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「助産婦の手記」42章  『一人から始めてそれを続けて行かねばなりません。』

2020年09月05日 | プロライフ
「助産婦の手記」

42章

ディーツのところでは、再び静かな平和が訪れ、家庭の喜びが、新たに咲き出たのに反して、隣家では、ますます危機が迫った。若い母親のビルク奥さんは、三人の子供を満腹させるために、大いに働かねばならなかった。夫は、召集されたものの、足に負傷したため、自動自転車乗りとして、郷里で勤務を命ぜられた。彼は、兵役の給料を自分自身の生活費に使ってしまったので、妻子は苦しい生活をせねばならなかった。ビルク奧さんは、子供服や、チョッキやセーターや、手袋、指無し手袋、帽子を、註文次第で、あるいは簡単に、あるいは非常に芸術的に編んだり、刺繍したりした。彼女は、機敏で熟練していた。そしてお得意は、主として田舎の人だったので、パン、馬鈴薯、幾らかの豚脂と卵、その他、日常生活に役立つものを謝礼としてもらった。しかし夜の半分は、仕事のために費やされた。そのうえ、たびたび田舎へ出向いた。というのは、もし彼女が自身で行かなければ、註文は思ったよりも遙かに少ししか得られなかったからである。自分で、そのような仕事をやったことのない人は、いかに多くの時間と労力とをそれに要するかということについては、何も知らない。しかも、この仕事は、すべて、秘密にやらねばならなかった。というのは、もし役所が少しでもそのことに気がつくと、早速、収入は減らされ、従ってあくせく苦労しても、結局、何のたしにもならなかったからである。さて、こういうわけで、子供たちは、非常に長い時間を、ひとりで遊んでいなければならなかった。そして、まさに困っているときには、どんなにか速く、一かたまりのパンが食べられてしまうかということを、子供たちは、とっくに知っていたのである。

このようなことを早くから経験したので、まだそんなに小さな子供たちが、父親の賜暇訪問を喜んで迎えなかったことは、もっともなことであった。母親は、すべての妻と同様に、乏しい配給の食料や、骨を折って獲得した物のうちから、絶えず少しずつ、夫を迎えるために節約したことは言うまでもなかった。子供たちは、父親からは全く何ももらわなかった。ただ彼が母親の教育を助けるために時々、子供たちを散々にぶつだけだった。そこで、子供たちは、自分たちよりも却ってその父親の方に、いつも二三片のよいパン切れが差し出されることに関しては、殆んど理解がなかった。そして三つになるフランツェルは、一度ならず、こう質問したのである。『お母さん、なぜあの人は、いつもいつも来て、わたしたちのものを、みんな食べてしまうの?』

さて、父親のビルクは、遂に自分の家庭に帰って来た。そして以前の職場へ復帰した。しかし、子供たちは、仲々彼になつかなかった。その上、彼は愛をもって、子供の心をつかもうとは決してしなかった。彼は、父親としての自分の権威に従わないものをすべて悪くとり、そしてそれに対して非につらく当った。彼は、子供たちに用事を言いつけると、子供たちはこう言うのだった。『わたしは、まあ、お母ちゃんに聞いて見なくちゃならない。』と。彼女は、夫が帰って来てからも、每日のパンの心配をせねばならなかったので、依然として彼女が、家庭の権威者であった。夫の興味は、音楽クラブに集中され、そして彼は間もなく、日曜日ごとに、その楽団と一緒に、どこかでダンスの伴奏をやった。彼と妻とは、生活を共にしなかった。互いに間が疎くなり、冷淡になった。彼女は、その間隙がますます大きくなったことに、長い間、気がつかなかった。ただ彼女は、夫が、最初逢った時よりは、全く別人のようになったということを非常に苦にした。

その家屋の同じ階で、一人暮しをしているヘニッヒ奥さんのところに、住宅課から一組の若夫婦を紹介して来た。彼らには、二番目の子供が生れようとしていた。彼らは、戦争の最後の年に結婚したものである。夫は、航空士官であり、そして当時は、まだ戦勝の後に来るはずの黄金時代への希望に満ちていた。なるほど、彼女は、いくらか冷静に物を考えてはいたのも、何分にも高級の航空士官というものには、一定の生活水準が保証されていたものであるから……
いま彼らは、家具を取りつけた一室に、一緒に坐っていた。彼は、軍隊の解散後、その職を罷免された。そこで今としては、彼は言語学の二学期を終えたかつての学生であるということと、間もなく二人の子供の父になるということ以上の何ものでもなかった。両親は死んでいたし、故郷からは何の補給も期待できなかった。営利事業の方面へは、はいれなかった。ますますひどくなる失業時代には、到るところに、十分資格を備えた候補者が沢山待ちかまえていた。だからといって、彼は、わずかばかりの収入しか得られない小さな地位につくためには、特に骨折ることもしなかった。

失望は、大きかった。しかも彼女は、一頃勤めていた通信員としての職をすてていた。というのはその会社は、今日では、敵国の中にあったから。さてしかし、この村は、彼女の知らない土地であった。彼女は、何か文筆の仕事を自宅でしたいと申し出たが、ここではそんな需要はなかった。またフランス語とか英語は、すでにその興味を非常に失っていた。インフレーション時代の物価の値上りと反比例して、外国語熱は、下って行った。間もなく、夫婦の間には、愛のいたわりの代りに、愚痴が出てきた。『あんたが、いつも抱(いだ)いていらっしゃった大望のうち、どれが今、私の手に残っているんでしょうか? 保障された将来……社会的地位……小学校の先生にも、あんたは、なれないんですよ。』 責任を互いになすり合った。『もし私が知っていたなら。』、『そう、もし私が考えることが出来たとしたら……』ああ本当に、もし、人のよく知っている「最もいぶせき伏屋」【非常にみすぼらしい掘っ立て小屋のような家屋】の中にでも、寛(くつ)ろげる場所のようなものがないとしたら、あの「幸福な愛するもの同士」でも、恐らく我々の詩人シルレルの詩にもかかわらず、そこから逃げ出したことであろう。この若妻は、それでも希望をもっていたのであるが……

戦争中、結婚が、たびたび非常に大急ぎで行われ、そして多くの人々が、それらの結婚から何ものかを希望し、期待していたのであるが、今やすべての希望は、消え去った。生活が、二人となり、三人となり、四人となり、そして間もなく日常の辛さと空虚の中に置かれて見れば、以前、独りでいた時よりも、遙かにつらいものであった。互いに支えと助けになるべきところのものが、却って重荷と不幸とになるのである。

狭い部屋の中に、 困難からのがれる術もなく、その人たちは、言わば赤裸々の姿で向き合っていた。幻影は、すべて飛び去った。彼らは、四方八方、丸裸かで、互いに摩擦しあい、痛み、かつ燃焼した。どちらも、もはや、相手の弱点を慈悲深く覆い、相手の重荷を共に背負ってやろうとは考えず、却って双方とも、しばしば自分の利益のみを護ろうと努める。おのおのは、相手の敵であり、互いに抑えつけ、軽蔑しあった。大抵の結婚の場合、残念ながら、そもそもの始まりから、何らかの利己主義が、夫婦関係を築いたものであり、何らかの希望が、その絆を結んだのであって、愛がそうしたのではない。どんな事情の下でも、相携えて終りを完了しようという堅い意思は、大抵の場合、決して存在しなかった。真にキリストのうちに打ち建てられた婚姻は、危機に陥らないとは 言えないが、しかし、そのために崩壊するということはないであろう。

『私は、子供はいらないんですよ。』と、その若いリングバッハ奥さんは、御主人が、お産のはじまろうとする最後の瞬間に私を呼んだとき、私に話した。そこには、肌着も、おしめも、風呂桶もなく、一台のベッド以外には実に全く何もなかった。そのベッドは、母親が、まだ二つにならない子供と一緒に使い、そして父親は、非常に使い古るした寝ソーファの上に寝ることにしていた。両親は、何も調達することが出来なかった。しかし、彼等が全然何も探し廻らなかったことは、殆んど許し難いことであった。そして今や夜である。

ヘンニッヒ奥さんのところでは、 どうしてもらうことも出来ない。彼女の二人の息子は、戦死した。彼女は、まだその悲しみに打ち勝っていないため、ただもう静かにして置いてもらうことを切望した。私はまた、こういうことも覚えている。彼女は、戦争が始まってから間もなく、その保存していた子供の下着類を、私に、自由に処分してくれと任せたのであった。こういうわけであるから、私は、ヘンニッヒさんのところには行かないで、急いでビルク奥さんのドアをたたいた。彼女は、まだ寝ずに編物をさしていた。そしてもう数分後には、彼女は、黙々と万事をのみこんで、すべて、必要なものを私のところへ持って来てくれた。
『あす品物は、お返しします、ビルク奥さん。私は、いつも、急な場合のための用心に、うちに少しばかり予備があります。でも私は、もう一度それを取りに帰る勇気はありません。』
『ああ、それは急がなくてもいいんですよ。』と彼女は、微笑をたたえて言った。『テーブルが、一台ぐらい満載だといいんですがね、しかし……』彼女は、あたりを見まわした。夫のリングバッハは、私が赤ちゃんを寝かせて置いたソーファに腰をかけていた。一台の小さなロココ式のテーブルもあり、そして二脚の椅子の上には、私たちは風呂桶を置いていた。すべてが何と恐ろしく狭いことであろう、そして水道も流しも、何もかも、なかった…… 『リングバッハさん、どうか私のところの台所に行っていて下さい、そこはまだ相当暖かです。ここでは、あなたは、どこにいらしても、私たちの邪魔になるんです。宅の主人は、まだ帰って来ていません。新聞や教会通報が、テーブルの上にあります。』とビルク奧さんが言った。
しぶしぶながら、リングハッハは、この要求に従った。ドアが彼の背後でしめられたとき、彼の妻はうめいた。
『ああ、もし私がそれを、もう一度せねばならぬのでしたら……そうしたら、十匹の馬でも、私を、もう一度、戸籍役場へ運んで行きはしないでしょう。すべては空虚です……全く空虚です……虚無以下です! 私が結婚したあの人は、当時は、ちっともそういう風には見えなかったんですが! どんな悪魔たちが、あの人をつかんだのでしょう……』
『悪魔ですって、確かにそうです! 男というものは、ただ美しくズボンをはいておさまっているだけだ、とシュワーベン人は言います。ただ私たちは、責任のがれをするために、罪の身代り人をそんなに急いで引き立てて来てはいけないんですね。』
 少し驚いてビルク奥さんは、私を見つめた……『リスベートお母さん、あなたは、夫婦の不和と失望とは、いつも双方に責任があるとお考えですか?……』
『いつでも、どちらかが、ほんのわずかばかり責任が多いのです。しかし大抵、片方が瓶(かめ)をたたき割り、他方が蓋(ふた)をたたき割るんです……』力強い衝動をもって、一人の新しい地上の市民が生れた。
『そら男の子、とうとうお前を無事に手に入れた、お前に天主の祝福があるように。』
『ああ、また男の子……』と、母親は嘆息した。ビルク奥さんは、テキパキと一緒に仕事をした。間もなく万事が整頓した。そして私は、何かもっと言わねばならぬような気がした。
『男の方ばかりが変わったのではなくて、私たちもみな、ここ数年間に変化したんです。いつも慣れた仕事と生活方法をつづけている私たちよりも、あなた方御婦人やお母さんたちの方が、もつと余計に変わっています。男に抑えつけられぬためには、みんながどんなに独立的にならねばならなかったことでしょう。このことは、効果が、後までつづきます。一旦そうなった以上、これは簡単に取り除くことはできません。』
『そうです、そしてあなたは、それを間違った発展とお考えですか……?』
『いえいえどうしまして。しかし男の方もまた、そのことに慣れねばなりません。そしてそれは、多くの人をこわがらせます。近年、僚友ということが、随分論ぜられるようになりましたが、それは色んな形における愛情というものを、もっと体裁のよいように書きかえたものに外なりません。妻を真の婚姻上の伴侶、独立的な配偶者と考えるように、男たちは、まず慣れねばならないんです。ところが、多くの男たちにとっては、そのことは、むずかしいのです。そういう男たちにとっては、そうした女は、もはや彼らがかつて希望し、かつ結婚したところの婦人ではないことが、非常にしばしばなのです。それは、逆に私たち婦人にとってそうであるばかりではありません。しかしお母さん方は、大抵、実際に行われているよりは、もっと親切な妥協によって、この障害を避けるようにせねばなりませんね。』
『ブルゲルさん、私はあなたに、このお言葉について、感謝せねばならぬと思います。』とビルク奥さんは興奮して言った。それなのに、若い母は、諦らめたように、肩をすくめて言った。『もし経済的に独立する力が全く欠けていますと、どんな考慮も意味がありませんね……』私は、この非常に重要な抗議を差当たり聞き流した。私は明日これを問題とせねばならない。『そして、忘れてはならないことは、記憶というものは、私たちを愚弄もするということです。記憶は、時が経てば経つほど、それだけ、すべての像に金めっきをします。記憶と憧憬(あこがれ)とは、私たちが現実的には決して持っていなかった理想を、さもあったかのように思わせるのです。しかし、もし、それが私たちの考えていた通りのものではないということを、急に確認せねばならなくなると、私たちは驚き、失望し、間(あいだ)がまずくなるんです。私はよくたびたび思うのですが、私たちはあまり多く驚いたり、くよくよしたり、比較して見たり、改善したりしようとすべきじゃないんではなかろうかと。夫婦というものは、むしろ、毎日互いに喜びを作りあうために、すべての時間を費やすべきではないでしょうか。そうすれば、随分多くの結婚問題が間もなく解決され、そして、もうこれ以上辛抱できないと、きょう信じ切っている夫婦が、やがてお互いに幸福になり、満足しておれるのじゃないでしょうか?』
『お互いに、ブルゲルさん、そうです、お互いに。でも、ただ一人だけでは……』
『まあ、一人から始めて、それを続けて行かねばなりません。すると、二番目の人は、直きに、あとからやって来ますよ。』






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