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「助産婦の手記」24章 かつて生命共同体であったところのものが、今や単に共同の給食場であり、寝る場所であるに過ぎなくなった

2020年08月12日 | プロライフ
「助産婦の手記」
24章
 
『どうすれば、いいんでしょう? 私は、娘たちを椅子の脚に縛りつけて置くようなことはできません! 娘たちは、若くて娯楽をしたがっています。もし、家にばかり引っこんでいると、お婿さんは誰も得られなくなってしまうんです。』 とツイグマン奥さんは、私が彼女の十七になる娘さんのお産で、そこに行っていたとき、一流の理窟をこねた。その衰弱した貧血質の娘は、陣痛のためすすり泣き、うめき、身をもんでいた……
『もし、こんなことになるのを知っていたら、私はまんまと言いくるめられてはいなかったでしょうに。でも、このことについては、男たちは、何も言ってくれないんですよ。』
父親は、ののしり嘲った。彼は、その蓮葉(はすは)娘が家にいるのを我慢できなかった。『もう我々は、子供を沢山育て上げ、泣き声をうんざりするほど、聞かされたんだ。もし娘の子たちが、十分手っ取り早く処置してしまうことができないなら、どうすれば、切り抜けられるか、自分で工夫すべきだ。もうひとり子供が、そんな具合で、この家に殖(ふ)えるなんて! そんなことになる前に、わしは赤ん坊をなぐり殺してしまうよ。このことは、確かにお前たちに言って置く。』
 
十六になるクララが、そばに立っていた。この娘の眼の中には、奇妙に閃めく光があった――一つの知識――それは、母になろうとする姉の苦痛とは別のことに関するものであった。それがそうだということは、彼女の顔から明瞭に見て取れた。彼女は、過ぎ去ったことを考えていた。そしてあたかも、こう言おうとしているかのように、嘲笑的に唇をゆがめた。そんなに二三時間、泣き叫ばねばならぬことは、何でもないことではないか……あの快楽の夜昼のためには!
『こんな父親たちというものは、』と娘の母親は、その考えをさらに述べた。
『一体、どうすればいいんでしょうか? 娘たちは、工場でとても沢山お金を稼ぐんです――姉娘のベルトラは、父親よりも週給が多いんです。そこで、娘たちは、まあ何か愉快なことをやりたがります。私たち老人をもう必要としません。そこで私たちは、娘たちに対して、もう何も命じることができないんですよ。』
 
戦前の数年間に、この村の多くの家庭では、実に著しい変化が生じた。このことを私は実に到るところで見、かつ聞いた。たちまちにして若い人たちは、工場にはいった。もうすでに十三歳でもって、学校を去って直接に工場へ。彼等のうちの機敏で熟練した者たちは、数ヶ月のうちに、請負仕事によって、実際、不釣合に高い賃銀にありついていた。ときどき彼らの年老いた父親よりも多く稼いだ。それゆえ親たちは、そんなに沢山金を稼ぐ自分の子供に対して、非常な敬意を払ったので、親の側(がわ)の権威は、すべて葬り去られてしまった。親たちは、下に置かれ、征服されたと感じた。『若い者は、我々をもう必要としないのだ。』これは破壊的な認識であった。そこで親たちは、家庭で子供たちの手綱を手に執ることをあえてようしなかった。もはや、若い者に対して何もよう言おうとしなかったし、彼らを導いて理性的な生活をさせることなどは、なおさらできなかった。そんなに沢山金を稼ぐこれらの若者たちは、その熟練さを非常に尊敬されたため、完全に自分自身の思うままに放任され、そして新しい生活を自分で勝手に営むようにされたのであった。
家族という共同体は、解体した。賢明な指導力を持つ首長がいないところでは、無秩序になるのは、当然である。家族の一人一人は、自分自身の思う通りをして、もはや他の者を顧みなかった。かつて生命共同体であったところのものが、今や単に共同の給食場であり、寝る場所であるに過ぎなくなった。もはや殆んど、何も残らなかった。子供たちは、親に対して、非常に内輪に見積もられた食費を払い、そして賃銀の残りは、勝手に浪費したのであった。
 
これによって、また家庭は、人間に対して支柱を、一種の基盤を与えることもなくなった。若い人たちは、根こぎにされた樹木のように成長した。家庭のない者となった――同時に、故郷のない、かつ支柱のない者となった。しかも、このことは、まさに以前の時代よりも、さらに一層しっかりした支柱と、賢明な指導者とを必要とするように思われる一時代において、生じたのである。かようなわけで、若い人たちは、冒険をして廻り、野生的になり――脱線した。
ただ比較的少数の家庭のみが、こんな時代にも引き続き真に若い人たちのための生命共同体として残り、彼らの生活を充実させ、保護を与えることができた。私は、そんな家庭に新たに出くわすと、いつもほんとに嬉しく思うのである。
ツイグマンの宅では、男の子が生れた。病身な子で、誕生早々、非常に悪性な化膿する眼を持っていた。それはますます悪くなるので、私は医者を呼ぶように勧めた。保健組合に加入している労働者たちは、このような求めには、たやすく応じた。彼らは、医者の費用はいらなかったから、医者を早く呼ぶ。そして自分たちの掛金に対して、治療を受けることができるのを殆んど喜ぶような有様であった。
ウイン先生が見えて、この子の容態を見られたとき、異様な顔つきをされた。『これでは、母子の気長な手当てが必要ですね。子供は、母親から感染しています。一体、あんたは、誰からそれをもらったというのですか?』
『三週間前に私のうちに泊ったある機械組立技師からですよ。』と母親が言った。『その人は新しい機械を取りつけねばならなかったのです。』
当時、私は、私の取扱った妊婦の中で、はじめて性病に出あった。医者は、感染の危険について詳しい知識を私に与える必要があると考えられた。助産婦学校では、私たちの時代には、この種のことは、何も教えなかった。さて、その母子は、長い間、病院で治療を受けたが、子供は目くらになった。三つのとき、その子は猩紅熱で死んだ。
 
このお産からあまり経たないうちに、十六歲のクララが私のところへやって来た。月経が止まったそうである。そこでどうすればいいか? 彼女の眼つきは、実にすべてを示していた。眼の中で燃え、そして誘惑するような官能的な焰……
『赤ちゃんが生れるまで、待っていらっしゃい。それ以外には、全く何をすることはありませんよ。あんたは、男たちと関係したのね。』
『私は子供なんか欲しかないんです! 年寄りから殴りつけられ、往来へ投げ出されたくないのよ!』彼女は今や泣き叫んだ。
『このことは、あんたは、もっと早くよく考えなくちゃならなかったんですよ。あんたは、まだ十七にもなっていない。あんたは、一体どうなって行くんでしょう? まだ大人になっていないのに。』
『私だって喜びを持ちたいのよ。……一日中、あくせく働くよりほか、何も面白いことがないんでするもの! 息をつくこともできやしない。休むと、賃銀の一部がすぐ飛んで行っちゃうんです! 晚には、台所にうずくまって、悲しんでいなくちゃならないんです! 誰も、一言も話し合うことはないのよ。』
『でも本を読むなり、あんたの将来の婚礼着をつくるために手仕事をするなり、お父さんとお話をするなりできたでしょう。』
『何もかも大変退屈で、大へん冷たく、大へん馬鹿ばかしいんです――私は生きいきとしていたい、そして私が若いってこと、それから誰かが私を問題としてくれることを感じたいんです! でも、私は子供はほしくないわ。私はどうしてもいやです、なくしてしまいたいんです。ベラ姉さんと同じように、赤児をかかえてぶらつき廻るような私だとお考えになって?――もしそうだとすると、私はどんなに馬鹿ものでしよう! どうか真剣に、私にできることを教えて下さい。』
『私は、あんたに、なんじ殺すなかれ、という天主の掟があることを、まず言って置きましよう。赤ちゃんは、いま現にいて、生きているんですよ。そして、もし人が赤ちゃんの死ぬるような何事かをするなら、それは殺人です。判りましたか? そうすれば、刑務所へ入れられるんですよ。』
これには彼女は驚いたらしいが、なおもぶつぶつ言った。『年寄りが。私をぶんなぐるんです。そして私は、子供は必要がないんです、欲しかないんです……』
『まあ家へ帰って、冷静にお考えなさい。あまり事が進行しないうちに、私は一度お父さんと相談しましょう。あんたは過ちを犯したんだということをよく考えなさい。で、あんたはそれをますます悪くし、そして殺人をそれにつけ加えるようなことをしてはいけませんよ。今こそ悔い改めて、正しい人間に立ち帰るべきですね。ところで、とても小っちゃい赤ちゃんというものは、ほんとに可愛らしいものですよ。あんたのお母さんが、あんたをお腹に抱えていたことを、まあちょっと考えて御覧なさい――もしもそのとき、お母さんもまた、私は子供なんか欲しくないと言ったとしたら、どうなったでしょうか?』
そこで、その娘は、わっと泣き出しはじめた。私には、すべてが失われたわけではないように思われた。このような嵐のたけるのを、私はたびたび見た。そしてそれは、結局、静まった。
しかし、三週間後に、クララは、親の家からも 工場からも立ち去り、町に出てある勤め口にありついた。私は、彼女の両親のところへ行って、露骨に言ってやった。クララさんが全く身を滅ぼしてしまわないように監督せねばいけませんよと。父親は、わめき散らし罵った。あの子が逃げて行ったのは、全く出かしたことだが、しかし二度と再び帰って来ようなどすることは許さぬ。もし娘が子供を入れようとでもするなら、娘を殴り殺してやるんだと。
『そして、もし娘さんが、子供に害を加えるようなことでもなさったら、娘さんは、その殺人について良心の苛責を受け 刑務所へ行くことになりはしませんかね?』
『そのときは、あの娘は、受くべき報いを受けるんですよ。今日では、もし女の子が生れたら、すぐそれを溺らすということだそうですね! 弾薬を用いる価値がないって!』
 
その後、私はその父親に対して、娘たちばかりが責任を負うのではなく、娘たちに「憩いの場所」を与えない家庭こそ責任を負うのであることを明らかにすることに成功した。娘たちが、家の外で仕事をすることによって墮落する危険が、非常に増大した今日においてこそ、彼女たちに対して家庭が――従って親たちが――従来よりも遙かに多くの愛と、遙かに多くの支柱とを与えてやらねばならないと。しかし、それにも拘らず、父親は、子供を家に入れることはならぬと固執した。
そして母親は? 私は、彼女が何をしたか知らない。町へ出かけて、娘さんと話をするようにという私の勧めには、彼女はどうしても従わなかった。また、何のために? 結局、夫との口論になるぐらいが落ちである……
その娘の住所を、私は知ることができなかった。私は「善き牧者の会」あてに、たびたび手紙を出したが、その会が彼女を探し出したかどうかは知らない。――
二三ヶ月の後、州の首府にある或る屋根裏の部屋の中に、一人の若い娘が陣痛で寝ていた。ただ独りきりで。彼女は、いとも簡単に、そんな境涯に陥ってしまったのであった。一人の親しい友達が、そういう場合に確かに役立つ方法だといって、しょっちゅうその娘のところに持ち込んだものは、何でも彼女は忠実に受け入れた。彼女は軟らかい石鹸を食べ、石油を飲んだ――そして、この種のあらゆる非合理的な忠告を実行した。しかし何の役にも立たなかった。すべての希望に反して、赤児は依然として母胎に留まっており、そしてお産の日はいよいよ迫った。助産婦学校へ行けば、分娩は無料であったが、彼女はそこへ行かなかった。彼女は、おむつも作らねば、また子供の肌着も作らなかった。故郷へもお手紙を出さなかった。彼女は、自分の体の状態をかくすことを非常によく心得ていたので、その家の主婦が、もしや、と思いかけた疑惑の念は、再びひっこんでしまった。
ただ独りで、真夜中に子供が生れた。クララは、その屋根裏の部屋で自分の傍らに寝ていた他の娘たちの誰をも起さなかった。最初、彼女は、子供をベッドの掛蒲団の下に横たえて置いて、ちっとも構ってやらなかった。しかし、二時間後に、子供がまだ生きているのを認めたので、彼女は、それを靴箱に入れ、そしてその子の小さな口の中に、詰物をつめこんで、戸棚の中に置いた。『私は、その子をちっとも可哀そうに思うことはできませんでした。』と彼女は法廷で述べた。
朝、彼女は、下の住居に下りて行った、何くわぬ顔をして。コーヒーを沸かし、部屋を片づけ、それから再びベッドに横たわった。具合が悪いということだった。最初のうちは、誰も疑惑を抱かなかった。後に、主婦が、クララの様子を見るために、屋根裏の部屋に上って来た。そのとき、主婦は奇妙な感じを覚えた。そしてなぜかは判らないが、何か調子が変なことを知った。そうだ、いやな血の臭いが、そこの上の方に漂っていた。主婦は、その主人と相談して、嘱託医に電話した……結局、何かが変であった、たとえ、そのとき娘は非常に怒って、否定したのであるが……医者が来た――そして事は終りになった。子供は、その間に窒息していた。
こうして、次に来たものは、ごく簡単であった、病院――未決拘留――審理――刑務所。
『私は、その子を全く必要とすることはできなかったんです。それを故郷に連れて帰ることは、許されませんでした。その子の父もまた、ちっとも構ってはくれませんでした。そうすると、私はその子をどうすればよかったのでしょうか?』
その子の父親は、満十八歲になる豪農の息子であるが、 扶養料を支払う必要はなかった。なぜなら、彼は財産を持たず、そして何の収入もなかったから。果して、いつになったら、法律は、父親に対しても、母親と同様に、子供の扶養の義務を課するほどに、公正になることであろうか? そしてそのような場合には、母方の親たちに対しても、扶養の義務が遡って課せられると同じように、父方の親たちの側(がわ)においても、その通りにならないであろうか? そして、いつになったら、正式な結婚によらぬ父親もまた、母親と同様に裁判にまわされることになるであろうか?
もし、この二重の道徳が一たび解決されるなら、この世の中には、多くの不幸がより少なくなることであろう!



 


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