りつける条件が拡大する。福原先生は上品なので、中国の国籍をもつ朝鮮族と、朝鮮労働党との貿易関係の特殊な癒着には言及されていない。朝鮮国籍をもち、ヨーロッパで活動する朝鮮人ビジネスマンとの飛行機の機内での会話を紹介され、北朝鮮の経済の可能性を楽観されている。これも、深読みが足りない気がする。とはいえ、朝鮮社会の内部で、下からの内乱が起こったり、あるいは、頂点の暗殺を期待するようでは、北朝鮮社会の現実には迫ることができない。

 経済制裁は、朝鮮族の内部で、外部に暮らし、貿易の旨みのある勢力と、国内の特権階級の特権の特殊価値を更に高め、市場経済原理が公平化された形で機能しない方向へとアクセルを踏みこんでいることになる。中国にたいしても、朝鮮への経済制裁の強化を外交カードとして取引材料にされ、日本側にはマイナスに作用している。国内外からの閉鎖経済の制度を強化するだけでは、脳のない話である。この点だけは、福原先生の文章の裏の意味がくみ取れる。


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富山藩藩校・「広徳館」は、三省の条を正確に読解

2016年10月30日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:「論語」の巻頭に近い最初の難読箇所は、学而編の第四章「曽子曰、吾日三省吾身、・・・」とある「三省」の条である。

この前のブログで、岩波文庫の金谷治訳も、講談社学術文庫の加地伸行訳にも、大ミスがあると指摘した。広徳館の杏立さんは、「吾日に三つ吾が身を省る、人の為に謀(はかり)て忠ならざるか、朋友と交(まじわり)て信ならざるか、伝わり習(さら)わざるか、と。送り仮名は、原文ではカタカナ。ここでは、現代風に改めた。広徳館の幕末の読みが、いまでも光っている。

富山のアルスホームの社長である原野省三さんは、そのお名前のままに、「三を省みる」という境地を根底に、富山大学経済学部の経営学特殊講義でお話しされた。その時は、宗教めくので、「論語」に由来するとは言われなかった。トンボ飲料の社長の翠田章夫さんも、社是が「論語」ベースである。社員がミスをして大事故になった際、まず社長としての「反省」を最優先の課題とされ、安全対策を共有する社風のさらなる進化に取り組まれた。

学問の世界では、有ってはならない誤読者が権威とされているが、富山では、三省が正しく読まれ伝えられ、実践されてきたことがわかる。経営者の人格こそが、経営の始原である。


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「習わざるを伝えるか」は、加地伸行教授の金谷論語の大ミスの見逃し!(改題)

2016年10月28日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究: 「論語」の学而編に有名な「三省」の話が出てくる。岩波文庫の金谷治先生(東北大学)の「論語」では、「日に三たび」反省すると訳している。動作の回数は、動作動詞のあとにくる補語の要素である。「省日三」という語順でないといけない。「省」のまえに「日三」が来ると、話題や主題を主語とする漢語の働きで、「日に三つのことについて」「省みる」という語順になる。現代語では、「関於日三」と主題を明示する形である。加地伸行教授は、見事に、金谷治論語をゴミ箱に蹴り込んだ。反省は、日に一回である。

しかし、その後に来る三項目の反省点の第三項目が運命の分かれ目だった。「伝不習」を「習わざるを伝えるか」と大ミスを犯した。金谷治先生の大ミスをそのまま「伝え」られた。加地伸行教授は、私の大阪大学へ提出した博士論文の審査委員ではないが、同意の意思表示を戴いたので恩義がある。とはいえ、動作動詞の後の「不」は、補語の要素である。「伝」という動詞の程度補語として「不習」がおかれる。「伝わりて習(さら)わざるか」と読むべきである。意味は、教授から「伝授」され、「習(おさらい)しなかったか」という意味である。

大阪大学のような発明発見を大事にする大学で、教授から「習わなかったことを」、学生に「伝えたか」と反省すると訳したら、学問は永遠に進歩しないことになる。ここでは、学問の基本として、教授から「伝授されたことをきちんと復習することが大事だ」という意味である。師匠から習わなかったことを新たに創見を立て、後輩を指導するのが現役の教授の役目である。僕は、伊地知善継教授に教えを請い、戴いたテキストをもとに「論語」を読み直したら、と大きな示唆を戴いた。70歳になり、老師の学恩を知る。中国では、「伝習」という熟語がある。この否定形は、「伝不習」となる。くれぐれも動詞の後に来る「不」は、補語要素となる。大阪外国語大学の学長であった伊地知善継教授の学問は、大阪外語大が大阪大学と合併したので、加地さんの学風が消えて、伊地知先生の学風が大阪大学に「伝わる」、同窓生として安心している。


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地方紙の女性記者の無礼

2016年10月27日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:いままでの人生で、全く礼儀という文化を備えない人種は、一部の弁護士、特に反日運動に専心する方である。その次にご迷惑なのが、地方紙の一部の女性の新聞記者である。同じメディアでも、東京の出版界の女性は、メールでもお洒落なスタイルがある。つい、心を許しホンネを提供することになる。こういう礼儀をわきまえた女性ほど、自分の魅力を脳力、戦力、運気をたかめ、きちんといい仕事をする。おじさんキラーである。だから、礼儀をわきまえた方が、結局、本人の社会地位の向上につながる。既存の体制である男性優位の社会にたいし、「できる女性」こそが、なるほどと周囲を納得させ、構造改革に成果をあげることになる。

ところが、名前は挙げないが、富山県の複数の地方紙の女性記者は、すでに同僚の男性記者の評判すら悪い。ヒトとしてのマナーがない。大学の講義の取材にきても、司会進行役の教授にも挨拶はしない。講義室の前のドアーから、途中退席する。企業から講師としてこられた社長が、ここの大学生はマナーがないと不愉快感を露わにされた。それで、あれはここの女子学生ではなく、某新聞の女性記者である、と説明したら、なるほどと納得された。

この手の女性は、結局、男子優位の伝統社会を構造改革する力にはならない。男と女との二分法による対立ではなく、性別に関係のない「人間性」の問題である。公務員の関係では、両極端に分かれる。ただ、表面的にトラブル回避、仕事範囲の極小化という流れに属する男性の上司をコピーしている「縮小女子」が多く、要職に備える野心を内包する「できる女子」もなかなかに見つからない。地方紙の女性記者は、社会の木鐸として、知性と礼儀をわきまえ、異業者とは一線を画する実力が求められる。そういう女性の先進像は、医療機関の患者に接するかたには、より多く見受けられる。「医」の文化は、「礼」に本源がある。

褒められない女性の職業人がはびこるのは、日本の高等教育の根底に「礼」の文化があるか否かである。医学では、現実には乖離があるとしても、人の生命の尊厳の規範は極めてきちんとしている。

日本の高等教育機関の「文科系・社会科学系の教師」は、僕を含め、真のヒューマニティを備える「礼譲」の文化を教養に基礎としていない。『論語』は、医の仁への貢献として現在も生かされている。人文・社会科学では、『論語』は廃棄されている。原書の解説者である岩波文庫、講談社学術文庫の『論語』、大事な『論語』の「朱子集注」(平凡社・東洋文庫)は、難読の箇所では誤訳に終わっている。孔子はひん死の病状の弟子の手をとり、もう駄目だ、と言ったと訳すのは礼譲の文化を知らないからである。「いかん、死んだらダメだぞ」と弟子を覚醒させようとする、それが孔子の弟子への仁愛である。それが感じられないほどに、指導的な教授が劣化していたのが戦後の大学教育である。当然、自戒の意味を込めて告白する。


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富山県射水市(いみずし)の物流拠点としての発展可能性は大きい。

2016年10月25日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:

現況では、国内物流はトラック輸送が8割を占める。しかし、少子化の影響で運転手が不足してきた。深夜便、昼夜が逆転する仕事は忌避されてくる。そのため、ドライバーの賃金が上昇し、運賃が上昇し、車両の確保が難しくなってきた。

YKKを例にとると、黒部工場から国内向けは、トラック輸送に依存している。大半を占める輸入・輸出の貿易品では、神戸、東京・横浜などで通関され、海上輸送される。これを地元の伏木富山港で通関し、内海航路でハブ港まで海上輸送し、そこで外航船に積み替える方式がある。YKKの場合は、通関業務が自社内でできる認可を受けているので、選択肢は2つである。一つは、JR貨物の利用であるが、コンテナの規格が、外航船のコンテナ規格と大きく違うので、縮小する内需に限り利用可能である。したがって、陸送の距離と時間を短縮するには、工場で外航船のコンテナへ積み込み、伏木富山港を利用し、ハブ港へ内海航路を利用する方式が比較的に優位なのである。しかし、物流では、ジャストインという時間の課題がある。トラックは随時にスタートできるが、船舶は速度も遅く、海上の天候に左右される。また、積み替えのたびにコストが増大するから、工場⇒陸送⇒ハブ港が最短の時間と手間の節約になる。内海の海運の企業では、「安定的に大量輸送できる海運の利点を荷主に訴え、輸送手段の切り替えを促す」という考えもあるようだが、それが全てではない。

富山の場合、企業が自社工場内で、貿易通関できる能力があるのはYKKだけである。それで、富山県と射水市は、伏木富山港に各企業むけの通関と外洋航海船洋のコンテナへのバンニングをする共同事業体を育成するべきであろう。しかし、優秀な頭脳は、どの組織でも物流に配置していない。各企業でも、物流から経営トップへの企画提案もできない。ここは、射水市役所が優秀なので、射水市営により伏木富山港の利便を高めることが、富山の可能性を大きく育てることになる。国内輸送でも、沿岸の小さな港をこまめに繋ぐ海上トラックのような船舶、伏木富山港を基点として集配する時代もそう遠くないだろう。その点では、物流の射水市と呼ばれるような経営力のある地方自治体を期待したい。県全体では、現状では、FKKに脳力が欠けており、富山県庁も物流担当者の専門知識が不足し、地域としてのナレッジ・ワークが成り立っていない。ここに富山の製造業の伸び筋がふさがる原因がある。

参照すべき論文は、稲村肇など「海上フィーダ輸送を考慮した外貿コンテナ貨物の需要予測モデル」『土木学会論文集』Vol.1997,No,562.。最近の研究は、調査していない。

 なお、医薬品などの化成部門では、特殊なコンテナやトレーラーが適しており、他社との互換性も低い。しかも、ロット数の少ない世界で、機密性が高い。輸送の定期化も困難である。最悪でも、自社人材で育成・運用が可能な程度の物流量に収まる。

 


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富山県内の英語教育はなぜ水準が低いのか?(追補)

2016年10月24日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究: 選挙としては低調であった。無投票でも、当然な政治空間に、負けると分かっているのに某硬直政党が対立候補を立てた。僕は、無駄な経費とも思わない。選挙は自治に必要な経費であるからだ。

ただ、対立候補があまりに不勉強すぎる。しっかり反対して欲しいことがある。例えば、富山には防衛施設が少ないので、災害出動には、隣県の石川県に駐屯する自衛隊にお願いすることになる。海上自衛隊の基地もない。だから、石井知事は、砺波にある防衛庁の施設の増強を期待してる。これに対し、カミツキガメが出てこないと、推進派は盛り上がらない。隣県にある原発の再稼働の問題も、富山県知事には何の権限もない。そこを見当違いのカミツキガメをして、再稼働反対を主張して欲しかった。カミツキガメをイジル、そういう楽しみを提供して欲しかった。35人学級の実現・・・教員の同業組合のエゴにすぎない政策である。

さて、落選されたカミツキガメの候補、名前も覚えなかった。ただ、候補のかたの県の高等学校の教職員組合、いわゆる高教組の委員長の経歴だけは、死んでも忘れられない。この組合は、今もってカミツキガメ政党が牛耳る組織である。富山の英語教育は、戦前は、地方社会としては全国でも有数の登竜門と呼ばれた。戦後、この組合の英語教師の集団が、レベルダウンを導いた。

たとえば、富山市の経営する外国語専門学校が、なんで悲しくもニュージランドで「英語」を学びにいって、地震で亡くなったのか?それは、イギリス英語にこだわったからである。英語の教員は、彼らが習った教授を含め、アジア・オセアニアの英語教育のサークルにしか市民権がないからである。イギリス本国には、コネクションがないからである。サッカーで言ったら、アジア・オセアニア地区予選で、一度も、予選通過していないからである。

かのカミツキガメ組合教員が、もしも、富山の高校生の英語教育に成功していたら、僕はここまで反対しない。なぜ、石井知事に投票したのか?それは、カミツキガメの高校教員の学力を現役高校生の時代に総合力で追い抜いていたからだ。カミツキガメも、同じ高校の出身であるが、富山大学文理学部というカミツキガメ養成所に進学されたからだ。詳しいことも知らないで、富山大学教職員組合の委員長を1年間、引き受け、カミツキガメの正体を知った。いまでも、人文学部、理学部、経済学部では、その歪みがなかなかとれない。だから、地元民は、子弟の進学先には、薬学部をのぞき、富山大学を避けた事情がある。そのなごりで、富山県庁の職員の採用で、地元大学が軽視されてきた。

 今後の富山のためには、富山に「アメリカ村」を、アメリカに「富山村」を創ろう、と提言したい。環日本海主義は、富山の可能性を奪っている、


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英語の学力差を隠さないで欲しい!

2016年10月23日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:大学教員を40年間、勤続を重ねたが、英語の教員で尊敬できる人材は、限りなくゼロに近い。反対に、軽蔑したい英語教員は、思い出すだけでも1冊の本になるくらい粗悪である。最悪は、日本語は主語抜けが多い。英語は、基本、主語抜けがない。だから、日本人は主体性がない、と総合的な人文学の講義で真面目に語りはじめた。この人物は、もう少し勉強しているかな、と思っていた。そもそも、夏目漱石はイギリスに留学、そこで挫折、東京大学の英文科の講師にラフカディオー・ハーンが招かれ、何百編もの英詩を暗誦しているのを聞かされ、学生たちには、ハーン信仰が生まれた。だから、夏目漱石は近代日本語の洗練にライフ・ワークを転じ、近代日本文学の古典を構築した。

富山人は、夏目漱石=朝日新聞という流れよりも、ハーン⇒南日恒太郎⇒(旧制)富山高校の道を歩んだ。地方社会では、富山人は一番によく英語力をつけていた。ところが、富山高校も昭和の前期に「左傾化」の流れにのり、戦後は、進駐軍の保護のもとで、英語教育者が「民主化」と称する左翼路線、労働組合を支持した。そのため、高等学校の教員組合が、いまでも富山は最左翼である。その陣地を攻撃されないように、高校教員の英検1級の取得者が一番多い県であるという伝説が流されている。

問題は、大学入試センター試験の成績は、県別の統計としては非公表であるため、富山県の英語教育能力は、全国で第何位なのか、秘密にされている。また、アメリカの大学への留学に必要なTOFULの受験指導に成功している高等学校は聞いたことがない。中部高校、高岡高校では、TOFULが700点台に達する生徒が、最低で50人、50人くらい養成し欲しい。富山県の県立高校を卒業し、富山大学に進学している大学生に、TMAにおいて、機能主義の構造文法では、冠詞は形容詞語群である、A,Theは、形容詞の機能をもつ。だから、形容詞の最上級には、Theがつくという話をしても、そんなこと習ってないので、新聞社の文化センターの講義なんか信じたくない、という反応だった。

富山県の高校の英語教育では、日本式の英検ではなく、まず教員がTOFULで最低700点以上ないと・・・。TOFULで700点以上であれば、東京大学は推薦で合格します。その学力で、慶応、早稲田には、もったいない。TOFULの作文で高得点がとれたので、64歳でオーストラリアのシドニーで開かれた国際歴史科学会議で、15分の英語での研究発表と質疑応答ができた。42歳で大学教授となり、そこで一念発起し、TOFULの学習塾に通った。富山では、なぜ

ラフカディオー・ハーンが大事にされるのか、祖先の教えを思い起こして欲しい。アメリカに「富山村」を、富山に「アメリカ村」を創ろう。


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景気の総合シグナルとしての日経平均

2016年10月21日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:学生時代に、日経平均を指標とする日本経済分析をレポートにしたら、先輩から徹底的に叱りつけられた。では、何に着眼するべきですか?こう質問したら、在庫指数や、と教わった。1961年当時、家電が経済・景気の牽引力であったから、東芝のモーターの在庫の動態だけで、景気が読めた時代である。その後、自動車産業が大いに発展したので、自動車の新車販売動態から景気の動向を読む時代へと進化した。その結果、自動車産業の産業連関が、経済の指標であるだけでなく、製造業を基軸とする経済循環の実態を表現するものとなった。

特に、現在の日本経済は、トヨタ、日産が世界の自動車産業の技術の牽引力となるに及んで、意外に製造業をベースとする経済分析・景気動態の予測は、かなり単純化できるようになった。日本経済は、1960年代と比べて、財閥系の銀行集体が弱体化し、金融の操作で経済が動かなくなった。2000年代は、製造業が、金融部門からの融資に拠らないで、自己資本の内部留保に成功し、低金利という金融環境でも、自己の内部蓄積に努めている。

ここへきて、日本の株式市場は、投機的な外国資本、ヘッジ・ファンドが日本国債の買いに回り、日本企業は自社株を市場から買い戻し、さらに、年金財団による日本株式の保有率の上昇、日銀のよる日本株の底値水準の切り上げ・・・、そうした要因から、日経平均の14000円割れが回避され、同時に、円高に推移しために、外国ヘッジファンドからみたドル建ての日本株の株価水準が高くなったために、売り越しにより、プライス・リーダーが日本銀行に移行した。

さらに、ドイツのVWの虚偽が、中国共産党8600万人から嫌悪され、ナチズムの基礎にある虚偽、大衆情報操作が文化的に嫌われた結果、中国の非共産党員の大衆が、ドイツ信仰を棄て、日本への好感度を高めてきた。中国市場で、日本車の販売が爆発的に伸び、不振の三菱自動車も、エンジンが中国国産車に採用された。こうして、2017年の中国では、日本企業の第3次産業の市場技術が評価される状況へと変化してきた。日本企業の中国への再投資が増加基調に転じ、中国経済は安定装置を手に入れた。アメリカ経済も、さらなる歴史的な好況へと変化しはじめた。キューバとの断交が解決したことは、グローバルな市場環境に有利となる。

このように日々の微妙な変化を反映する日経平均は、17000円の大台を底固めする段階へと来ている。大学でキャリアーサポートする担当者は、売り手市場で就職率が高くなるという楽観ではなく、日本の産業中核にいかに寄与できるか、学生の質を上げることを考えるべきであろう。TOEIC600点では低すぎ・・・というのが、世界水準の日本企業の実力である。

 


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地方自治体の地域振興のアイデアは、殆ど3番煎じ

2016年10月21日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:もうし訳ないが、ご当地マラソンは、もうこの辺で止めませんか。ご当地マラソンは、アメリカのボストン・マラソンが有名である。日本では、ご当地マラソンの老舗はいくつかある。それらは、日本陸連の公式記録、公式コースでの競技マラソンである。地方自治体が運営主体となる東京都の都政が主宰する東京マラソンから、日本国中のご当地マラソンが大流行。いまでは、コースに熊や、スズメバチの巣の有る辺境の市町村までが主宰している。ランニング人口が増えて、全国から観光脚をお誘いする観光戦略となっている。

こういうイベント主義は、麻薬のようなもので、その準備期間から当日、そして反省会までは、関係者の気分は高揚する。この興奮が忘れられないで、イベント大好き族がでてくる。「よさこい」を交通遮断した町の中心街で競いあう。これは、地方行政における麻薬である。しかも、こうしたイベントを全国に売り込む業界が数多くある。2番煎じならまだましだが、3番煎じ以下となると、地方行政マンの「脳内構造」を疑いたくなる。駅伝も全国にかなり増えてきたが、これは個人でエントリーできないので、応援を呼び込める箱根駅伝が、日本の正月のTVイベントとして定着した。これは、1番煎じ、味も香りも一級品である。東京を基盤とする全国TVのキー局の番組に組み込まれないと、3番煎じ以下になることは確実である。

地方自治体が、本当に競うべき競技は、年一回のマラソンではない。世界のグローバル化が進み、英語がコミュニケーションの軸になってきたから、徹底的に地方の特色ある文化を保存しながら、「アジア風英語」を媒体として国際化することである。その代表が、京都府である。

TOEICは、ビジネスの場面に特化した構成である。今後、日本の地域振興のためには、観光英語検定を普及させる、地域の英語マッピングを徹底することである。大事なのは、地方の日本人が売りたい観光資源よりも、外国人の目から見つける面白いポイントの発見から学ぶことである。富山の場合は、石川県との県境、岐阜県との県境をまたぐ外国人の目から見つける面白いポイントである。地域臭が、地域の加齢臭になっている。そういう観光業界人が妨げとなっている。

要は、地域をいかにマネジメントするか?マラソンというアイデアが重複しているかぎりは、戦略的に勝ち目がない。地方議員も地方自治体の特別職員である。だから、「頭」が欲しい。「顔」役は、もういらない。


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「歩」を「と金」にする人財育成に長けた中堅企業

2016年10月19日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:企業を訪問調査した経験からいうと、有名大学の卒業生を18歳偏差値の水準でそろえている企業は、将棋の駒でいうと、「歩」から成金になれる素材を持っていない企業が多い。始めから、飛車角、金、銀、桂馬、香車を年代別にそろえる新卒採用の戦略が多い。そのとき、18歳偏差値を信仰している採用人事ならば、その物差しの誤差が、10年、20年、30年の時間経過とともに非効率が証明されてくる。それなのに、同じことを繰り返している企業が多い。

逆に、「歩」しか集められない企業は、ゼロから人材を人財として育てる。そのノウハウを企業の風土として、自ずから備えている。県立高校の出身者で、あえて大学に進学しないで、18歳で就職すると、18歳から22歳までの4年間で、「歩」が「と金」に化けた先輩の事例を学ぶことができる。仕事という実践の場こそ、マネジメント学の基礎がスキルとして身につく。大学で経営学を学び、顧客第一主義を知識として持っていても、それをスキルとして身に着けるには、やはり最低で3年はかかる。大卒の場合は、最低で香車よりも上の駒の役割が期待されているから、期待はずれのリスクは高い。理工学系では、採用に当たり属した研究室の特色を把握しているから、エンジニアとしては「歩」以下にはならない。ところが、文科系の採用は杜撰である。研究室や講座という規律文化の内容を精査しないので、せめて「香車」のはずが、「歩」以下を採用していたことに気づき、しかも、配属先を間違える。

巨大企業では、人材が自己努力で人財になれ、という暗黙知があり、自己崩壊も自由という「当たり、外れ」のリスクを想定し、多めに採用されている。落ちこぼれが初めから予定されている。中小企業では、限られた枚数しか「歩」を採用できない。給与も先行投資という訳にはいかない。無理にでも、「と金」に育って欲しいと全員が期待する。期待されると、「歩」は育つ。日本の社会を支えている中堅企業は、スリム化を強いられているだけに、「歩」を「と金」にする人財の育成術がある。地域の信金さんが、有名な大銀行に比べ健闘できるのは、顧客も自社も、人材をロスカットできない緊迫した経営環境の認識を共有できるからだ。信金の某氏(高卒「と金」組)が、ある会議で、国立大学の准教授をやり込めた。「どんな状況になるか、現場ではあらかじめ予測できない急場がある。そこで、大事なのは、臨機応変できる即応力なんです」と。この准教授は、教授として「と金」に大化けするだけの力はない。信金の某氏は、一刀両断に切り捨てた。この大学の文系には、「と金」を育成する力が弱い。准教授が、教授を敬しながら、対外的には酷使している風潮がある。


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中国上海の名門大学の経営最高責任者に女性が就任(増補)

2016年10月18日 | Weblog

中国の大学は、中国共産党の独裁制度が徹底しており、大学の経営最高責任者は、大学内の中国共産党党委員会の書記である。これは、学内の党委員会で選ばれ、北京にある中共中央の書記の批准を得て就任する。下からの推薦なしに、上からの任命制度ではない。だから、復旦大学の党委員会は、復旦大学の卒業生を経営最高責任者に選出できる。これが、復旦大学の校長を選任する場合には、非党員の著名な教授を任用できるが、大学内の党員会からの党内手続きをへて、最終的には、北京の国務院の国家教育委員会の批准により辞令が交付される。なお、中国の大学内の党委員会書記に、女性が選ばれ、大学トップになる事例は珍しくない。

中国では、年々、専門職には、専門家としての国際経験、国際資格が求められる。復旦大学の最高責任者となった焦揚さんという女性は、シンガポールの南洋理工大学でマネージメントの修士号MBAを取得している経歴が認められたことが、その後の活躍に繋がっていることがわかる。メディア系の専門家である。それと、上海の中共党員の社会では、婦人連合会(婦聯)といえば、党の基層組織で最大の票数を有しているので、順当な人事といえる。ただ、上海市人民政府の党組織の権力構造からいえば、市政府の行政管理からは外郭のポストである。それは、郷里が山東省であるため、上海市民のなかでは少数派であるためだ。江蘇省か、せめて浙江省の出身ならば、郷党という不文律の政治文化に支えられる。経歴にある「复旦大学团委副书记、书记」というのは、復旦大学共産主義青年団の書記」を意味し、いわゆる胡錦濤・李克強系の国務院につながる「団派」であることが理解できる。中共中央の書記とは、系譜も後ろ盾も全く異なる。「団派」は、18歳という年齢期の学力試験をベースにした党内派閥というよりも、党内での同業関係により形成される機能集団となる。「学歴がありすぎるから嫌われる」という弱点がある。18歳で有名大学へ合格できなかった落第組には、実業の世界で、それぞれの企業内部の党委員会があるから、そこで頭角を現し党員に任命されると、党学校への入学が求められる。これは、中共中央の直轄する大学・研究院まである。有名なわりに卒業が楽である早稲田大学に人気があるのは、すでに中国共産党には、早稲田閥があるからだ。

いずれにせよ、中国では、最低限、博士、修士のレベルの学位がないと、トップにはなれない。国際関係がある組織ならば、留学経験は必須である。現代的な「科挙制度」が機能している官僚国家である。いずれにせよ、中国の大都市では、知財の所有者と共産党幹部とが重なりあう傾向が強い。孔子がデザインした「君子儒」の世界に女性が適性を発揮するのは愉快なことである。

参考資料<焦扬,女,1957年8月生,汉族,山东龙口人,1974年10月参加工作,1976年11月加入中国共产党,复旦大学新闻系新闻专业大学毕业,新加坡南洋理工大学工商管理专业硕士学位,主任编辑。历任复旦大学团委副书记、书记,上海市委对外宣传办公室(市政府新闻办公室)副主任,上海市新闻出版局局长、党组书记,市版权局局长,上海市委宣传部副部长、市精神文明建设委员会办公室主任,上海市妇联主席、党组书记,全国妇联书记处书记、党组成员。2015年7月任全国妇联副主席、书记处书记、党组成员。>


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国内組と海外組

2016年10月18日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:プロのサッカー、野球では、国内組と海外組とに選手が区分される。実は、経営学の世界でも、国内組と海外組とがある。国内組の世界のままでは、グローバル化した国際ビジネス社会では通用しない。だから、日本の大学生の世界では、TOEICの点数で換算し、能力が輪切りされている。それで、TMAでも、新TOEICに対応するために、講座の内容の半分を割いてチャレンジを始めた。TMAでは、発田聡氏には豊富な外資系企業での経験とシカゴ大学MBAの資格があり、対策講義をお願いした。発田聡氏は、高岡高校⇒一橋大学⇒シカゴ大学大学院であるから、その個人的な自己努力を極めた方である。素晴らしい講義であった。特に読解の解説は、ビジネスの現場での豊富な経験に裏打ちされた単語のニュアンスの解説が具体的で豊富であった。既に600点に達した学生が、いかに900点台に達するかというハイレベルでは、文句のつけようのない実戦的な講義であった。海外組の基礎資格をもつ人材には、発田氏のような、それに応じた教授陣が必要である。

反対に、400点にも及ばないレベルの学生には、いきなり宇宙戦争の世界に引き込まれることになった。それで、講師代表の中村としては、400点以下のレベルから600点に引き上げる国内組用の基礎英語のプログラムを投入することにした。神戸のパルモア学院で習った構造文法による方法である。習うより慣れなさいという詰め込み式ではない。絶対的に覚える事項を絞り込んだ教育プログラムである。

国内組にも、東南アジアの工場や支店があり、アジアンの英語が必要な時代がきている。東南アジアの方、特にシンガポールの方は最優秀である。都市別に見ると、香港、上海が・・・、そして、福岡が大都市では最低である。県別では、神戸市を擁する兵庫県が中学3年次では、日本ではまだましである。福井、石川、富山の小中学生の学力が高いといっても、国内組に限っての話である。

東京都知事になられた小池百合子さんは、兵庫県の芦屋市の出身、甲南女子中学・高校⇒関西学院大学社会学部⇒中退⇒カイロ大学・・・明らかに海外組である。兵庫県では、普通より上というクラス。英語では、神戸女学院がすば抜けた存在である。関西学院などミッションスクールの歴史が、地域のグローバル化を促した。

 

 

 

 

 

 


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「民意」という顧客の意識の深浅

2016年10月17日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:

政治、特に選挙となると、マネジメント学はそれなりに有効な科学として応用できる。「民意」は、単純な二分法で選択肢を提示する大衆動員が勝利の方程式となる。単純明快さ、それが選挙での政策の売りとなる。その結果、鹿児島でも、新潟でも、原発の再稼働に反対する「民意」が多数を制した。それは、ある意味で広報として順当な結果である。

ただし、最近、原油価格が上昇してきたので、それを理由とする再稼働論が力を得てくることも考えられる。しかし、民意が原発再稼働を選んだ。とはいえ、廃炉の費用を消費者が支出するということまでの合意ではない。

廃炉の費用をどこから生み出すのか?これを考えなくてよいのならば、誰だって廃炉が望ましいという答えに行き着く。それは、「民意」といっても感情であり、思いである。

年限を限った再稼働により、廃炉の資金を生み出すという「条件つき再稼働論」を選択肢とする考えもありうる。しかし、現在の「再稼働容認」論が、無期限、無条件であるならば、そんな選択肢は支持できない、という深読みも可能である。

新潟県で、最後に大勢を決したのは、高次なリスクの判断ができる「中庸」派の裁定であると分析できる。10%の賢者が、天意を反映する。


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孔子学を知らずして、中国共産党と討論はできない

2016年10月16日 | Weblog

<我们主张务实有效的治理。中国人历来注重实事求是,解决问题时注重经世致用,在理念与行动的关系上强调知行合一。>これは、中共中央書記処の専任の書記の劉雲山氏が、2016中国共産党と世界対話会という政策シンポジュームでの発言した演説の一節である。

「実事求是」とは、孔子学の発展形である清朝考証学のスローガンである。中国共産とは、1990年代から古典、教条のマルクス主義の階級闘争史観を放棄し、民族主義を第一義とする「最新儒学」へと軸心を移した。「経世致用」というのも、清朝考証学における基本概念である。理念と行動の関係で、「知行合一」を強調するというのは、伝統的な孔子学の基本思想である。

中国共産主義は、孔子学の延長線において理論を再構築し、朱子学を「新儒学」とすれば、現在は「最新儒学」というべき内容が、中国共産主義の特色を為しているいる。問題は、劉雲山は触れていないが、習近平は「荀子の強国思想」を全面に押し出したのに対し、改めて、「実事求是」と「経世致用」という清朝考証学のスローガンを持ち出したことは、深い含意がこめられていることを意味する。このスローガンは、毛沢東の路線を修正するために、鄧小平が唱えたものである。つまり、習近平の領導権は、鄧小平が敷いた「実事求是」と「経世致用」の枠内にとどまるべきであるという型枠が構築されたことを意味する。したがって、江沢民、胡錦濤の路線を隔絶した習近平の路線へと「転調」することが否定されたことを意味する。路線上の誤りが生じたときは、「実事求是」と「経世致用」のスローガンが持ち出される。それが、1979年以来の「最新儒学」の特徴である。劉雲山が中共中央書記処の専従書記であり、それを超えて習近平の秘書役が、劉雲山の権限を越えることは許されないという党内の正常なルールへと落着したことを意味する。

石平氏や青山繁晴氏には、「最新儒学」のインテリジェンスが欠けている。通信社の小ネタも大事であるが、中共中央書記処の専従書記という役職が、本来の機能を回復し、総書記の秘書である中央弁公室長が異常な権限と情報をにぎった江沢民、胡錦濤の時期の党務分担の歪みが内部修正されている。従って、中国共産党は、それなりに党内マネジメントの正常化を取り戻し、安定した軌道を回復したと見てよい。

日本企業は、少しブレーキから足を離し、アクセルを踏む動作へと調整しても、不安定要素は増えない。ただし、富山県が独自に追及する遼寧省との関係は、地域の政治も基幹となる国営企業も精算事業の対象となってる。大連を重視する戦略には、大きな障害が立ちはだかっている。


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沖縄の反米派と東京の国粋右翼の両極端は、選択肢の外側にある。

2016年10月16日 | Weblog

TMA講師代表:

沖縄の反米派、特に米軍への意図的な敵対運動は、北朝鮮の核武装、中国の太平洋艦隊という新たな条件のなかで、国家としては利敵行為として許容の範囲を超える恐れが生じている。沖縄は、福建省からの移民が影響を持った時代もあるが、言語学的には、奈良時代の大和言葉の系譜に属する。言語こそ、民族の同一性の証明になるので、独立する権利はあるが、中国への従属を選ぶ権利まではない。日本共産党が、中国共産党と歴史的な和解をして以後、反米中国従属派の「反日運動」の傾向性が強くなってきた。

東京の国粋右翼は、日本人の純血主義を唱え、朝鮮半島からの移民を丸ごと排斥する言動が激しい。これは、北朝鮮の労働党の支持者に限定した政治運動であるならば許容されるかもしれない。それを一律に朝鮮半島からの移民を排斥する運動にまで感情的な排斥の範囲を広げると、日本経済社会の実態とはかけ離れすぎる。個人的には、憎悪したい韓国人は身近にいる。でも、北朝鮮労働党の勢力でないかぎり、日本社会で納税している企業家である以上、認知関係がある日本人は、彼とは「大人の関係」を保っている。ただ、他方で、麻薬密売などの黒社会と移民との隠された関係とは、公的な社会では一線を画するべきであろう。

では、このような中国従属派、反朝鮮・韓国の国粋右翼派とは、言論に限れば、日本社会から法的に排除する手段がない。中国従属派が、東京の国粋右翼を憎み、その逆を憎む、相互のヘイトも、言論のレベルであれば、他人迷惑であるが、互いに少数者としての生存は許される。

問題は、この両極端につき、日本国民の大多数が「中庸」の道を選択するためのリーダーが重要な役割をもっている。それが、政権を分与する選択肢の範囲内にある自由民主党、公明党、民進党、維新などの役割である。ここに来て、民進党の蛇行が激しいけれども。

中村個人は、親中国派ではある。台湾、香港の自律(独立ではない)、日米安保条約の容認という現実主義を積極的に支持している。それが、経営の環境、つまり国民総生産の土壌であるからだ。歴史家としては、国粋右翼の犯した罪(関東大震災における朝鮮半島からの移民への対応)、日本共産党が朝鮮戦争に際し、アメリカ軍の兵站を妨げる武装闘争を犯した罪、この両極の行動は、若い世代に政治的な負の前歴として伝えたいと思う。

中国人に対しては、中国共産党員と非党員である個人とを区別して、友諠を深めることである。非党員の個人には、まして軍人でない民間の党員には、何の政治責任も義務もない国であるからだ。母国の政治に不満をもつ個人が、より多く日本を選択して居住すれば、そこから中国の政治が大きく変わる可能性がある。それは、1911年の辛亥革命という歴史遺産が教えてくれる。まるごと中国を否定したり、まるごと中国への従属を容認する政治運動は、日本人の高度な未来系の開かれた民族主義には貢献できないだろう。

 


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