goo blog サービス終了のお知らせ 

明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

市民と野党の共闘は原発反対をすっきり掲げてこそ未来が開ける!連合の脱原発共闘壊しを打ち破ろう 明日に向けて(2152)

2022年01月26日 15時30分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220126 15:30)

「共産と連携が敗北の一因」に反発続々 立憲、衆院選総括大もめ-毎日新聞(20220125)見出しより

前回の「明日に向けて」で、連合が野党共闘から原発反対の旗を降ろさせることを狙っていることに騙されてはいけないと書きました。
「立憲のみなさん、正念場です」とも書きましたが、立憲民主党は25日の常任幹事会で、「共産党との連携が敗北の一因」とする衆院選総括案を討論。反発が続々とあらわれたそうです。記事のアドレスを示しておきます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ab88e833ae1c1c42b6fbc60c2c2b133289be31c

この「総括案」は、連合のだましに完全に乗ってしまい、共産党との連携の否定ばかりか、原発の容認に舵を切った泉健太氏などが出したもの。
代表選の過程で名乗りを上げた4人が原発反対と容認に分かれる中で、容認派として代表に就任したことを受けたものです。泉氏にとっては、原発容認に舵を切ったがゆえに、余計に共産党が邪魔なのでしょう。


衆院選総括での「大もめ」を報じる毎日新聞


小川氏、泉氏は限定的な原発再稼働を容認 他候補は否定 立憲代表選ー朝日新聞(20211125)見出しより

さてその昨年11月の立憲代表選を振り返ってみましょう。泉氏の発言を朝日新聞の記事から引用します。
「2030年の段階では(厳しい安全基準などの条件を)満たした原発は予備電源として確保する」とした報告書を党でまとめたと紹介。「予備電源という意味で、ごく少数の原発は稼働させられるような状況を考えておかなければいけない」と語った。
https://www.asahi.com/articles/ASPCT3H40PCSUTFK01M.html

この時、原発に反対した二人の代表候補はこう述べました。逢坂氏、西村氏の順で同じように引用します。
「日本の原発は致命的な欠陥がある。過酷事故が起きないとして避難計画を作らなくてもいい前提で立地しているために、計画がつくれない。再稼働は厳しい」。
「東京電力の不祥事が頻発している。とても再稼働の議論などできる状況にない。原発に頼らないカーボンニュートラルの実現を目指すべきだし、実現ができる」。

結果的に原発容認派の泉氏が代表になったわけですが、この結果を見て誰よりも「してやったり」と思ったのは連合の面々だったでしょう。
だからこそ、連合会長はさらに共産党批判のトーンを上げました。ここで決定的に原発反対の声を野党共闘の中から一掃しようというのです。


立憲代表選における原発論議を報じる朝日新聞


野党共闘は原発反対を掲げてこそ未来が開ける

ここで私たちがしっかり見ておくべきことは、この連合会長の動きは、今なお連合が巨大な危機感の中にあることを背景にしていることです。その点を立憲の二氏、逢坂氏と西村氏も明確に語られています。
「日本の原発は致命的な欠陥がある」「東電の不祥事が頻発している。とても再稼働の議論などできる状況にない」。ここです!

そんな原発を支持しているだけで、連合はとても立場が悪い。しかも「東電の不祥事」の実態を実は連合はとても良く知っている。そこで働いている労働者が組合員だからです。現場労働者たちは大事故の可能性だって知って恐れています。
野党共闘を支持するみなさん。思い出しましょう。安倍政権もまた選挙で一度も原発を争点にしませんでした。なぜか。そんなことをしたら負けることが分かっていたからです。どう隠したって原発の危険性は隠しきれないからです。

いやそれだけではありません。そもそも安倍政権のもと、どんなに議席を独占しようとも、老朽原発ばかりかもんじゅまで廃炉が決まり、裁判でも次々と稼働が止められ、原発輸出も全部ダメになりました。この領域は民衆が勝ち続けているのです。
だから前回総選挙の総括は正しくはこの一点。「野党共闘に最も有利だった原発問題を争点から外したから負けた」「原発反対をすっきり掲げてこそ野党共闘に未来がある」です。連合にだまされずに、自信を取り戻しましょう。


トルコへの原発輸出のとん挫を報じるANN 20181204 原発輸出反対運動はすべて民衆側が勝った!


各地で原発反対の企画を続けよう

みなさん。この点をしっかりとおさえましょう。各地で再度、野党共闘の合意作りが目指されると思いますが、原発反対をしっかり大書きしてください。小さくしてはダメ。エネルギー問題と混在させてもダメ。危ないから反対とはっきり書きましょう。
同時にコロナ禍でも原発反対企画を続けましょう。関西では参院選前の5月29日(日)午後に、大阪で関西+福井から集まる大集会の開催が決まりました。「原発のない明日を 老朽原発このままハイロ 大集会in大阪」とのタイトルです。

僕自身ももちろん参加しますが、さらに反原発を推し進めるためにさまざまな形で被曝の危険性を向き合う企画を催しましょう。ここにこそ原発反対の原点があるからです。
さしあたっては滋賀県大津市で、『放射線副読本』読み解き会を行っています。すでに1回目が終了しましたが、2回目からでも参加可能です。ぜひご参加下さい。リモートでも参加できます。案内を貼っておきます。

大津での読み解き会にご参加を!申し込みアドレスはこちら
yomitokkiradiation@gmail.com    Fax 077-522-6359

#連合 #共産党批判 #衆院選総括 #立憲は正念場 #野党共闘は脱原発を鮮明に #野党共闘は原発反対を掲げてこそ未来が開ける #次の核事故が見すえられている #原発はエネルギー問題ではない #原発反対を大書きしよう

*****

昨年12月に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この番組にも触れています。

原発そして被曝から命を守る活動のためにカンパを訴えます。
振込の場合: ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalの場合:https://www.paypal.me/toshikyoto/500(金額は自由に設定できます) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チラシ 「放射線副読本」読み解き会 2月19日、3月19日

2022年01月26日 00時37分11秒 | 明日に向けて(2101~2200)


Mail:yomitokkiradiation@gmail.com
Fax 077-522-6359

『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』は以下から無料で
ダウンロードできます。
https://nyoki2pj.com/lp/info_yomitokibook/

解説動画もご覧になれます。

新BOOKも作りました。
https://nyoki2pj.com/lp/after10/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「なんて乱暴な」立憲幹部は絶句?連合の狙いは野党共闘から脱原発の旗を降ろさせること。いまこそ原発反対の声を高めよう 明日に向けて(2151)

2022年01月24日 22時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220124 22:00)

連合が共産党と連携する候補者を推薦しない方針を決定!立憲のみなさん。正念場です

夏の参院選に向けて、連合が共産党と連携する候補を推薦しないとの方針をまとめたそうです。「『なんて乱暴な』立憲幹部は絶句 連合の野党離れ、なくした政治の軸」と朝日新聞が記事にしました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3aaa31bfad55ea5a719ef1c072471b436fb86c29

記事では、これに続いて、立憲幹部が「『なんと乱暴な』と絶句し、『今までのような共産との連携はできなくなり、新しい方法を考えないといけない。これで得をするのは自民党だけだ』とこぼした」と書かれています。
いやいやいや。立憲幹部のみなさん。「絶句」するほど乱暴なお相手に付き合っていてはダメです!しっかり筋を通してください。正念場です。


連合の「乱暴な」方針を報じる朝日新聞


連合会長の共産党批判の狙いは野党共闘から脱原発の旗を降ろさせること

なぜ連合会長はこれほど共産党批判を繰り返すのか。連合の立場から見てみましょう。答えは明白、前回衆院選の前にかつてなく原発批判のムードが高まりつつあったからです。
一つにここ数年、原発での「不祥事」が繰り返され、電力会社不信が高まっていたこと。裁判でも原発の運転を認めない判決が相次ぎ、避難者裁判でも国と電力会社の責任が次々認められています。

一方で黒い雨訴訟勝利により、被曝被害が過小評価されてきたことが大きく明らかにされました。しかもそんな時に自民党総裁選に原発批判を語る河野太郎氏が立候補し、初めて原発の是非が与党の議論の俎上に登ってしまった。
「このままでは脱原発の動きが加速する!」 電力会社と一体化している連合は、ものすごい危機感から、まさかの人事で女性会長を登場させ、「感情的な」共産党批判を始めたのです。野党共闘から脱原発の旗を降ろさせるためにです。


規制委員会が柏崎刈羽原発の相次ぐ不祥事に耐え切れなくなり運転禁止命令を発令 2021年4月14日


連合は電力会社が「事故は防げない」と思っていることを知っている

実は連合の危機感にはもっと大きな問題が介在しています。まずこの間、電力会社を観察していると、事故対策を真面目にやろうとしていないことが分かります。どうやっても過酷事故を防げないことを知っているからでしょう。
それで例えば西日本の電力会社は、福島原発事故後、10年間もベント設備を作らなかった。特定重大事故等対処施設(テロ対策施設と呼ばれる)とされたものですが、それで全ての原発が期限切れで一度、止まりました。

その後、わずか一年ぐらいの突貫工事で「完成」したと運転に復帰しているのですが、どこも短期間でできていますから手抜き工事なのは明らか。しかももっと早く作れたのに作らなかったことにも、無駄だと思っていることが現れています。
電力会社の現場で働いている連合組合員が、この実情を知らないはずがない。そもそも現場は士気もモラルも低下している。他人のIDカードで運転室に入室したり、センサーが数年壊れていたことを放置したりしている。


美浜原発もベントなどが完成しないまま強引に4ヶ月稼働した後に停止 2021年10月23日 カンテレ


次の核事故が見すえられている

ここには重大な問題があります。電力会社は明らかに次の事故が不可避と思っているのです。さらに原子力マフィアは「放射線災害復興学」という事故後を考えた学問すら立ち上げ、被曝は危険ではないというキャンペーンを繰り返している。
実はそれで多くの連合傘下の労働者も、岐路に立たされているのです。このまま原発の危険な状態を見てみぬふりをして、犯罪に手を染めるのか。今こそ、内部告発などに走るのか。

連合幹部にとって一番恐ろしいのは、原発が事故を起こすことではなく(それなら自ら止めに走ります!)、事故で連合の存在意義がなくなること。電力会社と共に連合にも批判が集中し、労働者が原発反対に走りだすことです。
しかもその時、原発反対をしっかりと掲げた市民と野党の連合があったらもの凄い脅威。たちまち連合は形をなさなくなります。だからこの点も見すえて、組織の存亡をかけ、共産党を批判しつつ、脱原発を降ろさせようとしているのです。


守田講演スライドより


連合のだましに乗らず「危険な原発止めて」と大きく叫ぼう

そこで扱われているのが気候変動問題。例えば「代替エネルギーを促進して原発ゼロに。温暖化ガスも削減しよう」なんてスローガンに代えさせようとしている。
しかしそれでは代替エネルギーが促進されるまで原発が必要となってもしまいます。違います。そもそも原発問題はエネルギー問題ではないのです。安全問題なのです。「原発ゼロは理想」もウソ。だってとにかくリアルに危険ですから。

実はこの流れは連合だけが作っているのではありません。世界的にも気候危機を煽りながら、原発が必要だとの論が起こっている。しかしかりに気候が大変動しても日本列島は沈みません。原発は東西サイトの事故で日本を壊滅させてしまいます。
だからいま、私たちはもう一度、「危険な原発止めて」と大きく叫びましょう。それこそ連合傘下の労働者にも「社会を守ろう。命を守ろう。自らの意志で投票しよう」と呼びかけましょう。連合のだましを越えて、原発ゼロの道を力強く進みましょう!


原発は一つのサイトの過酷事故で日本の半分を壊滅させる

#連合 #共産党批判 #なんて乱暴な #立憲は正念場 #野党共闘は脱原発を鮮明に #次の核事故が見すえられている #放射能災害復興学 #原発はエネルギー問題ではない #自分の意志で投票を

*****

大津市で被曝の危険性をつかむため学習会を行っています。 詳しくは以下の記事をご覧下さい。
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/7f91ed9316f4714611d1c69e08a2b044

昨年12月に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この番組にも触れています。

原発そして被曝から命を守る活動のためにカンパを訴えます。
振込の場合: ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalの場合:https://www.paypal.me/toshikyoto/500(金額は自由に設定できます) 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

にょきプロ新BOOK『命を守り育み伝えるために~AFTER TEN YEARS~ 福島原発事故から10年を振り返る」を配信中です。ぜひお手に取って下さい! 明日に向けて(2150)

2022年01月21日 17時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220121 17:00)



BOOKの無料ダウンロード先と冊子ご注文先を示しておきます。
https://nyoki2pj.com/lp/after10/
https://forms.gle/TqJ6AnTGYTMfXZUr6


原発事故避難者の蝦名さんの思いからスタート

このBOOKは、原発事故時に埼玉から岡山に避難移住し、保養のための「瀬戸内交流プロジェクト」を続けてきた蝦名宇摩さんの依頼で始まりました。
蝦名さんは津軽三味線奏者でもありますが、コロナでキャンプができない中、10年を振り返る冊子作成を発案。それなら一緒にと作りました。

BOOKは「あのとき日本は東日本壊滅になるかもしれなかった」点から説き起こしました。一部の人々はすぐ逃げましたが、多くの人々が深刻に被曝しました。
しかしその後人々が目覚め、原発反対の声が高まって次々原発が止まり、もんじゅも廃炉になり、原発輸出も停まりました。新BOOKでは「このことにもっと自信を持とう!」と説いています。


被曝を受け止め心身を癒すことが大事

一方で福島原発から出た放射能は、今も人々を被曝させ傷つけ続けています。しかしこの認識がまだまだ不十分。それであるテレビ番組を取り上げました。
あの時、東京の世田谷でも多くの放射性物質が飛んできていたことなどを描いたものです。福島のサルの白血球数が減っていることも示されましたが、これを受けて、BOOKで岡山在住の三田茂医師の話を取り上げました。

東京の子どもたち約4000人の血液を検査し、白血球の好中球が減っていることを示し、「新ヒバクシャ」に「能力減退症」が起きていると論文で発表された方です。
この被曝の事実をそのままに受け止め、対応していくことが大切。保養も避難も大事です。


被曝被害は隠されてきた

BOOKではなぜ被曝被害がきちんと取り上げられないのかも論じました。実はこれは広島・長崎での原爆を使った大量殺人から続いていること。
その後の東西冷戦の中でも、資本主義陣営と社会主義陣営が核開発競争を続け、人々を被曝させ続けました。

被害を受け止めることの辛さも、実態隠しに利用されました。差別の中で、被爆を隠さざるをえなくなったり、辛くて影響を認められないこともたびたび起こりました。
「被曝しても大した影響はない」というウソは、こうした点に乗っかって振りまかれてきました。この点をきちんと知ることが大事です

以上、このBOOKでは、こんな点を何度も話し合い、原稿を練り上げました。ぜひみなさんに読んで、活用していただきたいです。

最後にBOOK作成の思いを、蝦名さんが奏でる「即興津軽じょんがら曲弾」に乗せて綴った動画をご紹介します。詩は、にしむらしずえさん作です。
私たちの思いがみなさんに届きますように。

#にょきにょきプロジェクト #AFTERTENYEARS #命を守り育み伝えるために #福島原発事故から10年を振り返る #瀬戸内交流プロジェクト #蝦名宇摩 #即興津軽じょんがら曲弾 #にしむらしずえ #保養と避難

*****

昨年12月に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学者たちは沈黙し隠ぺいに加担。このため多くの人々が被害を認められず、苦しみ続けてきたーNHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー4 明日に向けて(2149)

2022年01月20日 11時30分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20210902 13:30)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの4回目をお届けします。なお小見出しは守田がつけました。

NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-4回目
2021年12月29日放映

長崎間の瀬地区も被爆させられ見捨てられ続けている 

残留放射線の研究が進まなかったことで、被爆者として認められないという人たちがいます。西山より遠い、爆心地から7.5キロに位置する間の瀬地区です。

鶴武(つるたけし)さん(84)。原爆の影響によって家族がガンに苦しめられてきたと訴えてきました。

原爆が投下されたとき、8歳だった鶴さん。
「ここが私たちが住んでたとこです。」

その日降った雨に当たり、脱毛の症状が出たといいます。

鶴さん
「私は髪の毛が薄なって、くしにかかってから、くしを外さもできんよと、そげんつらい目に遭ったということは事実や。」
「ここが池になっとったです。」


当時、間の瀬地区では、池や沢の水が暮らしに欠かせないものでした。

「飲んだら危険ちゅうことは誰もわからんけんで、それを飲んだり、料理も、何をすっとも一緒。」

家族に異変が生じたのは、原爆投下から15年ほど経ったころ。

「腹の腫れたり、首の腫れたりしとったけんね。それば思い出して。」


間の瀬地区で育った4つ上の姉、愛子さんが亡くなったのです。

「胃がんにもなっとったけえ。腹がこう、大きくなっとった。人間もあげんなってしもうとやろかって思うごた、辛い目におうとっとじゃもん。」

間の瀬地区でも原因不明の病で亡くなる住民が相次ぎました。しかし国から被爆者として認められていません。
住民たちが綴った国への請願書です。

請願書
「ドシャブリの雨に濡れて」「幼子が原因も解らない病気で日増しに悪くなり、食べ物も食べずに死んでいきました。」
「厚生省のお役人様。私たちは今だに何の命の保障もありません。」



世界は残留放射線を無視したまま核災害を繰り返してきた

その後も、核兵器の開発を押し進めた世界は、残留放射線の存在から目を背け続けました。



1954年、アメリカはビキニ環礁で核実験を実施。

爆発の際に出た放射性物質が広範囲に降り注ぎ、日本の第五福竜丸が被爆しました。


さらに、核の平和利用を掲げた原発で事故が発生。(スリーマイル島原発事故1979年)放射性物質が放出され、その影響が議論されます。



そして1986年、チェルノブイリ原発事故で、史上最悪の放射能汚染事故が起きます。


原子炉から出た大量の放射性物質が、外部に拡散。WHOでは「被爆による死者は9000人に上る可能性がある」と推定しています。


ソビエトも被爆実態をつかみながら恣意的に情報を操作していた

ナレーション
広島・長崎以来、最悪の放射能汚染問題に直面したソビエト。

ロシア国立社会政治史文書館
実は、ソビエトも76年前に、原爆初動調査を行っていました。

ロシア国立社会政治史文書館職員
「これは共産党中央委員会の対外政策関係の資料です。」

ソビエトが被爆地(広島と長崎)に調査員を派遣し纏めた報告書です。
「ソビエト原爆調査報告書 1945年9月~46年9月」



「被爆地は報道されていたほど、恐ろしい状況ではないようだ。放射線で多くの人が亡くなったのは、医療支援を行わなかったためである。」

原爆の被害はほとんど無い・・と報告していたのです。

私たちはウクライナで、当時報告書を纏めた人物の遺族(ラリーサ・トロヒーメンコさん)に会うことができました。

クズマ・デレビヤンコ(対日理事会ソビエト代表)。
当時の指導者スターリンに高い外交手腕を買われ、日本に派遣された人物です。デレビヤンコは手帳を残していました。

手帳
「ヒロシマでの原爆の被害がすさまじい。」

手帳には、報告書とは異なる原爆の被害の凄まじさを物語る内容が記されていました。

ソビエトの調査団が撮影した被爆地の映像です。(1945年9月)調査員は地元の人から残留放射線の被害と見られる実態を耳にしていました。

「被爆地で目にしたのはひどい被害だった。警察官から『街中では恐ろしい疫病が蔓延しているから行かないほうがいい』と言われた。」

デレビヤンコは帰国から4年後、膵臓ガンで死亡しました。

遺族ラリーサ・トロヒーメンコさん
「脱毛が始まって、他にも不調があるようでした。原爆投下から間もない時期に、被爆地で調査したことが原因だろうと思っています。こんなことになるなんて。」


スターリンのアメリカへの対抗意識から原爆の威力を否定。チェルノブイリ事故でも情報操作が行われた

何故、ソビエトの原爆調査員は、実態とは異なる報告をしたのか?スターリンの政策を研究する歴史学者のニキータ・ペドロフさんです。
当時、スターリンはアメリカへの対抗意識から、原爆のあらゆる威力を否定していたと指摘します。

ニキータ・ペドロフ
「報告書は、ソビエトが原爆を恐れていないことを示しています。これはスターリンが当時、個人的な会合で『原爆は報道されている程恐ろしくない』と語った政治方針に沿ったものでした。
調査員には、報告書を読む側の政治的な要求を満たすことが求められたのです。」

ロシアの核政策に長年携わり、チェルノブイリ事故の医療対策責任者を務めたレオニード・イリイン博士です。
イリイン博士は、科学が政治に左右される状況は、今も変わっていないと言います。

レオニード・イリイン博士
「私たちがチェルノブイリの大惨事を調査した時もそうでしたが、放射線の値を引き上げたり引き下げたりする問題は、かなり恣意的なものでした。例えば、ストロンチウムの汚染度など、全て恣意的に決定していたと非難されたものです。」

残留放射線については、データが高く見積もられていても、低く改ざんされていても、私は気にしません。」

そして2011年。東京電力福島第一原子力発電所で水素爆発が発生。今も、世界は放射線を巡る難題に直面し続けています。




残留放射線の影響を日本も無視し続けてきた

アメリカとソビエトが否定する残留放射線の影響に、日本はどう向き合ってきたのか?
原爆投下直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」。「健康被害を受けた」と訴える住民は、自分たちを被爆者と認めるよう、長年、国と争ってきました。



国は「住民が主張する黒い雨による健康被害の科学的根拠は無い」とし、一定の条件が認められた人以外は、援護してきませんでした。

7月(2021年)、広島高等裁判所は住民の主張を認め、国が指定する区域以外にも健康被害が及んでいると判断。国も上告を断念しました。

そして国は、被害を訴える人を認定する新たな基準を作るため、広島県や市と協議を始めています。

一方、今も被爆者として認められていない、長崎県間の瀬地区の住民たち。長崎県と市は、被害を訴える人を被爆者として認定するよう国に訴えていますが、見通しは立っていません。

鶴武さん
「政府の人にも認めてもらえないちゅうことで 誰に頼ればよかでしょうかっちて。
我々は議員でもないし何でもない。でも苦しむだけ苦しんでいる。言いたいことが全然通じないっちゅうことで、情けなかですたい」


アメリカも被害を受けた元兵士の訴えを無視

アメリカでも残留放射線による被害を訴える人がいます。ジェームス・スネレンさん。94歳です。
原爆投下から五週間後、長崎に駐留していた時に被爆。帰国後に皮膚ガンを発症したと主張しています。

ジェームス・スネレンさん
「異なる2人の医師から、私の皮膚ガンは放射線による被ばくの可能性が50%以上であると診断されました。同じ部隊の上官は白血病で亡くなり、砲術将校も胃がんで亡くなりました。仲間の多くが放射能で亡くなっているんです。」

アメリカ政府もまた、スネレンさんの訴えを却下しています。
今も、核兵器の開発を続けるアメリカ。

トランプ政権で、国防次官補代理を務めていたエルブリッジ・コルビーさんです。
アメリカの核戦略と残留放射線の認識について聞きました。

エルブリッジ・コルビー氏
「アメリカは中国と覇権争いをしており、戦争を抑止する”準備”が必要でした。その為の選択肢として小型の核兵器の配備が議論されようとしています。」

NHKスタッフ
「それは残留放射線を出さないのですか?」

コルビー氏
「地中で爆発させたら多くの残留放射線が発生しますが、空中だと最小限で済みます。爆発させる高度が非常に重要です。」

「高い地点で爆発させれば、残留放射線の影響はほとんどない。」 その論理は76年前と変わっていませんでした。


真実を語らなかった科学者の苦悩

76年前のあの日、原爆初動調査に携わった人たちは、残留放射線の実態を把握しながら、国家の大義を優先し沈黙しました。被爆地を調査した医師や科学者たちはその後、どんな人生を送ったのか・・?

ジェームズ・ノーラン医師の孫のノーラン教授
「これが私の祖父です」

ジェームズ・ノーラン医師。マンハッタン計画に参加し、その後、広島で調査を行った放射線の専門医でした。

ノーラン教授
「祖父に『日本はどうだった』と聞くと『想像を絶する惨状以外の何ものでもなかった』と答え、それ以上、何も話しませんでした。祖父は生涯、深い苦悩にさいなまれていました。」

残りの人生を、患者の命を救うことに捧げたというノーラン医師。真実を言えなかったという負い目があったと、遺族は考えています。

ノーラン教授
「グローブスは『医師たちがこう言っています』などと言うことで、医師の専門性を利用していました。ある意味では、祖父たち科学者も共犯者になっていたのです。
祖父は戦後、核実験が行われたという記事を読むたび、こう嘆いていました。『あいつらは核の恐ろしさをわかっていない』。」

原爆初動調査を統括したグローブス少将。その後、中将に昇進し、核開発計画を指揮し続けました。73歳で亡くなるまで「残留放射線は皆無である」という見解を変えることはありませんでした。

アメリカが長年にわたって残留放射線の調査を続けていた長崎西山地区。現在、「放射線量は減衰し、自然界と同じレベルだ」とされています。

西山地区で生まれ育ち、白血病の為に命を落とした松尾幸子さん。亡くなってから54年が経ちました。

松尾トミ子さん
「訳が分からずに、ただ白血病ということだけで亡くなってですよ、無念だったんじゃないかな。」

幸子さんが亡くなる前、家族に手紙を書いていました。

松尾幸子さんの家族宛の手紙
「私の病気は、今の医学ではどうすることも出来ないものです。どんなに立派な薬を飲もうが、名医であろうが同じことです。くれぐれも体に気をつけて下さいね。ごめんなさいね。さようなら。」

原爆初動調査。
そこで分かった事実が明らかにされていれば、救えた命があったはずでした。何故、調査は隠蔽されたのか?そして何故、痛みは放置され続けるのか?
被爆地からの訴えです。

~資料提供~
広島平和記念資料館
長崎原爆資料館
広島市公文書館
理化学研究所
東京大学総合研究博物館
資料映像バンク 主婦の友社
共同通信社
朝日新聞社
毎日新聞社
中国新聞社
中国放送
長崎放送
岸田貢宜
岸田哲平
尾糠政美
松田弘道
ロシア連邦国立公文書館
ロシア国立社会政治史文書館
Getty Images atom central
Buyout Footage NC State University
US Army Heritage Education Center
Yale University Medical Historical Library
National Museum of Nuclear Science and History
National Archives and Records Administration
UCLA Library Special Collections
McGovern Historical Center
Texas Medical Center Library
Atomic Heritage Foundation

取材協力
高橋博子
港区立郷土資料館
Dr.Janet Brodie
Paul Liebow 
David Holloway

声の出演
小林勝也
菅生隆之
今井朋彦
久保田民絵
田村勝彦
山像かおり
大場泰正
佐古真弓
清水明彦
田中明生
斉藤志郎
外石 咲

語り:広瀬修子 濱中博久
取材:喜多祐介
撮影:三好学
照明:富田弘之
音声:落原徹 若生正和
CG作成:倉田裕史
映像技術:押鐘慎司

コーディネーター:エテリ・サコンチコワ イーゴリ・ヘラスコ
リサーチャー:渡辺秀治 ナタリヤ・ゴリャーチェヴァ
編集:河野達則 樋口俊明
音響:日下英介 田中繁良
ディレクター:佐野剛士 水嶋大悟 大小田紗和子 
制作統括:佐藤稔彦 小口拓朗

制作・著作 NHK広島 福岡

文字起こし終わり

素晴らしい番組を提供してくださったNHKのスタッフのみなさん、番組協力者のみなさんに深い感謝を捧げます。

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKBS1スペシャル #残留放射線 #ソビエト原爆調査 #スターリン #黒い雨 #長崎間の瀬地区 #沈黙した科学者たち #被爆地からの訴え

昨年12月に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この番組にも触れています。


原発そして被曝から命を守る活動のためにカンパを訴えます。
振込の場合: ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalの場合:https://www.paypal.me/toshikyoto/500(金額は自由に設定できます) 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米軍は長崎西山地区の人々を被爆されるままに任せつつ観察し続けたーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー3 明日に向けて(2148)

2022年01月19日 21時30分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220119 21:30)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの3回目をお届けします。小見出しは守田がつけました。なおここから後編となりますが、冒頭の3分半ぐらいは前半のダイジェストなので割愛しました。
実は論評したい、せねばとうずうずしているのですが、ともあれ全4回の文字起こしを先に進めます。

アメリカは西山地区で被爆による健康被害を克明に調べていた

NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-3回目
後編 見過ごされた被害 そして世界は核を求めた
2021年12月29日放映 

ナレーション
爆心地から3キロにある長崎市西山地区です。
山を隔てているため、原爆の熱戦や爆風は届かず、直接の被害はほとんどなかったとされています。ところが戦後になって、住民の体調不良や、突然亡くなるケースが相次ぎました。

原爆投下から30年余り、それまで元気だった働き盛りの男性が、突然白血病で命を落としました。

岩﨑恒子さん(85)です。
西山地区で生まれ育った夫の岩﨑精一郎さんを44歳で亡くしました。



「これがミカン狩りをした時の写真。」

精一郎さんは、他の農家に先駆けて観光農園を開くなど、地域の期待を背負った存在でした。

「元気だったですもんねえ。『長崎県一になる、みかんば植える』一生懸命、意気込みしてたんですけどね。」



4人の子どもにも恵まれた精一郎さん。それは突然の宣告でした。

「白血球がものすごく多くて、人の何倍もあるって言われて。あとね、三月ぐらいですよって。私には絶対、俺は死ぬってことは、言わなかったですもんね。でも最後にはね。(子どもを)学校だけは出しなさいって。」

「私、(医師に)聞いたんですよ。これ原爆の関係ですか、身から持ち出しですがって聞いたら『わからない』っておっしゃいました。」

夫の死後、農業の仕事を引き継ぎ、四人の子どもを育て上げた恒子さん。なぜ夫は白血病で命を落とさなければならなかったのか。今も考え続けています。

「(婚姻時の写真を指して)これね、私が亡くなったら、ひつぎに入れてくれって言ってるんです。
お年寄りが手をつないで歩いていく姿を見てね。私も年をとったら、あんなんして手をつないで歩きたかったなと。



原爆にあったからこんな病気になったとはっきりしたらねえ、いいんですけど。それも分からないまま。」


こうした住民たちの疑念をよそに、アメリカは西山地区で、長期にわたって調査を続けていたことが分かりました。

原爆投下から5年後の1950に纏められた残留放射線の報告書です。詳しい聞き取りと共に、住民の写真も添付されていました。

報告書
「農家の中尾夫人は、原爆が投下された時にかぶっていた綿のほおかぶりを倉庫から持ってきてくれた。彼女は原爆の後にやってきた泥の雨が、このてぬぐいの上に降ったと語った。」

中尾恒久さん。86歳です。
「ははあ。これはここですねぇ。これはたぶんうちの母親でしょうね」

写真の女性は母親のたかさんでした。原爆が投下された時、10歳だった中尾さん。アメリカの調査団が家を訪れ、雨について調べていたことを覚えていました。

中尾さん
「原爆の落ちたときは暑かったとですもんね。雨降ってきたちゅうて外に出おったとですよ。雨っていうてもドロドロした、ちょっと油っこかった雨だったですよ。」

報告書では、残留放射線と雨との関係について分析していました。
「住民によると西山地区に降った雨は赤みがかった黒色で、異物が混じった大粒の雨だったと言われている。
配水管が詰まるほど濃い雨で、貯水池の水には苦みがあり、1週間ほど飲めなかったと語った。」

中尾さんの母親が8月9日に使っていた手拭いについても調べられていました。

「中尾夫人のほおかぶりをX線フィルムでサンドイッチ状態にした。そして横田基地のラボでそのフィルムを現像すると、おなじみの放射性物質の斑点が見られた。」

アメリカはどれだけ放射線が残留しているか、中尾さんの畑や家の屋根などあらゆるサンプルを集めていたのです。

先祖代々、農業を営んできた中尾さん。調査団はこの畑についても入念に調べましたが、その理由については明かしませんでした。



「ちょうどあそこら辺の、ハナモモが植わっている辺やったですよ。(調査員が)傘をさしてですね、泥をとって。当時は目的とか何とか、そういうことは言わんですね。」

西山地区は核爆発による放射性物質拡散のモデル地区にされていた

なぜ、アメリカは西山地区を調査し続けていたのか?私たちは、報告書を作成した人物の遺族を訪ねました。

マーグレット・レベンソールさんです。

今年父親の遺品を整理した時に、膨大な原爆の資料を発見しました。
「原爆に関する研究は重要性が高いと思ったので全部残しておきました。」

父親の名前は、リオン・レベンソール。



放射線を分析する装置を開発する会社、トレーサーラボ(Traser lab)に務めていました。レベンソール残した手記には、西山地区を訪ねた理由が書かれていました。

「Traser labは空軍と契約していて AFOAT-1(Air Force Office Atomic Energy1)と呼ばれる秘密組織が存在した.。
その目的はソビエトの核実験の爆発の際に出る放射性物質の検知であった。」

当時、ソビエトは初めての核実験を成功(1949年)。米ソの核開発競争が激しさを増していました。



レベンソールは大量の放射性物質が降り注いだ西山地区をモデルに、核爆発で放射性物質がどのように広まるのかをつかもうとしていたのです。

レベンソールの部下の、ロドニー・メルガードさんです。西山地区には大量の放射性物質が残されており、格好の研究場所だったと言います。

NHK取材班スタッフ
「広島・長崎の原爆で、残留放射線は存在していましたか?」

ロドニー・メルガード
「はい、もちろん。原爆を開発した科学者たちは正確に把握していました。爆発直後、放射性物質の90%は空気中にあり、小さな粒子が風に乗って浮遊していたはずです。
風下であれば数㎞離れた場所でも、命を脅かすような放射線の影響が出ていたでしょう。」


西山地区の土をアメリカに持ち帰ったレベンソールは、人体への影響の手がかりも見つけていました。放射性物質の核種です。
核種とは原子核の種類のことで、陽子と中性子の数によって放射性物質の種類を特定できます。

リオン・レベンソール
「我々はバークレーに戻って土を分析したところ、放射性ルテニウム(Ru-106)とセリウム(Ce-144)が見つかった。これらは最初のプルトニウム原爆(長崎原爆)から出たものであることが確認された。」


私たちはレベンソールの資料を、残留放射線を長年研究する物理学者の星正治教授と、放射線影響科学専門の大滝恵教授に見てもらいました。

広島大学星正治名誉教授
「こういう測定ができるというのは、ものすごい量の放射能があります。僕の感覚から言うと。このルテニウムとセリウム。これはよく核実験の後で見つかる「核種」やから。
体にもし入ったとしたら、放射能によって体のどこにいくか、「プルトニウム」や「ストロンチウム」は骨にいくとか、「セシウム」は筋肉とか違うから、だから核種の同定は必要ですよ。
広島・長崎の「核種」を同定(確定)した話はないと思うな。」


もし、核種の情報が日本に伝えられていたら、原因不明の死や、体調不良を訴える住民の為の研究が進んでいた可能性があります。

広島大学大瀧慈名誉教授
「なぜいままで隠されてきたか?公やけな、公的なね、報告がなされてきてなかったか?そちらこそ問題があると思うんです。」



「この結果、このデータに関連するようなですね、調査とか研究が行われていないとは、むしろ考えにくいんですよ。」



1950年にレベンソールが(米)国の原子力委員会で行った報告です。

レベンソール
「長崎と広島で低レベルの放射性物質が、広範囲にわたって点在し続けている証拠に多くの関心が寄せられた。
被爆地域の肥料に現地住民のし尿が用いられるため、除去された放射性物質はその地域に戻されるだけでなく、汚染されていない地域にも散布されることが考えられる。



残留放射線の影響は、アメリカが行っている被爆者の遺伝子研究にも重要な意味を持つ可能性がある。」


アメリカは日本が独立した後も、残留放射線の影響を継続しました。しかしその成果は、西山地区の住民達に伝えられることはありませんでした。

アメリカの調査対象になっていた西山地区の住民、中尾恒久さん(86)です。

訪問した診療所の医師
「きょうは甲状腺の超音波の検査をしますからね。」

長年、病に苦しみ続けてきた中尾さん。二十歳の頃、甲状腺機能低下症を発症。その後、ガンにも見舞われました。西山地区では甲状腺の病に苦しむ人が少なくありません。

医師
「ここにあるのが甲状腺ですよ。ちいとこれが小さい。萎縮しているんですね。」



しかし残留放射線との関係は今もほとんど明らかになっていません。

NHK記者
「(調査結果について)ちゃんと説明を受けたことはありますか?」

中尾さん
「いや、そりゃなか。放射能がそんなに残っとっていうとに知らせずに調査して。ほんとうに。何十年もあれして、住んどっと所に住まれんっていうことは、聞きとうもなかったですけど、しかし聞きとうなかっても、事実ば教えてくれないとですねえ。」

 

被爆するがままに任され観察され続けた西山地区の人々

西山地区に住んでいた義理の妹を亡くした松尾トミ子さんです。松尾さんは幸子さんの死に対して、今も割り切れない思いを抱いています。
今回、幸子さんの死因について1980年に長崎大学がまとめた報告書を入手しました。

長崎医学会報誌 43巻9号  809-813頁
所謂、「西山地区」より発生した慢性脊髄性白血病の一例(急性転化例)長崎大学原研内科教室
富安孝則(とみやすたかのり)・岡部信和(おかべのぶかず)・松本吉弘(まつもとよしひろ)


飲み水を通して、体内に放射性物質が取り入れたれた可能性が指摘されていました。
「しかしこの一例のみでは、残留放射線との因果関係は断言できない」と結ばれていました。

NHKスタッフが松尾トミ子さんと面談し「長崎医学会報誌」を見せて説明
「こういう所にすごく高い残留放射線が測定されていた。だけど公表されていなかったということなんですよね。」

松尾トミ子さん
「ええ、ええ。」

私たちはアメリカが原爆投下の5年後には確証を特定し、人体への影響について研究を続けていたことを伝えました。

松尾トミ子さん
「いやあ、はっきり言って腹が立ちますよね。うん。これは人として見ていないみたいな感じが私はするんですよ。実験みたいにしてるなって。そういうふうにしか取れないですね。」


実は西山地区では、長年放射線の影響が噂されていました。しかし農業で生計を立てる住民が多く、誰もそれを自分から語ろうとしなかったといいます。

松尾トミ子さん
「父もお野菜作っていたんですよ。市場に持っていってたんですよ。それをして生計を立てているから、売らないといけない。だけどそれを言ったら、自分たちの生活が成り立たない。



「何か言ったら、みんなから変な目で見られる。村八分になる。そういう気持ちがあったんじゃないかなと思いますけどね。」

西山地区の白血病と残留放射線との因果関係は今も証明されていません。

長年、西山地区の白血病について研究を行ってきた、長崎大学の朝長万左男(ともながまさお)名誉教授です。原爆との関係を証明するのは容易ではないとしています。


朝長教授
「普通の人からも10万人に1人か2人は慢性骨髄性白血病は出るんですよ。
「それと混同していませんか」と、言われると「いやいや、これははっきり原爆の放射線で起こっているんですよ」と言うにはどうですか。相当な根拠がないといかんですよ。そこですね。
(残留放射線は)累積していくわけだから、本当はそれが計算できないといけないけど、生活パターンが非情に、その時に福島でも同じような問題が起こっているのですけどね。外にどのくらい出ていて、家の中でどのくらい生活していたのか。
そうしたことを毎日記録している人なんていないでしょう。そういうところに壁があってね、福島でも正確な被爆線量を出すことは非常に難しいんですよね。」

アメリカが残留放射線を否定したことは、何をもたらしたのか?

朝長教授
「残留放射能の研究が進んでないでしょ。例えばプルトニウムが人体に入っててね、これも残留放射能でしょ、ある意味でね。それが、今頃分かってんのよ。
一生懸命にその当時にやっていれば、もっといろんなデータが出たはずでしょ。そういう事ですよね。そこに科学者でもない陸軍のトップがね、「無い」と判断するのは、もう、政治以外の何ものでもないですよね。」

続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKBS1スペシャル #残留放射線 #長崎西山地区 #黒い雨 #ルテニウム #セリウム #星正治 #大瀧慈

・・・・・・

昨年12月に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この番組にも触れています。

原発そして被曝から命を守る活動のためにカンパを訴えます。
振込の場合: ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalの場合:https://www.paypal.me/toshikyoto/500(金額は自由に設定できます) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都府は関西電力の原発の危険性ともっと真剣に向き合い、電力消費地の責任にかけて稼働を止めるべく尽力すべきだ 明日に向けて(2147)

2022年01月18日 17時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220118 17:00 0203 20:30改訂)

京都府知事選が近づいてきています。4月10日投開票です。
残念ながらまだ市民側からの候補が決まっていませんが、どんな府政を目指すのかの洗い出しを進めています。
その中で原発問題について大事な点を考えてみました。


原発は地震の直撃にとても持たない

原発の危険性は多々あります。どれも一番危険な理由ですが、分かりやすいものとしてあるのは、原発の耐震性がとても弱いことです。
この点を繰り返し説いているのは、2014年5月に大飯原発3,4号機の運転停止を命じる判決を書かれた、元福井地裁裁判長の樋口英明さんです。

大飯原発の建設時の基準地震動(揺れに耐えられる地震の数値)は405ガルでした。福島原発事故時には700ガル、2018年3月時点で856ガル、ただし設計当初の倍に本当にあげられているかどうかかなり怪しいです。
これに対して、この間、観測された最大の地震は、2008年岩手宮城内陸地震で4022ガル、東日本大震災は2933ガル、2004年の新潟県中越地震は2515ガルでした。2000年以降、1000ガルを越える地震は17回も起こっています。

高浜、美浜原発も基準地震動に大きな違いはありません。つまりどの原発も、日本各地で起こっている地震に直撃されたらひとたまりもないのです。ちなみにハウスメーカ-の三井ホームは5115ガルまで耐えられる家を作っていま
ともあれこんな危険なものを、近くで動かすのは論外。京都府はもっと関西電力に厳しく向き合い、危険で無謀な稼働を止めるべきです。


電力消費地の責任にかけて若狭の人々を守るべきだ

もう一つ、京都府として大事な点は、京都府が大阪に次ぐ、関西電力から生み出された電力の消費地である点です。
原発の運転で最も危険な目にあっているのは若狭の人々ですが、実は若狭の人々は、関西電力の原発から1ワットの電力すら受け取っていません。福井県は北陸電力の管内なのです。(⇒【訂正】関西電力は福井県内の三方郡美浜町以西、つまり若狭地域を管内としており、若狭の原発の電気は若狭地域にも供給されています。ある方のご指摘で誤りに気が付きました。調査不足による恥ずかしい間違いを犯してしまいました。申し訳ありません。お詫びして訂正します。この点を踏まえて続きの文章も少し訂正しますー2月3日)

危険性を立地地域に押し付け、もっぱらある程度離れた大都市で電力をたくさん消費しているあり方は、日本の原発に関連する構造的な矛盾、差別問題と言えます。福島原発の場合は、東北電力の管内にあり、福島の人々に1ワットの電力も供給していませんでした。
新潟県に立地する柏崎刈羽原発も同じ。東電のものでありながら、東北電力の管内にあり、新潟の人々に1ワットの電力も供給していません。

にもかかわらず、原発の大小の事故リスクは直近の方たちによりたくさん押し付けられているのです。小浜市明通寺の中嶌哲演さんは、これを「国内植民地問題です」とおっしゃられました。その通りです。
京都府は若狭の人々を守るために声を上げるべきです。若狭の人々のために心を砕く京都府へとこの町を変えたいです。


原発が立地された内浦湾から望む高浜原発 守田撮影 原発のことは常に直近に住む人々の立場から考えたい


舞鶴市、綾部市は原発直近、京都市もとても近い

もちろん危険性は若狭にばかりあるのではありません。舞鶴市は高浜原発の直近です。綾部市もほとんどが高浜からの半径30キロ以内に入ります。
京都市だって市役所まで大飯原発からも高浜原発からも、たった60キロぐらいしかありません。

一度、過酷事故が起これば、京都府内の多くの町が壊滅的な被害を受けてしまいます。この危険性をすぐにも除去しなければ。
もちろん世界にあるどこのどの町だって、放射能汚染から守らなければならないのは同じことで、ことさら京都のことを強調してはならないかもしれませんが、しかし京都にはさまざまな日本の歴史が詰まった場所でもあります。

この町を守り、未来の人に安全なままに渡していくことで、さまざまな伝統を守り、つなげていくことも、京都府にとって大事な務めだと思うのです。
だから原発に近い府民のためにも、ご先祖や未来世代の人々のためにも、目の前にある巨大な危険性の除去に向けて京都府が奮闘しなければです。


関電の原発からの距離 京都新聞より

#京都府知事選 #原発は地震にとても弱い #原発の耐震性は一般の家より低い #国内植民地問題 #関西電力は若狭に電気を供給していない #樋口英明 #大飯原発運転差止 #若狭の原発を止めよう

*****

昨年12月19日に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この連続講演にも触れています。

新BOOK 『AFTER TEN YEARS 命を守り育むために 福島原発事故から10年を振り返る』ダウンロード先
https://nyoki2pj.com/lp/after10/

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒い雨訴訟で大きく開かれた可能性をいかに生かすのか 問われているのは私たちの努力だ  明日に向けて(2146)

2022年01月15日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220115 23:30 0124 21:00改訂)

1月29日土曜日に大阪府豊中市で黒い雨裁判についてお話します。
午後2時から豊中市中央公民館・講座室にてです。ぜひご参加下さい。

残念。コロナが流行っているので1月29日の開催は取りやめとなりました。
代替の日を設けるかどうか、主催者のみなさんで検討中です。決まり次第またお知らせします



「広島と福島をつなぐ希望の判決」

このタイトルは主催者のみなさんがつけたものです。良いタイトルだと思います。これに沿ってお話します。
僕はこの場合の「福島」は「福島県」のことではないと受けめています。「福島」に込められているのは、福島原発事故被災者=新ヒバクシャのことです。
さらにこの判決は、世界のヒバクシャにも希望をつなぐものとなっています。だから「広島と福島、そして世界をつなぐ希望の判決」だったらもっと良いかな・・・。

当日お話するエッセンスをぎゅっと縮めて表現しておきますい。一つに黒い雨裁判は、これまでの被曝影響の見積もりがとても過小評価されたものだったことを明らかにしたことに大きな意義があります。
またとくに高裁判決では、黒い雨の影響を受けたかどうかだけが、被爆者と認める要件であること、病になっているかいないかは関係ないことを明確にしたことに大きな意義があります。
放射能の被害を受けたら、病を発症しうるのですから、当然にも医療保障が必要なのです。病は未然に防ぐことに越したことはないし、早期に発見されるほど有利です。だから「発症しうる」人は守られて当然なのです。


高裁でも勝訴!喜んで手を振る高東征二原告団事務局長 2021年7月14日 守田撮影

問われているのは私たちの努力

もう一つ、お話したいエッセンスは、画期的な意義を持っている黒い雨訴訟判決で開かれた可能性を、どう生かすのか、今、私たちが問われているという点です。
ここまで、つまり判決を引き出すまで、原告の方たちがものすごい頑張りを見せて下さいました。弁護団や支援者の方たちも素晴らしい活躍をして下さいました。それでつかみ取られた判決は、私たちすべてに希望を与えてくれています。
なぜって私たちの誰もがヒバクシャだからです。みなさん。ぜひこの点をおさえて下さい。ヒバクシャとはあなたのことであり、私のことなのです。

なぜか。広島、長崎の被害をものすごく小さく見積もることの中で、アメリカが大規模な核実験を繰り返したからです。これに対抗して旧ソ連もまた大規模な核実験を繰り返しました。黒い雨の影響はこのために過小評価されたのです。
その後にたくさんの原発事故がおきました。その度に私たちは放射線被曝にさらされてきたのです。にもかかわらずこの事実をもみ消す行為が今も続いています。
政府が高裁判決を無視し、「病を発症した」ことを被爆者認定として持ちだしてきていること、さらに明らかに黒い雨被害を受けている長崎の方たちを無視しようとしているからです。こんなこと許してはいけない。問われているのは私たちです。

以上、大きく二つの点を軸にお話します。ぜひご参加下さい!


1954年3月1日 ビキニ環礁で行われた核実験キャッスルブラボー 他人ごとと見てはいけません。被爆・被曝させられたのはあなたであり私なのです!

#黒い雨 #広島と福島をつなぐ希望の判決 #豊中 #放射線防護 #被爆者 #ヒバクシャ #広島 #長崎

******

黒い雨訴訟について、最もこの裁判を丁寧に取材した毎日新聞広島支局記者・小山美砂さんにお話を伺いました!守田が司会をしました。ぜひご覧下さい。

12月19日に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この連続講演にも触れています。

『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』ダウンロード先
https://nyoki2pj.com/lp/info_yomitokibook/

新BOOK 『AFTER TEN YEARS 命を守り育むために 福島原発事故から10年を振り返る』ダウンロード先
https://nyoki2pj.com/lp/after10/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発はエネルギー問題ではありません。放射線被曝の危険性をしっかり把握しようー『放射線副読本』読み解き会をあなたの周りで 明日に向けて(2145)

2022年01月14日 20時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(22020114 20:00)

原発復活をもくろんだ数々の騙しにご用心

福島原発事故以降、たくさんの原発反対デモや集会が行われ、日本の原発は次々と廃炉になりだしました。
高速増殖炉もんじゅもストップし、核燃料サイクルの展望が閉ざされ、日本の原発にウランを売っていたアメリカの核燃料会社も倒産しました。
世界でもドイツや台湾が全廃を決めた他、原発離脱の流れが強まっています。

ところがこの間、気候変動問題などを利用し、原発復活が図られようとしています。
EUでも「脱炭素社会に向かうために原発が必要」と核大国フランスなどが叫び出しています。
これと向かい合うために大事なのは、原子力マフィアのウソと騙しのテクニックを見破るスキルを身に着けること。


マクロン仏大統領の原発建設再開の表明を報じる読売新聞


原発はエネルギー問題ではない

騙しの中の一つが原発を「エネルギー問題」とみせかけることです。
原発は「石油がなくなる」という掛け声のもとに進められ、今も「原発が無いとエネルギーが足りない」と喧伝されています。
騙されてはいけません。原発は安全問題であり国防問題です。重大事故で日本の半分以上を壊滅させるかもしれないからです。


福島原発事故では半径170キロが強制移転、250キロが任意移転になる可能性があった FNNの報道より

しかもそんな中でのたった数十年の発電で、何万年もの核廃棄物管理が必要になる。
大きな危険性と労力を未来世代に送るのです。
原発は暴力そのもの。倫理的にも許されないものです。


「原子力・エネルギー図面集」より 出典は核燃料サイクル開発機構


放射線被曝の危険性を無視するのが騙しのベース

この事実をごまかす騙しのベースは被曝の危険性を無視すること。
原発が放射性物質が大量に生み出すこと、しかもそれが何万年も続くことを隠してきたのです。
この騙しは、広島・長崎での大量虐殺以降、ずっと続けられてきました。

もともと騙しを進めたのはアメリカ軍。大量虐殺の責任を問われないためでもありました。
その後に危険性を隠して、核実験が続けられ、原発が世界各地で使われだしました。
だから一番大事なのは、被曝の危険性をしっかりと把握することです。


米軍による被曝影響隠しを暴いたNHKスペシャル『原爆初動調査 隠された真実』にご注目を


『放射線副読本』読み解き会をあなたの周りで

文科省が作った『放射線副読本』には、この騙しのテクニックが詰め込まれています。
もともとのアメリカによる放射線についての説明を手本としているからこうなりました。
福島原発事故の責任を逃れ、さらに原発を動かしたい政府と核産業の動向も反映しています。

このため反対にこのBOOKを読み解けば、騙しを見破るスキルを身に着けられます。
そもそもこのBOOKを読むと、誰もが「もやもや」するのですが、そこをすっきりと読み解けば良いのです。
そのために『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』を作りました。ぜひ活用して下さい。


京都市キッチン・ハリーナでの読み会より


次の開催は大津市で

滋賀県大津市にて行います!3回連続で全ページを読みます。
1月15日(土)、2月19日(土)、3月19日(土)、いずれも午後2時から4時まで。
大津市生涯学習センターにて。資料代1回1000円(読み解きBOOKは別途)、全3回申し込みで2500円。

主催は『放射線副読本』読み解き会・有志の会
連絡・申し込み先 080‐3791‐5345(安斎) 090-8523-6857(石堂)
FAX 077-522-6359 Mail:yomitokkiradiation@gmail.com

チラシのメールアドレスが間違っているのでご注意下さい。

#放射線副読本 #放射線副読本すっきり読み解きBOOK #にょきにょきプロジェクト #原発はエネルギー問題ではない #何万年も核廃棄物を管理 #重大事故で日本の半分以上が壊滅 #放射線防護 

*****

12月19日に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この連続講演にも触れています。

『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』ダウンロード先
https://nyoki2pj.com/lp/info_yomitokibook/

新BOOK『AFTER TEN YEARS 命を守り育むために 福島原発事故から10年を振り返る』ダウンロード先
https://nyoki2pj.com/lp/after10/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローブス少将が残留放射線をもみ消し被爆者救護も禁止したーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー2 明日に向けて(2144)

2022年01月13日 15時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220113 15:00)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの2回目をお送りします。

● マンハッタン計画責任者グローブスが残留放射線をもみ消した

NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-2回目
2021年12月29日放映

ところが、これらの調査結果は、ある人物によって隠蔽されます。グローブス少将です。
ペースが調査後にグローブスに呼び出されていたことが、今回初めて分かりました。



「帰国後、私は報告書を書き『Secret』扱いにした。」
「ある日、上司に呼び出されると一緒にグローブス少将がいた。彼らはしかめ面をしていた。
彼は「報告書は『Top Secret』にすべきだった」「これに関係する文書やデータは全て廃棄し全てを忘れろ」「報告書を書いたことも忘れることを命じる」と言った。
これは作り話ではない。私は「イエス サー」と答え、しっぽを巻いて退散し彼の言う通りにした。」

さらに被爆地を撮影していたコリンズも、軍の意向に沿った調査報告を求められていたと語っていました。

ドナルド・コリンズ
「原爆調査に向かう前、責任者からこう言われました。『君たちの任務は、放射能がないことを証明することである』。
そこで私はこう言いました。『失礼ですが我々は残留放射線を測るように命令を受けたのですが』。すると責任者は『放射線量が高くないことを証明しろ』と言ったのです。」

その結果、グローブズが提出させた初動調査の報告書では、残留放射線の存在が完全に否定されていました。

グローブス少将宛「原爆調査報告書」(1945年9月5日~10月12日)
「『残留放射線』の測定結果と、人への被害の臨床的な証拠がないことを考えると、爆発後、有害量の残留放射線が存在した事実はない。



人々が苦しんでいるのは、爆発直後の放射線のためであり、残留放射線によるものではない」

グローブズが残留放射線が存在しない理由として挙げたのが、原爆を開発した物理学者オッペンハイマーの理論でした。



原爆は爆発する瞬間、強烈な初期放射線を放出します。これに対し残留放射線は2種類あります。
一つは爆心地の土壌などが中性子を吸収することで放射性物質となり、放出するケース。もうひとつは爆発で発生した放射性物質が雨や塵などと共に降り注ぎ、地上に残り続けるケースです。

ただしオッペンハイマーは「広島 長崎では残留放射線は発生しない」としました。
なぜなら「原爆は地上600mという高い地点で爆発したため、放射性物質は成層圏まで到達。地上に落ちてくるのは極めて少量になる」というのです。
これがアメリカ政府の残留放射線に関する公式見解となりました。


● 実際には深刻な残留放射線の影響があった

グローブスによって否定された残留放射線。私たちは極秘とされた海軍の測定した値や、日本の科学者による測定値を入手。専門家と共に値と場所を地図上にプロットしてみました。
1945年9月から46年1月までに測定された、長崎の残留放射線の値です。残留放射線は時間と共に急激に低くなる減衰という現象を起こします。



そこで時間を遡り値の変化を調べてみることにしました。

すると原爆投下の1時間後、爆心地から3キロ離れた西山地区で、放射線は1時間当たり97ミリシーベルトを超えていた可能性があることが解りました。



この放射線の値を計算した京都大学複合原子力科学研究所の今中哲二研究員です。

NHKスタッフ
「一番注目すべき地域ってどこだと思われますか?」

今中哲二研究員
「それはやっぱり西山ですよね。西山が圧倒的に線量が高かったですから。これはもう私からしたら直ちに避難するか、直ちにどこか遮蔽の強いコンクリートの建物に避難するとかという線量です。
そういう中でたぶん西山の人たちはね、暮らしてたんだと思います。」

放射線医学の第一人者である広島大学の鎌田七男名誉教授は、人体に影響を与えていた可能性を指摘します。

鎌田七男名誉教授
「6時間たった段階で(がん死亡リスクが高まる)100ミリシーベルトは優に超えちゃうと。これだけの数値からでも人体への影響はあったと。
体調を崩していったり脱毛した方もあるわけですから、これを見て(人体への影響があると)意を強くすることができますね。」

西山地区の住民を対象に血液検査を行っている写真も見つかりました。近隣の子どもたちまで集め、検査に協力させていました。



原爆投下から2か月後、アメリカ軍が注目していたのは白血球の値でした。正常値を遙かに超える1万以上の高い値を示す住民が多数に上りました。(1945年10月~46年1月)

鎌田名誉教授によると「放射性物質が体内に入ったことで起きた可能性が高い」と言います。
アメリカ軍は残留放射線を測定していただけではなく、人体への影響の可能性まで周到に調査していたのです。

陸軍軍医による報告書
「西山地区の人々は原子爆弾の投下から数か月後に、有意な白血球増加がみられた。動物の場合、全身に被ばくした後に白血病が進行する可能性があり、人間がどうなるか特に興味深い。
また放射性物質を経口摂取した後の人体から、骨肉腫も確認されている。西山地区に残る放射性物質の堆積物には、人がさらされ続けると危険を伴う可能性がある。



この条件を考えると、原爆の直接の影響を受けていない西山地区の住民は、残留放射線の影響を観察するのに理想的な集団である。」


● 核開発のために在留放射線は皆無と語ったグローブス

次々に明らかになる残留放射線に関する不都合な事実。しかし、グローブスは公式見解を変えようとはしませんでした。
1945年11月28日、グローブスは議会で証言を行います。その議事録を今回入手しました。

質問者
「残留放射線を調査した記録はありますか?」

グローブス
「はい。ございます。残留放射線は『皆無』です。『皆無』と断言できます」。
爆発が非情に高い地点で起きたため、放射能による後遺症は発生しませんでした。

質問者
「私から見ると、陸軍省は何度も何度も『放射線による被害はなかった』と強調しています。そこには放射能被害を認めると、倫理的に間違いを犯したことになるという思いが、陸軍省側にあったのではないですか?」

グローブス
「この問題は、ひと握りの日本国民が放射能被害に遭うか、それともその10倍ものアメリカ人の命を救うかという問題であると私は思います。これに関しては私はためらいなくアメリカ人を救う方を選びます。」

当時ソビエトとの冷戦が既に始まっており グローブスは今後も核兵器が必要であると強調します。

グローブス
「アメリカの科学者の研究では残留放射線による死についての報告は実証されていない。



原子力の研究をやめてしまうことは、アメリカが自ら死を選ぶことに等しい。」

「原爆は非人道的な武器では無く、アメリカになくてはならないものだ。」
グローブスは残留放射線の影響から目をそらし、核開発で世界をリードすることを最優先としたのです。


核開発の歴史を分析してきた歴史学者のジャネット・ブロディ教授です。
グローブスは科学を都合よく利用することで、残留放射線の問題をアメリカ国民の目からも覆い隠していったと指摘します。

「アメリカ社会では「無知学」と呼ばれるずるい手法が使われることがあります。
「無知学」とは当局が望まない情報の拡大を何らかの手段で阻止することです。



グローブスは全ての″原爆に関わる文章″を支配し続けていました。
そして科学的なメリット、医学的な効果など、肯定的な結果だけを取り上げて、負の部分は隠しました。
これは戦争犯罪を犯した人に対して、見て見ぬふりをするのと一緒です。

グローブスは負の側面から顔をそむけたい市民の深層心理につけ込んでいったのです。
政治家やアメリカ国民を残留放射線の問題から、目を背けるように巧みに操ったのです。」


● 日本軍もまた「放射能はすぐに減衰する」と深刻な影響を隠そうとした

アメリカが残留放射線を否定する一方で、日本はその影響をどう捉えていたのか?
実は日本軍も原爆が投下された翌日から、被害を調べる為、医師や科学者を現地に送っていました。(8月7日、日本海軍調査、8月8日日本陸軍調査、8月13日九州大学調査)



その中に、残留放射線にいちはやく注目した医師がいました。東京大学の都築正男(つづきまさお)教授です。

都築正男教授 中国新聞1945年9月5日掲載記事より
「爆発の当日、広島におらず、その後広島にやってきた人で数日間、勤労作業などに従事した人の健康状態については、相当の症状を示し、また死亡した人もある。



爆発後、数日以内に爆心地から半径500m以内の土地で働いたものには、ある程度の傷害があたえられていると考えてよかろう。」

都築が疑ったのは、原爆が爆発した後に爆心地に入った人が被爆する”入市被爆”でした。



爆心地の土壌は、中性子を吸収することで放射性物質となり放射線を放出します。
今回入手した値で作成した、広島の爆心地周辺での残留放射線です。原爆投下後の1時間後は1時間当たり15ミリシーベルト(15.13mSv/hr)と極めて高い値になっていました。

広島では、原爆投下の翌日に救護や家族を探す為に、少なくとも1万8千人が爆心地に入っていて、残留放射線を浴びた可能性があると考えられています。

残留放射線が人体に与える影響を危惧していた都築医師。
長男の正和さんは、その原点に戦前にアメリカに留学して放射線医学を研究した経験があったと語ります。
「(原爆投下前に)アメリカの放射線の専門医から、そんなに大量の放射線を生物に照射することはありえないわけだから、お前の研究は放射線医学にとって意味のない研究であると。ただそれが後になったときに、放射線の生物に対する影響がどういうものがあるのかもっと研究しなければいかんということは、直接、聞きましたけどね。」

当時、日本の科学者の間では残留放射線については、さまざまな思惑が交錯していました。
西山地区の調査に参加した物理学者の森田右(すすむ)博士は、住民を避難させることを検討していました。(回想録 1991年より)
「西山地区に雨と一緒に死の灰が降り注ぎ、地面一帯が強い放射能を持っていることが判明、住民の避難が検討されたこともあった。」

さらに西山地区の調査に協力した石川数雄医師は、血液検査で分かった白血球の値についてこう述べていました。

「いままでかつて我々が予期しなかったとにかく普通でない変化がありました。非常にたくさん増えて1万2万といわゆる白血球増多症を持っていたわけです。それが若い子どもの方が多かった。私たちはここに非常に恐るべき事実があるような気がしましてそれが蓄積した時にどうなるかと。」



一方で石川数雄医師は、残留放射線が大衆を不安に陥れることを危惧していました。

石川数雄医師
「アメリカの方から伝えられた『70年生物の存在を許さない』とPRされて、そのことに多くの方々が恐れおののいて、多くの死体の片付けも十分できないような不安な気持ちであった。
私は『放射能というのは時間とともに強く減弱していくんです。弱っていくんです。いわゆる人間の体に受けても心配はいらないんだ』と県知事に申し上げたことを記憶しています。」

廣島戦災(放射能に関する)調査報告書(1945年8月15日)
陸軍がまとめた報告書です。「人体に障害を与える程の放射線は測定できなかった」と記されています。有害な残留放射線は存在しないとされることでパニックを防ぎ、人心の安定を図ろうとしていたのです。


● 人々を助けようとする科学者たちは米軍に圧迫された

それでも日本の科学者たちは、アメリカの調査に協力する一方で、残留放射線の人体への影響を証明しようと取り組みます。



原爆調査に当たった都築正男医師が残した資料です。

原爆投下から3ヶ月後に開かれた原爆災害調査研究特別委員会の極秘の記録が見つかりました。

1945年11月30日。GHQの立ち会いの下、広島、長崎を調査した科学者が、初めて一同に会し、報告を行いました。(「原爆災害調査研究特別委員会」)
戦中、国産の原爆開発を行っていた仁科芳雄博士。爆心地から離れた地で残留放射線を測定した事実を発表します。

仁科芳雄博士
「特別な地区の放射能が強くなっている所があります。原爆が爆発して原子核の破片が飛散して放射能を示している。雨と一緒に落ちてきている。」

続いて、残留放射線の人体への影響を危惧していた都築正男医師。

都築正男医師
「爆発後 他の土地から応援にまいり、作業に従事した人の白血球の数が減りました。放射能の障害を受けたのではあるまいか?ただ確実にそうである実例をいまだつかみえないのであります。」

しかし アメリカ側が科学者に対し厳しい言葉を突きつけます。

GHQ経済科学局幹部
「日本人の原爆研究は許さぬ」

都築はこの発言に強く反論します。「広島と長崎ではここで発言している瞬間にも原爆症で次々と死亡しつつある。原爆症はまだ解明されていない新しい疾患でまだ治療方法はない。たとえ進駐軍の命令でも医学上の問題について研究発表を禁止することは、人道上許しがたい。」

しかし、アメリカ占領下では都築医師の主張が通ることはありませんでした。
戦後、都築都築正男(医師)にインタビューした広島大学の今堀誠二教授は、都築から「科学者としての無念」を聞いていました。

「問題は政治が先か、人道が先かということであって、結局は人道が政治に押し切られてしまった。広島・長崎に何万という被爆者がいるんだと。毎日何人も死んでいってるんだと。
その人々を助ける方法があり、研究もでき、発表もできるにもかかわらず、占領軍の命令によってそれを禁止して、この人々を見殺しにするとは何事かと。」



晩年まで被爆の研究を続けた都築医師
核の平和利用が検討され始めたころ、原爆初動調査を振り返り、こう語っていました。
「私は今後、機会が与えられるならば、資料を整理して人類の幸福のためにより友好的な形で編み直してみたい。
そうすれば苦心して集めた資料が真に実を結ぶ時を迎えるだろう。」

国家の思惑の中でにぎり潰されていった科学的事実。
新たな取材でアメリカは残留放射線を否定しながら、被爆地の調査を続けていたことがわかりました。

「残留放射線の影響は、アメリカが行っている被爆者の遺伝子研究にも重要な意味を持つ可能性がある。」


体調不良や原因不明の死があいついだ長崎市西山地区。調査の対象にされながら、住民たちはその事実を一切、知らされませんでした。

松尾トミ子さん
「これは人として見ていない感じがするんですよ。実験みたいにしてるなって。」

戦後、核兵器の開発を進めた世界は、残留放射線の存在から目を背けつづけました。

チェルノブイリ事故医療対策責任者
「私たちがチェルノブイリの大惨事を調査した時もそうでしたが、放射線の値を引き上げたり引き下げたりする問題はかなり恣意的なものでした。」

残留放射線の否定は私たちに何をもたらしたのか。現在にいたる核と人類の関係を紐解いていきます。

続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKスペシャル #残留放射線 #グローブス #オッペンハイマー #都築正男 #仁科芳雄 #広島 #長崎

*****

昨年12月に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この番組にも触れています。

原発そして被曝から命を守る活動のためにカンパを訴えます。
振込の場合: ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
Paypalの場合:https://www.paypal.me/toshikyoto/500(金額は自由に設定できます) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする