Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「真の天主を信じない」は「不信」の罪 「偽りの神々を信じる」という事は「迷信」の罪

2020年09月28日 | お説教・霊的講話
2020年9月20日(主日)聖霊降臨後第16主日

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄妹姉妹の皆さん、
来たる水曜日・金曜日・それから土曜日は四季の斎日で、四季の斎日の水・金・土です。伝統的には、この水・金・土には大小斎を行なっていました。

今ではその義務が無くなってしまいましたけれども、聖ピオ十世会の会員たちは、これを守る義務があります。

それで、愛する兄弟姉妹の皆様にとっては義務ではないのですけれども、来たる水・金・土、もしもできる事なら、一緒に大小斎を捧げてはいかがでしょうか。

罪の償いと、そして多くの御恵みを求める為に、とても良い機会だと思います。どうぞなさって下さい。

今日、イエズス様は福音の中で、「婚宴に招待された時には、上席を探してはいけない」と、「むしろ進んで下の方の、貧しい謙遜な席を探して、下座を探して、そして上にあげられるのを待て」と仰いました。ドン・ゲランジェという大修道院長によると「これは、天での婚宴の座の事だ」と言っています。

私たちは皆、天での結婚式に招かれています。「三位一体との霊的な一致、永遠の幸せの結婚に入る、という神秘の事だ」と言っています。
「その時イエズス様は、謙遜な者たちを『あぁ、もっと私の近くに来なさい』とお呼び下さるだろう」と。ですから、「その私たちは皆、この結婚の式に与る為に準備しなければならない」と言っています。

ところで、これは天主様の創造の定めた事によって、結婚は「唯一の真の天主」と「私たちの霊魂」との一致ですから、私たちは本物の真の天主を、真理のみを、天主として礼拝しなければなりません。

これが天主の十戒の第一戒にある事です、「真理の、本当の、三位一体の天主を、真の創造主なる天主として信じて、礼拝する」という事です。「それ以外を拝んではいけない」という事です。

「天主を信じない」という事は、「不信」の罪ですけれども、「間違った事を、偽りの神々を信じる」という事は、「迷信」の罪です。間違っているから罪です。ですから、この世にはたくさんの迷信があるので、気を付けて下さい。

自分の力や富や権力を天主を超えて信じる事も迷信です。
あるいは「あぁ、今日は仏滅だから」とか、あるいは「あぁ、今日は風が東から吹いたから」とか、「猫が目の前を通ったから、あぁ不吉だ」とか、「あぁ、旅行の前に靴の紐が切れちゃった」とか、全く現実とは関係がありません。

私が聞いた話によると、あるカトリック信者さんは、十字架のプレゼントをしないのだそうです。
「なぜですか?」と言ったら、「いや、この方に十字架が与えられると、苦しみが来ると困るから」と。これは全く迷信です。「くだらない事を言わないで下さい」と怒ってあげて下さい。

私たちが十字架像をプレゼントしようがしまいが、小さかろうが大きかろうが、天主様はそれによって左右されません。どんな星の元に生まれたか、星座が何かに関わらず、私たちは善をすれば報いられますし、悪を行なえば、罪を行えば罰を受けます。

たとえ星の動きがどうであろうと、太陽の黒点の数がどうであろうと、またその他、何があろうとも、私たちには自由選択能力を持っていますから、自由意志で私たちが善を選ぶか悪を選ぶかによって、私たちは裁かれます。

私たちがどんな遺伝子を持っていようが、どんな先祖からの者であろうが、全く関係ありません。聖マテオの系図によると、イエズス様の家系には女性の名前が二人出てきます。ラハブとウリアの妻(ベトサベ)です。この二人とも罪人の女性でした。二人とも罪によって子供を生みました。ですから「私の先祖はこうだから、呪われている…」などと心配しないで下さい。全く関係ありません。

私たちはただ、真の天主をのみを愛して、そしてそれに礼拝して、それに仕えて、それの御旨を果たす、それだけで幸せになります。

私たちにどんな十字架が来ようと、苦しみがあろうと、それはイエズス様からのプレゼントです。それを受け止めて捧げる事によって、更に大きな報いが待っています。

では愛する兄弟の皆さん、では天国での婚宴の式に良く与る事ができますように、準備致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





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