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日米を問わず名選手を紹介。

山崎慎太郎

2011-05-20 15:58:51 | Weblog
1985年、ドラフト3位で近鉄バッファローズに高卒で入団、実働は1987年からですが、その後ダイエーホークス、広島カープ、オリックスブルーウエーブに在籍し2002年に引退した右腕投手です。しかしこの投手を想い出す時、他のチームに在籍していたのかなと思う位、近鉄バッファローズ時代のイメージが強いものです。投球フォームの特徴としては、挙げた左脚を一瞬タメを造るが如く止め、打者に対してタイミングをずらす様にして投げて来る所にあるかと思います。腕の位置としたらスリークォーターと言うより、オーバースローに近かったかと記憶しています。球速は決して速くはなく、当時の投手としては平均クラスかと思います。又決め球となり得る程の変化球はありませんでしたが、伸び、キレには見るべきものがあり、好調時の小気味よい投球は、観ていて結構楽しいものでした。しかし不調時の投球の際、腰の捩り、回転にはやや不足しており、その為かもう一つ威力ある球を投げられないシーンが数多く見られたものです。通算3回の二桁勝利や7回の規定投球回数到達等、チームに欠かせない投手の時代もかなりあり、本当に忘れられない投手の一人でした。



通算成績    339試合    87勝92敗    防御率   4.19     852奪三振

ほぼ全盛期に引退した投手(池永正明) (1)

2011-05-19 21:47:49 | Weblog
昭和40年西鉄ライオンズに入団、その年20勝を挙げ、45年開幕後あまり経たない時期に八百長に関連したとして永久追放された投手です。5年と少しの期間で通算103勝、20勝以上3回、防御率2.36と素晴らしい成績を残した右腕投手です。決して大きくはないながらも、バネの塊の様な体から投じられる球は速く、切れ、伸び、制球、変化球、投球術全てに於いて優れ、毎年素晴らしい成績を残している事に、何ら疑問の余地すらありませんでした。何故かよく覚えているのが、多分昭和41,42年頃と思いますが、西鉄ライオンズのテレビ中継で池永正明が投げていた時、アナウンサーが、ライオンズ投手陣の内球速トップは池永正明投手で間違いないですねと言う主旨の質問をしましたが、解説者は田中勉や与田順欣の方が球速では上と返事をしていました。解説者が誰だったかは忘れましたが、この返事こそ正に我が意を得たりと思いました。球速だけなら、どう見てもパリーグでも屈指の速さを誇る2人が上回っていると私も思っていました。しかし同チームの先輩稲尾和久同様、球速だけでなく総合力で物凄く優れているのが、池永正明だったと思います。

五十嵐亮太の今季

2011-05-18 10:35:33 | Weblog
ニューヨークメッツの五十嵐亮太投手が、再びマイナーに降格となりました。多分彼にとって最後のマイナーへの降格となるかと思います。と言うのも、今後メジャーに昇格する可能性は著しく少ないかと思うからです。戦力外や更なる降格はあっても、現在の投球内容だと、そう思わざるを得ません。最近の彼の投球を観て物凄く気になる点があります。上手投げ投手の場合、高いマウンドの位置から投げれば、当然球は上から下への軌道を描く訳なのですが、テレビで彼の投球を観ていると、何故か彼の投球のみ、逆の軌道を描いている様に見えてしょうがないものです。勿論現実にはそんな事はないのでしょうが、どうしても球の抑えの殆ど効かない感じ、つまり上ずっている彼の投球フォームの危険性を感じてしまいます。先日の試合の球速をチェックしましたが、最速で92マイルと、数字上でも決して速くはなく、今シーズンのストレート系の球速も平均91.1マイルと昨シーズンの93.7マイルよりかなり落ちている点も気になります。それでなくとも速球で勝負出来る球威ではなく、更に単調な投球スタイルもあり、前途は物凄く厳しいかと思います。

都裕次郎

2011-05-17 22:50:43 | Weblog
昭和52年中日ドラゴンズに入団、実働は入団3年目の54年から平成1年目までの昭和62年を除く10年間になる左腕投手です。彼の入団時、実力云々より、その名前でかなり騒がれた事を非常によく覚えています。しかし彼の投球はその名前程目立つものではありませんでした。入団時の練習での投球や、54年に彼が登板した際に感じたのは、どんなに贔屓目に見たとしても、将来凄い投手に育つ事はあり得ないだろうという事と、逆に全くプロで通用しないというレベルでもないと言う事でした。極論すれば中途半端な投手というイメージを受けたものでした。公称180cm,84kgの結構がっしりとした体躯から投げ込む球は、決して速くはなく、かといって遅いわけでもなく中の上クラスだったかと思います。左腕の後方への引き方は独特のものがありましたが、投手に必要な肘の撓りには欠け、その為か伸びや切れには欠け、やや鈍い感じ、上手く表現できませんがドロンとした感じの投球でした。左腕の引きが打者に見え易く、肘が撓らない投球スタイルは、何故かアーム式ピッチングマシンを思い浮かべさせてくれるものでした。しかし57年の16勝や59年の13勝は素晴らしく、通算でも私の予想をかなり上回った成績を残し、特に中日ドラゴンズファンには忘れられない左腕投手だったのでしょう。



通算成績     243試合    48勝36敗      防御率    3.73      507奪三振

2000奪三振(22)

2011-05-16 22:30:19 | Weblog
2000奪三振達成者の内、間違いなく最も球の遅い投手、星野伸之投手ですが、その超細身の左腕から放たれる球は異常に遅く、ストレートで130km,変化球で100kmに届かない位だったかと思います。彼の場合多く言われているのが、小さなテイクバックで、左手で握っている球を一瞬巧く打者の視線から隠し、球の出所を打者に見えなくしている点と、緩急の使い方が物凄く巧妙な為、打者としては本当にタイミングを取りにくいとされていますが、正にその通りだと思います。もっと言えば、緩急と言うよりも、緩の内での、遅い、速いのレベルだったと思います。この非常に遅いストレートながら、阪急ブレーブスOBの2000奪三振達成者の内、最も高い奪三振率を誇っているのが、意外にも星野伸之です。彼こそが、三振を奪うには、必ずしも球速だけではない事を、もっとも実証した投手と言えるのでしょう。その本当に恐ろしく遅い球ながらも、通算奪三振率6.88という数字は、驚異的にも思えるものです。彼程球が遅くはないものの、その類稀なる技術は、その後杉内俊哉、和田毅、成瀬善久等の左腕投手に巧く引き継がれている様に思うものです。

ほぼ全盛期に引退した投手(津田恒美)

2011-05-15 21:13:01 | Weblog
ほぼ全盛期に引退した投手の引退理由の多くは、故障か黒い霧疑惑に関連したものが多いものです。先日死去した成田文男氏は、その素晴らしい実績の割に、彼の死去が大きく取り上げられる事はありませんでした。私としては、サンデーモーニングで取り扱われ、多く対戦機会のあった張本勲のコメントを聴きたかったのですが、残念ながらそれはありませんでした。やはり現役時代の暴力団との交際や、それに伴う疑惑が影響したと思えてなりませんでした。しかし今回紹介する津田恒美投手の引退程、想像を絶するというか、予想すら出来ない、あまりにも悲しい引退を私は知りません。津田恒美投手の殆どストレート一本で真っ向勝負する投球スタイルは、物凄く魅力的で、観ていて興奮すら感じるものでした。躍動感溢れるダイナミックな投球フォームから放たれる、彼の快速球は本当に速く、その体躯からは想像出来ない重み、凄味すら感じるものでした。確か最高球速は153km位だったかと思いますが、それ以上にかなり速く感じる事の出来る投手でした。ひょっとしたらスピードガンがあった事による弊害を、最も多く受けた投手だったかも知れません。もしこの時代にスピードガンがなかったら、もっと高い評価をその快速球は得ていたに違いないと思うものです。しかし衰えを見せる事すら出来ずマウンドを去った事により、素晴らしいストレートの印象のまま死去した事はある意味良かったかと思うものです。物凄い球速を誇った米田哲也、尾崎行雄、金田正一等の晩年の球速を知っているだけに、切に思うものです。出来れば後数年は、津田恒美投手の投球を観たかったものです。

2000奪三振(21)

2011-05-14 21:54:10 | Weblog
山田久志投手のストレートはかなり速いものでした。球速では杉浦忠を凌駕するものがあったかと思いますが、彼には杉浦忠程の浮き上がる様な球や、下手投げでは想像しにくい程の大きく曲がるカーブはありませんでした。後に同チームの足立光宏から学んだと言われるシンカーを大きな武器として、昭和51年以降、物凄く安定した、大崩れしない投手として円熟期を過ごしますが、球速が衰えた事と、シンカー自体が三振を奪える変化球ではない事も相俟って、常に多くの三振を奪える投手ではありませんでした。若い頃の彼は、華麗ながらもダイナミックな投球フォームから放たれるストレートは威力があったものの、高低で勝負出来る程の力はなく、又アンダースローという事もあり、投球に角度がなかった事も、もう一つ三振を奪えない事に繋がったかと思います。又内野、外野共守備に優れた選手がいた時代が多かった事も、敢えて三振を取りにいかなくとも良かった点もあるかもしれません。結果的に20勝以上4回、通算284勝の素晴らしい実績を挙げた彼を、阪急ブレーブスの歴代ベストナインを選出する際、投手部門で彼を推す声が多いのも、十分に頷けるものです。

2000奪三振(20)

2011-05-13 23:59:21 | Weblog
2000奪三振達成者の内唯一のアンダースロー投手、山田久志投手は三振を多く奪える投手ではありませんでした。通算3865イニングを投げて、2058個で奪三振率4.79と、2000奪三振達成者の内では最も低い奪三振率になり、同チームで球速では遥かに劣る星野伸之と比較すると1200イニング近く多く投げているのですが、奪三振数は17個しか多くありません。ではアンダースローだから奪三振、奪三振率が低いのか?決してそんな事はありません。杉浦忠、秋山登は酷使の為、選手寿命を短くさせられましたが、300奪三振以上を記録したシーズンもあります。又金城基泰もアンダースロー屈指の球速を活かし、200個以上の奪三振を記録し奪三振王に輝いたシーズンもあります。しかし山田久志の場合、自身最高の奪三振数が、270イニング投球の入団3年目の189個、奪三振率5.40であり、最高の奪三振率は入団2年目の奪三振数162個、奪三振率7.71になります。但し入団1年目には9.2イニングしか投げていない為、実質入団1年目、2年目と言っていいかと思います。彼の奪三振率が7個以上を記録したのは、実質1年目のシーズンのみとなります。つまり長くエースとして活躍した為に、通算の奪三振率が落ちたのではなく、基本的には多く三振を奪える投手ではなかったと言っていいのでしょう。

昔の話(2)

2011-05-12 22:36:32 | Weblog
主に昭和40年代に言われていた事に、セリーグとパリーグではレベル差がかなり有り、パリーグでの3割打者はセリーグでは2割8分位しか打てないだろうとか、近鉄バッファローズの4番は読売ジャイアンツなら7番程度だろうとか、殆ど根拠のない事が結構言われていました。当時は現在と全く違い、セリーグとパリーグとの人気の差は物凄くありました。又この時期読売ジャイアンツの9連覇もあり、パリーグよりセリーグが強いという事を言い易い環境にあったのは事実なのでしょう。多分一部のセリーグ出身の評論家やセリーグ担当の記者あたりが言い出した事と思いますが、一般のファンの内には、それを疑わず信じ込んでいる人も多かったものです。つまりマスコミ先導の、パよりセが上と言う論調が罷り通っていた時期でした。当時はパリーグの球団は関西が多く、セリーグの球団が関東に多い為、数で勝るセリーグ系のマスコミがこの論調をより大きいものにしていました。更に言えばセリーグにはマスコミ系の球団が多く、パリーグには鉄道系の球団が多かった事も、この根も葉もない言葉に拍車をかけた様に思えてなりません。

松井秀喜の今季

2011-05-11 21:18:28 | Weblog
今シーズンの松井秀喜の使われ方を見ていると、物凄く疑問に感じる事が多いです。先ずはシーズン当初の打順ですが、私は間違いなく4番打者としてスタートするものと思っていました。処が5番打者として始まり、現在まで殆どが5番でウィリングハムが休みの時のみ4番を任される感じです。過去の実績、相手への威圧感等、ウイリングハムより松井秀喜の方が遥かに上かと思います。又現在37試合消化していますが、既に5試合欠場し、最近では二塁打2本の次の試合でも、相手投手が左腕投手と言う事で2試合連続でスタメンを外されています。この扱われ方が強打者揃いのニューヨークヤンキース在籍時なら、理解出来ますが、現在のチームはあのマリナーズと並ぶ位の貧打のチームです。確かに現在までの成績は119打数28安打、0.235、3本塁打、15打点と決して好調とは言えないのですが、はっきり言って松井秀喜の替りに出て来る選手は、明らかに格の落ちる選手ばかりです。打の一枚看板とも言うべき彼を必要以上に、スタメンから外す理由が何処にあるのでしょうか?以上の様な事から推察すると、チームの首脳陣は松井秀喜を高くは評価していないと言えると思います。従って今後打撃で余程の成績を挙げない限り、シビアーなメジャーの事、想像したくない未来が待っている様に思えてなりません。