Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会日本 ミサ報告 2019年12月8日 東京・大阪 SSPX Japan Traidional Latin Mass at Tokyo & Osaka

2019年12月14日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2019年12月の初金と初土は大阪で聖伝のミサを捧げることができて幸福でした。私たちは、特に無原罪の御孕りの祝日の準備のためにこれを捧げました。12月8日の祝日には、フォルティン神父様が大阪でミサを捧げて下さり、三十名ほどの愛する兄弟姉妹の皆様がミサに与ることが出来ました。天主様に感謝!

今年一年、聖ピオ十世会大阪の「聖母の汚れなき御心聖堂」では、ほぼ欠かすことなく、毎月、初金と初土の御ミサと御聖体降福式が捧げられました。天主様に感謝!

東京では、12月7日に「生まれてくるものたちの命の為に捧げられる祈りの日」として、初土のミサが捧げられました。東京と大阪の両方で、聖母の汚れ無き御心の随意ミサが捧げられ、はやり、12月8日の無原罪の御孕りのミサも東京と大阪の両方で捧げられました。

令和元年の締めとして、フォルティン神父様が、一週間日本に滞在して下さり、御ミサが捧げ続けられます。愛する兄弟姉妹の皆様の多くのご参加を期待しております。

ミサの報告を頂きましたので、ご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

追伸:最近、私のインターネット接続の環境が悪く、とても制限されております。愛する兄弟姉妹の皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

聖母マリアの無原罪の御孕りの祝日のミサと御聖体降福式をありがとうございます。
今年はこの祝日が東京でミサのある主日と重なっていることに気づいてから、12月8日をずっと楽しみにしておりました。

マリア様を讃えるにふさわしいミサになりますよう心を込めてお祈りしていました。たくさんの方々がマリア様のもとにお集りになられて、とてもよいごミサでした。

お説教では、マリア様のことは旧約聖書で預言されていてそれらが成就したことを教えていただきました。そして1854年ピオ9世教皇さまにより聖母マリアの無原罪の御孕りのドグマが宣言され、4年後にはルルドにマリア様が御自身でそのことを明かししてくださったとのことです。私もマリア様はこの地上にお生まれになられます前に最初から既に一切の罪から守られていらっしゃったことを信じます。

ご指導に従って聖母マリアの無原罪御孕りの祝日に向けて拙い祈りを重ねていきながら、汚れの全くないマリア様へと想いを向ける日々を過ごしました。

マリア様がどれほど清らかで美しい御心で少しのシミもない汚れない御方でいらっしゃるかの黙想とロザリオを(何とか毎日)続けているなか、ある日一瞬ですが突如その眩しいほどの輝きを感じさせていただいたように思います。罪を持ったまま生まれてくる人間の心は埃で汚れその眩しさも察知することもできないほど暗闇に生きているのだなあと思いました。

神父様は、マリア様を讃える美しいお話のなか、パッと、カトリック信者だけに許されている大切なことがありますと、お話しくださいました。

それは、「人間はみじめな人間に生まれてきたにもかかわらず、天主の本性に与ることができる高貴さを持つものである」というお話でした。「人間の救いというのは、この天主のいのち(本性)に与らせていただくことである」と、はっきり宣べ伝えてくださいました。

マリア様の無原罪のドグマを信じるのは、マリア様の無原罪の御孕りによって可能となった「人間が天主の本性に与るまでに高められるようになる」ために必要なイエズス様のご降誕とご受難とご復活のご生涯を信じるためのものでもあると思いました。

もしもマリア様の潔白さを思うことができなければ、“原罪のないこと”の意味もわからないままに、視野はこの世の地上での全てに限られ、天の国へのあこがれを持つこともできないかもしれません。天主の本性に与るという聖寵の意味を悟ることができないかもしれません。

マリア様は、人間がその天主の本性に与るための恩寵をとりなしてくださる方、この世での幸せを望むしかできなかった人間が天主への愛に目覚めてその愛を求めるようにしてくださるような方と思いました。

このみじめなわらくずのごとき自分であるにもかかわらず、天主との一致・天主のいのちに参与するという計り知れない高みへ向かうことができるようになることを教えてくださりありがとうございます。天主の憐れみを希(こいねが)い、日々それに向けて自分を律して励むことは大変なことであるけれども、よろこびでもあるように思います。

「・・・欲情が世の中に生んだ腐敗から、あなたたちを救いあげ、天主の本性にあずからせるためであった。だから、あなたたちの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に敬虔を、敬虔に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えるようにおおいに努めよ。・・・」と、初代教皇でいらっしゃいます聖ペトロの第二の手紙にあるのを見つけました。

たくさんの人がこのカトリック信仰をいただき実践するなら、地上にも穏やかな平安が広まっていくかもしれません。

この贖いのミサ聖祭でいただく聖寵は、単に食卓を囲む新しいミサで行われることの結果としての地上の王国を求める誘惑である人間中心主義に陥らないようにカトリック信者を守るものであるように思います。

そして、古の蛇が誘い込もうとするもう一つのほかの誘惑(つまり十字架なしの人間の神化というカルト的教えの罠)から、真剣に求道する人間を守るもののように思えます。

この聖伝のミサに与ることのできる幸せを感謝いたします。

神父様は来年の聖母の被昇天の祝日8月15日に日本で初めての聖ピオ十世会の修道院が設立される予定であることを発表してくださいました。聖ピオ十世教皇の祝日の次の主日である9月6日には、その修道院設立セレモニーの荘厳ミサの予定もあることも発表してくださり、本当にマリア様の祝日にふさわしい日と思いました。

九か月間のノヴェナの祈りになぞらえ、栄えあるその実現のため一生懸命にお祈りいたします。

聖母マリアの無原罪の御孕りの祝日のミサと御聖体降福式に与れましたこと、とてもうれしかったです。小野田神父様、ありがとうございました。

至聖なるイエズスの聖心、われらを憐れみたまえ!
聖マリアの汚れなき御心、われらのために祈り給え!
聖ペトロ、われらのために祈り給え!


【報告】
12月7日に、ベネディクト16世の提案された、まだ生まれていない赤ちゃんの命を守るための『命のための祈りの集い』がありました。ロザリオと「聖母の汚れなき御心の随意ミサ」が捧げられました。そのなかで、人間のいのちは特別なものであり高貴で尊いものですというお説教を拝聴いたしました。

私たちの命が、ほかの被造物と違っているのは、人間は生まれてのち天主の命に与ることができるように計画されているものであり、霊魂の内に天主の像をもって生まれてきているからですと、教えていただきました。

今いただいている命が、天主の本性に与ることができるものであるということ、この世の命はそのために与えられているのであり、生まれてきた命はさらに天の国に向かって歩みを進めていく尊い命であることがわかりました。

この日は、初土の信心の行う日であり、また聖母マリアの無原罪の御孕りの祝日の前日であり、私たちの母であるマリア様に幾つもの祈りを重ねてお捧げすることができました。ありがとうございました。

ところで、神父様のブログで「<A HREF="https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/37cd3a8b6337af45741f378ccaa95b42">たった2%の脳しかなく生まれて来て、数日の生命だと思われていたノア君は、今は七歳です。</A>」の記事を拝見しました。天主の力によって、どんな状況であっても、よりよい方向に変えられるのだと教えられたようにおもいます。このノア君は、イギリスの赤ちゃんなのですね。とても明るい気持ちになりました。

私は、出生前診断により二分の一の確率でダウン症という診断を下されたお母さんがお腹の中のその命を中絶する道を選んで激しい後悔に襲われたという日本の記事を読んだばかりでした。その記事に対するコメントが非常に数多く寄せられていて、全部を読んだのではありませんが、大半が障害を持つと見込まれる赤ちゃんの出産に否定的な意見でした。どのように考えたらよいかわからなくなり自然と暗い気持ちになってしまっていました。

どういったことが、その違いの背景にあるのかを考えてみました。

きっと、そのノア君のご両親は自分たちの赤ちゃんのために懸命に天主に祈り求めたに違いないと思いました。かわいそうな診断を受け5回も中絶を進められた赤ちゃんの出産まで、ただ何もせずに祈りなしでいたわけはないと思いました。

以前にも東欧の国の方でしたが、やはり深刻な障害どころか産まれてくることさえ危ぶまれるような妊娠であったのにもかかわらず、家族や友人たちでロザリオの祈りをたくさん祈って、無事に健やかに赤ちゃんを迎えることができたという実際のお話を聞いたこともありました。

しかし日本の場合は、たいていの方々が私たちの命が創造主によって創造された特別な命だということを教えられることも考えることも想像することもなく、生活しています。

生活の中にキリスト教的イベントは入りこんではいるものの、それは商業ベースのもので、「キリスト教信仰」はほとんど浸透していません。カトリックの「伝統的な教え」は伝えられていないように思います。

親になる人たちは、かけがえのない赤ちゃんの命を人間の思いのみで左右するとか人間の医療技術でどうにかすることしか、道を選ぶ選択肢を持てないかもしれません。そして、それは神父様がお話しくださった「天主によって創造された命の尊厳」のことを知らないからかもしれないと思いました。

人間の命は自然的な命を超え超自然の命にまで高められるよう天主によって創造されたものであるということがもっと知られるようになりますように。私たちには御父がいて、祈りをきいてくださるということが知られるようになりますように。

日本に、たくさんの赤ちゃんが産まれてきてくれますようにお祈りいたします。


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