Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

月の初水曜日 聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

2017年09月06日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、9月6日は、初水曜日(月の初めての水曜日)です。

毎月の初水曜日には「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。


聖ヨゼフは、この世で天主イエズス様と浄配なる聖母マリア様を最も良く知り、愛された御方であり、その隠れた徳ゆえに偉大なる御方、イエズス様とマリア様の最大の命の恩人であられました。

また、聖ヨゼフは、この世では、全てを天主の栄光のために、隠れてその生涯をささげられたが故に、天にて聖母の次に最大の栄光をあたえられていらっしゃいます。

聖伝では、水曜日は聖ヨゼフに捧げられた曜日であり、月の最初の水曜日を聖ヨゼフに捧げることで、聖ヨゼフを讃え、その御取次に信頼し、その御徳に倣って、聖ヨゼフを通して、天主イエズス様とマリア様をお愛しすることができますように。

初土曜日の「聖母の汚れ無き御心」への信心にならって、この「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」のどれかを「15分間黙想」することにいたしましょう。

聖ヨゼフの帯の信心については、下記リンクをごらんください。
聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失ならんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔さ良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。



2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、
天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。



3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、
イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。



4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、
数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。



5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、
御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。



6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、
天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。



7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。



交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。



英語ではこちら。
THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.

ファチマの牧童たちはすごい!ロザリオの十字軍へのご協力を心から感謝します。

2017年09月06日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年 9月 06日現在、
日本から今までの総計で、ロザリオ 25,621環、犠牲 67,820回が報告されております。天主様に感謝!愛する兄弟姉妹の皆様のご協力に感謝します。

マニラからは総計として、ロザリオ343,757環、犠牲133,287回が報告されています。

韓国からは、ロザリオ11250環、犠牲750回が報告されています。

今回のロザリオの十字軍では、数はあまり集まらなかったかも知れませんが、私たちは特に意向をはっきりさせることができたと思います。

ファチマの子供たちの模範は、すごいと思います。実際にやってみて彼らのすごさが分かります。一日や一週間だけではなく、聖ジャシンタや聖フランシスコは、死ぬまでやり通したのですから。

犠牲を捧げるのは、口で言うのは易しく、できるだろうと想像するのも簡単ですが、実際に少しでも実践するのは、本当に犠牲やつらさが伴います。ファチマの牧童たちから、なんと遠くにいることでしょうか!

このロザリオの十字軍によってファチマ100周年が準備できたことを感謝すると共に、この十字軍に寛大にご協力してくださった愛する兄弟姉妹の皆様に心からお礼申し上げます。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
ロザリオ十字軍の報告をさせていただきます。

2017年1月から8月22日までの ロザリオ 258環
  小さな犠牲 868回です。
たくさん、たくさん感謝です!

【報告】
アヴェ・マリア!

小野田修道院長様

ロザリオ十字軍で1年間捧げたロザリオの数をご報告します。
416環でした。
ご報告が遅くなり申し訳ありませんでした。

犠牲の数は正確にはできませんが、金曜日だけにすると50回と
ご報告させていただきます。

ファチマの巡礼のご報告読ませていただきました。
大変お疲れ様でございました。

私は10年前にファチマとリスボンに行ったことがあるのですが、
大変なつかしく思い出されます。
リスボンのここからフランシスコザベリオが東洋、日本に向かって
旅立たれたのだなあと想像したのも同じです。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ロザリオ十字軍の報告をいたします。
ご報告が遅れまして申し訳ありません。

7月と8/1~8/22まで  86回でした。


【報告】
ロザリオの十字軍のご報告 7月1日~8月22日

アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様、こんにちは、

ロザリオの十字軍のご報告です。

7月1日~7月31日
ロザリオの祈り 99環
犠牲 136

8月1日~8月22日
ロザリオの祈り 87環
犠牲 104

ご報告が遅れて大変申し訳ございません。
前回2014年のロザリオの十字軍に参加させていただいてから、ロザリオの祈りを毎日することができるようになりました。以来、たくさん唱えることばかりでなく、意向を持つことと黙想を心がけるようにしました。
それで今回のロザリオの十字軍では、数を増やすことがなかなかできませんでしたが、7月に入ってからは、少しくらいは無理をしてお祈りをお捧げしようと決めまして、数を増やすようにしました。たとえ、からだでもって唱えるだけに終始してしまうことになってもそうすること、その時間をとることと決めて、聖母マリア様、聖ヨゼフ様に特にお願いを持ってこれを実行しました。
結果、数を増やしても、より意向を持っておいのりできたと思います。黙想がそれてしまったりすることも少なくなったと思います。その日その日にロザリオの祈りを数多くしようとするのは、正直億劫な感じが出ることがしばしばありまたが、そんなときは、この経験を思い起こして積極的になれます。わたくしのほんのささやかな経験ですが、感謝しきれない思いです。今もこれでもって引き続き同じ意向でロザリオの祈りを続けております。

 今回はできるだけ犠牲をお捧げしたことをカウントいたしました。犠牲をお捧げするときに「イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人の回心のため、また聖マリアの汚れ無き御心に対して犯さるる罪を償うためです。」と言うことと、数をカウントすることでもって、犠牲をお捧げしようとしている自分自身と向き合うこと、それは、ほんのちょっとした自分の中の何かから逃げ隠れしたい感じやごまかそうとしているかもしれないことを受け入れる機会を与えていただいていることに思い至るようになり、恥じ入るほかはないのですが、正直になれることは大きな安心につながり、励みもいただいていたと思います。
 自分の心や体の習慣の悪いところを少しでも償うことができれば・・・と思うばかりでした。「今この犠牲をしなければならないのは自分がよくないからでは?!」と思うこともありましたが、それでもお捧げさせていただきました。今回のロザリオの十字軍では、犠牲をお捧げすることがより真実に正直になる助けとなっていたと思いました。自分に正直になるなら、誇れるものは何一つ無く、恥と後悔しか無い・・・。これがわたくしの実態ですから、償いや犠牲をお捧げしていくほかに無いのです。汚れきっているこの自分でもって・・・。こんな自分を挽回して頑張ろうとする前に。
 ファチマの牧童たちが、お弁当も食べず、水も飲まずに犠牲をお捧げしていたことを、この夏の時期しばしば思い出し、倣うようにし、彼らにお取り次ぎをお祈りしました。十字架のイエズス様の御渇きに加えて幼い彼らの空腹とのどの渇きをも思い起しました。渇きや空腹は忍耐をするのにわかりやすく味わえますから。終生いつもいつもいつも彼らの渇きと忍耐をを忘れないで生活したいと思っております。
以上です。

聖ピオ十世会 日本での9月の聖伝のミサ SSPX JAPAN Traditional Latin Mass in Japan

2017年09月05日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 9月の初金・初土、また9月3日の聖ピオ十世の祝日の聖伝のミサのご報告の続きをいただきました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 聖ペトロ大聖堂の聖ピオ十世教皇様の祭壇でミサを捧げることに続いて、9月3日の聖ピオ十世会の守護の聖人のミサを捧げることができたのは、本当に嬉しいことでした!


 次の聖伝のミサは、次の通りです。
大阪では、初金、初土曜日のミサがあり、聖母の誕生日の祝日(9月8日)にミサがあります。

【大阪】
   9月 8日(金) 童貞聖マリアの御誕生(2級祝日)白
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

   9月 9日(土) 聖母の土曜日(4級)白
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

   9月10日(主) 聖霊降臨後第14主日(2級)緑
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭 

   9月11日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前6時半 ミサ聖祭 

【東京】
   9月10日(主) 聖霊降臨後第14主日(2級)緑 
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

   9月11日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前7時 ミサ聖祭

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
9月の初金・初土の御ミサの報告をお送りいたします。

9月1日(初金曜)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサには9名が、
9月2日(初土曜)聖母の汚れなき御心の随意ミサには17人が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

初金曜日のお説教ではイエズス様の聖心への信心の核心についてお説教を頂きました。
イエズス様の聖心への信心は、言い換えると、「天主様の愛への信心」といえ、人間を愛するがために、この世だけでなく永遠の幸福まで与るために、
全知全能、無限の愛である天主がこの世に下ろうと思われた 愛、しかも十字架上でご自分の命さえ捧げるほどに私たちを愛された事を考え、愛を愛で返すため作られた信心であるのです。
聖会の長女といわれたイエズス様に特別に愛されたフランスが、み主のちいさなご要求に答えなかったため、フランス革命や、イエズス会の廃止など大きな代償を払う事となったことを今、私達はもう一度よく思い出さなければいけないのはないでしょうか。

初土曜日は、イエズス様の聖心への信心の延長上にある、イエズス様に最も嘉されるであろう聖母の汚れなき御心への信心について再度確認をしました。ファチマでマリア様がその汚れなき御心を示され、続いてトゥイでもその汚れなき御心の信心をイエズス様が望まれ、それによって救霊が約束され、そ れは最後の手段であるというとんでもない大きなお約束をされました。しかしそれにもかかわらず、イエズス様とマリア様のご要求はまだ果たされず、人類は窮地に立たされています。ファチマ100周年の巡礼を終えたからといって、何かが終わった、果たされたのでは決してなく、マリア様のご要求を教皇様、全世界の司教様、一人でも多くの人々が果たす事ができるように、巡礼という大きな恵みを頂いた私たちは引き続き、いえ、今までより更に祈り、犠牲を捧げるべきだと思いました。

公教要理では、聖書研究の続きで、「サドカイ派とファリサイ人」について勉強しました。
マカベオ兄弟のアステカ朝によってサドカイ派とファリサイ派ができた理由や、
イエズス様がファ リサイ人を厳しく批判された理由も、初めて知る事ができました。
このような、聖書の時代背景を勉強する機会を持つことが出来て、福音書の理解力や、黙想の助けとなっています。続きが楽しみです。神父様、ありがとうございます。m(__)m

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え


【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 25人(内、子供3人)
女: 29人(内、子供4人)
計: 54人(内、子供7人)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

主日のミサ証聖教皇聖ピオ十世教皇のミサ聖祭をありがとうございました。
簡単ですがご報告を申し上げます。

聖ピオ十世会の守護聖人は聖ピオ十世教皇様ということで、この日は特別な主日のミサとなりました。会場も満員でした。

普通の聖人様については読んだり聞いたりする機会も多かったのですが、私は聖ピオ十世教皇様が列聖されたのはどうしてなのかということをよくわかっていませんでした。聖ピオ十世教皇様の生涯についてと彼がどのような聖人でありどのような生き方をされどのような所が優れていたがために列聖されたかということなど教えていただきました。

私がこれまで聞いたことがある聖ピオ十世教皇様の逸話と言えば、貧しい家に生まれて学校に通うために長い道のりを歩かなければならなく、靴の底が減らないように靴を担いで裸足で学校に通った。というお話しや、教皇様になってからも憐れみ深い聖職者で貧しい民衆を大切にされた、金庫が空になっても施しをされて必要な支払のお金が無くなってしまっても不思議と必要なだけのお金が誰からともなく届けられた。などいうようなことでした。

今回はお説教で聖ピオ十世教皇様の教皇職としての業績を話していただいて聖ピオ十世教皇様のなさろうとしていたことは現代においても必要なことであり大切なことだと理解することができました。そしてマリア様の無原罪の御宿りの教義と深い関係がありマリア様の御出現のこととも深く結びつくものがあるとわかりました。

聖ピオ十世教皇の指導原理は「イエズスキリストを知るように」とのことだったとのこと。(回勅E supremi apostolatusにて)「人類の状況は重い病気に罹っているようなもので天主からの背教ということがその原因だ。」と述べ、聖パウロの云われたように「すべてをイエズスキリストにおいて復興させなければならない」との立場で司牧をされたとのことでした。イエズスキリストをよく知るためにはカトリック教会が必要だし聖なる司祭が必要であり神学校が多く建てられなければならないすべての権威は天主から来ることが教えられなければならないし、凡てがキリストにおいて復興されなければならない、と。

(また二番目に出された回勅Ad Diem Illumにては)どうやったらイエズスキリストを知ることができるかということのためにはその50年前に出された無原罪の御宿りのドグマを取り上げられマリア様のないイエズスキリストの預言はないとしてマリアさまをとおしてのみイエズス様が与えられたのであり、マリア様をとおしてイエズス様のところへ行くようにと お話されたとのことでした。

ご聖体を大切にして頻繁に愛を持ってご聖体拝領をするように勧められ子供にもそのことを奨励したということ。美しいグレゴリア聖歌を歌うミサを大切にするよう促されたこと。ロザリオを大切に祈るよう奨励され聖母の汚れなき御心に奉献することの大切さを教皇様の立場としても身をもって行われたこと、これらのどれもいま聖ピオ十世会で奨励していることであり、この修道会の保護聖人の導きがあると感じられました。

聖ピオ十世会でファチマのマリア様のメッセージを真剣に取り上げてロザリオ十字軍や初土の信心などについて熱心に指導してくださるのは聖ピオ十世教皇様の御保護の下にあるからなのかもしれないと思いました。

百年以上も前のマリア様の御出現(ルルド・ラサレット・ファチマ)と聖ピオ十世教皇様の教皇としての偉大な働きは、現代において聖ピオ十世会において結びつき受け継がれて真実の信仰真のカトリック信仰を求める人たちを惹きつけているということに気づきました。

百年前に信仰の危機と評した出来事の本質的な部分はまだ続いていて、一見形を変えて巧妙にカモフラージュしているかのようです。現代はもう新しい時代なのだから!という人たちを、煙に巻いているようですが、実は深刻なバトルが天において(霊的には)繰り広げられているとっても過言ではないと思います。かえってあなたの霊的な目にはこの現実の背後に潜む重大な背教が映らないのですか?と言いたいと思うくらいです。

イエズスキリストを求めてカトリック教会に来ても憐れみの聖寵を受けることができず天のパンもいただけずマリア様も見出せないようなら、本当に残念なことです。私は長い間ずっと本物を探し求めてきてようやくカトリックの門を叩いても残念な思いをした経験があります。それでカトリック教会以外のところにも求めてみましたが、やはりカトリック教会以外のところにイエズスキリストを見いだせないとわかりました。

百年以上も前の教皇様の回勅が今もこれほど生き生きと読まれるとは本当に驚きです。それも百年前のマリア様の御出現でのマリア様のお話とおなじような内容です。今も聖ピオ十世教皇の指摘されたような背教が続いているのであり、真にキリストを求める人たちには早くこの現代に起こっている事柄の真の意味を知ってほしいと思います。

なぜ日本のカトリック教会では一般的に言って、ファチマの聖母の御出現の意味を深く黙想することをしないまま、この世的な精神での信仰を生きさせようとするのか、と思っていましたが、聖ピオ十世教皇の出された警告はまだ続いているということかもしれません。近代主義(現代主義)に呑み込まれようとする今のカトリック教会の危機は百年以上も前から始まっていたことであり、聖パウロの言葉が残されているようにどの時代にも同様の攻撃があったということなのでしょう。

私にできることはロザリオと償いのご聖体拝領と、ファチマのマリア様と聖ピオ十世会のことがもっとよく知られるよう祈ることと感じられました。もっとより広く世間に住む人たちにも知っていただき、イエズスキリストを求めるものがカトリック教会の門を叩く時に失望いたしませんように。神父様が私たちとその家族を聖母の汚れなき御心へと奉献して下さったことは本当にお恵みでした。ファチマのコヴァダイリアにおいても直接聖母の御元にて奉献してくださいました。感謝申し上げます。

お説教の中で「マリア様をとおしてのみイエズス様があたえられた」とお話しくださいました。これからはイエズスキリストを中心に置く生活をするよう努めて、そのためにいつもマリア様の汚れなき御心の中に深く入っていくことができますようにと決心を新たに致しました。神父様ありがとうございました。

至聖なるイエズスの聖心われらを憐れみ給え!聖母の汚れなき御心われらのために祈り給え!
聖母の汚れなき御心のうちに!

秋田巡礼-説教-2017年5月5日「至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ」 イエズス様の聖心を最もお慰めできる聖体拝領とは?

2017年09月02日 | お説教・霊的講話
2017年5月5日 秋田巡礼 至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ
小野田神父 説教


至聖なるイエズスの聖心、我らを憐れみ給え。

聖父と聖子と聖霊とに御名によりて、アーメン。

シュテーリン神父様、秋田の巡礼者の皆さん、今日は初金曜日で、イエズス様の聖心の信心を行っています。そこで3つの点を黙想いたしましょう。

聖心の信心を実践するというのはどうしたら良いのか?一体何が求められているのか?

第2に、イエズス様は、どういう風にするとどんな手段をすると、この聖心の信心をうまく実践するかを、良いやり方を教えて下さった、それは、マリア様の汚れなき御心を通して実践するという事だ、という事を私たちはこの巡礼の時に学びました。

では一体、マリア様の御心とイエズス様の聖心は1つなのか?そうだ。一体何故?

この3つを黙想して、最後に私たちは、では今日この御ミサで、巡礼の最後の締めくくりの御ミサで、一体どうやって御聖体拝領をしたら良いのか、という遷善の決心を取る事に致しましょう。

では第1点ですけれども、一体聖心の信心という事は、一体何なのでしょうか?

聖心の信心というのは、キリスト教の最も深い、その最初からあるものです。

キリスト教の核心というのは何かというと、「罪の無い天主が、この世を創った天主が創造主が、罪人の罪の償いの為に人となって、私たちの代わりに罪を償って下さった。そして天国の門を開いて下さった。そして私たちをも、その罪の償いに参与するように、そして参与する事によって一緒に天国に行く事」を教えています。

「天国に行くには必ず、この罪の償いがなければ、イエズス・キリストと共に償う、償いがなければならない。天国への道というのは、十字架の道である」という事を教えています。

これは他の宗教が教えなかった事です。他の宗教は、「この地上でどうやったら御利益があるか。面白可笑しく過ごせよ」と「どうやったらお金が儲かるか。どうやったらこの地上で苦しみを避ける事ができるか」教えています。

でもカトリックの教えは他の宗教と違っています。「どうやったら苦しみを愛する事ができるか。苦しみを幸せにする事ができるか。苦しみが私たちの望みになる事ができるか。」

ですから聖ヴィアンネー神父様はこう言っていました、「この世の人たちはキリスト教を知らないような人たちは、十字架をどうやったら避けるかという事を心配する、それを望む。しかし良いカトリック信者は、十字架が無いのを心配する。」一体何故かというと、私たちは十字架のもとに初めて、復活に至るからです。

ですからもしもカトリック教会が私たちに、「ミサに与るように。ミサによって私たちの生活を聖化するように」としたら、私たちがより良く十字架に与る事ができる為です。祝福を受ける事ができる為です。これにしか天国へ行く道がないからです。イエズス様を通らずに聖父のもとに行く事ができないからです。

もしも教会が「聖体拝領するように」「するように」と「頻繁にするように」と勧めているのならば、何故かというと、「御聖体拝領するという事は、私たちが、いけにえである、十字架のいけにえであるイエズス様と一致する事だからである。」

もしもミサに与りながら十字架のイエズス様と一致せずに、自分を屠らずに自分を犠牲と捧げないで、しかもその十字架の実りだけを、喜びだけを、復活だけを得ようとする事は、ちょうど勉強せずに合格するとか、或いは種を蒔かずに木の実を取ろうと考えるのと全く同じです。

御聖体においては、イエズス様の死が表れています、イエズス様の犠牲が表れています。ですからイエズス様を御聖体を拝領する事によって私たちは、イエズス様と1つになるのです、いけにえとなって屠られるのです。ですから御聖体拝領する時には私たちは、「イエズス様と共に私たちの苦しみを捧げたい」と、「イエズス様と1つになりたい、いけにえとなりたい」と思わなければなりません。それがカトリック教会の教える良いミサの与り方で、御聖体拝領のやり方です。

ところが、第2のポイントは、残念ながらこの世の人はイエズス様の十字架からあまりにも心を遠くしてしまって、その十字架の意味を忘れてしまって、或いは十字架を避けようとして、イエズス様を慰めようとする心から遠ざかってしまっていることです。ますます遠ざかってしまいます。

見て下さい。ちょうど聖フランシスコ・ザビエルが日本に来て、それからその数年の後にクリストヴァン・フェレイラ神父が残念ながら転んでしまった時に、多くのイエズス会の同僚たちは、「ぜひ日本に来て血を流して、罪を償いたい。」「償いたい」と思いました。しかし時が経つにつれて、その人たちは残念ながら、償う為に来たのですけれども、中には転んでしまう人もいました。残念ながら時が経つにつれて、熱心だった、「償いたい」と思っていた心も、だんだん消え失せて少なくなってしまったようです。

そこでちょうど、まだ徳川時代で迫害がひどい時に、ヨーロッパでは信心が少なくなっていた冷えかけていたその時に、イエズス様が聖心を持って聖マルガリタ・マリアにこう言います、「見よ、人類をこれほど愛する聖心を見よ。しかしこの愛のお返しとして私は、冷淡と無関心しか受けていない。少なくともお前は私を慰めよ。」

人類は残念ながら、ますます冷えつつありましたけれども、イエズス様の聖心を完壁に愛し、慰めた方がいました。それがマリア様の御心です。

イエズス様は400年前にはただ聖心を見せて、「少なくともお前は慰めよ」と言いましたけれども、100年前にはもう、この世がもう冷え切ってしまっている世の中にあっては、最後の最後の手段を、私たちに与えて下さいました。

「お前たちの力はあまりにも少ないので、あまりにも弱いので、私の心を慰めきる事ができない。この世はあまりにも罪が多く満ちあふれている。だから最終手段で、秘密兵器を与えよう。それが私の母の心だ。この汚れなき御心の心を以て、私を慰めよ。そうすれば私は非常に慰められる。罪の償いがより良く果たされる」と。

これがマリア様の汚れなき御心の信心です。

すると第3の点では、マリア様の御心の信心とイエズス様の聖心の信心は同じではないのか?どうもそのように思えるのです。一体では何故?

教会の教えによると、聖ヨハネはイエズス様の洗礼を見ました。これは聖ヨハネの聖福音に書いています、「自分は見た。」

イエズス様の十字架のもとで聖心に槍が突き刺さるのを見ました。そこから血と水が流れ出るのを見ました。

また聖霊降臨後、福音史家ヨハネは、さらに書簡を書いて、「聖父と聖子と聖霊は1つである。この天ではこの3つは1つである。地上では水と血と霊は1つである」と言います。

教会の教えの解説によると、「水」というのは「洗礼」の事です。ヨハネは聖父がイエズス様が洗礼を受けた時に、「これは我が子である、我が愛する子である。これに聞け」と聞きます。「御血」というのは「御聖体」の事です。イエズス様のこの聖心が開かれて水と血が出るのを見ました。この血は御聖体のシンボルです。「霊」というのは「聖霊」の事であり「堅振」の事です。洗礼と御聖体と堅振はその3つの秘蹟は1つの事を、イエズス・キリスト様が真の救い主である、この3つは1つである。

そこで、この考えをもう少し詰めてみると、しかし「マリア様」というのは「聖霊の浄配」ではなかっただろうか。だからマリア様と聖霊は1つだ。マリア様はルルドで言ったではないか、「私は無原罪の御孕りである」と。この「水」というのは「マリア様の涙」の事ではないか。イエズス様の十字架のもとで立ち留ったその涙ではないか。或いは、この「血」というのはマリア様がイエズス様と一緒に、血を流さずに「共贖者」となった事ではないか。或いは「マリア様から生まれた御体であるイエズス様が御血を流した事」ではないか。ですからこの水と血と聖霊は1つだ、というのはマリア様にも言う事ができるのではないか。

すると、実はイエズス様の聖心もマリア様の御心も、だからこれで1つと全く同一である、と言えるのではないか。だからこそ私たちがマリア様の心を以て御聖体拝領をする時に、イエズス様は非常に喜ぶのだ。

ではどのような決心をしなければならないでしょうか?

私は今日、シュテーリン神父様が私たちに教えて下さったように、私たちのつまらない心ではなくて、私たちの望みではなくて、聖霊の浄配であるマリア様の汚れなき御心を私たちの心に頂く事に致しましょう。そしてマリア様の愛、マリア様の望みと、マリア様のイエズス様を慰めたい、という心を頂きつつ、今日初金の聖体拝領をする事に致しましょう。私たちがマリア様の心を以て聖体拝領すればするほど、イエズス様の聖心は慰めを受けます。

ファチマでイエズス様は仰ったではないですか、マリア様は仰ったではないですか、「イエズス様は、この地上に、私の汚れなき御心に対する信心を確立する事を望んでいる。」

至聖なるイエズスの聖心、我らを憐れみ給え。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

【ロザリオの十字軍】日本から総計で、ロザリオ24,675環、犠牲 66,662回が報告されました

2017年09月01日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年 9月 01日現在、
日本から今までの総計で、ロザリオ24,675環、犠牲 66,662回が報告されております。天主様に感謝!愛する兄弟姉妹の皆様のご協力に感謝します。

マニラからは総計として、ロザリオ338,024環、犠牲132,645回が報告されています。

韓国からは、ロザリオ11250環、犠牲750回が報告されています。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
+アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様、こんにちは!

8月22日までのロザリオと犠牲の回数をご報告いたします。
ご報告が遅れ、申し訳ございません。
ヨゼフ(3/21~8/22) ロザリオ155環、犠牲155回
マリア(3/21~8/22) ロザリオ65環、犠牲155回
マリア(1/14~8/22)ロザリオ231環、犠牲442回
以上です。

ローマ〜ファチマ巡礼、お疲れ様でした。
次の主日、聖ピオ十世の祝日にまた東京の御ミサに与ることができる予定でおり、天主様の御憐みに本当に感謝いたします。
またお会いできることを楽しみにしております。

【報告】
8月22日までのロザリオ十字軍のご報告をさせていただきます。
大変遅くなりまして、申し訳ありません。

ロザリオ:161環
犠牲:882回
お捧げいたしました。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!!♪♪

皆様にご協力頂いております、聖なるロザリオの十字軍!!♪♪最終8月分の御報告を致します♪

            聖なるロザリオ!!♪♪  犠牲
シスター         66 環          
ヨゼフ マリア      31 環
マリア          24 環        440回
アンナ          22 環        154回
マリア          22環       220  回
アリア         105環        220回
ヨゼフ          66環          0 回       
マリア          61環         103回
マリア          67環         136回
マリア          66環      330回             バルナバ          1環      220                           計  531環   1823回 

以上です♪ どうぞ宜しく御願い致します♪ 


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】