富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

三協立山㈱の競争戦略の講義

2015年06月28日 | Weblog

TMAの講義要約:

三協立山㈱は、大きく変わりつつある。世界戦略の絵描きはじめた。6月27日、学生むけに企業紹介というお決まりの概要の説明の後、株主総会などで利用されたデータをもとに、今後の企業としての世界戦略が語られた。聴く方のがわが、企業の戦略競争論を学んでいることもあり、国際知識の豊富な谷村徹氏を派遣していただいた。

アルミを押し出し、棒状にして、建築の資材や、鉄道車両や、自動車のアルミ部品を供給するのが本業である。これまで、日本の国内経済の復興とともに、住宅建材としてのアルミ・サッシは面白いように売れてきた。しかし、住宅の着工件数の低下とともに、国内市場の展開には限界がある。そこで、海外市場の戦略がポイントとなる。三協立山㈱が選んだ道は、基本、中国市場選択しない。アジアでは、タイに生産拠点をおき、東南アジア市場に最重点をおく。アメリカ市場は進出しない。ヨーロッパ市場に目を向け、ドイツに注目し、そこからヨーロッパ全域を視野にいれる。アメリカと中国というGDP第一位と第二位市場へは、部品供給先のトヨタ、日立などアセンブリー・メーカーに委ねる。自社は、東南アジア市場に量的な拡大を面的に求める。問題は、質の面である。ドイツの工業技術力とタイアップしないと、自社技術も磨かれない。ドイツを重視する戦略というのは、ドイツの側からすると、金属技術の世界1位と2位とのタイアップである。

三協立山㈱の強みは、難関大学の工学部のエンジニアの知識力にある。彼らのドイツ語能力は、金属技術の世界1位と2位とのタイアップを無理なくしている。実は、それは外国企業が中国と対抗する21世紀の後半に未来図である。ただ、三協立山㈱が想定している以上に、ドイツは、東ドイツ時代に構築した中国―ドイツの連携が構造化している「親中国」の国である。「反中国」を声高に叫ばない。「反中国右翼」に受けのよい議論に酔っていると、「賢い中国人と、勤勉なドイツ人」が、日本企業を見下している構造は破れない。上海には、同済大学というドイツ語に徹した研究拠点がある。

LIXILは、ドイツの企業と中国人が組んで、不良債権を嵌めた。谷村徹氏が、中国を怖がる心理はわかる。LIXILの国際トレーダーとしてのランクが低いだけである。三協立山㈱が、大連工場を拠点にして、中国からも精度の高いトレーディング情報を汲みださないと、LIXILの二の舞になる。三協立山㈱の強みは、住宅産業の技術化において、パナソニックとの提携関係がある。パナソニックの経営再建とともに、住宅と家電の一体化が進展する。この国内での本線が錆びつくと、海外戦略が展開するまえにダウンする。この住宅と家電の一体化にとり、ドイツは技術先進国である。

三協立山㈱の世界戦略には、富山人らしい頑固な慎重さがある。しかし、図上演習が足りない部分もある。関税や、外為の知識が弱すぎる。それを与件として受け入れている企業は珍しい。中国元を原料価格の安定や削減に活用できる昔の三和銀行、今の三菱UFJ銀行の「元がらみの外為」のテクノクラートの知識がいる。トップが、京都大の文系だと辛い。北陸銀行もトュプが一ツ橋に変っても、「生の元の通貨の使い方」が「怖い」という社内文化が生まれる。その辺が、YKKのファスニング事業の方々のもつチャイナ・ビジネスの一流性と大きく差がついている。

 

 


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マネジメント学で進化した「トンボ飲料」社

2015年06月27日 | Weblog

「トンボ飲料」社は、現社長のマネジメント学の力で大きく進化した。富山では、明治、大正から計算し、3代目の社長が優秀な企業が伸びている。アリタ㈱、朝日建設さん、そして、トンボ飲料さんである。春学期の企画で、招待企業の候補に挙げながら、都合で秋学期にまわってもらった。俗に3代目でダメになるという説がある。それは、世間相場というものだ。

「トンボ飲料」社は、名前から想像できるが、炭酸飲料の企業である。ラムネ、分かりますか。ビー玉の入った独特の形をした瓶でした。さらに、サイダー。初代は、ラムネ屋さんであった。優れた点は、天然水の良い井戸水をもっていること、その水に炭酸を注入し、封じ込める技術、それと経営者の誠実な人柄である。富山の古いひとは、「トンボ飲料」さんの清涼飲料水は、夏の風物であったこと思い出すだろう。夏場だけの商売の限界を超えて、クリスマス用に「シャンメリー」というノン・アルコールのシャンパン風の飲み物が大ヒットした。商戦が、夏と冬と年に2回となった。

だが、富山市に飲料メーカーの強敵が現れた。あのコカ・コーラである。自動販売機により、北陸コカコーラは一気に成功したように見えるが、最初は、福井県に拠点があった。雪国の福井で、冬場、自販機でコーラーが売れますか?・・・このフランチャイズを買ったのが、若鶴酒造、そこから北陸コカコーラ社の躍進が始まった。そこで、「トンボ飲料」は清涼飲料水だけで勝負する、海水浴場式の季節変動から免れる道をさぐりだした。

ボトリング、これが自社の誇れる技術の一つだった。テイスティング、これが自社の誇れる大事な技術だった。

炭酸の飲料水をボトリングする技術は、誰にでもできる訳ではない。ここから、容器に「飲料」をボトリングする専業メーカーへ進化した。幸いにして、富山は薬の町である。栄養ドリンクのメーカーも多い。だが、「飲料」として、消費者が口に含んんで、最後、ノドを通り、飲み込んでもらうには、舌にやさしく、香も抵抗なく、飲み込んでもらう、ここが最後の技術のネックである。ここで活躍するのが、クスリの富山で鍛えられた薬剤師のワザである。クスリ感を残した香りと、味の良さと両立させるには、特殊なブレンド技術いる。

馬鹿な経営評論家は、OEM生産だけのノン・ブランドの三流企業だというが、コンテンツである飲料の調合技術は、トンボ飲料の独自なワザに秘密がある。

マネジメントとしては、飲料の容器が、ガラス・ビンだけでなく、アルミ系の容器、スチール缶などどれにも対応できる。最後に残された経営課題は、「制約理論」をとりこんだスタッフ育成である。こうして、富山マネジメント・アカデミーは、地域の100年企業の輪の仲間たちと、「学びの環」を拡げていくことなりました。ノンアルコール飲料、誤嚥を防ぐ飲料など、薬剤師の感性がある優良企業です。


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富山には鉄道王国の強みが残されている

2015年06月25日 | Weblog

TMAからの提案

富山人は、鉄道を捨てられない。県庁の職員、北陸電力本社を含め、全県が一日通勤圏に含まれる。県庁所在地が、一日通勤圏の包まれ、鉄道の駅と道路の網が放射状に都市計画されている。富山の中枢機能に勤務する方の多くが、鉄道の利用者である。兼業農家の方も多い。

鉄道王国・富山は、今に始まったのではない。明治時代から、富山の県内での鉄道が発達し、最後に国の鉄道である北陸線が、西から東へむけて開通、大正元年(1912)に新潟県の直江津まで開通し、ようやく首都圏に繋がった。それまでは、米原まわりで東海道線を経由して、東京と往来する外なかった。

鉄道が発達する前の全国への交通は、人間は徒歩、貨物は馬車と船舶である。内航船が富山の経済を支えていた。それは、明治の終わりころまで続く。現在でも、内航船は富山の産業を下から支えている。北電の火力発電の原料は、内航船で移入される。

鉄道の貨物に関しては、富山には、異例にも2つの貨物駅がある。日産化学と中越パルプのための駅である。さらに、高岡には、鉄道車両の墓場がある。廃棄車両を破壊し、金属などの資源リサイクルのためである。富山はリサイクル産業は発達しており、それは海外にまで及んでいる。

この鉄道王国の最大の強みは、基幹となる鉄道用地の原価償却が大昔に済んでいるからである。用地への投資、減価償却が必要がないからである。ここに着眼すると、どの駅舎も、今後は「コンビニ」、「クリニング」「靴など修理」、それに「歯科医」、「薬局」などの駅ビルの可能性を残していることが分かる。自宅から最寄り駅までは、自家用車。最寄駅から高岡、富山・・・通勤ライン。

鉄道関係には、富山からでた偉い人士がいない。今回、ある意味で県営鉄道となった。乗客の利便性は大事であるが、鉄道用地の有効利用が乗客を生み、乗客を増やす手段となる。ストリート・ミュージシャンを害虫のようにみるではなく、各駅ごとに、定位置を差し上げるべきである。法規の固まりの鉄道関係の事業法を見直す必要は大いにある。県営の良さを生かし、鉄道関係の法規を見直すことを国に対し提案するべきである。そこの掘り下げが浅いと悲しい。「あいの風」になって、駅の売店が消滅。

鉄道という「制約条件」を逆に生かさない限り、富山の県営の事業の発展はない。それには、ゴールドラットの理論の修得が望まれる。


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都市学の基本は、中心地理論であり、価格均衡論である。

2015年06月24日 | Weblog

近代経済学の本当のルーツは、オーストリア貴族の農場管理の簿記に関する研究にある。ベニスの商人で有名なイタリア複式簿記は、資産の管理のために発明された。古代中国にも、複式簿記はあった。商業資本の資本を管理する「管理会計」の思想がそこにある。オーストリア貴族は、片方で鉱山開発や遠隔地貿易をおこない、在地で農園を経営していた。そこから、ロジスティクスを視野に入れた経済学と地理学との合体がおこった。

日本では、在地の農業社会のなかで、経済学は蓄財の思想としては発達した。たとえば、二宮尊徳である。しかし、資本の回転効率を考えた経済学はなかった。半面、大阪の米相場では、信用取引、先物取引の制度が発達し、いわゆる商いの学は存在した。しかし、儒教的な教養文化のもとでは、「利は義に従うベシ」という考えで、資本の最大限の回転効率を追求する学問は生まれなかった。

中心地理論は、サービスの集散地を意味する。現代では、IT社会となり、販売契約はネット上で行われる。だから、購買者は販売者のところへ出かけていって、売買が成立する形態であると、商店街の形式は、とても便利だったので、都市はさまざまな専門商店街で構成されてきた。しかしながら、現代では、情報と契約、決済はすべてデジタル通信の回線で行われる。

すると、残るのは、実際に購買された物品を消費者のもとに届けるロジスティクスの課題だけである。物流の拠点からの合理的な配送である。そうなると、高速道路の要衝に、倉庫型のマーケットが発達する。

IT時代になると、都市に住んで郊外のファクトリーや、データー・センターに通勤する人が増える。居住地は真ん中に集まるのが便利であるが、ワーキンギの場所は、郊外型となる。

このような変化を東京を中心に考えると、ロジスティクスの課題である生産・製造・販売・輸送の中心地が、日本の地理的な中心へと集合してくることになる。そのためにジェネリック医薬品の拠点や、アルミ建材の生産拠点が富山県に集積してくる。

だから、アーケード商店街は、複合型のマンションに席を譲り、文化のコミュニティとして再生する可能性が生まれる。小規模の個人商店の将来が読めていたから、高岡にうまれた文苑堂書店、ブルコム・ブルー、慶応大学の商学部で子弟を教育して、今日の隆盛があります。

こうした経営者やそれを支援してきた金融マンが教育します。富山マネジメント・アカデミーにお越しください。

 


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富山の「婆ーチャン」力の源:旧制の高等女学校と保育の補助の伝統

2015年06月22日 | Weblog

TMA参考資料(富山の歴史)

富山では、お婆さんの発言力というか、影響力はすざまじい。そのルーツは、大正時代の米騒動にある。国家の有識者、富山県庁の官僚たち、何を考えたのか?それは、富山の女性たちに、近代的な教育を施し、女性が社会で働ける環境をつくることを考えた。

それで、県の教育史の資料から計算すると、大正元年から昭和19年までの旧制中学(男子)と旧制高等女学校の卒業生の総数は、なんと女学校の出身者が多い。1学年の定員が、そもそも多めに設計されている。それと比較して、実業の面では、農業がすでに少なく、商業の専門学校、薬業の専門学校、工業の専門学校の割合が比較的に高い。だが、まとめてみると、旧制の高等女学校の卒業生が一番に多い。

この旧制の高等女学校の卒業生の進路が、戦後の富山社会と教育の在り方を大きく規定した。戦争で同時代の男子の多くを失う。富山の村には、「陸軍二等兵〇〇鎮魂碑」が多くある。墓地を巡ってください。無言の帰宅をした兵士の墓が多くある。それまで、在郷軍人として威張っていた「じいちゃん」の指導力は、ここで失われた。旧制の高等女学校の卒業生は、東京の大学に進学するものも多い。なぜなら、旧制の富山高等学校は、英語の教育で全国に対し、第一高等学校につぐレベルだった。そのためか、英語の男子教員の供給源となり、旧制高等女学校、富山女子師範学校など、教育エリートが社会的に影響力のある地域社会が出来上がった。

この旧制の高等女学校の卒業生が、職業婦人となり、乳児、幼児、学童の保育の仕組みを大正期から編み出していった。子供たちの大部分は、幼稚園ではなく、保育園・保育所で育てられている。正確な統計はないが、1学年齢に占める保育所での保育を経験している人は、90%台である。保育所⇒小学校・・・高等学校は、きちんと旧制の高等女学校の卒業生によりシステム化が進められている。やや知育偏重なのも、旧制高等女学校での教育が影響している。福井県では、武生を中心に、体操の教育は普及している。富山県では、読書の指導ボランティアが普及している。

少し前までは、50歳の定年制だったので、お婆さんたちが、学童期の保育の主体となった。爺さんたちは、交叉点、踏切での、お見送り、お出迎えをしている。富山では、三世代同居の比率が高い。それと、最近は三世代の同居ではなく、近くに住む関係が流行っている。自動車は原則、1人に1台の社会なので、若い世代の新居には、ほぼ隔日に「ばーちゃん」のクルマが駐車場に止まっている。また、看護師さんの世界で活躍する人も多い。皆んな、保育所で育てられているので、他者との身体的なふれあいには嫌悪はない。最近は、あんな大学に進学させたらダメ・・・という風評も、旧制高等女学校卒を母とする「ばーちゃん」たちの、孫自慢の話のオチにある。その風評被害の的が、富山大学である。富山国際大、高岡法科大の不振の原因は、富山大学のOB教授のマネジメント責任は極めて大きい。

何とか大学の外で、大学教育をサポートする「爺ちゃんの会」、それが富山マネジメント・アカデミーの講師団である。これから、就職内定者にための個人教授が始まる。経営陣をめざし、「隣の爺さん」から、彼らへの銀行員としての知恵の伝承か始まる。土曜日の午前の学習、そしてランチ・ミーティング、新しい文化かもしれない。

 


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富山の優良企業はどこでしょうか?(最終稿)

2015年06月20日 | Weblog

TMA講師代表が提供する就活の参考資料: 

学生さんたちから、「富山の優良企業はどこでしょうか?」、こういう質問を戴く。まず、優良の意味を限定する。第一は、100年か、それに近い歴史がある企業である。例えば、アリタ㈱さん。アリタは、江戸時代、茶道の関係で、陶磁器を扱っていた。その関係で窯元に発注、そこから焼き物と暮らしの道具として、明治期に下水管に関係する。「土管」と呼ばれた排水パイプである。こうして、アリタは、高岡の街の家の下水路の形成に大きく寄与する。戦後には、TOTOの特約店となり、住宅設備の施工企業として、高岡を中心に重きをなしていく。そして、富山だけでなく、北陸3県に営業圏を広げ、高岡を代表する建築設備工業の企業となった。これは一例であるが、まずは、百年企業というのが、優良企業といえる。創業して、一代目の企業は成長率はたかいが、50年先の企業の存続は想定できない。1945年から数え、50年以上の歴史のある企業が望ましい。半世紀の持続の力は信用力の証明である。

第二は、製品の市場が世界に広がり、市場占有率がどれだけ高いか、ずばりYKKのファスニング事業は、世界企業である。それより格落ちするが、YKKapと三協立山㈱は、アルミ建材、ビルのカーテンウオールの技術で知られる。なお、YKKは株式が非上場、従業員株主の利益を守り、経営権を外資ファンドから守っている。三協立山㈱は、東京証券一部上場企業である。ナショナル住宅と言われた時代から、今のパナソニックとの間で技術提携の関係がある。住宅の設備の電子化が進んでも、相互につながる技術の窓口は広い。三協立山㈱には、まだ伸びる余地がある。

先生はなぜ、北陸銀行とか、北陸電力を推奨しないのですか?よく、こういわれる。北陸銀行には、優秀な行員が多いが、互いがみんなライバル、競い合い、頭取レース、50歳の肩たたき、・・・そのうえ、北陸銀行ならでの知識の蓄えがない。新薬の市場知識、電子の世界の基本知識がない。融資先の企業の経営を改善するために最新の経営学理論にも届かない(英語も弱い)、中国市場にも、タイにも弱い。富山の中小企業のグローバル化を支える支援人材がいない。銀行としてのブランドでは一流の顔をして、中身は北陸地域一流、しかし、世界三流に甘んじている。特に、外為の関係は弱い。けれども、こうした弱点を意識して体質を変える力は、内部には残されている、それが、100年企業の強みである。

北陸電力は、水力発電の王国に、原子力発電を導入し、その最終的な廃炉の負債は500年、心に重くのしかかる。それに、電力の発電、販売の自由化が始まる。独占企業の地位を失った。この困難を乗り切る力は、あるのでしょうか?それほど給与水準も高くない。それと営業では、過去には競争相手がいない独占企業なので、人間的に成長できる機会が少なかった。しかし、電力自由化となり、北陸電力の営業系の社員は活気づいてきた。電気を他社と競争して売る時代となり、ここにきて文系の社員の役割が増してきた。それは、今後の成長のプラス要因であろう。

優良企業の条件は、技術系では、世界市場において、世界でオンリーワンの技術のCoreがある企業である。第一は、スギノ・マシーン、キタムラ機械、それと不二越、コーセル、さらに、ゴールドウインなどである。

第三次産業となると、富山はいきなりサッカーにたとえると、J3のレベルの企業すらない。特に、北日本新聞は、地元紙の市場を読売、北国新聞に食われている。事業部が弱いので、旅行業界は読売旅行と大きな差がついている。50年後の存続は厳しい。それは、富山新聞でも同じである。地域の細かな情報の電子化と、それをデジタル・ビッグデーターとして、マーケッティングなどに役立てる情報産業に脱皮するか、宅配のサービス網を活かす方向へとアナログの方向へと踏み込むか、大きく揺れてくると思われる。

最後に、主役が登場。「クスリの富山」、それは製薬業をコア―とする産業連携集団である。例えば、朝日印刷、それと薬業を支えてきた地元銀行、地元の信金である。中規模だから、小回りが利く。大事なのは、全員が家族以上の仲間になれることだ。日医工などの製薬産業は、もうすぐ日本一の製薬産業の集積地となる。

さて、富山県庁は、企業ではない。公務員になるなら、下より上、国家公務員上級職をめざすべきである。下から這い上がることの出来ない階級社会である。ヒラメ人間を育てる社会にすぎない。諸君が、50代になったら、富山の人口は80万に縮小する時期。石川県との合併は避けられない。もしかすると、敗戦処理投手のような、楽しくない時代を迎える、逆に、富山市役所などは、基層自治体だから、合併はあっても廃止されることはない。基層自治体は、今後も極めて重要な職場である。富山県庁から基層自治体へ出向、移籍も選択肢になるが、まずは、国家公務員⇒富山県庁⇒基層自治体の流れを押さえておきたい。

厳しく書いたが、北陸銀行のOBたちは、どの企業のOBよりも、退職後の地域貢献では、県庁、北電のOBよりも優秀である。基本のバランスシートが頭に入っており、何事も遵法的である。こうしたメンバーが、町内会長などを勤めているから、富山には真の地域社会が存在している訳です。経営の目的は、人財の育成にあるとすれば、北陸銀行は最優秀の部類にはいる。でも、金融を最先端産業と考え、金融技術の支援で、顧客企業であるYKKを助ける力はないのが残念だ。数理工学、つまり計算の科学に強い人を探す前に、人事部が大学の偏差値でリクルート活動をしていては、10、20年先に地域から珍重される欲しい人材がとれない。企業の長期経営ビジョンを示し、欲しい学生のコンテンツを明示してほしい。最後は、北陸銀行への注文となった。でも、富山人はまちがっても、三菱UFJ、みずほ、三井住友の3メガバンクはめざさないほうがヨロシイ。怖いーんだから。とはいえ、みずほ系は、富山人の創業者の安田善次郎に由来するから、みずほ系は富山との縁は相当に深い。

富山県庁、北陸電力、北陸銀行が、就活の御三家といわれるが、富山県内の人口減の影響を受け、市場収縮の影響を大きく受けるのは、県税収入と電力販売量である。今、人気の就職先は、未来が安定していると限らない。自分が文系でも、大学教授に家庭教師を頼んででも、高度な統計数学から債権市場まで学び、働きながら修士号をとり、50歳の肩たたきの瞬間に、〇〇大学大学院の教授に引き抜かれるように成長できる可能性があるのは、北陸銀行であろう。そういう学習型の人材こそ、北陸銀行を目指して欲しい。真のスペシャリストの強者の集団であって欲しい。

土日祭日、常に学習を徹底すること、そして、英語の原書を読み続けること、50歳で請われて取引先に役員として迎えられたいひと、それは、北陸銀行をめざしてほしい。外国語学習の力がある妻をもつのも大事。県内企業が、国際化しているのをサポートできるのは、さしあたり北陸銀行しかない。まずは、自分の存在が「有利子負債」と見なされないように、自分の脳力の資産価値をマネジメントできない人は、100年企業の北陸銀行にご迷惑かけるだけですから、御遠慮ください。

能力のないひとほど、安定企業をさがす。安定企業とは、その企業の市場規模が今後も拡張できるかどうかである。さらに、自己資本利益率の高い企業である。それには、学生さんは、自分の知識資本財がどれだけあり、それが市場でどの程度に価値評価されるのか、まず、自己自身の経営を真剣に考えることである。

 

 

 


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心の自由には私立大学を活かし、国立大学は国家競争戦略の主力へ

2015年06月19日 | Weblog

TMA講師代表の大学論(私見)

「幸福の科学」が、千葉県に創立しようとした宗教ベースの大学の認可が認められなかったらしい。考えたら不思議です。同志社大学は、名門ですが、もともとはアメリカの組合派の教会を中心に、神学部をコアとする宗教大学からスタートしました。宗教と私立大学とは、無関係である必要はありません。宗教色のない慶応大学や、早稲田大学の方が、不思議な日本人を生み出すことになります。

非宗教が科学である、だから大学は、宗教法人が創立者ではだめだ、という理屈は通りません。「幸福の科学」の大学が駄目なのは、教授による教授のレベルに問題があるからです。

原則、私立大学の教育は、国民の心の自由を大前提にするべきです。アメリカには、国立大学はありません。合衆国という国家には、中央銀行も連邦銀行というように、州の独立権が強いのです。ですから、アメリカには国立大学という思想や発想そのものが無いわけです。

ならば、日本はどうかというと、江戸時代には、朱子が極めて重視した「大学」という書物があり、それを共通教養として、江戸時代の武士の聖書として学び続けられたのです。それで、幕末になり、欧米が日本の統一した統治原理を研究した結果、オランダの学者が、日本は孔子の言葉をあつめた「大学」という書物の原理で統一されていると解明しました。「維新」という言葉も、「大学」に引用された「詩経」から来ています。

徳川幕府は、「大学」を武士の唯一のテキストとして、教養哲学で日本人の先知をまとめていました。この体系を崩したのが、吉田松陰たちです。彼は、「大学」「中庸」「論語」「孟子」で構成される四書のうちの、最後の「孟子」の民本主義により、「大学」「中庸」では諫めている直接行動主義により、「大学」を破壊したわけです。民本は孔子の思想ですが、それが唯一、最高の原理ではありません。

それは別にして、国立大学は国家の競争戦略にブレーキをかける存在では困ります。明治時代の日本の帝国大学をモデルにして、中国の国立大学の制度は20世紀の初めに誕生します。中国共産党は、全ての国立大学を「一党独裁」しています。この中国共産党の幹部は、基本、国立大学の学生で、中国共産主義青年団の出身です。それは、21世紀の後半にも変化しません。

日本は中国に無い自由があります。それを守るには、私立大学が文系の学部を経営するべきです。特に、経済学はそうであるべきです。同時に、国立大学は国家競争戦略において、全分野のマナジメント人材の育成に努めるべきです。日本の電気産業が、特に家電がだめになった理由は、松下幸之助という個人崇拝の限界から来ています。グローバルな競争戦略にとり、国立大学は英語使用と、共通教育に体系的なマネジメント学を提唱します。


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富山駅の工事、なかなか終わらないのは駄目なことでしょうか?

2015年06月15日 | Weblog

TMA講師代表(あくまでも私見ですよ)

僕も週に何回かは、富山駅を利用する。新幹線が来たお蔭で、すごく不便になった。在来線には、古いJR,昔の国鉄の匂いのする列車があった、ゆったりと乗れた。今は、2両編成で、満員状態である。文句は山ほどある。新幹線が開通し、ドン・ピシャリと新時代を迎えた金沢駅に比べると、富山駅の整備の遅れは大変に気にかかる。いつまで、工事しているの、と不満丸出しである。

実は、富山県の経済構造からすると、富山駅の占めるウエイトはかなり低い。金沢駅は、石川県の交通の要である。全ての交通、そして空港との連絡、なにもかも金沢駅と駅前が起点となっている。それと、鉄道管理局が金沢にあった時代から、金沢第一主義で、富山を差別してきた。そのため、富山の経済人は、鉄道への依存度を逆に減らしてきた。大事なのは、日産化学につながる高山線、中越パルプへの引き込み線がある高岡駅である。よく、ご覧ください。両方とも工事が完了している。高岡の新幹線の駅は、JR城端線に乗り換えられる駅となってる。

それなのに、富山県内の鉄道整備が進まないのか?それは、県内の鉄道の利便性の向上により投資効果がさほど期待できないからである。日常の鉄道の顧客は、高校生が殆どである。その通学路の確保といったって、やがて全寮制に近い制度を採用すれば、鉄道は要らなくなる。しかし、高齢者の増加で、自動車から鉄道への一時的な増加がみこまれるというが、それは嘘である。そのためには、出来るだけ、ほそぼそと鉄道投資を引き伸ばし、年間の工事量を一定にする必要がある。土木・建築企業は、鉄道関係はそれなりに専業化している世界である。もし他府県から応援を得て、一気に工事を済ませると、あとは仕事がなくなるわけ。道路の方でも、年間の工事の施工量は、県内企業の能力で決まる。予算だけがあっても、工事は進まない。それと、東北の復興が済まないと、やたら資材や賃金が高い。細々とした雇用は、継続性の確保に重要な使命がある。それには、工事関係者の高齢者の再雇用を利用した、のんびりした工事のペースが最適である。富山駅の改良工事が、今後、5年つづくが、それを2年に短縮しても、経済効果にはプラスしない。このような高度な理屈が分かっている方々は、5年間、富山駅のなかの階段を健康のために頑張って、300メートル歩いている。健康にも良い。荷物が多ければ、EVがあるので重宝している。

富山駅が金沢駅のような整備された駅になるまで、5年間の辛抱がいる。この辛抱づよさは、高校生に、富山人らしく耐える力を授ける。18歳からの選挙権、彼らが一般社会人と触れ合うのは、「あいの風とやま鉄道」で通学する3年間、大事な社会教育の期間である。卒業したら、自動車通学が始まる。就職したら、鉄道で通勤できるような会社って、全くゼロに近い。多分、富山県庁、北陸電力本社くらい。

2050年以後は、鉄道の役割は、改めて重要な産業の装置となる時代に変わる。トラックで長距離輸送する時代は、限界に達している。長距離トラックの運転手、バスの運転手の人材が無くなるから。おそらく、日立物流や日通などが運営主体となり、鉄道貨物と港湾・船舶輸送とをつなぐモーダル・シフト時代へと大転換していくだろう。少子化は、確実に高速貨物鉄道と内航船の連携への転換を迫っている。貴重な線路の土地を寸断しないで、赤字でも22世紀に残しておきたい。今はダラダラと在来線の遺産を次世代にリレーする時期である。

そのためには、富山駅の高架工事は、関係者が2050年以後の日本の姿が想像できる2020年あたりまで、ゆっくり進展するのが良い。先知先覚人だけで、人間社会はなりたたない。後知後覚の人の自覚も必要である。先を見据え、耐える力が、先知人にはいる。やがて22世紀には鉄道は、貨物の自動輸送のルートへと変化する。日産化学につながる高山線、中越パルプへの高岡駅からの引き込み線が生きる時代がくる。大門駅の新日本電工さんも。また鉄道利用の時代が来る。この企業が出来る鉄に磁性を帯びさせる合金技術がないと、リニア・モーターの力で予想する磁気の道は作れない。このように、21世紀の後半につながる技術が、高岡地区にある新日本電工さんの蓄電池の素材技術である。資本は富山の企業ではないが、新日本電工が富山にあり、地道に素材を創っている。

 


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国家には、国家としてのマネジメント学がある。

2015年06月14日 | Weblog

TMAのマネジメント学教材

経営学といえば、営利目的の企業の為の学理だと信じているひとが多い。ドラッカーは、非営利組織の病院、大学、ボランティア組織に経営学の対象を広げた。おおきな功績である。国家にも、マネジメント学がある。それを論証したのが、マイケル・ポーターというアメリカの経済学者であり、経営学者である。国家と国家の競争戦略の時代、こういう認識は、マイケル・ポーターに始まる。そして、最初にそれを問題提起したのが、アダム・スミスである。アダム・スミスは、国家主権者の経済政策には、総福祉への考慮がない、と指摘する。総福祉を基本とするのは、道徳感情として他者への同情、共鳴、善導がどの人間にも備わっていると考えたからである。それは、道徳感情論(情操論)で説かれている。

この他人との感性の共感構造が、そのままスミス流の市場原理・市場社会だと勝手に読み込んだ名古屋大学の教授(東京大学出身)がおられた。それは、間違い。岩波書店のアダム・スミス関係本には、この手のミスがある。アダム・スミスの序文にある「ジェネラル・ウエルフェア」(総福祉)を考慮した経済原理、つまり経世済民の基本原理である国民経済学、それが国家マネジメントの学理である。そこから、序文の冒頭の国民総生産の概念の定義と、1人当たりのGNPを最大化することが富国、つまりマクロ的に総福祉へ繋がると説く。だから、分業の高度化に関わる国家の市場戦略、とくに中央銀行の役割が大事である[第5編]と、国家のマネジメントの在り方が説かれている。nationとは、国民国家である。スミスの原題は、「あらゆる国民国家の国民総所得の現状と由来にかんする一考察」というのが最も正確な、内容を理解した日本語訳である。だから、日本では、民主党政権も自民党政権も、正しく国家戦略の重要性を理解している。スミスを「夜警国家」論だとする見方はあたらない。

東京大学では、法学部の国家学と、文学部の歴史学から分化した経済統計資料の研究から分化した経済学と、昭和初期に全く別個に誕生した。そのとき、マルクス研究は国家的に禁止されていたので、スミスを労働価値学説の不完全な先駆とみる「労農派」と「講座派」とに分かれ、前者は戦後、日本社会党となり、後者は日本共産党となる。その両派の労働運動のベースのマルクス経済学が破たんしたために、経営組織のおける労働分配率が低下したから、国家戦略として国民の個人所得を制度的に増やす必要がある。経済学による学理⇒制度設計⇒政策誘導という「制度学派経済学」の視点が大事であろう。

欧米では、スミスからケインズ、そしてマイケル・ポーターへは、GNPを最大にする要因として、市場の拡張にともなう分業による技巧、熟練、判断力の向上という本筋が正統となった事実を今日まで誰も知らない。富山マネジメント・アカデミーで、スミスの原文から丁寧に論証した。

「労農派」と「講座派」は、戦後、憲法第9条の平和主義を墨守した。戦後、東京大学法学部の国家学は、「労農派」と「講座派」に影響されすぎた。国家学の基本は、孔子、特に「大学」の8条目にある。そのように理解した朱子の哲学は、徹底した格物、つまり理を窮める、言いかえると「義」を実践することで「利」が生まれるとした。エビデンスなき学理は、学ではない。東京大学法学部の国家学から、儒学的な教養が失われて久しい。そのかわり、ハーバードが権威になったことは、東アジアにも福音である。僕も勉強したが、儒学は難しい。というのは、漢文馬鹿から卒業できていない人が残っているからだ。富山は、明治の初頭から孔子は英語訳で読み始めた珍しい「維新国家」である。それは、清朝の洋務派の官僚や、孫文たち中華基督教運動の人たちとよく似た、英語を漢文に引き付けて読む文化を生み出した。それが、変則英語学である。・・・

 

 

 


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学理と実利:義と利

2015年06月13日 | Weblog

TMA講師代表の随想

このたびの安保法制に関し、学理について考えさせられた。学理とは、主義ではない。憲法学には、そもそも学理は存在しない。統計的なエビデンスによる論証もできない。比較は、相対の 世界であるから、そこから主義を導くことはできない。平和主義が正しいから、というのは学理ではない。自然科学には学理がある。最近に語られる憲法学者の学理とは、個人の主義である。

憲法学は、国家学の一部である。例えば、美濃部さんの天皇機関説が否定されたから、第2次大戦の悲劇が生まれたというのは、因果関係がまるでなっていない。

明治維新の時に存在した主観能動性を肯定する行動主義(陽明学)が、昭和維新として再構築されたから、エビデンスなき主義が国家指導者の選択肢を狭めた。さらに、戦争原因は、金融政策・財政政策における1929年恐慌からの脱出策の破綻に求められている。大量の国債発行、中国元の法幣との円と元との交換拒否など、通貨の戦争が深い原因である。

太古以来、国家学の基本形は、孔子の国家と庶民をつなぐ「君子」による「知」と「行」の学理に求められる。憲法は、日本では、19世紀、20世紀の産物である。大学で、教職の単位を揃えたから、「日本国憲法」は必須であった。

歴史家として、70歳代の読書経験、海外での研究生活、そして富山県ににおける実地調査の結果、明治維新の時代、つまり、アヘン戦争にはじまる東アジアの儒教的な伝統国家が、中国を、朝鮮を、日本を、ベトナムを如何に変容されたのかという「学理と実利」を考えることが大事だと気が付いた。

国家は、憲法のために存在するのではない。国家のマネジメントが前提条件なのである。その実利のなかから、憲法に関する「主義」を選択しているにすぎない。

我が家の司令塔から、朝食!という屋内電話、・・・。また明日。

ということで、翌朝。書き足します。


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地域の限界は、地域のトップが「制約条件」:リーダの自己限界の罪

2015年06月10日 | Weblog

TMA講師代表の個人史

誰も認めてくれないが、僕だって、歴史家としての実績は地域トップだと自負している。だが、同時に、とても恥ずかしい実績だと自覚している。まず、外国語の単独の著書がない。英語論文は、かろうじて3作品。いずれも国際学会で読んだペーパー。中国語論文は、10作以上、だが単著はない。共著はある。日本語では、単著は4冊。論文数は、70篇は超える。それでも、中国近代史研究という専門分野では、とても5指にはいったとはいえない。スポーツの世界におきかえると、国際学会で日本代表なみの扱いはうけたことがある。しかしながら、歴史家として世界に認められた巨匠といえる学者にはなれない。そもそも、日本の歴史家はマイナーである。歴史学と計量経済学との接合領域では、欧米の学者のノーベル賞受賞者はいるが、日本では、メジャーな世界における紹介者のレベルである。だから、知識有る方から、専門を問われると、「歴史」、「中国近代史」と答えると、非常に残念な顔をされる。

「近代史」は、アダム・スミスにはじまる経済学の学説と、国民国家の政府の採用する経済政策が、国際的な競争市場という現場で検証される学問だと、僕は割り切っている。だから、経済学部の経済史という科目でかたづくのか、というとそうではない。スミスには、道徳感情論という倫理学があり、経済思想史も含まれる。だから、経済学説史という学問も視野にはいる。では、研究する地域の対象は、こう聞かれると、東アジアと答える。なぜなら、イギリスの産業革命が転移したアジア、アフリカ地域のなかの唯一の地域が東アジアであるからだ。とりわけ、電気エネルギーを基本体系とする第2次産業革命の中心地のひとつが、富山県である。だから、富山県を中心に東アジア近代史を組みたてると、そこに本質的な世界が見えてくる。それは、東アジアの近世社会の共通文化であった朱子学という儒教文化が、近代化の推進力に組み替えられていくのか?という課題がある。僕の場合、中国の孫文を太い比較の座標軸におく。孫文の場合、アメリカの組合派のキリスト教と中華文明の組み合わせに回答をもとめた。

日本の場合、富山藩校の「四書五経」だけが、同時代の中国の清朝考証学の流れに同期し、西洋学をとりこむ回路を開く。これは、72歳になっての遅すぎた再発見であった。これで、富山における明治維新は、陽明学の行動主義をとりこんだ倒幕派への共感も薄く、また、朱子学の性理哲学に染まった佐幕派にもくみしない、第3の道として、儒学的教養プラス英語学習の道に突き進んだ意味が思想史として解明できる。

こんな大事なことが、富山県史を32歳から研究しながら、72歳になって、ようやく富山の先人の明治維新の原心を知った。遅いではないか。これで、南北を逆にした「逆さ地図」とはことなり、富山は同時代の上海、広州のレベルの英語学を基礎とする学問思考の拠点だったとわかる。なぜ、富山大学にラフカディオ・ハーンの蔵書が大切に補完されているのか。このように、不遜だが、心の奥底で地域トップの歴史家を自負していても、儒学的教養と倫理のなかから英語の原典を読すという「維新」の史実にたどり着くのに、何十年も迷い道を歩いていた。どの分野でも、トップの自己限界か制約となり、トュプが周囲の方に真に喜んで戴けるようになりきれていない、という自戒がいる。底辺が低いのを嘆くのではなく、トップの限界が地域の限界と制約条件なんだという深い反省を「論語」は求めている、と読みたい。


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地方自治体は、管下の土地の全区画の税収効果を最大化するシナリオが決め手

2015年06月08日 | Weblog

この問題は、誰も言いださないので、マネジメント学として話題にした。この話は、富山県という中間的な政策官庁では、政策の議論にすぎない。直接の問題の当事者は、固定資産税、住民税徴収の基礎となる市町村の課題である。国土交通省が調査する地価の実勢資料をもとに、道路を軸に路線価格が算定される。この算定方式は、学術的に「経済地理学」の中心地理論と結合する。幹線道路を軸に、枝線を下へ下へと降ろしていく。国道8号線⇒県道の富岩線⇒市道⇒私道、これが僕の家へのアクセスである。土地の道路との接線、いわゆる間口の価格が基準となる。このように、古代の都市でも、近世の都市でも、道路は公共事業者により建設・管理された。従って、間口が狭く、奥行きが広いのは、敷地の所有者には節税になるし、徴税者からは納税者を多数呼び込めるので、道路を管理することが基本中の基本である。ここまでは、公務員が思いつき、理解できる世界である。しかし、それ以上に微細な土地区画別のデータがある。それは、電力会社が握っている電力使用量のデータである。消費電力が発生している土地マップこそ、地域の基幹データである。それと、道路の路線価とを組み合わせると、どの土地に地域の再開発の潜在的な可能性があるか、リアル・マップとして浮かび出てくる。道路行政と税収効果を高める部署に全く連携がないと、手の施しようもない。電力会社のもつ、対土地データこそ、土地の産業化の基盤データである。

現在、北陸新幹線効果で、金沢市が観光客で極めてにぎわっているが、そのためには、金沢大学の経済地理学の教授を中心とする都市研究の長い研究と実践のたまものである。昭和後期に研究し、平成期近世の城下町の入り組んだ狭い道路が改善され、それが北陸新幹線の開通と、きちんと整合するタイミングで整備されている。さらに、敬服するのは、機電工業会が、建築・土木とIT業界とを統合した「石川県」としての「工業会」が一本化され、石川県庁の統合力が完全に発揮できる。反対に、富山県では、IT業界代表、機電工業会代表、薬業界代表、建築・土木業界代表がばらばらに存在する。そのうえに、北陸電力と北陸銀行と富山県庁とが、難関校の卒業生グループで横連携し、株式も持合いの構造となっている。電力、銀行の株価が下落すると、自治体の基金の実勢価値も変動する。ここは、株式の持合いよりも、電力会社のもつ対土地データを活かすために、自治体サイドと電力会社との「地域活性化」の緊密連携が期待される。ここでは、富山地方が先行できる条件がある。さらに、主要銀行には、中企業以上の当座貸し越しの勘定を支店単位で把握できる能力がある。利用地、未利用地など、地権者の特定も、土地を担保評価する関係で熟知している。

富山の場合、都市計画は昭和の初期に見事に整備されている。しかも、北陸線の富山駅を基点に、県道が放射状に設計され、さらに戦後、空襲で丸焼けの旧富山市街の道路の拡張、防火壁としての広い道路が作られ、その面では、金沢市を半世紀リードしてきた。では、どこが金沢に負けたのか?それは、大学・大学院の高等教育機関である。国立・公立にはもとから格があるから、すこしヨコにおいて議論したいが、大学院に関しては、戦後の制度拡充、とくに平成期に大きな差がついた。これに対し、金沢は「学都」と呼ばれるように、金沢大学と金沢工業大学がリード―し、全国から受験生を集めることに成功している。これが、個人の住民税の所得割の税収に関係してくる。学歴と所得には、ゆるやかな比例関係があるから、稼ぐ力の強い人を集めることに成功しているのである。富山は、電力と地域経済との関係のビッグ・データに活用が決め手となる。

では、富山県域では、いつごろから県下の土地の税収効果の最大化と、個人の住民税の所得割の税収に関わる学歴者の集積に失敗しているかというと、中沖県政に時代に原因が求められる。ネタ元は、いえないが退職した県庁幹部の基礎教養から逆算すると、あの時代の部長さんたち・・・・ということに気がついた。それにしても、富山県立短期大学(富山県立大学の前身)が輝いていたのは、昭和時代でした。故・小浜喜一先生、先生ほどの学識が、今はないですね。寂しい限りだ。先生には、33歳のころ、富山県史の編纂委員会で叱られた。先生が世を去られ、富山県総合計画から、経済統計学の深いエビデンスが失われた。少子高齢化を叫び、人口増の施策を練るには、まず何よりも、土地の利用形態別のマッピングがいる。

 経済産業省が、最近、配布したデータは、労働生産性が基礎なので、住民税をゴールとする個人を課税対象とする議論になる。電力消費マップは、経済産業省の管轄でないと手に入らない。だめなのは、経済産業省、金融庁、みんな地域に産業集積があると知りながら、土地のマップに管轄データを複合的に書き込み、共有する文化がないからだ、ともいえる。


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「地方」がないから「創生」するのですか?

2015年06月02日 | Weblog

TMAマネジメント学教材

意地悪な言い方をすれば、「地方」がないからゼロから「創生」するのですか?と問いなおしたくなる。正解は、「地方再生」である。「地方」は、江戸時代、幕藩体制のもとで存在した。藩に通貨である「藩札」も、「藩校」も、そして方言も、祭礼も、みんなあった。人口も着実に、増加の一途をたどった。建築も立派なものは、江戸時代の創建か、江戸時代の修復である。何が、誰が「地方」を奪ったのか?それは、首都圏である。中央への統合力である。それは、外国と対抗するために、地方分立性の高い幕藩体制を廃止した時から始まっている。それは、歴史の自然な法則である。近代的な国民統合による中央集権化と国民的な均質化は求められた。おかげで、現代日本では、流行、服装、生活様式の均質化が図られた。国土が南北に伸びているので、時差も国内では最大で2時間の範囲におさまるコンパクト国民国家である。だから、「地方」が廃棄されたか、それとも「地方」が持続しているか、大きく見極める方法がある。TOTOに代表される水回りの製品は世界標準になり、日本国内では、日本標準となっている。「地方」が廃棄された道府県では、民間の新規着工の戸建て住宅は、大和ハウス、積水、ミサワに代表される全国的なブランドのハウス・メーカーのシェアーが圧倒的に高いはずである。その場合、TOTO製品を標準採用しているハウス・メーカーを媒介しない限り、TOTO製品は個人の戸建て住宅に浸透しない。「地方」が廃棄されていない地方では、新規に着工される戸建て住宅の占める施工業者において、全国的なブランドのハウス・メーカーのシェアーが20%を下回る地方がある。その地方だけを市場とするローカル・ブランドのハウス・メーカーが80%のシェアー率に達している。その場合、施主は水回りの製品には、TOTOで揃えるとか、その他の選択肢が生まれるが、ローカル・ブランドのハウス・メーカーにとり、受水から台所、トイレ、風呂、洗濯場から排水までの一連の水回りの工事は、それに習熟した建設設備業者を必要とする。ローカル・ブランドのハウス・メーカーの強みは、その土地の気象条件に習熟し、その土地の若い世代にマッチした「モダン」なデザイン・住宅の選択肢をいくつか用意している。これらのハウス・メーカーは、その土地の工務店という大工さんからの展開ではなく、材木店・建材業から発展したものである。なぜ、全国的なブランドのハウス・メーカーのシェアーが、富山県では伸びないのか?それは、主体となる施工業者の担当者が「転勤」したり、北陸圏の営業トップが人事異動するからである。それと同じことが、金融業にもいえる。住宅資金を蓄え、住宅資金を借りる窓口として、そもそもが信用金庫の占有率が高いからである。銀行は、建築後の資金繰りや、節税対策のための税務申告までアドバイスしてくれない。このように「地元」業界という枠組みが、既に失われたところでは、「地方廃棄」され、改めて「創生」を考えるほかにない。しかし、大和ハウスが手掛けた大規模住宅団地が、地方を創生した例はきかない。地元の零細な個人経営を地道に育ててきた信用金庫とローカル・ハウスメーカー、さらに、水回りの工事業者などの業務力などを知らないと、富山って意外にアレなんですよね、というつぶやきに終わる。全国的なブランドのハウス・メーカーの新規着工件数のシェアー率は、地方崩壊か、地元なお健在かを測定する重要なデータである。つまり、衣食住と旅行、新聞・TV、学校における全国的なブランドの浸透を跳ね返す、地元の経済循環の群体が死んでいるのか生きているのか、その中間なのか?それは、統計ではっきりさせた方がよい。

東大の某教授の指導した経済産業省の「地方創生」の統計なんて、まずもって中学生のレベルなんです。富山県が、持ち家率が高いのはなぜか?簡単です。高める仕組みがあるからです。そのしくみのなかに「地方」が隠れています。


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