TOMTOM絵日記

~旅の想い出徒然日記~

2016.10.30 “正倉院展”

2016-11-03 20:31:15 | 奈良

 〈2016.10.30 sun〉
05:50 起床
07:00 ダンナの運転で奈良へ
08:30 高畑駐車場着
09:45 奈良国立博物館は既に長蛇の列
09:20 漸く入館
      
イヤホンガイドの行列に再び並ぶ
   
会場は黒山の人だかり
      
意を決して私も黒山になる
11:00 早めに見学を済ませて“志津香”の行列に並んだダンナからメール
      
10人の行列をクリアして着席できたらしい
      
私も急いで“志津香”に移動
11:10 “志津香”でlunch
      
牡蠣を期待していたのに今年はマダ
      
栗と海老の釜めしを注文
12:00 “下下味亭”で珈琲
12:30 散策
      
“正倉院”
      
“奈良女子大学記念館”見学
      
“平宗”で柿の葉寿司購入
      
“今西本店”で奈良漬購入
       “瑜伽”で今井一美さんの作品を一点購入

      
“樫屋”で休憩
15:30 高畑駐車場から自宅へ


 今月はイベントが少なかったしィ
会社で正倉院展のチケットgetできたので、ダンナと奈良に出かけた
早起きして07:00出発
下り名阪国道は結構混雑
休日なのにトラックが多い
ダンナの安全運転で高畑駐車場に到着
この時期いつもならダウン着用なのに、晴天で例年より暖かい
09:45奈良国立博物館は長蛇の列まだまだ列が延びる
09:00開館なのに、入館できたのは09:20
会場は黒山の人だかり
例年の事ながら正倉院展は大人気イベント

第68回正倉院展
奈良国立博物館


【主な出陳品】(奈良国立博物館HPより)
北倉44 鳥木石夾纈屏風[とりきいしきょうけちのびょうぶ]
[第1・2扇](板締め染めの屏風) 2扇
 
図様を彫 り込んだ板に布帛(ふはく)を挟んで染色する夾纈(きょうけち)の技法で、樹下に見返る尾長鳥(おながどり)を左右対称になるよう表した6扇からなる屏風(びょうぶ)のうちの2扇。樹下に鳥獣を表す構図はペルシアに起源が求められるが、国産の絹(絁)(あしぎぬ)が用いられることから、中国の花鳥画の伝統を踏まえ、わが国で製作されたと考えられる。『国家珍宝帳』(こっかちんぽうちょう)に記載された、聖武天皇にゆかりの品である。

北倉43 漆胡瓶 [しっこへい](ペルシア風の水差し) 1口

丸く張った胴部に鳥の頭を思わせる注口(ちゅうこう)をのせ、裾広がりの台脚(だいきゃく)と湾曲する把手(とって)を備えた水瓶(すいびょう)。テープ状にした木の薄板を巻き上げる巻胎(けんたい)技法によって素地(きじ)を成形し、全体に黒漆(くろうるし)を塗った上に、文様(もんよう)の形に切り透かした銀板を貼る平脱(へいだつ)技法で山岳や鹿、オシドリなどを施し、広々とした草原に禽獣(きんじゅう)が遊ぶ様子を表す。西方に由来する器形と、東アジアで編み出された巻胎技法・漆芸技法とが融合した、まさに当時の国際的な交流の産物といえる品である。

北倉170 出入帳 [しゅつにゅうちょう](宝物出入の記録) 1巻

宝庫北倉の宝物について、倉からの出入を記録した文書(もんじょ)。天平勝宝8歳(756)10月3日に薬物の人参を施薬院へ出蔵した時から、延暦3年(784)3月29日に王羲之(おうぎし)の書法8巻が返納されるまでの記録を年次順に整理する。天平宝字6年(762)12月14日には、欧陽詢(おうようじゅん)の真跡屏風(しんせきびょうぶ)12扇が道鏡(どうきょう)に貸し出され、2年後の7月27日に返却されたことが記されており、これは宮中以外への最初の出蔵として注目される。文中には良弁(ろうべん)や慈訓(じくん)といった高僧の自署もみられる。

中倉158 楩楠箱 [べんなんのはこ](献物箱) 1合

仏・菩薩(ぼさつ)への献納品(けんのうひん)を納めて仏前に進めるのに使用したと考えられる箱を献物箱という。本品はクスノキ材製で、蓋の側面が身の側面と同一面となる印籠蓋造(いんろうぶたづくり)の箱である。ほぼ方形に近い長方形をなし、角は丸め、蓋は大面取(おおめんとり)して簡潔な器形を作りだす。「楩楠」はクスノキの根元に近いこぶになった部分や土中の根から得られた複雑な木理があらわれた素材を指すが、この楩楠をふんだんに用いた本品は、木理の霊妙な美しさが特筆される品である。

中倉177 粉地金銀絵八角長几[ふんじきんぎんえのはっかくちょうき]
(献物用の台)1基

仏・菩薩(ぼさつ)に捧げる献物(けんもつ)を載せた木製の台。花をイメージした長八稜形(ちょうはちりょうがた)の天板に、華足(けそく)と呼ばれる植物をかたどった脚を取り付けている。天板の上面は、縁を白く塗り、中央では緑青(ろくしょう)を重ねて淡緑色としている。天板の側面には、白地に銀泥(ぎんでい)で草花文を表して、随所に飛鳥を描いており、下縁には金泥(きんでい)で連珠文(れんじゅもん)を配している。天板裏面に記された墨書(ぼくしょ)より、東大寺にかつて存在した東小塔院(百万塔を安置した院)にて使用されたと考えられる。

南倉109 笙 [しょう](管楽器) 1管

笙は長短17本の竹管を壺と呼ばれる円筒形の部材の上に並べた管楽器。本品は管と帯に、竹に人工的に斑文を描き出した仮斑竹(げはんちく)を用いる。木製黒漆塗(くろうるしぬり)の壺には、文様(もんよう)の形に切り透かした銀板を貼り、その上から全面に漆を塗布し、後に文様部分の漆を剥(は)ぎ取る銀平脱(ぎんへいだつ)という技法で、側面に含綬鳥(がんじゅちょう)、草花、腰掛けて笙を奏する人物、底面には向かい合う2羽の含綬鳥を表している。底面と竹管の1管に「東大寺」の刻銘があり、東大寺の諸法会(ほうえ)で用いられたとわかる。

南倉184 大幡残欠 [だいばんざんけつ](大型の染織幡) 1旒

大型の布帛(ふはく)製の幡。錦と綾を組み合わせて作られた幡頭(ばんとう)と幡身(ばんしん)の一部(6坪あったうちの4坪分)に加え、組紐(くみひも)の舌(ぜつ)と幡手(ばんしゅ)が残る。当初はこれに幡脚(ばんきゃく)と脚端(きゃくたん)飾りが付いたので、総長は東大寺大仏に匹敵する13~15メートルに及んだと推測される。天平勝宝9歳(757)に東大寺大仏殿で執り行われた聖武天皇の一周忌斎会(さいえ)にて法会(ほうえ)の場を飾ったものの一つである。染織工芸の粋を尽くした豪奢で巨大な幡は、わが国に花開いた天平文化の精髄を伝えるにふさわしいといえよう。

南倉185 大幡脚 [だいばんのあし](大幡の脚) 1条

大幡には1旒(りゅう)につき、12条の脚が少しずつずらしながら重ねられていたと推測されており、いずれも継ぎのない1枚の一重(ひとえ)の綾で、左右の端には暈繝染(うんげんぞめ)の絁(あしぎぬ)の縁裂が縫い付けられている。表裏両面に諸色の綾を用いた花形裁文(さいもん)と半切した花形裁文が交互に配置され、一層華麗に装飾が加えられている。 本品は大幡脚の残存する1条で、裁文が交互に配置されるに至らず、長大な脚の一部分に過ぎないが、それでも長さは2メートル近くあり、巨大な染織幡を彷彿させるのに十分である。

南倉180 浅緑地鹿唐花文錦大幡脚端飾
[あさみどりじしかからはなもんにしきのだいばんのきゃくたんかざり]
(大幡の脚のかざり) 1枚

大幡の脚の先に付けられた緯錦(ぬきにしき)製の飾り。中央に花文に囲まれた1頭の鹿を主文として配し、副文として五(ぐ)の目に花菱文(はなびしもん)を置いている。大幡の偉容を伝える巨大な脚先飾りでありながら、わが国の好みに傾いた穏やかな雰囲気を湛えており、製作年代も確かめられることから、わが国の染織品の展開を捉える上で重要な作例の一つに数えられる。同文同色の2枚の裂(きれ)を合わせて大幡脚(だいばんのあし)を挟んでいたもので、上辺に覗いているのは8と同様の大幡脚に用いられた緑綾の一部である。

南倉174 銀平脱龍船墨斗 [ぎんへいだつりゅうせんのぼくと]
(象嵌(ぞうがん)装飾の墨壺(すみつぼ)) 1口

船形の墨壺(すみつぼ)で、龍頭形(りゅうとうがた)の装飾を付ける。現在糸車や、船体部両側、鼻先、尾部等を欠失するが、概ね当初の形状を保持している。広葉樹材製で、表面には黒漆(くろうるし)を塗って、文様(もんよう)のかたちに切った銀の薄板を貼り付けていたが、龍頭先端の一部を除いてほとんど剝落(はくらく)している。墨壺としては大型で、装飾性が高いことから、実用ではなく儀式用であったと考えられる。 なお、龍頭船に似るためこの名が付されているが、仏教美術に表される想像上の怪魚・マカラ(摩竭魚)を表したとする説もある。

南倉8 磁皿 [じざら](二彩(にさい)の大皿) 1口

二彩(にさい)技法で加飾された大型の皿。白色釉(ゆう)のみを施す底裏を除き、白色釉と緑釉を斑(まだら)に塗って焼き上げている。縁が立ち上がった平たい鉢形で、低い高台(こうだい)が付く。見込みには浅く円形が刻され、見込み及び底裏の中央に各1箇処トチン痕が遺っている。底裏の墨書(ぼくしょ)より、天平勝宝7歳(755)7月19日に行われた、聖武天皇の生母である中宮・藤原宮子(ふじわらのきゅうし)の一周忌斎会(さいえ)にて、聖僧供養(しょうそうくよう)の食作法(じきさほう)に用いられたものと推測される。技法や胎土よりわが国で作られたものであることがわかる。

中倉195 唐草文鈴 [からくさもんのすず](かざり金具) 10口

宝庫には多数の鈴や鈴形の玉が伝わる。明治期以降の宝物整理において、同じ形のものを銅線などで括って一括保存がなされた。本品はその中でも最も数が多いもので、728口を数える鈴のうちの10口を銅線で繋いでいる。銅に鍍金を施した球体の中央に鍔(つば)をめぐらし、上部には鈕(ちゅう)を鑞付(ろうづ)けして、下半部は鰐口様(わにぐちよう)の口を開けている。鈴身全体には魚々子地(ななこじ)に唐草文(からくさもん)を線刻している。鈴身の内部には不整形の鉄塊(てつかい)を入れており、涼やかな音を響かせていただろう。

南倉174 アンチモン塊 [あんちもんかい](アンチモンのインゴット) 1箇

アンチモンは金属の一種(記号Sb)で、銀白色の光沢があり、もろく、毒性がある。15世紀頃、西洋で元素として知られるようになり、金属活字などの合金に主に用いられてきた。現在は半導体など電子材料の用途として重要である。本品は金属の鋳塊(ちゅうかい)(インゴット)。白銅塊(はくどうかい)と呼ばれてきたが、近年の調査によりアンチモンと判明した。上面がかまぼこ形をした六面体で、一部に破断面を呈する。金属材料史上、興味深い品である。

中倉123 牙櫛 [げのくし](象牙の櫛) 3枚 

宝庫に伝わる3枚の櫛。同形同大でいずれも象牙(ぞうげ)製の横形の櫛である。それぞれ124本(写真)、125本、129本の歯を挽(ひ)き出しており、1センチメートルあたり10本以上という非常に細かな歯が作られていることから、毛髪の表面を一定方向に整える梳櫛(すきぐし)として用いられたものとみられる。奈良時代の櫛はツゲやイスノキを素材とすることが多いが、日本で産出しない貴重な象牙を用い、極めて高い技術がふるわれた本品は、中国からの舶載品(はくさいひん)と考えられる。

中倉118 撥鏤飛鳥形 [ばちるのひちょうがた]
(染め象牙の鳥形かざり) 3枚

翼を広げて飛ぶ鳥をかたどった象牙(ぞうげ)製の細工物。1羽は藍色に、2羽は蘇芳(すおう)色に染められている。小品ながら目や脚を作り、染めた象牙の表面を彫って白く文様(もんよう)などを表す撥鏤(ばちる)の技法で羽毛を表している。目や脚には孔(あな)が穿(うが)たれており、うち1羽の脚にわずかに紐が残ることから、紐を通して使用したようである。用途は不明であるが、何らかの飾りとして用いられたものであろう。 なお、近時行われた調査で、藍色の染料は藍を、蘇芳色の染料は紫根(しこん)を使用していることが判明した。

中倉20 続々修正倉院古文書 第四十六帙 第八巻
[ぞくぞくしゅうしょうそういんこもんじょ]
〔写経司解司内穏便事(しゃきょうしのげしないおんびんのこと) ほか〕
(写経所の上申書ほか) 1巻

経典の貸し借りや写経所(しゃきょうしょ)に関係する文書(もんじょ)を貼り継いで成巻したもの。そのうち著名な文書に「写経司解司内穏便事(しゃきょうしのげしないおんびんのこと)」がある(解は上級の役所に提出する上申書のこと)。これは写経を行う写経生の待遇改善を具体的に箇条書きにした内容で、紙が少なく書き手が多いので、紙が供給されるまで経師(きょうし)(書写係)の招集を停止すること、装潢(そうこう)(装丁係)と校生(こうせい)(校正係)の食事を改善すること、など全6箇条の要求が記されている。写経生の労働環境とそれに対する不満が垣間見える興味深い文書である。


どれも心に残る宝物でした
中でも“漆胡瓶”は小学校の教科書で見ましたネ
当時は鳥の形をしたかわいいデザインと云う程度の印象でした
奈良時代という時間軸や生活様式に思いを馳せる想像力には
程遠かったと思います
また興味を惹いたのは“続々修正倉院古文書 第四十六帙 第八巻 ”です。
職場環境の改善策や労働条件の改善について上申ようとした下書きのようで、
書いてはみたもの実際に上申したかどうかは不明との事。
1300年の時を経ても人はこのように思っている事を公表しようかどうか迷い
結局止めてしまうというように、
社会生活の中でストレスと戦っていたようです。


正倉院展の見学を早めに済ませて“志津香”の行列に並んだダンナからメール
10人の行列をクリアして着席できたらしい
私も急いで“志津香”に移動
お店の前には30人以上の行列
志津香”でlunch
栗と海老の釜めしを注文
30年以上も前からここの釜飯の大ファン



“下下味亭”で珈琲
深煎りの豆で丁寧に淹れた美味しい珈琲でした
今は喫茶店ですが、
以前はおひつでかやくご飯を出してくれるご飯のお店
お支払の時、若い女性にそんなお話をすると
kitchenから年配の女性と男性がお顔を見せてくださいました


“東大寺ミュージアム”
大仏様の右手のレプリカ
 手の大きさは縦が約3mで、中指の長さは1.5m
 手の形は施無畏印(せむいいん)と呼ばれ、
 手のひらを前に向けて「恐れなくてもよい」と相手を励ますサインです。
  東大寺の大仏様は右手で私達を励ましているのです。
大仏様の左手のレプリカ
 中指の先から手のひらまで含めた長さは3.3m
 この手の形は与願印(よがんいん)と呼ばれ、
 人々の「願をかなえる」事を表している。
 東大寺の大仏様は左手で私達の願を受け止めているのです。


“東大寺南大門”

“運慶作金剛力士像”
南大門には、右に吽形像、左に阿形像が向かい合う形で安置

“東大寺大仏殿”



“正倉院「正倉」外構”







“奈良女子大学”
明治41年(1908年)3月に設置された奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)
“正門”
中央の両開扉と両脇の片開扉で構成され、
門柱や上部の照明器具の意匠に配慮がはらわれている。




“守衛室”
十字形平面の鉄板葺の建物で、
屋根の棟飾りや窓廻りを本館と類似した意匠でまとめている。




“奈良女子大学記念館”
明治41年(1908年)3月に設置された
奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)本館として
創設当初から一階は事務室、二階は講堂として利用されていた。




2階の講堂は300人が座れる広さだが、柱は1本もない。
天井には半円形の天窓などさまざまな装飾が施されている

一段と高くなっている2階天井中央部の花形飾りは換気口。
熱気が屋根から自然に外へ逃げていくように工夫されている。


正面中央の櫛形破風はギリシャの神殿を連想させる。

“百年ピアノ”
明治42年5月、内藤文六郎様より1,000円で購入したことが判明。
【参考】明治43年当時の公務員(大卒)の初任給55円、白米10キロ1円56銭。
響板に貼られた楕円形シール「山葉鑒製」
:「鑒」は、音よみで「カン」という文字。
「山葉鑒製」とある「鑒製」の熟語は、
「謹製」のような意味に使われていると考えられる

鍵盤数:85
鍵。現在の主流88鍵より鍵盤数は少ない。

鍵盤蓋にしるされたデザイン:内国博覧会等の受賞を記念した褒章メダル模様。



細部にわたり、芸術的な装飾が施されている。



素敵な空間でした
100年前のピアノは外国製か思いきや「山葉鑒製」
もっと勉強してこんな学校で学びたかったワ



“平宗”で夕飯に食べる柿の葉寿司購入



“今西本店”で奈良漬購入
三条通からもちいどの通りを歩き
“瑜伽”で大好きな今井一美さんの作品を一点購入
“樫屋”で最後の休憩










栗きんとんとお抹茶のセット

奈良絵の赤膚焼でいただく冷茶が美味しい







これは抹茶のお茶碗

快晴の奈良で14,489歩
高畑駐車場から自宅へ