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日米を問わず名選手を紹介。

2000奪三振(19)

2011-05-10 15:49:28 | Weblog
今後2000奪三振を達成しそうな投手を少し紹介して見ます。この内メジャー挑戦希望の投手も多くいそうなので、あくまでもメジャーに挑戦せず、ずっと日本に残留したと仮定しての話になろうかと思います。先ずは西武ライオンズの西口文也投手です。球速の衰えは隠せなくなって来ましたが、今季は無理としても是非来期には達成して欲しいと思います。次はソフトバンクホークスの杉内俊哉です。球の出所が見えにくく、球持ちの素晴らしい投手です。球速こそ大した事はありませんが、三振を奪う技術を間違いなく持っている投手です。奪三振率も石井一久を上回る程で、達成は間違いないかと思います。同じチーム、同じ年代の和田毅も 杉内俊哉同様三振を奪う事の出来る投手ですが、やや線の細さを感じるだけに、達成は微妙かと思います。先日1000奪三振を達成した日本ハムファイターズのダルビッシュ有は、国内にいさえすれば達成できない訳がない投手です。フォーム自体全く問題なく、大きな故障も考えにくいレベルの投手と思います。又西武ライオンズの涌井秀章は、圧倒的な球速や、三振を奪う決め球に今一つ欠ける為、かなり厳しいかと思います。現在22歳の楽天ゴールデンイーグルスの田中奨大は、可能性ありと思いますが、年々奪三振率が落ちている点が気になります。

2000奪三振(18)

2011-05-09 21:43:48 | Weblog
現在の石井一久の公表体重は100kgとなっていますが、確かに入団時と比べてかなり増えています。その体重増加も当然関係していると思いますが、投球フォームもかなり変わって来ています。かっては投球の際、右膝が右肘に当る事が数多くある程、脚を抱え込む様に高く上げ、シャープな腰の切れから速さ、伸び、キレ全てに優れており、好不調の波こそあるものの、好調時には手も足も出ない程の圧倒的な投球をしていました。しかし現在のフォームは、やはり体重増加のせいか、腰の回転にやや鈍さが見られ、明らかに球速は落ち、腕の位置も少し下がり、かっての快速球投手のイメージは殆ど見られなくなりました。良く言えば重厚感が増し、円熟したとも言えるのでしょうが、かっての姿を充分知っているだけに一抹の寂しさを感じてしまうものです。しかし石井一久の他の投手にはない素晴らしい所は、現在の投球スタイルになってからも、あまり奪三振率に衰えが見られない事です。本当に奪三振を奪う術を身に付けているものと思わざるを得ません。昨シーズン終了時点で、1898.2イニングで1942奪三振と、初の2000イニングに達する前に2000奪三振達成も可能なだけに、球威こそ衰えても是非頑張って、より多くの三振を奪って欲しいものです。

2000奪三振(17)

2011-05-08 20:47:13 | Weblog
石井一久がメジャーに入団するまでは、間違いなく日本ではトップクラスの速球投手でした。しかし彼の球速は本人も語っていた様に、メジャーでは決して速い部類には入りません。メジャーの先発投手で球速で勝負出来るとすれば、ストレートの速さは常時150kmを超し、時には155kmを超える投手に限られると思います。当然球の伸びや切れによって違いはあるかと思いますが、この球速は大雑把な目安にはなるかと思います。従って時に150kmを超す程度の石井一久の球速だけでは、勝負出来ませんでした。しかし彼は日本時代程の物凄い奪三振や奪三振率をを記録出来なくとも、当初の2年間はそこそこの数字を残しました。この点に彼のテレビ等で見られる言動と違い、適応力の素晴らしさが感じられます。その当時の彼はランディジョンソンの様な速球派とも違い、又ジェイミーモイヤーの様な軟投派とも違う領域を築いていた様な気がします。つまり適度な球速と鋭いスライダーを武器として、異なる分野の投手に変身していった様に感じられます。又当時、異様に多過ぎるといってもいいとも言える四死球ですが、彼の野球頭脳からすれば、危険性を感じ打者と勝負するよりも、四球を出した方が得策と感じての結果の割合も少なくない様な気もするものです。

2000奪三振(16)

2011-05-07 23:37:01 | Weblog
2000奪三振に達しそうな投手を少し紹介して見ます。先ずは現在西武ライオンズ所属の石井一久投手です。石井一久のコントロールは決して良くはないのですが、彼はそれを巧みに利用し、相手打者に狙い球を絞らせず、左腕からの物凄く速いストレートと切れ味抜群のスライダーを主な武器として、面白い様に三振を奪って来ました。江夏豊の様なこれと言った変化球がなくとも、抜群の球威と制球、投球術で三振を奪えるタイプと異なり、彼の場合、そのコントロールの悪さから、打者に簡単に球を絞らせず、又威力抜群の消え去るようなスライダーを巧く活用して三振を奪う感じでした。そのスライダーは、左腕投手としては超一級品と思います。多分彼は打者が予想外の反応をしたり、空振りをしたりする事から、三振を奪う楽しさを身に付けて来た様に思えてなりません。狙って三振を奪った江夏豊と異なり、結果的に類稀なる球威と変化球とコントロールの悪さを何故か巧く利用して、三振を多く奪っているのが石井一久と言えるかと思います。球数こそ多くはなるのでしょうが、この投球スタイルも、三振を奪う事に関してはかなり優れた投球術と言えるかと思います。

フレディガルシア(Freddy Garcia)

2011-05-06 23:17:14 | Weblog
メジャーでの登板は1999年のシアトルマリナーズを始め、その後いくつかの球団を経て現在ニューヨークヤンキースに所属し、今の所先発を務めている右腕投手です。190cmを超す身長とぶ厚い胸板から、かっては結構速い球を投げていました。2001年にイチローがメジャーに入団した際のマリナーズの若きエースとして活躍していた為、その後移籍するまで彼の登板試合は数多く見たものでした。投球フォームは右腕の引き方に特徴があり、後方下に引かなくて、高い位置で後方に引くという感じで、手の動きが打者に見え易い様な気がしました。先日久し振りに彼の投球をじっくり見ましたが、あまりにも球速が落ちているのに愕然としました。かっては重く速いストレートを武器に、カーブ、スライダー、チェンジアップ等を投げ、所謂本格派投手という位置づけに入っていたと思います。そこで少し数字を調べて見ましたが、2002年に平均93.0マイル(149.6km)あったストレートが、ここ数年は80マイル台後半に落ち、今シーズン現在までは86.9マイル(139.8km)と約6マイル落ちています。投球術の進歩はあるかと思いますが、これだけ球速が落ち、特に持ち球が変わってない彼には酷でしょうが、今後の活躍はあまり期待出来ないかと思わざるを得ません。

2000奪三振(15)

2011-05-05 22:09:51 | Weblog
2000奪三振達成者19人の内、3000個以上或いは3000個に限りなく近い三振を奪った投手達に触れたく思います。投手は一位から金田正一、米田哲也、小山正明、鈴木啓示、江夏豊、梶本隆夫です。この内奪三振率8.41の江夏豊と、7.31の金田正一を除くと、他の4人の奪三振率は決して高くはありません。鈴木啓示、米田哲也、小山正明は奪三振率6.0を少し切っており、梶本隆夫も6.30と、奪三振率の高い現代の投手と比較すれば、三振の奪えない投手の部類に入るかと思います。しかし彼等4人は本当に三振の奪えない投手なのでしょうか?最も球の速かったであろう入団5年間の数字を挙げて見ます。梶本隆夫は1264奪三振、奪三振率7.34,鈴木啓示、1220奪三振、奪三振率7.48,米田哲也、1163奪三振、奪三振率7.23になります。この3人は1年目からローテーションに入り大活躍しています。しかしテスト生上がりの小山正明投手は、ローテーションに定着した入団4年目からの5年間の数字を挙げて見ます。1200奪三振、奪三振率7.19になります。各投手共その時代にしたら、群を抜く奪三振数、奪三振率を誇っていました。つまり若くて球の速い頃の彼等は間違いなく、その当時三振を奪える投手だったといえるのでしょう。その後投球術を高めたり、制球力の向上や、新しい球の開発等により、長い間エースの座を保って来た訳で、ある意味その代償として奪三振率の減少が起こったと思います。この4人に限らず、通算成績で率の数字を比較する場合、分母の数字、投手なら投球回数を基準に考えるべきかと思います。数の少ない投手達と同じ土俵では比較すべきではないものと思います。

昔の話(1)

2011-05-04 22:09:38 | Weblog
昔の話です。とは言いながら、年代的には主に昭和30年代中頃から50年代初期頃までです。その時期に何故か言われていた事を、思い出しながら書いて見ます。先ずは読売ジャイアンツに移籍した選手は活躍出来ないと言う話がかなり拡まっていました。何人か思いつくままに選手を挙げて見ます。打者では、西鉄ライオンズの核弾頭として活躍した高倉照幸、広島カープの好打者森永勝也、近鉄バッファロ-ズの美しい打撃フォームの関根潤三、大洋ホエールズの強打者桑田武、西鉄ライオンズの強肩強打の田中久寿男、東映フライヤーズの攻守の要吉田勝豊、投手では400勝投手、国鉄スワローズの金田正一、同じ球団所属で第二エースの時期もあった北川芳男、東映フライヤーズの20勝経験投手、嵯峨健四郎、ロカビリー投法と呼ばれた西鉄ライオンズの若生忠泰等の選手の名前が浮かんで来ます。しかしこれらの選手の実績は十分だったのですが、読売ジャイアンツ入団後は、あまり活躍は出来ませんでした。当時、と言っても時期的には多少長いのですが、彼等が活躍出来ない原因を、多くの読売系の評論家は、人気チームに入団した事によるプレッシャーが大半と分析し、更に以前所属したチームより遥かにチームプレーを重視し、個人プレーには走れない為とも分析し、如何に当時の読売ジャイアンツが優れているかと言う事を執拗に述べているばかりでした。そういう評論が罷り通る程、当時は依怙贔屓な評論が多かったものです。しかし結論は単純明快と思います。移籍して来た選手は皆、全盛期を過ぎていた選手です。つまり力の衰えた選手ばかりを集めている訳ですから、活躍出来ないのが当たり前と思ってしまうものです。

2000奪三振(14)

2011-05-03 21:38:01 | Weblog
通算2045奪三振の平松政次投手は奪三振率の高い投手ではありません。通算の奪三振率は5.48,昭和45年カミソリシュートと呼ばれた恐ろしい程切れるシュートが物凄く打者に恐怖感を与えた年でさえ,182奪三振、奪三振率4.92です。1回たりとも奪三振が200を超えた事も、奪三振率がかなり高かった年もありません。つまり通算3360.2イニングと多く投げた事により、2000個以上の三振を奪う事の出来た投手と言えるのでしょう。彼の場合あまりにもシュートが有名ですが、ストレートの球の速さも物凄く素晴らしいものでした。しかし彼の場合、奪三振率の低い理由は解り易いと思います。特に右打者の胸元を襲うかの様に投じられるシュートは、打者には恐ろしいものでしょうが、横の変化という事で何とかバットには当てられ、非常に詰まった当たりになるケースが数多く見られたものでした。又彼にはシュート以外にこれと言った武器になる変化球や、格別優れた制球力がなかった事もあると思います。殆どの投手が最も球の速かった時期に、奪三振率も最も高いのですが、平松政次の場合、前述の自己ベストの昭和45年、逆に自身の平均奪三振率より低い数字という事に、彼のシュートの凄まじさを感じてしまうものです。

2000奪三振(13)

2011-05-02 22:04:12 | Weblog
私が勝手に名づけた第三段階の鈴木啓示の投球内容ですが、大きく変わった点は制球力の向上でした。明らかに四死球率は低くなりましたが、残念ながら小山正明や後の北別府学程の微妙なコースに決める制球まではいかず、勿論堀内恒夫とは比較にはならないものの、楽にストライクを取れる事の出来る制球だったと思います。又強気に打者を攻める事もあり相変らず被本塁打数は多いものでした。総体的に彼の奪三振率は球速の変化と比例していると言えるかと思います。当然多くの投手は球速の衰えと共に奪三振率は落ちる場合が多いものですが、一部新たな変化球を身に付けた投手や、先発からリリーフに転向した投手等例外も多少あります。鈴木啓示の場合、入団から一貫して物凄く武器となる変化球を持っていなかった事もあり、投法の変化により成績を復活させる事は出来たものの、奪三振率までは復活出来なかったのでしょう。しかし彼と同年配の堀内恒夫、平松政次、松岡弘等のかっての速球投手はこのモデルチェンジが出来ず、球速の衰えイコール成績の衰えとなったのと比べ、巧くモデルチェンジし長い現役生活を送った鈴木啓示こそ、本物の超一流投手と言えると思います。

2000奪三振(12)

2011-05-01 20:52:37 | Weblog
鈴木啓示の第三段階は、少し期間は長くなりますが入団10年目から引退の年までの11年間になろうかと思います。この時期の彼の投球は、あれだけ思い切って高く上げていた脚が、他の投手とあまり変わらない位になり、腕の位置も少し低くなっていました。従って球速自体はパリーグの奪三振王の名を不動のものにしていた時期より明らかに落ちて来ていました。しかしかっての無理やり脚を高く上げる投球フォームと異なり、無駄のない非常にスムースな投法に変わっていた為、球の伸び、切れは逆に以前よりかなり良くなって来た感じでした。この時期を技巧派、円熟期と呼びたく思います。この時期の彼は2208イニングで奪三振1132個、奪三振率4.61になります。この投法に変えた当初の4年間に、彼は3回の20勝以上、合計85勝を挙げ第一段階の成績と殆ど遜色のない数字を挙げています。しかしこの4年間の投球回数は1067イニング、奪三振558個、奪三振率4.71とその後徐々に衰えを見せていく時期とあまり変化はありません。つまりこの4年間の彼は、球速が落ち奪三振が減っただけで、低迷期を乗り越えかっての超一流投手に復活した時期と言えるのでしょう。