15日(火)。わが家に来てから今日で3563日目を迎え、米大統領選の投票日まで1か月を切る中、民主党のハリス副大統領(59)は、「非常に良好」という内容の健康診断の結果を公表したが、トランプ前大統領(78)は健康に関する情報をほとんど開示していない というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプは自信過剰症・誇大妄想狂・虚偽発言症候群の持病がある 公表できない
昨日の夕食は前日のピザの残りだったので、写真は割愛します
昨日、新国立劇場「オペラパレス」でベッリーニ「夢遊病の女」千穐楽公演を観ました 私はプルミエ(初日公演)会員なので本来は10月3日に観るはずでしたが、当日 他の公演とダブったため、14日の千穐楽公演に振り替えました
ただし、それに先立つ9月30日にゲネプロ(衣装付き舞台稽古)を見学したので、実質的に2度目の鑑賞になります
出演はアミーナ=クラウディア・ムスキオ(ローザ・フェオラの代役)、エルヴィーノ=アントニーノ・シラグーザ、ロドルフォ伯爵=妻屋秀和、テレーサ=谷口睦美、リーザ=伊藤晴、アレッシオ=近藤圭、管弦楽=東京フィル、合唱=新国立劇場合唱団、指揮=マウリツィオ・ベニーニ、演出=バルバラ・リュックです なお、本公演はテアトル・レアル、バルセロナ・リセウ劇場、パルレモ・マッシモ劇場との共同制作によるもので、ベッリーニのオペラは新国立劇場としては初上演となります
「夢遊病の女」はヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801-1835)がフェリーチェ・ロマ―二の台本により作曲、1831年にミラノのカルカーノ劇場で初演された全2幕各2場から成るオペラです
スイスの小さな村の娘アミーナは若い領主のエルヴィーノとの結婚が決まり喜びに浸っているが、夢遊病にかかっており、お忍びで村に帰ってきた領主ロドルフォ伯爵の泊っている宿屋の部屋に入って寝たことから、エルヴィーノに疑われる しかし、ロドルフォ伯爵が彼女の身の潔白を証言し、疑いが晴れて2人は結ばれる
振り替え後の座席が、定期会員席と同じだったので、よほど席が余っているのだろうと思っていたら、千穐楽ということもあってか、結構な客入りでビックリしました
ベニーニがオーケストラピットに入りスタンバイしますが、演奏に入る前にステージ上では、アミーナと10人のダンサーによりコンテンポラリーダンスが無言の中で踊られます 彼らはアミーナにしか見えない「眠りの精」のような存在、あるいは「アミーナの潜在意識」を象徴しているようです
彼らは第2幕冒頭ほかでも登場し、機敏な動きで素晴らしいダンスを披露します
ヒロインのアミーナ役 クラウディア・ムスキオ(ローザ・フェオラの代役)はイタリア・プレーシャ出身のソプラノです フェッラーラ・フレスコバルディ音楽院修了。2017年ナポリ・サンカルロ劇場「魔笛」パミーナでデビュー
2020/21シーズンからシュトゥットガルト州立歌劇場専属歌手として活躍中です。卓越したヴォイスコントロールによるリリカルなコロラトゥーラでアリアや二重唱を歌い上げ、聴衆を魅了しました
特に第2幕第2場において水車小屋の屋根で歌う失恋のアリア「思いもしなかったわ、花よ」と、最後に恋人の愛が戻ったことを知ったアミーナが歌うカバレッタ「思いもよらぬこの喜びよ」は、屋根から落ちないかとハラハラしながらも、感動で背筋が寒くなりました
エルヴィーノ役のアントニーノ・シラグーザはイタリア・メッシーナ出身のテノールです 世界中の歌劇場で主要な役柄を歌っており、特にロッシーニのオペラでは最高の歌手と言われています
独特の声質で、一度聴いたら忘れられません。2002年の新国立劇場でのロッシーニ「セヴィリアの理髪師」アルマヴィーヴァ伯爵を演じたシラクーザの圧倒的な歌唱を思い出します。今回も超高音によるオーケストラを突き抜けて訴求する圧倒的な歌唱が圧巻でした
ロドルフォ伯爵役の妻屋秀和は東京藝大・大学院修了のバスです 1994~2001年ライプツィヒ歌劇場、2002~11年ワイマールのドイツ国民歌劇場専属歌手を務め、新国立オペラでは常連歌手として活躍しています
今回も深みのある低音の魅力を発揮しました
特に第1幕の「この美しい土地には見覚えがある」では、美しいカンタービレで歌い上げました
リーザ役の伊藤晴は三重大学卒、武蔵野音楽大学大学院修了のソプラノです ミラノ、パリで研鑽を積み、2013年パリ地方音楽院修了。新国立オペラでは「こうもり」イーダに出演しています
声が良く通り、演技力も十分でした
他の出演歌手を含めて、息の長い旋律のアリアを美しい声で歌い上げる「ベルカント・オペラ」の魅力を最大限に発揮しました
新国立劇場合唱団は第2幕冒頭の村人たちの合唱「森はあたりが一番深い」をはじめ、迫力のあるコーラスで存在感を示しました
特筆すべきはベニーニ指揮東京フィルの演奏です。ホルン、チェロのソロをはじめ、歌手に寄り添いながらアミーナの悲しみを、エルヴィーノの怒りと悩みを歌い上げました
演出で気になったことがいくつかあります 上の写真はロビーに掲示されていた舞台写真ですが、ゲネプロの時も千穐楽の時も分からなかったのは、第1幕で中央に立っている木の上方にいる一対の人形(?)の意味です
閉鎖的な社会にいる村人たちは「夜になると幽霊が出る」という迷信を信じていますが、実は幽霊の正体は夢遊病のアミーナなのです あの一対の人形は閉鎖的な村社会の中で、誰にも夢遊病であることを打ち明けられないアミーナの行方を見守っている守護神なのだろうか
もう一つ気になったのは、ラストシーンにおけるエルヴィーノとアミーナの距離です 公演パンフレットの「あらすじ」(小畑恒夫氏執筆)によると、第2部の終結部は次のようになっています
「エルヴィーノが誰も信じられないと力を落とした時、水車小屋の屋根の上に夢遊病状態のアミーナが現れる 驚いたエルヴィーノは彼女を安全な場所へ導く
アミーナは眠ったまま愛するエルヴィーノの名を呼び、失われた愛を嘆くので、誰もが真実を知る
感動したエルヴィーノは彼女に指環を返し、目覚めさせる
」
このストーリーでいけば、エルヴィーノとアミーナはすぐそばにいなければなりません しかし、バルバラ・リュックの演出ではアミーナは屋根の上に留まり、エルヴィーノは水車小屋の入口に立っています
これはどういうことを意味するのか
これについては、バルバラ・リュックが「プロダクション・ノート」に次のように書いています
「この時代のオペラ・セミセリアにお決まりの『ハッピー・エンド』は、このベッリーニとロマー二のプロットにおいては無理があると私たちは考えました そもそも、このオペラの結末がアミーナにとって果たして『ハッピー』なのか、疑わしいものです
僅かな疑惑で自分に対する評価を瞬時に変えてしまう村人たちの前で、自分を全く信用していない人と結婚するというのは、むしろ罰なのではないでしょうか
いずれにしても、自分の人生をどう生きるのかを決めるのはアミーナ自身であるべきで、彼女にはあらゆる可能性が許されるべきです
今回の演出では、結末を決めつけることはせず、深く傷つくような体験を経て、運命を切り拓くヒロイン自らの手に、結末を委ねることにしました
」
ラスト・シーンの2人の距離はそういう理由だったのですね 個人的には、誰もが自由な生き方が出来る「現代」から過去を振り返るからこそできる演出なのではないか、と思います
ところで、精神科医の香山リカさんが公演パンフレットの中で「精神科医から見たアミーナの夢遊病」という文章を寄せており、興味深く読みました
「フロイトもユングも、睡眠中に見る夢は無意識が作り出すと考えた」ーと解説したうえで、次のように書いています
「アミーナの心の回復過程はまだ道なかばのようだ 彼女はおそらく、この後も夢を見続け、時には人格も解離して、ふだんとは違った言動をしたり どこかに行ってしまったりするかもしれない
そこで、『どんな夢を見たの? 夢はどんなメッセージを伝えようとしたのだろう?』とサポートする役割を、婚約者エルヴィーノは果たすことができるのだろうか
もしそれができたとしたら、アミーナの暴走を止めることができるかもしれない
」
エルヴィーノはアミーナが夢遊病であることに気が付いたので、それを承知で結婚するのであれば、エルヴィーノは夢遊病のアミーナを支えて生きるしかないと思います
千穐楽公演は満場の拍手とブラボーの嵐の中、カーテンコールが繰り返され、そこかしこでスタンディングオベーションが見られました ムスキオとスラクーザの活躍が大成功の大きな要因でした
新国立オペラで次にベッリーニのオペラを取り上げる時は、是非「ノルマ」を上演してほしいと思います ヒロインのノルマは脇園彩さんでいかがでしょうか
なお、本公演を聴くにあたり、マリア・カラス他によるCDで予習しておきました
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