明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(405)京都市長選挙でつかんだ可能性を未来へ!

2012年02月12日 08時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120212 08:00)

一昨日、「中村和雄さんを市長にしよう!勝手連」のご苦労さま会が開か
れ、中村さんも囲んで和やかに歓談しました。選挙結果をどう見るのかな
ども話され、僕なりに腑に落ちるところがありました。これをももとに、
京都市長選挙の僕なりの捉え返しを進めたいと思います。

まず得票数は以下のとおりでした。
門川大作氏227,765、中村和雄氏189,971。
その差は約3万1700票で、投票率は前回より1.05ポイント低い
36.77%。過去4番目の低さでした。

毎日新聞の出口調査では次のようなことが指摘されています。
「年代別では、門川氏は50代の52%と70代以上の60%から得票した
のに対し、中村氏は20代の60%、30代の57%、60代の53%に選
ばれ、中高年層に強い門川氏と若者層に強い中村氏とに大きく分かれる結果
となった。40代は50%ずつと分け合った。

同じく朝日新聞は次のように指摘しています。
「門川氏は推薦を受けた自民の支持者の85%、公明支持者の92%から票
を得ていたが、民主からは60%にとどまった。中村氏は推薦を受けた共産
の支持者の97%を固め、民主支持層の40%からも支持を得ていた。有権
者の3割を占める無党派層の中村氏支持が55%にのぼり、門川氏の45%
を上回ったのが目立った。」

選挙の特徴として、何よりも投票率が伸びず、36.77%と大変な低調に
終わったことが目につきます。その上で、中村さんは若年層の支持を大きく
集めながらも、中高年層で引き離されてしまいました。無党派層の支持を中
村さんが55%とっていることとあわせると、中高年層を中心とした旧来の
集票構造に基づく組織票が門川氏の固めた部分であり、中村さんの声は、よ
り若者や無党派層に広がったことが分かります。全体の得票率が下がる中で
20代・30代の投票率だけは上がったとも聞いています。(性別毎の投票など、
詳しいデータは未入手) 


これらから言えるのは、今回の選挙では、民主・自民・公明・みんな・社民
という、本来、政策や主張が違うはずの諸党が相乗りすることにより、京都
市の未来に向けて何ら論議すべき争点はないのだという雰囲気が作り出され
てしまったことに対し、残念ながらそれを十分に打ち破ることができず、全
体としては低調のままに推移したことで、組織票の壁を打ち破れなかったこ
とが敗因であったと言えます。本当に残念です。

当初からマスコミに「非共産対共産の闘い」と書かれてしまったことに対し、
私たちは「勝手連」を立ち上げ、けして共産党だけではない多様な人々が中
村さんを応援していることをアピールし、選挙戦を盛り上げようとしたので
すが、「非共産」という枠組みの何とも言えない重々しさ、政策も議論もな
く、政治ボス達が野合してそれですべてが決まってしまうようなしらけた
雰囲気を最後まで打ち破れませんでした。

勝手連の振り返りの中では、まるでミヒャエル・エンデの『モモ』に出てく
る「灰色の男たち」に負けてしまったようだという感想が聞かれました。無
味乾燥な顔をした「灰色の男たち」の実体は、「時間泥棒」です。人々は彼
らに時間を奪われて、生きるうるおいをなくしていく。そうしてただ目前の
ことにあくせくしていくようになってしまうのでした。

京都でもあたかもそれと同じようなことが起こっていました。門川陣営がお
こなったのは「争点回避」。中村さんのマニュフェストを見たうえで、それ
に言葉だけ擦り寄るような公約を打ち出し、大事なことを何も論議しないと
いう選挙戦略を取ったのです。とくに中村さんの「脱原発」政策に、「脱原
発依存」という言葉を対置し、「内容は中村さんと変わりません」と公言す
ることまでが行われました。そうしてそれ以上、論議が活性化しないように
振る舞い、そうしておいて現職市長の立場を生かして、権力をフル動員して
の「組織固め」を行なったのでした。

こうしたことにより、市民の関心は薄らいでしまいました。そうして自分た
ちの町の未来についても、社会の中で大きな問題になっている原発のことも、
語る余地がなくなってしまい、目に入らなくなり、ただ日々の生活の渦の中
に意識が沈んでいきました。こうして選挙に関心が沸かず、東北の声は耳に
入らず、ただ目先のことにしか関心がいかない。そんな悲しい状態が、京都
を覆っていったことが、今回の選挙の、36.77%という大変低い投票率
に象徴されています。


しかし今回の選挙の中で、こうした流れに抗った風を一定は吹かせることが
できたこと、確かな手応えがあったことも事実でした。それは事前投票の出
口調査で拮抗が伝えられたこと、またマスコミの一部からも中村勝利の憶測
が生まれ、新市長誕生の番組制作も進められていたことなどにもあらわれて
います。僕自身、某マスコミから新市長の脱原発政策を聞きたいという取材
依頼を投票日の午後3時に受けていました。実際にその時間に行くと、どう
も中村さんは勝てないみたいですとのことで、取材内容が変わってしまって
いたのですが・・・。

こうした憶測はどういう形で持ち上がっていったのか。一つにはこれまで選
挙に関わったことのない、子育て世代を中心とした新しい力が活発に動いた
ことによってでした。今回の選挙では、私たち勝手連以外にも、共産党とは
別に、中村支持を決めて動いた人たちのグループがいくつかありました。中
村さんによれば、選挙戦のはじめの方では、共産党の人たちのことしか目が
いってなかった記者さんたちも、終盤にはいろいろな人たちが中村さんを支
持していることを理解しはじめ、記事の書き方が変わりつつあったのだそう
です。

こうした中で、これまではそれほど動いてなかった若い層の中にいろいろな
活発化がみられだしました。とくに「クラブの深夜営業を守ろう」という中
村さんの声がクラブ関係者の中にこだまし、中村さんを招いての討論会を行
うなど、これもまたまったく新しい動きが始まりました。そしてこれらが
ネットやツイッターで繰り返し発信されたことで全国に伝わり、中村さんや
勝手連のブログへのアクセスが急増しました。(選挙法により更新ができな
かったにもかかわらず)なかには「京都で凄いことが起こっている」と宮崎
県から駆けつけて、チラシ撒きに参加してくれた若者もいました。山本太郎
さんのありがたい応援の効果もあって、こうした動きが、こちらにも直に響
くような形で伝わってきました。

それが私たちをして、「勝てる!勝とう!」という思いを強めていった根拠
でもあったのですが、残念なことに、新市長誕生には結びつけられなかった
ものの、ここで広がった新しい力は、私たちの未来にとってのかけがえのな
い力だと思います。なぜならこうした力は、中村さんが、あくまでも公約の
第一に「脱原発市政の実現」を掲げるなかでこそ実現されたことだからです。

実は中村さんは、支持者の中からも、「脱原発宣言が第一では勝てない。
順番をずらしてはどうか」という説得も受けたのだそうです。しかしあくま
で信念を曲げず、譲らなかった。今、一番に論議しなければならないことが、
原発の問題であることをあくまで鮮明にし抜いたのです。それこそが多くの
人の心を動かしたのでした。

今回は、私たちの力も足りなかったし、争点潰しへの対抗が十分とは言えな
かったことなどもあって、灰色の男たちの暗躍に打ち勝てなかったものの、
こうした「脱原発市政の実現」の声に、若い世代の支持が拡大したこと、そ
の中で市民から選挙への関心を奪っていく門川陣営の「選挙戦略」の中です
ら、若い層の投票率が上がったことなどは重要なポイントでした。私たちの
声は、若い世代に確実に浸透しつつあったのです。

だとするならば、今回の選挙を、脱原発の立場で担った私たちが、これを放
射線防護・脱原発の動きにどう結びつけられるかが問われているのだと思い
ます。どうそれを実現するか、まだまだ勝手連などで討論を重ねたいと思い
ますが、京都での選挙戦に全国から支援の声を寄せてくださった方々、応援
をしてくださったみなさんの思いをけして無にしない何かを必ず作り出した
いと思います。その意味で私たちは、京都市長選挙でつかんだ可能性を、確
実に未来につないでいかなければならないし、僕自身、そのために尽力する
ことをお約束します。

みなさまの、京都市長選挙へのありがたいご協力に感謝しつつ、以上をもっ
て僕の振り返りとしたいと思います。



なお、この選挙をいかに見るのか、富野暉一郎さんの優れた分析が毎日新聞
に掲載されていたので、最後にご紹介しておきます。

*****

選挙:京都市長選 市民に目を向けていない--
富野暉一郎・龍谷大政策学部教授(地方自治) /京都
毎日新聞 2012年2月7日 地方版
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20120207ddlk26010564000c.html
京都市長選を終え、龍谷大政策学部、富野暉一郎教授(地方自治)に振り返
ってもらった。


前回選の951票差に危機感を抱いた門川氏陣営が組織を引き締め、得票を
3万票差に広げたが、2期目を目指した市長としては十分な差とは言えない
うえ、投票率も36・77%と低い。原因は、選挙の構図にあるのではない
か。

本来は主張が異なる政党が、総選挙をにらんで勝負を避けて「非共産」で相
乗りし、門川氏を推薦したと考える。市民に目が向いたものではなく、非常
に内向きな選挙だった。立候補者2人の争点も明確でなく、市民の関心を得
られなかった。

中村氏も前回より得票数を増やした。大阪ダブル選後、大阪に新しい風が吹
いている状況を受け、「何かを変えたい」と変化を求めた市民が、中村氏に
投票したのではないか。

市民が政治に関心がないのは、政党と門川氏の責任。門川氏は現在の選挙構
図に終止符を打ち、市民に目を向けた政策を打ち出していかなければならな
い。(聞き手・古屋敷尚子)












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明日に向けて(404)「2,3年、耕すことに反対です!」(石森少年)

2012年02月11日 11時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120211 11:30)

明日に向けての前回記事で、伊達市農業委員会が、放射能汚染された農地の
耕作を手控えていた農家に対して、「耕さないと不耕作とみなす」という大
変、乱暴な「指導」を行なったことを批判的に紹介しましたが、これに対し
て、有機農業を営んできた仙台の石森秀彦さんより、意見が寄せられました
ので紹介します。

なお石森さんは、原発事故後、耕作と出荷を中止していますが、今は、市民
放射能測定室を立ち上げて奮闘しています。「石森少年」というのは彼の
ニックネームです!
http://ameblo.jp/foreston39/

なお小さき花については下記も参照してください。

明日に向けて(281)小さき花・市民の放射能測定室(仙台) 11月に開設
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/88a48cb7ab6265335eada73da46cfbfc

明日に向けて(383)仙台の二つの放射線測定室を訪問します!(1月17日)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3c8aa830ef6be096e3ad07a7031549b4

*********

小さき花SSSの石森です。
ぼくの畑は不耕起栽培です。
(守田注 水田や畑を耕さないままに農作物を栽培する農法)
2・3年耕すことには反対です。

第一の理由は耕せば表土3~5cmにある放射性物質を回収、除去できなくなる。
第二の理由として放射性物質の濃度は下がるが総量は変わらず
ある程度は下がっても毎年少しずつ吸収され作物から放射性物質を摂取するこ
とになる。
これは薄められた汚染牛乳を飲まされている現状とあまり変わらないとおもう。

またゼオライト・炭による除染も同じことがいえる。
もともとゼオライトは砂地などでの保肥力をあげるための粘土鉱物で作物が必
要とすれば折角吸着した放射性物質もはなしてしまうと思われます。

そこでぼくは一度だけのことだから放射性物質の飛散が収まってきた?冬・春に
も表土5cmを剥ぐスコップ手動除染を行おうとおもってます。

まだまだ心配なスギ花粉飛散もありますが。仙台1月21日時点で杉の花芽セシ
ウム165bqでした。

農家の方、うちのデータ参考になるかもしれないので載せておきます。

仙台市太白区坪沼

5月2日  0~3cm(深さ)セシウム合計 2128bq/kg フランスアクロ社で測定
7月某日 0~3cm(深さ) 1115bq/kg  3~5cm(深さ) 62bq/kg 日本イング社
・・・7月のときは4mの雑草を生やすに任していた。これにどれぐらいセシウム
が移行したかは分からない。アクロ社の数値が高めだったとも思える。
             
12月8日 0~3cm(深さ) 787bq 小さき花SSSで測定
・・・このときも雑草への移行が考えられる。雑草は今後測定する予定。
ユンボ除染地  0~3cm(深さ) 87.04bq/kg 小さき花SSSで測定

ユンボ除染は7月ごろに実施。5センチぐらいをはいだ。測定を12月に。
この地に植えた大根・大根の葉 カブ・カブの葉、いずれも検出されず。
ハウスの基土も検出せず(検出限界 3bq/kg)

・・・ユンボ除染では多少、土が上下に混ざってしまい、少しセシウムが残って
しまいますが、人力除染ならもっときれいになるとおもいます。
不耕起栽培のひとこそキレイに除染できるはずです。

ぼくも開墾して28年かかって植物や太陽と一緒に作ってきた表土剥ぐなんて本当
に悲しいんですよ。
また土を混ぜることを否定しようとは思っていません。一つの方法です。
なんとか苦しい私 専業農家・百姓の気持ちをくんでください。
農家のひとがんばろうよ。

望めば道は開かれる。必ず夢はかなうよ。  石森少年

・・・キーボード打てないのでこれ書くのに6時間かかったフーつかれた。
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明日に向けて(403)これはひどい・・・被災農地での耕作を強制(伊達市)

2012年02月09日 22時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120209 22:30)

福島県伊達市の市農業委員会が、福島原発事故によって放射能汚染されたた
め、耕作を見合わせている農家に対して、「農地として適切に利用されてい
ない」として、「耕すように指導」しているというニュースを東京新聞が報
じています。これはひどい。

「指導」を受けているのは、市内の小野寛さん(51)。事故によって田畑
は3マイクロシーベルト毎時の放射線値を示すようになったそうです。その
ため、ここで耕作をしても収穫物を食べることはできないと考えて、耕作を
断念。さらに被曝を避けるために、それまで植えられていた小麦なども収穫
しませんでした。

これは極めて妥当な措置だったと思います。小野さんが懸念したように、放
射能汚染された作物を収穫すると、放射性物質が舞い、吸い込んで内部被曝
してしまう可能性が強くあります。また土いじりの仕事である農作業は他の
様々な面からも、被曝の可能性が高く、汚染地帯での作業は危険性が高いた
めに避けることがのぞましいからです。

また汚染された土地から収穫したものは、当然ながら汚染されてしまうため
食べられないとの判断も妥当です。それどころか、耕作をせず、とりあえず
はそれまで生えていたものもそのままにしておいたほうが、事故が収束した
後に、生えているものを刈り取り、土の表面数センチをはぐことで、農地を
再生させる可能性が残されるのであって、耕して放射性物質を鋤込むことを
しなかったこの判断は、きわめて賢明であったといえます。

むしろ国や県、各自治体の農業対策室は、こうした判断を昨年3月の時点で
示し、耕作中止を呼びかけるべきだったのであり、今回の措置は、そうした
失策を振り返らないばかりか、自らの被曝を避け、田畑への放射性物質の
鋤込を回避して農家に、被災農地での被曝を伴う耕作を強制するものであっ
て、まったく間違っています。

伊達市農業委員会が、小野さんへの不当な「指導」を撤回し、小野さんに
謝罪することを求めます。

**************

耕作放棄じゃない 除染待つ間に農地利用促す通知
東京新聞 2012年2月8日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012020802100006.html

米から国の基準を上回る放射性物質が検出された福島県伊達市で、土壌汚染
や被ばくへの懸念から耕作できなかった農家に対し、市農業委員会が田畑を
耕作放棄地と扱う通知を出した。「農地として適切に利用されていない」と
して耕すよう指導。一月中旬に通知を受けた同市の小野寛さん(51)は
「耕すと放射性物質が土に混ざる」と困惑している。 (中崎裕)

各自治体の農業委員会は農地法に基づき、年に一度、耕作放棄地を調査。最
初の指導通知が届いた時点で耕作放棄地扱いとなり、所有者は原則的に新た
な農地取得ができなくなる。同市農業委は今回、二百件ほどの指導通知を出
した。

小野さんは二千平方メートルの田畑で米と小麦を栽培。主に自家用だが、一
部を販売している。米は、秋から育てたライ麦を刈り倒して雑草などを抑え
る独自の有機栽培をしてきた。

昨年三月の原発事故で、田畑は毎時三マイクロシーベルトと高い線量が検出
された。単純計算で年間二〇ミリシーベルトを超え、政府が避難を促す基準
を超える値だ。「作っても食べられない」と判断し田植えをやめた。土ぼこ
りなどを吸って被ばくする懸念があったため、ライ麦と小麦の収穫もせず、
田畑はそのままにしていた。「除染さえできれば耕作するつもりだった。放
棄したわけじゃない」。小野さんは農業委員会に通知を取り消すよう求めた
が、受け入れられなかった。

農地法には、災害時などは耕作放棄地扱いしないとの規定がある。農林水産
省の担当者は「農業委に判断は委ねられるが、一般論として原発事故があっ
た福島なら放射線への懸念は災害にあたるだろう」と説明する。

しかし、市農業委は「高線量のホットスポット以外の地域は、放射能への懸
念があっても特別扱いはしていない」との見解。一方で、伊達市では農地の
除染方法を検討中としてまだ決めていない。

小野さんは「耕作すれば放射性物質が混ざり、自然になくなるのを待つしか
ない。セシウムは半減期が三十年もあるのに、どうすればいいのか」と力な
く語る。

<原発事故による耕作規制> 農林水産省は昨年、避難区域と土壌調査で1
キログラム当たり5000ベクレルを超える地域の米の作付けを制限。伊達
市は対象外だが、避難区域に近い地域では米から国の暫定規制値(1キログ
ラム当たり500ベクレル)を超えるセシウムが検出された。規制値は1キ
ログラム当たり100ベクレルに引き下げられる見込みで、農水省は今年も
作付け制限を検討。除染方法は、表土を地中深くに埋めるなど農水省がいく
つか案を示しているが、最終的には自治体が方法を決めることになっている。

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明日に向けて(402)大山崎でお話します!(2月11日)

2012年02月08日 23時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120208 23:30)

京都市長選、破れてしまいました。残念でなりません。たくさんの方に力を
貸していただいたのに、良い結果に結びつけることができなくて申し訳なく
思います。すぐにでもこの結果をどのように捉えるのか、自分なりの意見を
まとめようと思いましたが、正直なところ3日間経っても整理がつきません。

とにかく何かとても理不尽で、不誠実で、どうにもこうにも潔く負けたとは
認められない何かに負けたというか、そんな気持ちが繰り返し湧いてきます。
それは怒りであり、まっとうな正義が通っていかないことへの憤りです。考
えれば考えるだけかっかします。しかしそれが冷静な分析を妨げてもいます。

ただし、あまりに残念な敗北だったからといって、僕の中に、挫折感や、失
望感はまったくありません。さらに一層、頑張ろうと思う気持ちがどんどん
湧いてくるし、実際に新しい動きへのチャレンジも始まっています。でもな
んというか、爽やかな気持ちになれない。怒りが処理しきれないのです。

ここを書かないと他のことに進めないと考えていたら、今日まで「明日に向
けて」の発信もできない状態になってしまいまいた。そこでとりあえず前に
進みながら、市長選についての僕なりの捉え返しをさせていただくことにし
ます。もう少し時間をかけさせてください。


それで今日は、講演会についてのお知らせを載せさせていただきます。2月
11日、京都・大山崎でお話します。お近くの方、ご参加ください。

************

講演会

「放射能汚染から子どもを守ろう!}

2月11日(土・祝日)午後1時半~3時半
大山崎町立中央公民館別館3階

講師 守田敏也(フリーライター)

福島第一原発事故で、放射能汚染が拡大。食物連鎖を通して、内部被曝の
危険に直面しています。被曝にもっとも弱い子どもたちを守るために、私
たちにできることは何か、考えていきましょう。

DVD「放射能内部被曝から子どもを守るために」も上映します。

申し込み不要。
入場無料

主催 新日本婦人の会 大山崎支部
問い合わせ 東(074‐957‐3420)

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明日に向けて(401)脱原発俳優・山本太郎さんは訴える!(京都衣笠小学校にて)

2012年02月03日 08時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120203 08:00)

昨日、京都市右京区の衣笠小学校で行われた中村和雄個人演説会に参加しま
したが、ここに脱原発俳優の山本さんが駆けつけてくださいました。山本さん
の熱弁をテープ起こししましたので、お読みください!

山本さん、今朝も京都に残っています。ちょうど節分の時期なので、午前11
時から吉田神社で、12時15分から壬生寺で、鬼(原発)退治をするそう
です!多くの人が駆けつける予定です!

ちなみに壬生は、新撰組の屯所があったところですね!この新撰組を率いて
いたのが会津藩。その砲兵隊を指揮していたのが山本覚馬なのでした。うーん
あまり関係ないかな・・・?

僕はこれから、ひとまち交流館での「関東・東北の旅報告会」に参加するの
でそこにはいけませんが、今日も京都の町を、変革に向けた声がこだまする
と思います!みなさん、京都の熱い動きに最後までご注目ください!

***********

脱原発俳優・山本太郎さんは訴える(京都衣笠小学校にて)


本当にもう、ねえ。
俳優やってたんですよ。僕。
そこそこ、いい生活をしてたんですけどね。やっぱりもう、スポンサーに不利
益な発言をするっていうのは、許されないみたいですね。今じゃすっかり、収
入は十分の一以下ですよ。でも忙しさは20倍ぐらいなんですね。でも充実感は
1万倍ぐらいですね。本当に(拍手)

わかりますよ、そりゃ。スポンサー様にツバを吐かないというのは、最低限、
大人の条件じゃないですか。でも、命がかかったら話は別ですよ。みなさんに
もやっぱりそれぞれ夢がありますよね。僕にも夢があります。いい役者になる
っていう夢があります。でもそれは、明日も明後日も、1年後も10年後も生きて
ないと、約束されないですよね。担保してないと、生きるっていうことを。明
日いきなり、いい役者になれるわけじゃないんですから。長い年月かかって、
いい役者になれるんですよね。ということは、長い期間、生き延びなければい
けないってことですよ。

この原発被害っていうのは、いつまで生きられるか分からないわけですよね。
今、日本は地震の活動期なんですよ。地震大国の地震の活動期。むちゃくちゃ
ですよね。それで福島の東電原発、事故がありましたよね。あの事故が起こっ
てわかったはずです。この国が、もしもなにかあったとき、僕たちにいったい
どんなことをしてくれるのか。何もしれくれないということがはっきりしたの
ですよ。どうぞご自由にって。だって安全ですからって。切り捨てるんですね、
平気で。

もし京都で・・・京都はすごく大きな爆弾を抱えているんですね。若狭で14
基。事故前に、「どこの原発が日本で危ないですか」「1位浜岡、3位福島、
2位若狭」だったんですよ。原発銀座。順位がたまたま入れ替わりました。地
震がきたということもありますけれども。

そんな危険なものが60キロ圏内にあるんですよね。それで実際に東電原発、
事故がおきました。60キロ圏内、どんな目にあってますか。事故前までは守
られていた基準が今はもう無効になりましたね。1年間に浴びていい放射線量、
国際的に決められましたよ。被曝限度というのがありました。1ミリシーベル
トですよね。

子どもたちに対して20倍にひきあげたんですよね。子どもたちって大人に比
べて、放射線の影響、3倍から10倍ですって。ただの20倍じゃないですよ。
100倍に近いかもしれない。どれだけの毒を子どもに与える基準について、
「それでも大丈夫です」って、いきなり言い出したんですよ。

安全基準、事故前と事故後と大きく変わったとしたら、安全基準の意味になら
ないですよね。福島原発の事故が起こってわかりました。原発というのは、地
震、津波の想定がでたらめだったんですよ。リスクをすべて考えて、それにす
べて対処して原発を作ったら、途方もないお金がかかってしまうのですよね。
だから危険なことは無視することにしたんです。それでコストカット、コスト
カットで福島東電原発です。

地震の活動期ですよね。いつどこであるかわからない。14基あるんですよね、
みなさんの近くには。60キロ圏内。今、どんな目に合わされていますか。
60キロから80キロ。郡山市、福島市、それから二本松市あたりですかね。

0.6マイクロという数字がありますよね。(マイクロシーベルト毎時のこと)
これは放射線管理区域といわれる区域なんですよ。放射線管理区域というのは
原発の関係の方なんかが働く場所ですよね。放射線業務従事者といわれるよう
な人が、1時間あたり0.6マイクロに被曝するようなところで働くのが、放
射線管理区域。しっかりと厳しく決められた場所で、0.6マイクロですよ。

この放射線管理区域は18歳未満は立ち入り禁止なんですって。飲み食いする
ことも許されないし、腕まくりすることも許されないんですって。そこにいま
子どもたちが、住まわされているんですよ。むちゃくちゃですよね。だって、
18歳未満、立ち入り禁止だったやん。飲み食いだめなんでしょう。というこ
とは寝ることも無理ですよ。そこに安全だといって住まわせているんですよ。

ようは何か事故があったら、平気で切り捨てるんですよね。それが国のやり方
なんですよ。僕たちがこの国を愛するほど、この国は僕たちのことを愛してく
れないということがはっきりしました。そんな国嫌ですよね。そんな国じゃな
いですよ、日本は。少なくとも日本人はそんなことするような人たちじゃない
でしょう。変えていかなきゃ。変えていけるのが、2月5日の市長選なんですよ
ね。京都から変えていけるんですよ。変えていけますよ。

まずどういう候補者を選ぶかですよね。原発について、ノーと言える人ですよ。
すぐにでも廃炉だって言える人ですよ。だって電力、余ってるんですもん。
50基超える原発が日本にあるけれども、今、動いているのは3つだけですよ。
関電管内1基だけ。東電管内も1基だけ。「この夏は、この冬は、次の夏こそ、
原発がなければ」って、嘘ばっかりですよ。「電力ないない詐欺」っていいま
すよ、これ。(笑)

世界中の原子力マフィアがそういうことを言うんですって。ドイツに行ったん
ですね。ドイツの国会議員の方に聞きました。「日本はこんな状態なんやけど」。
そしたら国会議員の方が言いました。ドイツでナイター設備のあるところで国
際試合をやっているときに、30分間、無理やり停電させたんですって。原発
がないと電気がなくなるっていう刷り込みをするために。

同じことですよ。電力は足りてるんですよ。原発を除いた電気容量でも、電力
は余るということはもうはっきりしているんです。でもなかなか本当のことが
流ないですよね。テレビとか大手マスコミからはなかなかそういう本当のこと
が流ない。当然ですよ。大スポンサー様ですもん。電力会社だけじゃないです
よね。電機メーカーもあるし、建設業界も関わっているし、銀行まで、放送局
まで。(自分のことを指して)本当のことを言うと、こういうことになるんで
すよ。笑っていいところですよ。遠慮しないでください。(笑)

とにかく、そんな国、もうたくさんですよ。変えていかなければということで
すよね。まず1番最初に変えられるのが京都なんですよ。2月5日の選挙なん
ですよ。そこでしっかりとした候補者を選んで下さい。原発はいらないという
人を。

そして今、京都に、危機がそこまで迫っています。それは何かというと、放射
性がれきですね。地震、津波で押し寄せてきたがれき、そこには放射性物質が
付着しています。これを受け入れるというのですよね。東京、受け入れました。
そして神奈川も受け入れようとしています。大阪、4月から受け入れるかもし
れません。京都もこのままいくと、受け入れる可能性、高いですよね。

これを受け入れたら本当にやばい。何がやばいか。燃やしますよね。国は今、
大嘘をついているんですよ。バグフィルターというのをつけたらね、「99.9
%、放射性物質を除去できるんです」って、いろんなところに刷り込みをして
きたんです。でも今、はっきりしたんですよ。バグフィルターでは放射性物質
は、すべてキャッチできないんです。

それはどうしてか。放射性物質による、実証実験がされてなかったんですよ。
むちゃくちゃでしょう。何がしたいか分からないでしょう。燃やしたとしたら、
確実にみなさんのもとにフレッシュな放射性物質が降ります!えらいことです
よ、これ。東電事故をもう一度、京都で起こすことになるんですよね。むちゃ
くちゃですよね。

体積を小さくするために燃やしますよね。そうしたら焼却灰がでます。この焼
却灰を土に埋めますよね。地下水につながる。食物が吸い上げる。わかりきっ
たことですよね。この間、千葉で埋め立てていたやつから漏れてきたのですよ
ね。放射性物質は含まれていないって言ってましたけど、本当かどうかなんて
わかりませんよ。嘘ばっかりついてんねんから。

絶対に、放射性がれきを受け入れないで下さい。今まで、国とか、いろんな行
政が、目の前のお金儲けのために、好き放題やってきましたよ。それでこんな
世の中になっちゃいました。それは僕を含む無関心な世の中が、そうしてしま
ったところがあると思うんです。

でも今、このぎりぎりのところになってやっと分かりました。それじゃダメな
んだって。自分の世代だけでいいってことじゃないですよね。7代先まで、
インディアンの教えですよ。7代先まで、今の自分が生きているのは借り物な
んであって、7代先まで、同じようなきれいな状態で返していかなければなら
ないということなんですよね。それに遅ればせながら37歳、気づきました。
それでみなさんにお願いにきました。(拍手)

とにかく京都を変えるということは、京都だけではないのですよね。日本も変
わるんですよ。今言った原発のこと、放射性がれきのこと、そこが変われば、
そこに答えが出せれば、みんなそのような展開になってきますよ。みんな、勇
気をもらうんです。京都のみなさんから。みなさんの持っている一票から、変
えられるんだという希望をもらえるんですよ。ぜひ京都から変えてください。
みなさんの力を貸してください。よろしくお願いします。ありがとうございま
した。(拍手)


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明日に向けて(400)僕が中村和雄さんを支持する理由(室町小学校にて)

2012年02月02日 19時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120202 19:00)

このところ連夜にわたって、「中村和雄個人演説会」に招いていただき、僕が
中村さんを支持する理由をお話させてもらっています。1月31日には室町小学
校でお話しましたが、その内容をみなさんに知ってもらいたいと思い、テープ
起こししました。ぜひお読みください。

なお今宵はこれから、右京区の衣笠小学校に向かいます。20時15分から10分ほ
どお話しますが、僕の次にお話するのが脱原発俳優の山本太郎さんです。山本
さんとこんな形でお会いできるのは嬉しい。今宵も心を込めて訴えてこようと
思います。

*******************

私が中村和雄さんを支持する理由(室町小学校にて)

みなさん。こんばんは。守田敏也です。私は主に放射線防護の観点から、中村
和雄さんを熱烈に支持している理由をお話したいと思うのですけれども、ただ
その前に、ここは室町小学校ですね。同志社大学の前で、僕も同志社で研究を
していたことがあるので、同志社大学の前を通ったら、ちょっと胸がいっぱい
になってしまいました。

極端な格差教育をなくすために

みなさん。同志社大学をつくられたのが誰かご存知でしょうか。新島襄さんが
有名です。ところが同志社に土地を寄進したのは、山本覚馬さんといって、元
会津藩士の方です。その妹さんが山本八重さんといって、新島襄のお連れ合い
になっています。このことが、来年のNHK大河ドラマの主人公になるのですよ。
福島応援キャンペーンとしてだそうです。

その山本覚馬は、明治維新後に京都府の参事になりました。それで一番、最初
にしたことをご存知でしょうか。全国にさきがけて小学校を建てたのが山本覚
馬だったのです。明治政府がやる前にです。それがどの学校か。柳池小学校な
のです。今の市立御池中学校です。

その全国にさきがけた平等教育の象徴である学校をですね、今の市長さんは本
当に醜い教育格差の象徴にしてしまいました。私はこれが、本当に許せないの
です。その市長さんの下で、とても大河ドラマを見ることはできません。本当
に理想的な教育を掲げている中村和雄さんもとで、みなさん、楽しく大河ドラ
マを楽しみましょう。

注1 現市長が教育長のときより、御池中学校は重点モデル校とされ、多額の
予算がついて大きなビルに作りかえられた。その分、市内の多くの学校の予算
が削られ、雨漏りが放置されるなど問題が多発している。京都市は公立の小中
学校の中に極端な差が生み出されている。


大きな危機が隠されている

放射線の話をします。深刻な話をします。みなさん、1月22日の京都新聞に大
変深刻な記事が出たことをご覧になったでしょうか。「原発事故最悪想定を封
印 政権昨春作成公表先送り」と書かれています。大変な事態が隠されていた
のです。少し読みます。

「水素爆発で1号機の格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退
したと想定。注水による冷却ができなくなった2号機、3号機の原子炉や、1号
機から4号機の使用済み燃料プールから、放射性物質が放出され」・・・こう
した事態がすぐにくるかもしれないということなのですね。そのときにどうな
るのか。なんとこう書いてあります。

「強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認めると避難区域は、東京
都を含む、半径250キロに及ぶ可能性があるとしている」。つまり半径250キロ
までが避難しなければいけない、そういう計画がすでにあったのです。ところ
がこの文章をみて政府の高官はどう思ったのか。もうびっくり仰天してしまっ
て、「ないことにしよう」と考えたのです。それでその文章を隠してしまった
のです。

つまり国民・住民にこれほどの危機が迫っているのに、それを隠してしまった
のが今の政府なのですね。こんな政府でどうして私たちの命と暮らしを守って
いくことができるでしょうか。

しかもこの危機は、すべてが去ったわけではありません。4号機のプールのこと
がとても懸念されています。あのプールの上には1500本の燃料棒が入っていま
す。そして何度も何度も爆発や地震があってグラグラになっています。建物そ
のものが弱くなっているんです。だから大きな地震があって、あれが万が一、
倒壊したときにですね、どんどん熱が上がって、冷やすことができなくなって、
ここに書いてあるのと同じことが起こりうるのです。

170キロから250キロまでの避難という危機も、まだ私たちの目の前にあります。
なのに今の政府は、冷温停止宣言をして、もう事故は終わったかのように言っ
ています。私たちに危機を知らそうとしていないのです。そんな政府に私たち
の未来を任せておくことはとてもできません。脱原発宣言をはっきりと掲げて
いる市長を、京都から誕生させて、京都から日本を変えていきましょう!


中村さんを支持する理由1 水俣病訴訟との関係

私が中村和雄さんを熱烈に支持する理由は3つあります。1つは中村さんが、
水俣病訴訟を担ってこられたことです。水俣病で明らかになったのは、企業が
国民・住民に毒を撒いても、政府が素知らぬ顔をしてきちんと対応しない。そ
いうことがあることが、この訴訟の中で明らかになりました。

同時にこの訴訟を闘うことを通じて、どうやってこうした汚染に対して立ち向
かっていくのか。水俣病という病に対してどうやって向かい合っていくのか。
このことを中村和雄さんは、弁護士になった初めから関わってこられて学んで
こられたのですね。これは今、放射能汚染と立ち向かう上で、とても重要なこ
とだと思います。


中村さんを支持する理由2 原爆症認定訴訟との関係

そして第二に、非常に重要なのは、中村さんのお仲間の弁護士さんたちが、原
爆症認定訴訟を闘われてきたことなのです。みなさん、原爆症認定訴訟、ご存
知でしょうか。難しい言葉ですね。原爆症認定、これは広島・長崎で被爆者と
認定された方たちのうち、放射線によって、今、病になっていることを認めら
れた方が、受けられる認定です。

ところが日本政府は、放射線の人体に対する影響を、大変、小さく見積もって
いるのですね。だから、ほとんどの被爆者が、原爆症認定を受けることができ
ていないのです。2003年の段階で、27万人おられた被爆者と認定された方のう
ち、原爆症認定をどれぐらい受けることができていたのか。なんと2000人ぐら
いしか受けることができていなかったのです。被爆者認定を受けた方のうち、
1%以下しか原爆症認定をしてこなかった、それが私たちの政府なのです。

これに対して、2003年に、被爆者の中から、これではとても死んでも死にきれ
ない。自分の抱える病気は放射線の害によってもたらされたものであること、
原爆のせいであることを日本政府に認めさせて、それで死にたいということで
起こってきたのが、原爆症認定訴訟という集団訴訟なのです。

この裁判はどうなったのか。実に今日まで、20連勝しています。これも日本の
裁判史上、なかったことです。20回、裁判所が政府に対して、「放射線に対す
る考え方をあらためなさい。これは明らかに内部被曝で、この方たちは放射線
の被害を受けている。そのことを認めて救済しなさい」そういう判決を出しま
した。

ところがみなさん。未だに政府は、その見解を変えてないのです。今、政府が
言っている、放射線が人体に与える影響のレベルというのは、裁判で20連敗し
た内容です。3月11日以降、たくさんの東大の先生たちが出てきて、「にわか
に健康に被害はない」と繰り返しました。あの方たちの多くが、この裁判で、
国側の証人としてでてきて、負けた方たちなのです。

それに対して、中村和雄さんの周りの方たちは、この裁判を担うことを通じて
内部被曝の恐ろしさを改めて認識し、放射線に対して非常に厳しい観点を身に
つけてきた方たちなのです。私は仲間たちと「中村和雄さんを市長にしよう!
勝手連」を立ち上げて、活動してきたのですけれども、昨年の10月に、仲間た
ちが、中村和雄さんを招いて、放射線の害について、私に講釈して欲しいとい
うのです。それで僭越ですが、中村さんに来ていただいて、私が学習会をした
のです。そうしたら、中村さんのほうが、よく知っていらっしゃったのです。

そういう、本当に放射線の危険性をきちんと知っている方を市長にすることを
通じて、私たちは、私たち自身の命、安全を守ることができるし、同時に、こ
の京都から、放射線に対する厳しい規制を作ることによって、日本全体を、変
えていくことができると私は思います。

福島に行った時に、友人たちに言われました。福島は本当に高い放射線量の中
で人々が生きています。その中からなかなか公的補償で避難させてもらうこと
ができないのです。だから福島の友人が言いました。京都で脱原発市長を誕生
させて欲しい。それは自分たち、福島の民のためになる。福島のために京都で
勝ってくれと言われました。

私もそう思います。京都で脱原発市長を誕生させることで、みなさん、私たち
は、私たち京都市民のためだけではなくて、東北の人、福島の人をも救ってい
こうではありませんか。


中村さんを支持する理由3 女性の声を最も受け止められること

そしてもう一つ、私が中村和雄さんを熱烈に支持するとても大事なことがあり
ます。今、私たちの日本社会の中には、大きな下からの変革が起こってきてい
ると私は思っています。それを誰が作っているのか。それはあの事故のときに、
政府のいうことを信じないで、赤ちゃんを抱いて、子どもの手を引いて、あの
危険地帯から、どんどん避難した女性たちだと思うのです。

その女性たちがこの京都にもたくさん来て、住まわれています。その女性たち
の訴えに、同じ子育て世代の女性たちがとても共感して、今、すごい勢いで動
いているのです。私はよく朝10時の講演に呼ばれます。これは人生で初めての
ことです。10時に会場にいくと、お母さんたちと赤ちゃんたちが待っていてく
れるのです。私はよくパソコンを使うのですけれども、なんどもマウスを子ど
もたちに取られてしまいます。

そのように女性たちが動いている時に、私たち男性には、その女性の声をいか
に受け止めるのかということが本当に問われていると思うのです。みなさん、
ご存知でしょうか。私たちの国は、135カ国の統計の中で、女性の地位がなんと
90番目の国なのです。ということは、私たち男性は、国際水準からみてとても
情けない姿を現しているということなのです。このことを、本当に変えなけれ
ばいけないのですよ。

そのことを考えて、中村和雄さんと言う方がどういう方かを考えると、結婚さ
れてから、家事も育児も100%、分担して行われてきたのですね。これは国際
水準から見れば当たり前のことなのかもしれません。しかし私自身をみたとき
に、ちょっと100%とは言えないなと思っているので、私は男性としてのステー
ジが、中村さんの方が高いと思っているのです。

そういう素敵な中村さんを押し立てて、私たちは、脱原発の京都、そして脱原
発だけではない。日本の人たちに本当に誇れる京都を作っていこうではありま
せんか。一緒に頑張りましょう”


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明日に向けて(399)ホットスポットと生きる子どもたち(ニュースJAPANより)

2012年02月02日 09時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
明日に向けて(399)ホットスポットと生きる子どもたち(ニュースJAPANより)

守田です。(20120202 9:30)

ニュースJAPANが重要なルポを流してくれました。「福島最前線からの報告
ホットスポットに生きる子供たち」と題した報告です。福島市渡利地区の
ホットスポットの現実と、そこに住む子どもの姿を描いています。

番組の中に登場する、福島大学准教授の荒木田岳さんは、これまでも紹介
してきたように、「放射能除染・回復プロジェクト」に参加してきた方で
先日、1月16日に僕が福島市を訪れた際も、いろいろとお話した仲です。

その荒木田さんが、取材陣を連れて、100マイクロシーベルト毎時を超える
場所を示していますが、ここが僕が先日訪れた、障がい者自立生活センター
横のマイクロホットスポットです。高いときで180マイクロシーベルトを
示す場所です。


昨年、東京の世田谷市でラジウムが見つかったとき、全国にニュースが流れ
ましたが、そのときの放射線値は2.8マイクロシーベルト毎時でした。世田谷
区長の迅速な対応もあって、世田谷では2.8という値が出たことが大きな問題
になりました。ところが福島市では100という値が出ていても、それほど大き
なニュースにはなりません。なぜか。至るところでそうした値が出ていながら
政府と県が安全宣言を繰り返しているからです。

このあまりに理不尽な状況を、全国の人の力で変えていく必要があります。
何より大事なのは、こうした高線量地帯を、「避難権利区域」に指定し、
避難の権利を住民に付与すること。避難の場合は、政府が経費を負担する
体制を作り出していくことです。法律で、国が国民・住民にこれ以上、浴び
せてはいけない値が、年間1ミリシーベルトと定めてあるのですから、それを
上回るすべての地域にこの権利が付与されるべきです。

とくに子どもたちの避難を優先させる必要があり、そのための学童疎開など
も行なっていく必要があります。これらの声を、福島や、周りの線量の高い
地域の外から上げていくこと。がれきの受け入れではなく、汚染されていな
い地域に、人々を、子どもたちを受け入れていくべきこと。がれきの移送に
使おうとしている資金を人々の避難にまわすべきこと、またそれを政府と対
決しながら推し進められる行政を市民の力で作り上げていくことが大切です。


なお番組では、除染がまったく進んでいないことが指摘し、にもかかわらず
市民にその場での生活を強いることの理不尽さを訴えています。重要な点で
すが、しかし除染は、「貯蔵施設が準備されていない」というよりも、そも
そも実施がかなり困難で、やってもすぐに元に戻ってしまうが故に進んでい
ない面が強いことを捉えた方が妥当です。その意味で除染の不可能性をしっ
かりと認識し、避難を促進すべきなのです。

以下、7分ほどの番組をぜひご覧ください。お時間の無い方のために、文字
起こしもつけくわえてあります。また荒木田さんの名文を紹介した、「明日
に向けて」のページも末尾に貼り付けておきます。

*********

福島最前線からの報告5
「ホットスポットと生きる子供たち」

http://www.youtube.com/watch?v=6HexkrW6J68&feature=youtu.be

キャスター
福島最前線からの報告です。
放射線量が極端に高いホットスポットが点在する福島市。住民の要望をよそ
に、自治体による除染作用や被曝検査は進んでいません。事故から9ヶ月を
超えた今も、子どもとその家族は放射能の不安と隣合せです。

裏澤光雪ちゃん(10歳)
何年後かに、何かが起こるのか分からないけど、ちょっと怖い

荒木田岳(あらきだたける)・福島大学行政政策学類准教授
福島市民はほとんど見捨てられている状態ではないかって思ってますね。

ナレーション
高い放射線量のホットスポットが点在する中で、今も生活を続ける福島市の
子どもたち。その不条理な現実を報告する。

県庁からおよそ2キロの距離にある福島市渡利地区。静かな住宅街に異変がお
きていた。住民の裏澤利夫さん、78歳。自宅前の側溝で放射線量を測定して
もらうと・・・。

裏澤利夫さん
7.308(μSv/h)・・・。8.773(μSv/h)に上がりました・・・。

ナレーション
そして、庭の一角では・・・。

裏澤俊夫さん
30.0(μSv/h)オーバーです。尋常じゃないですね。
(庭に出てきた孫の友雪ちゃん4歳に)あ、出てきたダメだって。出てこないで。

ナレーション
原発事故以降、裏澤さんは、孫娘たちを表で遊ばせていない。被曝のリスクが
高いからだ。
自由に外での遊びや運動ができなくなってすでに9ヶ月。幼い心に強いストレス
がかかっていた。

裏澤光雪ちゃん
外で遊べなくなったり、放射線の濃度が高くなったりすることが、ちょっと怖
い。

ナレーション
渡利地区を「避難勧奨地点」にして欲しいと望んでいる裏澤さん。しかし住民
説明会で国は・・・。(渡利地区住民説明会の映像)

原子力災害現地対策本部 佐藤暁室長
まずはですね、除染をさせていただきたいということです。

ナレーション
そして地元福島市の担当者は・・・。

福島市政策推進部 冨田光部長
国の基準になりますけれども、その基準から言えば、住み続けることが可能
であると。

ナレーション
とはいえ、福島市内の除染は、一部の公共施設以外、手つかずのまま。
中間貯蔵施設の準備が出来ていないからだ。

裏澤利夫さん
健康を、行政のほうでなんで守ってくれないんだろうということをつくづく
思いますね。同じ人がここに住んでみたらそうですかっていうことなんです。
子どもとか孫を住まわせて。

ナレーション
福島大学で行政政策を教える荒木田岳准教授と、渡利地区の通学路に向かった。

荒木田岳さん
こういうところですか?どうだろう。どれぐらいあるのかなあ。

・・・2.054μSv/hの数値・・・

僕らもう、感覚が麻痺しちゃって。

ナレーション
そして、驚くべき数値を示す場所があった。

・・・101.6μSv/hの数値・・・

荒木田岳さん
異常に高い数値であることは間違いないです。

ナレーション
放射線線量計は、実に、100μSv/hを越した。

荒木田岳さん
見ての通り、誰でも近寄れる場所じゃないですか。こういうとこ、子ども、
ボールを落としたりしますし・・・。

ナレーション
荒木田准教授は、今年、この渡利地区に、自宅を建てる予定だった。

荒木田岳さん
(予定地で)もう建っているはずだったんですよ。年内に入れればっていう
意向だったんですけどね。見ての通りです。

ナレーション
原発から出た大量の放射性物質が、雨に流されるなどして濃縮。福島市内に
ホットスポットを生み出していた。放射能問題が深刻さをます一方で政府は

12月16日首相官邸における野田首相の声明
原子炉が冷温停止状態に達し、発電所の事故そのものは収束に至ったと判断
される、との確認を行いました。

ナレーション
官僚の発想で対策を進めようとする政府。これを許す地元自治体の責任も
重いと、荒木田准教授は指摘する。

荒木田岳さん
まったくこの事故に関しては、中央依存というか、中央が決めたまま、市の
方針も県の方針もそれに従って出てくるというような状態。これが非常に不
幸だと僕は思っています。
住民を守る目線で、住民と一緒に、今後、どういう打開策がありうるかという
ことを、本当は考えていかなければいけないと思うのですけれどね。そういう
転換を、早くやってほしい、というふうに思います。

ナレーション
渡利地区の裏澤さんは、被曝対策で、孫娘たちに外出時は必ずマスクをつけ
させている。先月から少しでも被曝を避けるために、夜は親戚の家に「疎開」
するようになった。

裏澤利夫さん
本当に、淋しいよりも悔しいですよね。こういうふうな生活を強いられるって
いうことは。

ナレーション
福島市では、まだ子どもの内部被曝検査すら始まっていない。
(「福島市の内部被ばく検査は来年2月以降―」というテロップ)
放射線量の高い場所で子どもたちが生活している現実。その未来を本気で
守ろうとしているのか。国と地元自治体の姿勢が、今、問われている。

********

明日に向けて(304)除染するほど、「住めない」と思う・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(3)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3ebae533afd6d0f6a86b9fd668af6153


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明日に向けて(398)巨大地震発生の可能性が(東北沖・琵琶湖周辺)

2012年02月01日 14時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120201 14:30)

今日はどうしてももう一つ発信しておきたいことがあります。東北沖と、琵琶
湖周辺で、巨大地震発生の可能性が指摘されていることです。東北沖では、マ
グニチュード8級の地震の可能性がうたわれています。その場合、再び大きな
津波が押し寄せてくる可能性があります。

地震そのものでも、津波でも、懸念されるのは直接の被害の他に、原発事故が
再び起こることです。とくに福島第一原発で、ぎりぎりの状態で保たれている
冷却系が失われる可能性がある。あるいは4号機の倒壊の可能性もあります。
そうなったら最悪です。

同時に琵琶湖周辺でも、巨大地震の可能性が指摘されています。この場合も
懸念されるのは、原発銀座の14基の原発群です。関電で動いているのは今は
1基ですが、それぞれにたくさんの燃料棒が蓄積されており、やはり危険な
状態が続いています。

重要なことはこれに対する構えを作り出していくこと、大災害の可能性をみす
えて、対策を講じていくことです。それがあるとないとで、全く対処が変わっ
てきます。今こそ311の経験を生かして、被曝対策を練り上げていくことが
問われます。

そのためにはどうすればいいのか。災害心理学が参考になります。災害心理学
では、人間が危機に直面した時、しばしば「正常性バイアス」に陥ることが指
摘されています。危機を認めず、事態は「正常」に推移するのだと、偏見をか
けることで、心理的動揺を押さえ込もうとする人間心理のことです。

これがあると人は退避行動に移ることができない。目の前にある災害を認識で
きず、避難が遅れてしまうのです。そのため災害心理学は、「正常性バイアス」
の恐ろしさを繰り返し指摘し、その解除をなすべきことを指摘しています。実
は人はなかなかパニックにはならないことも指摘しています。

では「正常性バイアス」の解除には何が必要なのか。一番、効果があるのは避
難訓練を繰り返し、いざというときの行動マニュアルを徹底させておくことで
す。実際、311の時も、こうした訓練が行き届いていたところほど、津波被
害は少なかったのです。

では原発災害に対してはどうすべきか。ぜひそれぞれの市町村で原発災害訓練
の実施を行政に要請してください!とくに原発に近い地域は必須です。それが
ないと、ヨウ素剤、ガイガーカウンター等々、必要なものの備蓄もできません。
そのために311のときは被爆が拡大したことを教訓とすべきです。

個人レベルでは、さまざまな原発関係の学習会に参加することそのものが、避
難訓練の一つになること。実際、311までもそうした経験をしてきた人ほど、
的確に逃げ出すことができたことを知ってください。学習会はいわば図上訓練
です。そこにできるだけ多くの人を誘いましょう。

また家族でよく話し合って、危機のときに持ち出すものを整理し、家族が落ち
合う場所、逃げる方向、ルートなどを複数確認しておいてください。スピー
ディーを今度こそ公開させる必要がありますが、現状ではあてにできません。
そのために複数の可能性に基づいたシミュレーションをしておくのが大事です。

備えあれば憂いなしです。しかしこうした備えをすることが、即、原発の危険
性の認識につながるために、これまで政府はこうした対処を避けてきたのです。
いや、今なお避け続けている。その象徴が、でたらめな「冷温停止宣言」です。
こんな政府に従っていたら、私たちの命はまったく守れません。

地震・津波、そして原発災害に対する構えを作り上げていきましょう。その中
に脱原発世論を高めていく道もあることを知りましょう。ぜひ各地で避難訓練
を実施しましょう。災害心理学を学びましょう。危機に対する構えをみんなで
作って、みんなで危機を乗り越えていきましょう!

**************

東北沖、M8級余震も プレート内部の変化を観測
共同通信 2012年1月31日

東日本大震災の地震により、東北地方に沈み込んでいる太平洋プレートの内部
で力のかかり方が変化したことを、海洋研究開発機構などのチームが観測で発
見し31日、米科学誌電子版に発表した。東北沖の太平洋遠方で起きる地震は、
震災前にはマグニチュード(M)7級と考えられていたが、余震として起きる
地震がM8級になる可能性も出てきたという。

チームの尾鼻浩一郎主任研究員は「1933年の昭和三陸地震(M8・1)と
似たタイプ」としている。

昨年4~7月、宮城、福島両県の沖合250キロ以上離れた海域に設置した
20台の海底地震計で、プレート内部で起きる余震を観測、データを分析した。
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012013001002092.html

*****

琵琶湖底の堆積物噴出活発化
朝日新聞 2012年01月20日

【「地震予兆」指摘も】
高島市沖の琵琶湖の最深部で、湖底から堆積(たい・せき)物が噴き上がる現
象が活発化している。近畿地方を震源とした地震の予兆の可能性を指摘する専
門家もいる。

県琵琶湖環境科学研究センター環境情報統括員の熊谷道夫さん(60)らによ
る自律型潜水ロボット「淡探(たん・たん)」を使った湖底の調査では、
2009年から噴き上がる場所の数や大きさが増し、付近のにごりも増してい
るという。

熊谷さんが着目するのは、湖底から1メートルと1.5メートルの場所での水
温の比較で、08年ごろから湖底に近いほど高い現象が目立つようになった。
「地中の熱が水中に伝わっているためで、水温の差が大きい場所で地下水や
ガスの噴出が起きているのではないか。25年にわたる湖底観察で初めての
現象だ」と話す。

元東京大学地震研究所准教授の佃為成さんは地殻変動の影響を指摘する。この
地域は、地殻変動による「ひずみ」が蓄積した「新潟―神戸ひずみ集中帯」の
一部で、同集中帯では1995年の阪神大震災や04年の新潟県中越地震など
が起きた。02年以降、琵琶湖から神戸にかけてひずみの変動が大きくなって
いるデータもあるうえ、高島市から大津市にかけての内陸部には琵琶湖西岸
断層帯がある。佃さんは「(噴き上げ現象が)大地震の準備過程を意味する
可能性を念頭に置いて防災態勢を急ぐべきだ」と話す。

元京都大学総長で地震学が専門の尾池和夫・国際高等研究所長は「現時点では、
湖底の現象を地震の前兆に結びつける判断はできないが、さまざまな異常現象
を集めておくことは地震の前兆現象の研究にとっても大事なことだ」と話す。
(飯竹恒一)
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000001201200001
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明日に向けて(397)福島第一原発で、凍結による相次ぐ水漏れが

2012年02月01日 12時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120201 12:00)

福島第一原発で、おりからの冷え込みによって、燃料プールや冷却ポンプの
凍結が繰り返し起こり、水漏れ等が繰り返されています。冷却は、原発事故
が最悪の事態に発展しないための最も重要な生命線であり、これはとても危
険な事態です。

東京新聞は、これらの事態が、東電が凍結対策を野ざらしにしてきてしまった
こと、またこれを監督指導すべき保安院が、見過ごしてきてしまったことを
無責任であるとして指摘していますが、まったくそのとおりだと思います。
ここでも危機は人為的に拡大されています。

さらに背景を探るなら、凍結対策という基本的なことすらなされていないこと
には、政府の「冷温停止宣言」が大きく影をさしていると思われます。原発は
まったく安定などしておらず、冷却ができなくなれば、最悪の事態に発展する
可能性が残されているのに、それに蓋をしてしまったことにより、現場の指揮
もまた著しく落ちていると思われるからです。

こうしたことを規制するためにも、市民の側が、現に今、ものすごい危機が、
私たちの前にあることを訴え続けていく必要があります。そのことで現場の
緊張感をこちらの側から喚起していくしかない。周りからの関心や目が薄れ
れば当然、現場は弛緩します。冷温停止宣言はそれを促進する要因にしかなり
得ていません。

さらに多くの人の目で、厳しいウォッチを続けていきましょう!

******************

福島第一 凍結で14カ所水漏れ
東京新聞 2012年1月30日

東京電力は二十九日、福島第一原発の使用済み燃料プールや予備の原子炉冷却
ポンプなどの周辺十四カ所で、水漏れが相次いで見つかったと発表した。今冬
一番級の冷え込みによる凍結で、配管やホースに亀裂が入ったのが原因とみら
れるが、これほどまとまって水漏れが見つかるのは初めて。

東電によると、同日午前九時三十五分ごろ、4号機の使用済み燃料プールの循
環冷却装置で警報装置が作動。現場を確認したところ、ポンプが止まり、燃料
プールの冷却水が漏れているのを発見した。

その十五分後には、高台に設置されている非常用の原子炉注水ポンプの流量計
の付近から、微量の放射性物質を含む処理水が近くの側溝に流出しているのが
発見された。

このほか、増設中の2、3号機用原子炉注水ポンプの流量計や、淡水化装置、
蒸発濃縮装置などの周辺十二カ所でも水漏れが見つかった。

一部は中濃度の汚染水の漏れもあったが、いずれも漏れた水の量は少なく、海
の汚染はなかったという。

同原発では二十八日にも、原子炉注水ポンプの弁で凍結が原因とみられる水漏
れが三カ所見つかったばかり。

福島地方気象台によると、原発に近い福島県広野町では二十九日午前六時二十
分ごろに今年の最低気温となる氷点下八・三度、浪江町では同三時で氷点下八
・七度を記録した。

東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「保温剤を巻くなどの対応を取って
きたが、場合によっては電熱器を巻くことも考える」と述べた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012013002100003.html

*****

保安院 明確な指示は事後 凍結対策野ざらし
東京新聞 2012年1月31日

福島第一原発で相次ぐ凍結による水漏れ問題。東京電力は夏ごろから凍結対策
の必要性を認識していたのに放置した結果、無駄な労力を割く事態に陥ってい
る。事故後にめぐらされたホース、配管類の総延長は十数キロに及び、野ざら
し状態のものが多い。今後も水漏れが連日起きる可能性は高い。
 (深世古峻一、片山夏子)

これまで確認された二十三件の水漏れ場所を見ると、保温材を巻くなどの対策
がなされていなければ、凍結は原発のどこででも起きることが分かる。

さすがに原子炉に冷却水を送るメーンの配管や、高濃度汚染水を流すホースだ
けは昨年末から対策工事がスタート。塩化ビニール製のホースをポリエチレン
製に変えたり、保温材を巻きつけたりしたという。

しかし、その他の大部分はあまり進んでいない。保温材を巻いたつもりでも、
出っ張りのある接続部などは、保温材を巻くのが難しく、こういった場所で水
漏れしたケースもある。抜本的には、ヒーターの設置や仮設の囲いが必要にな
る。

だが、これらは一朝一夕ではいかず、同社幹部は「当面はパトロール態勢の強
化と、保温材の設置を徹底するしかない」と話す。

東電の対応の遅れも問題だが、東電の姿勢をチェックし、先を予測して指導す
るはずの経済産業省原子力安全・保安院の対応にも問題が多い。

保安院の森山善範原子力災害対策監は「凍結対策は、東電が当然すべきこと。
指示しないとやらないようでは困る。敷地内のあちこちでたまり水が見つかっ
た時もそうだが、凍結対策も東電がきちんと計画を作り実施していたら…」と、
東電を責める。

だが、保安院は、東電に寒さ対策を口頭で注意喚起してきたと強調しているが、
明確な形で指示したのは、既に二十件も凍結が起きた二十九日のこと。

現地に配置されている原子力保安検査官が漏えい状況を確認したというが、ど
れも事後対応。水漏れが起きないとやらないようでは、何のための保安院なの
か分からない。

配管設置に携わってきた作業員は「配管はむき出し。最初から凍結してこうな
ることは予測できていた。何をしているのか」とため息をついた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012013102100004.html
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明日に向けて(396)肥田舜太郎医師、原爆投下直後を語る!(内部被曝研記者会見より・・・その2)

2012年02月01日 11時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120201 11:30)

1月27日に「市民と科学者の内部被曝問題研究会」立ち上げ記者会見が行われ
たこと、自由報道協会で、名誉会長の肥田舜太郎さんが、感動的なスピーチを
してくださったことはすでにお知らせしましたが、続いて、日本記者クラブで
の肥田さんの発言をご紹介します。

これも同じようにぜひ文字起こしをしてみなさんにお伝えしようと思ってい
たのですが、この作業を、知人で、「パレスチナに平和を京都の会」の諸留
能興(もろとめよしおき)さんがしてくださり、メールで配信してください
ました。大変ありがたいです。丁寧な注釈もつけてくださっています。諸留
さんに感謝しつつ、これをこの場に転載させていただきます。

ちなみにこの日、僕は初めて日本記者クラブのビルに入りました。豪勢なホ
テルのような作りで、正直いって、このお金はどっからやってくるのだろう
と考えざるを得ませんでした。記者会見に臨む際にも、意地悪な質問も出る
のでは・・・という声もありました。ところがメンバーのみなさんが次々と
被曝との対決を語り、なかんずく、肥田さんが、広島原爆投下直後に被爆者
に起こったことを朗々と語られると、会場はシーンと静まり返り、肥田さん
の言葉をひとことももらさずに聞き取ろうろする記者さんたちの熱気が伝わ
ってくるように感じました。

肥田さんは、これまで生涯をかけて、被爆者に起こった事実を明らかにし、
内部被曝の恐ろしさを訴え続けてこられましたが、いつも孤独だったとも語ら
れています。「しかし今は、仲間が増えた。やっと複数の方たちが、内部被曝
について、語ってくれるようになった。自分の命の続く限り、語り続けます」
とも・・・。

今回の発言の最後のほうで、肥田さんは、今も生き残っている被爆者が、ただ
長生きをしたのではなく、懸命な努力を重ねて、放射線被曝とたたかってきた
ことを述べています。そしてこう語られています。

***

自分で自分のいのちを守ってきたんですよね。だから、医学が進歩して治療法
が解るまでは、当面は、先輩の言うことを勉強しながら、日本は、政府は政府
なりに国民の健康を守って、これ以上、放射線の被害を増やさない、というこ
の事に努めるべきです。そう思って私は95歳になっても、今、全国を歩いて、
ほとんど連日、講演をして歩いてます。これは私しか出来ないから私がやる
しか仕方がないんです。明日死んでも、明後日死んでも、やっぱりやるべきだ
と思ってやっています。

***

どうか肥田さんの言葉を、・・・僕がいうのは僭越ですが・・・私たち、内部
被曝問題研究会に参加するものすべての決意としてお読みいただければと思い
ます。

なお日本記者クラブでの会見の様子は以下からご覧になれます。肥田さんの
発言は48分14秒ぐらいからです。
http://www.youtube.com/watch?v=3fBCDRmNppw

******************

被爆医師 肥田舜太郎さんの訴え(1月27日日本記者クラブ)

私は1917年生まれです。28歳の時に、広島陸軍病院で軍医として勤務していま
した。原爆が投下された8月6日の前夜はたまたま病院に泊まっていたのですが、
深夜の午前2時半頃に、かって一度だけ診察したことのある農家の子どもが、
心臓弁膜症で発作を起こしたので診察に来て欲しい、ということだったので、
緊急往診に連れ出されました。

当時、将校は勤務の無い夜間とか、命令などの何も無い時は自由ですから、診
療活動は出来ます。ただ、報酬は貰ってはいけないということだったんですね。
そういうことで、原爆の落ちた朝、6キロ離れた戸坂(へさか)村[◆註:1]へ行っ
ていて、病院を離れていたために助かりました。

[◆註:1]
爆心地から東北方向へ約6キロにあった広島県安芸郡の村。1955(昭和30)年4月
10日に広島市に編入合併し消滅。[註:オワリ]


病院は爆心地から350メートルという至近距離にあったため、瞬間的に病院は無
くなりました。病院の中にいた597名は3名を残して即死したようです。私が戸
坂村で被曝した時の様子などをお話ししていると時間も無くなりますので割愛
します。

私がこの戸坂村にいて、午後になってから広島から逃げてきた大量の被爆者が、
その小さな戸坂村にどんどんどんどん入り込んだんですね。でも、被爆者たち
が村に入ってきても村の内もやはり爆風でほとんど壊されていて、入れるよう
な家もない。沢山収容できる小学校も、二棟あった校舎も全壊してどこにも収
容できる所がない。結局、広島から逃げて来た人たちは前身火傷の、皮膚がズ
ルズルに焼けただれた大変な重症者たちは、結局、道路と、学校のグランドと、
それから村の空き地ですね、そういう地べたに皆、寝転がったんですよね。

で、そういうような重傷の被爆者たちを私たちがどうしても治療しなくちゃな
らなくなったんですよね。その日の夕方、たまたま偶然、4人の軍医が集まりま
した。その夜の戸坂村の記録によると、6000人の患者が村に入ったんですよね。
しかし、治療する道具は何にも無い、薬も何にも無いという状態で、見る見る
皆が死んでいくという状態に我々医者は立たされました。

その日3日間、結局、薬も無し何にも無しという状態で、我々はただ手をこまね
いて死んでいくのを見るだけ、と言われても仕方がないような状態でした。

4日目の朝、「それまで死んだ人は全部火傷で死んだのだ」と、我々は常識的に
そう思っていました。ところが、4日目の朝から、火傷でない状態で死ぬ人が現
れ始めました。その日は朝から、村の記録によると2万7000名という被爆者が村
に入ったのですね。診療するほうは、前の晩に九州と四国から軍の命令で応援
が来ました。医者の数は確か27名になったと思うんですが、何しろ治療しなけ
ればならない相手が、2万7000名という膨大な患者数ですから、どうしようもな
いんですよね。

でも、どういう症状が出始めたかっていうと、まず、40度の熱が出る。40度と
いう高熱は内科の医者でも、あんまり診たことが無いほどの高熱なんですね。
マラリヤで死ぬ時と、肺炎の末期と、チフスの時に出るだけなんですよ。それ
で「何でこんな高熱が出るんだ?」って思って被爆者を診ると、まず目と鼻と
口から血が出ます。目から出る血というのは、医者でも見たことが無いんです
よね。鼻や口から出血するのはそれまでにも何度か見たことがありますが。

でも、目の、ここの、アカンベーをした時の、ここから血が出る、というよう
な患者は医者でも見たことがないんですよね。そのうちに、熱が有りますから、
当然扁桃腺を診るんですよね。扁桃腺が腫れれば高い熱が出ますからね。そう
思って、非常に苦労して被爆者の口の中を診ますと、医者が自分の顔を被爆者
の口に近づけて持って行けないほど、もの凄く臭いんですよね。これは、単に
口臭があるというような匂いなんかではなくって、腐敗している匂いなんです
ね。人間がまだ生きているのに、何で口の中が腐っていくのかが解らない。

そのうちに、火傷をしていない綺麗な肌はまだ残っているんですよね。その綺
麗な肌に紫色の斑点が出るんですね。丁度、鉛筆のお尻に紫色のインクを付け
て、こうやってポンポンポン・・っていうように皮膚に押し当てると紫色の痣
のような色が付きますよね、丁度そういうように紫色の斑点が出てくるのです
ね。でも、それも何故なのかが解らないんですね。

最後に、これも不思議なんですけれど、筵の上に寝ている患者がですね、あと
大体数時間しか生きていないっていうようなそういう人間が、何気なく自分の
頭をこうやって、頭髪を後の方に手で撫で上げるんですよね。するとそうやっ
て触った自分の手のひらに毛がすうーって、こう取れるんですよね。あの・・
・脱毛、脱毛って・・よく被爆者の事が書かれていますよね。

でも、脱毛っていうのとは違うんですよね。触ると取れるんですよね。これは
僕らしか見たことが無いんですよね。その後、世界中のどこを見ても、こんな
現象は有りません。あの時だけだったんですよね。で、それは後で解ったんで
すよね。だいぶ10年ぐらい経って、20年くらい経ってから、なぜそういうこと
が起こるのかっていうことが、アメリカから伝わってきました。

それは毛の根本っていうのは毛根細胞っていいますよね。こうやって手で髪の
毛をプツンと抜くと、手で触ると毛の付け根に肉が付いていますよね。この肉
が毛根細胞って言うんですよね。これが頭の頭皮の肌にくっついているんです
ね。この毛根細胞というのは人間の体の中にある細胞のうちでも一番勢いの良
い、生命力のある、どんどん伸びる、分裂する細胞なんですよね。こういう細
胞分裂が活発な細胞が、一番先に放射線にやられるらしいんですよね。

で、爆発した原爆の相当強烈な放射線がまず頭上を照射する。で、その放射線
で毛根細胞が全部即死したんですね。結局、頭皮の地肌から離れた毛が毛穴に
つっ立っていた。そんなこと知らないから患者はこうやって手で頭を撫でると、
すーっと毛が取れちゃう。これがあの時の脱毛なんですね。

で、そう言う見たことの無い症状が出ると、大体1時間から2時間ぐらいで全
部死んでいくんですね。で、30名、50名の被爆者が、こう地べたに寝てるんで
すけど、そういう所で誰か一人が死ぬと僕らが呼ばれて行って、その死んだ人
の所に行くんですね。するとその死んだ人の周りで寝てる患者が、そういう丁
度毛が抜けて、また死んで行くところにぶつかるんですよね。

だから僕らの経験でいくと、あのピカドンに遭った人は、こういう症状で死ぬ
んだなぁ・・っていうことが、理屈じゃなくですね、数多くそういうことを目
撃した経験から教えられたんですよね。これが、後から付けられた「急性放射
能症」。つまり原爆の放射線でやられた最初の急性症状で、2万7000人の人が、
どんどんどんどん死んだんですね。

その次に僕らがビックリしたのは、本人が「軍医殿、わしゃぁ、ピカには遭っ
ておりまへんで・・!」って言うのがいるんですよ。「どうした?」って聞く
と、「その日は広島にはいなかった!」って言うんですよね。「原爆投下され
た8月6の日二日後に自分は広島に帰って、自分の子どもが帰って来ないのがい
るから、焼け跡を探して歩いた」って言うんですよね。「大体二日くらい歩い
たら、どうも体の調子がおかしくなって、それで診てもらおうとおもってここ
へ来たんだ」って言うんですよね。

僕らの持っている医学の知識でいくら診てもですね、具合が悪いってところが
見つけられないんですよね。当時の事だから、難しい検査なんてものは出来ま
せん。でも常識的にこれはおかしいと・・。で、そう言っているうちに、変な
症状が出て死んでいっちゃうんですよね。この人は一体何で死んだのか?っと
・・・。ピカにも遭っていないと。こりゃ何だ?・・って言うのが自分の放射
線病との出会った最初ですわ。

それから、今言う、いわゆる「内部被曝」。当日広島市内にはいなかったのに、
1週間・・そうですねぇ・・法律の上では数日以内に広島市内に入ったという
のが被爆者と認められているんですが、この連中の中から僕らの診ていない病
気がうんと出てきたんですね。

つまり、今現在は、内部被曝という言葉があるけれど、当時は僕らは「入市被
曝」って呼んでいました。本人は原爆が炸裂した当日には広島にはいなくて、
後から町へ入ちゃって、こうなった・・と。で、その原因が、全然僕には解ら
なかったです。

その後、30年、そういう患者をずーっと診続けて、1975年にアメリカに私行き
ました。第一回の原水爆実験禁止の国民代表団として国連に要請に行ったんで
す。その代表の中に入れてもらって国連へ行った時に、アメリカの医者で、
たった一人、内部被曝の患者ばかりを診て、ちゃんと理論を作って、アメリカ
政府に対決している博士がいたんですよね。ピッツバーグ大学のアーネストス
・スタングラス[◆註:2]という医者です。まだ生きています。僕より2つほど
歳下ですけど。

[◆註:2]Earnest J.Sternglass
1923年ドイツのベルリン生まれ。アメリカのピッツバーグ大学医学部放射線科
名誉教授。専門は放射線物理。スタングラス博士の「低レベル放射線の人体影
響」に対する研究は、広島原爆による放射線影響を過小評価した論文がきっか
けとなった。博士はアメリカにおける核実験からの死の灰により、幼児の過剰
死が起こっていることをいち早く発表した。その後、原子炉周辺でも同様に過
剰死や健康障害が起こっていることを発見した。これらの綿密な分析に基づい
た名著『Secret Fallout』(邦題『赤ん坊をおそう放射能』)を著した。アメリ
カの著名な統計学者ジェイ.M.グールドと非営利団体「放射線と公衆衛生プロ
ジェクト(RPHP)」も設立。更に研究を通じ、一見健康な人の間でも、学力低下
や、免疫力低下、感染症へのかかりやすさ等、社会全体としての質の劣化が生
じているという理論を展開している。[註:オワリ]

このスタングラスが僕に会った時にですね、僕が「広島から来た」って言った
ら、「お前は何でアメリカに来たのか?」って彼が言うから、「原爆に遭わな
かった人間が解らない症状で死んで行くので、これを教えてもらいたいから来
たのだ・・」って私が言うと、「あぁ、お前の見たそれは、放射線が体の中に
入った時に起こる病気だ。アメリカにもおなじような患者がいっぱいいる」っ
て、そう言うんですよね。「それは核実験で被曝したアメリカ軍の兵隊が皆、
全国的に発症して出ている。俺がそのことで本を書いたから、その本をお前に
やる」、って言うんで、その時に私は初めて低線量被曝量内部被曝の理屈を、
そのアーネストス・タングラスという先生から教わったんですね。

それで日本に帰ってきて、その本を日本語に翻訳して、お金がありませんし、
本屋はそんな本なんか出版してくれるようなところなんかも無かったのですが、
時事新報社っていうところが、その本のことを気に入ってくれて、本として出
版してくれました。でも、この本が、日本で出た低線量放射線の内部被曝の初
めての本[◆註:3]ですけれど、ほとんど誰も読んでないと思います。

[◆註:3]『死に過ぎた赤ん坊---低レベル放射線の恐怖』(Low Level Radiation,
肥田舜太郎訳,1978年,時事通信社)。この増補版に『赤ん坊をおそう放射能---
ヒロシマからスリーマイルまで』(Secret Fallout:Low-Lexel Radiation from
Hiroshima to Three Mile Island,反原発科学者連合訳,1982年,新泉社),
『Before the Big Ban』(Four walls Eight Windows,New York,1997)の著もあ
る。

ラルフ・グロイブとアーネスト・スターングラスの著『人間と環境への低レベ
ル放射能の脅威―福島原発放射能汚染を考えるために―』肥田舜太郎・竹野内
真理共訳[あけび書房/2011年6月25日初版]は、3.11福島原発事故原因の評価か
ら、被爆国日本にある原発の矛盾、今後の賠償問題、モニタリングポストや
ホールボディーカウンタの限界、内部被曝と外部被曝の違い、「安全基準値」
批判、「ペトカウ効果」とは何かなど・・・低線量被曝をめぐる重要な指摘な
ど綿密な調査研究書。[註:オワリ]

まぁ、そんな事が縁で、私は放射線医学をやってきたんですが。私が一番言い
たい問題は、ヒロシマ・ナガサキを経験した日本が、なんで53基もの原発を日
本に作ったのか?ということです。これは外国の人の疑問なんですよ。「何で
そんな事をしたのか・・?」って。

原因はひとつなんですよ。1945[H20]年の9月1日にダグラス・マッカーサーが
厚木飛行場に着きました。で、最初に対日占領方針を発表したんですよね。彼、
マッカーサーがずるいことに、文書では出さずに、全部口頭でその占領方針を
言ったんですよね。で、日本政府の要人が通訳者と速記者も連れて、マッカー
サーが口頭で言った事を全部筆記して、そして当時の厚生大臣が広島にいる
僕らのような医者たちのところに通知してきた。

その中味のうちで関係の無い事は僕は知りませんけど、「原爆によって広島・
長崎の市民、兵隊が沢山被曝した。中には死んだ者も沢山おる。それから現在、
怪我をし病気をし入院して寝ている者もおる。しかし、彼らが今被っている被
害は、アメリカの軍の軍事機密である。これについては本人は勿論、それを見
た者も、聞いた者も、絶対に口外してはならん。これに逆らう者は厳罰に処す」
と・・。

それから「日本の医師、医学者は当然こういう被曝した人間から診療を求めら
れる。その場合は医者としての義務として診療はしても宜しい。ただ、その結
果を詳細に書いて複数の医師同士で研究をしたり、論文で学会に出したり、日
本の医学界が放射線の被害について研究、調査することは一切いけない。これ
に違反した者は厳罰に処す・・・」と。

これがマッカーサーのやった事なんです。で、その指令が出たもんで、被爆者
は全部、黙りました。それに逆らった時のアメリカ占領軍や日本政府からの処
罰が、おっかないですからね。それと、まず真っ先に、広島大学と長崎大学が
黙ってしまったんですね。あとは、開業医の層がね、患者が来て「先生、実は
私は広島で被曝しましてね・・」ってこう言いかけるとですね、それを聞いた
開業医の方から「あぁ・・その話は言わんで下さい!私が聞いた事が解ると、
私がGHQ[Genelal Head of Quaters 連合国軍総司令部の略号]から睨まれま
すから・・」っていう、そういう形で、被爆者は医師からも相手にされなく
なったんです。

中には良心的に診た医者もいるけれども、当時の医学は放射線の診断は全く出
来なかったんですね。どこが、どう悪いのか、当時の医学的知識も情報も何ん
にも無いんですね。ですから、私は外人が良く質問するように「何故日本が、
原爆の被害というあの経験をしながら、政府も専門家の、なぜ原子炉をそんな
にたくさん作ったのか?」という疑問に多逸しての答えは、今述べたことしか
無いんですよね。

それがそのまんま、アメリカの対日占領政策が終わってアメリカが日本から
帰った後も、日本が独立しても、日米安保条約を結ばされて、アメリカの核兵
器に不利になることは一切やってはいけないという、内規みたいなもので日本
は縛られてきている。だから、福島でああいうことが起こっても、あの放射線
被害について本当に心配している人間は、今のこの日本にもいないんですよ。

「安全だ!安全だ!」っていうことは皆、言います。どうしたら良いか、って
ことは、本人が出来もしないような「遠くへ逃げろ!」と。「食べる物は放射
能で汚染してない物を食べろ!」と、みんなこの二つを言う。現地の人で、
それが出来る人は、福島県の人口の一割もいませんよ。もし福島県のすべての
県民皆が移ったら、行く所なんか日本にはありませんよ。そういう狭い国の中
へ、あれだけの原発を作るっていう大間違いを、日本の国民が選んでやって
きちゃったんですよ。

それは、放射線の被害をなんにも教えられていない。ヒロシマ・ナガサキ、っ
て言うと、「あぁ、あのケロイドが出来て、すごい火傷をしたあれね!」って
・・いう具合に、目に見える被害しか知らない。放射線の被害については誰も
知らないんですよね。

だから私は、これから日本国民はもう一度勉強し直して、放射線被害というも
のが、下手をすると人類が滅んでしまい兼ねない、恐ろしい敵である。治療の
方法も無ければ、防護の方法も無い、そういう恐ろしい敵であるということを、
もっともっと皆で勉強して、これを機会に放射線というもにに対して縁を切る、
そういう国にならなけれればいけないって、私はそう思っています。

今、私はは、方々から頼まれて講演に行きます。何を頼まれるか?って言うと、
「どうしたらいいか教えろ!」って聞かれるんですね。そんなこと僕に解る訳
でない。「でも先生は被爆者もたくさん診てきたから、何かきっと良い智慧が
あるに違いないから教えて欲しい」って、よくそういう質問をされるんですね。

ひとつ、あります。それは、私は日本被団協に縁を持つようになって、組織の
中のたった一人の医者なんですから、被爆者に病気を発病させないで、最後ま
でガンにならないで、放射線に勝って長生きする方法、これを皆で勉強しよう
・・・って、そういう思いで30数年間、ずっとやって来ました。で、その結果、
皆で到達した結論って言うのは、要するに自分が最高の健康の状態を保ちなが
ら、放射線による病気の発病を予防するということ、病気を起こさないで長生
きする、って言うこと以外に手は無いんですね。

お医者さんに行っても放射能による病気に効く薬は何にもないんですよね。困
難でも、それをやろうじゃないか、ってことですよね。それは何をやったらい
いだろうか?私はいろいろ考えてですね、4億年前に、この地球の上に人間が生
まれたんだそうですけど。その頃の生まれたばかりの人間は、自然界にある放
射線と紫外線で、どんどん殺されていったという。

しかしその放射線と紫外線殺で、されても殺されても、人間はそれでも生まれ
てきてですね、それと対決して、免疫を作って対決して、こうやって現在まで
いのちを繋いで続いてきた。それには何千万年という時間がかかっている。
そんなに長い時間の間、人間は太陽と一緒に起き、太陽と一緒に寝た。生き残
るにはこれしか他に手が無かった。明かりも無ければ、熱も無い、エネルギー
何にも持たず、それで生き延びてきたんですね。だからその時の状態、太陽と
一緒に起き、太陽と一緒に寝るという、その生活が基本になって人間の免疫を
作っている。

だから我々の持っているこの僅かな貴重な免疫を磨り減らさない為には、今述
べたようなその生活に努めて近い生活をすることが、大事だろうと・・言うこ
とで、朝寝、夜更かしは止める。朝起き、早寝で生活する。健康に悪いと言わ
れることは一切やらない。タバコはやめる。食べ過ぎもやめる。食事の際には
30回噛め、って言うなら30回噛みましょう。・・っていうようなことを何十万
人という被爆者たちが一生懸命に実行して、やってきたんですよ。

だから、今21万人と言う被爆者が、歳をとってはいるけれでも生き延びていま
す。これは自然に生きたのではなくって、被爆者が努力して、放射線と闘って
長生きしてきたんですよね。今、こうやって講演しながら、これを私は教えて
歩いているんですよね。そんな事でも頼りにしてくれます。私しか、そんな話
をする人は他にはいないんですよね。だから、もっともっと被爆者が生きてき
て、闘ってきた歴史、それをもっと皆で勉強して下さい。彼らは放射線と闘っ
た先輩なんですよね。

自分で自分のいのちを守ってきたんですよね。だから、医学が進歩して治療法
が解るまでは、当面は、先輩の言うことを勉強しながら、日本は、政府は政府
なりに国民の健康を守って、これ以上、放射線の被害を増やさない、というこ
の事に努めるべきです。そう思って私は95歳になっても、今、全国を歩いて、
ほとんど連日、講演をして歩いてます。これは私しか出来ないから私がやる
しか仕方がないんです。明日死んでも、明後日死んでも、やっぱりやるべきだ
と思ってやっています。

でも、たった一人の人間がやることには、限度がありますよ。なんぼやったっ
て、とても一億の人間に、ものを解らせる訳にはいかないんですよね。だから
頼りになるのは皆さんなんですよ。マスコミが本当の放射線被害というものを、
本当に掴んで頂いて、政治的な立場なんかじゃなくって、人間のいのちを守る
立場から、これを国民に広げて頂きたい。本当にそう思っています。

終わります。
(拍手)




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