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「助産婦の手記」17章 『わたしのただ一人の黄金の恋人……』

2020年08月05日 | プロライフ
「助産婦の手記」

17章

新しい便郵局長が、この村へ引越して来た。まだ比較的若いお方だ。さて、ここは一等郵便局ではない。もし種々の工場がなかったら、恐らく私たちはまだ――数十年前と同様に――郵便代理店を持ったに過ぎないであろう。しかし紡績工場ができたため、郵便事務が増えた。殊に、たとえ、販路は小範囲でも、製品を外部に送り出す繊維製品工場が附設されてからは、そうである。

この新しい郵便局長は、非常に興味をひく男であった、というのは、まだ奥さんが無かったからである。このことが、彼にとって最も重要な点である。このことが、彼をば、赴任早々、村全体の興味の中心に置いた。今や一方では上級官吏のお嬢さん、他方では豪農の娘さんたちが、郵便局長の出勤しているときには、互いに争って郵便切手を買い求めたり、または郵便に関する種々の事柄を伺おうとしたりした。そして結婚適齢の娘をもつ母親たちは、彼がやっと就任挨拶に来るのを待ちくたびれていた。実際、そんな生捕れる可能性のある未婚の男性は、一つの重要な対象である! しかしこの興味ある男が、まだ村の社会へ、すっかり入りきらない前に、一つの新しい事件が起った。

ある日曜日に、郵便局長は村をぶらぶら歩いて通ったが、その腕の中には、彼が駅で出迎えた一人の女性が抱かれていたのである。この女性は、裾のつづまったスカートをはいていたので、卵を生もうとする牝鶏のように、小跨に歩かねばならなかった。幅が七、八十センチメートルもある帽子が頭に載っかっていて、全く勢いよく斜めに、三本の帽子針でしっかり留めてあった――さよう、一頃、そんなのが、はやっていた。

さてこの場合、この帽子は、いいことであった。一体、その女性は、憐れな郵便局長にひどく押しかかって行く奇妙な性質をもっていたので、道路が十分に広くないため、彼はしょっちゅう溝に落ち込んだ。(この溝の中には、田舎の常として、大抵、エナメルの靴と派手な花模様のあるソックスのためには、あまりためにならないような成分が見いだされた。)こういう次第だから、もしも帽子が無かったら、この小娘は、きっと頭を郵便局長の肩の上にもたせかけたであろう。しかし帽子があるために、彼女は頭をまっ直ぐにしていなければならなかった、このことは、常にこの御両人の間に一定の距離を保たせておいたのである。私たちは、この大ぴらな、殆んど恥ずかしいほどの媚態には見慣れていなかった。そこで、もちろん、すべての人は道の上に立ち停って、この御両人を眺めた。そしてこれについて、誰もが多かれ少なかれ、冷笑的な解釈を施した。

この日曜日に、新任の郵便局長は、方々を訪問し、そして同時に彼の花嫁を紹介した。その午後、ちょうど軍人協会の例年の祝典があったので、彼は彼女をそこへ連れて行った。村中の人々は――労働者たちは、なおさらのこと――この御両人を嘲笑した。その小娘は、一瞬もかの男を安らかにして置くことができなかった。或いは手をこすり合い、或いは足を踏み合い、或いは彼の腕にぶら下った。そして、みんなが、このことを非難したので、軍人協会の会長は、郵便局長に、低い声で何事かをささやいた。彼は赤面して、花嫁を少し傍らに押しのけた。間もなく、彼らは退席することとなった。もちろん、ヘルマンの居酒屋へ行ったのだ。

私は、その夕方、御両人が駅の方へ行こうとしているのに、また出会った。もう幾分暗くなっていたのだが、それでも、その二人が、一体どの程度にすれば適当かということを、今なお御存知ない様子であることを観察するには十分明るかった。私はその小娘をたしなめてやりたくて仕様がなかった。もし、女もまた、全くはめを外し、結婚式の前に、すでにあらゆる慎みを失うようなことがあったら、男から何を期待すべきであろうか? それは、どういう結婚になることであろうか?

とうとう婚礼の準備は、はかどった。結婚式は、この村ではなく、花嫁の故郷で挙げられた。おきまりの蜜月旅行の後で、この若夫婦は、郵便局内の職員住宅へ引越して来た。

最初の日の朝、十時半頃に、局長夫人は、郵便事務所へ来て(住宅は、下の一階にある)、夫君にキッスし、そして笛のような声を立てた、『可愛いい人、さあコーヒーを飲みにいらっしゃい。』
『でも御覧、こんなに仕事があるんだから。』
『ああ、あなた、たった十五分間だけよ、でなきゃ、わたしちっともおいしくないんですもの。』
そして引っぱるやら、突くやら、ねだるやらして止めないので、とうとう彼は仕事を置いて一緒に行った。その部屋には、ほかに女の郵便局助手が一人いた。
十一時頃に、局長夫人は、もう下で叫んだ。『可愛いい人、あなたなかなかお八つを召しあがりにいらっしゃらないのね。だから、わたし、あなたのところへ行かなきゃならないわ……』
『僕はきょうは時間がないんだよ。まあ、ひとりでおあがり……』
『いやよ、そんなこと、わたしほんとにできないわ……では、あなたはもう、わたしを好かないんでしょう……』そして彼の首にぶら下った。『わたしのただ一人の黄金の恋人……』
こういう調子が、一日中つづいた。彼が椅子に腰を下ろしていると、彼女はそのまま見のがして置くことはできなかった。直ぐさま彼の膝の上に腰をかけた。彼が、新聞を読んでいると、首にぶら下った。彼は、彼女の着物のボタンを外したり、かけたりしてやらねばならなかった。最も内輪な事柄でも、彼女は無遠慮に郵便事務所に持ちこんで来た。下女は――それは単純な正直な心の持主だった――は、三週間後に、暇をとって帰った。彼女は、私にこう言った、皆さんの御存知の通り、あの新婚の若い方々は、私たちのとは、丸で違ったいろいろな型を持っていらっしゃると。で、その後も、そこでは、相変らず、旧約聖書中の淫蕩の町ソドムやゴモラにおけるような事が行われた。

そう、あなた、わたしのただ一人の黄金の恋人……
こういうことは、すべてただ暫らくの間、美しいだけである。
男にとっては、そんなに苦もなく手にはいるもの、そんなに押しつけがましいものは、非常に速かに刺戟を失うものである。男の性質には、征服欲と絶えざる所有欲とがある。そんなに押しつけがましく提供されるものは、一度は楽しまれるが、しかし同様に速かに棄てられる。この観察を、私は非常にしばしば若い新婚夫婦について行なった。妻が、いつも夫に対して媚びをかけ過ぎ、そして官能的なものをもって挑発するなら、夫の方では、すべてのより善い感情が非常に急速に冷却する。彼は、もうそれに飽き、冷たくなり、そして顧みなくなる。このことは、彼の官能が、彼女の動物的満足に遠く及ばず、そして忠実に、非常に正確に、それに歩調を合わすことができない場合もそうである。これに反して、妻が非常な愛情を持ちながらも、賢明な抑制(私はそれを「やさしい羞恥心」と呼びたい)を持ちつづけて行くことを心得ている場合には、妻への真の尊敬と優しい畏懼(いく)とが、夫の性愛に対して、さらにつけ加えられる。こうすることによってのみ、継続的な、かつ互いに幸福にし合うところの心の一致が作られ得るのである。
このことを 理解しないために、少なからざる婦人が、自分の幸福と相手の男とを共に破壊した。己れの純潔を棄て去った婦人は、この深い真理に対する理解力を、大抵、失ってしまっている。

しかし、私は説教しようと思っているのではない、むしろ、私の物語を、終りまで話そうと思っているのである。あの郵便局長の場合でも、愛の過剰による徴候が、非常に速やかに認められるようになった。彼女が妊娠したとき、彼は彼女の身辺から非常に離れはじめたが、子供に対する顧慮ということをその口実に使った。こういうことについては、彼女はいさいかの理解もなかった。反対に、無教育な女が妊娠すると、これに伴って実際いつも起るところの我ままが、彼女の場合にはいよいよますます肉感的方面に集中された。彼が冷たくなればなるほど、彼女はそれだけ、しつこくなった。そして逆に、彼女がしつこくなればなるほど、彼はそれだけ冷たくなった。

そこで、 彼女が媚びをもって、彼を襲いに事務所にやって来ると、彼はぶっきら棒にこれを防いだ、『お止しったら! 村の人たちが、みんな我々を笑い草にしているのを君は知らないの?』
『野蛮な人、あなたは、もうわたしを好かなくなったのよ! ……お腹の子は、一体あなたのじゃないの?』 それから、彼女は泣き叫びはじめたので、彼は彼女をまた住居へ連れて行くのに骨を折った。
今までは気にもかけなかった小さな事柄が、喧嘩口論の種となった。彼女は、襟ボタンを買うのを忘れていたが、彼はそれが一個必要になった。『ああそんなこと何でもないわ、可愛いい人。そのお詫びに、キッスを十ぺんしてあげるわ。』――『キッスじゃ、襟ボタンをつけることはできないよ!』と彼は、どなって戸を強くしめた。こういう仕打ちに対しては、最初のうちは、彼女は泣きじゃくりをもって応じていた。ところが、これが目的を達しなくなると、彼女は狂言自殺によって、印象づけようと試みた。彼女は、窓から飛び下りた。ところが、その一階はあまり高くなかったので、ただ脚を折ったに過ぎなかった。しかし、予期されたように、流産がそれに続いて起った。電報で呼び寄せられた姑は、両手をもんだ……
そう、私のただ一人の黄金の恋人……

しかし、単にわずかばかりの恋情により、または、わずかばかりの金銭目当てに結ばれたに過ぎない婚姻は、いかに恐ろしく憐れなものであろうか! こんな婚姻にあっては、婚姻の永続性に対する信念が欠けているため、嵐の時が来ても、よくこれを凌いで行くことのできる確固たる基礎は、置かれていないのである。郵便局長夫人のベットのそばで、私は始めて、新旧結婚観の底知れぬ対照を意識したのである。この新婚夫婦の場合でも、より高いものは、全く見いだされなかった。そこには、いかなる犠牲を払っても、自分自身の利益のみを追求することと、ただ自分が幸福でありたいということのみである。しかしながら、一般に人生においては、なかんづく最も意義深い結婚においては、真の幸福というものは、ただ相手を幸福にすることによってのみ、ただ己れを棄てることによってのみ、見いだされるものであるということは、理解されていないのである。

この事件は、与えられたいろいろの条件によって、当然そうなるように進行した。妻の病気中に、今までやりつけない禁欲を、今さら行おうとは思わなかったその夫は、ほかの女と関係を結んだ。彼は、こういった関係では、選り好みをしなかった。その相手は誰かといえば、家庭では下女――事務所では助手――のその女であった。そして郵便局長夫人は、保養のため療養地へ行き、そしてそこで彼女も同様なことをやった。それから離婚と、同時に局長の転任とが行われた。
これをもって、この物語は、私たちの村に関するかぎりは、終りとなっていたはずである――、もしも、その憐れな郵便局助手が、この事件の結果を担わなくてもよかったならば。 この事については後になお述べることとしよう。





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