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訃報:ヴィトゥス・フオンダー司教は天に召されました

2024年04月07日 | カトリック・ニュースなど

訃報:ヴィトゥス・フオンダー司教は天に召されました。

2024年4月3日(聖水曜日)に、ヴィトゥス・フオンダー司教(Bishop Vitus Huonder)は霊魂を天主に委ね永遠に旅立ちました。

フオンダー司教は、今年の3月19日に入院し、天主の御摂理に完全に御自分を委ねつつ、病の苦しみをカトリック教会のために捧げてこられました。フォンダ―司教は、聖ピオ十世会に対して、特に御自分が引退生活を送ってきたスイスにある聖ピオ十世会の聖マリア校(Institut Sancta Maria)に対して常に感謝しておられました。最後まで司教さまは祈りと御聖体に対する信心の生活を送ってこられました。

フオンダー司教は1942年4月21日生まれのスイス人で、1971年にスイスのクール(Chur)司教区で司祭叙階を受けました。2007年7月8日、ベネディクト十六世によってクール司教区の司教として任命され、2019年5月に引退するまで司教として教会のために働いておられました。

ヴィトゥス・フオンダー司教は、本人の生前からの希望により、クール司教区ではなく、エコンに埋葬される予定です。葬儀ミサは4月17日水曜日午前9時半から始まり、神学校の墓地に埋葬されます。

フォンダ司教はローマからの要請によって聖ピオ十世会を知りはじめました。YouTubeチャンネルの Certamen でのインタビューで司教はこう言っています

「2015年1月9日付の手紙で、私は聖ピオ十世会の代表者たちと対話を始めるようにという命令を受けました。この手紙は、当時のローマ教理省長官、ゲルハルト・ミュラー枢機卿からのものでした。アイデアは、この共同体との友好的な対人関係を構築するためでした。一方、教理に関する問題も議題に上げなければなりません。第二バチカン公会議(1962-1965年)の文書に関連する問題もあれば、ここ数年のローマのいくつかの宣言に関連する問題もありました。特に典礼に関する問題、特に真正のローマの聖なるミサに関する問題は特筆すべきものでした。さらに、教会の自己理解、エキュメニズム、教会と国家の関係、宗教間対話、信教の自由がテーマです。2015年4月9日以来、この任務により、聖ピオ十世会と、総長だけでなく他の代表者たちとも定期的に接触しています。この関係や議論は、聖ピオ十世会の教会法上の承認への道を開くはずのものです。」

この接触によって、フォンダ司教は聖ピオ十世会の本当の姿を内部から知ることになります。インターネットやマスメディアからのうわさや歪曲されたイメージによる知識ではありませんでした。こうしてルフェーブル大司教の書いたものを読み、なぜルフェーブル大司教が公会議以後死ぬまでカトリック教会の教義を守ろうとしたその深い理由を知るに至りました。

「接触が進むにつれて、私は聖ピオ十世会の創立者であるマルセル・ルフェーブル大司教の伝記や著作を掘り下げて調べました。こうして私は、聖ピオ十世会の神学的な主張、懸念事項、目的について、ますます詳しく知るようになっていきました。」

司教区の教区長を引退する時、フォンダ司教は聖ピオ十世会の聖マリア校で余生を過ごす許可を求めると、エクレジア・デイ委員会はそれを許可しました。

「2019年、77歳のとき、私はクール司教区の司教としての務めを終えました。そのとき、聖ピオ十世会の団体に隠遁する機会が与えられました。このことは、エクレジア・デイ委員会によって肯定的に評価されました。同委員会はまた、私にそうするよう明確に奨励しました。これにより、私は聖ピオ十世会の内的生活と活動をもっとよく知る機会を得たのです。」

聖ピオ十世会との接触、その歴史の研究、神学的な問いの深化を通して、私は新しい視点を手に入れました。それは、教会の過去70年、80年に対する新しい見方です。公会議当時とその後の信仰のあり方を新たに判断する、「修正撤回」(retractatio)とでも言うべきものです。なぜ教会が今のような状態になったのか、その理由がはっきりしました。2023年の今日、教会は、歴史上最も大きな危機の一つにあります。それは、宣教、典礼、他者への奉仕(diakonia)、指導力など、教会生活のすべての領域に及ぶ内的な危機です。それは、深刻な信仰の危機なのです。聖ピオ十世会の歴史的な発展と生活を掘り下げて調べる人なら誰でも、この危機の原因と根源に意識せずとも遭遇してしまいます。なぜなら、聖ピオ十世会とは、ある意味で、この危機のために生まれ出たものだからです。それは、その創立者がこの団体を設立することによって危機に対応し、それによって教会を助けようと望んだ限りにおいて、そうなのです。彼がとりわけ心配していたのは、教会の信仰と、不安のまま見捨てられた信者のことでした。第二バチカン公会議以降起こったことに続いて、多くの人々が牧者のいない羊になってしまいました。大司教にとって、行動の理由は、第一に霊魂の救いであり、信仰の純粋さを守ることでした。」

「聖伝のローマ典礼は、信仰宣言に等しいものです。その実質は変更されてはなりません。したがって、それを禁止することはできません。教皇ピオ五世は、何も新しいものを作り出したのではありません。むしろ彼は、この形式の典礼による信仰を行使することの正当性を確認したのです。彼は、この信仰が真正なものであることを裏付けたのです。このような善は、信者から奪われることは決してあり得ません。第二バチカン公会議の後、ミサの聖伝の典礼を廃止する意向で起こったことは、不公正であり、権威の濫用でした。」

2023年の今日(ここに戻りたいと思います)、教会は、歴史上最大の危機の一つの中にあります。それは、教会内部の危機です。それは、宣教、典礼、他者への奉仕、指導力など、教会生活のあらゆる分野に及んでいます。それは、深刻な信仰の危機です。それが私たちの理解したことです。では、問題は「どのようにすればこの危機を克服できるのか」です。率直に申し上げましょう。危機を脱する方法はただ一つ、見捨てられた価値観に戻ること、軽視したり、不法に捨てたりした価値観や信念に立ち返ることです。その目的は、過去70年間に起こったことを処理し、それを見直しの対象とするためです。教会は、トップもメンバーも刷新することが必要です。特に、位階階級の刷新、司教たちの刷新、そして緊急に秘跡的かつ典礼的な生活へ緊急に回帰することが必要です。秘跡的な生活と司祭職(つまり位階階級)は、密接な関係にあります。」

ベネディクト十六世には、聖伝のミサは決して禁止されていないと発言する勇気がありました。しかしその後継者は「トラディチオニス・クストデス」によって、ベネディクト十六世の自発教書「スンモールム」を撤回しました。それについてフォンダ司教はこう言います。

「「トラディティオーニス・クストーデス」、「デジデリオ・デジデラーヴィ」と、それに付随する文書で始まった聖伝の典礼に対する措置は、この典礼に、ローマ教会の真にして本来の礼拝があると認める理由を持っているそれらの信者に対する狩りにほかなりません。彼らには何世紀にもわたって受け継がれてきた形式で秘跡を受ける権利があることを、臆面もなく無視しているのです。それは、公会議後で勝利を得て、当時多くの苦しみを引き起こしたのと同じ大胆さなのです。」

「私は教皇様にお聞きしてみたいと思います…。そうです、教皇様が私を迎えてくだされば、私は何を聞いてみたいでしょうか。教皇様にお聞きしたいのは、こうです。「なぜ子どもたちからパンを取り上げるのですか。何が教皇様を駆り立てて彼らを餓えさせるのですか。何が教皇様を駆り立てて彼らを消滅させようとするのですか」。なぜなら、彼らにはこの糧を得る権利があるからです。私は強調します、この糧を得る権利がある、と。それは、彼らの父親が食し、彼らに受け継がれた糧なのです。彼らのレシピではありません。彼らが、言ってみれば勝手に、自分たちで作ったものではありません。彼らは、忠実に受け継いできた人たちから受けたのです。なぜ教皇様はそれを彼らから取り上げて、彼らを飢えさせようとするのですか。なぜ教皇様は、彼らにとって異質なものを彼らに押し付けようとするのですか。私たちの主はこう言われました。「人間の父親でさえ、自分の子がパンを求めるのに、石を、魚を求めるのに蛇を、卵を求めるのにさそりを与える者があろうか」【マテオ7章9-10節、ルカ11章11-12節】。ここでポイントは、教皇様が何かを与えるということではなく、教皇様が子どもたちから何かを、つまり、先祖たちの聖なるミサの犠牲という重要なものを取り上げる、ということです。」

最後にフォンダ司教が聖ピオ十世会について知り得た最終の結論はこうです。

「私は、2015年1月9日に聖ピオ十世会の代表者たちとの協議開始を命じたローマの書簡に立ち戻ります。不利な状況にもかかわらず、私はその任務を果たしました。そして今も果たしているところです。ですから締めくくりに、教会当局へのお願いを述べたいと思います。私は、聖ピオ十世会に対する正義を求めます。彼らの事案の研究により、この請願を求めているのです。他のケースと同様に、教会がこの会に関連して謝罪をすることがふさわしいでしょう。これは、幻の墓のケースでも行われたことです。これは、幻の墓に関することではなく、生きている人々に関することであり、公会議以前に教会によって与えられた司牧の世話を受ける権利を持ち、その後も永久の請求権として存在し続けている霊魂たちに関することです。これは特権や恩典に関することではなく、権利に関することです。

教会の権威が、この謝罪とともに、聖ピオ十世会の活動に対する感謝の気持ちを表明し、この深く正真正銘なカトリック的な事業に対して、「もしも」や「しかし」などという留保のない評価を表明することがふさわしいでしょう。」

フォンダ司教の霊魂が安らかに憩わんことを。

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