とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

バットマン・ビギンズ

2005年06月19日 20時28分08秒 | 映画評論
どういうわけか、私はこのシリーズをあまり好きになれない。
原因はただ一つ。
暗いからだ。

もちろん撮影時の露出不足で画面が暗いという意味ではなく、ストーリーや絵作りが陰気で暗いという意味だが、今回も本当に暗かった。
しかし暗いから面白くない、ということはなく、それ相応に面白いのだが、なにかこう根本的に楽しめていない自分に気がついて愕然とする瞬間があるなど、ま、映画として少々力不足かなという感じがするのは否めなかった。

今回はバットマンの活躍だけが描かれているわけではない。
前半がブルース・ウェインがどうしてバットマンになっていくのかというプロセスが描かれており、実にオリエンタルな描写になっているのだ。
ここで渡辺謙が登場するわけだが、なにも渡辺謙でなくても良かったのに、と思える配役だったのが辛いところだ。
渡辺謙が意味不明の外国語をしゃべるところなど、なんとなく笑ってしまいそうになるし、剣劇シーンも「斬九郎の方がうまい」と感じてしまう。
渡辺謙ではなくてノリユキ・パット・モリタやマコでもよかったんじゃないかと、ふと思った。
この秘密道場があるのはチベットと思われる雰囲気の山の上だが、実際のところ国籍不明の寺院で展開されるトレーニングシーンは昔ロスのダウンタウンのネズミが走り回るようなボロ映画館で見た香港映画にそっくりだった。
あの「日本人が悪役」の香港映画(香港映画ではたいてい悪役は日本人だった)を真面目に映画化すればきっとこんなシーンが生まれるのだろう。

スーパーマンにしろスパイダーマンにしろコミック出身のヒーローは日本の観客が一番感情移入しにくいキャラクターといえるかも知れない。
というのも、コミックについてはアメリカやイギリスよりも日本の表現手法の方がずっと進んでいるわけだし、コミックのヒーローというものは、当たり前だが漫画的過ぎて現実感が出てこないのだ。
スパイダーマンはそういう欠点を明るいストーリーと主人公とヒロインのMJとの関係を一種の青春ものに仕上げているので、フィクションとして楽しむことができる。成功例の一つといえるだろう。
スーパーマンは20年前に映画化されたとき、その特撮とマーロン・ブランドの高額ギャラで人目を引いたが、映画そのものは「これは凄い!」とうなるほどのものではなかった。

今回のバットマン最新作もどちらかというと、これまでのバットマンシリーズと同じで、劇画っぽく、そして舞台になっているゴッサムシティーを「ブレードランナー」の街並みのように見せる努力をしているが、やはりどこかに力不足が垣間見える。
アクションシーンも迫力はあるが早くて暗くてよく見えないし、暗い雨降るゴッサムシティーはブレードランナーというよりも、東南アジアのスラム街、といった雰囲気でどうもよろしくない。

ともかく、料金相応の価値はあるだろう。
それにバットマンの好きな人には文句の付けにくい映画になっているんじゃないだろうか。
私にとっての収穫は、マイケル・ケインの執事役がやたらと様になっていたのが印象的だったことだ。

~バットマン・ビギンズ~ 2005年作 ワーナーブラザーズ