ドラフト1位、物凄く騒がれて阪急ブレーブスに入団、入団の年、昭和50年から57年まで、8年間同チーム一筋に活躍した右腕投手です。しかし本当の意味で、活躍したと言えるのは、入団から僅か4年間といってもいいかも知れない投手でした。通算成績も50勝43敗、44セーブ、防御率3.18,奪三振600と、決して傑出したものではありませんでした。しかし、この投手が与えたインパクトは、並大抵のものではなく、物凄すぎるものでした。彼は彼自身が投じる桁外れのスピードのみで、強烈すぎる印象を人々に与えました。彼の入団時、所属のチーム、阪急ブレーブスは強いものの、決して人気のあるチームではありませんでした。その為か、球速に関しては、玄人筋には圧倒的な評価を受けてはいるものの、実際に観た事のある人は限られており、必ずしもその時点で、全国区の投手ではなかったかと思います。しかし彼は、野球ファンのみならず、多くの人が注目する日本シリーズで、信じられない程の球速を見せ、相手チーム広島カープの打者を圧倒してしまいました。特に第4戦、リリーフで登場し、延長戦に突入しても、広島カープのエース外木場義郎と投げ合った試合での球の速さは、未だに忘れる事は出来ない位凄まじいものでした。若い頃よりやや球速に陰りが見えていたとは言え、その年20勝の稀代の速球投手、外木場義郎の球速ですら、やけに遅く感じる程のスピードボールでした。