とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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歴史教育と戦争とビジネスと

2005年06月20日 23時17分31秒 | 社会
先日、傭兵上がりの日本人がイラクで武装組織の攻撃を受けて死亡したというニュースが注目を集めた。
日本人傭兵が現実に存在するということも驚きだったが、そういう傭兵くずれを雇い入れ紛争地域で警備員や戦闘要員を派遣する戦争ビジネスを請け負う民間会社があるということも大きな驚きだった。

実はこの戦争をビジネスにしているのは何も外国人に限った話ではないことに、私たち日本人も薄々感づいている。
もちろん日本人が直接戦闘に参加したり、武器三原則を破って兵器取引をしているということではない。
憲法九条の呪縛にからめ捕られている日本社会ではそんなことは不可能で、想像することもできないだろう。しかし、平和という中和剤を用いれば戦争も即ビジネスにつながっていくのだ。

東京にある著名な学校の生徒の発言が静かな物議をかましている。
その発言とは修学旅行で訪れた沖縄に関するものだった。
「沖縄戦の悲惨さを説明してもらいましたが、退屈で眠くなってしまいました。」
というものだ。
この発言は戦争に平和という解毒剤注入してビジネスに結びつけた結果生まれた結論かもしれず、さらに平和を一方的に叫び続けて中身のない教育を行ってきた結果かも知れないのだ。

沖縄県や広島、長崎県を訪れる修学旅行生は必ず、沖縄の地上戦や原爆被害が関係付けられた施設や史跡を訪れたり、戦争体験を体験者から直接に、あるいはまた聞きに聴講するプログラムが組み込まれている。
平和教育の一環として学校側も訪問地に選定する理由に事欠かない地域であるため、旅行会社もその点は抜かりはない。
学校という百名を超える団体を確保することは旅行業者にとって重要な大口ビジネスなのだ。
大勢の人数に要する宿泊施設、バスなどの移動手段、博物館の入館費、土産物や食費など。
一件あたり数百万円から数千万円の売り上げになるのだ。

今回の問題発言となった沖縄県は観光業がその県の経済を支える重要な産業だ。
リゾートを求めて訪れてくる観光客も少なくないが、太平洋戦争の激戦地を訪れるという目的でやって来る修学旅行生をはじめとする旅行者も少なくない。
言葉は悪いが、ひめゆりの塔や防空壕跡そして戦争体験談の公聴など、観光イベントには事欠かない。
これらを目玉商品に沖縄旅行を企画するのは「平和教育」という中和剤を利用した一種の戦争ビジネスといえるのではないかと思われるのだ。
実際「戦争反対」の表の顔に「戦争を題材に金もうけ」という裏の顔が存在する。
たとえば米軍基地問題がその一つだ。
「米軍に土地を貸して、国からがっぽりとお金貰っている人が大勢いるんですよね。そんな人、私たちみたいに働かなくてもいいんですよ。」
と、地元の人もはっきり言う。

戦後60年が経過して、いくら沖縄だ広島だといっても、それはすでに歴史の一部になっている。
両親が、ともすれば祖父母でさえ戦争を知らない世代の若者が戦争体験談を聞いたとしてもリアリティがなく「退屈で眠く」なっても不思議ではない。
世界は政治経済で動いている。
平和の理想ばかり話しても、なんら現実感も緊張感も生まないのだ。
イラクを伝える政治経済問題のように、第二次大戦も当時の政治経済問題を伝えなければ、いくら体験談を話しても、落語や講壇と一緒でリアリティがなく、眠くなるのは当然なのだ。

(東京の有名校の事件はカウンセラーさんに教えていただきました)