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回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(1)

2018年10月04日 | カトリックとは
回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス』
近代主義の誤謬について
聖ピオ十世教皇

訳者 聖ピオ十世司祭兄弟会

Copyright (c) Society of Saint Pius X, 2001
All rights reserved

尊敬する兄弟のみなさんに健康と使徒的祝福をおくります

使徒座の責務

1.主の群を養う[Pascendi Dominici gregis]という、天主から私に託された職務にキリストによって定め与えられた主要な責務の一つは、涜聖的な新しい言葉づかいと、誤って知識と呼ばれる異議異論とをしりぞけ、最大の注意を払って聖徒らに託された信仰の遺産を守ることです。最高の牧者である教皇におけるこのような警戒心が教会全体にとって必要でなかった時は、かって一度もありませんでした。なぜなら、人類の敵の働きのゆえに、「よこしまなことを語る人々」、「自ら誤り、人を誤りへと引き込む」「むなしいことを語り、惑わす者たち」のいないことは、たえてなかったからです。しかしながら、昨今、キリストの十字架の敵が目に見えて増している事実を認めざるを得ません。彼らは全く新しい、狡猾な手管(てくだ)によって教会の生命力を破壊し、そして力の及ぶ限りキリストの御国自体を覆そうとしているのです。それゆえ、私はこれ以上沈黙を保つことはできません。もしそうするなら、私は自らの最も神聖な責務を怠るものと見なされ、また、彼らが考え直すことを期待してこれまで示してきた好意が、私の職務の執行における熱心さの不足に堕してしまうこととなってしまうでしょう。

迅速な対応の必要性

2.この問題に関して、即座に行動に出ることが、必要不可欠なこととなっています。それはなによりも、誤謬に与する者が教会の公然の敵の中だけでなく、きわめて恐れかつ嘆くべきことに、教会のただ中においても見出され、そして表立っていないだけに、なおさら一層質(たち)が悪いという事実によります。尊敬する兄弟たちよ、私がここで問題にしているのは、多くのカトリック一般信徒、そしてさらに一層憂うべきことに司祭階級自体に属する者たちのことです。誤った教会に対する熱意に駆られている彼らは、哲学と神学の確固とした知的防御に欠け、さらに、教会の敵たちによって教えられているきわめて有害な教理に骨の髄まで染まっています。彼らは一切の慎みをかなぐり捨て、教会の改革者として名乗り出、しかる後、より大胆に攻勢に移り、キリストの御業の中で最も神聖なるもの、天主なる贖い主の位格さえも攻撃するのです。と言うのも、彼らは涜聖的な大胆さをもって、主キリストをただの何の変哲もない人の境地に落としめるのです。

近代主義者の特徴

3.私が彼らを教会の敵たちの中に数えることに対して彼らは驚きの色を示すのですが、ただ天主のみが審判者となる魂の内的な意向を考慮に入れず、彼らの教条、彼らの語り口、彼らの行動とに眼を注ぐならば、分別のある者の中、誰一人として私がこのようにすることに驚きはしないでしょう。また、彼らを教会のあらゆる敵の中で最も有害な敵であると考えることも誤りではありません。なぜなら、すでに述べたとおり、彼らは教会の瓦解をはかる自分たちの計画を教会の外側ではなく、内側から実行に移すからです。したがって、危険はおよそ教会の血管ならびに心臓に存し、彼らが教会をより近しく知っているという事実自体により、一層確実に危害を及ぼすものとなっています。さらに、彼らは斧を枝や芽にではなく、根、すなわち信仰とその最も内奥の繊維に振るうのです。そして、一旦この不滅の根に斬り付けた彼らは、木全体に毒を広げるのです。それは、カトリックの真理のいかなるものも、彼らが手を付けず、腐敗しようと試みずにおくものがないようにです。その上、ありとあらゆる有害な術策を操るに当たって彼らほど巧妙で抜け目のない者はいません。なぜなら、彼らは唯理主義者とカトリック者との2重の役を演じ、しかも、不用心な者を容易に誤りへと導くほど巧みに演じるからです。そして持ち前の大胆不敵さのゆえに、彼らは自らが標榜する主義から帰結するところのいかなる結論からもしり込みするということがなく、却ってそのことごとくを頑迷に、しかも確信をもって提唱するのです。さらに付け加えておくべきことは、彼らがきわめて活動的な生活を営み、あらゆる分野の学問に勤勉かつ熱心に取り組み、その上、概して、非の打ちどころのない品行の評判を得ているのが常であるという点です。最後に、自らが唱える教説自体の性格によって影響された彼らの心はあらゆる権威を軽視し、いかなる抑制も受けつけようとせず、このため、彼らの治癒回復の見込みは、ほとんどありません。こうして誤った良心に依拠する彼らは、傲慢と頑迷さの結果に他ならないものを、真理への愛によるものだと称するのです。

失敗に帰した説得の試み

一度は私も、彼らに考えを改めさせることができるとの望みを抱いていたのであり、このために始めは私の子供たちとして優しく、その後は厳しく、最後には、きわめて遺憾ながら公の譴責をもって彼らに対したのです。しかし、の努力が徒労に帰したことを、尊敬する兄弟のみなさんはよくご存じです。ほんのつかの間、彼らは頭を下げたのですが、すぐに以前よりもっと尊大に頭をもたげました。もし問題となっている事柄が彼らにのみ関することだったなら、私もおそらく見過していたかもしれません。しかし、カトリックの名声の保全がかかっているのです。それゆえ私はこれ以上引きのばすならば過失となるであろう沈黙を破り、全教会に、まずく変装した者たち ───彼らは実際そのようなものです─── を指し示さなければなりません。

本回勅の構成

4.近代主義者たち(これは一般に、正しくも彼らに付されている名称ですが)最も巧妙な手管の一つは、自らの教説を、順序や系統だった配列なしに、バラバラで相互につながらない仕方で提示し、あたかも彼らの心が疑いや、ためらいの状態にあるかのように見せかけることです。しかしながら、実際には、彼らの見解は固く定まっており、揺らぐことがありません。このため、尊敬する兄弟たちよ、彼らのさまざまな教えを一つのカテゴリーにまとめ、それらの相互連関を指摘し、こうして種々の誤謬の起源の検証に移り、そこから帰結する悪い結果を回避するための対処策を提示することが有益であると思われるのです。

近代主義者の人格

5.このいささか難解な主題を順序立った仕方で取り扱うために、近代主義者は自らの内に多重の人格を抱き、含んでいることを念頭に置かなければなりません。彼は哲学者であり、信仰者、神学者、歴史家、批評家、護教家、改革者であるからです。彼らの体系を理解し、彼らの教説の諸原理ならびに[論理的]結論を余すところなく把握しようとする人は誰でも、[近代主義者の演じる]これらの役割をはっきりと区別する必要があります。

不可知論

6.それでは、哲学者としての近代主義者から始めましょう。近代主義者たちは宗教哲学の基礎を一般的に不可知論と呼ばれている教説に置いています。この教えによれば「人間の理性はことごとく現象の領域、即ち現れ見えるもの、およびそれらのものが現れ見える様態に限定されているのであり、理性にはこの限界を越える権利も力もない」とされています。したがって、「人間の理性は目に見えるものを通して天主にまで自らを上げること、および天主の存在を認識することができない」ことになります。この結果、「天主は決して学問の直接の対象たり得ず、そして、歴史学に関しては、天主は歴史的主題と見なされてはならない」ということが導き出されます。これらの前提を前にすれば、誰もが直ちに自然神学、[カトリック信仰の]信憑性の根拠、外的啓示といった事柄がどのようになってしまうかを見て取るでしょう。近代主義者たちは、これらを完全に取り除けてしまい、彼らがばかばかしく、また久しくすたれた体系と見なす主知主義の中に含めるのです。また、教会がこれらの忌まわしい誤謬を正式に排斥してきたという事実も、彼らにいささかの歯止めを利かせることにもなりません。しかし、ヴァチカン[第1]公会議は、次のように定義したのです。『もし誰であれ、私たちの創り主にして主である真の天主が、創られたものを通して人間の理性の自然的な光によって確実に知られ得ない、と述べるならば、彼は[教会から]排斥されるように。』 さらに、『もし誰かが、人間が天主および天主に対して払うべき礼拝について、天主的啓示を通して教えられることが不可能、あるいは適当ではない、と述べるならば、彼は排斥されるように。』 そして最後に、『もし誰かが、天主的啓示は外的なしるしによって信憑性を得ることができず、また、したがって人は自らの個人的、内的な体験あるいは詩的霊感によってのみ信仰に引き寄せられるべきである、と述べるならば、彼は排斥されるように。』 と定めています。近代主義者たちがどのようにして「全き無知の状態に他ならない不可知論」から「断定的な否定の教説である科学的および歴史的な無神論」に至ろうとするのか、またこの結果として、いかなる推論をもって、天主がじっさい人類の歴史に介入したのか否かについて無知である[はずの]彼らが、この歴史を天主を全く度外視して、あたかも天主が事実それに介入しなかったかのように説明するのか疑問に付すことができます。いったい誰がこのような疑問に答えることができるでしょうか。しかるに、「科学と歴史とは共に無神論的でなければならない」というのが、彼らの間では定まった、すでに確立した原理なのです。すなわち、この両者の範囲内には、ただ現象のみしか含まれる余地がないのであり、天主およびすべて天主的なるものは完全に除外されるのです。私たちは少し後で、この非常に荒唐無稽な教説の論理的結果として、キリストのこの上なく神聖なペルソナ、その生涯と死去、復活と天国への昇天の奥義に関してどのように考えねばならないかを、はっきりと見ることになります。
生命的内在

7.しかしながら、かかる不可知論は近代主義者たちの体系の否定的側面にすぎません。彼らの体系の積極的側面とは、彼らが生命的内在と称するところのものです。このようにして、彼らは一つの教条から他の教条へと進んで行くのです。自然的なものであれ、超自然的なものであれ、宗教は他のあらゆる事象と同じく、何らかの説明の余地を有しています。しかるに、自然的神学が排除され、また信憑性を裏打ちする議論の拒否によって啓示に対する道が閉ざされ、そしていかなる外的啓示も完全に否定されれば、この種の説明は人間自身の外には求められ得なくなってしまいます。したがって、これは人間の内に探し求められねばならないことになります。そして、宗教とは一種の生命なのであるから、かかる説明は当然のごとく人間の生命の内に見出されなければなりません。このようにして、宗教的内在の原理が定式化されるのです。さらに、あらゆる生命的現象 ───上で述べられたように、宗教もこのカテゴリーに含まれます─── のいわば最初の活動は、ある種の必要ないし衝動によるとされます。しかるに生命について特に述べるとすれば、それは心の動きに源を発するのであり、この動きは感覚と呼ばれます。したがって、天主こそが宗教の対象なのですから、宗教全体の土台にして基盤である信仰は、天主的なるものの必要に起因する、ある種の内的感覚に存するのであると結論せざるを得ません。天主的なるものに対するこの必要は、それ自体としては意識の領域に属し得ず、かえって意識の下に、あるいは近代哲学の術語を借りるなら、潜在意識の中に潜んでいるのだとされています。そこで、かかる必要の根源は見つけられずに隠れているのです。
天主的なるものの必要

  人間が自らの内に経験する、この天主的なるものに対する必要がどのようにして宗教に転ずるのかとの疑問が出るかもしれません。この問いに対する近代主義者の返答は次のようなものでしょう。「科学と歴史は2つの境界の中に含まれるのである。すなわち、1つは外的な境界、すなわち可視的な世界であり、もう1つは内的な境界、すなわち意識である。これら2つの境界の1つあるいは両方がふみ越えられた場合、それ以上前に進むことはできない、なぜならその先にあるのは不可知なるものだからだ。人間の外側にあり目に見える自然界の彼方にあるそれであれ、あるいは無意識の内に隠れているそれであれ、この不可知なるものを前にして、宗教に対する傾きを有した霊魂に存する、天主的なるものの必要は、ある種の特別な感覚を喚起する。それは唯信主義の原理に即して、精神によるいかなる先行的気付きなしに起こる。そして、この感覚は自らの対象として、および自ら自体の内属的原因として、自らの内に天主的現実そのものを有し、さらにある意味において人間を天主に一致させる」と。この感覚にこそ、近代主義者たちは信仰の名を与えるのであり、これこそ彼らが宗教の始原と見なすものなのです。

近代主義者にとっての啓示

  8.しかし、私たちはまだ彼らの哲学的思索、あるいはもっと正確に言えば彼らの愚考の終局に至っていません。近代主義者は「この感覚の中にただ信仰のみならず、信仰の中に、また信仰と共に ───このように彼らは理解しているのですが─── 啓示もまた見出されるべきである」と主張するのです。なぜなら、「啓示を構成するために他にこれ以上なにが必要だろうか。良心の中に感じられる宗教的感覚こそが啓示、もしくは少なくとも啓示の始まりではないか。否、むしろ天主ご自身が自らを不明瞭な仕方であるにせよ、この同じ宗教的感覚において霊魂にお現しになるのではないか。」[と言うのです。] さらに彼らは、次のように言い加えます。「天主が信仰の対象かつ原因なのであるから、この啓示は同時に天主のおよび天主からのものである、つまり、天主こそが啓示者であり、かつ啓示の内容である」と言うのです。

宗教的意識と信仰

  尊敬する兄弟たちよ、ここから近代主義たちの最も愚かしい教条が生じてくるのです。すなわち、「宗教というものはことごとく、それがどのような観点の下に見られるかに応じて自然的、また超自然的なものとなる」のです。このように、彼らは意識と啓示とを同義的なものとします。今述べたことから、彼らは普遍的基準として彼ら自身が定めるところの法を引き出します。その法とはすなわち、「宗教的意識が啓示と同列に置かれ、この意識に全ての者、はては教師として、あるいは聖なる典礼または規律の領域における立法者としての教会の最高の権威までもが服従しなければならない」ということです。

宗教の歴史の歪曲

  9.信仰と啓示とがそこから源を発すると近代主義者たちが目するこの過程において、1つの点が殊に留意されるべきです。と言うのも、この事は彼ら近代主義者がそこから引き出す歴史的結論のゆえにきわめて重要であるからです。彼らの言う不可知なるものは、信仰に対してなにか単一で、他の者と区別されたものとして現前するのではありません。反対に、[彼らによれば]「それは科学または歴史の範疇に属しながらも、それをある程度越え出るようなある種の現象と密接につながったかたちで現れる。そのような現象とは、それ自体何か神秘的なことを含んだ自然の事実の場合もあれば、あるいは、人格、行動、言葉が一見、通常の歴史の法則と合致させることができないように思われる人物の場合もある。現象と結びついた不可知なるものによって惹きつけられた信仰は、当の現象全体を捉え、そして、いわばそれに自らの生命をしみ通らせる。ここから、2つのことが結果として生じる。第一のことは当の現象の変容である。これは、そのもの自体の真の境位より以上に引き上げることを意味し、かかる昇化によって当の現象は、信仰がそれに付与する天主的な性格を帯びるのにより適したものとなる。第二の結果は、当の現象の一種の歪曲化とでも呼ぶことができるものである。これは、信仰が時間と場所の状況が取捨されたとき、信仰がその現象に、それが本当は有していない種々の特性を帰するという事実に起因する。そして、このような事態は特に過去の現象の場合に生じ、その現象の起こった年代が古ければ古いほど、より一層十全なかたちで発現する。」これら2つの原理から近代主義者たちは2つの法則を引き出します。そして、この2つの法則が彼らがすでに不可知論から導き出したところの第三の法則と結び合わされるとき、歴史的批判の基盤を構成することとなります。一例として、キリストのペルソナ[に関して彼らが立てている説]を挙げることができます。キリストのペルソナにおいて科学と歴史とは人間的でないものを何一つ見出さない、と彼らは言います。したがって、不可知論から導き出された第一の規範に基づき、キリストについて伝える歴史の中で何であれ彼の天主性を示唆する要素をことごとく排除しなければいけません。さらに第二の規範に従えば、キリストのペルソナは信仰によって変容させられたのですから、これを歴史的諸条件を越え出るほどに高めているものをすべて取り除かねばなりません。最後に、キリストのペルソナは信仰によって歪曲されたとする第三の規範は、キリストの人格、境遇、教育ならびに彼が生活した時代と場所に厳密に調和一致しない行い、言葉およびその他全てはことごとく除外されることを要求します。甚だ奇妙な推論の立て方ですが、ここにこそ近代主義的批判が存するのです。

宗教的感覚

  10.[彼らによれば]「このようにして、宗教的感覚は生命的内在を媒介として潜在意識の密やかな場から一切の宗教の芽生え、かついかなる宗教においてかつてあり、あるいは将来あるであろう全ての要素の説明となる。始めは未発達で、およそ形の定まらないものでしかなかったこの感覚は、それの起源である、かの神秘的な原理の影響を受けて、人間的生命 ───先に述べたように、この感覚は人間の生命のある種の形相であるが─── の進歩と共に徐々に成熟し[てき]た。そしてこれこそが、超自然的なものも含めてあらゆる宗教の起源である。なぜなら、諸々の宗教は、この宗教感覚の発展したものに過ぎないからである。カトリック宗教も、この例に漏れず、他の諸々の宗教と同列に置かれる。と言うのも、カトリック教も生命的内在の過程によって、ただこの過程を通してキリスト ───最も優れた性質に恵まれ、これに並ぶ者はかつてなく、これからもいないであろうこの人物─── の意識の中で生成されたものだからである。」こういったことを耳にするとき、私たちはかくも恐れ知らずの主張と涜聖とに身震いを禁じ得ません。しかるに尊敬する兄弟たちよ、これらは単に不信仰者の愚かしいたわごとではないのです。これらのことを公然と述べるカトリック信徒、および、あろうことか司祭らがいるのです。そして彼らはこれらのうわごとによって教会を改革しようとしているのだと豪語するのです。[ここで]問題となっているのはもはや、人間の自然本性が超自然的事物に対する一種の権利を有しているとする旧来の誤謬の一つではありません。近代主義の誤謬はこれをはるかに越え、私たちのいとも聖なる宗教が、キリストという人物においても、また私たちにおいても、自然本性から自発的に自ずから発生したと断定するとき、その頂点に達しました。確かに超自然的次元全体をこれほど徹底的に打ち壊してしまうものはないでしょう。このため[第1]ヴァチカン公会議が次のように定めたのは、きわめて正当なことでした。「もし誰かが、人間は天主によって自然本性を超える認識と完全性とにまで高められることができず、かえって自ら自身の努力ならびに着実な発達によって最後にはあらゆる真理と善とを所有するに至ると言うならば、彼は排斥されるように。」

知性と宗教的感覚

  11.尊敬する兄弟たちよ、これまで知性については一切ふれませんでした。近代主義者たちの教えに従えば、知性もまた信仰の行為において一定の役割を担っているのです。そして、それがどのような役割であるかを見ることは、[たいへん]重要です。これまで再三述べてきた当の感覚の中に ───と言うのも、感覚は知識ではないので─── 天主はご自分をお現しになるのだと彼らは言います。しかし彼らによれば、この意味では、天主は信仰者によってほとんど認識され得ないほど、混迷かつ不明瞭な仕方でしかご自分をお現しになりません。したがって、天主がくっきりと明るみに出され、感覚自体からは区別されるために、この感覚の上にある種の光が投げかけられる必要があります。そして、これこそ反省し、分析することを本分とする知性に課せられた務めなのです。そしてこれによって初めて人間は自らの内に生成する生命的現象を知的な図象に転じ、それをさらに言葉で表現するのです。ここから、近代主義者たちが共通に用いる言い回しが生まれます。すなわち、「宗教的な人は自分の信仰を考えなければならない」と。[彼らによれば]「この感覚に直面した知性は自らをその上に投じ、その中で年月と共にかすんでしまった描線をよりくっきりと修復する画家の要領で働きます。(この比喩は近代主義の指導者の一人によるものです。)この働きにおいて知性は二重の活動を果たします。第一に、自然的かつ自発的な行為によって知性は自らの概念を単純で通俗的な命題で表わします。」それから反省とより深い考察の上で、あるいは彼らの言い方を借りれば、自らの思惟を推敲することによって、その思念を、第一のものから由来しながらも、より正確かつ判然とした二次的な命題で表現するのです。これらの二次的な命題は、もしそれらが最終的に教会の最高教導権の承認を得るならば教義(ドグマ)となるのです。

教義の起源

  12.こうして私たちは近代主義者による体系の中でも主要な点の一つにたどりきました。すなわち、教義の起源および本性です。なぜなら、彼らは教義の起源を一定の側面の下では信仰に必要である種々の単純素朴な定式文に置くからです。と言うのも、啓示が真にその名に値するものであるためには、意識における天主についてのはっきりとした知識を必要とするからです。しかるに教義自体は二次的な定式文の中に存すると彼らは信じているように見受けられます。

教義の本性

  教義の本性を定めるために、私たちはまず宗教的定式文と宗教的感覚との間にある関係を見出さねばなりません。この関係は、これらの定式文が信仰者に自らの信仰についての説明を与える役割しかもたないとする者たちには、即座に把握されるでしょう。信仰との関係において、これらの定式文は、その対象となるものの不充分な表現であり、ふつう象徴(シンボル)と呼ばれます。[彼らによれば]「信仰者との関係において、それら定式文は単なる道具に過ぎません。」

象徴としての教義

 [彼らによれば]「したがって、それらの定式文が絶対的なかたちで真理を含んでいるという立場を保つことがおよそ不可能となります。なぜなら、それら定式文が象徴である限り、それらは真理の似像に過ぎず、それゆえ人間との関係における宗教的感覚に適合されねばなりません。また道具として、これら定式文は真理の伝達媒介であり、したがって、この意味では宗教的感覚との関係における人間に適合されねばなりません。しかるに、宗教的感覚の対象は絶対的なるものに含まれた何かとして、無限に多様な側面を有しており、あるときにはその中のあるものが、また別のときには別のものが姿を現すのです。同様に、信じる者もさまざまな状況を利用することができます。したがって、私たちが教義と呼ぶ種々の定式文は、こういった[状況的]変転に服さねばならず、それゆえ変化を被るものです。こうして、教義の内因的進化への道が開けるのです。」そして、ここに私たちは宗教全体を滅ぼし、荒廃させる巨大な詭弁の構造を見るのです。

教義の進化

  13.「教義は進化し得るだけでなく、進化しなければならず、また、変えられなければならない。」これは近代主義者たちによって強く主張されている点であり、彼らの奉じる原理に明白に由来するものです。と言うのも、彼らの教えの主要な点の中には、彼らが生命的内在の原理から導き出す次の教条があるからです。すなわち、「宗教的定式文が単に知的な思弁に止まらず、真に宗教的であるためには、生きたものでなければならず、宗教的感覚の生命を生きる必要がある」という主張です。かかる信条は、これら定式文が、特にそれらが単に想像の産物である場合、宗教的感覚のために案出されるべきである、という意味に解されてはなりません。これらの定式文の起源は、それらの数や質と同様、まったく重要ではありません。必要なのは、宗教的感覚が ───もし必要であれば何らかの調整・変更を加えて─── それらを生命的に同化吸収することです。言い換えれば、原初的な定式文が[信仰者の]心情によって受け容れられ、裁可されることが必要なのです。同様に、それに引き続いてなされ、二次的な定式文がそこから引き出されることになる知的労作もまた、心情の導きの下に進められねばならないのです。ここから、これらの定式文が生きたものとなるためには、信仰および信じる者に適合したものでなければならず、またそうあり続けねばならない、という結論が出てくるのです。したがって、もしいかなる理由によってであれ、この適合が存在しなくならば、それら定式文は始めに持っていた意義を失い、それゆえ変えられねばならなくなります。教義的定式文の性格ならびに命運がこのように不安定なものであるということを見れば、近代主義者たちがそれらをかくも軽視し、かくも公然と不敬の態度を示し、宗教的感覚および宗教的生活に対して以外は、いかなる考慮も賞賛も持ち合わせていないという事実はまったく驚くに値しません。そういうわけで、彼らはこの上ない大胆不敵さで教会を批判するのです。[彼らによれば]教会は種々の定式文の宗教的および道徳的意味とそれらの表面上の意味との区別をつけないことによって、また宗教[心]自体が失墜するのをみすみす見逃しながら、無意味な定式文にむやみやたらと頑迷に執着することによって、正道からはずれてしまったのです。[このような主張を成す]彼ら近代主義者は「盲人」、また学問という誇らしげな名におごり高ぶった「盲人の導き手」であり、永遠にすたれることのない真理の概念、および宗教の意味をねじ曲げるまでの愚昧の深淵に至ったのです。そこにおいて「彼らが新奇なものへの盲目で歯止めを欠いた情熱にかき立てられている様が見受けられます。彼らは何らかの、真理の強固な基盤を見出すことなどおよそ眼中になく、聖なる使徒伝承の伝統を蔑視して、他のむなしく不毛で不確かな、教会によって認められていない教理を奉じ、その上に真理そのものを打ち立て、保持し得ると、高慢のきわみをもって考えるのです。」

信仰者としての近代主義者

  14.尊敬する兄弟たちよ、これまで私たちは哲学者としての近代主義者を考察してきました。ここで、もし信仰者としての近代主義者を考察し、そして近代主義に従えば、どのように信仰者が哲学者から区別されるかを知ろうと思うならば、次のことに留意しなければなりません。すなわち、[近代主義によれば]「哲学者は天主的なるものの現実を信仰の対象として認めるとしても、この現実は哲学者によって見出されるものではなく、信仰者の心中に感情ならびに肯定の対象として、したがって現象の領域に限定されたかたちで見出される」のです。しかし[彼らによれば]「かかる現実がそれ自体として当の感情と肯定の外に存在するのかどうかという問いは、哲学者が看過し、なおざりにする問題です。反対に、信仰者としての近代主義者にとっては、天主的なるものがそれ自体として存在し、それを信仰する者におよそ依存しないということは、すでに確立した確実な事実です。」そしてもし、信仰者によるこの確固とした肯定はどのような根拠に基づいているのかと尋ねるならば、彼は「各人の個人的体験」こそそれであると答えるでしょう。この点において近代主義者は合理主義者と異なっており、むしろプロテスタントおよびエセ神秘家の見解に与する者となります。近代主義者は次のように問題を提示します。宗教的感覚において、人間を天主の現実と直接に接触させる一種の心の直感があることを認めなければなりません。この直感は天主の存在および人間の内と外における働きかけについて、いかなる科学上の確信をもはるかに超える確信を注ぎ込むのです。それゆえ、彼らは「現実的経験が存在し、それはあらゆる理知的経験をも凌駕するものである」と主張するのです。もし、かかる経験[の存在]が誰か、たとえば合理主義者によって否定されるなら、彼らは「それはこのような人々は、かかる経験を生み出すのに必要な道徳的状態に自らを置こうとしないからだ」と言います。「かかる経験こそが、それを得る人をして本来の意味で真の信仰者とする」と言うのです。

唯一の真の宗教の抹殺

  このような立場は、いったいどれほどカトリックの教えから離れていることでしょうか。すでに私たちは、このような見解に基づく種々の誤謬が[第1]ヴァチカン公会議によって排斥されたことを見ました。これから後、私たちはどのようにこれらの誤謬が、上で言及した種々の謬説と合わさって、無神論への広い道を開くかを見ていくことにしましょう。ここで、この体験についての教説が象徴主義の教説と結びつけられるとき、あらゆる宗教、異邦の宗教までもが真なるものとして見なされねばならなくなる、ということを指摘しておかなければなりません。いったい、このような体験がいかなる宗教においても見出されることを妨げるものがあるでしょうか。実際、この種の体験がいかなる宗教においても見出されると主張する者が少なからずいます。一体、いかなる根拠をもって近代主義者たちはイスラム教の信奉者によって断定される体験の真実性を否定することができるでしょうか。近代主義者たちはカトリック信者だけが真の経験を独占していると主張するでしょうか。果たして、近代主義者たちは否定するどころか、ある者はあいまいに、またある者はあからさまに、あらゆる宗教は真なるものであると主張しています。彼らが別様に感じることができないのは明らかなことです。なぜなら、彼らの理論に従う限り、いかなる根拠をもって、何某(なにがし)かの宗教の虚偽性を語ることができるでしょうか。無論、それは宗教的感覚の虚偽性のためか、あるいは精神によって述定された定式文の虚偽性のためか、そのいずれかでしょう。さて、宗教的感覚は、たとえその完全性に上下の差があるにしても、常に同一のものです。そして知的な定式文が真なるものであるためには、宗教的感覚ならびに信仰者 ───たとえ彼の知的能力がいかほどであろうと─── に呼応するだけで足りるのです。異なる宗教が対峙するにあたって近代主義者たちが主張できることは、せいぜいカトリック教はより多くの真理を持っている、なぜなら他の宗教にまして生気に満ち、またキリスト教の起源により充全に対応しているため、キリスト教の名により値するものであるからだ、ということくらいです。このような結論が[彼らの立てる]前提から出てくるということは、誰の目にも当然のことでしょう。しかるに、何よりも驚くべきことは、カトリック信徒や司祭の中に、このように甚だしく劣悪な理論を嫌悪しつつも ───そうであると私は信じます─── 、あたかもそういった考え方を完全に認めているかのように行動する者たちがいる、という事実です。と言うのも、彼らはこれらの誤謬を教える者たちに賞賛を惜しみなく与え、また公の栄誉を授けており、こうすることを通して、彼らの賞嘆が単に人物 ───称賛の対象となっている当の者たちが何らかの優れた点をもっているということは充分あり得ますから─── に対してだけでなく、むしろ、これらの者たちが公言してはばからず、力の限りを尽くして広めようとする誤謬のためである、という確信に至らせるからです。

宗教的体験と聖伝

  15.しかるに、カトリックの真理に完全に反した彼らの教説中のこの部分には、もう一つ別の要素があります。すなわち、体験に関して述定されることはカトリック教会によって絶えず保持されてきた聖伝にも当てはめられ、破滅的な結果を引き起こします。近代主義者たちによって理解される限りの伝承ないし伝統とは、「原初的体験を理知的な定式文を通して他の者たちと分かち合うこと」です。かかる定式文に彼らは、再現的価値の他に一種の暗示的効果があるとします。「この暗示的効果とは、まず第一に信仰者の内に宗教的感覚を惹起し、もしこの感覚が弛緩してしまうならば一旦獲得された体験を新たにするというかたちで働き、そして第二に、まだ信じていない者の内で初めて宗教的感覚を呼び覚まし、体験を生み出すというかたちで働きます。このようにして、宗教的体験は諸民族の間に広がるのです。そしてこれはなにも同時代の人たちの間に宣教を通してなされるだけでなく、未来の世代にも書物や口頭の伝承によってある者から他の者へと伝えられていくのです。ある時にはこのような宗教体験の伝達は根を下ろし、活気に満ちていますが、また別の時には、またたく間に枯れ衰え、死に絶えてしまいます。」近代主義者たちにとっては[あるものが]生きていること即ちそれが真であることの証明であり、それは彼らにとって生命と真理とはまったく同一のことだからです。このようなわけで、「現存している全ての宗教は等しく真なるものである」という結論に至るよう促されます。[彼らによれば]「もしそれらが真なるものでなければ生き残らないはず」だからです。

信仰と科学

  16.尊敬する兄弟たちよ、ここまで私たちは近代主義者たちが信仰と科学 ───この中に彼らは歴史学をも含めます─── との間に打ち立てる関係を把握するために、充分あるいは充分すぎるほどの材料を得るところまで考察を進めてきました。[彼らによれば]「まず第一に、このうちの一方にとっての対象物は、もう一方にとっての対象物とは異質で別々のものであるということが受け容れられなければなりません。なぜなら、信仰は、科学が自らにとって不可知なるものであると宣言するところのもののみに関わるからです。したがって、それぞれは自らに定められた別個の視野を有していることになります。科学は全く現象[のみ]に関わり、信仰はそれ(現象)にいっさい立ち入りません。反対に、信仰は天主的なるものに携わり、科学にとってそれは全く不可知な事柄です。」こういうわけで、「信仰と科学との間には決して反目が生じ得ない」という主張がなされるにいたります。なぜなら、もしそれぞれが自らに固有な場に留まるならば、両者は決して出会うことができず、そのため決して互いに矛盾対立し得ないからです。また、もし目に見える世界においては、キリストの人間としての生活のように、信仰に属する事柄がある、という反論がなされるならば、近代主義者たちはこれを否定するかたちで答えます。すなわち、「そういった事柄は確かに現象のカテゴリーに入りますが、しかるにそれらが信仰によって生きられ、また先に述べた仕方で信仰により変容および歪曲される限りにおいて、そういった事柄は感覚の世界から取り去られ、天主的なるもの[を形成するため]の素地となる」のです。それゆえ、キリストが本当の奇跡を行い、また、本当の予言を語ったのか、そして真に死者の中から復活して天に昇ったのかと、さらに問わねばならなくなりますが、不可知論の立場をとる科学の答えは否定的であり、信仰の側の答えは肯定的なものとなります。しかるに、このために両者の間に対立が生まれることは一切ありません。なぜなら[彼らによれば]「この種の事柄は哲学者に対して語り、キリストをその歴史的現実においてのみ考察する、哲学者たる限りでの哲学者によっては否定されますが、信仰者に語りかけ、キリストの生涯を信仰によって、また信仰の内に再び生きられるものとして捉える信仰者たる限りでの信仰者によっては肯定されるから」です。

科学に従属する信仰

  17.しかしながら、これらの理論に従う限り、信仰と科学とは互いに対して完全に独立していると考えて差し支えないと推量するなら、大きな誤りを犯すことになるでしょう。科学の側に関する限り、実際それはきわめて真実かつ正しいのですが、しかし信仰に関しては、まるでそうではありません。[彼らによれば]「信仰は科学にただ一つのみならず、三つの理由によって従属するからです。なぜなら第一に、あらゆる宗教的事実において、天主的現実ならびにそれについて信仰者が有する体験を取り去るなら、他の一切のもの、特に宗教的定式文は現象の領域に属すこととなり、したがって科学の支配下にくだることになります。もし望むならば信仰者に世界の外に行かせましょう。しかし、それは彼が世界の中に留まる限りの話です。好もうと好ままいと、彼は科学と歴史の法則、観測、判断とから逃れることはできないのです。さらに、天主は信仰のみの対象であると唱えられているにしても、これはただ天主的現実のみについて言われていることであり、天主の観念については当てはまりません。後者はまた科学の考察主題でもあるからです。すなわち、科学が論理的次元と呼ばれるものにおいて哲学的思索をめぐらすとき、絶対的なもの、観念的なものにいたるまで舞い上がるからです。それゆえ、天主の観念についての認識を形成し、それをその進化[の過程]において導き、かつその中に混じり込んでしまっているかもしれない外から加えられた異質な要素の一切から浄めるということは、哲学ならびに歴史の権利に属することです。」ここから、「宗教的進化は道徳的・理知的事柄と一致するようにはかられねばならない」、もしくは彼らが指導者と目するある者が言い表したように、「宗教的進化は道徳的・理知的事柄に従属されねばならない」という近代主義者の定理が出てくるのです。結局、人間は自らの内に二重の原理が存在するということに耐えられず、また、それゆえ信仰者は自らの内に信仰を科学と調和させ、そうすることによって科学が宇宙について定める一般的概念に信仰が決して対立しないようにする、駆り立てるような必要を感じるのです。

  このようなわけで、科学が信仰に全く依存しないとされ、他方、その両者は互いに縁遠いはずなのにも関わらず、信仰は科学に従属するものとされるのです。尊敬する兄弟たちよ、こういったこと全ては、私の前任者ピオ九世の教説に明らかに反しています。同教皇は、次のことをしかと定めたのでした。「宗教的事柄における哲学の務めは命令することではなく仕えることであり、信じられるべきことを定めるのではなく、理性的な恭順をもって信じられるべき事柄を拝受することであり、天主の神秘の深みを詮索するのではなく敬虔に、そして謙虚にそれを崇敬することです。」 

  近代主義者は、この順序を完全に逆転させてしまいます。したがって彼らには、私のもう一人の前任者グレゴリオ9世が、当時のある神学者たちに対して述べた言葉が当てはまるでしょう。「あなた方のなかのある者たちは高慢の精神で浮き袋のようにふくれ上がり、涜聖的な種々の新思想によって、教父たちにより定められた境界を乗り越えようとするのです。この際、彼らは理性主義者の哲学的教条に合わせて聖なる原典の意味をねじ曲げるのですが、それは聴衆の利益のためではなく、学識のあるところを見せびらかすためなのです。これらの者たちは種々の珍奇な教説にたぶらかされて上のものを下にし、女王を下女に仕えるよう無理強いするのです。」

近代主義者の用いる方法

  18.誰であれ、近代主義者たちの行動を研究する者には、その教えるところに完全に合致する彼らの方法論は、より明らかに知られるでしょう。著作および講演において、近代主義者は互いに対立する教理を提唱しているように見受けられることが少なからずあり、このため、ともすれば彼らの態度を裏表があり、疑わしいと見なしてしまうことにまります。しかし、これはわざと熟慮の上でなされるのであり、その理由は信仰と科学の相互の分離に関する彼らの思想の内に求められなければなりません。このようなわけで、近代主義者の著作をひもとけばカトリック信者によって承認され得ることがいくらか見出されるのですが、ページを繰るうちに、いかにも理性主義者によって述べられそうなことを記した他の箇所に出くわします。近代主義者が歴史を書く際、彼らはキリストの天主性についていかなる言及もしませんが、説教台に立てばはっきりとこれを言明するのです。また、歴史[の研究]に携わる際、彼らは教父や諸公会議のことを気にも留めませんが、人々に要理を教えるにあたっては、それらを恭(うやうや)しく引用します。同様に、彼ら近代主義者は、神学的および司牧的な聖書釈義と科学的で歴史的な聖書釈義とを区別します。したがって、彼らが科学は信仰に全く依存しないという原則に基づいて哲学や歴史、批判学に携わる際、ルターの足跡にしたがって歩むことに彼らは別段何の恐れも抱かず、かえってカトリックの教理、諸々の教父と公会議、教会の教導権に対する軽蔑を表わすのが常です。そしてこのために非難される場合、彼らは「自分たちの自由が奪われている」と不服を申し立てます。「信仰は科学に従属しなければならない」という理論を支持する彼らは、「教会が自らの教義を哲学の憶説に従属かつ適合させることを頑なに拒んでいる」として非難します。しかるに、他方、上述の目的のために旧来の神学をぬぐい去った彼らは、哲学者の逸脱した諸説を支持する新しい神学を導入すべく努めるのです。

神学者としての近代主義者

  19.尊敬する兄弟たちよ、ここにいたって神学の領域における近代主義者について考察する道が開けました。これは困難な課題ですが、簡潔に処理し得ることでもあります。[ここで]問題となるのは信仰と科学の和合を成し遂げることですが、これは常に一方を他方に従属させるというかたちでなされます。この問題において近代主義者の神学者は、近代主義者の哲学者によって用いられるのと全く同一の原理、すなわち内在ならびに象徴主義を採用し、それらを信仰者に適応します。このプロセスはきわめて単純なものです。[近代主義の]哲学者が「信仰の原理は内在する」と宣言すれば、信仰者はそれに「この原理は天主である」と言い加え、神学者は「天主は人間の内に内在している」という結論を導き出すのです。こうして神学的内在という理念が生まれます。同様に哲学者はまた、「信仰の対象を表現したものは単に象徴的なものに過ぎない」ということを確実なこととして見なします。信仰者もまた同様に「信仰の対象は天主それ自体である」と言明し、神学者は「天主的現実を表現したものは象徴的なものである」と断定します。このようにして神学的象徴主義が生まれます。これらの誤謬はまことに誤謬の中でも最も重大な部類に属するものであり、両者の有害な性格は、それらの生む結果を検証することを通じて明らかに知られます。と言うのも、まず象徴主義から始めるなら、「象徴はその対象となっているものに対しては[あくまで]象徴であり、また信仰者に対しては単なる道具にしか過ぎない」ため、近代主義者の教えるところに従えば「信仰者は定式文たる限りにおいての定式文に過大な強調を置かないことが第一に必要となる」のです。したがって「信仰者はかかる定式文を、それが同時に明かし、かつおおい隠す、すなわち表現しようとしながら決してそれを完遂しないところの絶対的真理へと自らを一致させる目的でのみ用いるようにしなければならない」のです。近代主義者はまた、信仰者が種々の定式文を、それらが彼にとって助けとなる限りにおいてのみ用いさせようとします。と言うのも、かかる定式文は妨げとしてではなく、助けになるものとして与えられているものだからです。しかしながら、この際に公の教導権が一般共通の意識を表わすのに適当だと判断した定式文に対して、その同じ教導権が別様に規定する時まで払われるべき社会的敬意へのふさわしい配慮を怠らないようにしなければなりません。内在に関しては、近代主義者たちがそれをもって厳密に何を意味するのかを見定めることは容易ではありません。なぜなら、これについて彼らの見解はまちまちだからです。ある者たちはこの言葉を、「人間の内に働く天主は、人間が自分自身の内にあるよりも、より親密に現存している」という意味に解しますが、かかる概念はもし適当に理解されるならば非の打ちどころのないものです。他の者たちは、「天主の働きは自然本性の働きと同一である、なぜなら第一原因の働きは二次的原因の働きと同一であるから」と主張します。このような考え方は超自然の次元を抹消してしまうことでしょう。最後に、また別の者たちは内在という概念を汎神論がかった流儀で説明するのですが、実際これが近代主義者が標榜する他の諸々の教条に最もよく適合する意味なのです。

天主的永在の原理

  20.この内在という原理には、天主的永在と呼ぶことのできる、もう一つの原理が関連しています。後者と前者との違いは、「個人的な体験」と「伝承によって伝えられる体験」との間にある違いと、ほぼ同じです。この天主的永在というものが何を意味するかを明らかにする例が、教会と秘跡との中に見出されるでしょう。近代主義者によれば、「教会および秘跡はキリストによって制定されたものと見なされるべきではない」のです。「このように見なすことは、キリストの中に、全ての人と同様その宗教的感覚が徐々に段階を追って形成されていった一人の人物しか認めない不可知論によって禁じられている」からです。それはまた、近代主義者が外的適用と呼ぶところのものを否定する「内在の法則」によっても禁じられます。それはさらに、種子の発達のためには時間、および特定の一連の状況が必要だとする「進化論」によって禁じられています。最後にそれは、事実、このように物事は進んできたのだと示す「歴史」によって禁じられるのです。しかるに近代主義者は、「教会および秘跡のどちらも、キリストによって間接的に制定されたと信じるべきだ」としています。しかし、どのようにと言うのでしょうか。それは次のようにしてです。近代主義者によれば、「全てのキリスト者の良心ないし意識は、ちょうど植物が種の中に含まれているように、キリストの意識の中にある意味で、実質的に含まれていたのです。しかし、枝々が種の生命を生きるように、全てのキリスト者もまた、キリストの生命を生きると言われねばなりません。しかるに、キリストの生命とは、信仰に従えば天主的なるものであり、したがってキリスト者の生命も天主的なるものとなります。そして、もしこの生命が長い年月を経て教会ならびに秘跡を生み出したのであるとすれば、それらはキリストに起源を発し、天主的なものであると言って全くさしつかえないことになります。」同様の論法で、彼らは聖書ならびに教義が天主的であることを論じ立てます。そして、ここにおいて近代主義の神学はその完成を見ると言うことができるでしょう。まことに脆弱な思想体系ですが、科学の結論はそれがどのようなものであろうと常に受け入れられねばならない、と公言する神学者にとっては、これで充分すぎるほどなのです。誰でも、これらの理論を私が取り扱おうと試みる[近代主義の教条の]他の諸点に容易に当てはめてみることができるでしょう。

教義と秘跡

  21.これまで私たちは[近代主義の教条に即して]信仰の起源と本性についてふれてきました。しかるに、信仰には多くの区別された部分があり、そしてその中でも主要なものに教会、教義、礼拝、信心、ならびに私たちが「神聖な」ものと呼ぶ諸書があるので、近代主義者がこれらについて何を教えているかを知ることが、私たちの[当面の]課題となります。まず教義について言うと、私はすでにその起源と本性とを指摘しました。教義は一種の衝動あるいは必要から生まれます。これ(教義)によって信仰者は自分の思念を練り上げて、自らの意識と他者のそれとにとって、より明白なものとするのです。かかる練り上げはことごとく、原初的で素朴な精神内の定式文を検証し、洗練する過程の中に存しています。しかるにそれは、それ自体において、何らかの論理的説明に即してなされるのではなく、状況に即して、あるいは近代主義者たちが用いるこれよりいささか解りにくい表現に従えば、生命的になされるのです。そのようなわけで、始原的な定式文を取り囲むようにして二次的な種々の定式文が ───すでに私が指摘したように─── 徐々に形成され続け、そしてこれらは引きつづいて一つのかたまり、ないしは一つの教理的構築物にまとめられ、さらに公の教導権によって一般共通の意識に呼応するものとして承認され、教義と呼ばれるにいたるのです。教義は神学者たちの思索から慎重に区別されるべきですが、後者もそれなりの有用性をもっています。と言うのも、かかる思索は教義のもつ生命にみなぎっていないとしても、宗教と科学を調和させ、両者の対立を取りのぞくと共に、宗教を外側から照らし、擁護するために有益であり、さらには将来定められる教義のための材料を準備することにもなるからです。礼拝については、この題目の下に、それに関して近代主義の誤謬がこの上なく深刻な様相を呈するところの秘跡が含まれている、ということの他にはあまり言うことはないでしょう。近代主義者にとって「秘跡とは二重の衝動ないし必要から結果するもの」です。なぜなら、すでに見たように、彼らの体系においては「万事が内的な衝動ないし必要によって説明される」からです。「最初の必要とは宗教に何か感覚で捉え得る表明[の手段]を与えることであり、第二の必要とは、それを表現することです。しかるに、これは何らかの感覚で捉え得る形および聖化の行為なしには成され得ず、それらを称して秘跡と呼ぶ」のです。しかし、近代主義者にとって「秘跡はある一定の効能に欠けるものではないにしても、ただの象徴あるいは印でしかない」のです。彼らの言うところによると、「かかる効能とは、一般民衆の耳を捉えるべく通俗的な表現を用いたある種の言い回しが持つのと同様のもの、すなわち、何かの枢要な理念を巷に広め、そして精神に著しい印象を与える力を有しているという意味での効能」なのです。「言い回し」が「理念」に対するのと同様の関係を「秘跡」は「宗教的感覚」に対して持つに過ぎません。もし近代主義者が、秘跡はただ信仰を育むために制定されたと言明したなら、それは彼らの考えるところをより明白に表わすことになるでしょう。しかるに、これはトリエントの公会議によって排斥されています。「もし誰かが、これらの秘跡は信仰を育むためだけに制定されたと言うならば、彼は排斥されるように。」

聖書

  22.聖書の本性と起源については、すでにふれました。近代主義者の原理に従えば、聖書は体験の集大成と呼んでさしつかえのないものです。しかるに、ここで言う体験とは、誰にでも時として起こり得る種類のそれではなく、「あらゆる宗教が有している並外れた顕著な体験」のことです。そして、これこそ近代主義者が旧・新約聖書に含まれる諸書典について教えるところなのです。しかし、自分たちの理論に適合させるために、彼らはたぐいまれな巧知をもって、こう指摘するのです。「たしかに体験は現在に属する事柄であるが、信仰者が記憶によって現在と同様の仕方で過去を再び生き、未来をすでに期待によって生きる限りにおいて、その素材を過去および未来からも同様に汲み取ることができる」のだと。こう考えることによって、歴史的ならびに黙示的な書が正典の中に含まれているという事実の説明がつきます。天主は事実、これらの著作において信仰者を通して語られるのですが、しかるにそれは近代主義神学に基づき、ただ内在と生命的永在によってのみ、そうされるのです。それでは一体、天主的霊感はどうなるのでしょうか。彼らは答えて、「天主的霊感とは信仰者が自らの内にある信仰を著述を通して啓示するようにつき動かすところの衝動と、おそらくその激しさの他は全く変わるところがないものである」と言います。「これは詩的な霊感において起こることと同様のものです。さて、この詩的な霊感については、次のように言われてきました。『私たちの中には天主がいて、天主が動くとき、私たちは炎で燃え立たされる』と。この意味においてのみ、天主が聖書の霊感の起源であると言われる」のです。近代主義者はさらに、この天主的霊感ということについて、聖書の中にはそれに欠くものは一切ない、と断言しています。この点に関して、ある人たちは、彼らが天主的霊感[の及ぶ範囲]をいささか限定する ───例えば、いわゆる暗黙の引用と称されるものに限ってそれを認める─── 近年のある著作家たちに比して、より正統であると考えてしまうかもしれません。しかし、こういったことすべては単なる言葉上の作り事に過ぎません。なぜなら、もし聖書を不可知論の基準にしたがって、つまり人々によって人々のためにつくられた人間の所作として ───もっとも[近代主義の]神学者はそれが内在によって天主的なるものであると述べることが許されますが─── 見なすならば、一体、天主的霊感の余地はどこにあるでしょうか。近代主義者たちは聖書に一般的なかたちで及ぶ霊感が存在するとは言うのですが、カトリック的な意味での天主的霊感は一切認めないのです。

教会

  23.近代主義学派が教会の本質と見なすところのものについては、非常に多くのことを述べることができます。彼らはまず、「教会は二重の必要に基づいて生まれた」という憶測から論議を始めます。「第一に、個人としての信仰者が、殊に彼が何か他に類を見ない特別な体験をした場合に、自分の信仰を他者に伝達する必要が生じ、第二に、信仰が多くの人に共通のものとなったとき、一つの社会へと発展し、共通善を守り、促進し、伝播するための集団としての必要です。それでは、教会とは一体なんでしょうか。それは集団的意識、すなわち個々人の良心ないし意識の集合から生じるものであり、内在の原理によって一人の最初の信仰者たる者 ───それはカトリック者にとってはキリストです─── にことごとく依存するものです。ところで、あらゆる社会はその成員を共通の目的へと導き、一致団結を生む要素 ───宗教的社会においては教理および礼拝です─── を育む指導的権威を必要とします。ここからカトリック教会における規律、教義、典礼を司る三重の権威が生じます。この権威の本質はその起源から、またそれが有する諸々の権利ならびに義務は、その本質から推し量られるべきものです。過去には、権威が教会の外から、すなわち天主から来るというのが一般の誤謬でした。そして当時、かかる権威は正しくも専制的なものと見なされました。しかし、今ではこのような概念はすたれてしまいました。と言うのも、教会が集団的良心ないし意識の生命的発出であるのと同様、権威もまた、教会自体から生命的に発出するからです。したがって、権威は教会と同様、宗教的感覚の内にその起源を有しており、そのため、これに従属するのです。もし権威がこの依存関係を否定するならば、専制になってしまいます。実際、私たちは自由の感覚が最高の発展を遂げた時代に生きているからです。世俗的領域においては、民衆の意識が人民的政府の導入にいたらせました。ところで、人間の中には、ちょうど一つの生命しかないように、一つの意識しかありません。したがって、民主的形態を採択するのは教会の権威 ───もっとも、当の権威が人類の意識の中に内部的対立を引き起こし、助長することを望むなら話は別ですが─── ということになります。これを拒否することは破滅的な結果をもたらします。なぜなら、今日当たり前となっている自由の感覚が後退し得るということは、あろうはずもないからです。もしそれが力ずくで抑圧され、束縛されたならば、その爆発はより恐ろしいものとなり、教会と宗教をひとまとめに一掃してしまうことでしょう。」近代主義者の心中に思い描かれた状況はかくのようなものであり、したがって彼らが大いに心にかけている一事は、教会の権威と信仰者たちの自由との間に折り合いをつける手段を見出すことです。

教会と国家の関係

  24.しかるに、教会が折り合いをつけなければならないのは、その内輪だけではありません。内側にいる者たちとの関係の他に、外側にいる者たちとの関係があるからです。教会は世界全体を埋め尽くしているわけではありません。世界には他の諸々の社会があり、教会は必然的にそれらと交渉ならびに接触を持たなければならないのです。したがって、教会が世俗的社会に対して有する諸々の権利と義務は無論、教会自身の本性によって、すなわち近代主義者がすでに描き出してみせたところの本性によって決定される必要があります。この問題において適用されるべき原則は明らかに科学と信仰のために定められたものと同一ですが、後者の場合、問題は対象であったのに対し、今取り扱っている事柄においては目的が問題となります。したがって同様に、「信仰と科学はそれぞれが対象とするものの相違のゆえに互いに無関係であるように、教会と国家とは両者の目的の相違のために互いに無関係なものとなる」のです。すなわち「教会の目的が霊的なものであるのに対し、国家の目的は地上的なものだから」です。[彼らによれば]「一昔前は地上的な事柄を霊的な事柄に従属させ、ある種の問題を混合的な問題として扱い、教会にそういった事柄全てにおいて女王ならびに女主人の地位を与えることが可能でした。と言うのも、教会はその当時、超自然的次元の造り主たる天主によって直接打ち立てられたものだと見なされていたからです。しかし、このような教理は今日、哲学者によっても歴史家によっても認められていません。したがって国家は教会から分離されなければならないのであり、またカトリック信徒[としての個人]は市民[としての個人]から分離されなければならないのです。各々のカトリック信徒は、彼がまた同時に市民でもあるという事実により、自分が一番適当だと思うやり方で共通善のために働く権利と義務とを有しているのです。この際、彼は教会の権威にいちいち配慮する必要はないのであり、教会の望みや勧め、命令に少しも留意せず、否、教会の譴責に反してまでも行動する権利を持っています。教会が市民のために行動の指針を策定し、指示することは権威の乱用を犯すこととなり、これに対して人は全力を尽くして戦う義務があります。」尊敬する兄弟たちよ、これらの教条の元となっている諸々の原理は、先任者ピオ六世により、使徒教令『アウクトレム・フィデイ』を通して荘厳に排斥されたものです。

教会の教導権

  25.しかるに近代主義派にとって、国家が教会から分離されるということだけでは充分ではありません。と言うのも、[彼らによれば]「現象的な事柄に関する限り信仰が科学に従属させられるべきであるのと同様、地上的事柄において教会は国家に従属せねばならないから」です。このことを近代主義者たちはまだ公然と口にすることはないかもしれませんが、しかし彼らは自分たちの指示する命題の論理的帰結として、これを認めないわけにはいきません。なぜなら、[彼らによれば]「地上的事柄において国家のみが権利を有しているとするならば、信仰者が宗教の単に内的な行為だけで飽き足らず、例えば秘跡の授受などのような外的行為に及ぶとき、これらは国家の規制の下におかれます。そうすれば外的行為のみによって行使され得る教会の権威は一体どうなってしまうでしょうか。当然それは完全に国家の支配下におかれることになる」からです。まさに、この避けることのできない結論のために、多くのリベラルなプロテスタントは一切の外的礼拝、否、一切の宗教的共同性を拒絶し、そして彼らが言うところの個人的宗教を標榜しているのです。もし近代主義者たちが、あからさまにはまだそこまで行っていないとしても、彼らは「自分たちの示す方向付けに教会が自発的に従い、かつ国家の形態に自らを適合させる」ことを求めるのです。以上が規律的権威についての彼らの考え方です。しかるに、教理的また教義的な権威に関する彼らの見解は、はるかに悪辣かつ有害なものです。教会の教導権について彼らが抱く概念は以下のようなものです。彼らが述べるところによれば、「その成員の宗教的意識が一致し、かつ彼らが採択する定式文もまた一致しているのでなければ、いかなる宗教的社会も本当の意味で一つにまとまった集団となり得ないのです。しかるにこの二重の一致のためには、この共通意識に最もよく適合する定式文を見出し定める一種の共通精神が必要となります。さらに、決定された宗教的定式文を共同体に課する権威がなければなりません。」近代主義者に言わせると、「これら二つの要素の結合および一種の融合から、教会の教導権の観念が生まれる」のです。そして「この教導権は、つまるところ個々人の意識から発生するのであり、公共の利便をはかるべく附与される委任権をそれらの人々の益のためにこそ有するのですから、当然、教会の教導権はその成員に依存するのであり、それゆえ一般民衆の理想となっているところのものに追従しなければならないのです。個人の良心が自ら感ずるところの衝動を自由に公然と表明するのを妨げること、教義がそのたどるべき必然的進化の道のりをたどるよう強く促す批判の働きを阻むことは公共の福利のために与えられた権利の正当な行使ではなく濫用に他なりません。同様に、権威の行使においても、しかるべき方法と度合いとが守られなければなりません。著者の与り知らぬうちに、本人の説明を聞くことも話し合うこともなしに著作を排斥し、発禁処分にすることは、およそ圧制と変わりないことです。ここでもまた、問題となるのは、権威の側の十全な権利と自由の側の十全な権利との間で折り合いをつける方法をなにか見つけ出すことです。カトリック者にとっての取るべき道は、権威に対する深い尊敬を抱いていると公言しつつも、決して自分自身の判断に従うことをやめないことです。」教会に対して近代主義者たちは次のような方向付けを示します。すなわち、「教会の権威は、自らの目的が完全に霊的なものであることに鑑みて、公衆の眼前にその姿を飾るところの外的な壮麗さを脱ぎすてなければなりません。」かかる主張を成すに当たって、彼らは宗教は霊魂のためのものであるとは言え、ただ霊魂のためのみのものではなく、また権威に対して払われる敬意は、それを制定したキリストご自身に帰されることになる、という事実を忘れているのです。

教義の進化

  26.尊敬する兄弟たちよ、信仰とその多様な部分についてのこの問題を総括するに当たって、私たちはまだ近代主義者たちが信仰とそれを構成する各部分の発展について述べていることに考察を加えてみなければなりません。まず第一に、彼らは「生きた宗教においては一切が変化に服しており、また事実、変えられなければならないという一般的原理」を定めます。このようにして彼らは、事実上彼らの中心的教条となっているもの、すなわち「進化」へと議論を進めるのです。[彼らによれば]「進化の法則には一切のものが服しており、これに背くことは死を意味します。教義、教会、礼拝、神聖なものとして私たちが崇敬する書典、そして信仰そのものさえ、この例にもれません。」この原則をあからさまに述べたところで、近代主義者がこういった事柄のそれぞれについて唱えていることを念頭に置く人の中、誰も驚きはしないでしょう。この進化の法則を打ち立てて後、近代主義者たちは自ら、どのようにそれが働くかを説明します。まず第一に、信仰について彼らは説明します。彼らの述べるところによれば、「信仰の原初的形態は未発達で万人に共通なものでした。それは、かかる形態が人間の自然本性および人間の生命に起源を有するものだったからです。生命的進化は進歩をもたらしましたが、それは新しい、純粋に付帯的な形態を外部から増し加えられることによってではなく、宗教的感覚が良心内に一層深く浸透することによって生じました。さて、この進歩には2つの種類があります。消極的進化とは、例えば家系や国籍に由来するもののような、本質的でない要素をことごとく排除することによって生じる進化です。積極的進化とは、人間の知的および道徳的洗練によってもたらされる進化であり、これによって天主的なるものについての観念はより十全かつ明晰なものとなり、また宗教的感覚は一層鋭敏になります。信仰の進歩に対しては、先に信仰の起源を説明するために挙げられたのと同じ諸原因が当てはめられます。しかるに、これらの原因に加えて、私たちが預言者と呼ぶところの並外れた人たち ───この中でキリストは最も偉大な者でした─── を挙げなければなりません。それは、一つには彼らの生活ならびに言葉の中に、信仰が天主的な存在に由来するものとした、神秘的な何かがあったからであり、もう一つには、これらの人々は、彼らの時代の宗教的必要に完全に合致した新しい独自の体験をする命運を有するにいたったからです。教義の進歩は主に、信仰に対する障害は乗りこえられねばならず、その敵はうち負かされ、異論は反駁されねばならない、という事実によるものです。また、これに加えて信仰の奥義に含まれている事柄に、より一層深く分け入ろうとするたゆまぬ努力を挙げねばなりません。このようなわけで、他の例はさておき、キリストにおいてはこのような事態が生じたことがわかるのであり、彼において、信仰が彼の中に認めるところの、かの天主的な何かがゆっくりと徐々に拡大されてゆき、終いには天主であると見なされるまでになったのです。礼拝の進化を生じさせる主要な刺激は、さまざまな民族の風俗習慣に適合する必要、ならびに特定の行為が慣習として得ることになった価値を利用する必要のうちに存します。最後に、教会自体における進化は、歴史的状況に適合し、既存の社会の形態に自らを調和させる必要によって力を得[て進行し]ます。」以上が、これらのものそれぞれの進化についての彼らの見解です。さてここで、これ以上先に進む前に私は必然性ないし必要に関するこの理論全体にあなた方の注意を喚起したいと思います。なぜなら、私たちがこれまで見てきたことの何物にも優って、この教条は彼ら近代主義者が歴史と呼ぶ、かのよく知られた手法の基礎かつ土台であるからです。

伝統と進歩

  27.進化は諸々の必要ないし必然性によって促されるとはいえ、もし、ただこれらのみによって統御されるならば伝統の境界線をたやすく越え出てしまい、こうして、その原初的な生命原理から切り離された進化は、進歩よりもむしろ衰退をもたらすこととなるでしょう。このため、近代主義者の近代主義者のをつぶさに研究する者たちによって、「進化とは、一方は進歩に、もう一方は保守へと向かう2つの力の拮抗から生じるもの」として説明されています。[彼らによれば]「保守をはかる力は教会の中に存し、また伝統の中に見出されます。伝統は宗教的権威によって代表されますが、これは正当な権利に基づいて、また事実としてそうなっているのです。正当な権利に基づいて、というのは、伝統を保護することが権威の本性自体に属することだからです。また、事実として、というのは、生活上の具体的な事柄のはるか上に上げられた権威は、進歩のつき動かす力をほとんど、あるいはまったく感じないからです。それと反対に、内部の必要に呼応する進歩的な力は個々人の良心の中にあり、そこで働きますが、これは生活と密接かつ親密な接触を持っている人々の良心において特にそうです。」尊敬する兄弟たちよ、すでに私たちは一般信徒をして教会における進歩の要因たらしめる、この上なく有害な教説が導入されるのを目にしています。さて、保守と進歩というこの2つの勢力間、すなわち権威と個々人の良心との間でなされる一種の協定および妥協によって変化ならびに進歩が生まれるのです。個々人の良心または、ある特定の人々の良心が集合的良心に働きかけ、この集合的良心は権威の保持者に、それらの人々の良心と折り合いをつけ、またそれに従うよう圧力をかけるのです。

近代主義者たちの屈折した性質

  こういったことをみな考慮に入れれば、近代主義者たちが譴責や処罰を受ける際に表わす驚きのわけが分かります。誤ちとして彼らに帰せられることを、彼ら自身は神聖な義務と見なしているからです。彼らは人々の良心の必要を他の誰よりもよく理解しています。なぜなら、彼らは教会の権威よりも、より緊密に人々の良心と接して [と考えて] いるからです。否、彼らはいわば自らのうちに人々の良心を体現している[と考えている]のです。このため、彼らにとって公然と語り、著述をおこなうことは決して怠ってはならない義務なのです。もし望むならば権威は彼らをとがめればいいでしょう。彼ら近代主義者は自らの良心、ならびに自分たちは非難ではなく、称賛にこそ値するという確信を抱かせる直接の体験を自らの側にもっています。それから彼らは、結局のところ逃走なしに進歩なく、また犠牲者のでない逃走もないと考え、そして預言者やキリストご自身のように自分たちが犠牲者となることをあえて辞しません。彼らは自分たちを荒々しく取り扱う権威に対して、いささかの恨みも心に抱いていません。なぜかと言うに、彼らは結局のところ権威は権威としての義務を果たしているに過ぎないと認めるのにやぶさかではないからです。彼らにとっての唯一の悲しみは、権威が彼らの発する警告に耳を閉ざし、こうして人々の霊魂の進歩を妨げていることです。しかるに、これ以上[進歩を]引きのばすことがもはや不可能となる時が来ることは、およそ確実です。なぜなら、たとえ進化の法則はしばらくの間押し止められ得るとしても、最終的には、それから免れることはできないからです。このように考えて、彼らは譴責や排斥にも関わらず、信じがたい大胆さを見せかけの謙遜で覆いかくし、自らの道を行くのです。頭を下げるふりをしつつも、彼らの心と手は自分たち退きとを成し遂げるべく、以前にもまして大胆となるのです。そして彼らはこのようなやり方に、望んで知りつつ従うのです。それは、権威は転覆されるのではなく、刺激されるべきものである、ということが彼らの思想体系の一部を成しているからであり、また集合的良心を徐々に改変するために、彼らが教会の階層中に留まることが必要だからでもあります。そして、このように述べるに当たって彼らは、集合的良心は彼らの許にないこと、また、彼らはかかる良心の解釈者を名乗るいかなる権利もないことを告白していることになります。


人である聖体 聖体は父である: 天にましますわれらの父よ、願わくは御名(みな)の尊まれんことを、御国(みくに)の来らんことを、御旨(みむね)の天に行わるる如く地にも行われんことを。

2018年10月03日 | カトリックとは
人である聖体

聖体は父である

 礼拝 最後の晩さんの席上で、別離の御言葉をお告げになったとき、悲しみに沈んだ人たちに向かい、『小さき子よ、恐るるなかれ、われなんじらを、みなし子として残さじ』とおおせになって彼らを慰められたイエズスよ、私たちは、聖体の中においでになる御身を『父』という甘美なみ名のもとに、子の信頼をもって礼拝したてまつる。『父よ』しかり、御身は父である。御身のような父は、ほかにまたとこの世にいない。子に生命を与え、これを育て、保護するのが父である者の務めであるなら、これこそ、御身が聖体の中で日夜をわかたず営まれるそのみわざでなくて何であろうか。

 私たちが超自然的生命を得たのは、御身の尊い御血の功徳によってである。主よ、御身は寸時もお休みにならず御血を流し、天主の子の数をふやしておいでになる。私たちの受けたこの生命は、いとも尊く、いとも神聖な天主の生命、不朽にして祝福された生命であった。ああ、主はいかに恵み深く、いかに偉大な父であることだろうか。

 次に、御身によって与えられたこの生命は、つづいて高価な要素、材料によって養われ成長する必要がある。この世でも、子どもらの生活を保障し、彼らに財産をわかち、少なくとも、毎日のかてを与えることは、一家の父の大きな心づかいではないだろうか。家族を養うために彼は日々労働し、苦心する。疲労して倒れる生涯の最後の日まで、彼はただそのためにだけ生きている。そして、その最後にあたって、わが子の教育のために必要な貯蓄を残すことができたのを喜び、安心して死ぬのである。ああ、わがあわれみ深く何ごとをも予知なさる父よ、御身は聖体の秘跡を定めて、私たちのため、すべてこれらのことを用意されたのである。

 御身はカトリック教会の穀物倉に尊い麦を山と積み上げ、その穴倉に無尽蔵のぶどう酒を貯えて私たちのために食卓を準備し、また、そこに無数の子どもを連れる使者まで用意された。そして小から大に至るまでのすべての人々が、御身の汗のかたまり、御血と御肉とからなるパン、御身ご自身と御身の生命とにほかならない尊いパンを、ここで飽きるまでに与えられるのである。ああ、いともやさしき忠実なる父よ、御身の子どもが飢餓の悩みを味わうことは決してないのである。

 父なる者の第三の務めは、危険あるいは敵の襲撃に際し、ゆだんしないで勇ましく家を守り、子どもたちを保護することである。されば、ああ、イエズスよ、私たちの父よ、御身が、監視と守護とのとりでのように建てられた地上くまなき無数の聖ひつの中でなしたもうことは何であるか。御身が昼夜をわかたず絶えずそこより見守られるのは、子どもたちを保護するためでなくて何であろう。御身は天主の御怒りに対しては御身の聖徳をもって、また悪魔の攻撃に対しては御身の偉力をもって楯とされる。御身が夜もすがらまどろみもせず私たちを守り、御あわれみの腕(かいな)を伸ばして私たちを保護されるあいだ、すなわち御身が地上においでになり、私たちがみそば近くいるあいだは、だれが主の子らなる私たちを害することができようか。

 イエズスよ、いとも聖にして、いともあわれみ深く、いとも献身的な父よ、御身は私たちの父にてまします。私たちは御身の従順な愛子にふさわしく、御身を愛し、御身を敬い、御身の御言葉を聞き、御身にならうことを望みたてまつる。

 感謝 父よ、私の父よ、ああ父たるみ名のなんと甘美なことよ。なんとやさしくたのもしいことよ。なんたる平和と安心とを私たちに与えることよ。

 イエズスよ、御身は私たちの創造者、力ある天主、審判者でおいでになる。御身はそれだけで少しもさしつかえのない御方である。しかしそれに満足されず、御身は私たちの父となることを望まれた。これはいかなる御いつくしみ、いかなる愛であろうか。しかも御身は、父として愛されることを望まれ、私たちがどれい、召使いのようではなく、子として御身に仕えるのを望んでおられることを、福音書を通じて教えられたのである。しかし、御身の父の愛を最も深く私たちに味わわせようとされたのは、理想的な家族が食卓をともにされた最後の晩さんの時、およびその継続である聖体の秘跡においてであった。聖堂は私たちの家、聖ひつはかまど、聖体拝領台は食卓であって、家の子である私たちは、常にここに近づく権利をもっている。私たちは決して他人ではない。

 いともいつくしみ深い私の父よ。御身とともにいるとき、私たちは心が安らかで、まことの安全を楽しむことができる。御身のそば近くにいる者の味わう平和を、なんと言いあらわそうか。どんなに私たちは御身の愛に引きつけられるであろうか。御身が私たちと全く同じ人間になられたのは、なんというへりくだりであったろうか。御身は私たちの言葉の足りないところを理解され、私たちの矛盾にも怒りたまわず、私たちの忘恩をもお忍びになる。イエズスよ、限りない慈愛の秘跡のうちにおいでになる御身は、いかによき父にてましますことよ。御身は『わが小さき子よ、われなんじらをみなし子として世に残さじ』とのうれしい御言葉をここに実行されたのである。ああ御身がとこしえに祝され、感謝され、愛されんことを。わが愛する父よ、もし、御身が、わが保護者、わが友でなかったなら、この世はどんなに悲しく、暗いことであろうか。そしてだれがこの世の艱難に堪え、危険をおかし、暗礁を避けることができるだろうか。御身がおいでにならなかったなら、この世はどんなに苦しいちくたくの地であることだろうか。御身がおいでになればこそ、私たちはまことのふるさとなる天国を知り、そこへ帰ることができるのである。ああ父よ、私の感謝の心を証明するために、いつも、御身の子にふさわしい信頼の心をもって、隔てなくうちとけて御身をお愛ししよう。

 償い ああイエズスよ、御身のごときよい父をもちながら、御身のあまりにも愛すべき聖心を悩ませ、苦しませる私は、いかに不孝者であろうか。
 よき父よ、いかに多くの子どもが、財産の分け前を要求する福音書中の放蕩息子であることか。彼らは恥ずべき快楽にふけり、財宝を湯水のように捨てようとして、御身をあなどり、御身にそむくのである。御身は彼らが御身から遠く離れ去るのを、心配げにながめられる。御身は彼ら忘恩の子を責められるにもかかわらず、かえって彼らを待ちわび、不安と焦燥とをもって彼らのうえを案じわずらい、絶えいるばかりに聖心を痛ませられるのである。ああどのような心づかいと激しい愛とにうるんだ御身の御まなこが、はるか遠くさまよう彼らの上に注がれていることだろう。

 しかし、御身はついに彼らを改心させられた。彼らは飢えと悩みとを知り、はじめて後悔の念に胸を刺されたのである。こうして彼らは『父のパン』を思い出し、初聖体の日の幸福を思い浮かべて、恥じためらいながら、わが家をさして帰って来る。御身は、そこに彼らの帰りを待ちわびておられる。司祭が彼らに罪の許しを与え父の家の門を開くと、すぐ御身は彼らの手をとって、彼らを胸に抱きしめ、わぼくのしるしであるなつかしいせっぷんをもって彼らを迎え、彼らのために喜びの祝宴を開かれるのである。ああこの平和と、いうにいえない感激とを、私たちは決して忘れてはならない。よき父は、痛悔の涙を喜びの涙に変えられた。主よ、感謝したてまつる。私たちは不幸な放蕩息子であったが、きょうからは常に忠実な御身の子どもとなるであろう。聖体が私たちの父でおいでになることを、私たちはいかにして、ふさわしく御身に感謝することができようか。

 祈願 聖体中のイエズスを見つめながら、その一句一句を味わいつつ、静かに主禱文を唱えよう。

天にましますわれらの父よ
願わくは御名(みな)の尊まれんことを、
御国(みくに)の来らんことを、
御旨(みむね)の天に行わるる如く地にも行われんことを。
われらの日用の糧を、今日(こんにち)われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え。
アーメン。

 実行 たとえ何ごとが起っても、天主が私に関してはからってくださるすべてのみ摂理は、私たちのためにすべてよいとお望みになる父の限りない御いつくしみから出るものであることを記憶しよう。

2018年10月7日聖霊降臨後第20主日の聖伝のミサの固有分を紹介します Traditional Latin Mass 20th Sunday after Pentecost

2018年10月03日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖霊降臨後第20主日(二級主日 緑)のミサ聖祭の固有分をご紹介します。
聖パウロは今日、主の与え給うた時を賢明に利用せよと教える。罪を避け、天主の慈悲を待ち望もう<入祭文>。キリストの約束に対して、生ける信仰を持とう<聖福音、聖体拝領誦>。キリストは、われらをバビロンより解放し給うであろう。
我们的大祸患便是我们所犯的罪恶;因它是我们一切不幸及一切忧虑的根源。凭藉了圣洗,我们已由这罪恶中获得拯救,而出了象征罪犯囚城的巴比伦(奉献咏)。然而在我们生活悠长的过程中,依然有奋勉的必要,务使仗圣宠的作用,把罪恶彻底的消除于我们的心中才行。为达成这个目的,在每主日的弥撒中,我们应以信心和热望与基督接近(福音)。这样,我们每周用更大的努力,奋勉前行,忠实地事奉天主,并运用我们生活上的一切变故,作为涤除我们罪恶及愈益接近天主的机会(书信)。

Dominica Vigesima post Pentecosten 聖霊降臨後第20主日 降临后第二十主日
II Classis 二級主日 复式【绿】
Ant. ad Introitum. Dan. 3, 31, 29 et 35. 入祭文 ダニエル書 3ノ31,29,35 台咏(达3:31,29,35)
Omnia, quæ fecísti nobis, Dómine, in vero iudício fecísti, quia peccávimus tibi et mandátis tuis non obœdívimus : sed da glóriam nómini tuo, et fac nobíscum secúndum multitúdinem misericórdiæ tuæ. 主よ、われらに対して行い給うたことは、すべて、正義の審きによることであった。われらは、罪を犯し、掟に背いたのである。しかし、御名に光栄を表し、われらを、豊かな御あわれみによってあしらい給え 主啊!祢所行的一切,都是照正确的判而行的:因犯了罪背了祢,没有听祢的命。但求祢光荣祢的名吧!按祢大量的慈悲待我
Ps. 118, 1. 詩篇118ノ1 咏118:1
Beáti immaculáti in via : qui ámbulant in lege Dómini. 生涯、清く生きる人、主の掟を守る人は幸せである。 品行淳厚,遵守上主法律的,是有福的人。
V/.Glória Patri. 願わくは聖父と・・・(栄誦) 光荣于父……。
Omnia, quæ fecísti nobis, Dómine, in vero iudício fecísti, quia peccávimus tibi et mandátis tuis non obœdívimus : sed da glóriam nómini tuo, et fac nobíscum secúndum multitúdinem misericórdiæ tuæ. 主よ、われらに対して行い給うたことは、すべて、正義の審きによることであった。われらは、罪を犯し、掟に背いたのである。しかし、御名に光栄を表し、われらを、豊かな御あわれみによってあしらい給え 主啊!祢对我们所行的一切,都是照正确的审判而行的:因为我们犯了罪背负了祢,没有听祢的命。但求祢光荣祢的名吧!按祢大量的慈悲对待我们。
Oratio. 集祷文 集祷经
Largíre, quǽsumus, Dómine, fidélibus tuis indulgéntiam placátus et pacem : ut páriter ab ómnibus mundéntur offénsis, et secúra tibi mente desérviant. Per Dóminum. 主よ、願わくは、主を信じる人々に、許しと平和とを与え給え。そして、彼らの過ちを清め、澄んだ心で主に奉仕させ給え。天主として・・・。 主,求祢慈惠地赐给祢的信众宽恕与平安,使他们的过犯都得洗净,以便安心事奉祢。因我们主……。
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Ephésios. 使徒聖パウロのエフェゾ人への書簡の朗読。
Ephes. 5, 15-21. エフェゾ 5ノ15-21 (弗5:15-21)
Fratres : Vidéte, quómodo caute ambulétis : non quasi insipiéntes, sed ut sapiéntes, rediméntes tempus, quóniam dies mali sunt. Proptérea nolíte fíeri imprudéntes, sed intellegéntes, quæ sit volúntas Dei. Et nolíte inebriári vino, in quo est luxúria : sed implémini Spíritu Sancto, loquéntes vobismetípsis in psalmis et hymnis et cánticis spirituálibus, cantántes et psalléntes in córdibus vestris Dómino : grátias agéntes semper pro ómnibus, in nómine Dómini nostri Iesu Christi, Deo et Patri. Subiecti ínvicem in timóre Christi. 兄弟たちよ、愚かな者ではなく、つつしんで、知恵ある者のように歩んでいるかどうかを調べよ。今の時をよく利用せよ、時が悪いからである。あなたたちは、思慮のないものとならず、主のみ旨を理解せよ。ぶどう酒に酔うな、それは淫乱のもとである。かえって、霊に満たされよ。詩の歌と賛美の歌と霊の歌をとなえ、あなたたちの心を挙げて主に向かって歌い、そして賛美せよ。主イエズス・キリストのみ名によって、すべてのことについて、たえず父なる天主に感謝せよ。キリストを畏れて互いに従え。 弟兄们:你们要注意谨慎你们的行为,不要愚蠢地,却要明智地处世为人。现在的时代是险恶的,所以你们要利用种种机会行善。你们千万不要作愚鲁的人,却要明了天主的意旨如何。不要喝醉酒,因为醉酒是放荡的根源,却要充满圣神;你们要共同诵圣咏、圣诗和圣歌,全心颂扬和歌咏主。你们应该时时处处以我们主耶稣基督的名感谢天主圣父。应该怀着敬畏基督的心,彼此互相顺从。
Graduale. Ps. 144, 15-16. 昇階誦 詩篇 144ノ15,16 台阶咏(咏144:15-16)
Oculi ómnium in te sperant, Dómine : et tu das illis escam in témpore opportúno. 主よ、皆の目は、御身を待ち望む。主は、ふさわしい時に、彼らに糧を与え給う。 主啊!一切人都目瞻仰祢,祢赐给们应时的食粮。
V/. Aperis tu manum tuam : et imples omne ánimal benedictióne. V/. 御手を開き給うて、すべて生ける者を祝福し給う。 祢伸开祢的手,使一切有生气的,都随意食。
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 107, 2. アレルヤ、アレルヤ、 詩篇 107ノ2 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏107:2)
Parátum cor meum, Deus, parátum cor meum : cantábo, et psallam tibi, glória mea. Allelúia. 私の心は準備を終えた、偉大な天主よ、御身に歓呼するために、御身に詩を歌うために、私の心は準備を終えた。これが、私の誇りである、アレルヤ。 天主啊!我心已定,我心已定,我要歌祢,我要赞扬祢。阿肋路
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Ioánnem. ヨハネによる聖福音の続誦。 福音
Ioann. 4, 46-53. ヨハネ 4ノ46-53 若4:46-53
In illo témpore : Erat quidam régulus, cuius fílius infirmabátur Caphárnaum. Hic cum audísset, quia Iesus adveníret a Iudǽa in Galilǽam, ábiit ad eum, et rogábat eum, ut descénderet et sanáret fílium eius : incipiébat enim mori. Dixit ergo Iesus ad eum : Nisi signa et prodígia vidéritis, non créditis. Dicit ad eum régulus : Dómine, descénde, priúsquam moriátur fílius meus. Dicit ei Iesus : Vade, fílius tuus vivit. Crédidit homo sermóni, quem dixit ei Iesus, et ibat. Iam autem eo descendénte, servi occurrérunt ei et nuntiavérunt, dicéntes, quia fílius eius víveret. Interrogábat ergo horam ab eis, in qua mélius habúerit. Et dixérunt ei : Quia heri hora séptima relíquit eum febris. Cognóvit ergo pater, quia illa hora erat, in qua dixit ei Iesus : Fílius tuus vivit : et crédidit ipse et domus eius tota. そのとき、そこに一人の王官がいた。その人の子はカファルナウムで病床に就いていた。イエズスが、ユダヤからガリラヤにおいでになったと知った彼は、イエズスのところに行って、すでに死の迫っている子を治しに来てくださいと頼んだ。イエズスが、「あなたたちは、しるしと奇跡とを見ないと信じないのか?」と仰せられた。王官は、「主よ、あの子が死なないうちに来てください」と答えた。イエズスは、「あなたの子は生きている。行きなさい!」と仰せられた。そこで彼が、イエズスのお言葉を信じて去ると、その途中、彼の下男たちに出会って、子どもは生きていると知らされた。いつごろからよくなったかと聞くと、「きのうの午後一時ごろから熱が去りました」と下男たちは答えた。父親は、その時刻が、「あなたの子は生きている」とイエズスが仰せられたのと同じ時刻だと知った。そして彼とその家の人は、皆イエズスを信じた。 那时候,耶稣又来到加黎利的卡纳;有一位王臣,他的儿子在葛法翁生病。那人得悉耶稣从犹太到了加黎利,就来见耶稣,请下去治好他的儿子,因为儿子快要死了。耶稣对他说:“若不看见灵迹和奇迹,你们就不信。”那王臣求祂说:“主!趁我儿子还没有死,请下来吧!”耶稣对他说:“去吧!你的儿子活了。”这人信了耶稣的话,回去了。正下去的时候,仆人们迎见他,报告说:“你的儿子活了。”他问儿子什么时候转好的。他们说:“昨天第七时辰,热退了。”父亲就知道那正是耶稣对他说:“你的儿子活了”的时刻。他自己和全家都信了。
Credo 信経
Ant. ad Offertorium. Ps. 136, 1. 奉献文 詩篇  136ノ1 奉献咏(咏136:1)
Super flúmina Babylónis illic sédimus et flévimus : dum recordarémur tui, Sion. われらは、バビロンの川岸に座って、シオンの町、汝を思い出して泣いた。 熙雍啊!我们会坐在巴比伦的河畔,一追想你,就垂泪了。
Secreta. 密誦 密祷经
Cæléstem nobis prǽbeant hæc mystéria, quǽsumus, Dómine, medicínam : et vítia nostri cordis expúrgent. Per Dóminum. 主よ、願わくは、この奥義を、われらの天的な薬となし、われらを悪より浄め給え。天主として、・・・。 主,祈望这奥迹赐给我们天上的圣宠,并涤除我们心中的邪恶。因我们主……。
Præfatio de sanctissima Trinitate 三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引
Ant. ad Communionem. Ps. 118, 49-50. 聖体拝領誦 詩篇 118ノ49-50 领主咏(咏118:49,58)
Meménto verbi tui servo tuo, Dómine, in quo mihi spem dedísti : hæc me consoláta est in humilitáte mea. 主よ、下僕への約束を思い出し給え。その御約束によって、主は、私に希望を与え給うた。悲しみのときに、私の慰めとなるのはそれである。 主啊!求祢追忆向祢仆人所说的话:祢因祢的诺言叫我企望,在忧患中,这诺言就是我的安慰。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经
Ut sacris, Dómine, reddámur digni munéribus : fac nos, quǽsumus, tuis semper obœdíre mandátis. Per Dóminum nostrum. 主よ、われらが、聖なる賜物にふさわしいものとなるために、主の掟に、常に服従させ給え。天主として・・・。 主,求祢使我们常常遵循祢的诫命,为使我们能配领祢的圣恩。因我们主……。

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その16】

2018年10月03日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その16



第16章 信仰を瓦解させる新近代主義

教会の聖職者たちのカトリック用語はほとんどが新しくなってしまいましたが、中には生き残った用語もあります。「信仰」という言葉はその生き残りの一つです。しかしこの言葉ほど様々な別の意味で使われているものはありません。

ところで信仰という言葉の定義は存在しており、それを変えることはできません。キリスト者が霧の中にあるようなもったいぶった演説を聴いて何のことか分からなくなってしまった時、まさにこの定義に立ち戻らなければなりません。

信仰とは、天主の御言葉によって啓示された真理に知性が固執することです。私たちは自分の外部から来る真理を信じます。私たちが信じる真理は、何らかの仕方で私たちの精神によって隠されている(私たちの内部からの)ものではありません。私たちは、私たちに真理を啓示し給う天主の権威の故にそれを信じます。それ以外のところに信仰を探してはなりません。

この信仰は、いかなる人であっても私たちから取り上げて別のものと取り替えてしまう権利などありません。近代主義による信仰の定義は、既に80年前に排斥されていますが、それがまた顔を出しているのを見ています。近代主義によると、信仰とは「内的な感情」ということになっています。近代主義は、宗教の説明を人間の外に探してはならないと主張します。

「宗教とは一種の生命なのであるから、かかる説明は当然のごとく人間の生命の内に見出されなければならない。」

近代主義によれば、信仰とは何か純粋に主観的なもの、霊魂が天主へと固執することであるけれども私たちの知性には近寄ることのできないもの、各人がそれぞれに持っているもの、一人一人が自分の良心のうちにあるもの、とされます。

近代主義はつい最近発明されたものではありません。有名な回勅『パッシェンディ』が発布された既に1907年に発明されたものでもありません。近代主義とは、革命の恒常的精神であり、私たちをして人間内部に閉じこめ、天主を法外に置こうとする精神です。近代主義の誤った定義は、ただ天主の権威と教会の権威とを崩壊させることだけを求めています。

信仰は外部から由来して私たちに来ます。私たちはそれに自分を服従させなければなりません。「信じるものは救われ、信じないものは滅びるだろう」とは私たちの主イエズス・キリストが断言していることです。

1976年に私が教皇様(パウロ六世)を謁見に行った時、私は極めて驚いたのですが、教皇様は私が神学生達に教皇様に反対する宣誓を誓わせていると非難されました。このような間違った情報がどこから来たのか、私はひどく理解に苦しみました。何故なら私に害を及ぼそうという意向を持って誰かがこのような考えを教皇様に告げ口したと言うことはあまりにも明らかだったからです。すると私の頭に光がひらめきました。全ての司祭がその司祭叙階式の前に、そして教会の要職につくものはその職務を受ける前に、今まで荘厳に唱えなければならない義務があった「近代主義の誤謬に反対する誓い」を、悪意を持ってこの意味(=パウロ六世に反対する誓い)で解釈したのだろう、と。パウロ六世ご自身も、その御生涯の間、一度ならずこの誓いを宣誓したはずです。ところでこの誓いには次のようなことを宣誓することになっています。

「信仰が、心の欲求と意志の衝動との下で道徳的に未発達なる潜在意識の奥底より湧き出づる盲目的宗教感情にあらざる事、またかえって信仰とは聴覚を通じ外的に受けた真理に対する真なる知性の同意たる事、即ち我らの創造主且つ主たる位格的天主が曰い、証明し、啓示し給いし事を、最高の真理なる天主の権威の故に、我ら信じ奉る事を、我は最も確実に堅く信じ且つ誠実に宣言す。」

しかし今では司祭や司教になる時に、「近代主義の誤謬に反対する誓い」を宣誓することは義務ではありません。もし義務であったら、それでなくとも叙階の数が減っているのに、さらに叙階の数が減ってしまっていたことでしょう。信仰ということの概念は、無意識に悪意なく、多くの人々が近代主義の影響をそのまま受けてしまって誤解してしまっています。ですから多くの人々がどんな宗教でも霊魂は救われると信じるのを受け入れてしまっているのです。何故なら、もしも各人が自分の良心に従ってそれぞれの信仰を持ち、良心が信仰を造るのであるなら、良心が天主の方へと向かっている限り、他の信仰に優るような信仰というものを考える理由がどこにもなくなってしまうからです。

次のような断言は、フランス司教団の要理教育委員会の公式文書の中にいくつも見いだされます。「真理とは、既に出来上がっている何か受け入れたことがらではなく、自ら創りあげる何かである。」

完全な観点の違いがあります。新しい教えでは、人間は真理を受け入れるのではなく、真理を創りあげるのだと言います。ところで私たちの知性が次のことが正しいと確認するように、私たちは真理とは創られるものではないと、私たちが真理を創るのではないとよく知っています。

しかし、宗教を崩壊させる邪悪な教えに反対して私たちはどうやって身を守ったらよいでしょうか? これらの「新しい教えを喧伝者たち」は教会の内部に潜り込んでいるというのに? 天主に感謝しなければならないことは、近代主義者達は、20世紀の初頭に彼らを容易に見分けることができるように、その仮面がはぎ取られています。近代主義ということは、教会の歴史を研究する人だけが関心を持つ昔に起きた現象であるとは、考えないようにしましょう。『パッシェンディ』は、あたかも現代に書かれたと思わせるような文書であり、極めて高い今日性を帯びています。この教皇文書は、感嘆してもしすぎることがありえないほどの新鮮さで、教会内部の近代主義者という敵を描写しています。

「哲学と神学の確固とした知的防御に欠け、・・・彼らは一切の慎みをかなぐり捨て、教会の改革者として名乗り出、・・・あらゆる権威を軽視し、いかなる抑制も受けつけようとしない。」

「(近代主義者たちの)最も巧妙な手管の一つは、自らの教説を、順序や系統だった配列なしに、バラバラで相互につながらない仕方で提示し、あたかも彼らの心が疑いや、ためらいの状態にあるかのように見せかけることである。しかしながら、実際には、彼らの見解は固く定まっており、揺らぐことがない。・・・

近代主義者の著作をひもとけばカトリック信者によって承認され得ることがいくらか見出されるのだが、ページを繰るうちに、いかにも理性主義者によって述べられそうなことを記した他の箇所に出くわす。・・・

彼らは譴責や排斥にも関わらず、信じがたい大胆さを見せかけの謙遜で覆いかくし、自らの道を行く。・・・

もし誰かが彼らの新説を不幸にも批判するなら、彼らはその人に対して共同戦線を張る。その新説を否定する人は無知な者としてこきおろされる一方、それを支持し擁護する人は彼らからの惜しみない賞賛をほしいままにする。・・・

自分たちの側につく著述家たちには、感嘆を込めた、とどまるところを知らぬ賞賛を浴びせ、ほとんど毎頁に新奇な思想をにじませる彼らの著作を、声を合わせて歓呼する。彼ら近代主義者にとって、ある著述家の学識は、彼が古代(から)の事物に対してどれだけ軽率・短絡に非難を浴びせ、また教会の教導権と伝統を覆す努力を為しているかに直接比例して決まる。もし彼らの中の誰かが教会による排斥を被るならば、残りの者は善良なカトリック信徒をよそおって当の人の周りに群れ集い、公衆の面前で声を大にして彼を賞賛し、まるで真理のための殉教者でもあるかのように祭り上げる。」

これらの特徴は全て今現在私たちが見ていることに正にピタリと合っています。あまりにもよく合致しているのでつい最近書かれたのであるかと信じられるほどです。1980年、スイスの神学者ハンス・キュンクが排斥された後、キリスト者の一グループがケルンの司教座聖堂の前で、ハンス・キュンクの職務取り消しという聖座の決定に反対する抗議行動として、「焚書」を執り行いました。「勇気ある誠実な思想の禁止を象徴するため」(ル・モンド紙)に、焚書用の薪がくべられ、彼らはその上にキュンクの人形と著書を投げ込んだのです。

その少し前にも、ポイエ神父に反対する制裁は激しい抗議を引き起こしました。300名のドミニコ会修道司祭やドミニコ会修道女らはこの制裁に抗議する公の手紙を提出し、さらに別の抗議文には20名が署名して抗議しました。またボカン大修道院やモンパルナスの聖堂、その他前衛のグループが救援に駆けつけました。

聖ピオ十世の描写と比較して唯一の新しいところは、近代主義者らがもはや見せかけの謙遜で覆いかくそうともしないということです。今では、彼らは保証されています。火彼らには教会の中にあまりにも多くの支持者がいるので、もはや隠れる必要などないのです。近代主義は死んでいません。その反対です。近代主義は進歩し、おおっぴらに姿を現しています。

私たちは『パッシェンディ』を続けて読んでみましょう。

「このようなわけで、近代主義者たちが持てる限りの辛辣さと憎悪を、教会のための戦いを熱心に戦うカトリック者にぶつけてくるのも、何ら不思議なことではない。近代主義者たちは、ありとあらゆる侮辱をカトリック者に加えるが、ふつう、無知または頑迷さというレッテルを貼るのが彼らの用いる常套手段である。学識と力によって脅威となるような反対者が立ち上がると、彼らはその人の周りに沈黙の策略を張りめぐらして、彼の攻撃の効力をなくしてしまおうとする。」

これが現代のケースです。聖伝の司祭たちは指名手配され、迫害され、出版社が進歩主義者の手に落ちている場合は、聖伝の修道者や信徒の著者らについて、一言も言及しようとしません。青年達の団体運動も、彼らが聖伝に忠実であるが故に、のけ者にされ、その模範的で立派な活動や巡礼その他は、皆が知ればそれで皆は元気づけられるにもかかわらず、誰にも知られないように無視されます。

「歴史を著すなら、注意深く、そして下手に満足を隠そうとしながら、真理全体を述べるためと称して、一見、教会の顔に泥を塗るように思われることを全て明るみに出す。ある種のア・プリオリ(先験的)な観念に基づいて、彼らは能うる限り人々の敬虔な伝統を破壊し、その古さのゆえに、非常な崇敬を払うべき特定の聖遺物への敬意を損なわせている。彼らは自分たちの名が衆人の口にのぼることへの虚しい望みに駆られており、そして万人によって常に言われてきたことを述べたなら、この望みは決して実現しないことを彼らは承知している。」

彼らの教義に関していうと、それは次の幾つかの点に基づいています。現代によくある思潮の中に、これを認めるのは難しくはないでしょう。それは「人間の理性は目に見えるものを通して天主にまで自らを上げること、および天主の存在を認識することができない」ということです。

従って、これによると、外部から来る啓示はいかなるものであれ不可能となってしまいます。そこで人間は自分自身の中に、自分の感じる天主をもつ必要を満足させようと探し、この必要の根元は潜在意識にあるとします。近代主義によると、この天主的なものの必要性は、霊魂において特別な感覚(感情)を引き起こし、この感覚が「ある意味において人間を天主に一致させる」とされます。これが近代主義者らにとっての「信仰」です。天主はこのようにして霊魂の中に創りあげられ、これが「啓示」です。

宗教的感覚から知性の領域に移ります。近代主義によると、知性がドグマを創りあげるのです。つまり彼らによると、人間には知性が備わっているが故に、人間は自分の信仰を考えなければならない。それが人間にとっての必要性となる。そこで人間は信仰の定式文を創りあげるが、この定式文は絶対的真理を含むものではなく、真理のイメージをつまり、シンボル(象徴)を含む。このドグマ的定式文は従って、変転に服さねばならず、進化する。「こうして、教義の内因的進化(実体的変異)への道が開ける」のです。

近代主義によれば、定式文は単なる神学的思索ではありません。定式文が真に宗教的であるためには生きていなければならないとされるのです。感覚は「生命的に」定式文を同化吸収しなければならないとされます。

今日ではよく人は「信仰の体験」といいます。何故でしょうか。聖ピオ10世はこう続けています。

「これらの定式文が生きたものとなるためには、信仰および信じる者に適合したものでなければならず、またそうあり続けねばならない、という結論が出てくる。したがって、もしいかなる理由によってであれ、この適合が存在しなくならば、それら定式文は始めに持っていた意義を失い、それゆえ変えられねばならなくなる。教義的定式文の性格ならびに命運がこのように不安定なものであるということを見れば、近代主義者たちがそれらをかくも軽視し、かくも公然と不敬の態度を示し、宗教的感覚および宗教的生活に対して以外は、いかなる考慮も賞賛も持ち合わせていないという事実はまったく驚くに値しない。そういうわけで、彼らは常にこの(宗教的感覚および宗教的生活という)単語を唇に乗せる。」

そこで説教においても、講話においても、要理教育においても「既成の定式文を全て」追い出してしまっているのです。

近代主義によれば、信仰者は信仰の個人的な体験をし、次に彼はその体験を説教によって他者に伝えます。このようにして宗教体験は伝播する、とされます。

近代主義によれば、「信仰が多くの人に共通のもの(言い換えると集団のもの)となったとき」人は、この共通の宝を保存し促進するために社会を組織する必要を感じる。そこから教会が創立され、教会は「集団的意識、すなわち個々人の良心ないし意識の集合から生じるものであり、内在の原理によって一人の最初の信仰者たる者 ───それはカトリック者にとってはキリスト─── にことごとく依存するもの」であるとされます。

もしそれが本当なら、権力は持ち主を変え「基礎」(=一般信徒ら)から出てこなければならないことになります。政治意識が人民政府体制を創りだしたように、教会の中でもそれは同じでなければならない、とされるのです。

「教会の権威が、人類の意識のもっとも内部において、対立を引き起こし、助長することを望まないなら、教会権威は民主的形態の前に身をかがめ(てこれを採択し)なければならない。」

教会がどうなってしまったのかわからなくなってしまっているカトリックの読者の皆さん、もうこれでスーネンス枢機卿および全ての騒々しい神学者たちがどこで自分の考えを見つけていたのかお分かりでしょう。第二バチカン公会議後の危機は、19世紀後半と

20世紀初頭に騒がれた危機の完全な続きなのです。読者の皆さんは、また何故子供達が使っている要理書では、聖霊降臨の後に形成された初代の共同体から全てが始まっているかその理由がお分かりのことと思います。弟子達はその時からイエズスが引き起こしたショックの熱によって天主的なものの必要を感じ、「最初の経験」を共に生きた、とされるからです。ですから、そこにはドグマがありません。新しい要理書やお説教の中には、聖三位一体、御托身、贖い、被昇天、等々がないのです。フランス司教団によって、要理書のために創られた『Texte de réféfence 指導用参考資料』という本があります。この本は、使徒たちの教会の誕生において近代主義者らが見たと思いこんでいる教会成立の過程に従って、明日の教会を再構成するための「ミニ教会」となるべきグループを創りあげることに言及しています。

「要理教育のグループにおいて、司会者と親及び生徒は、自分の人生体験や、自分の深い望み、宗教的なイメージ、信仰にかんする事柄の何らかの知識を発表する。そこから比較対照が生じる。比較対照が人々の深い望みを動かし、福音とのすべての接触が明らかにする不可避の変化へと人々を現実に参加させるようになればなるほど、これは真理の条件となる。妨害もありうる。断絶、回心、何らかの死の後で、恵みによって、信仰の告白がなされる。」

聖ピオ十世教皇によって排斥された近代主義のやり方を、おおっぴらに実践しているのは何と司教たちなのです! 全ては上記の段落(Texte de reference, §312)にあります。ここをもう一度注意深く読み返してみて下さい。キー・ワードは「必要によって生じた主教感覚」「深い望み」「いろいろな体験の比較対照において生まれる真理」「ドグマの変化」「伝統からの断絶」です。

近代主義によって、秘蹟も必要から生じました。「なぜなら、すでに見たように、彼らの体系においては “万事が内的な衝動ないし必要によって説明される” から」です。宗教に何らかの感覚でとらえられる形を与えなければならず、「

近代主義者にとって “秘跡はある一定の効能に欠けるものではないにしても、ただの象徴あるいは印でしかない” 。彼らの言うところによると、“かかる効能とは、一般民衆の耳を捉えるべく通俗的な表現を用いたある種の言い回しが持つのと同様のもの、すなわち、何かの枢要な理念を巷に広め、そして精神に著しい印象を与える力を有しているという意味での効能” なのである。「言い回し」が「理念」に対するのと同様の関係を「秘跡」は「宗教的感覚」に対して持つに過ぎない。もし近代主義者が、秘跡はただ信仰を育むために制定されたと言明したなら、それは彼らの考えるところをより明白に表わすことになるだろう。しかるに、これはトリエントの公会議によって排斥されている。」

この考えは、例えば、第二バチカン公会議の「顧問」であったベスレーにも見いだされます。彼はこう書いています。

「天主の愛をこの世に置くのは秘蹟ではない。天主の愛は、全ての人間において働いている。秘蹟とは、弟子達の共同体におけるそれの公の現れの瞬間である。・・・こう言うときに私は為された印の効果的な側面を否定するつもりは全くない。人間は自分自身に話しかけることによっても自己を達成する。それは人間のその他の活動と同じように、秘蹟においても同様である。」(De commencement en commencement, p. 176)

では聖書についてはどうでしょうか? 近代主義者らにとって聖書とは、或る宗教において有している「体験の集大成」であり、近代主義者らによれば、確かに天主がこれらの本を通して語りかけますが、その天主とは私たちの内に存在する「天主」のことです。聖書は、詩的な霊感という時とすこし似た意味での「霊感」を受けた書、とされます。

近代主義によれば、「霊感」とは、書くことによって信仰者が自分の「信仰」を使えたいという強烈な必要性と同一視されます。従って、聖書は単なる人間の作品となります。

新しい要理書『ピエール・ヴィヴァント』では、創世記はある日、「考察した」信仰者らが書いた「詩」であると子供達に教えています。フランスの司教らが公教要理の全ての生徒が必ず学ぶものとして強制しているこの本は、その全てのページにおいて近代主義の息づかいがします。ここでその内容を聖ピオ十世の説明と比較してみましょう。

聖ピオ十世

「(近代主義者らにとっては)いかなる文書の年代も、個々の必要が教会の中で表面化した年代によってのみ確定され得るという原則は依然として有効である。」

新しい要理書『ピエール・ヴィヴァント』

「これらの共同体が福音に生きることを助けるために、幾人かの使徒らは彼らに手紙を書き、それを書簡とも呼ぶ。・・・しかし使徒らは特に、彼らの中でイエズスがしたこと、彼らに言ったことを生の声で語った。・・・後にマルコ、マテオ、ルカ、ヨハネの4名の著者が、使徒らが言っていたことを書き物にまとめた。」

「彼らは、信仰者の信仰を照らすためにイエズスの生涯の出来事、その言葉、特にその死と復活について語った。」

聖ピオ十世

「彼らによれば “聖書の各書の中には、科学や歴史に関して明らかな誤りのある箇所が多く見出される” 。」

新しい要理書『ピエール・ヴィヴァント』

「これ(=創世記)は、詩であり科学の本ではない。科学は私たちに生命が現れるまで数億年が必要であったと言っている。」「福音は、今日ラジオやテレビまた新聞が出来事を伝えるようにイエズスの生涯を語っているのではない。」

聖ピオ十世

「近代主義者たちは、 “一般的に言ってこれらの書───とりわけモーセ五書ならびに3つの共観福音書───が度重なる付け足しと神学的ないしは寓意的解釈、あるいは種々の異なる文章をつなぎ合わせるためにだけ書き加えられた箇所の挿入によって、原初の簡潔な叙述から徐々に形成されていった” と何のためらいもなしに断定する。」

新しい要理書『ピエール・ヴィヴァント』

「これらの書のほとんどの中に書かれていることは、まず父から子に口伝えで語られた。ある日誰かが、自分の番としてそれを伝えるために書き残した。しばしば彼が書いたことは、別の人によって他の人に伝えるためにまた書き直された。・・・紀元前538年にペルシア人による占領があり、いろいろな考えや言い伝えが本にまとめられた。エスドラスは紀元前400年頃にいろいろな本をまとめて一つにし、律法の書(或いは五書)とした。預言者の巻物も書かれた。知恵者の考察は様々な傑作を作り上げた。」

カトリック信徒は「公会議後の教会」において使われている新しい言い方に驚いていますが、じつはそれはあまり新しいものではなく、ラムネー、フックス、ロワジーなどが既に一世紀前に使っていた言い方で、彼ら自身でさえ数世紀まえから垂れ流されていた全ての誤謬をまとめたに過ぎなかったのです。キリストの宗教は変わりませんでしたし、決して変わることがないでしょう。私たちは彼らのやりたいようにさせていてはなりません。

 

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


2018年10月3日は、聖ヨゼフの初水曜日です。聖ヨゼフ、われらのために祈り給え!

2018年10月03日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2018年10月3日は、聖ヨゼフの初水曜日です。聖ヨゼフ、われらのために祈り給え!

聖ヨゼフのその栄光の、その力の強さの、その偉大さの秘密とは

アメリカのサンタ・フェにある有名な聖ヨゼフの階段の動画を紹介します

聖ヨゼフの階段(アメリカのニューメキシコ、サンタ・フェにあるロレット・チャペル)についてご紹介します



天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ、旧典礼のミサ)の報告:聖霊降臨後第18主日「中風の人に向かい、『起きて、床をとって家に帰れ』とおおせられた。」

2018年10月02日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2018年9月23日には東京で聖霊降臨後第18主日のミサを行いました。

 聖伝のミサにあずかった方が、福音のイエズス様の御言葉「中風の人に向かい、『起きて、床をとって家に帰れ』とおおせられた。」を黙想して、報告を下さいました。

「家に帰る」とは、パライソへ参ること。天国が自分のほんとうの帰る家だから。
「中風の人」は、巨大な血栓ために聖寵の血液が正常に流れず、脳細胞にも血液がうまく行かず、体が麻痺し、判断も正常にできなくさせている状態。御聖体に対する不敬や、超自然の聖寵の命の軽視、使徒継承の聖伝の教えからの断絶によって、血栓が生じている。だから、心を天高く上へ上げることができず、床に伏せている。

私たち自身が、この中風の病から、治されますように!立ち上がって、自分の帰る家を思い出して、心がいつも天へ向かうことができますように!いつも主の現存を思うことができますように!
御聖体とカリスが高く掲げられた時、中風のような私たちに、どうぞ「起きて、床をとって家に帰れ」とおおせください!
いつの日か本当の家であるところの天国に行くことができますように!

愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
Ave Maria Immaculata!

ごミサの報告をさせていただきます。三週間ぶりだったのでとても待ち遠しかったです。それなのに報告は遅くなりましたことすみません。

『中風の人に向かい、「起きて、床をとって家に帰れ」とおおせられた。』

聖福音のなかの家へ帰るというのは、実は天国へ参りましょうという意味だということを伺ってハッといたしました。パライソへ参ろうといっていたという殉教者の言葉を思い出します。

日本の殉教者が、各地で、ごミサをあげてくださる司祭が少ないのも関わらず、ご聖体のうちにまことにましまし給うイエズスは賛美されさせ給え、と唱えながら殉教されたということを伺ったばかりでした。当時日本には、聖寵を与えられてよい霊的恵みをいただき、カトリック信仰を生きるとはどういうことかをよく理解していたカトリック信者が、おられたのだと感じられました。

奇跡を行うというのは、肉体の病を直して身体の健康を取りもどすということ以上に、霊魂の病を治して天国が自分のほんとうの帰るところだとわかることができることだとわかりました。

主はこの時、中風の病に伏せっていた人に向かい、奇跡をおこなわれたのですね。ずっとこの言葉を思いめぐらしていて、私は、この中風の人とは現代の迷えるカトリック教会なのではと思いました。

日本語で対面式の新しい形式のミサは、プロテスタントの考え方が色濃く反映されてしまっているものだということを理解できるようになり、プロテスタント風のミサは、カトリック信者を、中風の病に陥らせてしまうのかもしれないと思ったのです。

今は、中風という病気は、悪玉コレステロールが、血管にへばりついて、血管に血栓ができて、その血栓が移動して、脳の中の細い血管に移動していってそこで血管が詰まり、血液が流れなくなり、脳細胞が死んでしまうことで起きると言われています。その脳細胞のある部分に対応する四肢などが動かなくなります。他にも、血液の汚れは、また脳の認知機能が衰えてしまって、記憶がなくなったりよく考えたり理性的な判断ができなくなってしまうことにもつながるともいわれているようです。このようなことを、いまや、お医者さんでなくても普通の人でも知るようになりました。

日本中のほとんどのカトリック共同体では、パライソへ参ろうと、いう言葉も、殉教時代の過去の言葉と思っているかもしれません。御聖体にたしかにいらっしゃいますイエズスさまへの公然の不敬もなされていて、何かの断絶があるのでしょうか。

どの宗教でも救われるという教えに変えられたそうですから、このようなことを、ないがしろにするようになってしまったのでしょうか。それに、安易な優しさからからかもしれませんが、誰でも亡くなった方は天国へ行かれたという話が普通になされますので、洗礼を受けなければならない理由も周囲にもあえてはっきりと話されないように思います。

現代の日本のカトリック教会の中に、巨大な血栓ができてしまっていて、正常に聖寵が流れなくなってしまい、脳細胞にも血液が行かなくなって、酷い中風のような判断も正常にできなくなっているような、そんな、こわいことが起きているのではと、心配です。

悪さをするのは、悪玉コレステロールというそうですが、正常な行いをすることができなくなっていくのではと、怖いです。

教会にはいり込んだといわれる悪玉コレステロールが、これほど中風の患者を生みだすようになるとは、です。

計り知れない障害が、カトリック信者を麻痺させているように思われます。心を天高く上へ上げることができず、床に伏せているといってもよいくらいに。

「大通り、路地、野原で、おなかがすいているのに食べ物が何もないので泣いている人たちがたくさんいるのが見えない?」という聖ヤシンタの言葉も思い出されてしまいます。自分たちにはもう本当の霊魂の食物が与えられなくなっていることすらわからなくなっている憐れな子どもを、マリアさまは、見せてくださったのでしょうか。マリア様もどれほど、お悲しみでしょう。

でも私はそのように考えてから、なんとなく居心地の悪い思いがおさまらなくて、しばらくもう一度考えておりました。そしてようやく自分自身の生活スタイルがどんなにひどいかを反省することができました。恥ずかしいことです。自分の中にこそすっかり入り込んでしまっている悪玉コレステロールの数値を下げるように、これから努力しようと思います。

私自身が、この中風の病から、治されて、立ち上がって、自分の帰る家を思い出して、心がいつも天へ向かうことができますように、いつも主の現存を思うことができますように、と思います。

つい、ロジックにひっかかってしまい、自分のことを振り返り反省することを怠っていたように思います。これこそまさしく私の中に悪玉コレステロールを生みだしていたものにちがいありません。、

ごミサの中でイエズス様はまことにいらっしゃいます、その時イエズス様が私に、起きて床をとって家に帰れ、と言ってくださいますようにと思います。

ご受難を受けられたイエズス様のお姿が、高く掲げられた御聖体とカリスをとおして、心の眼に見えますとき、その時流される血によって私の病は癒されることを信じます。哀しくもその時のイエズス様とマリア様のお苦しみを私はあまり感じることができないのですが・・。

そうしたらわたしは、まずしい供え物の小さな犠牲を主にお捧げして、主の神殿に入って深く主を礼拝することでしょう。いつの日か本当の家であるところの天国に行くことができて、光栄の主を讃え礼拝することができますように。

「起きて、床をとって家に帰れ」という御言葉からこのようなことを黙想するとは思いもよらないことでしたが、イエズス様のいらっしゃるところまで自分の身を運んでいくことがどれほど大切かということを教えられた思いです。

このような聖伝のミサに一回でも多く与ることができますようにと思います。そして、そのミサの中では、聖ピオ十世会の司祭のためと家族・友人・自分のことだけのみならず、日本の回心のためにもよく祈りたいと思います。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
ブログに、『聖体の黙想』テニエール著を掲載して下さりありがとうございます。
9月15日の七つの御悲しみの祝日に、最後の101回目の涙を流されて、共贖の玄義の啓示を完成された、秋田のマリア様。
主のおもてをぬぐい、主の御恥辱をお慰めしたヴェロニカはいないのか。十字架をになうシモン、十字架の下にたたずむヨハネはいないのか。救い主の御苦しみをわかつ悲しみの聖母にならう人はいないのか。
マリア様と共に、“ecce ancilla domini”と言う事ができますように。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
聖マリアの七つの御悲しみとともにお祈りいたします。
カトリック教会を離れたのは、むしろ新しい流れに誘おうとしたものに騙されたものたちのほうだと、この「聖体の黙想」聖体の制定された理由 聖体はカトリック教会の保護、慰め、浄化であるをしながら思いました。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

公教要理の時間の報告です。

この日は、フランスから、聖ピオ十世会の韓国出身の修道女のシスターマリア・ヨゼフが、来てくださっていました。

午後の公教要理の時間には、スライドショーが用意されていて、アグネスさんのお声で聖ピオ十世会修道女会の修道院の説明を聞くことができました。

フランスから帰国されていた夏のバカンスの間、私たちのためにたいせつな時間を費やしてくだったことでしょう、アグネスさんに心から感謝いたします。

この時の聖ピオ十世会修道女会のスライドでのご案内のことをちょっとだけですが、まとめてみました。(間違えていましたら、すみません。)

修道会の創立者は、マルセル・ルフェーブル大司教様と妹君のマリー・ガブリエル修母様で、その霊性は、聖なる犠牲のミサ聖祭への献身であり、司祭を助けること・とりわけ祈りによって司祭職を支えることであり、守護者は共贖者なる聖母と聖ピオ十世でいらっしゃるとのこと。

そして、真のカトリック要理の教育のために、フランス語での「ファチマの聖母の通信教育カテキズム」が修道女によりおこなわれて、今は英語とドイツ語にも訳され世界中に1500人の生徒がいるとのこと。いつか日本語でもそのような通信教育が行われるようになればよいなあと思わず思いました。

18歳から30歳までの方なら、修道女への志願ができるとのこと。現在は、フランス(ルフェック)・アメリカ(ミネソタ)・ドイツ(ゲッフィンゲン)・アルゼンチン(ピラール)の4つの国に修練院があるとのこと、それはフランス語圏・英語圏・ドイツ語圏・スペイン語圏に住む志願者に対応するものということです。ミネソタの写真は雪景色のものでしたが、冬は-40から-50度にも下がりとても寒いのだそうです。

そして毎日の生活の様子が紹介されて、誓願を立てるまでのことなどもご紹介くださいました。早朝からの祈禱と黙想とミサ聖祭、それから共同体での日常の種々の仕事を分担して行い、様々な授業を受け、レクリエーションの時間も過ごされ、ご聖体礼拝の時間やロザリオその他の祈りで一日を終えられるとのこと。

今は、誓願を立てた修道女が175人以上10の国の26の使節で働いていらっしゃるそうです。

印象に残ったのは、司祭が祭壇上で十字架の犠牲を新たにするたび、修道女たちは、聖母の十字架のもとでの共同受難を、・・・つまりイエズス様とマリア様が、現代の霊魂のために耐えておられる苦しみを分かち合う・・司祭職と司祭職の内に生き給う私たちの天主イエズス・キリストに仕える・・というこの修道会の霊性のことです。これこそ誓願を立てて自分を奉献することの意味なのだなぁと感じつつ、その道の崇高さ険しさも想像いたしました。

シスターご自身のお話によるものですが、誓願とはイエズス様にすべてをあたえることであり、自分の自由意志を与える従順の誓願、自分のからだを与える貞潔の誓願、自分の所有物を与える清貧の誓願を立てられて、その婚姻の徴に指輪を身につけていらっしゃるのだそうです。そして、この世に死んでいるという意味で黒い喪服のような修道服を身につけられているとのことでした。でも、シスターの修道服姿、とても可愛らしかったです。

本当の奉献をしたいと望む召命がある方は、この聖ピオ十世会修道女会に招かれるだろうと思いました。観想と活動が合わせられているような使徒職の紹介に、このような霊性のところで修練することができれば、完徳をめざしてなおかつ司祭を助けて働くという、”イエズスとマリアのみ心に忠実な信仰生活”を送ることができるのではと思いました。

素晴らしいことに、スライドショーの画面と音声での紹介だけでなく、実際に誓願を立てられ長年働かれていらっしゃるシスターがいらしてくださっていましたので、聖ピオ十世会修道女会の聖なる香りが印象がいっそう強く刻まれたように思います。

質問などにもお答えくだり、修道会のお年寄りの生活のことについての質問がありました。

シスターからは、「聖ピオ十世会修道女会には、まだ老後の問題はありません、みなとても若い修道女ばかりですから。これまでに亡くなられた修道女はまだ三人しかいません。マリー・ガブリエル修母さまと、若い二人の修道女の方々ですが、同じところに眠っています。でも、今から将来の老後をすごすためのケアハウスも建設中?です」と、お答えくださいました。

シスターマリア・ヨゼフ修道女は、とても快活で明るくて、非常に私たちのことを常に気遣ってくださるやさしい方でした。

シスターは、ご両親が敬虔な仏教徒であったにもかかわらず、(おそらく20歳の頃よりずっと以前に)カトリックに導かれて、とても若いうちから修道生活を志したということを伺いました。そして、彼女の熱心な祈りでご両親や周りの方々も受洗されたことを伺い感動しました。小野田神父様は、叙階されてすぐ韓国にも宣教に通われ始めたのではと想像するのですが、小野田神父様の熱心な宣教活動がこのよう実りをアジアにもたらしてくださったと思いました。今では韓国ではたくさんの司祭の召命もあり、なお神学生の希望者も多いと伺います。聖ピオ十世会の司祭の宣教を支えることが、どんなに大切で必要なことか感じさせられました。

シスターは英語・フランス語・韓国語を話されるのだと思いますが、さらに日本語も幾つか憶えて来てくださっていて、私たちとの意志疎通を図るためにとても努力をしてくださったことに頭が下がりました。

最後に一緒に写真を撮らせていただきましたが、本当にいつも笑顔で微笑んでいらっしゃるのが印象的でした。

素晴らしい機会を設けてくださいまして、ありがとうございました。

日本からも司祭と修道者の召命がたくさんありますように、もっといっそうのお祈りをいたします。


【参考記事】
ルフェーブル大司教の従順:自分の過去と断絶してしまった教会、それはカトリック教会ではありません。
「私たちは教会から離れたくありません。その全く反対です。私たちは、カトリック教会を続けたいのです! 自分の過去と断絶してしまった教会、それはカトリック教会ではありません。・・・ 将来、真理が再び明らかになることでしょう。私たちはそれを確信しています。それ以外では有り得ないからです。天主様は、ご自分の教会をお見捨てにはならないからです。」
(ジュネーブにおいての説教1978年5月15日)





THE SISTERS OF SAINT PIUS X 聖ピオ十世修道女会

聖ピオ十世会のシスター会

聖ピオ十世会のシスター会 (Sisters of the SSPX) 誓願式 アメリカ


聖心の小黙想会-2 2018年8月11日霊的講話【1】 「イエズス様は私たちに真理を教えて下さる」

2018年10月02日 | お説教・霊的講話
2018年8月11日(土)イエズスの聖心小黙想会
小野田神父 霊的講話【1】
「イエズス様は私たちに真理を教えて下さる」


人類は、真理を知らずに、罪を犯し、苦しみの中に真っ只中に浸かり込んでいます。人類の代わりに、人類の名前によって、いけにえを捧げてくれる誰かを必要としています。

ちょうど、エルサレムの神殿にいたにもかかわらず、「エルサレム」という聖なる街にいたにも関わらず、道を間違えて、罪の街に行ってしまうような、そしてその道の途中で悪魔に襲われて半死半生になってしまった、そんな、そして捨てられて、傷付いて、自分の手ではどうしても何もする事ができない状態になっているかのようです。

そんな暗闇の中にいる人類に、イエズス様は光を照らして、そして人類を教えようとします。

今のこのお話では、黙想では、「イエズス様が私たちにどうやって真理を教えて下さるか」という事を黙想致しましょう。

ではイエズス様は、どうやって私たちを教えられたのでしょうか?

イエズス様は真理そのものでありますし、天主の知性でもあります。永遠の知恵であります。ですからイエズス様は、勉強したりとか、努力したりとかする必要もありませんし、学校で先生から何か教えてもらう必要もありません。イエズス様は無限の真理を持っています。しかしこの永遠の天主の光は、よく見ると、まず30年間、沈黙の内に準備をしました。人々を教える為の準備をしました。「イエズス様はもう少し早く教えて下さればよかったのに。」しかしイエズス様は30年間、12歳の時を除いて、公に教えようとはせずに、祈りと、従順と、隠れた生活で準備をします。もしかすると日本でも30年間必要なのかもしれません。イエズス様はこの御自分の模範を以て、「どれほど準備が必要であるか」という事を教えられているのかもしれません。

一方、当時の世界は、ちょうど今の日本と同じように、闇の中と誤謬の中に包まれていました。ユダヤ教でさえも、異教の考えが浸透してしまいましたし、ギリシャやローマなどの多神教や、あるいは肉体崇拝や、あるいはサーカスとスポーツと音楽とお金と快楽を求める風潮が染み通りつつありましたし、唯一の天主への愛というものは、ユダヤ教の中でさえもますます失われつつありました。それ以外のところではもう目も当てられません。奴隷と奴隷とが戦うのを殺し合うのを見て楽しんだりとか、そのますます暗黒の中に陥る人類を、イエズス様は、光の中の光、真の天主よりの真の天主は、教えようとします。

ちょうど今の世界も、YouTubeではイスラム教が身代金を要求して、そして誘拐した人を殺害するのを放映したりとか、あるいは不潔なものがあったりとか、映画とか読み物とか、2000年前の異教の世界よりもますますひどくなっているように思われます。

イエズス様はその中で、真理を教えようと来られました。イエズス様が教えようとする事は、まず、「天主様が人類に対して権利を持っている事」「創造主として人類に要求する権利がある事」「人間は天主に従う義務がある事」を、イエズス様は教えます。同時にイエズス様は、「天主の憐れみと人間の哀れさ」について教えてくれます。

イエズス様が、メシアが、救い主が、人類を教えるという事は、その当時の人は知っていました。ユダヤの人は知っていました。ユダヤ以外の人も知っていました。サマリアの罪の生活をしていた、結婚もせずに同棲生活をして、色んな男を取り替えては、罪の深い、かわいそうな女性さえも知っていました。「私はキリストと言われるメシアがおいでになる事を知っています。その方が来られれば、全ての事を知らせて下さるでしょう。」

イエズス様の使命は、闇に、深い闇の中に留まる霊魂たちに教える事でした。天主について人類に教える事でした。天主の知識を与える事でした、天主に関する知識を与える事でした。天主がこの世の創造主であって、私たちの聖父であって、聖なる方であって、正義の方であって、絶対の権力を持っていて、絶対の力を持っていて、私たちがそれに従わなければならない、その御旨を果たさなければならない、という事を教えなければなりません。と同時に、イエズス様は私たちに、この「天主がとても良い私たちの聖父であって、無限の憐れみを持って私たちを愛しておられる」という事を啓示しなければなりません。

イエズス様は言います。イエズス様はその使命を知っていました。ですから御自分の模範を以て、実際の生活を以て、それから生活を以て示した後には、自分の御言葉を以て、その事を教えなければなりません、「私は世の光である。私に従う人は闇を歩かない。永遠の命を持つだろう。私はこの為に生まれてきた。真理を証明する為に。真理からの者は全て私の声を聞く。」

そしてイエズス様がこの真理の声を、優しい謙遜な御声を、3年間、この世界の片隅のガリレアとユダヤの片隅で御話になったその言葉を、全人類は聞かなければなりません。イエズス様が御生涯を以て、御言葉を以て教えて下さった事は、この世の教えとは全く正反対の事でした。この世から見たらイエズス様の教えは、全くの愚かさに見えて、狂気のように思えました。とても受け入れる事ができないとさえ思われますが、しかし真理は真理のまま留まります。

たとえこのか弱い声のように思われても、最後には勝利を収めます。決して負ける事がありません。なぜかというと、真理は天主から生まれたものであって、永遠のものだからです。変わる事がないからです。

イエズス様は御自分の模範と御言葉を以て、全ての人に教えました。小さな子供たちから、ユダヤの先生ラビや、律法学士たち、貧しい人々にも、お金持ちにも、若い人にも、年寄りにも、女性にも、男性にも、大司祭たちにも、サマリアの婦人にも、イスラエルの師であったニコデモにも、イエズス様は深い真理を教えました。

律法学士や司祭長たちには、イエズス様は律法と預言者と聖書について教えました。でも一般の民衆に対しては、イエズス様は単純な、あるいは素朴な近付きやすさを以て、例えを以て教えました、「天の国は、種を撒く人と似ている。」「天の国は、芥子種と似ている。」「天の国は、ぶどう畑と似ている。ぶどうの木と似ている。」

イエズス様のこの教えを見ると、下品な事は1つもありませんし、奥が非常に深いにもかかわらず、かといって難しくて何を言ってるのか分からない、という事もありません。そのレベルに合わせて、分かりやすく、明確に、単純に、でも深い教えを教えて下さいます。

イエズス様が口を開いて教える時には、威厳がありますし、慎み深い、とても優雅なものです。とても高貴なものです。そしてたとえ非常にデリケートな話をする時にも、正確に話しつつも、しかし子供が聞いても別に恥ずかしい思いをする事のない、とても慎み深い話をします。とても賢明であって、誰もが信頼して近付いて耳を傾ける事ができる、2000年経っても、決して古びたり、つまらなくなったりする事のない、深い教えを教えています。

イエズス様は、かといって教えた事を皆がすぐに理解したとは限りませんでした。分からなかったり、理解できなかったりとか、弟子たちさえも非常に理解が遅い、という事にも出会いました。

でもイエズス様は非常に忍耐強く、また「もうダメだ、何度も教えてもこいつらは頭が固いから」と言う事もなく、聞く人たちが非常に野蛮で、乱暴で、下品で、あるいは反対をしたり、批判したり、攻撃したり、罠にかけようとしたとしても、イエズス様は忍耐強く、彼らを優しく取り扱います。何とかして光を当てよう、何とかして教えを導こうと思っていました。

イエズス様は、自分の栄光とか、自分が褒められようとか、自分が何か「すごいですね、先生」というのを求めたよりは、この「霊魂たちが真理を知る」という事だけを追求していました。天主聖父がより良く知られて、より良く愛されて、より良く尊敬を受ける、従順される、という事だけを追求していました。

イエズス様の教えは、この世の教えとは全く反対だったので、あるいはこの世が受け入れる事ができないような厳しいものも含まれていたので、この教えを言う事によって、教える事によって、人々は自分の元を去る、という事も知っていました。また、せっかくこう教えたにもかかわらず、その御言葉を根こそぎ取ってしまって、捨ててしまう人々がいる、という事を知っていました。でもだからといって、真理を薄めたりとか、ちょっと色を付けて、あるいは変えて伝えたりとか、この世の人が飲み込む事ができるようにちょっと甘くして、という事はありませんでした。イエズス様は妥協する事もなく、この世のやり方で教える事もなく、自分の利益を追求する事もなく、教えていました。

弟子たちにはこう言います、「私があなたたちを送るのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。だから蛇のように聡く、鳩のように無邪気であれ。」

もしも罪を犯すような人がいても、その人のもちろん名前を出した事もなし、あるいは誤謬を間違った事をしている人を指差すような事もしないにもかかわらず、しかし悪を悪とちゃんと言っていた、非常に賢明に知恵深くお話されて、行動されていました。議論で打ち勝って何か優越感を得るというよりは、何とかして真理が心に響くように、人々が罪を忌み憎んで、そこで聖徳の生活に移るように、と優しく話しておられました。

イエズス様は、こう何か強制的に、この世的にこの世を改革しようとスローガンを立てる、というよりは、御恵みによって、天主の御憐れみによって、こう優しく、こう世の中を聖化しようと行動しておられました。

では、イエズス様の教えが私たちの心に響き渡りますように、15分ほど黙想致します。

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その15】

2018年10月02日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その15



第15章 教会と革命の結合


革命とは「憎しみ」であり、「人間によって制定されることのないあらゆる秩序への憎悪、人間自身がそこにおいて王でもなく神でもないあらゆる秩序への憎悪」ですが、その起源に傲慢があります。傲慢はアダムの罪の原因でもありました。

教会における革命は現代の傲慢によって説明されます。現代は新しい時代であり、人間はついに「人間のすぐれた尊厳についての自覚」をもったと思っています。現代、人間は自分自身をますます自覚し、「真の社会的、文化的変質について論じることができ、それは宗教生活にまで及んでくる。・・・歴史の経過そのものも、動きが早く、かく個人がそれについてゆけないほどである。・・・要するに人類は、静止的世界観から動的・進化的世界観に移行したのである。そこから膨大で複雑な、新しい課題が生じ、それは新たな分析と総合とを要求している」と考えているとされます。ここで引用した感嘆の言葉は、その他の似ている言葉と共に、『現代世界憲章』の前置きで言われていますが、福音の精神に立ち戻ることについては悲観しています。多くの動きと変革の中で、福音が生き残るのは難しいと見ています。

次の文章はどう理解すべきでしょうか?

「工業形態の社会がしだいに広まり、・・・社会生活の概念と条件とを根本的に変えつつある。」

これは人々がそれの生じることを待ち望んでいたが、それが確かに起こったと言っているに他なりません。つまり、教会の社会教義に従うキリスト教的概念とは全く無関係の社会概念が生じた、ということです。それを前提条件にすれば、もはや新しい福音、新しい宗教にまで導かれるしかないでしょう。次を見て下さい。

「信者は同時代の人々と密接に結ばれた生活を営み、文化を通して表現されるかれらの考え方や感じ方をよく知るように努力しなければならない。現代の科学と学説および新しく発見された知識を、キリスト教の道徳と教理に結びつけることによって、宗教心と道徳感とが科学知識や絶えず進歩する技術と同じ歩調で進むようにしなければならない。こうすることによって信者はあらゆるものを真正のキリスト教的感覚をもって評価し解釈することができる。」(『現代世界憲章』62の2)

聖福音は私たちに邪悪な教えを避けよと教えているのにもかかわらず、『現代世界憲章』では何と変わった勧告をしていることでしょうか! この文章は二様のやり方で理解することができるじゃないですか、とは言わないようにして下さい。何故なら現行の要理書はスキレベークスがそう理解することを望んだように解釈しています。つまり新しい要理書は子供達に、無神論者らの言うことを良く聞くことを勧めています。何故なら、無神論者らからは多くを学ぶことができるし、そもそも天主を信じないことについては彼らには彼らなりの理由があるし、それを知るのは実りがあるから、だそうです。

『現代世界憲章』の第一章の最初の文章はこうです。「地上に存在するあらゆるものは、その中心および頂点である人間に秩序づけられなければならないということについて、信ずる者も信じない者も、ほとんど意見が一致している。」この言葉は、それに続く文章によって、キリスト教的な意味に解釈されるということもできます。しかしながら、この文章はそれ自体で一つの意味を持っており、公会議後の教会では至る所で、まさにその意味でのみ使われているのを見ます。つまり人類の経済的・社会的開花に還元された救いの形でのみです。

私にはこう思えます。もしも信者が無信者との対話において共通の基礎としてこの命題を認め、そしてキリスト教の教えと新しい理論とを結合させるとすると、信者は多かれ少なかれ信仰を失うことでしょう。教会の黄金律は、現代の人間の傲慢によってひっくり返されました。キリストの常に生きており豊饒な御言葉を聞くのではなく、この世の言うことを聞くと言うことになっているからです。

このアジョルナメント(現代化)は自己矛盾を犯しています。現代の混乱の根元は、近代の、というよりもむしろ近代主義の精神にあるのです。何故ならこの精神は、使徒信経、天主の十戒、教会の掟、秘蹟、キリスト教道徳こそが、世の終わりに至るまで全ての時代に有効な刷新の唯一の源であるということを認めるのを拒んでいるからです。「科学技術の進歩は地球の表面を変え、宇宙の征服にまで乗り出した」(『現代世界憲章』5の1)と幻惑され、教会の指導者たちは(私たちは彼らを教会それ自体と混同してはなりません)私たちの主イエズス・キリストでさえも、現代の技術革命に優ることが有り得ないし、従って、キリストのメッセージもそれには適応されない、と考えてしまっているかのようです。

リベラル派が一世紀半も前から抱いていた夢は、教会を革命と結婚・合体させることでした。そして同じく一世紀半の間、教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けました。それらの最も重要な教皇文書のうち幾つか例を挙げれば、ピストイア公会議を排斥したピオ6世の大勅令『アウクトーレム・フィデイ』、ラムネーを排斥したグレゴリオ十六世の回勅『ミラーリ・ヴォス』、ピオ九世の回勅『クァンタ・クーラ』と『シラブス』、新しい権利の概念を排斥したレオ十三世の『インモルターレ・デイ』、シヨン運動と近代主義を排斥した聖ピオ十世の教皇文書、とりわけその教令『ラメンタビリ』、共産主義を排斥したピオ十一世の回勅『ディヴィニ・レデンプトーリス』、教皇ピオ十二世の回勅『フマニ・ジェネリス』があります。

全ての教皇たちは教会と革命との結婚を拒否してきました。何故ならそれは不倫な結合であり姦通だからです。姦通からは私生児しか生まれないからです。新しいミサの様式は私生児的な様式であり、新しい秘蹟も私生児的秘蹟となってしまいます。ですから私たちはもはや秘蹟が本当に聖寵を私たちに与えているのかいないのか分からなくなっています。新しい神学校を卒業した司祭たちも、私生児的司祭です。何故なら彼らは自分が何であるか知らないのですから。彼らは祭壇に登り、私たちの主イエズス・キリストのいけにえを捧げ、イエズス・キリストを霊魂たちに与えるために司祭になったということを知らないのですから。

革命の名前によって、司祭たちはギロチン台に送られました。修道女たちは迫害され暗殺されました。革命中、教会に忠実だったために殺された司祭たちを全て集めて乗せていたナントのはしけがその重さでみな押しつぶされて沈んでしまったことを思い出して下さい。革命がしたことは第二バチカン公会議がしたことと比べれば何でもありません。何故なら、司祭職と自分らが天主の前でした宣誓をうち捨てた二万あるいは三万の司祭たちが、ギロチン台に上り殉教していたほうがもっと良かったからです。何故なら彼らは少なくとも自分の霊魂を救うことになったからです。しかし、司祭職や天主への誓いを捨てることにより、彼らは今、自分の救霊を危険にしているからです。

この結婚した哀れな司祭たちですが、聞くところによると、その多くがもう離婚している、あるいはローマに婚姻の無効を申請しているそうです。これを第二バチカン公会議のよい実りとでも呼ぶのでしょうか? アメリカ合衆国だけでも二万名の修道女らが(その他の国々を合わせたらいったいどれ程大きな数になるでしょうか!)、イエズス・キリストと自分とを結合させる終生誓願を放棄し、結婚しました。もしもこれらの修道女たちがギロチン台に上っていたなら、彼女たちは少なくともその信仰を証できたはずです。殉教者の血潮はキリスト者の種です。しかし司祭らや平信徒たちがこの世の精神と合致しては、何の収穫も刈り取ることができません。殉教者を作らずに教会を破壊する事業をしたのは、悪魔の最大の勝利です。

教会と革命との姦通は「対話」によって性格付けられます。私たちの主イエズス・キリストは「行って、諸国に教えよ、彼らを回心させよ」と言いました。イエズス・キリストは「諸国と対話をせよ、彼らを回心させようとしてはならない」とは言いませんでした。

誤謬と真理とは共存することができません。誤謬と対話することは天主と悪魔とを同じレベルに置くことです。これは教皇様たちがいつも何度も繰り返していったことです。そしてこれはキリスト者が教皇様の言うことを容易に理解していたことです。何故ならこれは常識の問題でもあるからです。

或る態度や違った考え方を押しつけるために、頭脳に働きかける必要がありました。それは聖職者達を近代主義者に作り替えるために、彼らが新しい教えを伝播するためでした。これが「再教育」と呼ばれるものです。これで天主が人間に与えた判断をする機能をあたらしい型にするために条件付けるのです。

私は、自分の修道会の中で、まだ私が修道会の総長であったこの種の作業がなされているのを知る証人です。修道者にまず要求することは「変化を認めること」です。第二バチカン公会議は変化を受け入れた、従って、私たちも変わらなければならない、というものです。恣意的に作り上げた観念を私たちの理性の機能とこじつけて合わせるために、理性の働きを変えなければなりませんから、これは奥の深い変化です。私たちはこのことについて、パリ大司教区の事務所が発行した小冊子『信仰、その一言一言』に読むことができます。

「第二の作業は、もう少しデリケートであり、この様々な変化に置いて変化それ自体のことを評価するキリスト者がもつ様々なやり方を測定することにある。この測定をすることは、変化への反対は、変化のショックという賭けというよりも、変化を前にしてキリスト者がどのような態度を自発的にまた無意識に取るかということに関わる故に、極めて大切である。

典型的な二つのタイプがあるように思われる。ただしこの両者の間にまたがるあらゆる種類の中間的形態をも無視してはならない。第一のタイプは、新しい事態を一つずつ受け入れなければならないと判断し、一定の変化を受け入れていくタイプである。これは多くのキリスト者、多くのカトリック信者のケースで、彼らは段階を追って譲歩していく。

第二のタイプは、使徒達の信仰に忠実であると絶え間なく保証している限り、最新の文化的時代の幕開けにおいてキリスト教信仰の形式の全部をそっくり革新することに同意するタイプである。

このような口先だけの注意を払いつつ物事を進めるのは、近代主義者らの伝統的なやり方です。近代主義者らはつねに自分たちが正統であることを主張し、「最新の文化的時代の幕開けにおいてキリスト教信仰の形式の全部をそっくり改革する」などという見通しに恐れをなしてしまうような霊魂たちに、ちょっとした言葉をもって安心させるのですが、その策略に身を委ねてしまった時には既に時は遅すぎるのです。確かに将来的には、使徒達の信仰を云々する時が来ることでしょうが、その時には信仰を完璧に破壊し尽くされてしまっていることでしょう!

第三の作業は、もしも第二のタイプをその場に引きとどめる場合に必要になります。

「キリスト者は、信仰を危険にする虞があることをそこで感じとらぬわけにはいかない。信仰はそのまま消え失せてしまうのだろうか? それと同時に彼をこのポイントまで導いてきた問題も共に消え去るのだろうか? キリスト者は、とってこの初期の不毛な態度を乗り越えることができるようにする根本的な保証を求めるようになる。」

この小冊子は改革に反対するありとあらゆる抵抗があることを想定しています。では最後にこの新しい信者にどのような「根本的な保証」を与えるのでしょうか? それは聖霊です。「聖霊こそが、歴史の流れにおいて信者を導くものである」と言い含めるのです。

これで目的は達成されました。これでもはや教導職もなく、教義もなく、教会位階制度もなく、天主から息吹かれた文書であり歴史的に確実なものとしての聖書もなく、ただキリスト者は聖霊によって直接に息吹かれるとされでしまうのです。

その時、教会は瓦解します。再教育を受けたキリスト者は全ての影響に身を委ね、ありとあらゆるスローガンに恭順するものとなります。再教育を受けたキリスト者は、人が望むところに連れて行かれるでしょう。もし彼が保証を求めるなら、こう断定すれば彼は変化にしがみついてくるでしょう。「第二バチカン公会議は、問題提起の変化について多くの指標を確かに見せています。」

聖ピオ十世は回勅『パッシェンディ』の中で近代主義の「近接的、直接的原因が知性における誤り(=精神の不健全さ)である」と言っています。再教育は、それを受けていないものには存在していなかった、パッシェンディの言うような精神の不健全さを創りあげます。

聖ピオ十世は、前任者グレゴリオ十六世の言葉を次のように回勅で引用しています。

「理性が新奇なものを求める精神に屈するとき、使徒パウロの警告に反して、それが本来知るべきものよりさらに知ろうとするとき、また、自ら [の力] を過信し、真理が誤謬のわずかの陰さえも被らずに見出されるカトリック教会の外に真理を見出すことができると考えるとき、人間の理性の逸脱は見るに堪えない光景を呈します。」(グレゴリオ十六世 回勅『シングラリ・ノス』1834年6月25日)

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


10月は毎日ロザリオを ― 教皇が呼びかける

2018年10月02日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 10月はロザリオの聖なる月です。毎日ロザリオを唱えましょう。ファチマの聖母は、私たちに毎日ロザリオを唱えるようにお願いされました。教皇フランシスコも毎日ロザリオを唱えることを呼び掛けています。

 バチカンが9月29日、発表した声明によりますと、教皇フランシスコは全世界のカトリック信者に向けて、10月の「ロザリオの月」の間、毎日「ロザリオの祈り」を唱えるよう呼びかけています

 教皇はカトリック信者に、「神の民としての交わりと悔い改めのうちに一致して、私たちを神から引き離し、仲たがいさせようと絶えず試みている悪魔からの保護」を願い、「神の聖なる母と聖ミカエル大天使に祈る」よう促しています。
 教皇は「ロザリオの祈り」の最後に、古来の聖母への祈り「Sub tuum praesidium」【(スブ・トゥウム・プレシディウム)】

“Sub tuum praesidium confugimus Sancta Dei Genitrix. Nostras deprecationes ne despicias in necessitatibus, sed a periculis cunctis libera nos semper, Virgo Gloriosa et Benedicta”.

と、

悪との闘いでの保護と助けを願って「大天使聖ミカエルに向(むこ)う祈り」

“Sancte Michael Archangele, defende nos in proelio; contra nequitiam et insidias diaboli esto praesidium. Imperet illi Deus, supplices deprecamur: tuque, Princeps militiae caelestis, Satanam aliosque spiritus malignos, qui ad perditionem animarum pervagantur in mundo, divina virtute, in infernum detrude. Amen”.

を唱えるよう勧めています。

 教皇はマリアに教会の保護を願って祈ると同時に、「教会がその罪と過ち、現在と過去に犯した虐待をより深く意識し、悪がはびこらないように、ためらいなく闘う決意を固める」ことも願っています。

カトリック中央協議会編の『公教会祈祷文』(絶版)などに掲載の邦訳の「聖母への祈り」と「大天使聖ミカエルに向う祈り」は以下の通りです。


聖母への祈り(終業の祈り)

天主の聖母のご保護によりすがり奉る。
いと尊く祝せられ給う童貞、
必要なる時に呼ばわるを軽んじ給わず、
かえってすべての危うきより、
常にわれらを救い給え。アーメン。

大天使聖ミカエルに向う祈り

大天使聖ミカエル、戦いにおいてわれらを守り、
悪魔の凶悪なるはかりごとに勝たしめたまえ。
天主の彼に命を下したまわんことを伏して願いたてまつる。
ああ、天軍の総帥、霊魂を損なわんとて、
この世を徘徊するサタンおよびその他の悪魔を、
天主のおん力によりて地獄に閉じこめたまえ。アーメン。


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その14】

2018年10月01日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その14



第14章「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」

教会の危機とフランス革命との間に私が浮き彫りにした類似点は、単なる比喩的なものではありません。18世紀の哲学者たちと、彼らの誤りが世に引き起こした動乱による影響は、現代に至るまで続ており、私たちはそのまっただ中にいるのです。教会内にこの毒を注入した者たち自身が、まさにそう告白しています。「第2バチカン公会議は、教会におけるフランス革命である」と豪語したのは、スーネンス枢機卿でした。さらに他のいろいろな宣言で不注意にも技巧を凝らさずに言った発言の中で特に、彼はこうも付け加えています。「もし人は、革命が終わりに至らせた旧体制の何たるかを知らなければ、フランス革命あるいはロシアで起きた革命を何も理解することは出来ない。教会についても同様だ。つまり、反動というものは、ただそれに先立つ事の状況との関係においてのみ判断されうる。」それに先立つ事、つまり彼が廃止されなければならないと考えたものとは、地上におけるキリストの代理者である教皇を頂点とする、素晴らしい位階的建築でした。スーネンス枢機卿は言葉を続けます。「第2バチカン公会議は、一時期の終わりを印した。もしももう少し後ろに下がってみてみるなら、一連の時期の終わり、一時代の終わりを印した。」

同様に、教会改革の張本人の一人である、コンガール神父 (Père Congar) も同じことを言っています。「教会は、平和のうちに、その10月革命をはたした。」 自分が何を言っているのかを十分自覚して、「信教の自由に関する宣言は、シラブス (1864年のピオ9世、1907年の聖ピオ10世により発令された謬説表) と内容上、正反対を述べている」と認めています。やろうと思えば、この類の自白を私は数多く持ち出すことが出来ます。

新しいミサにおいては、これまで全世界で執行されてきた典礼様式とほんの少しの違いがあるけれども、しかし根本的に驚異的な違いというものは全くない、と思いたいと考えている人々がいますが、1976年、典礼司牧全国センターの指導者の一人、ジェリノー (Gélineau) 神父は、そう思う人たちのあらゆる幻想を一掃しています。

「第2バチカン公会議で決定された教会改革は、雪解けの合図を与えた・・・。全体構造は崩れ落ちた・・・。それに関して間違ってはならない。翻訳するということは、別の言葉で同じ事柄を述べることではない。それは形を変えることだ。形が変われば、典礼様式も変わる。一つの要素が変化したら、全体も変わる・・・。はっきりと言わなければならないのは、私たちが知っていたローマ典礼は、もう存在していないということだ。それは破壊されてしまった。」(Demain la liturgie, Ed. Du Cerf)

カトリック自由主義者たちは、疑う余地もなく革命的環境を確立しました。彼らの内の一人、フランスのドゥー県の上院議員である、プルロ (Prelot) によって書かれた本の中には、こう書かれています。

「我々は、一世紀半の間、教会の内部で私たちの思想が支配するように闘ってきたが、成功を見なかった。最後に、第2バチカン公会議が来て、我々は勝利した。今後は、リベラルなカトリック主義の命題と原則は、決定的かつ公式に聖なる教会によって受け入れられた。」

革命が教会内に、平和主義と普遍的兄弟愛を装って持ち込まれたのは、このリベラルなカトリック主義の影響を通してでした。現代人の誤謬と誤った原理は、リベラルな教皇自身らのおかげで、また、第二バチカン公会議のために、教会に染み込み、聖職者達を汚染してしましました。

事実を正確に知らなければならないので、私はこう言いたいと思います。先ず、1962年に、私は公会議の開催に反対していませんでした。むしろ私は、それを大きな希望を抱いて迎えました。手短な証拠として、1963年に私が聖霊修道会の司祭たちに書き送り、私の前著の中の一つで公表された、手紙があります。私はその手紙の中で「いくつかの典礼的な刷新は必要であったと、私たちは躊躇なく言えるでしょう。そして公会議がこの方針で継続することが期待されます」と私は書いています。刷新は、礼拝の場所の中だけに制限される祈りと、行動、学校、職場、市民生活との間で掘られた溝から来る、硬化症に終止符を打つためには必要不可欠でした。

教皇によって私は第二バチカン公会議の中央準備委員会のメンバーの一人に指名され、2年の間その仕事に熱烈かつ根気強く貢献しました。この中央委員会は、専門委員会から出される予備概要の草案に目を通し、審査する責務を担っていました。そのため、何がそこで行われ、審査されるべき内容と、第二バチカン公会議に提案されるべき事柄とを知るためには、私は最適な位置にいました。

この仕事は、非常に入念に、かつ細心の注意をはらって完全に実行されたのです。今でも72の予備概要の草案を私は持っています。その中で、教会の教義は完全に正統であり、これら予備草案は何らかのやり方で、現代に合うように適応されていますが、そこには大きな節度と智恵がありました。

すべては、予告されたその日の為に準備万端でした。1962年10月11日、第二バチカン公会議の教父たち(=公会議に参加した司教らのこと)は、ローマの聖ペトロ大聖堂内の中央部にある議場に着席しました。しかしその時、聖座によって予期されていなかったある出来事が起きたのです。公会議は、その初日から急進派の勢力によって包囲されたのです。私たちはそれを経験し、感じたのです。ここで「私たち」と言う時、それはこの時の公会議教父たちの大部分を指します。

私たちは何か異常なことが起きていると感じました。これはまもなく確証されたのです。公会議開会の15日後、あの72ある予備概要の草案は何も残っていませんでした。草案のすべてが返送され、否決されて、くずかごに捨て去られたのです。

この出来事はこのように起こりました。公会議規定によれば、予備概要草案の否決には、3分の2 (67%) にあたる票が必要とされていました。ところが、実際に投票してみると、予備草案反対が60% (5分の3)、賛成が40% (5分の2) でした。従って、反対票は3分の2を獲得していないことになり、本来なら公会議は準備されていた予備草案を基礎にして続行されるべきでした。

強力な、いや非常に強力な組織が姿を見せたのはこの時でした。この組織は、ライン河沿岸諸国の枢機卿たちによって作られ、完璧に組織された秘書部と共にすべて整えられていました。彼らは教皇ヨハネ23世に謁見し、言いました。

「教皇様、これには承認できません。彼らは多数票を得ない草案の検討をすることを望んでいるのです。」

とうとう彼らの嘆願は受諾され、達成された彪大な仕事は忘れ去られてしまいました。こうして第二バチカン公会議は、空手で何の準備もなくなっていました。例え会社は小さくとも、重役会議の議長の誰が、協議事項や書類の準備もせずに会議を進行するでしょうか? ところが公会議はこのように始まったのです。

それから、公会議の委員達を指名する仕事がありました。これが難しい問題だったのです。何故なら世界中至る所からやって来て、聖ペトロ大聖堂内で突然顔を合わせる司教たちのことを想像してみて下さい。大半の司教たちはお互いを知らず、知っていても3人か4人であり、その他そこに参列する司教2400人中の僅か数人を、その名声によって知っていたくらいです。このような状況で、司祭に関する、又は典礼に関する、あるいは教会法に関する等々の特別専門委員会のメンバーに誰が最も適任なのかを、彼らはどうやって知りえたでしょうか?

全く合法的に、オッタビアーニ枢機卿は参列している各司教たちに対し、第二バチカン公会議準備委員会のメンバーリストを配布しました。従って、このメンバーたちは聖座によって選抜され、討論される題目に、既に携わっていた方々でした。このやり方は参列司教たちにとって、いかなる強制もなく、自由に適任者を選ぶ助けになりえたのです。そしてこれら経験を積んだ方の委員会への任命されることは確かに望ましいことでした。

しかしその時、ある抗議の声が起きたのです。その時立ち上がりこのような演説をした枢機卿の名前を挙げる必要はありません。「適任者名を提示することで、公会議のうえに黙認することのできない圧迫がかかっている。公会議教父 (司教) たちには自由が与えられるべきだ。またもや、教皇庁は、自分のメンバーを置こうとしている。」

この野蛮な介入を前に衝撃を受け、第二バチカン公会議の議事を終了しました。その日の午後、事務長であるフェリチ枢機卿はこう発表しました。「教皇様は、司教評議会を開いてそこでリストを作成するほうが良いかもしれないと認めておられます。」

当時の司教評議会は依然として未熟なものでした。たった24時間という時間しか与えられなかったので、然るべきやり方で彼らが集まることも出来ず、とにかく要求されていたメンバーリストを、司教評議会はやっとのことで準備したのです。

しかしこの小さなクーデターの計画を練った者たちは、様々な国々から特別に選ばれた人たちを準備していました。彼らは司教評議会に先んじることが出来、事実上過半数を得ることが出来ました。その結果、委員会は、3分の2が進歩派に属し、3分の1が教皇によって指名されて構成される結果になりました。

新しい草案は、初期のものとは全く違う方針のもので、すばやく出されました。いつの日か、公会議の直前には教会の教義がいかなるものであったかの比較が出来るように、捨てられた草案と新しい草案を出版してみたいと思っています。

政治的な議事や教会の議事に少しでも出席経験がある方なら、教父達(=公会議参列司教たち)の置かれた状況が理解できると思います。これら新しい草案の中で、僅かに節あるいは命題を修正案によって修正し得たのですが、草案の本質的要素は変えることが出来ませんでした。その結果は深刻なものだったのです。元々から歪んでいる原文は決して完全なものへと修正されません。原文にはそれを起草した人の跡とそれの考えを息吹いた人の思想が残るからです。その時以来、公会議は (進歩主義に) 傾斜してしまったのです。

第三の要素が第二バチカン公会議をリベラルな方に導くことに寄与しました。ヨハネ23世によって任命された十名の公会議の議長の代わりに、パウロ6世は、終わり2つの総会のため4人の議長を任名しました。この任命された4人について少なくとも言えることは、彼らは最も穏健でバランスの取れた枢機卿たちから選ばれたのではなかった、ということです。彼らの影響は、公会議の教父たちにとっては決定的なものでした。

リベラル派は少数でしたが、しかしアジテートし、組織化され、近代主義神学者の大群に助けられた少数派でした。そこには、公会議を我が物顔で振る舞い続けた人々の名前がみなそろっていました。ルクレルク (Leclerc)、マーフィ (Murphy)、コンガール (Congar)、ラーナー (Rahner)、キュンク (Küng)、スキレベークス (Schilebeeckx)、ベスレー (Besret)、カルドネル (Cardonnel)、シュニュ (Chenu) などでした。

そして思い起こさなければならないのは、ドイツ・オランダ司教評議会から助成金を支給された、IDOC (オランダ・インフォメーション・センター) による莫大な出版物の量です。ドイツ・オランダ司教会議は何時如何なる時も、司教たちが国際的な世論から期待されるやり方で行動するように促していました。このような状況は、教会がこの世の考え方と合作するのを見たいと望んでいるこの世の期待を裏切ってはならないのだというほうへと一種の強迫観念を創りだすことでなされました。

この運動の扇動者は、教会を現代人に適応させること、つまり、教会をあらゆる束縛から自分を解放したいと望む人間に適応させることをひっきりなしに求める有利な立場にいました。

彼らは硬直化した、適応できない、無力な教会というものを見せつけました。彼らは自分の前任者たちの胸を打たせて彼らに罪を着せました。彼らはカトリック信者を昔の分裂についてプロテスタントや正教徒と同様に罪があると提示しました。彼らは第二バチカン公会議に参加するように招かれた多数の「別れた兄弟たち」がローマいたので、謝罪するように求めました。

聖伝の教会は、その富と凱旋主義において咎めるべきであり、公会議の教父たちはこの世の外にいること、この世のものではないことを罪深いことだと感じ始めていました。彼らは自分の身につけていた司教の印を恥じていました。もうすぐ彼らはスータンを着るのさえ恥じるようになるのです。

この解放の雰囲気はすぐに全ての領域に広がることになります。司教団体主義の精神は、二十世紀の人間、いえ正確にはリベラルな人間のメンタリティーにかくも反対する個人的な権威の行使を恥じ、その恥を隠すために人が投げてくれるノアのマントとなることでしょう。【大洪水の後、ブドウ酒を飲んで酔い服が乱れたノアに、子供のセムとヤフェトはマントを父ノアの裸にかけた。創世の書九章より】

信教の自由、エキュメニズム、神学の探求、カトリック教会法典の改訂は、救いの唯一の方舟であると宣言していた教会の凱旋主義を軽減するだろうと考えられました。「乞食を恥じる人」がいるという言い方があるように、「司教であることを恥じる人々」がいました。司教たちに後ろめたい思いをさせることによって彼らに影響力をふるっていたのです。まさにこれこそ全ての革命で使われてきたやり方なのです。

この効果は、公会議の議事録の多くに記録されています。このことに関して『現代世界憲章』の最初のところ、現代世界の変化、歴史の加速化した動き、宗教生活に影響を与える新しい条件、科学と技術の優位性などに関することをもう一度読んでみるべきです。これらの文章においてリベラリズムのもっとも純粋な表現を誰が見ないでいられるでしょうか?

私たちは、公会議について教皇ピオ12世をその師と仰ぐことによって、素晴らしい公会議にすることができました。私は、ピオ12世がその全ての知識と全ての神学と全ての聖性をもって解決をしなかったような現代世界の問題があるとは思い当たりません。ピオ12世は、信仰の角度から物事を真に見ることによって、ほとんど決定的な解決策を与えました。

しかし教義決定の公会議をすることを拒否したその瞬間、物事をそのように見ることはできなくなりました。第二バチカン公会議は司牧会議でした。ヨハネ23世はそういいましたし、パウロ6世はそう繰り返して言いました。様々な総会の最中に、私たちは何度もいろいろな言葉の概念を定義させようと望みました。しかしこう言う答えが返ってくるだけでした。「いや、私たちはここで教義決定の公会議をしているのではないのだ。私たちは哲学をしているのでもない。私たちは司牧をしているのだ。」

自由とは何でしょうか? 人間の尊厳とは何でしょうか? 司教団とは何でしょうか? これらの用語によって何を理解すべきかを知るために公会議の文書を決定的に分析することができなくなってしまっています。従って、用語が曖昧なので、だいたいのことしか分からないのです。しかもこれは怠けていたのでも偶然そうなったのでもありません。教父であるスキレベークスはこう告白しました。「私たちは公会議で曖昧な用語を使ったが、私たちはそこから後でどの意味で取り出せばよいか知っている。」これらの人々は自分たちが何をしているかをよく知っていたのです。

長い歴史の中で、第二バチカン公会議以外の他の全ての公会議は、教義決定のための公会議でした。すべての公会議は誤謬と闘いました。ところで現代において闘わなければならない誤謬があったかについては天主がご存じです。教義決定の公会議はもっともの必要なものだったでしょう。私はウィンスジンスキー枢機卿が私たちにこう言っていたのを思い出します。「どうか、共産主義に関する文章を起草して下さい。今日、世界を脅かす重大な誤謬があるとすれば、共産主義こそがそれです。もしもピオ11世教皇が共産主義に関する回勅を書かなければならないと思ったのなら、同じように私たち、ここに公会議の総会に集う私たちにとってもこの問題に関して専門の文書を作るのはたいへん有益でしょう。」

共産主義はサタンの霊から出たものの中でもっとも恐ろしい誤謬です。共産主義は公式にバチカンに入りました。共産主義革命は東欧諸国の牢獄を経験した枢機卿たちの絶望的な警告にもかかわらず、特に教会の公式の無抵抗によって、しかも、教会にある頻繁な支持によって賞賛されることになりました。

何千万の殉教者たちや、精神病院において科学的に非人格化され人間の実験材料とされたキリスト者や反体制の人々を思いやる時、この司牧公会議が荘厳に共産主義を排斥することを拒否したことは、それだけで、全歴史を前にして恥となる行為でした。それにもかかわらず司牧公会議は沈黙していました。私たちは共産主義に反対する宣言をするように要請する四百五十の名の司教たちの署名を得ました。しかしこれらの署名を持つ請願書は引き出しの中に忘れ去られました。『現代世界憲章』の起草代表者は私たちに質問にこう答えました。

「共産主義を排斥することを求める請願は二つありました。」

私たちは叫んで聞きました。「たった二つだけですか?四百以上ありました。」

「あれ? そうですか? 知りませんでした。」

その後で請願書を探し、それを確かに見つけましたが、全ては後の祭りでした。

これらの事実を私はじかに体験して来ました。公会議事務総長のフェリチ大司教にディアマンティナ大司教区のデ・プロエンサ・シガウド大司教この署名を持っていたのは私でした。

従って、私は実際に起こったことは本当の意味で容認することができないことだったと言わなければなりません。私は公会議を排斥するためにこう言うのではありません。そして私はこれが多くの場合、数多いカトリック信者の困惑の原因となっていると言うことも知っています。何故なら、彼らは公会議がそれでも聖霊によって息吹かれていると考えていますから。

公会議が聖霊によって息吹かれている、とは必ずしも言えるわけではありません。何故なら、第二バチカン公会議は司牧公会議であり、教義決定の公会議ではないからです。何故なら、第二バチカン公会議は説教であって、それ自体で不可謬性を行使した公会議ではないからです。総会の終わりに私たちはフェリチ大司教にこう質問しました。

「神学者たちが公会議の性格と呼んでいるものを私たちに与えてくれることができないでしょうか?」

フェリチ大司教はこう答えました。

「草案、章、過去において既に教義決定の対象になったものに従って区別しなければなりません。新しい性格を持った宣言については、留保しなければなりません。」

従って、第二バチカン公会議はその他の公会議のような公会議ではないのです。ですから私たちには第二バチカン公会議を、賢明に慎重に判断することができるのです。私はこの公会議と改革の中で、聖伝と完全に調和するものを全て受け入れています。私が創立した事業がそのことを十全に証明しています。私たちの神学校はとりわけ公会議によって表明された望みとカトリック教育聖省の「基本理念 Ratio fundamentalis」に完全にかなっています。

しかし、公会議そのものではなく公会議後の適応だけが間違っていたと言い張るのは不可能なことです。聖職者の反乱、教皇の権威に対する抗議、典礼と新しい神学の無茶苦茶、教会の荒廃などは、つい最近ある人が主張したように第二バチカン公会議とは何の関係もないのでしょうか? まさか! 正直になりましょう。それらは公会議の実りなのです!

こんなことを言うと、不安に思う読者の当惑を増してしまうだけだと言うことは分かっています。しかしこの騒動において、キリストの教会を終わらせようとするこの世の努力を無に帰すことのできる一条の光が輝きました。教皇様は1968年6月30日その信仰宣言をなさったからです。これは、教義上の観点から見ると、全第二バチカン公会議よりも重要な行為です。

この信仰宣言は、ペトロの信仰を断言するためにペトロの後継者によって書かれ、絶対的に特別な荘厳さを帯びています。教皇様がこの信仰宣言を読むために立ち上がると、枢機卿たちも起立し、群衆もそれをまねして立ち上がりました。しかし教皇様は皆を座らせました。教皇様はキリストの代理者として一人でこの信仰を宣言したかったのです。そして教皇様はもっとも荘厳な言葉をもって、聖三位一体の名において、聖なる天使達と全教会の前においてそうしたのです。従って、教皇様は教会の信仰に関わる行為をなしたのです。

私たちはこうして、聖霊は私たちをうち捨ててはおかれなかったことを感じる慰めと信頼を得たのでした。信仰のアーチは、第一バチカン公会議にその一つの土台を持ち、またパウロ6世の信仰宣言に新しい土台を見つけたと言うことができると思います。

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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