テニエール神父著『聖体の黙想』 (1953年) (Révérend Père Albert Tesnière (1847-1909))より【アルベール・テニエール神父は、聖ピエール・ジュリアン・エマールの創立した聖体修道会の司祭で、聖体修道会の総長(1887-1893)も務めた。】
人である聖体
聖体は霊魂の浄配である
礼拝 イエズスは、いつくしみ深い父、慕わしき母、献身的な兄でいらっしゃるとともに、カトリック教会の淨配(つま)、霊魂の配偶者である。この名は、主がご自分でお選びになったもので、主がいとも深く愛されるところのものである。
だから救い主を浄配として尊敬することは私たちの義務であるといわねばならない。このようなやさしいみ名を有しておいでになる主は、私たちの霊魂に対して、まことに奇しき方法をもってその任を果たされ、たぐいない忠実な愛を示される。
だから常に聖ひつの中にとどまっていらっしゃるイエズスを礼拝しよう。私たちの霊魂から決してお離れにならないように主に願い、このまことの浄配、比べるもののない浄配であるイエズスを、聖ひつの中において礼拝しよう。
すべての信者に向かって主が告げられる忠実な愛の御約束、婚約のまことの誓いの御言葉を聞こう。『われはなんじを永遠にめとらん。われはなんじを、正義のうちに、あわれみのうちに、また信仰のうちにめとらん。かくてなんじは、わがいかに真実になんじの主、なんじ の浄配なるかをさとらん』と。
主が地上においでになって三十年を経たとき、主は人類との結合を成就された。洗者聖ヨハネも天国において私たちの受けるであろう完全な幸福を『小羊の婚宴に召された人々は幸いなるかな』とこれを言いあらわしている。
静かにあなたの天配を思いたてまつろう。常に主を思い、主について考えよう。
主のうるわしさ、主のすぐれたかずかずの御徳、ことに主の愛をしのぼう。主のご霊魂のうるわしさ、聖心のうるわしさ、ご生涯のうるわしさ、神性のうるわしさを思いみよう。
私がお愛しする者は、いかにうるわしく、いかにたえなることか。『なんじは人の中に並ぶ者なく、いとうるわしくまします。』
キリストと霊魂との結合にはふたつの段階がある。それはこの世における恩恵と、天国における光栄とである。恩恵を有しているすべての霊魂は主の浄配である。主はこれを恋い慕って、これとともに住み、これとともに一致なさる。この時、主と霊魂とを結ぶ尊い鎖は成聖の恩恵である。そしてその結合が親密になればなるほど、霊魂は生命に富むようになって、その一致が深くなればなるほど喜びは深く豊かに永続するようになる。また、この結合がたび重なれば重なるほど、その結果は、ますます尊く、うるわしい。すなわち、イエズスの与えられる恩恵に一致し、これに自由意志をもってこたえることによって始まり、努力と戦闘と、ぎせいとのうちに完成される徳の行ないは、必ず天国において報いを受けるであろう不滅の功績を積むようになるのである。
さて次に、いかにイエズスが聖体をもって霊魂の浄配であられるかその事実を示し、またいかにしてその義務を果たし、結合を緊密にし、美果を結ばれるかを省察しよう。
主が激しい愛にかられ、各自の霊魂にご自身を与え、その代償として私たちの愛を要求し、各人ごとにそのうちに生き、各自を生かす結合をされるのは、聖体拝領によってではなかろうか。私たちの愛と交わり、信頼と情熱とが養われ燃やされるのも、やはりこの愛の秘跡によってではなかろうか。
最後に、自分一人では永遠に実のることができない私たちの霊魂に、キリスト教的徳行の実を結ばせてくれるのも、この秘跡による尊い一致の結果ではないだろうか。主は『われにとどまり、わがこれにとどまる人、これ多くの実を結ぶ者なり。けだし、われを離れては、なんじら何ごとをもなすあたわず』とおおせなった。だから聖体の中に天配をたびたび拝領し、自分が全く主のものであることを思い、そのうえ大いなる愛と従順とをもって自分を主にささげよう。
感謝 もし、あなたが、あなたの貧しい霊魂をその配偶とされた主の深い愛を十分にさとることができたなら、いかなる感謝をもって、主を愛し、主に仕え、主のみ名を賛えるであろうか。
あなたの中に主の聖心をひく、どんなよいもの、どんなうるわしいものがあるというのか。今までのあなたの行状はどんなであったろうか。主に選ばれた今日でも、主からたまわったものを除いてのあなた自身は、いったいどんな者であろうか。
あなたの最初は虚無であった。あなたは天主の御怒りから、汚れた悪魔のどれい、罪の子として生まれてきた。あなたは、破れ、傷つき、弱くて、力なく、悪に染まり、卑しい暴君にしいたげられて生活してきた。洗礼によってあなたはこれらのものから清められ、主にめあわせられた。
しかし、あなたは、なお、あなたの生まれつきの弱さを有し、今日でも、無にして、悪に傾きやすいあわれな被造物である。これはみな真実ではないだろうか。しかも主はあなたを愛される。イエズス、いとも力ある、いとも尊い天主の御子イエズスは、なんの功徳も、なんのよい性質もないあなたを、心から愛されるのである。主はあなたを愛してくださる。
主はご自分のうちに、その全善のうちに、そのあまりにも大いなるいつくしみのうちに、あなたを愛する理由をお見つけになり、これによって、あなたを愛してくださるのである。
主はあなたをお愛しになり、あなたを主の愛にふさわしくするために、御血をもってあなたを洗い、ご自身の生命をあなたに与えて、絶大な恩恵と無限の功徳とをもってあなたを飾られるのである。
主は、あなたを愛され、常にあなたといっしょにいるため、あなたの霊魂の中にご自身のうるわしさを植えつけるため、また、あなたと親密に一致するために、毎朝この地上におくだりになり、ご自分をいけにえとして祭壇に供え、また養いとしてご自分をあなたに授けられるのである。
ああ、もし、夫と妻とを結びつける尊い愛の特徴が、互いに、自分を他のためにささげつくすことであり、また絶えずかわされる愛情と奉仕とであるならば、イエズスが聖体のうちに、ご自分を与えられるにまさる真実なたまもの、親密な一致、やさしく深い愛がほかにあるであろうか。
では私たちもまたこの愛のうちに生き、私たちの愛を最愛なる浄配イエズスに対する不動の信頼の基礎としよう。
償い 誓約に不忠実な配偶者が、どんなに忌まわしい名で呼ばれるかを、あなたは知っているだろう。
大罪を犯したすべての霊魂は、みな、その忌まわしい名を、天主のみ前に、また天使らの前に有しているのである。自分の良心の上に、火のような文字をもって焼きつけているその忌まわしい名が、どうして彼らに見えないのであろうか。大罪は神聖な誓いに対しての不忠実であり、裏切りであり、不変の愛に対する忘恩、天配イエズスに対する霊魂のかんいんなのである。
大罪をもっている霊魂は、すべてかんいん罪を犯した配偶者である。旧約のおそれの律法は、不忠実な妻を石で殺すことを命じた。天主である天配のいつくしみによって飾られた新しい愛の律法も、誓いにそむいた霊魂を地獄の死にわたすのである。
あれほどまでに忠実で、献身的で、こまやかな愛をもたれながら、このように非道に裏切られ、捨てられ、卑しめられた天配に深く同情しよう。聖心のかたわらに近づいて、人々の忘恩によって加えられた御苦しみ、いうにいえない聖心の御嘆きを理解するよう努めよう。
祈願 忠誠の御恵みを請い願おう。洗礼の約束に対しての忠誠、あなたの義務への忠誠、日々の決心への忠誠、一言にしていうなら、あなたの天配に対しての忠誠のたまものを願い求めよう。
主はあなたを愛し、あなたをささえ、あなたを高め、あなたを忍び、あなたを励まし、あなたを許してくださるのに、きわめて忠実でいらっしゃるのである。
もしあなたが終わりまで忠実に主をお愛しするならば、主もまた忠実にあなたに報いられるであろう。
実行 天主に身をささげた司祭、修道者のために祈ろう。