鈴木啓示の第三段階は、少し期間は長くなりますが入団10年目から引退の年までの11年間になろうかと思います。この時期の彼の投球は、あれだけ思い切って高く上げていた脚が、他の投手とあまり変わらない位になり、腕の位置も少し低くなっていました。従って球速自体はパリーグの奪三振王の名を不動のものにしていた時期より明らかに落ちて来ていました。しかしかっての無理やり脚を高く上げる投球フォームと異なり、無駄のない非常にスムースな投法に変わっていた為、球の伸び、切れは逆に以前よりかなり良くなって来た感じでした。この時期を技巧派、円熟期と呼びたく思います。この時期の彼は2208イニングで奪三振1132個、奪三振率4.61になります。この投法に変えた当初の4年間に、彼は3回の20勝以上、合計85勝を挙げ第一段階の成績と殆ど遜色のない数字を挙げています。しかしこの4年間の投球回数は1067イニング、奪三振558個、奪三振率4.71とその後徐々に衰えを見せていく時期とあまり変化はありません。つまりこの4年間の彼は、球速が落ち奪三振が減っただけで、低迷期を乗り越えかっての超一流投手に復活した時期と言えるのでしょう。