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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

教皇の日本司牧訪問 教皇のスピーチ 西坂の丘 2019年11月24日、長崎(参考資料)

2019年11月26日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!
教皇の日本司牧訪問
教皇のスピーチ
殉教者への表敬--殉教の記念碑
西坂の丘
2019年11月24日、長崎

 愛する兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 わたしはこの瞬間を待ちわびていました。わたしは一巡礼者として祈るため、信仰を確かめるため、また自らのあかしと献身で道を示すこの兄弟たちの信仰に強められるために来ました。歓迎に心から感謝いたします。
 この聖地にいると、はるか昔に殉教したキリスト者の姿と名が浮かんできます。1597年2月5日に殉教したパウロ三木と同志殉教者をはじめ、その苦しみと死によってこの地を聖なる地とした、あまたの殉教者です。
 しかしながら、この聖地は死についてよりも、いのちの勝利について語りかけます。聖ヨハネ・パウロ2世はこの地を、殉教者の丘としてだけでなく、まことの真福八端の山と考えました。自己中心、安穏、虚栄から解き放たれ、聖霊に満たされた人々のあかしに触れることができる場です(使徒的勧告『喜びに喜べ』65参照)。ここで、迫害と剣に打ち勝った愛のうちに、福音の光が輝いたからです。
 ここは何よりも復活を告げる場所です。襲いくるあらゆる試練の中でも、最後は死ではなく、いのちに至ると宣言しているからです。わたしたちは死ではなく、完全な神的いのちに向かって呼ばれているのです。彼らは、そのことを告げ知らせたのです。確かにここには、死と殉教の闇があります。ですが同時に、復活の光も告げ知らされています。殉教者の血は、イエス・キリストがすべての人に、わたしたち皆に与えたいと望む、新しいいのちの種となりました。そのあかしは、宣教する弟子として生きるわたしたちの信仰を強め、献身と決意を新たにします。日々黙々と務める働きによる「殉教」を通して、すべてのいのち、とくにもっとも助けを必要としている人を保護し守る文化のために働く弟子として。
 わたしが殉教者にささげられた記念碑の前まで来たのは、このような聖なる人々と会うためです。「地の果て」に生まれた若いイエズス会士の謙虚さに心を重ね、最初の宣教師と日本の殉教者の歴史に、霊感と刷新の深い泉を見いだしたかったのです。すべてをささげた彼の愛を忘れないようにしましょう。記念館に丁重に納められ尊ばれる過去の手柄の輝かしい遺物にとどまるのではなく、その愛が、福音宣教の熱い思いを刷新し絶えることなく燃え立たせる、この地におけるすべての使徒的精神の、生き生きとした記憶と燃える熱意になりますように。今の日本にある教会が、すべての困難と展望を含め、十字架の上から放たれた聖パウロ三木のメッセージに日々耳を傾け、道、真理、いのち(ヨハネ14・6参照)である福音の喜びと美をすべての人と分かち合うよう招かれていることを感じますように。わたしたちに重くのしかかり、謙遜に、自由に、大胆に、思いやりをもって歩むことを妨げるものから、日々解き放たれますように。
 兄弟姉妹の皆さん。この場所から、世界のさまざまな場所で、信仰ゆえに今日も苦しみ、殉教の苦しみを味わうキリスト者とも心を合わせましょう。21世紀の殉教者たちは、そのあかしをもって、勇気をもって真福八端の道を自分のものとするようわたしたちに求めています。彼らのために、彼らとともに祈りましょう。そして、すべての人に、世界の隅々に至るまで、信教の自由が保障されるよう声を上げましょう。また、宗教の名を使ったすべての不正に対しても声を上げましょう。「人間の行動と人類の運命を誘導する全体支配主義と分断を掲げる政略、度を超えた利益追求システム、憎悪に拍車をかけるイデオロギー」(「人類の兄弟愛に関する共同文書(2019年2月4日、アブダビ)」)に対して。
 わたしたちの母、殉教者の元后に、そして自らのいのちをもって主のすばらしさをあかしした聖パウロ三木と同志殉教者たちすべてに願いましょう。彼らの献身が、宣教の喜びを呼び覚まし保つことができるよう、皆さんの国、そして教会全体のために、取り次いでくれますように。




フランシスコ教皇様の訪日のための霊的花束の総計をご報告いたします

2019年11月25日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

キリストの代理者である第266代ローマ教皇の訪日を歓迎いたします。

フランシスコ教皇様の訪日のための霊的花束の総計をご報告いたします。

多くのお祈りと犠牲を心から感謝いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

SSPX Japan Total Tokyo Osaka
ミサ聖祭  246 84 162
聖体拝領  246 84 162
霊的聖体拝領  2505 200 2305
十字架の道行  138 89 49
ロザリオ(環)  3855 1456 2399
小さき犠牲  1525 146 1379
その他  16183 312 15871

Photo Credit

追伸:韓国の文政府は、教皇様のタイと日本の訪問の直後、帰路に電撃的に板門店の非武装地帯に立ち寄り、北の傀儡の指導者と会うことを提案していたそうです。しかし、これは現実的に難しそうです。

[주간조선 단독] 文정부, 교황에 김정은과 DMZ 만남 또 요청했다 ]

SSPX Japan Total Tokyo Osaka
ミサ聖祭  246 84 162
聖体拝領  246 84 162
霊的聖体拝領  2505 200 2305
十字架の道行  138 89 49
ロザリオ(環)  3855 1456 2399
小さき犠牲  1525 146 1379
その他  16183 312 15871

「キリスト審判の再審」船田享二 『法制史研究(1953 巻 (1953) 3 号)』より転載

2019年11月24日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

法制史研究(1953 巻 (1953) 3 号)に掲載された、船田 享二著「キリスト審判の再審」1953 年 1953 巻 3 号 p. 112-123, en2 [「キリスト審判の再審」船田享二]をご紹介します。

世の終わりには、全人類がキリストの前で裁かれます。最後の審判です。

ところで、イエズス・キリスト御自身が2000年前に受けた審判について、これが正しいか否かが審理した論文が1953年法制史研究に掲載されました。キリストを裁いた判決が、どれほど法に背いていたか、を論じています。

「サンヘドリンはローマの管理官の裁判を要求した点において、ピラトは判決を言い渡した点において、両者共にキリストの死について責を負うものといわねばならない。福音書の伝えるところにしたがって事実の経過をたどれば、キリストを告発し、管理官を畏怖させてまで死刑の判決を求めたユダヤ人に、実質的に責任のあることは、いうまでもあるまい。」



「キリスト審判の再審」船田享二

ユダヤでは、すでに王政時代に、王の諮間に応じまた裁判を掌(つかさど)ったと想像される重大な会議体が現れ、その会議体は、後にサンヘドリンと呼ばれて、ユダヤの最高機関をなすに至った。サンヘドリンには、政治的・法的その他各種の社会問題について裁断を下すためのものの他に、純粋に宗教的意義をもつものがあったといわれ、いずれも約70人の議官からなり、議官の席は長老や僧侶によって占められ、王国滅亡の後には、ユダヤ人統治の中心をなした。ことに、政治的・法的意義をもつ会議は、ユダヤ人の内政については常に最高の権威をもち、王国を征服したイランの王やアレクサンデル及びその後継者たちも、それがユダヤ人の間のあらゆる紛争を裁定する最高の地位を保有することを認めた。

ローマとユダヤとの開係は、ポムペイウスが、ユダヤの内紛を処理するために、幕僚を派遣した頃から、特に緊密となり、ユダヤ人があらゆる異国人を排斥する結社を作って反抗するに及んで、ローマはイェルサレムを攻略し、ユダヤ領をシリア県の一部に編入し、サンヘドリンの権限に多くの制限を加えるに至った。ことに、紀元前57年のシリア県長官ガビニウスの告示は、従来のユダヤの統治組織を廃止し、ユダヤ領を 5州に分割して、各州にそれぞれサンへドリンを置くこととして、従来のサンヘドリンの権威を著しく低下せしめた。しかし、その征服した国民に自治すなわち『自分の法を用いること』(autonomia、suis legibus uti)を許す政策は、ローマの伝統的政策であって、ユダヤに対しても、ローマは、ユダヤがその中心勢力を確立して反抗するに至ることを防ぐに必要な限りにおいて干渉するに止まった。したがって、ユダヤは、ローマの同盟国と同様の地位に立ち、 各州のサンヘドリンは、管内のユダヤ人について、死刑に至らぬ刑を加えまたその刑を執行し、更に、警察的な取締りを為すことを認められて、常にユダヤ人の生活を支配した。ことに、カエサルは、ユダヤ人の援助に報いるために、これにローマ国民の友好国民の称を与え、兵役と大半の租税を免除し、更に、法及び宗教以外の問題については、5州の区分を廃止した。また、アントニウスとオクタウィウスは、ヘロデにユダヤ人の王の称号を与えて、その権威を高め、また、パルチア人と戦うことを許した。そうして、アントニウスを破ってローマを統一した後、オクタウィウスは、ヘロデがかように王号を保有しローマと友好開係に立つことを確認したばかりでなく、ユダヤ人がその固有の法を用いることを承認した。すなわち、3人の議官からなる小サンヘドリンは人口120人に満たぬの比較的に小さな事件を取扱い、25人の議官からなる中サンヘドリンは重大な民事事件を取扱いまた死刑に至るまでの刑を科することを得る。そうして、イェルサレムには71人の議官からなる最高のサンヘドリンがあって、被告の杜会的又は政治的地位によりあるいは犯罪の性質によって特にその管轄に属するものと定められた事件を取扱い、また、祭司長や預言者の罪を裁き、集団的犯罪を審理し、更に法の解釈を為すことを得る。

これらのサンヘドリンの審理手続きは、特に刑事事件について比較的によく伝えられ、審理は、一日の中に、有責または免訴に関する議官の投票による判決を以て終了せねばならぬけれども、一昼夜の後、サンヘドリンは、再び会議を開いて、その判決を再審議し、刑を軽減することができる。安息日とその前日とには審理は行われ得ない。審理は口頭で行われ、証拠は複数の証人の証言によるべく、被告単独の自白だけでは、被告に不利な判決を言い渡すことはできない。刑としては、罰金刑・笞刑(ちけい)の他に、石で打ち殺しまたは焚き殺し又は首を斬りまたは窒息させるという方法による死刑があり、刑は、判決が確定したら直ちに執行されねばならない。

かように、ローマに征服されてからも、しばらくの間は、ユダヤ人は、その自治権を保有し、その生活は固有の法によって規制される状態を続けたけれども、王位継承をめぐる内紛でユダヤが混乱を続けるに至って、アウグスツスは、紀元4年、完全にユダヤを併合して、管理官(procurator)を派遣してこれを統治することとした。管理官の主な権限は税の徴収にあり、軍事上の権限は5個の予備歩兵隊と1個の予備騎兵隊を率いる範囲に限られるけれども、管内の住民に封する殺害の権(ius gladii)すなわち死刑を科する権をもつ。けれども、かような改革にもかかわらず、ユダヤ固有の制度はなお少なくとも事実上存続を認められ、ユダヤ人相互の間の民事及び刑事の事件は、イェルサレムにおける最高のサンヘドリンを頂点とする各種のサンヘドリンによって審理された。ただ、最高のサンヘドリンを司宰する大祭司は管理官によって任命されることとなったばかりでなく、サンヘドリンが死刑を宣告した揚合には、管内の住民に死刑を科する権は管理官の有するところとなったので、かかる判決は管理官の認可がなければ執行され得ないこととなった。したがって、死刑の判決に至るような重大な刑事事件については、サンヘドリンは管轄権を失い、あるいは、少なくとも、管理官と競合的にこれを持つこととなったものといわねばならない。かようなサンヘドリンの審理判決の手続きと管理官の認可の手続きとがどういう関係にたつかについては、ある学者は、まずサンヘドリンが行った審理判決について、管理官が更に事実を審理して、判決を確認しまたは修正しまたは破棄したものと想像するに対して、他の学者は、有効かつ決定的な審理を行い判決を下す権限はただ管理官にのみ帰属するのであって、ユダヤ人は単にかかる管理官の審理判決を請求し、ユダヤ人の犯罪を管理官に告発する権限を認められたものと解する。そのいずれの見解にしたがうべきかについて、最も貴重な例をなすものは、キリストの審判である。


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アウグスツスの地位をついだチベリウスの晩年、紀元33年の過越の祭が近づいた日のタ暮、金曜日のはじめ、イェルサレムにあったキリストは、弟子たちと共に、晩餐の後、オリブの山に登った。キリストひとり祈り、弟子たちが眠っているとき、一隊の兵がキリストに襲いかかった。抵抗しようとする弟子たちを制してキリストは、捕らえられ、最高のサンヘドリンへ引き立てられた。この『一隊の兵士』は、『祭司長・学者・長老たち』のところから来た『群衆』であり『祭司長・宮の守衛長・長老たち』もこれにまじっているのであり、『一隊の兵士と千卒長とユダヤ人の下役ら』すなわち、ローマの兵隊ではなくて、サンヘドリン及び大祭司の命に服する宮守のためのユダヤの兵隊である(1)。かかる兵隊は、ユダヤがローマ領となってからも常に存続を許されたばかりでなく、特定の重大な場合には、管理官の命令によらずに自発的に活動することを許され、更に、例外的には、犯人を直ちに死刑に処することができた。したがって、かようなユダヤの兵隊がキリストを捕えたことは、それとしては不適法なものではない。

捕えられたキリストは、そのときの大祭司カヤパの舅アンナスの前に連れられ、ついでカヤパの庭に引き立てられた。大祭司力ヤパの家に集っていた『祭司長・長老・学者たち』の『全議会(2)』はすなわち最高のサンヘドリンであって、ユダヤ人の重大な犯罪を審理する権限をもつ。しかし、キリストがこのサンヘドリンの会議に引き立てられたのは夜であった。それにもかかわらず、会議は直ちに審理を始めている。のみならず、その日は安息日の前日なのである。ただし、ここに注意せねばならぬことは、ユダヤ人の一日が日没に始まって次の日没に終ることである。すなわち、サンヘドリンは、安息日の前日の前半たる夜にキリストを審判しているのである。かかることは、審理は安息日及びその前日に行われてはならず、又、日中に行われねばならぬ、という、審理手続き規定の二つの原則を破るものといわねばならない。

審理に当たって、会議は、キリストを死刑に処しようとして証拠を求めたけれども、容易には得られず、遂に二人の証人が出て、『この人は「天主の聖所をこわして、三日でそれを建てることができる」と言った』、『私たちはこの人が、「私は手で造ったこの聖所をこわそう、そして、手で造らない他のものを、三日で建てよう」と言うのを聞いた』と証言する。しかし、『彼らの証言はやはり合わなかった』。大祭司の訊問に対して、キリストは答えない。よって大祭司は、第二の告発の理由として、キリストが自ら天主の子といったことを指摘する。『お前はキリスト、讃(ほ)むべき者の子であるか』。これに対して、『私はそれである。あなた方は人の子が全能者の右に座を占め、天の雲に乗って来るのを見るであろう』とキリストは答える。『そこで、大祭司はその衣を引裂いて言った。「この上は何の証拠がいるものか。あなた方はこの瀆(けが)し言葉を聞いた。どう思われるか」』。このカヤパの処置は、被告有責の判決を下すためには、被告の自白だけでは十分ではなくて、複敦の証人の証言を要する、という原則を無視するものであって、明らかに違法である。それにもかかわらす、かような力ヤパの問いに対して、サンヘドリンの全員は『彼らすべては死刑が相当であると定めた』(3)。のみならず、死刑の判決の場合には、サンヘドリンは、翌日再び会議を開いて、再審理の上で判決を確定せねばならぬ原則に反して、この揚合のサンヘドリンは、かかる再審理のための会議を開いてはいない。かつ、翌日は安息日に当たるのであるから、かかる会議を開くことは不可能なはずである。

更に、ユダヤがローマに併合されてからは、最高のサンヘドリンの会議は管理官の承認の下に開かれねばならなくなったにもかかわらず、このキリスト審判の会議が管理官ピラトの承認の下に開かれたことについては、全く語られていない。

かように、キリストを死刑に処する判決に至るサンヘドリンの会議は、管轄官の再審の前に行われる審理判決の手続きとしては、徹頭徹尾違法なものであって、かかることは、繊細に過ぎるまでに法の規定を守る形式を整えることにたけたサンヘドリンの祭司長・長老・学者たちに似つかわしからぬものといわねばならない。それならば、この会議は、単にキリストを管理官ピラトに対して告発するについて意見をまとめるための非公式のものであったと解されるか否か。

『夜明けになるやいなや、祭司長らは長老たち、学者ら、そして全議会と共に協議し、イエズスを縛って連れて行き、ピラトに引き渡した』。『さてピラトは彼らのところに出て来て言った。この人に対してどんな訴えを起こすか。これに対し彼らはピラトに言った。この人が、悪いことをしたのでないならば、私たちがこれをあなたに渡すはずはありません。」ピラトは彼らに言った「彼を引取って、あなた方の律法に従って裁きなさい」(4)』。これに対して、サンヘドリンの代表者たちはキリストの罪状を訴えるのであるが、奇妙なことに、それは、前夜の会議でキリスト有責の判決の理由とされたものではない。『私たちは彼が私たちの民族を惑わし、皇帝に税を納めることを妨げ、自らキリスト、王であると言ったのを認めました』。そこで、ピラトは、キリストに『お前はユダヤ人の王であるか』と問い、キリストはこれを肯定して『その通りである』と答えるけれども、ピラトは、『ユダヤ人らのところに出て行って、彼らに言った。「私は彼に何の罪状をも見出さない」』。また、キリストがユダヤ人の納税を妨害したという主張に対しても、『ピラトは祭司長らと群衆とに言った。「この人に私は何の罪状をも見出さない」』。ために、告発者たちは『ますます強く主張した。「彼は全ユダヤにわたって、つまりガリラヤから始めてここまで、民を教えつつ煽動して来ました」(5)』。すなわち、キリストが反乱罪を犯したことを主張する。反乱罪に対するローマ法上の刑罰は、被告が非ローマ市民である場合には、磔刑(crux)である(6)。けれども、この主張に対しても、ピラトは、『お前たちはこの人を「民をまどわす者」として引いて来た。私はお前たちの前で彼を調べたが、見よ、この人にお前たちが訴えるような罪状を見出せない』。『見よ、死に当たるようなことを彼は何もしていない。だから彼を懲しめて釈放しようと思う(7)』という。すなわち、ピラトは、サンヘドリンの代表者たちの告発に理由がなく、キリストに責任がないものと判決しようとしたのである。

ところが、この判決に不服なユダヤ人たちは、キリストを『十字架につけよ、十字架につけよ』と叫ぶ。それにもかかわらず、ピラトは更に『お前たち自分で連れて行って十字架につけよ。私はこの人に何らの罪状を見出さないのだ』と説く。これに対してユダヤ人は、『私たちには律法があります。その律法によれば彼は死に当たるべきものです。彼は自分を天主の子としているからです』と叫ぶ。この群集の力に圧倒され、ピラトは『ますます恐ろしくなり、』次第に譲歩する。ピラトは先ずキリストを赦すことを提案する。『私は彼に何の罪状も見出さない。過越の祭に私が一人の罪人をお前たちに釈放してやる慣例がある。それで、お前たちはユダヤ人の王を釈放してもらいたいか』。『祭に当たり総督が、人民の望むところの囚人一人を彼らに釈放してやる慣習があった。その時バラバという有名な囚人がいた。そこで、人々が集まった時、ピラトは彼らに言った。「バラバと、キリストと呼ばれているイエズスと、どちらを釈放してもらいたいか」』。ところが、このバラバは、『有名な囚人』、『都で起こった暴動と人殺しとのかどによって、牢舎に入れられていた者』、『強盗』である。キリストに責なしとしながら、かようなバラバとの選択を提案することは、それ自身矛盾であり、ピラトは、かかる提案によって、キリスト処刑を要求するユダヤ人に一歩を譲っているのである。これに対してユダヤ人は、バラバを釈放してキリストを『十字架につけよ』と叫び、『もしあなたがこの人を釈放したならば、あなたは皇帝の忠臣ではない。自分を王とするものは誰であっても皇帝に背くものである』と主張する。かかる強訴を斥けても『何の効果もないばかりか、かえって騒動になりそうなのを見て』、ピラトは遂にキリストに死刑の判決を下す。『そこでピラトは彼らの要求を認めると判決した。そして暴動と人殺しとのかどにより牢舎に入れられている者を、求めにより、釈放し、イエズスを彼らに渡して思うままにさせることとした』。『イエズスを十字架につけるために彼らに渡した(8)』。


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すなわち、ピラトの判決は、キリストに責あるものとの十分な理由によるものではなくて、政治的考慮にもとづくものなのであるが、しかも、ピラトは、かような判決を下すまでに、それを避けるためのいろいろな手段をとっているのである。まず、ピラトは、サンヘドリンの代表者たちがキリストをつれて来たときに、まずこれをヘロデのもとに送った。『イエズスがヘロデの領内の者だということを知ったので、その時エルサレムに来ていたヘロデのもとに、イエズスを送った(9)』。ヘロデに管轄権があるというのである。これに対して、ヘロデは、訴訟がイェルサレムで提起されたのであるから、管轄権は管理官にあるものとして、キリストをピラトに送り返す。次いで、ピラトは、過越の祭の日に民衆の望む囚人一人を釈放する慣例を利用して、キリストをゆるそうとする。この釈放または赦免は、ローマ法上の一般的な規定によるものではない。それは、刑の免除ではなくて単に訴訟を停止する恩赦(abolitio)でも、訴訟を停止せずに刑の執行を免除する赦免(indulgentia)でもない。ただ、比較的に新しくローマの領土となった地方の管理官は、皇帝の認可の下に、特定の刑を執行せぬことを許されたことが伝えられており、この場合は恐らくはこれに当たるものと考えられる。最後に、ピラトは、キリストに笞刑(ちけい)を加えるだけに止めようとしたものの如くであるが、これに関する福音書の記事は矛盾している。ヨハネ伝によれば、『ピラトはイエズスを受取って鞭打った』。それでもなおユダヤ人が死刑を主張するので、ピラトもついに死刑を宣告するに至った。この記事にしたがえば、ピラトがキリストを鞭打ったことは、明らかな判決によらず不適法なものであるけれども、ピラトがキリストの死刑を避けようとして最後まで努カしたさまがうかがえる。これに反して、 マタイ伝及びマルコ伝は、『バラバを彼らに釈放してやり、イエズスを鞭うって十字架につけるために引渡した』といい、すなわち、ピラトが死刑の判決の後にキリストを鞭打ったことを伝えており、これによれば、ピラトは、一般の慣例にしたがって、刑の加重の意味で鞭打ったものと考えられるのである(10)。

ピラトの、判決文の詳細は、福音書によって伝えられないけれども、適法な形式による判決があったことは、ヨハネ伝の記事によって想像される。すなわち、『ピラトもまた札を書いて、十字架の上に掲げた。それには、「ユダヤ人の王ナザレのイエズス」と記してあった』。『ユダヤ人の祭司長らはピラトに言つた。「ユダヤ人の王」と記さないで、自らユダヤ人の王と言った、と書いて下さい」。これに対してピラトは言った。「私が書いたことは私が書いたものだ」』。「ユダヤ人の王ナザレのイエズス」は、判決の主文を要約した標題に他ならないのである(11)。

かように、サンヘドリンのキリスト審判の手続きは、ユダヤ人の法に合しない不適法なものであるばかりでなく、ユダヤ人たちのキリスト糾弾の理由は、このサンヘドリンの手続きにおいては、宗教的意義のものであるのに対して、ピラトの面前における手続きにおいては政治的なものであって、両者は相異なる。かかることは、サンヘドリンの審判がピラトの審判の前審の意義をもつものではなくて、単に、後者を求めるためにユダヤ人たちの意見をまとめるための非公式のものであったことを示すものと解されねばならない。ユダヤが完全にローマに併合されるまでは、最高のサンヘドリンは、涜神者を審判しまた判決を執行し得たと想像されるけれども、併合後は、これを捕えて管理官の面前に引きつれその裁判を求め得るにしても、単にかような摘発者であり告発人であるに過ぎぬものとなったのであって、これを裁判する権限は管理官だけがこれをもつことになったものといわねばならない。サンヘドリンのキリスト審判の手続きがユダヤの法によらずに進められたのは、この間の事情を物語るものと考えられる。それにもかかわらず、ピラトが、ユダヤ人たちに向って、キリストを『引取って、あなた方の律法に従って裁きなさい』といっているのは、単に、かれらを揶揄したものと解される。

これに対して、ユダヤ人たちの告発をうけて行われたピラトの裁判は、たといピラトがその意に反して政治的考慮によって判決に達したにしても、手続きとしては適法であり、その判決の執行もまた、適法に運ばれた。学説彙纂(四八・一九・三八・二)のパウルス文によれば、反乱罪の被告は、その身分により、磔刑または猛獣に投げ与えられる刑または流刑に処せられるのであるが、その中の磔刑は、被告を十字架にはりつけて執行される。被告はまず横木に縛りつけられ、地にうち込まれた柱の上部まで吊し挙げられ、手と足を釘で横木と柱にうちつけられる。その執行に当たる兵卒は、被告の衣服をはいで分配する。『兵卒たちは、イエズスを十字架につけてから、その上衣を取り、四つにわけて、めいめいそのーつを取った。またイエズスの下着には縫い目がなく、上から全体を編んだものであった。兵卒たちは互に言った。「それは裂くまい。誰がそれをとるか、くじ引きにしよう」。これは聖書の次の言葉が事実となって現れるためであった。「彼らは互に私の上衣を分け、私の衣をくじ引きにした」。実際その通りに兵卒たちはしたのであった』。かような残忍な方法によって、被告は、流血と苦痛の末に死に至るのであって、キリストは、『私は渇く』といい、これに対して兵卒は『葡萄酒を含ませた海綿を、ヒソプ(葦)に結びつけ、イエズスのロもとに持って行った』。葡萄酒はローマの兵卒たちの普通の飲料である。『イエズスはその葡萄酒を受けてから言われた。「完成された」。そして頭を垂れて霊を渡し給うた』。

そのときには既に夜が近づき安息日が始まろうとしていたので、ユダヤ人たちはピラトに対してキリストの死骸を取り下すことを要請する。けだし、ローマ人の普通の執行方法では、死骸を十字架にはりつけたままとして、野獣が食いつくすにまかせるからである。これに対してピラトは、ユダヤ人たちを満足させるために、兵卒が死骸を折ってとり去ることを許すけれども、『イエズスが死んでおられるのを見た時に、彼らはイエズスの脚を折らなかった』。兵卒が立ち去った後に『アリマタヤ出のヨセフという人で、ユダヤ人を恐れてひそかにイエズスの弟子になっていた者が、イエズスの死体を引き取りたいと、ピラトに願い出た。ピラトはこれを許したので、彼は行ってこれを引き取った』。『イエズスが十字架に付けられたところに園があった。その園に新しい墓があり、その墓にはまだ一度も人を葬ったことがなかった』。『この墓が間近なままに、彼らはイエズスをそこに葬った(13)』。学説彙纂(四八・二四・三)の『受刑者の死骸は、誰でもこれを要求する者に、埋葬のために引き渡されなければならない』というパウルス文は、かようなキリストの死骸の引き渡しが適法に行われたものであることを知らしめる。

1933年4月25日午後2時、特殊な審判が、イェルサレムのある教会で、公衆を前にして開かれて、キリストの審判が正しいか否かが審理された。4票対1票の表決で、審判は再審にふせられねばならぬものと決定され、キリストの無罪は証明され、これを有罪とした判決は、人間の犯した過誤の中で最も怖ろしいものであり、ヘブライ民族は、これを破棄することによってその名誉を回復するであろうということが宣言された。それから10年、ある学者はキリスト処刑について、ユダヤ人の裁判とローマの裁判とのいずれが、史眼から観て、多くの責任をもつべきかを問題とした(14)。けれども、問題をかように提出することは不適当であって、サンヘドリンはローマの管理官の裁判を要求した点において、ピラトは判決を言い渡した点において、両者共にキリストの死について責を負うものといわねばならない。福音書の伝えるところにしたがって事実の経過をたどれば、キリストを告発し、管理官を畏怖させてまで死刑の判決を求めたユダヤ人に、実質的に責任のあることは、いうまでもあるまい(15)。


(1)マルコ伝14・43、ルカ伝22・52、ヨハネ伝18・3、12。
(2)マルコ伝14・53、55。
(3)マタイ伝26・57―66、マルコ伝14・58―64。
(4)マルコ伝15・1。ヨハネ伝18・29。
(5)ルカ伝23・2ー5、ヨハネ伝18・37ー9。
(6)学説彙纂48・4・1・1(ウルビアヌス〕、48・19・38・2(パウルス)。
(7)ルカ伝23・14ー6。
(8)マタイ伝27・15ー7、マタイ伝、27・24、 ルカ伝、23・19、24・24ー25、ョハネ伝18・6ー8、39ー40、19・12、16。
(9)ルカ伝23・7。
(10)ヨハネ伝19・1、マタイ伝27・26、マルコ伝15・15。
(11)ヨハネ伝19・19ー22。
(12)ヨハネ伝19・23ー30。
(13)ヨハネ伝19・31ー42。
(14)Daniel Rops Jesus et son temps 1943.
(15)Cf.Besnier Le proces du Chirist,Tijdschrift voor Rechtsgeschiedenis 18.1950,191sq.Besnier Le proces du Chirist,Tijdschrift voor Rechtsgeschiedenis 18.1950,191sq(諸文献については、192頁註1参照)。


A Retrial of Christ's Trial
By Kyoji Funada

Sanhedrin was the supreme organ of the Hebrew people, which led the people in . political, legal and. all other kinds ofjocial activities and which gave judgement on various questions. After the downfall of the Kingdom Sanhedrin became the machinery to rule the Hebrews. Thus the Iranian king,King Alexander and his successors all admitted that it had the supreme power to judge all disputes among the Hebrews. Now, in order to understand its position - and, therefore, to what degree the Hebrews were allowed autonomy----, after the whole Judea became the Roman territory, the trial of Christ provides valuable materials. When we examine the proceedings and others in this trial, upon the Scriptures which is our main source, we come to the con- elusion that the trial proceebings in the Sanhedrin were in complete disregard of the rules of procedure and that the Sanhedrin there was not much more than a conference to give shape to the will of the Hebrews to prosecute Christ to the Roman tribunal. Therefore we can see that autonomy in the sense that the Hebrews were allowed to enjoy laws of their own through the activities of Sanhedrin had ceased to be allowed to them. But we must admit that Pilate carried out the trial of Christ lawfully as regards form.

Decree Of Maasin Diocese (Full Text) - Turning Ad Orientem The Roman Catholic Bishop of Maasin

2019年11月24日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!
Decree Of Maasin Diocese (Full Text) - Turning Ad Orientem
The Roman Catholic Bishop of Maasin

Circular No. 15 S2019

To: The Clergy, Religious and All the Faithful of the Diocese of Maasin
Re: Turning to God (“Ad Orientem, ad Deum”)

Dear People of God,

As we celebrate the Solemnity of Christ the King this year today, November 24, 2019, let us pledge once again, as His People, the Diocese Maasim, to turn more ardently and devotedly to God, who sent JESUS, His only-begotten Son, Our King and our Saviour. One of the particular ways to express concretely our turning to God is in the celebration of the Liturgy.

We remind ourselves of a very important understanding of the Liturgy as explained by Cardinal Sarah, the Prefect of the Congregation for Divine Worship and Discipline of the Sacraments, “God, not man is at the center of Catholic liturgy. We come to worship Him. The liturgy is not about you and I, it is not where we celebrate our own identity or achievements or exalt or promote our own culture and local religious customs. The liturgy is first and foremost about God and what He has done for us. In His Divine Providence Almighty God founded the Church and instituted the Sacred Liturgy by means of which we are able to offer Him true worship in accordance with the New Covenant established by Christ.” The Cardinal, in his address on the “authentic implementation” of the Vatican II Document on the Liturgy, “invited all priests to celebrate the Mass ad orientem … and that it is very important that we return as soon as possible to a common orientation, of priests and the faithful turned together in the same direction - Eastwards or at least towards the apse – to the Lord who comes, in those parts of the liturgical rites when we are addressing God. This practice is permitted by current liturgical legislation. It is perfectly legitimate in the modern rite. Indeed, I think it is a very important step in ensuring that in our celebrations the Lord is truly at the center.”

Indeed, we in our Diocese need to make God truly the center of our life. We just celebrated with gratitude our Golden anniversary as a Diocese, and we renewed our commitment to become true disciples of Christ. We need to constantly focus our gaze on Jesus, whom we are following, even in our celebration of the Liturgy.

Therefore, beginning this new Liturgical Year, the First Sunday of Advent, December 1, 2019, the celebration of Mass “ad orientem” will start in the Diocese of Maasin. The Celebrant and the Faithful will face or turn together in the same direction to the Lord, represented in the Altar and the Crucifix, in those parts of the liturgical rites when we are addressing God. Likewise, the Lay Ministers, who are duly commissioned by the Bishop, through the Parish Priest to lead the Sunday Celebration of the Word and Communion, (Kasaulugan sa Pulong, KSP) will do likewise.

The Diocesan Commission on Liturgy will do whatever is necessary so that the priests, the Lay Liturgical Ministers for the Kasaulugan sa Pulong (KSP) in the chapels, and the faithful in general will be informed on the particular way of implementing this mode of celebrating the Mass, and its meaning and spirituality.

We hope that introducing this way of worshipping God in the Liturgy, we become “fellow worshippers united in the one same act of adoration.” The Clergy (Bishop, Priests and Deacons) and the Lay prayer-Leaders will lead the Faithful towards the Lord and not be at the center of liturgical woship themselves. “We bishops, have a great responsibility, and one day we shall have to answer to the Lord for our stewardship. We are the owners of nothing! As St. Paul teaches, we are merely ‘the servants of Christ and the stewards of the mysteries of God.’ …we are responsible to ensure that the sacred realities of the Liturgy are respected in our dioceses and that our priests and deacons not only observe the liturgical laws, but know the spirit and power of the liturgy from which they emerge.” (Cardinal Sarah)

With Mary our Mahal nga Patrona, Assumed into heaven, we may always turn to the Lord in heaven, as we celebrate the mysteries of our faith here on earth.

May God be praised, now and for ever!

Precioso D. Cantillas, SDB
Bishop of Maasin

Rev. Fr. Vincent D. Salang
Chancellor

November 24, 2019
Maasin City, Southern Leyte Philippines





教皇来崎を待つ 「運命」感じる殉教の丘 日本に帰化したイエズス会司祭 泉類治神父

2019年11月22日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!
法王来崎を待つ<中> 「運命」感じる殉教の丘
日本に帰化したイエズス会司祭 泉類治さん

2019/11/20 09:19 (JST)11/20 09:37 (JST)updated
©株式会社長崎新聞社

ザビエル家の末裔(まつえい)で日本に帰化した泉神父=長崎市、西坂公園
 長崎市西坂町の二十六聖人修道院の司祭を4月から務めている泉類治さん(88)は、「運命」という言葉でしか表現できない縁を感じながら今、聖なる西坂の丘に立っている。泉さんは、日本にキリスト教を伝えたイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルの兄の子孫という。
 スペイン出身。本名はルイス・フォンテス。16歳の時に読んだ「大日本帝国」という書物の中で偶然にザビエルの書簡を目にした。「日本人は非常に豊かな才能があり、知性に富み、鋭敏な国民」。遠い異国への憧れが募った。その年にイエズス会に入り、25歳で日本に渡った。
 上智大神学部で日本文化などを学び、卒業後、同大などで倫理学講師として働く傍ら、31歳で司祭に。5年後「日本の土になる」つもりで帰化した。それからは、福岡の高校で教壇に立ったり、山口県のチャペルを備えたブライダル施設「フェリース」で神父を務めたりして人生の大半を日本で過ごしてきた。
 1995年、一族の家系図を調べていた祖国の兄から連絡があり、ザビエルの長兄ミゲルの15代目の子孫であることが分かった。「どうして日本で神父になったのか。すべてはザビエルの導きだと思った」と語る。
 ザビエル来日が1549年8月15日。泉さんのイエズス会入会も8月15日だった。そして今年は、ザビエルの布教開始から470年に当たる。
 カトリックにとって西坂は特別な地。安土桃山時代に豊臣秀吉の命で処刑された二十六聖人をはじめ、禁教下で信仰を貫いた幾百の人々が西坂の刑場に送られ命を散らした。24日、法王フランシスコが西坂を訪れる意義は小さくない。
 フランシスコはイエズス会員出身の初の法王だ。若いころは日本宣教を志していた。「法王もきっと、私と同じようにさまざまな書物で信仰を守って処刑されたキリシタンの存在を知り、日本に対して特別な感情を抱いてきたはずだ。殉教者のこと、世界平和のことを深く思いながら、ここに立つのではないか」
 泉さんのその思いは確信に近い。





天皇と法王の架け橋 軍服の修道士 山本信次郎』(皿木義久著、産経新聞出版)

2019年11月22日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!
「軍服の修道士 山本信次郎」

ライフ 本

 ローマ法王の38年ぶりの来日を機に、『坂の上の雲』にも登場しながら、これまで知る人ぞ知る存在だった愛国のクリスチャン軍人、山本信次郎(1877~1942年)の初の本格評伝が出版された。本紙客員論説委員・皿木喜久著『天皇と法王の架け橋 軍服の修道士 山本信次郎』(産経新聞出版)。カトリック教徒の海軍軍人として日露戦争を戦い、昭和天皇の側近として「バチカン」との架け橋となった人物だ。同書の中から、昭和天皇が皇太子時代に訪欧した際、朝鮮半島での「三・一独立運動」をめぐり、当時のローマ法王が皇太子に連帯を求めた秘話を抜粋した。ネットでのご購入はこちらへ。

●124代と258代、初めての出会い
 大正10(1921)年7月15日夕、皇太子・裕仁親王殿下の姿は、イタリア・ローマ市のテベレ川右岸のローマ法王庁にあった。
 いうまでもなく、後の昭和天皇である。まだ20歳になったばかりだった。陸軍正装に身を包み、初々しさを漂わせておられた。
 皇太子はこの年の5月から、イギリス、フランスなど欧州各国を歴訪中で、ローマ法王庁は、その最後の訪問地だった。
 ローマ法王庁が「バチカン市国」として、正式に独立するのはこの8年後のことだが、世界中の信者約3億人(当時の推定)というカトリックの総本山であることに、変わりはなかった。
 皇太子とその供奉員(お供)たちの一行を乗せた車は、サンダマン内廷の入り口に着いた。法王庁で最も有名な聖ピエトロ大聖堂の北側、バチカン宮殿の一角、法王の居室がある建物である。
 軍旗を持った儀仗兵が整列して出迎え、軍楽隊が「君が代」を演奏した。
 3階にある法王の居間まで階段を上っていく途中では、甲冑(かっちゅう)で身を固め、長槍を持ったスイス兵たちが先導し、一行はまるで中世のヨーロッパに来たような錯覚にとらわれた。

特別馬車でバッキンガム宮殿へ向かわれる皇太子。右は英国王ジョージ5世(大正10年5月9日)G20130818TTT0700043G30000001
特別馬車でバッキンガム宮殿へ向かわれる皇太子。右は英国王ジョージ5世=大正10年5月9日
 居間の前に着くと、法王ベネディクト15世が部屋から出てきて、一行を出迎えた。法王は我が子のように、皇太子の手を握り書斎に招きいれる。
 7年前の1914年、法王に選ばれたベネディクト15世は66歳。西洋人としては短躯で、「慈愛に満ちて穏やかな」といった歴代法王のイメージとは異なり、鋭い眼光の持ち主だった。
 終わって間もない第一次世界大戦中に、和平をうながす回勅を出したり、戦後のヴェルサイユ条約の内容を批判したりした。表情さながらに、国際政治に対して、鋭い発言をしている法王だった。
 書斎に招かれたのは皇太子殿下と、「輔導(ほどう)」役として訪欧に同行している皇族の閑院宮(かんいんのみや)載仁(ことひと)殿下、それに供奉員中、唯一人のカトリック教徒である山本信次郎海軍大佐だった。
 山本はこのとき43歳。海軍兵学校から海軍大学を卒業したエリート軍人であり、日露戦争では旅順港閉塞作戦や日本海海戦にも参戦した「歴戦の雄」だった。だがそれより、山本の名が知られたのは「海軍一のフランス語つかい」「国際通」としてだった。

 少年時代、カトリック系の暁星中学で学び、洗礼を受けるとともに、寄宿舎で4年間、フランス人修道士らと寝食をともにするうちに、ナチュラルともいえるフランス語の語学力を身につけた。
 日本海海戦にさいしても、連合艦隊の秋山真之(さねゆき)参謀とともに、降伏したロシア艦隊の艦船に乗り込み、フランス語で降伏条件の交渉にあたった。
 またカトリック信者だったことから、イタリア大使館付海軍武官時代は、ローマ法王庁内に太いパイプを築いていった。
 大正8(1919)年暮れ、皇太子にフランス語を「御進講」するため、東宮御学問所に御用掛として入っており、そのままフランス語通訳などとして訪欧に供奉していたのだった。
初来日したローマ法王、ヨハネ・パウロ2世と会見される昭和天皇(昭和56年2月24日)MTG00098G090213T
初来日したローマ法王、ヨハネ・パウロ2世と会見される昭和天皇=昭和56年2月24日
 その山本のフランス語の通訳により、皇太子と法王との会話はスムーズに進んでいった。
「天皇陛下から、よろしくとの伝言があります」
「ありがとうございます。陛下のご病状はいかがですか」
 この後、互いに土産物の贈呈が行われる。
 第124代の天皇となる皇太子殿下と、第258代の法王。建国以来、世界に冠たる伝統を誇る日本の皇位継承者と、キリストの弟子、ペトロ以来2千年近く、綿々とその地位を受け継いできたローマ法王との、初めての出会いだった。
 法王はここで「珍田(ちんだ)さんもお入りください」と、書斎の外に控えていた供奉長の珍田捨巳(すてみ)を招き入れた。
 珍田は駐米大使などを務め、「日本語よりも英語がうまい」といわれた外交官である。朴訥(ぼくとつ)とした人柄もあって、供奉長に選ばれていた。
 ■朝鮮独立運動で日本にエール
 皇太子の訪欧の過程を詳しく記録している『昭和天皇実録』は、このとき法王が語った内容について、多くを記していない。
 だが通訳にあたった山本信次郎は、帰国直後の9月5日、東京女高師で「東宮殿下の教皇庁御訪問」と題して講演(謹話)を行い、詳細に触れている。それによると、法王からは、儀礼的なものを通り越して、相当にきわどい政治的な発言が飛び出していた。
 法王がまず取り上げたのが、2年前の大正8(1919)年3月に起きた朝鮮半島での「三・一独立運動」だった。
 日本は明治43(1910)年、韓国を併合、ソウルに朝鮮総督府を置いて、朝鮮半島を統治下に置いた。
 当時の日本には、韓国を併合する合理的理由があった。だが当然のことながら、朝鮮人のこれに対する反発や、独立を求める声は強かった。それが表面化したのが「三・一独立運動」だった。
『天皇と法王の架け橋 軍服の修道士 山本信次郎』
皿木喜久『天皇と法王の架け橋 軍服の修道士 山本信次郎』(産経新聞出版)
 3月1日、ソウルのパゴダ公園に集まった約2万人の学生や労働者が「独立宣言書」にあおられ、市内をデモ行進したのが、始まりだった。暴動は朝鮮半島全土に広がり、日本人の警察官などが殺害された。
 朝鮮総督府は武力鎮圧に乗り出し、同年5月ごろまでにはほぼ収まった。日本は武断政治を敷いてきた長谷川好道(よしみち)総督を更迭するなどして、事態の鎮静化につとめた。
 だがなお、独立派が海外で暴動を起こす気配があった。
 今回の皇太子訪欧をめぐっても、寄港する香港で、独立派の暴徒が皇太子を狙っている、とのうわさが流れた。
 珍田らは、皇太子の又従兄で体つきが似ている小松輝久(てるひさ)侯爵に、山本信次郎をつけて、皇太子のダミーとして先に上陸させた。その後に皇太子自身が秘かに艦を降りるという作戦をたてたのだった。
 つまり、日本にとっては重大な問題だったのだが、法王が話題にするとは、日本側にとって、意外だった。
 「この独立運動で、プロテスタントの牧師が、教会の地下室で不穏文書の印刷をさせたとか、暴徒に金を与えたといったことがあった。しかも彼らの『愛国運動』に加わらないと、非国民視され、いろいろと迫害を蒙(こうむ)ったにも関わらず、カトリック教徒はついに、これに参加しませんでした」
 「カトリックの教義教理は、確立せる国体、政体の変更を許しませんから、かかる結果をみたのです」
 「過激思想、社会主義等の険悪なる思想が社会を風靡(ふうび)しつつある今日、これに有効に抵抗しつつあるのは、わずかにカトリック教会のみであります。従って秩序を重んぜらるる日本と、カトリック教会とが、ともに手を携(たずさ)えて進むことも度々ありましょう」
 現代でもそうだが、極東の中でも、朝鮮半島はキリスト教勢力が強い。「三・一独立運動」をめぐっても、プロテスタントの指導者らが加わっていたことや、カトリックが、独立運動とは一線を画していたことは、研究者の多くが認めている。
 だが、東洋の情勢についての法王の情報収集力と、緻密な分析には、山本らも舌を巻いた。
 さらに4年前起きたばかりのロシア革命を念頭に置いたように、「反共産主義」を明確に打ち出し、日本に連帯を求めた。この発言に、皇太子が力強く感じられたことも、間違いないだろう。
■誰も持ち得なかった「国際感覚」
 皇太子一行はこの後、法王庁国務省のガスパリ長官の案内で、宮殿内の大広間に向かった。そこにはフランス、スペイン、ブラジルなど各国の駐バチカン大使、公使など約50人が待っており、皇太子に拝謁した。
 皇太子やその一行は、法王庁の「ひと声」でこれだけ多くの外交団が集まるところに、ローマ法王の力を思い知ることになった。
 この法王庁訪問からちょうど60年後の昭和56(1981)年2月、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が日本を初めて訪問した。
 皇居で法王と会見した昭和天皇は
「(60年前のバチカン訪問は)大変いい思い出になっております」と、お礼を述べられた。これに対しヨハネ・パウロ2世は
「日本は道義を重んじる立派な国で、大変尊敬しております」と応じた。
 昭和天皇は、この年の9月2日の記者会見でも、この法王庁訪問について触れられた。
 開戦直前の「杉山メモ」に関する質問に対しての、お答えだった。「杉山メモ」とは、当時の陸軍参謀総長、杉山元が重要会議の中身を、参謀本部の部下に記録させていたもので、戦後に単行本として出版されている。
 その「杉山メモ」の昭和16年11月2日の項には、前日の国策再検討連絡会議について、東条英機首相らが昭和天皇に報告したさいの天皇の次の発言が記されていた。
「時局収拾に『ローマ』法皇(ママ)を考えてみては如何かと思う」
 記者から、この発言の真意を尋ねられた昭和天皇はこう、答えられた。
「ローマ法王は世界の各国と深い関係があるし、その機関は平和的な機関ですから、平和に関する問題を解決するためにはこの機関と連絡することが必要だと思いましたので、それを東条総理に話したのです」
 さらにこう述べられている。
「私はすでに、最初にヨーロッパを訪問してローマ法王と会ったときから、ローマ法王を尊重して、その機関と連絡をとりたいと常に考えておりました」
 昭和天皇は、同じ昭和16年10月13日にも、内大臣(戦前、天皇の側近として仕えていた職)の木戸幸一に対して、こう語られた。
「開戦するにあたっては、戦争終結の手段をはじめから充分に考えておく必要がある。それにはローマ法皇庁との使臣の交換等、親善関係の方策をたてておく要がある」
 開戦直後には、そのお言葉通り、バチカン市国へ使節(公使)を派遣するよう、東条に事実上の指示を出されている。
 ローマ法王の影響力を重視、外交に生かそうという、恐らく日本人の誰も持ち得なかった世界観、国際政治観は、感性が柔らかい20歳のときに法王庁を訪れた経験から生まれたものだったのだ。
 だが、皇太子の法王庁訪問は、最初から予定されたものではなかった。むしろ急遽(きゅうきょ)企画されたものだった。
 ここで時計の針を4カ月余り戻してみたい。
※この記事は、『坂の上の雲』にも登場しながら、これまで知る人ぞ知る存在だった愛国のクリスチャン、初の本格評伝『天皇と法王の架け橋 軍服の修道士 山本信次郎』(皿木義久著、産経新聞出版)の序章から抜粋しました。ネットでのご購入はこちらへ。
 ■皿木義久(さらき・よしひさ) 産経新聞客員論説委員。昭和22(1947)年、鹿児島県生まれ。京都大学文学部卒業。産経新聞社入社、大阪本社社会部、東京本社政治部、特集部長、論説委員長などを経て平成27(2015)年退社。現在、産経新聞客員論説委員、新しい歴史教科書をつくる会副会長。主な著書に『大正時代を訪ねてみた』(産経新聞ニュースサービス)、『紅陵に命燃ゆ』(産経新聞出版)、『子供たちに伝えたい日本の戦争』『「令和」を生きる人に知ってほしい日本の「戦後」』(いずれも産経NF文庫)、『明治という奇跡』(展転社)。共著に『新聞記者 司馬遼太郎』(文春文庫)など。





山形県東根市の龍泉寺に残されている聖母子像

2019年11月21日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

山形県の東根(ひがしね)にあるマリア像をご紹介いたします。

トマス小野田神父


マリア観音 命がけの思い

写真:かつては「子育て観音」としてお参りされたマリア観音=山形県東根市観音寺の龍泉寺
かつては「子育て観音」としてお参りされたマリア観音=山形県東根市観音寺の龍泉寺

 ● 龍泉寺(山形・東根市)

 キリスト教禁制の江戸時代、観音菩薩像に見せかけた聖母マリア像が潜伏キリシタンの間で隠し持たれた。マリア観音という。その一つが山形県東根市の龍泉寺に残されている。曹洞宗の寺になぜあるのか。

 住職の高橋賢雄さん(45)が代々語り継がれてきた由来を教えてくれた。

 昔、摂津国(大阪)から北前船で1人のキリシタンが仙台を目指し、龍泉寺の村にやってきた。村から仙台へ向かう国境には関所があり、そこでマリア像が見つかれば没収され、キリシタンは処刑される。そこで、龍泉寺に1泊したキリシタンは当時の住職にマリア像を預けていった。その後、寺に戻ってくることはなかった。

 預かった住職もマリア像を表に出せば処罰されるので、木の箱に入れて本堂の床下に隠した。代々、秘密を口伝えしてきたが、ある代の住職が「真っ暗な床下に置いておくのはかわいそうだ」と考えて、一計を案じた。マリア像の下部には台座を、背後には光背を作り足し、観音様のようにした。幼児を抱いている姿から、村の人たちには「子育て観音」と説明し、お参りさせた。以来、昭和の時代まで、子育て観音として信仰されてきた―。

 しかし、頭のベールや幼児のフリル付きの衣服など子育て観音には似合わない格好から、戦前、山形師範学校(現山形大学)の研究者が像を解体して詳しく調べ、マリア像であることがはっきりした。黒目のガラス玉の裏側に十字が刻まれており、幼児像の裏側にも十字とキリスト教のシンボルマークが描かれていた。子どもの腕に光を当てるとマリアの胸に十字の影が出るようになっていることも判明した。

 さらに、取り締まり対策も施されていた。イエスの像とマリアの像をつないでいたのは1本の竹串だけ。簡単に取り外しができる。役人に見つかりそうな場合はイエスを外し、代わりに別の人形を差し込もうとしたのではないか、という。

 マリア像を作らせた人、作った人、持ち込んだ人、隠した代々の住職。みんな命がけだった。高橋住職は「いろんな人の思いが込められている像です」としみじみ語る。

 子どもを見つめる像の表情は見る角度によって微妙に異なる。向かって右斜め上からだと厳しく、左斜め下からだと優しく見える。マリア様でも観音様でも、そこは変わらない。



ルフェーブル大司教様のローマにおける1974年11月21日の宣言

2019年11月21日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いまから45年前の、ルフェーブル大司教様のローマにおける1974年11月21日の宣言 をもう一度掲載したいと思います。

****

 私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる。

 私たちは、しかしながら、第2バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。実に、これら全ての改革はカトリック教会の瓦解と司祭職の崩壊、いけにえと秘蹟の無化、修道生活の消滅、大学・神学校・公教要理における自然主義とテイヤール主義、教会の荘厳教導権によって何度も排斥された自由主義とプロテスタント主義とに由来する教育のために貢献したし、今でも貢献し続けている。

 たとえ位階制度の最も高い地位に上げられたものであれ、いかなる権威といえども、19世紀もの長きにわたって教会の教導職によって明らかに表明され、宣言された私たちのカトリック信仰を棄てる、あるいは減少させるように強制することは出来ない。

 聖パウロはこう言っている。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが今日、教皇様が私たちに繰り返し言われることではないだろうか。そしてもしも万が一、教皇様の言葉と行動において、また聖座の諸聖省の文書において、1つでも [過去の教導権との] 矛盾が現れるなら、その時私たちは、常に教えられていたことを選び、私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じる。

 Lex credendi(信仰の法)を変更することなくles orandi(祈りの法)を深く変更させることは出来ない。新しいミサは新しい要理と新しい司祭職に対応し、新しい神学校、新しい大学、カリスマ運動的教会、聖霊降臨運動的な教会、また正統と常なる教導職とに対立する全てに対応している。

 この改革は、自由主義と近代主義とに由来するが故に、その全てに毒が含まれている。これは異端から生み出され異端へと辿り着く。良心的で忠実な全てのカトリック信者にとってこの改革を受け入れ、なにがしらであれそれに従うことは出来ない。

 私たちの霊魂の救いのために、教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、改革を受け入れることを断固として拒否することである。

 それ故、いかなる反乱も、苦々しさも、憎悪もなく、私たちは常なる教導職の星の導きの元、司祭養成の事業を続ける。私たちは聖なるカトリック教会に、教皇様に、そして未来の世代に、これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信している。

 それ故、聖伝の真理の光が永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、司祭の養成、教会の諸施設において実践されていたこと、公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを全て固く保持する。

 天主の聖寵と、童貞聖マリア・聖ヨゼフ・聖ピオ10世の御助けによって、こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、fideles dispensatores mysteriorum Domini Nostri Jesu Christi in Spiritu Santo(聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者)となることができると確信している。アーメン。

童貞聖マリアの奉献の祝日
ローマにて、1974年11月21日

+ マルセル・ルフェーブル






大阪の聖母の汚れなき御心聖堂から集まった教皇聖下来日のための霊的花束(2019年11月17日現在)

2019年11月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

大阪で集計された教皇聖下来日のための霊的花束をご紹介いたします。

たくさんのお祈りをありがとうございます! 









Sermon for twenty-third Sunday after Pentecost ー Fr Peter Fortin, FSSPX

2019年11月20日 | お説教・霊的講話
Sermon for twenty-third Sunday after Pentecost (Tokyo, Osaka)
According to the will of God, the father possesses the authority in the family and therefore has the entire responsibility before God and man for his family.
Fr Peter Fortin, FSSPX


“Lord, my daughter has just now died: but come and lay your hand upon her, and she will return to life.”

In this instance in the gospel the life of child is lost and there is chaos and disorder in the home and all seems lost. Misery and discouragement that the child is lost. Imagine the father feeling as if he failed, it’s his fault for the death of the child. He conceived the child and she is lost and appears dead in all the noise of those crying. We don’t read that the man is widower, so we assume the wife or mother is alive and most probably there. It is most commendable, the ruler goes to Our Lord, worships Him and asks Him to come and Our Lord responds and goes immediately. Our Lord says that she is not dead but asleep. The people there are worldly and disrespectful to Our Lord. They are against Him, against Christ in the home of this ruler. Our Lord comes to restore order and gets rid of the worldly people and noise and then He raises the girl by her hand and restores her to the father. We can take this scene and draw much fruit for families, homes and fathers. Our Lord no doubt admired this Ruler as He did many who exhibited great faith. The man makes a request and invitation to Christ and not turned away.

For more than 100 years, the spirit of the world is set to corrupt and destroy Christian society wholly and entirely. In order to do so, they have attacked the Christian family. From that moment, the Faith and the Christian spirit have been disappearing and many souls lost. The family, since 1960’s especially, has been the subject of attack, in married life as well as in the upbringing and education of children. This is why divorce or separations are rampant, and the children are disconnected from parents and as a result disconnected from God. Divorce, contraception, pornography, loss of prayer, ineffective sacramental life have ravaged the family life, it has stifled any growth and the introduction of homosexual unions is the death knell for any sort of future family life possible in society.

What can be done? What can be proposed to rectify this situation? We must resist the modern trend. Archbishop Marcel Lefebvre insisted that to form saintly priests there must first be saintly families, It is a strict duty which each home must make its own to form holy families: to form a family that is united and virtuous, bringing forth good fruit before God and man. A family is likened to a tree. The children are the fruit. A good tree brings forth good fruit and a bad tree, bad fruit. How to make the tree a good tree? A successful Catholic family is one from which the good God can draw forth holy vocations. It is necessary to often to have this thought in mind, and this from the early years until the maturity of the souls entrusted to you.

One must sanctify oneself, as well as one’s spouse, by means of life in common and by the reception of the sacraments. Sanctity is expected of each and everyone. More so for those who have others to depend on them. “Be perfect as My heavenly Father is perfect.” St. Peter writes “be as children in obedience trust in grace for it is written: “You shall be holy, for I am holy”. In order to be holy and bring others to holiness, it is necessary to practice well the duty of state.

According to the will of God, the father possesses the authority in the family and therefore has the entire responsibility before God and man for his family. This is by nature as Adam is the father of humanity. To share in the paternity of God, to produce souls in the image and likeness of God destined to be with Him in heaven for eternity. There are many beautiful examples of what it is to be a man, to be a husband, to be a father in Sacred Scripture but especially in St. Joseph and Our Lord Jesus Christ. We might ask yes of course St. Joseph but why Our Lord? It is He because He is a perfect Son, a perfect reflection of the Father in Heaven. He is the ideal. One might say that the world hates fatherhood because it is an image of God and His Fatherhood for all.

Wherever there is authority there are duties and responsibilities. The Role of the Father is most important for restoration of Society. With it is linked the Fatherhood of a priesthood. Without good Fathers, there cannot be priests. So in order to reinforce the role of the father in the family, I will propose a few qualities that a father must have and also the disorders that should be noted.

Here are a few qualities that a father must possess.
Benefactor – One who means well to all under his care and who will guide and protect and keep order in the home. He must be most approachable always to assist any with their difficulties.
Accountability - The Father of a family must remember that his authority is delegated to him and that therefore he will one day have to render an account of his management. The father of a family is a steward. The family, father himself, wife, children – all belong to God. The Father has grave responsibility to lead all to Him.

Obedience and Submission to God
“The head of all men is Christ” (I Cor. 11:3). Everyone must submit their will to God’s. Most especially the Father as his decisions and actions will affect the entire life of the family for good or bad. How to follow God’s will and His Spirit? It is found with catechism and the sacraments and recourse to the priests. This reference to the Church is willed by God. It can also reassure the wife and the children, and they will know that the decisions are not arbitrary.

Prayer – He must pray for guidance and the holiness of his family. For the souls entrusted to him. What would it be if the souls entrusted to his care are provided for materially only and then lost for eternity. This idea that the father is the one who calls to prayers and takes the initiative in religious ceremonies is even found with the pagans. Prayers, offered together brings order into the home especially if initiated by the father.

Harmony - First and foremost, he must have harmony with God and His Church and secondarily His Wife and children. There is a great importance to live in harmony with his spouse. Without harmony, his efforts will bear little or no fruit. In order to have harmony in the home, it is necessary: to have good communication, unity, admiration, and to be a peacemaker.

For Communication: It is important to speak always to the spouse about projects and the cares of the family. The husband must receive suggestions from and will explain his objectives, bearing always in mind the principle at stake.

In regards to Unity: Mother and Father must share the same spirit in such a way that neither spouse complains against the other especially in front of the children, and that the children thus sense the unity of the parents. Of course, it is up to the husband to make the ultimate decision and to implement the practical means to its realization.

Admiration: The husband must easily praise his wife for her collaboration and good initiatives. By valuing his wife, then, the husband will assure himself of a precious and devoted help. He will leave to his wife a great latitude in the domain that is hers inside the home.

Peacemaker: He must reflect the image of Our Lord. This is why he must handle family conflicts in a calm and just manner. This is a special grace and it even has a special reward – blessed are the peacemakers- for they shall be called children of God. Correction is not an easy task! However, putting order and getting rid of bad habits with kindness and firmness avoids greater conflicts. Cowardice and impatience in corrections make matters far worse. They can be the occasion of coldness, oppositions, and yelling – all sorts of trouble.

Disorders that lead to grave dangers:
The following disorders affect all domains of family life: lack of a schedule, disorder in the house, extended time on phone or internet, a spirit of criticism and of mockery, immodesty in speech, action and dress, dangerous friendships, and idleness.
The father is naturally a leader and must not only pretend to be a good leader but really, he must have qualities and want the good of everyone in the home. He must first lead in prayer, reception of the sacraments, practice of virtue and avoidance of vice. Not only for himself but every member of the family. Nothing can replace a good example of the father. It is necessary that the children see these virtues embodied in the parents in order to practice them in the future.

Let us summarize the qualities of the head of the family which favor obedience from all in family:
Goodness - God the Father is characterized by goodness, a benefactor who will first give good spirit to the family. Such is the primary quality of the head of a family. Goodness allows for those members of the family to open up. Goodness and kindness are not signs of weakness, but of understanding and care for the good of each.
Prudence - The father of a family will regularly practice the virtue of prudence. This virtue consists in looking for good solutions but with mother as well.

Sacrifice A father must sacrifice his selfishness, his comfort zone, and his own interests for his wife and family. “Husbands, love your spouses as Christ also loved the Church” (Eph. 5:25). We know how much Christ loved the Church, to the point of sacrificing Himself for her, even to allowing His Sacred Heart to be pierced.
The father must sacrifice himself. Not pretend. But be the good man expected. The father will take care to remain worthy of the respect of his wife so that she will be proud of him. His work and accomplishments, his attitudes, and of his qualities.
The father must kind and firm. The child must sense that his father loves him and that he does not just favor the child’s wants but truly desires his good. The father must be vigilant and always available for mother and the children.

Let us take a look at the consequences of the faults of the father of the family.
Harshness - If the father is harsh and rough in his authority, not knowing when to listen to his spouse or to his children, he will instill a spirit of questioning and of rebellion. This will cultivate much doubt and distrust in the home. This spirit can destroy the home and lead the loss of faith in the children.

Weakness - If the father is on the other hand, weak making no demands and fleeing responsibility. The wife will attempt to supplement but it will always be lacking. The mother by nature cannot fulfill the role of the father. More often than not if the father shirks responsibility, the sons will lack character, strength of soul, and a sense of responsibility.

Lack of Organization - If the father does not know how to organize, to command precisely, he will always be unhappy because nothing will get done, or what is done will not be done well.

Scandal – Kills the spiritual life of the family. He will lead the souls entrusted to his care to perdition.

Let us look to the ruler in the Gospel. Perform what is expected. Be the one to put things in orders. In all difficulties, trials and struggles have the same reaction as the ruler. Make contact with Christ. You find Christ here. Confess your faith, worship Him, gain His friendship through the sacrament of confession and then bring Him into the Home. You do this by receiving Him in Holy Communion. He will live inside and guide your actions. By doing this it is as if bringing Christ to those members of the family that is sick or dead spiritually. By allowing Him to live in you, then your will becomes his, your actions become his. What is the first thing that our Lord does, “Leave”. These people ridiculed Our Lord. He banishes the worldly spirit, included are all the bad influences and then He touches the child and the home is restored. Our Lord comes to put order, peace, harmony and happiness in the home.

家庭における父親の責任の重大さについて: ピーター・フォルティン神父様お説教 聖霊降臨後第二十三の主日

2019年11月20日 | お説教・霊的講話
聖霊降臨後第二十三主日の説教(東京・大阪)
聖ピオ十世会司祭 ピーター・フォルティン神父


「主よ、私の娘がいま死にました。でも、あの子の上にあなたの手を伸べに来てくだされば、あの子は生き返ります」(マテオ9章18節)

このとき福音書では、子どものいのちが失われ、家には混乱と無秩序があり、すべてが失われたかのようです。子どもを失ったというみじめさと落胆があります。この父親[会堂司]のことを想像してください。まるで子どもの死に自分に落ち度があるかのように感じているのです。父親がこの子どもをもうけたのに、子どもは失われて、嘆きの声のうちに死んだように見えます。この男が男やもめであるとは書かれていませんから、彼の妻すなわち母親が生きていて、おそらくそこに一緒にいると思われます。賞賛すべきことに、会堂司は主のところに行って、主を礼拝し、主に来てくださるよう頼み、主はそれに応えてすぐに行かれます。主は、娘は死んでおらず眠っているだけだと言われます。そこにいる人々は、この世のことしか考えず、主に対して失礼な態度を取ります。彼らは、この会堂司の家にいるキリストに対して、主に対して反対するのです。主は来て、秩序を回復させ、この世的な人々と騒がしさを追い払い、少女の手を取って起き上がらせ、少女を父親に戻されます。私たちは、この情景を取り上げて、家族や家、父親に対する多くの実を引き出すことができます。主が、素晴らしい信仰を示した多くの人々にそうなさったように、この会堂司をほめられたのは疑いありません。この男はキリストにお願いしてお招きしましたが、見捨てられませんでした。

100年以上にわたって、この世の精神はキリスト教社会を全面的に腐敗させ破壊しようとしてきました。そうするために、彼ら[この世的な人々]はキリスト教の家庭を攻撃しました。そのときから、信仰とキリスト教精神は消えてきており、多くの霊魂が失われました。家庭は、特に1960年代以来、子どもの養育および教育においても、結婚生活においても、攻撃の対象になってきました。こういう訳で、離婚または離別がはびこっており、子どもたちは両親と切り離され、その結果として天主から切り離されているのです。離婚や避妊、ポルノ、祈りの喪失、不十分な秘蹟による生活が家庭生活を荒廃させ、それがあらゆる成長を阻害し、同性愛の結合の導入が、社会におけるあらゆる種類の将来の家庭生活に対して、死を告げる鐘となっているのです。

いったい何ができるでしょうか? この状況を正すために提案できるものは何でしょうか? 私たちは、この現代の傾向に抵抗しなければなりません。マルセル・ルフェーブル大司教は、次のように強く主張しました。聖人のような司祭をつくるためには、まず聖人のような家庭がなければならず、各家庭は、聖なる家庭を作り上げることを自らの厳しい義務とせねばならない。聖なる家族を作り上げることは、一致した、聖徳のある家庭をつくり、天主と人の前で良き実を生み出すことです。家庭は木になぞらえられます。子どもは実です。良き木は良き実を生み、悪い木は悪い実を生みます。木を良き木にするにはどうすればいいでしょうか? うまくいったカトリックの家庭は、良き天主が聖なる召命を引き出すことのおできになる家庭です。この考えをしばしば心に留めておくことが必要であり、皆さんに委ねられた霊魂が幼い年代から成人に至るまで、これが必要です。

人は、配偶者と同様に、自分自身を聖化しなければなりません。それは、共に生活することによって、秘蹟を受けることによってです。聖性はすべての人に求められます。自分に依存している者を持つ人々の場合は、さらにそうです。「わが天の父が完全であるように、あなたたちも完全であれ」(マテオ5章48節)。聖ペトロは、こう書いています。「恩寵にかけよ。従順な子となれ。『私が聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者であれ』と書き記されているからである」(ペトロ前書1章13-16節)。自らを聖となし、他の人々を聖性に導くためには、自分の立場に応じた義務をよく果たすことが必要です。

天主のご意志によって、父親は家庭における権威を持っており、それゆえに天主と人の前に自分の家族に対する全面的な責任を負っています。それは、アダムが人類の父であるように、生まれによるものです。それは天主の父性にあずかること、天国で永遠に天主と共にいる運命をもつ、天主の似姿としての霊魂を作ることです。聖書には、男であること、夫であること、父親であることとは何であるかについての多くの美しい例がありますが、特に素晴らしいのは聖ヨゼフと私たちの主イエズス・キリストの例です。私たちは、聖ヨゼフについてはもちろんそうだと思いますが、なぜ私たちの主が?と思うかもしれません。それは、主こそが、完全な子であり、天の御父の完全な生き写しであるからです。主こそが理想なのです。父性が、天主および天主のすべての人に対する父性の似姿であるがゆえに、この世が父性を憎むのだと言えるかもしれません。

権威があるところならどこであれ、義務と責任があります。父親の役割は、社会の回復のためには最も重要です。司祭職の父性は、それと関係しています。良き父親がいなければ、司祭も存在できません。ですから、家庭における父親の役割を強化するために、私は、父親が持たねばならないいくつかの性質を提案するとともに、その逸脱についても注意をひきたいと思います。

次のものが、父親が持たねばならないいくつかの性質です。
支援者―自分の保護のもとにあるすべての人の幸福を望み、家庭内で導き、守り、秩序を維持する人のことです。困難な状態にある者を助けるために、常に最も近づきやすくなければなりません。
報告責任―家庭の父親は、自分の権威は委託されたものであり、それゆえにいつか自分がその権威をどう取り扱ったのかを報告しなければならないということを覚えておかなければなりません。家庭の父親は管理人です。家庭、父親自身、妻、子どもたち、すべては天主の所有物です。父親には、全員を天主へと導くという重い責任があるのです。

天主への従順と服従―「すべての男のかしらはキリストである」(コリント前書11章3節)。誰もが自分の意志を天主に服従させなければなりません。自分の決定や行動が家族の生活全般に良い影響または悪い影響を与えるのですから、父親は特にそうしなければなりません。どのようにして、天主のご意志と天主の霊に従うのでしょうか? その答えは、カテキズムや秘蹟、司祭に頼ることにあります。この教会への委託は、天主のご意志によるものです。それはまた、妻や子どもたちが安心して、その決定が勝手なものではないということを知ることにつながります。

祈り―父親は、指導を願い、また家族の聖化を願って祈らなければなりません。父親に委ねられている霊魂のためにも祈らなければなりません。父親の管理に委ねられた霊魂に物質的なものだけが与えられ、そのため永遠に失われるとするならば、いったい何になるでしょうか。父親が祈りを呼びかける人、宗教的儀式を率先して行う人だというこの考えは、異教徒にさえも見いだされます。共に捧げる祈りは、特に父親が率先して行えば、家庭に秩序をもたらします。

調和―まず第一に、父親は天主およびその教会と調和し、第二に妻および子どもたちと調和していなければなりません。配偶者と調和して生きるということはたいへん重要なことです。調和がなければ、父親の努力はほとんど、あるいはまったく実を結びません。家庭で調和を得るために必要なのは、良き会話や一致、賞賛があること、そして平和をもたらす者であることです。

会話のために:家族に関する計画や世話について、配偶者に常に話すことは重要です。夫は妻からの提案を聞かねばならず、問題となる原則を常に心に留め、自らの目的を説明せねばなりません。

一致について:母親と父親は、特に子どもの前で配偶者が相手に不平を言うことがないように、またそれによって子どもが両親の一致に気づくように、同じ精神を共有しなければなりません。もちろん、最終的決定を下し、その実現への実践的手段を実行するのは、父親次第です。

称賛:夫は、妻の協力や自発的な良き働きに対して躊躇なくほめなければなりません。ですから、妻の価値を認めることによって、夫は自分に貴重で献身的な助けがあることを保証することになるのです。夫は、家庭の中で妻のものである領域においては、妻に大きな自由を任せるのです。

平和をもたらす者:父親は、私たちの主の似姿を反映しなければなりません。これが、父親が家庭内のもめ事を落ち着いた正しい方法で扱わなければならない理由です。これは特別な恩寵であって、それには特別な報いさえあります。「幸いなるかな、平和をもたらす者。彼らは天主の子ととなえられるであろう」。矯正するのは簡単な仕事ではありません! しかしながら、秩序をもたらし、親切に、断固として悪い習慣を取り除くことで、さらに大きなもめ事が防げます。矯正するのに臆病や短気であることは、事態をさらに大きく悪化させます。それは、冷淡や対立、怒鳴り合いのようなあらゆる種類のトラブルの機会となり得ます。

深刻な危険に至る無秩序
次に挙げる無秩序は、家庭生活のあらゆる領域に影響を及ぼします。時間割の欠如、家の中の乱雑さ、電話やインターネットの時間の使い過ぎ、批判やあざけりの精神、話や行いや服装での慎みのなさ、危うい交友関係、怠惰です。
父親はその生まれによってリーダーなのですから、ただ良きリーダーの振りをするのではなく、本当に良きリーダーでなければならず、その資質を持ち、家庭の全員の善を欲しなければなりません。父親は、まず祈りや秘蹟を受けること、そして徳の実践や悪徳を避けることを率先して行わなければなりません。自分のためだけでなく、家族全員のためにそうするのです。父親という良き模範に代わり得るものはありません。子どもが将来、両親に備わるこれらの徳を実践するために、それらを見ておくことが必要です。

家族全員から従順を受けられる家族のかしらとしての資質を要約しておきましょう:
善良さ―天主御父の特徴は善であり、家族に最初に良き精神を与える支援者です。これが、家族のかしらの第一の資質です。善は家族の心を開きます。善と親切は弱さのしるしではなく、理解と各人の善のために世話をすることのしるしです。
賢明さ-家族の父親は賢明の徳を定期的に実践します。この徳はよき解決法を見いだすことにありますが、また母親と共にそれをするのです。

犠牲 父親は、妻と家族のために、自分の自己中心さ、自分の安心できる範囲、そして自分自身の利益を犠牲にしなければなりません。「夫よ、キリストが教会を愛したように妻を愛せよ」(エフェゾ5章25節)。私たちは、キリストがどれほど教会を愛されたのか、すなわち、教会のためにご自分を犠牲にするというところまで、その聖心を槍で刺し貫かれるのをお許しになるまで、教会を愛されたことを知っています。
父親は、自分を犠牲にしなければなりません。うわべだけではありません。求められる良き男であらねばなりません。父親は、妻に尊敬されるにふさわしくあり続けるよう、妻が彼を、彼の仕事と業績を、彼の態度を、彼の資質を誇りに思うよう、気を配るのです。
父親は、親切で固い意志をもたなければなりません。子どもが、父親が自分を愛しており、子どもの求めるものただ与えるのではなく、本当に自分の善を願っているということを感じ取らなければなりません。父親は注意を怠らず、母親と子どもがいつも相談できるようでなければなりません。

無情さ―父親が、自分の権威において無情で乱暴であったり、妻や子どもたちの言うことに耳を貸すことを知らなかったなら、そのような父親は、疑問に思ったり、はむかったりする精神を家庭に入り込ませてしまいます。このことは、家庭の中に多くの疑いや不信を植え付けてしまうでしょう。この精神は、家庭を破壊し、子どもたちを信仰の喪失に至らせるかもしれません。

弱さ―他方で、父親が命令することに弱気だったり、責任を逃れたりするならば、妻はそれを補おうと試みるでしょうが、それでは常に足りないことになります。母親はその生まれによって、父親の役割を果たすことができません。父親が責任を逃れるならば、たいてい息子たちは性格や霊魂の強さ、責任感に欠けるようになるでしょう。

家族をまとめる力の欠如―父親が、家族全体をまとめたり、正しく命じたりする方法を知らないならば、何も行われず、あるいは行われるべきことがうまく行われないため、父親は常に不幸になります。

つまずき―これは家族の霊的生活を駄目にします。父親は、自分の世話に委ねられた霊魂を破滅へと至らせるでしょう。

福音書の会堂司を見てみましょう。求められることを行いましょう。物事に秩序をもたらす人になりましょう。あらゆる困難や試練、闘いにおいて、この会堂司と同じ対応をしましょう。キリストに呼びかけましょう。ここにキリストがおられます。信仰を告白し、キリストを礼拝し、告解の秘蹟によってキリストとの友情関係を得ましょう。それから、キリストを家庭にもたらすのです。聖体拝領でキリストを受けることによって、これを行うのです。キリストが皆さんのうちに生き、皆さんの行動を導いてくださいます。これをおこなうことによって、病気の家族や霊的に死んでいる家族にキリストをもたらすようになるのです。キリストに、皆さんのうちにお住まいになっていただくことによって、皆さんの意志がキリストの意志になり、皆さんの行いがキリストの行いになるのです。主がなさる最初のことは何でしょうか、「下がれ」と言われるのです。これらの人々は主をあざ笑いました。主が、あらゆる悪しき影響を含んでいるこの世の精神を追い払われ、そのあと、子どもに触れられると、家庭は元に戻るのです。主は、秩序、平和、調和、幸福を家庭にもたらすために来られるのです。

教皇聖下来日のための霊的花束(2019年11月17日現在)

2019年11月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

フランシスコ教皇聖下来日のための霊的花束の報告をいたします。

ミサ聖祭 84
聖体拝領 84
霊的聖体拝領 200
十字架の道行 89
ロザリオ(環) 1456
小さき犠牲 146
その他 312





聖ピオ十世会マニラ修道院の写真を紹介します

2019年11月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
聖ピオ十世会のマニラ修道院の写真です。























十二月八日 聖母マリアの無原罪の御孕り(一級祝日)の聖伝のミサのラテン語・日本語対訳テキストをご紹介します。

2019年11月19日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

十二月八日 聖母マリアの無原罪の御孕り(一級祝日) 白

無原罪の御孕りの祝日を祝ったという歴史は、東方教会では六世紀、西方教会では九世紀からのことである。聖アンセルモとベネディクト会、ドゥン・スコトとフランシスコ会は、マリアのこの特権を常に支持して来た。
クレメンテ十一世教皇は、一七○八年に、無原罪の御孕りの信心を、全教会に勧め、一八五四年十二月八日、ピオ九世によって、“聖マリアはアダムの罪の結果を身におびずして懐妊され給うた”ことを、信仰箇条として宣言された。天主の母となるべく予定されたマリアは、一瞬たりともサタンの支配下にはなかった。キリストの功徳の予定によって、聖マリアは、原罪なく、聖霊にみちたものとしてやどられ、この世に生まれ出給うた。
ミサ聖祭: 聖マリアのいと浄きよろこびと心を合わせ、聖マリアを御独子の御托身の神殿となすべく、かくも美しく汚れなくえらび給うた天主に感謝しよう。聖マリアは、天主の上智によって永遠に選び出された。公教会は、聖書が天主の上智について語っていることを、ためらうことなく聖マリアに適用する。聖寵にみちみちたこの「新しきエワ」は、あがない以前のあがないであり、御民のほこりであり、喜びである。聖マリアのこの特権に信仰をもたねばならぬ。その恩寵は、全人類に及ぶものである。

 

die 8 decembris 十二月八日
IN CONCEPTIONE IMMACULATA B. MARIÆ VIRGINIS 聖母マリアの無原罪の御孕り
I classis 一級祝日
Ant. ad Introitum. Is. 61, 10. 入祭文、61ノ10.
Gaudens gaudébo in Dómino, et exsultábit ánima mea in Deo meo : quia índuit me vestiméntis salútis : et induménto iustítiæ circúmdedit me, quasi sponsam ornátam monílibus suis. 私は主において喜びに喜ぶだろう、私の霊魂は私の天主において喜び踊るだろう。何故なら、主は私に救いの服を着せてくださり、正義の衣服によって私を覆ってくださったからだ。その宝石によって飾られた花嫁のように。
Ps. 29, 2 詩篇、29ノ2.
Exaltábo te, Dómine, quóniam suscepísti me : nec delectásti inimícos meos super me. 主よ、私は御身を高く褒めるだろう、御身は私を受け入れてくださったが故に。御身は私の敵どもが私の上に立つことを喜ばれなかったが故に。
V/. Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。
Gaudens gaudébo in Dómino, et exsultábit ánima mea in Deo meo : quia índuit me vestiméntis salútis : et induménto iustítiæ circúmdedit me, quasi sponsam ornátam monílibus suis. 私は主において喜びに喜ぶだろう、私の霊魂は私の天主において喜び踊るだろう。何故なら、主は私に救いの服を着せてくださり、正義の衣服によって私を覆ってくださったからだ。その宝石によって飾られた花嫁のように。
Oratio. 集祷文
Deus, qui per immaculátam Vírginis Conceptiónem dignum Fílio tuo habitáculum præparásti : quǽsumus ; ut, qui ex morte eiúsdem Filii tui prævísa eam ab omni labe præservásti, nos quoque mundos eius intercessióne ad te perveníre concédas. Per eúndem Dóminum. 天主よ、御身は、童貞女の無原罪の御孕りを通して、聖子(おんこ)にふさわしい住居を準備し給うた。願わくは、同じ聖子の御死去を予見して、聖母をすべての罪の汚れより防ぎ給うた御身が、聖母のとりつぎによって、我らも潔められ、御身に至るよう恵み給え。その同じわれらの主(…)。
.Léctio libri Sapiéntiæ. 智慧の書の朗読
Prov. 8. 22-35. 箴言、8ノ22-35.     
Dóminus possedit me in inítio viárum suárum, ántequam quidquam fáceret a princípio. Ab ætérno ordináta sum, et ex antíquis, ántequam terra fíeret. Nondum erant abýssi, et ego iam concépta eram : necdum fontes aquárum erúperant : necdum montes gravi mole constíterant : ante colles ego parturiébar : adhuc terram non fécerat et flúmina et cárdines orbis terræ. Quando præparábat cælos, áderam : quando certa lege et gyro vallábat abýssos : quando .thera firmábat sursum et librábat fontes aquárum : quando circúmdabat mari términum suum et legem ponébat aquis, ne transírent fines suos : quando appendébat fundaménta terræ. Cum eo eram cuncta compónens : et delectábar per síngulos dies, ludens coram eo omni témpore : ludens in orbe terrárum : et delíciæ meæ esse cum filiis hóminum. Nunc ergo, filii, audíte me : Beáti, qui custódiunt vias meas. Audíte disciplínam, et estóte sapiéntes, et nolíte abiícere eam. Beátus homo, qui audit me et qui vígilat ad fores meas cotídie, et obsérvat ad postes óstii mei. Qui me invénerit, invéniet vitam et háuriet salútem a Dómino. そのはじめ、創造のはじめより、主は私を有し給うた。永遠より、世の創造以前、太古より、主は私を立て給うた。深淵(ふち)がまだない時に、すでに私は孕された者であった。水の泉がまだほとばしらず、山々がまだその重々しい高さにそびえ立っておらず、数々の丘もまだつくられていない時、私は生まれた。主が、まだ地球をつくり給わず、川の流れもつくり給わず、地の軸もつくり給わず、天をつくり給うた時、私は在った。主が、深淵(ふち)をほって、その則(のり)を定め給うた時、蒼空(あおぞら)をつくり、水をほとばしらせ、海をほり、陸の水に則を定め給うた時、地球の基を置き給うた時、私はすでにそこに在った。私は、すべての秩序を立てるために、主とともに在った。そして、日々、主とともに在り。その御前でたわむれ、地上で遊ぶことが、私の喜びであった。人の子らとともにいることも、私の喜びであった。故に、子らよ、私のいうことを聞け。私の道を守る者は幸せである。私の戒めを聞いて、智(さと)い者となり、上智をすてるな。私の言葉を聞き、私の門前で日々警戒しつつ、私の家の門に立つ者は幸せである。私を見出す者は生命を見出し、主において救いをくみとるであろう。
   
Graduale. Iudith 13, 23. 昇階誦、ユディット書、13ノ
Benedícta es tu. Virgo María, a Dómino, Deo excélso, præ ómnibus muliéribus super terram. 童貞マリアよ、御身はいと高き主なる天主によって、地上の全ての女たちよりも祝福された。
V/. Ibid. 15, 10. Tu glória Ierúsalem, tu lætítia Israël, tu honorificéntia pópuli nostri. V/. ユディット書、15ノ10. 御身はエルサレムの栄光、御身はイスラエルの喜び、御身は私たちの民の名誉。
Allelúia, allelúia. V/. Cant. 4, 7. Tota pulchra es, María : et mácula originális non est in te. Allelúia. アレルヤ、アレルヤ、 V/. 雅歌、4ノ7, マリアよ、御身は全く美しい、且つ、原罪の汚れは御身においては無い。アレルヤ。
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Lucam. ルカによる聖福音の続誦
Luc. 1, 26-28. ルカ、1ノ28
In illo témpore : Missus est Angelus Gábriël a Deo in civitátem Galilǽæ, cui nomen Názareth, ad Vírginem desponsátam viro, cui nomen erat Ioseph, de domo David, et nomen Vírginis María. Et ingréssus Angelus ad eam, dixit : Ave, grátia plena ; Dóminus tecum : benedícta tu in muliéribus. そのころ、天使ガブリエルは、ガリラヤのナザレトという町の、ダヴィド家のヨゼフといいなづけである、マリアという乙女のもとに、天主からつかわされた。天使はマリアのところに来て、「あなたに挨拶します、恩寵にみちたお方!主はあなたとともにおいでになります。あなたは女の中で祝福された方です」といった。
Credo 信経
Ant. ad Offertorium. Luc. 1, 28. 奉献文、ルカ、1ノ28
Ave, María, grátia plena ; Dóminus tecum : benedícta tu in muliéribus, Allelúia. めでたし、マリアよ、聖寵に満ちみてる方よ、主は御身と共にまします、御身は女の内にて祝せられ給う、アレルヤ。
Secreta 密誦
Salutárem hóstiam, quam in sollemnitáte immaculátæ Conceptiónis beátæ Vírginis Maríæ tibi, Dómine, offérimus, súscipe et præsta : ut, sicut illam tua grátia præveniénte ab omni labe immúnem profitémur ; ita eius intercessióne a culpis ómnibus liberémur. Per Dóminum. 主よ、聖なる童貞マリアの無原罪の御孕りの荘厳な祝日において、われらが御身にささげ奉る救いのいけにえを受け入れ給え。また、御身の聖寵の介入により聖母がすべての汚れより免れ給うことを我らが宣言し奉るごとく、聖母の御取次によって、われらがすべての罪より解放されんことを与え給え。天主として、(…)。
Præfatio de B. Maria Virg. Et te in Conceptióne immaculáta. 序誦 聖母マリアの序誦 (序誦中、「無原罪の御孕りにおいて」とかわる)
VERE dignum et justum est, æquum et salutáre, nos tibi semper, et ubíque grátias ágere: Dómine sancte, Pater omnípotens, ætérne Deus. Et te in Conceptióne immaculáta beáte Maríæ semper Vírginis collaudáre, benedícere et prædicáre. Quæ et Unigénitum tuum Sancti Spíritus obumbratióne concépit: et virginitátis glória permanénte, lumen ætérnum mundo effúdit Jesum Christum Dóminum nostrum. Per quem majestátem tuam laudant Angeli, adórant Dominatiónes, tremunt Potestátes. Cœli, cœlorúmque Virtútes, ac beáta Séraphim, sócia exsultatióne concélebrant. Cum quibus et nostras voces, ut admítti júbeas, deprecámur, súpplici confessióne dicéntes:  Sanctus, ... 聖なる主、全能の父、永遠の天主よ、われらが、いつも、どこにても、主に感謝を捧げ、又、終生童貞なる聖マリアの無原罪の御孕りにおいて、御身をたたえ、祝し、宣言し奉ることは、実にふさわしく正しいことであり、われらの義務と救いである。聖母は、聖霊の能力によって、御独り子を宿し給い、童貞性の光栄を損なうことなく、永遠の光明なるわれらの主イエズス・キリストをこの世に生み給うた。彼によって、天使らは、主のみいずをほめたたえ、主天使は礼拝し、能天使はふるえおののく。天と天の力天使と、福(さいわい)なる熾天使は共に喜び、それをたたえ奉る。願わくは、彼らの声に、われらの声をも交えさせ給え。われらは深く礼拝しつつ、こう歌うであろう。 聖なるかな、…
Ant. ad Communionem. 聖体拝領誦
Gloriósa dicta sunt de te, María : quia fecit tibi magna qui potens est. マリアよ、御身について偉大なことが言われた、何故なら力ある方が御身に偉大なことをなさったからだ。
Postcommunio 聖体拝領後の祈
Sacraménta quæ súmpsimus, Dómine, Deus noster : illíus in nobis culpæ vúlnera réparent ; a qua immaculátam beátæ Maríæ Conceptiónem singuláriter præservásti. Per Dóminum. 主よ、我らの天主よ、我らが受け奉った秘蹟が、われらにおいて、かの罪の傷を修復せんことを。その罪から、御身は、聖マリアの無原罪の御孕りを特別に守り給うればなり。天主として、(…)。

 


2019年11月17日主日の大阪でのミサの写真

2019年11月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

11月17日の大阪での午後のミサの写真をご紹介いたします。











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