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ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『魔法使いの少年』

2010-04-13 12:30:18 | わたしの読書

『魔法使いの少年』 ジャック センダック(著), ミッチェル ミラー(画),  長田 弘 (訳)

最初の2ページを読んだあたりで、これはきっと、「子どもは、みんな魔法つかいになれる」
というようなことが言いたいのだなと、大人特有の勘ぐりをする。
でも・・・・・・・・・そこからが、センダックでした!!!
ですよねー。そんな話で、終わるはずがないですよねー。

凝り固まった大人の頭を、ギャフンと言わせてくれるセンダック。
この人は、子どもたちの親分みたいな人だと、思わずにはいられません。
あー。また、やられちゃったなー。

センダックにしか描けない世界。面白くて、少し怖かった。


『空の飛びかた』

2010-03-24 13:44:38 | わたしの読書


『空の飛びかた』    ゼバスティアン メッシェンモーザー(著),  関口 裕昭(訳)

こういう本を、大人の絵本と言うのだろうか。
小学校高学年ぐらいから!?楽しめる「絵本」かな。
(もちろん、ただ読むだけなら、その前からいけると思うけれど・・・)

とにかく、絵がいい。
ペンギンの皮膚の感じまでが、絵から伝わってくる。
上手な絵は、いくらでもあるけれど、質感まで描かれた絵って、そうないと思う。
すごく、いい。絵が語るって、こういうことをいうんだなあと思う。
でっぷり太ったペンギンのお腹と、おじさんのお腹が並んでいるのが、またいい。

ラストが、またいい。
もしも、何もかもがうまくいかないと嘆いている人がいたら、是非、この絵本を。
きっと、そんなもんだよね。ペンギンくん。


『アメリカ61の風景』

2010-03-08 13:10:37 | わたしの読書

『アメリカ61の風景』 長田弘

気がつけば、この本を借りてきてから、1ヶ月以上もたっていました。
(ああ、他に借りる人がいなくて良かった)
急いで読むのが、もったいなくて・・・・・。大事に、大事に読み続けていたのです。


大事に、大事に。
それは、そこらじゅうに散りばめられた「言葉」という宝石を、読みながら、一つ一つ拾っていく
ような・・・そんな読書でした。
しかもその宝石は、拾い上げた読み手それぞれが、自分の心の中で磨き、もしくは、そのまま
しまっておくことができるのです。

「日本語って、こんなに美しいんだ!」
「言葉一つで、こんなにも色鮮やかに、香り豊かに、自然や町を描くことができるんだ!」

宝石を拾い上げながら、そのことに、ただただ感激し、胸が一杯になりました。

途中、何度も付箋を貼りたい衝動にかられ、鉛筆でなぞりたい衝動にかられ、その度に、
そんな野暮なこと!と、自分に言い聞かせました。
(だいたい、図書館の本だしっ)

私の愛読書、『長田弘詩集』。
ことあるごとに、その詩集を取り出している私ですが、エッセイの方が好きかも!!!!!!
ああ、読み終わるのが、本当に残念でした。
この本は、いつか購入しようと思います。
でも、自分のものになったら、鉛筆でなぞらないでいられるのか、自信がないけれど。

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私にとって、「アメリカ」という国のイメージは、いつの頃からか、「強くて、傲慢な国」でした。
それは、前大統領のときに、決定的となりました。
素晴らしいアメリカ文学に出会い、それを素直に称えつつも、そのイメージだけは、変えること
が、出来ませんでした。
でも、この本が、私に新しい視点をくれました。

長田さんが描く、アメリカという遠い国の美しい
森、どこまでも広がる大地、吹き抜ける風、
その中を泳ぐ草原。輝く湖。
その大きさに圧倒され、感嘆のタメイキをもらす。
そして、そこで、静かに、慎ましやかに繰り返される、人々の営みに、憧れと、懐かしさにも似た
不思議な感情を抱く。

この地球に在るのは、大地と海と空と、そして、そこに暮す命。
ただ、それだけなのだと、改めて気付かされる。
国境なんて、後から、人間が付けたしたものなのだ。
そんな当たり前のことに気がつかなかった私こそ、「小さくて、傲慢な人間」だったのではないか。


最後の章「希望はどこにあるか」は、そのことをつくづくと、考えさせられた。
この章の「アメリカ」を、「日本」に置き換えることはできないか?

アメリカにも、日本にも、希望は、ある。
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あー。アメリカに行ってみたいなー!心から、そう思いました。
世界のすべてが見わたせる道に立つことができたら、どんなに幸せだろう。
そして、猫のいる本屋さんで一日を過ごしてみたい。
よく冷えたビールを、昼間から飲んでみたい!

あー。本当に、
幸せな読書でした。
この本との出会いと、出会わせて下さった方に感謝しながら・・・また、この本を手にとる日まで。

読んでみたいと思った本・・・『祟り』トニー・ヒラーマン
気になった詩・・・『一年生のときに学んだこと』ジェーン・ケニヨン
          ・・・ウォルト・ホイットマン
この本をきっかけに、読み始めた絵本・・・バーバラ・クーニー


『カモ少年と謎のペンフレンド』

2010-02-28 14:07:14 | わたしの読書

『カモ少年と謎のペンフレンド』ダニエル・ぺナック 中井珠子訳

英語が、からきし出来ないカモは、お母さんとの約束で、3ヶ月で英語をマスターすることになる。
そのためにと、お母さんが探してきたのが、ペンフレンド紹介所。
英国の少女・キャサリンと文通をはじめたカモは、文通にのめりこむ。病的なまでに!!
カモの親友のぼくは、そんなカモを心配し、文通相手の少女の正体をつきとめようと奮闘する。
そして知るのだ。なんと、その手紙が、18世紀の英国から届いたものだということに!
はたして、少女の正体は・・・。

正直に言うと、途中、人物関係がわかりずらい箇所がいくつかあった。
(それは、私の読解力によるものだけれど)
読み返して、ちゃんと読みこなそうと思ったのだけれど、ドキドキ・ハラハラが強すぎて、とても
戻るなんてことをやっている暇はなかった。
ちょっとぐらい、読み飛ばしてもいいや!ペンフレンドの正体を早く知りたい!!
と、読み飛ばし、そしてたどりついた、少女の正体・・・・・・・。

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

ちょっと、拍子抜けしてしまったのは、推理小説に慣れた「大人」だからかな。
それにしても、そうきたかー。全然、気付かなかった。
個人的には、この結末は、拍子抜け。
でも、それまでのドキドキ・ハラハラを思えば、まあ、許せるかもしれない。

悔しかったことが一つ。
18世紀の英国に暮す少女とHという名前に、「あれ?」と思わなかったこと。
あーあ。中学生のとき、あんなに夢中になったのにな。
でも、内容も覚えてないから、仕方がないか。
それにしても、読みながら、気付いた人っているのかしら。
そういう人が読んだら、どんな風に楽しむんだろう・・・。ちょっと羨ましい。


『みずうみ』

2010-02-12 19:45:45 | わたしの読書

 『みずうみ』 いしいしんじ

3章からなる物語。
それぞれが別の物語であり、それぞれが、「みずうみ」を通して繋がっている。
いや、繋がっている「気」がする。

ああ、本当に、なんという本だったろう。
1章と2章は、特に強烈?鮮烈?忘れろと言われても、たぶん、忘れることはできない。
穏やかな気持ちで3分の2ぐらいを読み、その後、気持ち悪くなるような感覚を覚える瞬間がある。
その後、「なんなんだ、これは!」と、頭の中で叫びながらも、読むことをやめられない。
最後の3分の1は、まるで、何かに追われるようにして、一気に駆け抜ける。
良い表現ではないのだけれど、気がふれるって、狂うって、こんな感じなのかなーって、
その、最後の追われている時に、何度も思った。

終わりも、突然だ。
「さあ、次のページ!」と、勢いよくページをめくったら、そこに、
何も書かれていない。
・・・・・・・・・・あ、終わったんだ。どっと、疲れる。
特に、2章は、あまりに緊張しすぎて、読み終わった後、ぐったりしてしまった。
今も、口の中から、異物を吐き出したくなる衝動にかられる。

3章は、それまでの章とは、雰囲気が違う物語。
途中、何度も眠くなったのは、読むのが辛かったからなのか、それとも、主人公達と共に、
洞窟の中をボートで進んでいるからなのか・・・わからない。
水。白い人。眠気。鯉。バザー・・・・・。
前の章と繋がる言葉に誘われて、ようやく、最後まで読むことができる。
最後まで読んで、本を閉じてしまってから、ようやく、3章もまた、すごい物語だったなあと
いう思いが、どこからともなく込み上げてくる。コポリ、コポリ。

今回、何より驚いたのは、いしいワールドに、はじめて、具体的な地名が出てきたこと。
主人公が、日本に暮していることが、ニューヨークに暮していることがわかる。
それが、何を意味するのか?どこが、喪失と再生の物語だったのか?
正直、何一つわからない。

わかるのは、何故か、無償に、また読みたいという思いにトリツカレテいる、ということだけ。
この本を読みながら、いしいさんの感覚の中に、ズブズブと入って、沈んでいく自分がいる。
溺れているはずのに、苦しくないのだ。快感にも似た・・・何か。

未来も過去もなく、喪失も再生もなく、ただただ、すべての物事が、ぐちゃぐちゃに
混ざり合って、響き合って、キラキラと輝いている世界。
もしかしたら、私たちの意識のずっと奥のところは、そんな風なのかもしれない。
(だから、気がふれたら、こんな感じだろうかと思ったのかな?)


究極の「いしいワールド」。これは、個人的な意見ですが・・・
はじめての方は、別の作品から、入ることをおススメします。
もちろん、勇気のある方は、別です。


『たんぽぽのお酒』

2010-02-05 12:52:24 | わたしの読書

『たんぽぽのお酒』レイ・ブラッドベリ

ずっと、ものすごい勢いで、本を読み続けていたのだけれど、この本を開いてから、ぱたりと
止まってしまいました。
減速。どころではなく、ストップです。
まず、一ページ読んで、全く、本当に全く、言葉が頭に入ってこないことに気がつきました。
どうしたんだろう・・・と焦りながら、もう一度、さらに、もう一度、読み返しました。
なんと、3日かかって、数ページ。頭を抱えました。

もしかして、今までの本は、ナナメ読みで、読みこなしてきたのだろうか?
だから、難しい本に、頭が切り替わらないのか?
それとも、この物語が、私には合わないのだろうか?
戸惑いながら、気付いたら、3週間以上も、この本と格闘していました。
(他に、予約を入れる人がいなくて良かった!)

3週間。半分以上も読み終えていた自分に、心底、驚きました。(永遠に終わらないのかと思った!)
そして、読んでいる間中、子ども時代を思い出すときに感じる、あの初夏の夕暮れの時間を
ずっと、感じていることに気がつきました。
あの匂い、風、幸せの感覚。
そう。この本を読んでいる間中、私は、幸せを感じていたのです。

ようやく、読み終えたとき、頭に浮かんだのは、「時間」という言葉。
きりとられた「時間」が、まるで、パッチワークのように、散りばめられた本でした。
しかも、その並べ方は、たぶん、何も意図せず、思いつくまま。
これがまた、後から考えると、最高に良いのです。
再読したら、それぞれの物語が、前とは違う場所に収まっているような、そんな気さえします。


本当に、この本は、なんだったのでしょうか。
これは、小説なんだろうか?・・・・・・いや、これは、小説という名の「詩」に違いない。
風景の描写一つとってみても、これを「詩」といわずに、なんと言うのでしょうか。
だから、この本は、頭で読むのではなく、感性で読まないといけないのです。
(きっと、その読み方に面食らって、慣れるまで、なかなか進まなかったのでしょう)

面白い児童書を読むと、必ず、子どものときに出会いたかったと、子どもたちに嫉妬
してしまう私ですが、この本に関しては、正直、よくわかりません。
子どもの感性で読んだら、いったい、どうなっちゃうのか、想像もつかないのです。
でも、もしかしたら・・・・・・・ちっとも、不思議な本に思わないかもしれないな。

気に入っている「老女と若者の恋」についての話や、「蝋人形にされた魔女」の話など
たぶん、子どもの頃の私にとっては、何の不思議もない話だったかもしれず。
こんなこと考えて、毎日暮していたような、そんな気がしてならず。
なんだか、あの頃が、まぶしくて、まぶしくて・・・それこそ、切り取っておきたいぐらい!
佐野洋子さんに「子どもの頃が、一番良かったと思いだしたら、あんたも年寄りだよ!」
と、言われてしまいそうだけれど(笑)


こんな不思議な、素敵な本と出会わせて下さった方々に感謝しつつ・・・・・
未だに、うまく感想が書けない自分に呆れつつ・・・・・


『満月をまって』

2010-02-02 12:01:30 | わたしの読書

『満月をまって』 
                                
メアリー・リン・レイ作 バーバラ・クーニー絵
                                掛川 恭子訳


ずっと読んでみたいと思っていた、クーニーの絵本。
けれど、息子が絵本を離れてしまってから、手にとる機会を逸していました。
今回、ある本を借りてきたきっかけに、この本を借りてきました。
その本は、まだ、読めていないのですが(その前に大作を読み始めてしまい)、先に、
こちらを読み終えました。

美しい自然や人々の営みを、ただただ、描いた絵本だと、勝手に思い込んでいたので、
(たしかに、それも素晴らしいのですが)
主人公の少年の心の揺れに接し、激しく動揺してしまいました。
そして、おじさんの言葉。そこから繋がって、最後、少年が、自らの進むべき道を見つける
場面では、涙が止まりませんでした。

本当に素晴らしかった。
「風にえらばれた人」に、私もなりたいと、心から思いました。
そういう仕事に、自分の子どもたちが出会えたら、どれだけ幸せだろうかと思いました。
いつか、必ず、子どもたちにプレゼントしたい。そう思いました。

それにしても、物語と絵が、これほどまでに、互いを魅せあう絵本があるでしょうか。
どちらか一方では、これほどまでに感動できなかったと断言できます。素晴らしい。
クーニーの絵本。
少しずつ借りてこようと決めました。


『心をゆさぶる平和へのメッセージ~なぜ、村上春樹はエルサレム賞を受賞したのか~』

2010-01-21 20:11:19 | わたしの読書
 『心をゆさぶる平和へのメッセージ
                       ~なぜ、村上春樹はエルサレム賞を受賞したのか?~』

昨年、最後の読書は、実家の妹の本棚の本でした。
ずっと、春樹さんの授賞スピーチの全文を読みたかったのです。嬉しい。
英語と日本語訳が、両方載っています。

自分の無知さを痛感し、歴史の悲惨さに打ちのめされ(どちらの側に対しても)、
それなら、私に、何ができるのか?と、問い続けた一冊でした。

どんなに壁が正しくても、私は、卵の側に立つ。

その言葉が、大きく、大きく、心を揺さぶります。
自分達の作り出したシステムに支配される恐怖。どうしたら、自分の立ち位置を、いつも
冷静に、見つめることが出来る人になれるのだろう。
どうやったら、どんな時でも、自分を見失わないで、生きていけるんだろう。

ああ、今年こそ、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読み返そう。
何度読んでも、いつも、荒涼とした世界と、壁のイメージだけが残る本。
今度は、きっと、感想を書き記しておこうと思いながら。

『絵本と私』

2010-01-16 14:22:16 | わたしの読書
 『絵本と私』 中川李枝子

これも、昨年末に読んだ本。

絵本を紹介した本って、あまり読んだことがありません。
この本も、表紙は知っていたけれど、実際に、手にとったことは、ありませんでした。
だから、娘のお友だちのママが貸してくれなければ、たぶん、読むことは、なかっただろうな
と思います。ああ、なんてラッキー!
こんな素敵な本を知らないままだったかも?と思うと、ラッキー!としか言いようがありません。
やっぱり、読まず嫌いは、いけません!と、改めて思った一冊でした。

中川李枝子さんの好きな絵本が、中川さんの大切なエピソードと共に紹介されています。
紹介というより、エピソードの中に、絵本の題名が、さりげなく載せられているという感じ。
開くと、左のページに絵本の一ページ、右のページに、文章。このスタイルが、また良いです。

なにより、ずっと知りたかった、中川さんの勤めていた保育園のことが、たくさん、たくさん
描かれていて、それは、それは、楽しくて
ああー。みどり保育園に入ってみたかったなあ。
ああー。わが子を、みどり保育園に入れてみたかったなあ。

私は、保育園が大嫌いな子で、しょっちゅう仮病をつかっては休み、行っても
大抵、お腹が痛くなって、保健室で寝ているような女の子だったのです。
ちなみに、妹は、「保育園やめる!」と言って、転園したのでした。
もしも、こんな保育園だったら、わたしの人生、どんなだっただろう?

なかまの中で、育まれる心。
絵本とともに、育まれる心。
自然の中で、育まれる心。

その大切さを、再確認した一冊でした。

『シモンとクリスマスねこ』

2010-01-08 14:52:51 | わたしの読書

 『シモンとクリスマスねこ』
                   レギーネ・シントラー 文 ジータ・ユッガー 絵 下田尾郎 訳

年末に読んだ本の記録。(だから、クリスマス

少年シモンの、クリスマスまでの24日を描いた本。
シモンと、その家族が、クリスマスを大切に待っている様子が、一日、一話という形で、丁寧に
描かれています。
ああ、こうやって、心静かに、穏やかに、クリスマスを待つ日々の素晴らしさ!!!
日本のクリスマスは、華やかさだけが、クローズアップされがちですが、本来の意味は、
そうでは、ないのですよね。じわりじわりと、心にしみてきます。

クリスマスは、ただそれだけで喜びなのだということが、伝わってくるお話。
ああ、5年前に読みたかったなあ。
中学生の息子に、読んであげられなかったことが、とても残念。
でも、娘が大きくなる前に、この本を知ることができて良かった。

読んであげるなら、小学生以上でしょうか。
娘は、小学生でも、読み聞かせを楽しんでくれるのかしら?
早々と卒業して、一人で読むのかな?
そんな、先の先の先のことまで考えて、また、じーんとしてしまったのでした。


『スターガール』

2009-12-15 14:39:12 | わたしの読書

ジェリー・スピネッリ(著)千葉 茂樹(翻訳)

私の頭は、すっかり、読書モードに切り替わっているようで、読書のスピードが落ちません。よしよし。
たぶん、この後、全く読まないモードに切り替わるのだろうけれど、今のところ、大丈夫みたい。
それにしても、私ってば、文句ばかり言いながら、アメリカの作家さんばかり読んでいるなー
本当は、好きでたまらないんでしょ。と、佐野洋子風に、突っ込みを
いれながら、この本を開いた(笑)

面白かった。
最初からずっと切なくて、切なくて・・・それでも、そんなでも、「面白い」っていう言葉を使うのは、
間違いじゃないですよね?

強烈な個性を持つ少女・スターガールは、転校してきたその日から、学校中で噂されるような女の子。
突拍子もない名前・スターガール。奇抜な服装。ノーメイク!(私も、しょっちゅうノーメイク
ランチルームでウクレレをかきならし、自分の家の机のように、教室の机を飾る。
学校中の友だちのバースデイに、バースデイソングを歌う!!!
誰もが、彼女の姿を追いかけずにはいられない。スターガールは、あっという間に、人気モノだ。
けれど、彼女の強烈すぎる個性と、独特の価値観は、次第に、周りから敬遠されるようになる。
敬遠?そんな生易しいものじゃない。拒絶だ。

彼女は、彼女のままだからこそ、愛おしいのだと気付きながらも、自分までもが、友だちから拒絶される
恐ろしさに、彼女に「普通」になって欲しいと願う、主人公の少年。
何のために?誰のために?
スターガールの幸福の石が、たった二つに減ってしまったことを知りながらも、
「元の君のままが好きだよ。」と、言えない少年。
自問自答し、苦しむ少年が痛々しく、また、恋しい彼のために「普通」になろうとするスターガールの姿に
切なくて、胸がはりさけそうになる。

「普通」って何なんだろう?「個性」って何?「正義」って、何なの?
「人間」って何だろう?「みんな」って、「社会」って、何なんのだろう?

この本が、私に突きつけたのは、
「イジメは、いけないことなんだ!」とか、「社会的に排除されている人がいるときに、私たちに出来ること
って何だろう?」とか、そんな、うわべの問題ではなく、人間の根っこの部分、そのものなのではないか?
そんな風に思った。

世界中の人々が、スターガールと少年のように、魔法の場所にすわり、地球の鼓動に耳をすませ、
宇宙と一つになることができたなら、きっと、この世界は、素晴らしいものになるに違いない。
きっと。きっと。絶対に。

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この本を片手に、泣いているところを見つかってしまったから、息子は、たぶん、この本を「読まない。」
と言うだろう。
でも、読んでほしいな。中高生は、どんな風に、この本を読むだろう。
きっと、私のように小難しいことは考えず、もっと、素直に、スターガールの光を受け止めるに違いない。
(実際、驚くぐらいに、明るく、爽やかなイメージの本なのだ)

もしかしたら、「あんなに変わったことをするスターガールを、みんなが好きになれないのは、
当たり前だ。」と思うかもしれない。
もしかしたら、学校中がスターガールに犯した罪を、憎み、怒るかもしれない。
主人公の苦しみを、自分の立場に置き換えて、ドキッとするかもしれない。
でも、やっぱり読んで欲しい。
中学生。正義感にかられる、ちょうど、そんな時期なのだと思う。
でも、この世には、完全なる「正義」なんてない。
「正義」は、誰かが、もしくは、社会が作り出したものだ。
スターガールを拒絶したのも、また、彼らの正義だったように。

学校の先生に向けられる、息子の正義の矛先。
それが、本当に正しかったとしても、それが、誰かを傷つけているかもしれない。「正義」って、そういうものなんだよ。

気付くかな?気付かないかもしれない。
それでも、スターガールが振りまく光のかけらは、必ず、心のどこかに残るような気がするのだ。

追記;
この切ない物語を、最後まで読み通せたのは、主人公とスターガールを見守るアーチという
大人の存在が、あったからだろう。
アーチは、スターガールに、「もっと、みんなと合わせないと駄目だ」なんて言わないし、
「だから、君は、イジメられちゃうんだよ。」なんて、もちろん、言わない。
少年に、「彼女を守らなくちゃ駄目だろう?」なんて言わない。ただ、見守るだけだ。
そして、とても大切な問いを投げかける。でも、答えるのは、大人じゃない。子どもだ。
子どもに必要なのは、こういう大人なんだろうなあと思う。こういう大人になりたいと思う。
アーチがいたからこそ、この、最高に温かいラストが生まれたのだと思った。


『役に立たない日々』

2009-12-11 13:30:30 | わたしの読書

『役にたたない日々』 佐野洋子

美智子さまのような、穏やかで、美しい年のとり方をしたいと思う。
瀬戸内寂聴さんのような、いつまでも輝いている、出来る女性でいたいと思う。
でも・・・・・・・・・。心の中では、気付いている。

「たぶん、私は、無理だ。」

だから、この本を読んで、おかしくてたまらなかった。
あー。私、こうなるんだろうなー。
老いていく醜い自分に、オロオロして、取り残されうような孤独に肌がピリピリ痛んで。
(モウ スデニ ハジマッテル)

今時の若いもんにイチャモンつけて、こんな日本、もう駄目だとのたまわる。
子どもの頃ばかりを思い出し、あの頃が、一番良かったと振り返る。
もしかしたら、韓流にハマって、DVDボックスを大人買いして、しんしょう潰すかもしれない。

洋子さんの日記(エッセイ)は、「これ、声を出して笑ったらいけないかな?」と、読者
が尻込みするほど過激で、毒々しくて、やっぱり、声を出して笑ってしまいました。

老人ホームに居る、娘のことがわからなくなってしまった母親のベッドに潜り込み、
「母さん、私しゃ疲れてしまったよ。母さんも九十年生きたから疲れたよね。
天国に行きたいね。一緒に行こうか。どこにあるんだろうね。天国は。」
と言う、洋子さん。あーあーと思う。
老いるって、こういうことなんだろうなーと思う。

それでもね、それでも、私も、生きていくと思います。
きっと、穏やかで美しく見える人だって、老いと立ち向かうときは、少なからず
悲しみや、辛さや、孤独を感じるんだろうなーと思います。
それでも、生きていくんだ。強く、しぶとく。しなやかに。

『百万回生きたねこ』は、ずっと、最上級のラブストーリーだと思っていました。
でも、この本を読んで、違うのだと知りました。
あれは、生きるってこと、そのものなのですね。

大笑いしたり、「言いすぎでしょ、洋子さん」とツッコミ入れたり、ホロリと涙を流したり。
本を閉じてからも、色んな考えが、私の頭の中を渦巻いています。
まともな感想は、とても、書けそうにありません。

ああ、洋子さん。
あと二年と宣告されても、担当医がイイ男でラッキーと言い、死ぬのなんか怖くない
と、キッパリ言い切るあなたの生き方に、ほれぼれとしています。
あなたのように年をとりたいなんて、恐れ多いことは決して言わないけれど(笑)、
あなたのように、自分のままで生きていきたい。
でも、でも、洋子さん。これを言うと怒られそうだけれど・・・
もっと、生きていてほしい。ワタシ、あなたのエッセイ、もっと読みたいのです。


『アラスカを追いかけて』

2009-12-07 14:56:52 | わたしの読書

『アラスカを追いかけて』 ジョン・グリーン 伊達淳・訳

面白かった。面白くて、面白くて・・・
本を閉じたとき、思わず、立ち上がって拍手を送りたくなった。ブラボー

ある時期から、アメリカ的なものより、ヨーロッパ的なものに惹かれることが多く、
文学においても、つい、(どんなに面白くても)一つか二つ、文句をつけたくなる
性格の悪い私ですが、
この本は・・・・・・・・文句なしに面白かった!!!
物語全体に漂うアメリカ的軽さも、子ども達の抱える、マリファナや煙草や酒やSEX、
貧富の差という問題もひっくるめて、全部、全部、面白かった。

物語は、ある寄宿高校が舞台。
主人公は、「偉大なるもしかして」~フランソワ・ラブレーの言葉~を探して、この
学校に転校してきた少年です。
何でもない自分から抜け出したい主人公の姿は、きっと、多くの子ども達が自分を重ね
るのでは、ないでしょうか。もちろん、かつての私もその一人。

主人公は、偉大なるもしかしてを探しあてることができるのか?
そして、
少年と、その友人達につきつけられた
「一体どうやってこのラビリンスから抜け出せばいいんだ」という命題。

少年たち、それぞれが見つける、答えとは・・・・・。

ラビリンス。
青春期の子ども達の思考回路は、何を考えても、すべてがラビリンス。
それこそが、青春なんだろうなと思います。
ラビリンスに入り込んだ主人公が、答えを見つけようともがく苦しみが、読み手にストレートに
伝わってきて、「あの日」を境に、最後のページまで、涙は止まることがありませんでした。

そしてまた、「いつでも、自分が物語の主役」である子ども達が、その傍らで頭を抱えている
友人もまた、同じ、ラビリンスの住人だと気付くことができた瞬間の感動に、言葉もなく
立ち尽くしている私がいます。ブラボー!

こういう本に出会えるんだから、読書は、やめられないなー。
いつか、主人公たちが抱える問題をひっくるめて、理解できるような年齢になったら、
是非、息子にも手渡したい!と思った本でした。


『クリスマスの木』

2009-11-24 13:32:10 | わたしの読書
『クリスマスの木』 
                ジュリー・サラモン作 ジル・ウェーバー画 中野恵津子 訳

今年のクリスマスプレゼントは、何にしよう。このところ、ずっと頭を悩ませています。
こんな時には、クリスマスの本を読んで、気持ちをクリスマスモードにしようじゃないか!
と、そんなことを考えて、図書館へ行ってきました。
そういえば、クリスマスをテーマにした物語って、あまり読んだことがないかもしれません。

この、わずか130ページ程度の小さな物語は、(あの有名な!)ロックフェラー・センターのクリスマス
ツリーを飾る仕事をしている園芸家が主人公。
ツリーになる木を探してまわる中、素晴らしい一本の木・トゥリーと、一人の修道女と出会うことから、
物語は始まります。
大きな事件が起こる訳でもなく、クリスマスをバックに、感動的で、劇的なラストが待っている訳でも
ありません。
修道女の過去の話を中心に、静かに、ゆるやかに、物語は進み、そして終わります。

こういう物語って、好きだなあ~。
・・・・・・・・・・・これが、本を閉じたときの、第一の感想。
心の中に、パッと明かりを灯してくれる火には、なれないかもしれないけれど、こういう、小さな火
(もしかしたら、ただのぬくもりかもしれない)も、心には、必要なんだよなあ・・・と、シミジミ思ったのでした。

最後、ロックフェラー・センターのクリスマスツリーの下に立つ、修道女の姿に、涙が止まらなかった。
主人公の心に起きた小さな変化、気付きが、何よりもあたたかく、嬉しく、涙が止まらなかった。
最高に小さい、最高にささやかな、最高に素敵な本を読んだ気がしました。

『エリック・ホッファー自伝~構想された真実』

2009-11-20 14:23:49 | わたしの読書

『エリック・ホッファー自伝~構想された真実』

これは、「沖仲士の哲学者」として知られる(恥ずかしながら、私は、知りませんでした)
エリック・ホッファーの自伝です。
ドイツ系移民の子として生まれたエリック・ホッファーは、母親に抱かれたまま階段から落ち、
それが元で母は死亡。同年、失明。5歳だったそうです。
十五歳で突然視力を取り戻しましたが、二年後、唯一の肉親である父親が死亡。
少年は、路上で寝ることが出来る暖かい場所が良いと、カリフォルニアに移ります。
それからは、あちこち転々としながら、鉱山夫、農業労働者、港湾労働者として、社会の
基底をわたってきたというエリック・ホッファー。

視力が回復した少年が、また、いつ目が見えなくなるかもしれないと、一日に十何時間と、本を読み
あさったという話。
労働し、お金がたまると、図書館に通い詰め、片っ端から専門書を読んでいったという話。
そして、とうとう、学者に助言する程の知識を得てしまうという話。
その才能を見出され、研究所で働くように勧められたにも関わらず、また、季節労働者として
旅にでることを選ぶ話。

その人生は、全く、信じられないことばかり。
「知への探求」「生きるということ」
そのことを、深く、深く考えました。

本を閉じた後、
学ぶって、こういうことなんだということを、見せ付けられたような想いで、一杯になりました。
労働についても同じく。
労働に必要なのは、やりがいではないという彼の考え方に対しては、色々な意見があるかも
しれないけれど、たしかにと、頷いてしまったのでした。

彼の言葉一つ一つが、大きく波打って、迫ってくるようでした。
なんと力強い言葉。
この力強さこそ、今の時代に必要なもの(失くしてしまったもの)かもしれません。
とにかく、その力強さに圧倒され、その言葉に、心が、大きく揺さぶられ続けた一冊でした。

哲学って、詩のようだと思ったことがあります。
その言葉の中に身をおくことが、なんと心地よいか。(たとえ、意味がわからなくても!)
そして、本を開いたところに、必ず、自分の必要としている言葉が見つかるのです。
高校の時、哲学が一番好きな教科だったことを思い出し、そういえば、久しく、哲学に触れる
機会がなかったなあと気が付きました。
他の著書を、是非、読んでみようと思います。