昭和43年、ドラフト1位で大洋ホエールズに入団、52年まで同チーム一筋に活躍した右腕投手です。昭和45年頃から主にリリーフ、抑えとして活躍しましたが、当時セーブの記録がなく、49年に制定された為、生涯セーブ数が6に留まった投手です。しかし当時大洋ホエールズのリリーフ投手と言えば、すぐ彼の名前が浮かんで来る程印象深い投手でした。公称178cm,83kgとなっていましたが、もう少し体重はありそうな感じに見え、その外見と投球からはスマートさは感じられませんでした。同チームの先輩、島田源太郎、佐々木吉郎同様、腰の捻りに鈍さを感じさせるスリークォーターから投じていましたが、球の重さこそ感じさせたものの、球速は決してある方とは言えず、又球の切れ味がいいとか、伸びがあるとも思えませんでした。同チームの後の抑え、佐々木主浩の全盛期の様な、攻略不可能の様な安定感はありませんでした。しかし結果的にあまり失敗した姿は見てませんし、現在の様な1イニング限定ではない当時の状況で、物凄く活躍し、チームに貢献した投手と言えるのでしょう。
通算成績 285試合 24勝27敗 6セーブ 防御率 3.07 391奪三振
通算成績 285試合 24勝27敗 6セーブ 防御率 3.07 391奪三振