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「助産婦の手記」33章 「賜暇(かし)のお土産」

2020年08月26日 | プロライフ
「助産婦の手記」

33章

今や私たちは、もう数ヶ月以来、世界戦争の真只中に立っている。誰かが予感したよりも早く、戦争という宿命がやって来た。あんなにたびたび人の言った、あの愚かな無思慮な言葉が、その怪物の鎖を解いてやったかのように。今やそれは、四方の国境で荒れ狂い、不幸と腐敗とをヨーロッパ中に吐き出した。

作物が取り入れを待っている八月一日に、農民は大鎌を片づけた。労働者は、工場から流れ出た。その工場では、すべての車輪が停ってしまった。祖国を防衛することが、死活問題であった! 心の一致が、たちまちにして老若、貧富、上下の間に作られた。こういうことは、以前には誰も経験したことはなかった。切迫した共通の危険が、種々の対立を解消して、人心を一つにしたのであった。

工場の女工たちは、百姓の女たちと一緒に田畑に出て、正直に陰日向なく、全力を尽くして収穫物を運び入れ、 田畑を耕やす手伝いをした。そのお礼として彼女たちは、その農場から取れたパンと馬鈴薯、粉と卵をもらった。貨幣は、田舎ではますます少なくなって行った。しかし、農業を手伝った女たちは、毎日のパンを持ち合わしていたので、それを買うお金を必要としなかったことは、彼女たちに取っては、また愉快なことであった。

数ヶ月後には、様相が変わって来た。これまでの前線における進軍が、不幸な陣地戦に移り変わった。戦争は直ちに終るだろうとの希望は、消え失せた。人々は、長期戦に備えはじめた。工場は、操業を再開した。セメント工場ですら、経営を開始した。軍隊の需要を満たすことが肝要であった。全馬力を出して、生産が行われた。ただ手さえ持っているものは、工場へ行かねばならなかった。婦人や、また殆んど学校を出たか出ないような児童が、出征の父親の後を受け継いで働いた。捕虜になったロシア人が、一部分は農業へ、一部分は石坑とセメント工場へ投入された。

種々な社会問題が続出して、殆んど私たちの手におえなかった。すでによほど以前から出来ていた幼稚園に、なお一つ秣槽(まぐさおけ)が置かれて、母親たちは、赤児をその中に一日中、入れておくことができた。それゆえ私は、監督せねばならぬ仕事が沢山あった。数名の上流婦人、すなわち工場支配人の奧さん、医者の奥さん、ヨゼフィン、その他の方々は、非常によく助けて下さった。私たちは、指導を分担した。私が職務上、差支えのある場合には、妹が私の代理を勤めねばならなかった。

それから、さらにスープを作る仕事が増えたが、それは、工場通いの母親や赤ちゃんに、お昼には少なくとも温かいスープを与えるためであった。彼女たちは、自分でそれを作る時間がなかった。最初の年には、出産が比較的多かった。そこで私は、そのために、いかに婦人たちが、すでにしばしば健康が衰えて来ているかということを知った。そして、このことが、スープを作るきっかけを与えたのであり、その指導は、ベルトルー夫人に委任された。

このようにして、 次第にすべてのものは、 持久状態へ移行しているように見えた。軍人の奥さんは、今や扶助料をもらった。彼女たちの大多数は、その上にさらに、自分でも稼いだ。それゆえ、この意味における困難は、当時はまだなかった。しかし、十人の赤ちゃんが、すでに戦争の第一年目に、父なし児として生れた――この村だけでも。

ある日、ウイレ先生が私をお呼びになった。『リスベートさん、一緒に行って、ロート奥さんのために、「賜暇のお土産」【註、賜った休暇のとき出来た子供の意味】 をほどく手伝いをしてあげて下さい。』と。ロート奥さんは、結婚してから十三年間も子供がなかったのであるから、もう赤ちゃんを得ようという希望は一切捨てていた。彼女は、すでに四十の始めになっていた。ところが、不思議にも――彼女の夫が賜暇で帰って来てから、本当に妊娠した。それは、あたかも自然が、戦争による人間の生命の損失を再び補おうと考えているかのように思われた。こんな例外は、戦争では到るところで現われる。私の同僚は誰でも、そのことを知っている。ロート奥さんは、自分の年では、もはやうまくお産ができぬのではないかと非常に心配している。そこで奥さんは、早速医者を呼びにやった。しかし、それは全く正常なお産であった。そして、その年を取ってからの子供についての母親の喜びは、筆紙に尽くされぬほどであった。
『私は、今はもう、この世に独りぼっちではないんです。私のヘルマンに万一のことがあっても、この子供が私のそばにいるんです。リスベートさん、もしあなたが、誰か貧しい母親をお知りでもしたら、私は喜んで、もう一人ぐらいの赤ちゃんの面倒は一緒に見てやりましょう。』ロート家は金持だから、そんなことはもちろん出来るわけだった。それゆえ、私も喜んで、その申し出を二度とは繰り返えして言わせなかった。貧しい母親に何か親切なことをしてもらえるというのに、どんな助産婦が、そのために当惑すると いうようなことがあるだろうか? 本当に、もし、そういう助産婦があったら、その人は自分の職業を正しく理解していないのだ!
『それは全く有難いことです。何週間も前から、私はどうすればブレーム奥さんを助けて上げることができるか、考えていたんです。』
『あの仕方屋の、あの肺労【肺結核の旧称】の? もうまた、そうなんですか?』
『そうです、ロート奥さん、もうまたなんです。あのうちの事情は悪いんです。いつかのヘルツォーグさんの場合よりも、もっと悪いんです。九ヶ月毎に一人の赤ちゃん。しかも、お上さんは、今では旦那さんと殆んど同じように相当弱っています。そしてお上さんは、確かに肺労じゃありませんが、しかし食べるものが丸っきりないんです。お上さんは、十分に稼ぐことができません。稼げるのは、いつも僅か二三ヶ月だけです。旦那さんは、一本立ちの親方ですが、現金もなければ、保険にもかかっていません。そしてお役所も、もう何もしてくれません。というのは、この場合は、絶望だからです……親方は、数年前から、もう一針も縫っていないからです。』
『旦那さんは、体力もなくなっているんだと思います。でも確かに、もう少しは働けるんでしょうがね。』
『しかし、誰でも、その親方に仕事をさせると、病気がうつりはしないかと心配するんです。』
『そういう人たちが、もう子供を作らないというぐらい、理性的であればいいんですがねぇ……』
『そのことは、私も前に考えて、繰り返しブレーム奥さんと話したんです。お上さんは、旦那さんを非常に愛しています。旦那さんの健康も、以前には全く普通だったのです。ただ結婚してから、早くも約二年後に病気になったのです。しかし今でも奥さんは言っています。「あの人は、私の夫です。そして私は、あの人と一緒にその十字架を背負わねばなりません。そのような病人は、夫婦愛を特別に必要とするんです。そのことは、私、よく知っています。そして私は、あの人がどんなにその病気で苦しんでいるかということ、そして非常に弱っているため、自分で容態を変える力がなくなっているということを每日見ているんです。」と。』

そこで、ロート奥さんは、非常に考え深そうに言った。『私だって、もしもそんな事情だったら、主人を拒むことはできないでしょう。その時には、私も主人の妻でなければならぬでしょう。人妻というものは、そういうとき、夫をつれなく拒み切れないものです。そんなときには、妻はいつも譲步するのでしょう。というのは、妻は夫を愛しており、そして夫の病気をとても気の毒に感じるからです。』
『もし人がそのことを話すと、ブレーム奥さんの眼には、すぐ涙が浮ぶのです。「私は村中の人々が私のことを嘲っているのを知っています。何だってあの夫婦は、あんなに子沢山なんだろうって! しかし、私はいつもこう考えねばならないのです。いま私の夫は、あの通りの病人です。どのくらい生き長らえるものか、誰が知りましょう。もし死んでしまうと、私が夫と仲を好くしなかった月日と、一つ一つのつれなかった言葉が、私を後悔させるでしょう。そうすると、私は主人が死んだ後でも、自分自身を責めねばならぬのです。」と。』
『リスベートさん、なるほど今よくそれが判ました。ねえ、私はこう考えるのです。私のヘルマンは、あす帰って来ますが、間もなく再び戦争へ出かけねばならぬでしょう、多分永久に。ですから、私は、あの人のしたいと思うことは、何でもやらせたいと思うのです……』
『今、あの可哀想なお上さんは、五番目の子供が生れるんです。十ヶ月每にまさに一人の割です。どれもみな惨めな子供です。風が吹けば、倒れます。それなのに、この村では、誰もあのお上さんのために、何かしてやろうとはしないんです。』
『でも、あの方は、盗みをしちゃいけなかったんですね……そのことが、みんなを非常に怒らせたんです。』
『ロート奥さん、私はその盗みを確かに弁護はしません。でも、何を盗んだというのでしょうか! 一度、畑から馬鈴薯を一籠ぬすんだだけです。それもある日、子供たちに食べものを全く与えることができず、しかもどこへ行っても、一塊(ひとかたまり)のパンさえ、掛け【代金後払いで商品を買うこと】で手に入れることができなかったからです。もし、この村の誰かほかの女が、そんなに貧しく暮しているとしたら、その人も豊富に食物を持っている人のところから、盗まないかどうかを、私は見たいのです……
二度目は、こうなんです。あのお上さんは、ほかの人たちと同様に、赤ちゃんを、さっぱりした身なりで、種痘へ連れて行けるように、よその生垣から、二三枚のおしめと子供用の上衣を取ったのでしたが、帰宅したら、それを洗って、またそこへ掛けて置こうと思っていたのでした……
ところが、お上さんは、間の悪いことには、飛んでもない人に当たったのでした。あの太った指物師のお上さんですが、あの人ったら、かみそり研ぎ師のようなうるさい口を持っていて、その仕立屋のお上さんを村中追い廻し、そしてその後ろから、大声でわめき立てたんです……
そして三度目には、お上さんは病気の赤ちゃんのために茶を沸かし、そして一番小っちゃいのに、ミルクを温めてやろうと思って、木切れを二三本、取ったのでした。このような事柄が、私たちの間から起らねばならぬということは、キリスト信者団体にとって一つの恥ですね。』
『リスベートさん、すぐ出かけて、あのお上さんを見てあげて下さい。もし、ある人たちは非常にいい境遇にいて、赤ちゃんをレースやリボンの中に包みこんでいるのに、ほかの母親は、赤ちゃんを飢え死にさせないために、盗みに行かねばならないということを、考えねばならないとすると、私は今夜眠ることができないでしよう。私の妹に言いつけて、色んな物を入れた籠を一つ、あなたのところへ送らせましよう。』
『私は、あのお上さんがそんなに困っていることを知ってからは、いつもよく見守っています。あの憐れな女が、誤った考えを抱かないように。現に、きょうも、あるお節介な忠告者が、こう言っていましたよ。「赤児をおろしてもらいなさい、 あんたは子供を育てることはできないんだ、そんなことは、お金持の奧さんのすることだよ」、と……

そして別の忠告者が来て、こう言っていました。「もし御亭主が健康に注意しようとしないなら、あんたの方で用心しなさいよ」、と。』
『そんなことをしてはいけません。それは自然に反しますね。もし、このような事柄を明るみに出して、色んな詰らぬことをするようなことがあれば、多分私は、主人が厭になるでしょう……夫婦が正しい愛のうちに、ぴったりと一体になるということは、自然に生じるものでなければなりません――もっとも、私たちはもともと、それがどういうようにしてかは、自分では知らないんですが……』
『ブレーム奥さんも、そう感じているんです。あの人は、一度私にこう言いました。「私は、夫に対して身を守らねばならないなんて、言うことはできません。なぜなら、私は夫を愛すればこそ、夫のために喜んで、それをするのだからです。それは、夫の方からの強制ではありません。私は、夫のために存在しているんです――そして私は、神かけて、それとは違ったことはできません」……』
『自分自身に対して、そんなに誠実な婦人、しかも真理から生じるいろいろの結果を自分で引き受ける婦人に対しては、私は心からの敬意を捧げます。何百というほかの女たちは、自分自身の良心を欺くことになってしまうのでしょう……』
『ただ、あのお上さんも、困難があまり大きいと、気が変になるのです。五人の子供は、食べるものが何もありません。あの人は、もはや、おむつも肌着ないんです。それなのに、いま六番目の子供が生れようとしているんです……そして、それが生れるとすぐ、多分、七番目のが出来るでしょう。四人食べているところでは、また五人食べられるとは、うまく言ったものです。そうです。しかし、五人飢えているところでは、六番目のものが、よりよい扱いを受けるということは、確かにありませんね。子供を、いきなり飢えの中へ、全くの不幸の中へ生み落すということは、母親にとって、恐ろしくつらいものです。そういう時には、母親が何事かを仕出かしても、怪しむには足りないでしょう……』
『なぜまた、天主様は、そんな場合に助けて下さらないのでしょうか?』
『それは、困難なときに、人間が人間を助けねばならないように、天主様は兄弟愛を御命じになったからです。この村の誰かが、そんなに貧乏のために苦しむということは、やむを得ないことなんでしょうか? しかも、あのお上さんだけが助けを要するただ一人の母親ではないんです……』
『私は、あの人が、ほかの人からは、何も貰おうとしないということを、人から聞いたことがあるんです。そうでなければ、私はもっと早くあの人をたずねたことでしょう。』
『問題は、 どういう風にして助けるかということです。もしも、こう言ったとしたら、どうでしょう。お前は実に憐れむべきものだから、私はお前を助けることにしてやろう――そして、そのことを後で、村中に吹聴しよう、と――すると、ロート奥さん、御存知のように、誰もそんなことを喜びはしませんね! そうではなくて、もしあなたが、いま生れる赤ちゃんの代母とおなりになったなら、あなたは、いつでもその赤ちゃんのところへ行って、いつでもあなたの好きなだけ、そして出来るかぎり、沢山の贈物をすることができるでしょう。代母というものは、親と共同して子供を養育する権利と義務とを当然持つものです。そして、代母がそうすることは、誰も悪く取ることはないし、むしろ人は、そうすることを代母に期待するのです。私たちカトリック信者が、他人の感情を損うことなしに、彼らを助けることの出来るこの方法を用いることが非常に少ないということは、ほんとに遺憾なことです! 私は、このことを、どうもよく了解することができませんでした。』
『全く、それはほんとですね!』
『私は、代母になってやった子供が二人います。そして私の妹も、そうしました。それくらいのことは、私たちにもできます。しかし、もしもそういう子供があまり多くなると、もう適当に助けることができなくなってしまいます。』
ロート奥さんの『賜暇のお土産』は、仕立屋のお上さんだけでなく、きょうまでに、さらにほかの二人の母親にとっても幸いとなった。ほかの多くの奥さんたちは――未婚の職業婦人もまた――この方法によって、自分が愛し、保護し、世話をする何ものかを、というのは、自分の子供に代るものを、つまり自分の生活のための正しい内容を、自ら作ったのであった。





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