高校の教諭をしています。
今日学校で、ある行事があったのですが、
それは大変高額な寄付金を集めて行われるのです。
その行事に対して
「なぜそこまでしなければいけないのか」
という不満もあり、
都留さんのセッションの日と重なったというこで
参加しませんでした。
「私が行かなくてもいいだろう」
とも思うし、
行きたくないから自分で決めてやめたのに
なんとなくスッキリしません。
その行事に対して
「傍観者でいることを責める人」
があなたの中にいます。
「人間らしくて、いいじゃないですか」
津留 晃一 著
良くわかりますね
僕の場合などは別の日程とぶつかって困る
ということではなく
単にサボりたいから行事に参加したくない
ただそれだけなのに
参加しなかったことを後で後悔してしまう
後悔するくらいなら最初から参加すればいいのに
サボリたい気持ちとの葛藤の結果、サボリを決断
でも結局、後でモヤモヤ、後悔
ダメだなと自分を責めてしまう
参加が強制的であればまだ救われるのだろうけれど
少しでも自由裁量があれば本当に困る
はい、都留先生がおっしゃるように
「傍観者でいることを責める人」
が自分の中に存在するわけで
その責める人を消してあげればどんなにいいだろう
行事に参加しようと参加せずとも
どちらでもいいと思う
参加してもサボリの心あれば結局参加したことを後悔し
また逆に参加せずともサボリの心を後悔
どっちみち後悔は必定
変な心の想いを捨てる訓練が必要だ
早起き鳥
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