とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

歴史教育と戦争とビジネスと

2005年06月20日 23時17分31秒 | 社会
先日、傭兵上がりの日本人がイラクで武装組織の攻撃を受けて死亡したというニュースが注目を集めた。
日本人傭兵が現実に存在するということも驚きだったが、そういう傭兵くずれを雇い入れ紛争地域で警備員や戦闘要員を派遣する戦争ビジネスを請け負う民間会社があるということも大きな驚きだった。

実はこの戦争をビジネスにしているのは何も外国人に限った話ではないことに、私たち日本人も薄々感づいている。
もちろん日本人が直接戦闘に参加したり、武器三原則を破って兵器取引をしているということではない。
憲法九条の呪縛にからめ捕られている日本社会ではそんなことは不可能で、想像することもできないだろう。しかし、平和という中和剤を用いれば戦争も即ビジネスにつながっていくのだ。

東京にある著名な学校の生徒の発言が静かな物議をかましている。
その発言とは修学旅行で訪れた沖縄に関するものだった。
「沖縄戦の悲惨さを説明してもらいましたが、退屈で眠くなってしまいました。」
というものだ。
この発言は戦争に平和という解毒剤注入してビジネスに結びつけた結果生まれた結論かもしれず、さらに平和を一方的に叫び続けて中身のない教育を行ってきた結果かも知れないのだ。

沖縄県や広島、長崎県を訪れる修学旅行生は必ず、沖縄の地上戦や原爆被害が関係付けられた施設や史跡を訪れたり、戦争体験を体験者から直接に、あるいはまた聞きに聴講するプログラムが組み込まれている。
平和教育の一環として学校側も訪問地に選定する理由に事欠かない地域であるため、旅行会社もその点は抜かりはない。
学校という百名を超える団体を確保することは旅行業者にとって重要な大口ビジネスなのだ。
大勢の人数に要する宿泊施設、バスなどの移動手段、博物館の入館費、土産物や食費など。
一件あたり数百万円から数千万円の売り上げになるのだ。

今回の問題発言となった沖縄県は観光業がその県の経済を支える重要な産業だ。
リゾートを求めて訪れてくる観光客も少なくないが、太平洋戦争の激戦地を訪れるという目的でやって来る修学旅行生をはじめとする旅行者も少なくない。
言葉は悪いが、ひめゆりの塔や防空壕跡そして戦争体験談の公聴など、観光イベントには事欠かない。
これらを目玉商品に沖縄旅行を企画するのは「平和教育」という中和剤を利用した一種の戦争ビジネスといえるのではないかと思われるのだ。
実際「戦争反対」の表の顔に「戦争を題材に金もうけ」という裏の顔が存在する。
たとえば米軍基地問題がその一つだ。
「米軍に土地を貸して、国からがっぽりとお金貰っている人が大勢いるんですよね。そんな人、私たちみたいに働かなくてもいいんですよ。」
と、地元の人もはっきり言う。

戦後60年が経過して、いくら沖縄だ広島だといっても、それはすでに歴史の一部になっている。
両親が、ともすれば祖父母でさえ戦争を知らない世代の若者が戦争体験談を聞いたとしてもリアリティがなく「退屈で眠く」なっても不思議ではない。
世界は政治経済で動いている。
平和の理想ばかり話しても、なんら現実感も緊張感も生まないのだ。
イラクを伝える政治経済問題のように、第二次大戦も当時の政治経済問題を伝えなければ、いくら体験談を話しても、落語や講壇と一緒でリアリティがなく、眠くなるのは当然なのだ。

(東京の有名校の事件はカウンセラーさんに教えていただきました)

バットマン・ビギンズ

2005年06月19日 20時28分08秒 | 映画評論
どういうわけか、私はこのシリーズをあまり好きになれない。
原因はただ一つ。
暗いからだ。

もちろん撮影時の露出不足で画面が暗いという意味ではなく、ストーリーや絵作りが陰気で暗いという意味だが、今回も本当に暗かった。
しかし暗いから面白くない、ということはなく、それ相応に面白いのだが、なにかこう根本的に楽しめていない自分に気がついて愕然とする瞬間があるなど、ま、映画として少々力不足かなという感じがするのは否めなかった。

今回はバットマンの活躍だけが描かれているわけではない。
前半がブルース・ウェインがどうしてバットマンになっていくのかというプロセスが描かれており、実にオリエンタルな描写になっているのだ。
ここで渡辺謙が登場するわけだが、なにも渡辺謙でなくても良かったのに、と思える配役だったのが辛いところだ。
渡辺謙が意味不明の外国語をしゃべるところなど、なんとなく笑ってしまいそうになるし、剣劇シーンも「斬九郎の方がうまい」と感じてしまう。
渡辺謙ではなくてノリユキ・パット・モリタやマコでもよかったんじゃないかと、ふと思った。
この秘密道場があるのはチベットと思われる雰囲気の山の上だが、実際のところ国籍不明の寺院で展開されるトレーニングシーンは昔ロスのダウンタウンのネズミが走り回るようなボロ映画館で見た香港映画にそっくりだった。
あの「日本人が悪役」の香港映画(香港映画ではたいてい悪役は日本人だった)を真面目に映画化すればきっとこんなシーンが生まれるのだろう。

スーパーマンにしろスパイダーマンにしろコミック出身のヒーローは日本の観客が一番感情移入しにくいキャラクターといえるかも知れない。
というのも、コミックについてはアメリカやイギリスよりも日本の表現手法の方がずっと進んでいるわけだし、コミックのヒーローというものは、当たり前だが漫画的過ぎて現実感が出てこないのだ。
スパイダーマンはそういう欠点を明るいストーリーと主人公とヒロインのMJとの関係を一種の青春ものに仕上げているので、フィクションとして楽しむことができる。成功例の一つといえるだろう。
スーパーマンは20年前に映画化されたとき、その特撮とマーロン・ブランドの高額ギャラで人目を引いたが、映画そのものは「これは凄い!」とうなるほどのものではなかった。

今回のバットマン最新作もどちらかというと、これまでのバットマンシリーズと同じで、劇画っぽく、そして舞台になっているゴッサムシティーを「ブレードランナー」の街並みのように見せる努力をしているが、やはりどこかに力不足が垣間見える。
アクションシーンも迫力はあるが早くて暗くてよく見えないし、暗い雨降るゴッサムシティーはブレードランナーというよりも、東南アジアのスラム街、といった雰囲気でどうもよろしくない。

ともかく、料金相応の価値はあるだろう。
それにバットマンの好きな人には文句の付けにくい映画になっているんじゃないだろうか。
私にとっての収穫は、マイケル・ケインの執事役がやたらと様になっていたのが印象的だったことだ。

~バットマン・ビギンズ~ 2005年作 ワーナーブラザーズ

ゆいレール

2005年06月18日 22時05分05秒 | 旅(海外・国内)
国内で唯一鉄道のなかった沖縄県にモノレールが開通して二年が経過した。
そのモノレールの愛称は「ゆいレール」。
ゆいというのは沖縄の方言の「ゆいまーる」から取られたとか。
ゆいまーるの意味は助け合い。
つまり戦後初めての沖縄の鉄道「ゆいレール」は県民が助け合ってできたという意味らしい。

今週、このゆいレールに乗ってきた。
乗車区間は国際通りの東端「牧志駅」から「那覇空港駅」。時間にして十五分ほどの乗車時間だった。

このゆいレールは那覇空港から首里城のある首里までを約40分で結んでいる。
運行経路が那覇市内をS型に走っているので、タクシーやバス、レンタカーの経路から見るとずいぶんと遠回りしているように感じられる。
しかし、東京、大阪と同じように混雑する沖縄市内の交通状況を考えると、このモノレールはかなり便利な交通手段なのだ。

ちょうど私が那覇に行ったとき、このゆいレールの2年目の決算が発表されていた。
結果は予想を上回る利用者で、苦しいながらも黒字を計上したということだ。
他の四島に比べて経済的に苦しい沖縄県だけに、なぜかこのニュースを新聞で読んでホットしたのは私ばかりではないだろう。

いつものように国際通りでちょっとだけ土産物を買って、大阪へ帰る飛行機に乗るために那覇空港に向かおうと思った。
いつもならタクシーを拾って「那覇空港まで」とお願いするところだが、どうしてもモノレールに乗りたくて、ちょっと面倒だけど、土産物屋で教えてもらいモノレールの駅へ歩いて向かった。
地上からはエスカレータで切符売り場のあるコンコースへ。
牧志駅には切符の自販機が2台しかないが最新式。
ボタンのところに目的地の駅名が貼ってあり、分かりやすい。
改札口は自動改札で、係員の若い女性駅員はちょっと美人で制服の青い「かりゆしウェア」を着ていた。
アロハシャツに似たかりゆしウェアは沖縄ならではフォーマルウェア。
沖縄の香りがなんだか嬉しい。
コンコースからエスカレータでさらに上がるとプラットホーム。
島型ホームのプラットホームで首里、空港双方の方面への乗り口には列車に連動して開くゲートがついていた。
プラットホームは地上からかなり高く、見晴らしが良い。
亜熱帯の空気といい、その視線の高さといい、雰囲気がどことなくバンコクのBTSにそっくりだった。
やがてホームに入ってきた2両編成の列車に乗ると、乗客の多さにまたまたびっくり。
ラッシュアワーでもないのに混んでいるのだ。
乗客層は観光客の姿も多いが、地元の人も実に多い。
経営状況が黒字だという報道に合点がいった。
走り始めると車内アナウンスともに、沖縄音楽のオルゴールが流れた。
この沖縄音楽は、駅間ごとに異なって、とても雰囲気がいい。CDにすればきっとJR山手線の駅音楽より売れること間違いなし。

東京モノレールや大阪モノレールに比べると、規模や車両の多きさに雲泥の差があるのは否めないが、乗客サービス、雰囲気作り、そして高い位置の車窓から眺める景色は2者に負けない一級品だった。

惚け老人列伝

2005年06月17日 21時34分12秒 | 社会
小泉首相の靖国参拝に注目が集まっている。
「中韓の感情を考えて、A級戦犯が合祀されている靖国神社へ総理が参拝するのは相応しくない」
という理解しがたい主張を一部の政治家や左巻きのマスコミたちが声高に叫んでいて、とてもよく目立っている。
こういう輩には、中韓という外国人の感情は理解できても日本という自国の国民の感情を理解する能力には乏しいようだ。
この「総理が靖国に参拝するのは止めたが良い」などと言っている反日政治家になぜか中曽根康弘元総理が仲間入りをした。
もしかして、惚けたか?
この人、総理在任中はちゃんと靖国参拝を実行し、おまけに「日本は不沈空母」発言までかましたお人。今なら反日デモではすまない発言や行動をビュンビュン飛ばした超保守的総理大臣だった。
今回の発言は、もしかして靖国神社と孔子廟の区別がつかなくなってきている兆しなのかもしれない。

薬害エイズの元凶だった帝京大学の故阿部英副学長が政治評論家の櫻井よしこ氏を相手どって裁判を起こしていた。
「週刊誌や自著のなかで、自分の名誉を傷つけられる内容を書かれた。」
と、ご自身の顔に傷がついたことに怒り心頭してでの行動だった。
一審の判決を下した裁判官は一般教養を持ち合わせていなかったのか「原告勝訴」を宣言したが、一昨日の二審では普通の判事が「原告敗訴」の宣言を下した。
「記事には信憑性があり、著しく名誉を損なったとは言い難い。」
という至極もっともな判決がくだされたのだ。
自分の名誉のためなら、エイズに感染している血液製剤も平気で流通させた阿部教授の根性を、この名誉棄損裁判は見事にシンボライズしていると言えるだろう。
だいたい普通の感覚があれば、罪を犯してそれを報道されたのだから反省こそするべきで、教授のとった態度は地位あるものの成り上がり根性にほかならない。
それともこれも惚けた老人の成せる技か?

惚け老人と言えば忘れてならない人がいる。
渡辺恒雄、読売新聞社社長その人だ。
この人は先述の惚け惚け老人中曽根さんとお友達で、お互いに好き勝手なコメントを発表しては顰蹙を買っている。
7ヶ月前、プロ野球選手志願者への不正贈与が発覚し、その責任をとる形で読売ジャイアンツの社長を退任した。
ところが先週「巨人の成績が不振なのを建て直さねばならん」とばかりに会長職で球団に返り咲いた。
ジャイアンツのチーム内はもちろんのこと、当のジャイアンツファンを含めた全てのプロ野球ファンが「あんたは要らん!」と言っているのに、そんな声には馬耳東風。
プロ野球が人気商売であることをまったく理解していない惚け老人。
惚けているから、他人の言っていることが理解できないのかも知れない。

日本列島惚け老人。
本当の高齢化社会の恐ろしさは、老人の人口が増えることではなく、以上のお三人様のような「惚け老人」が増えることなのかも知れない。

付録・・・私が勝手に選んだ「迷惑な惚け老人」に進化しそうな有名人リスト
河野洋平
田中真紀子
岡田克也
菅直人
みのもんた
桂三枝
西川きよし
島田紳助
崔洋一
山田洋次
野村克也
筑紫哲也
田原総一朗
福島瑞穂
田島陽子

などなど

旅はゲストルーム

2005年06月16日 21時58分55秒 | 書評
旅行をするときのホテル選びの基準はいったいなんだろう。
私の場合は、まず価格。
お金さえだせば、金額に応じたそれ相応のクラスの宿屋を選べることぐらい誰にだってわかる。
しかし「限られた予算」で「良い宿」に泊まることこそ、旅のテクニック。醍醐味というものだろう。

ちょくちょく東京に出張するが、首都圏のホテルは高いばかりで、部屋が狭くくつろげない。
以前宿泊した水道橋駅近くのホテルなんか、1泊8000円近くもとりながら、朝食はないし、ドアを開けるとすぐベット、というよな狭い部屋で、風呂はお湯を溜めて浸かることがほとんど不能なユニットバスの最悪のビジネスホテルだった。
また浅草雷門近くのビジネスホテルは宿泊料金6000円代ながら窓がなかった。
いや厳密には窓はあったがカーテンを開けると窓の向こうは廊下で、フロアを行き来するひとから丸見えだった。

同じ首都でもタイのバンコクは宿が安い。
1泊3000円も出せば中級ホテルの良い部屋へ宿泊することができる。
私の定宿はスカイトレインという高架鉄道の駅にも近く、ロビンソン百貨店やスーパー、ファーストフード、屋台街もあって非常に便利。しかも宿専用のプールやジムもあって楽しめる。
部屋は広くてたいていツインをシングル使い。窓も広くてカーテンを開けると、向かいに地元の人たちのアパートメントの景色が広がる。
これが1泊たったの2000円ちょっと。しかも朝食付きなのだ。
経済感覚の違いといってしまえばそれまでだけど、ホテルという尺度では東京とバンコク。どちらの首都が住みやすいのか一目瞭然という気がしてならない。

「旅はゲストルーム」は日建設計出身で東京芸大の講師である建築家浦一也氏が描いた世界各国のホテル目録と言ってもいいような楽しい変種の旅本だ。
著者は若いころから宿泊したホテルの部屋を実測することを繰り返してきた。それは建築家としての趣味であったのかも分からない。また自身の建築家としてのレベル向上のための訓練だったのかも知れない。
しかし、ハネムーンの時まで、自分の花嫁にスケールの片側を持たせて初夜のホテルを実測したなど、プロとして凄いということを通り越して滑稽ですらあるのだ。
その記録はホテル備え付けの便箋に50分の1の尺度で書き入れて、水彩絵の具で着色する。
本書は、この実測した「作品」と、そのホテルについての解説やエピソードをエッセイ風に書き著したものをまとめたものだ。
カラーで描かれているホテルの部屋の間取りは美しく興味深い。しかも、一般の旅行本と違って、それぞれの部分に詳細な寸法が入っていて、建築家である著者らしい。専門家や、インテリア・建築を学ぶ若い人たちにも楽しみながら勉強ができる書物に仕上がっているのだ。
似たような書籍にイラストレーター妹尾河童氏の「カッパが見た」シリーズがあるが、あちらはデザイナーが見た視線から部屋の詳細が捉えられているとすると、こちらは明らかにプロの建築家の視線から見つめられているもののだ。

私の知っているホテルもいくつか取り上げられているものの、どちらかというと1泊100ドル以上はするような宿ばかりなので、今のところ想像を膨らまして読むしかないところが、辛いところだ。
それはともかく、本書を読むと、巻き尺を持って、宿泊しいる部屋を測ってみようかな、という変な気持ちにさせてくれるのが面白い。見て、そして読んで楽しい一冊だった。

~旅はゲストルーム 測って描いたホテルの部屋たち~ 浦一也著(光文社 知恵の森文庫)

カプリコン1

2005年06月15日 21時23分08秒 | 映画評論
1978年はSFブームの一年だった。
前年にアメリカで公開されたスターウォーズが大ヒット。日本での公開が一年遅れとなったので、その映画の噂が、さらに大きな噂を呼んで期待はどんどん膨らんだ。
この「スターウォーズとはいったいなんなんや?」というワクワク感の中、一級作品から三級作品まで次々とSF映画が公開された。
まず正月明けには「未知との遭遇」。
若き精鋭(当時)スピルバーグ監督の最新作でスターウォーズ公開前の最大の注目作。前作ジョーズの興行収入を塗り替えるのかと話題になった。
そして「ドクターモローの島」。
古いSF映画のリメイクだったが、地味な演出がなかなか渋く仕上がっていて、猿の惑星以来の特殊メイクが話題を呼んだ。
一方バカバカしい映画が「フレッシュゴードン」。
「フラッシュゴードン」ではなくて「フレッシュゴードン」。間違っていけない。
この映画、著名なスペースオペラ「フラッシュゴードン」のパロディで、実際の内容は米ポルノ映画。
編集、ぼかし、画面の切り貼りなどのテクニックを使い、今となっては信じられないことだが一般映画として公開された。なんせこの映画、主人公の宇宙船がチ○ポコの形をしていたくらい。なんで映倫の審査を通過したのか今もって理解できないでいる。

さて、これら様々なSF作品の中で、異彩を放っていた映画がある。
「カプリコン・1(ワン)」
報道カメラマン出身のピーター・ハイアムズ監督の最高傑作だ。
実は映画「月のひつじ」を観賞していて、ふと思い出したのが、この「カプリコン・1」だった。

ストーリーはSFというよりも超上質のサスペンス・アクション。特撮シーンもほとんどない。
時代設定は不明。おそらく現代。
人類初の火星への有人飛行の打ち上げシーンから物語が始まる。
ジェリー・ゴールドスミス作曲のテーマ曲が流れ、オープニングタイトルが終了するとNASAケープカナベラルに据えられた巨大なロケット(アポロと同じサターン5型)のシルエットが映しだされる。
宇宙船に乗り込む3人の飛行士。
彼らは火星へ降り立つ初めての人類になるのだ。
しかし、打ち上げ直前、スーツを着て現れた政府の役人が飛行士を宇宙船「カプリコン・1」から強制的に下船させる。
納得いかない船長たちに彼は説明するのだ。
「生命維持装置に設計のミスがあり、君たちは火星に生きたままたどり着けないことが判明した。しかし、政府の立場、大統領選挙が控えた中で、計画を失敗させるわけにいかないのだ。」
かくて、飛行士たちは基地から遠く離れた廃虚となった無人の空軍基地跡に設置されたスタジオで火星着陸を演技し、その映像が全世界に中継された。そして訓練の時にあらかじめ録音された音声だけが、遥か宇宙から届けられるのだ。
そして政府ぐるみのこの壮大な芝居が破綻するところから物語は急転する。

当時、東宝東和50周年記念作品とかなんとか言われ大々的に宣伝されたが、ヒットしなかった隠れた名作である。ほんとのところ「未知との遭遇」「スターウォーズ」よりもこの映画の方が優れていた。
見終わった後、あのアポロ計画は「政府ぐるみの嘘だったんじゃないか」と思えるリアルさが怖い。
1978年公開のSF映画ナンバーワンが「カプリコン1」だ。

~カプリコン1~ 東宝東和配給 1977年作イギリス映画 DVDは近日発売

月のひつじ

2005年06月14日 06時31分11秒 | 映画評論
開催中の愛・地球博の展示の目玉はシベリアから運び込んだ冷凍マンモス。
「ん~~~、微妙ですね。」
というのが、見てきた人の感想だ。
「ドテチンやガイコツなんかを併せて展示しておけば、それはそれで面白いと思うんですが」
ということで、実物のマンモスも、リアルなCG映像を見慣れた現代人にとって、ちっともインパクトを受ける対象ではないようだ。

一方35年前、大阪で開催された日本万国博覧会の目玉展示はアメリカ館の月の石だった。
この月の石を見るために、人々は何時間も並ばなければならなかった。そしてやっとのことでガラスケースの中の月の石を見て「ほー、あれが月の石かいな。」と宇宙の彼方に思いを馳せたのだった。
残念ながら行列に並ぶことが大嫌いだった私の両親はアメリカ館は敬遠し、小さなパビリオンばかり回ったものだった。だから月の石を見たくて仕方がなかった私の幼い夢が叶えられることはなかった。

この月の石は万博の前年、人類初の月面着陸を成功させたアポロ11号の乗組員たちが持ち帰ったものだった。

1969年7月20日。この日、私の家の周囲から人通りが途絶えた。と、後に聞いた。
ともかく私の家の周辺だけでなく、世界中テレビのあるところは、その前以外から人の姿は消えたに違いない。
それだけアポロ11号が月面に着陸し、二人の宇宙飛行士が月面に降り立つ瞬間の生中継は全世界の人々を魅了する人類史上最大のイベントだった。

映画「月のひつじ」はこのアポロ11号からのテレビ中継にまつわる実話をもとにしたハートフルなドラマだ。
舞台は電波を受けたパラボラアンテナのあるオーストラリア・ニューサウスウェールズの片田舎。
中継に携わるパラボラアンテナ基地の科学者や職員はもとより、パラボラアンテナを誘致した地元の市長、おしゃべりな市長の夫人、社会主義にかぶれた反体制を叫ぶ市長の娘、アポロの打ち上げから月面着陸までキラキラとした眼で見つめる市長の幼い息子、NASAの職員、基地の若い職員を秘かに愛している内気な女の子、などなど。
アポロのテレビ中継という大役を引き受けることになった田舎町の素朴な人々が織りなす人間模様が実に魅力的なのだ。

この映画を見ていると1969年という時代がアメリカだけにではなく、多くの国々にとって、黄金のごとく煌めいていた時代だったということを思わずにいられなくなってしまうものがある。
それはアポロの偉業だけではない。
今日のように人間関係がギクシャクした世界ではなく、先端科学も、古いコミュニティも両方が共存して生き生きとしている姿が見るものを何かしら安心させ、同時に現在から眺めると、とても原始的な先端技術がとても夢のあるものに見えてきてしまうのだ。

「月のひつじ」という妙なタイトルがついているが、原題は「THE DISH」。
あの日、あの時、世界の人々を熱中させた白黒のテレビ中継の裏方を、素朴な人々が支えるお皿のような大きなパラボラアンテナが務めていたことを知ったとき、言い知れぬ感動が思わず胸を突き抜けるのだ。

~月のひつじ~2002年日本ヘラルド映画配給 オーストラリア映画 DVD発売中

危険な入国ビザ免除

2005年06月13日 21時39分33秒 | 国際問題
旅行の話になると、私はよく「日本のパスポートは魔法のパスポート。これを持っていると北朝鮮以外はどこでも行ける」と自慢する。
なにも自慢しなくても良いようなことだが、アジア人にとって日本人のパスポートは文字通り魔法のパスポートなのだ。
日本国籍の人なら、特別な場合を除きこのパスポートを持っているだけでビザも取らずに入国できる国がわんさとある。(観光目的に限る)
日本の周囲を見渡すだけで「台湾」「韓国」「ベトナム」「タイ」「マレーシア」「シンガポール」そして「アメリカ合衆国」へのビザ無し入国が可能だ。
日本人はすっかり忘れてしまっているが、もともと西側(?)列強の一国だったので、ヨーロッパの国々も多くはビザが不要だし、ビザの必要な国も職業がジャーナリストでない限り、簡単にビザを発行してもらって入国することができてしまう。

他のアジアの国の人には気の毒だが、彼らは日本人と同じように自由にいつでもどこでもというわけには行かないのだ。
たとえば日本とはとても良好な関係を持つタイ王国でも、タイ人の日本入国は難しい。
企業からのインビテーションや留学証明書があってもなかなか入国ビザが認められないのだ。
ビザを認めてもらうためには保証人やら、年収証明書やら実にわけのわからない多くの書類が必要になる。
「まさか出稼ぎに来るのではあるまいな」
と勘繰りされて、領事館では嫌がらせの一つや二つ当たり前のように受けてしまう。
だから、彼らに容姿のよく似た日本人のパスポートは憧れで、それがために盗難、複製、偽物が市場に出回るということになるのだ。
それが良いことか悪いことかは議論があるが、ともかく他国からの入国者に対してはグローバリゼーションの発展した現代でも、神経質に対応している証拠だろう。

ところで、日本政府は愛知万博開催にともなって中国、台湾、韓国の国民にノービザ入国を許可した。
「観光に来て貰わなければならないから、入国手続きを簡素化すべし」
というのが趣旨らしい。
当該省庁の外務省には左巻きの多い大学卒業者が多いから、
「過去の歴史に鑑み、迷惑をかけたこれら国民に自由に出入りする権利を与える」
という卑屈な態度から生まれた政策かも知れないが、証拠がないので黙っていよう。
ただ、台湾はともかく中国と韓国にノービザで自由に入出国させるのはいかがなものかと考える。
「台湾人にノービザを認めて同じ中国人である我々を差別するのは許せない」と中国は言ったらしいが、この考え方からして間違えている。台湾人は日本人には歴史的に兄弟だけど、中国、あんたは赤の他人だ。
第一国民の生命と財産を守るためなら中国、韓国という二つの国民を自由に我が国に出入りさせるのは、誰が見ても無茶なのだ。しかし、政府はこのノービザ入国を愛知万博終了後も継続すると発表した。

外国人による犯罪が急増しているのは周知のこと。年間2万件以上の外国人による犯罪が発生している。
そのうちの約半分が中国人によるもので、1割が韓国人によるものだ。
こんな危ない人たちの多い国の人を、どうしてビザ無し入国させなかればならないのか理解できない。

「人殺し」「強盗」「強姦」「人身売買」「窃盗」といった「裏就労目的」で入国してくる中国人、韓国人のエセ観光客が年間1万人以上もいるのである。
ビザ無し入国を認め続けたら、いったい日本の治安はどうなるのか。
子供でもわかりそうなことを政府のお偉いさんはわからないのだ。

レンタル楽器

2005年06月12日 20時16分35秒 | 音楽・演劇・演芸
私の会社の近くに、音楽スクールの大手「ヤマハ音楽教室」がある。
ここは他のスクールよりもちょっと大きめで、いくつもの教科が用意されているらしく、夕方になると上層階にある教室へ通うエレベータホールでオッサン、オバハン、もとい老若男女をよく見かけるのだ。
ここの教室はヤマハ音楽教室の看板の文字の前に「大人の」とついていて、通常の子供向けのピアノ教室とは一線を画している。

ここの玄関に用意されているパンフレットを眺めるとピアノからサクスフォン、フルート、ドラムス、ボーカルなどさまざまなカリキュラムが用意されている。
私も含めて誰もが小学校の時に得意だったカスタネットやタンバリンといった叩けば音のなるような単純な楽器のクラスはない。
つまり「ちょっと演奏することができると、周囲にささやかな自慢のできる」カリキュラムが準備されているというわけだ。
ボーカルは楽器じゃないじゃないか。
と言うなかれ。
きっちりとしたボイストレーニングを受けた人の歌は、スナックへ通い詰めてカラオケをがなっている人の歌とはまったく違い、ビックリするような迫力があるものだ。

ヤマハや河合、ローランドといった楽器メーカーが音楽教室を開いている大きな目的は、音楽の普及と教育だという。
日本の近代的な楽器産業は明治時代に創業したヤマハが始まりで、オルガンを全国の尋常小学校に納品したのが量産楽器のきっかけだった。
後にヤマハの技術者であった河合小市が独立して河合楽器を創立。
高度成長期終了期に大阪で電子楽器のベンチャー企業ローランドが創業した。
こうして日本の楽器産業は質、量ともに国内のみならず世界を席捲していくのだが、そのなかで音楽教室は大量に生産される楽器を演奏できる市民を育て、楽器を拡販していくことが目的で創業された。
だから建前として「音楽教育の向上」があり、その背後に「楽器の拡販」があったわけだ。

大人の音楽教室が流行りはじめたのは、一頃の楽器普及時期が終了したのと同時に、人々の生活習慣に変化が生じてきたためで、「なにも子供だけがピアノを習う必要はないじゃないか」というような、学生の頃ギターやキーボードを片手にフォークやニューミュージック、ロックのコピーバンドなんかをやっていたお父さんお母さん世代が俄に演奏に目覚めはじめたのが真相らしい。

しかし、サラリーマン世代の団塊後世代は金があるようで持っていない。それに楽器をマスターするのは英会話をマスターするよりも容易ではない。
そこでレンタル楽器の登場となる。
今巷では、レンタル楽器が流行っているのだという。
私は神経質なので、レンタルの管楽器など使いたくないが、ともかく好評なのだという。
これは楽器を買ったら高額なので、途中で挫折すると一昔前の家庭のパソコンのような無用の長物になってしまう恐れがある。
その点レンタルならば、その危険性を回避できる。挫折したら返却したら済むことなのだ。

楽器メーカーはレンタル楽器をきっと試乗用の自動車のような扱いと考えているのだろう。
いったんそこそこ楽器を扱えるようになれば、ローンを組んででもワンランク上の楽器が欲しくなるというユーザー心理を知っているベテランメーカーの健かさを、このレンタルビジネスに感じるのだ。

てるてる坊主

2005年06月11日 21時27分54秒 | 社会
最近、とんと見かけなくなった子供向けのおまじないの風習に「てるてる坊主」がある。
私は小学校低学年の頃、遠足の前日になるとよく母にてるてる坊主を作ってもらった。
母はちり紙を丸めててるてる坊主の頭の詰め物にして、それをもう一枚のちり紙で包み込み首の部分を糸で縛って軒先に吊るしてくれた。
顔はマジックで書き込み、必ず笑顔だったと思う。

今の子供にてるてる坊主などといっても分からないかも知れない。
知っていても「それって一休さんのお母さんのこと?」などと勘違いしているかもわからず、ここのところ再放送もされなくなってきているテレビの一休さんを知らない子供に到っては「首つり人形」などと不吉なことを言うかも知れない。

てるてる坊主の起源とはいったいなんだろうかと、調べてみたが一向に分からない。
インターネットで検索してみても、てるてる坊主の歌や、てるてる坊主をサイト名にしているいくつかのブログやホームページが見つかるだけだ。

てるてる坊主は雨の日を嫌って晴れの日を望む風習なので、ちょっと変わっているといえるだろう。
日本には雨を神様に祈願する雨乞い祭りは各地に存在する。とりわけ年間の降雨量が少なく、河川や天然の湖沼などの自然資源の少ない地方には「干ばつ」は大きな問題である。
降雨量はそのまま農作物の収穫に影響してくるところから、農耕国家たる我が国は「雨が降るのは自然の恵み」と考えていたふしがある。

てるてる坊主はその「雨乞い」の風習とは対照的な習慣だ。
なんせ雨が降らないことを願うお呪いなどきっと農耕国家ではあまりないのではないかと、とも思われてならない。
ただこのてるてる坊主というものは子供のお呪いという意味が強いので、雨乞いの祭りや儀式ほど深刻なものではないのかも知れない。

梅雨が始まると、時々てるてる坊主を思い出す。
仕事が天候に左右されるときは大人になった今でさえも「てるてる坊主」にすがりたくなる気持ちになる時がある。

てるてる坊主。
いったい誰が、いつから始めたのか興味が尽きないのだ。