totoroの小道

「挑戦することで、きっといいことがある」  http://www.geocities.jp/totoroguide/ 

ああ、いいお手紙だ!!

2008-10-10 06:27:22 | 2年 国語

内山先生の国語「お手紙」の中心授業がありました。一言で言えば、「すばらしい子ども達だ」の一言に尽きる授業でした。澄み切った空気、自分の考えにこだわりを持つ子供、先生に頼らず自分たちで進行する前向きさ、とぎれぬ集中....

めあては「なぜかえる君も悲しい気分になったのだろう?」です。

がま君が、悲しい気分なのは納得ができます。


板書にもあるように、
・お手紙をもらえないから。=郵便受けは空っぽ。
・お手紙を書いてくれる人がいないから。
です。

でも、どうしてかえる君まで悲しいのか?悲しいのはがま君なのに?

そこで子ども達からでた予想は
①がま君がお手紙をもらったことがないのがかわいそう。
②かなしんでいるがまくんを見ていて悲しくなった。
でした。

けれども、この2つの意見は、ほぼ同じです。ですから、内山先生がどう板書していいのか悩みます。
するとすかさず子ども達が助け船を出します。
「②はね、つられたってことでしょ、先生。」
「ぼくらも、つられて泣いちゃうこともあるもんね。」
そこで内山先生は②を
②かなしんでいるがまくんを見ていて、つられて悲しくなった。
と書き換えます。

指導案を作る際にも、内山先生はここを悩みました。対立していないから、話し合いの必然性が薄いのです。私も、「それは、問題に問題があるのでは?対立が生まれるような、問題を作れないかな?」と一緒に考えましたがなかなか良い問題が作れませんでした。

本当は
①がま君につられた。
②自分のせいでがま君をこんなに悲しませた。
という2つの対立を出したかったのです。しかし、この②は子どもからは出るわけがありません。
(実際に授業を実ながら思いましたが、先生が②を出して、「先生対みんな」という構図で子ども達のモチベーションを上げるのも一つの手かなと...)

次に、どこからその根拠が見つかるかを調べます。予め黒板には、「子ども達がおそらくこの中に答えがあるだろう。」と前時に予想した部分だけが切り取られて張ってあります。これをさらに切っていくのです。

がまくんの言葉を聞いて悲しくなったことは理解しています。そこでその言葉を3つに分けます。内山先生としては、①のだれも....に絞られることを予想しています。その予想通り、ほとんどの子が①の文を選びます。内山先生は、すぐにそれに飛びつきません。②の意見や、③の意見など少数意見を大事にし、彼等に語らせます。

そして、それって①を考えると、もっとよく分かりそうだね、と子ども達が納得したのを見て、いよいよ①の文に取りかかります。

「困ったときは切る」子ども達が先生をリードします。

だれも/ぼくに/お手紙なんか/くれた/ことが/ないんだ。

「用意はいいですか?せ~の~...」
先生が用意していないのに、どんどん授業が子どもの手で進んでいってしまいます。先生は、おっとっとっと....待ってよ。いいの?もう決をとって.....といった感じであわてます。まだ、決をとるのは早いと感じるのです。しかし「ちょっと待ってください。」「もうちょっと考えさせてください。」こんな言葉が出され、ブレーキをかけるのも子ども達自身です。子ども達の思考は、常に先生の一歩先を行っているのです。

内山先生としては、「だれも」がでるはずだろうと予想しています。そして、「だれも」から答えまでもっていくスモールステップも、頭の中にできあがっています。

しかし、子ども達が選んだのは、先生の予想以外の部分でした。先生の出したかった「だれも」はたった一人。「ないんだ」が2人。あとの全員が「お手紙なんか」です。

内山先生は、考え込んでいます。ここから、どうやって「だれも」に持っていこうと。

しかし、そんな先生を置いてきぼりにして、どんどん子ども達は話し合いを進めていきます。

なんかっていう言葉があるでしょ。がま君がとっても悲しんでいることが分かるよね。だからつられて、かえるくんも悲しくなったんだよね。
そうだよね。
ふつう、なんかなんて言わないよね。それぐらい、がま君は悲しかったんだよね。だからそれを見ていてかえる君まで悲しくなってしまったんだよね。

困りました。このままでは、内山先生がねらう「だれも」を調べて子ども達の既成概念を崩す事ができません。

そんな先生を尻目に、話し合いはどんどん勝手に深まります。

あのね、なんてをたとえて文を作るとね.....

こんな例文が、子ども達から自然と出されるのです。

内山先生は、それを板書していきます。
が......このとき、内山先生の中に、「国語の神様」が舞い降りてきていました。これで行ける!!と感じたのです。軌道修正と話し合いの出口が見えたのです。

子ども達の出した文は確かにすごい。しかし、これらの文には「主語」がない。主語を考えていくことで「だれも」の必要性に気づかせることができる。そう考えたのです。
つまり、「~なんか、ない。」という使い方は不十分なのです。これは「だれも、~なんか、ない。」という3つセットの構文になっているのです。

そこで、おやつを買ってくれない主語を考えます。

主語は「お母さ~ん」という意見が出されます。

「お母さんは、おやつなんか買ってくれたことがないんだ。」と読んでみます。
すると、お母さんは買ってくれないんだ。
でもさあ、あんまり困らないよね。
どうせ、お母さんは怒ってばっかりで買ってくれないもん。
そういうときは、優しいじいじ、ばあばが買ってくれるもんね。
でもさあ、じいじも、ばあばも、おかあさんも、おとうさんも買ってくれないと困るよね。
そうだよね。だれも買ってくれないんだもん...

おやつやおもちゃを買ってくれる、くれないは、子ども達にとって切実な問題です。

そこで、はたと考えます。

「じいじも、ばあばも、おかあさんも、おとうさんも買ってくれないと困る。」ってことは、みんなってことじゃない?
みんなってことは、だれ一人って事だよね。
「さ・い・あ・く!!」

はっとします。

ここで、さっきたった一人「だれも」を根拠にあげたAさんが登場します。

だから私は、かえる君が悲しい理由は「だれも」だと思うの。だって、だれ一人お手紙をあげないってことは、かえる君だってあげてないってことでしょ。もっと前にあげておけばよかったなって、悲しくなったんだと思うな。

は~っ
静寂と、ため息が漏れます。

その静けさを破って、私も、その意見と同じで~す。
ぼくもそうで~す。
私も意見を変えま~す。

そこで、本文に戻ってもう一度、そのことの検証が始まります。

だれもってことは、家族も、友達も、親戚も、近所の人も、学校の先生も...(年賀状来ないと悲しいもの..笑い.)知り合いも、だれもお手紙をくれたことがないんだ。

もっと、はやくぼくがあげればここまでがま君は落ち込まなかったのに。
なんで、今まで気づいてあげられなかったんだろう。
だれもには、かえるくんも入っているね。

ここで、先生は「悲しい」の意味を考えさせます。
①思い通りの結果にならなかったから悲しい。
②しまったという思いでかなしい。

もちろん、ここでは②。しまったと思ったのです。

が、子ども達は混乱します。
わからん??どっち??

子ども達にとっては、どっちでもいいのでしょう。答えが見えたのですから。

そんな1時間の流れでした。ああ、いいお手紙だ!!
にほんブログ村 教育ブログ 小学校教育へ 藍色と空色と緑のページへ 光明小学校のページへ


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
当意即妙の授業ー内山先生頑張ったね (Mrヒデ)
2008-10-10 16:04:31
 教師がどんなに素晴らしい教材解釈をしていても、それを前提に授業を展開するのはまずい。やっぱり、目の前にいる子どもの考えで授業を組み立てることが大切である。それは、子どもの主体性を大切にすることであり、教師の教え込みを防ぐことにもなる。
 子どもの考えを基に授業を組み立てるということは、大変なことである。いつでも当意即妙に授業展開を変えていかなければならないからである。
 せっかく教師が解釈したものでも一時的には捨てなければならない。そして、この「お手紙」の授業のように、子どもの考えを引き出し、いかに教師の解釈に関連づけるかを常に考えて授業を展開しなければならない。しかし、そのことを考えていると、教師以上の子どもの高い解釈が出てもそれに気づかない場合もある。ほんとうに難しいものである。
 でもこのような授業は、子供が確かにいるいい授業である。内山先生頑張ったね。私も授業を参観しているみたいです。 
返信する

コメントを投稿