多分昭和34,35年の頃だったと思います。少年少女向きの本、世界偉人伝に、当時中日ドラゴンズの外野手、森徹選手のプロ野球選手として成功するまでの物語が紹介されていました。その時点で、粗さこそあるものの、豪快な本塁打でセリーグを代表する強打者として人気、知名度はかなりあった彼ですが、正直何故彼が世界偉人伝に名を連ねるのか、物凄く疑問に思ったものでした。更に、入団4年目の36年以降、本塁打争いに絡む事もなく、年々成績を落し、当時としては珍しいトレードを2度経験し、最後は追われる様に、球界を去って行った彼の引退時にも、何故あの本は彼を扱ったのか,再び妙に疑問に思ったものです。もう一つは昭和40年代、読売系の雑誌、TVでのみと思いますが、言われていた事があります。それは王貞治選手が、長年の熱心な練習、努力により100㎡走のタイムが11秒台になり、今や俊足選手の仲間入りをしたと紹介していました。しかしこの紹介は、間違いなく事実では有り得ないでしょう。その前にも後にも、数多く彼の走塁を見ましたが、どんなに贔屓目に見ても、あの走りで100m,11秒台の記録が残せるとは、全く思えないものでした。系列の新聞やTVが如何に宣伝しようとも、物事には矢張り限度がある様に思えたものでした。当の王貞治選手が、一番驚いたのではないかとさえ思ってしまうものでもありました。