最近、とんと見かけなくなった子供向けのおまじないの風習に「てるてる坊主」がある。
私は小学校低学年の頃、遠足の前日になるとよく母にてるてる坊主を作ってもらった。
母はちり紙を丸めててるてる坊主の頭の詰め物にして、それをもう一枚のちり紙で包み込み首の部分を糸で縛って軒先に吊るしてくれた。
顔はマジックで書き込み、必ず笑顔だったと思う。
今の子供にてるてる坊主などといっても分からないかも知れない。
知っていても「それって一休さんのお母さんのこと?」などと勘違いしているかもわからず、ここのところ再放送もされなくなってきているテレビの一休さんを知らない子供に到っては「首つり人形」などと不吉なことを言うかも知れない。
てるてる坊主の起源とはいったいなんだろうかと、調べてみたが一向に分からない。
インターネットで検索してみても、てるてる坊主の歌や、てるてる坊主をサイト名にしているいくつかのブログやホームページが見つかるだけだ。
てるてる坊主は雨の日を嫌って晴れの日を望む風習なので、ちょっと変わっているといえるだろう。
日本には雨を神様に祈願する雨乞い祭りは各地に存在する。とりわけ年間の降雨量が少なく、河川や天然の湖沼などの自然資源の少ない地方には「干ばつ」は大きな問題である。
降雨量はそのまま農作物の収穫に影響してくるところから、農耕国家たる我が国は「雨が降るのは自然の恵み」と考えていたふしがある。
てるてる坊主はその「雨乞い」の風習とは対照的な習慣だ。
なんせ雨が降らないことを願うお呪いなどきっと農耕国家ではあまりないのではないかと、とも思われてならない。
ただこのてるてる坊主というものは子供のお呪いという意味が強いので、雨乞いの祭りや儀式ほど深刻なものではないのかも知れない。
梅雨が始まると、時々てるてる坊主を思い出す。
仕事が天候に左右されるときは大人になった今でさえも「てるてる坊主」にすがりたくなる気持ちになる時がある。
てるてる坊主。
いったい誰が、いつから始めたのか興味が尽きないのだ。
私は小学校低学年の頃、遠足の前日になるとよく母にてるてる坊主を作ってもらった。
母はちり紙を丸めててるてる坊主の頭の詰め物にして、それをもう一枚のちり紙で包み込み首の部分を糸で縛って軒先に吊るしてくれた。
顔はマジックで書き込み、必ず笑顔だったと思う。
今の子供にてるてる坊主などといっても分からないかも知れない。
知っていても「それって一休さんのお母さんのこと?」などと勘違いしているかもわからず、ここのところ再放送もされなくなってきているテレビの一休さんを知らない子供に到っては「首つり人形」などと不吉なことを言うかも知れない。
てるてる坊主の起源とはいったいなんだろうかと、調べてみたが一向に分からない。
インターネットで検索してみても、てるてる坊主の歌や、てるてる坊主をサイト名にしているいくつかのブログやホームページが見つかるだけだ。
てるてる坊主は雨の日を嫌って晴れの日を望む風習なので、ちょっと変わっているといえるだろう。
日本には雨を神様に祈願する雨乞い祭りは各地に存在する。とりわけ年間の降雨量が少なく、河川や天然の湖沼などの自然資源の少ない地方には「干ばつ」は大きな問題である。
降雨量はそのまま農作物の収穫に影響してくるところから、農耕国家たる我が国は「雨が降るのは自然の恵み」と考えていたふしがある。
てるてる坊主はその「雨乞い」の風習とは対照的な習慣だ。
なんせ雨が降らないことを願うお呪いなどきっと農耕国家ではあまりないのではないかと、とも思われてならない。
ただこのてるてる坊主というものは子供のお呪いという意味が強いので、雨乞いの祭りや儀式ほど深刻なものではないのかも知れない。
梅雨が始まると、時々てるてる坊主を思い出す。
仕事が天候に左右されるときは大人になった今でさえも「てるてる坊主」にすがりたくなる気持ちになる時がある。
てるてる坊主。
いったい誰が、いつから始めたのか興味が尽きないのだ。