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長崎巡礼-霊的講話-2016年5月1日シュテーリン神父様「終わりまで赦せ。そうすればあなたたちも赦される。」

2016年06月13日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

長崎巡礼でシュテーリン神父様がなさった霊的講話【その2】をご紹介いたします。どうぞお読み下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2016年5月1日 長崎巡礼 シュテーリン神父様霊的講話【その2】
同時通訳:小野田圭志神父様



皆さんは、特別な極めて特異な殉教者たちの人生の場所に行って、ご覧になって、そして本当に大きな感動を受けて今おられる事と思います。この信じられないような、もう耐える事ができないような拷問を長い間耐え忍んだ、この殉教者のその力に、本当に私は感嘆して、もう驚くばかりです。この殉教者たちが全ての力を、耐え忍ぶ力を、天主様から、マリア様を通して、インマクラータを通して受けた、という事を理解しなければなりません。マリア様は、罪人を異教徒をそれを選んで、それを回心させて、その人たちを最も高い聖徳にまで引き上げたのです。マリア様はですから皆さんも、皆さんをも極めて高い聖徳にまで引き上げる事ができる、という事を信じて下さい。

今日はまた、この殉教者たちのとは別の角度から、しかし非常に驚くべき観点に光を当ててみたいと思います。

まず私自身の体験から話す事を赦して下さい。
告解の時によく痛悔する方々が告白するのは、「私は腹を立てた」という事です。「私は忍耐を失った。」「私は大きな声で怒鳴ってしまった、叫んでしまった。」どうも私たちは、99%いつも怒っている人たちの間に住んでいるようです。

「怒る」というのは、この腐ったトマトのように真っ赤になって「ヴーッ!」という時だけが怒るのではありません。こう外見上は大きな笑顔と微笑みを浮かべながら、心の中で「ヴーッ!」と怒っているという事もあります。何故怒るかというと、この自分の思っていた通りに人生がうまくいかないから怒るのです。或いは誰かが、「こういう事をやってもらいたいなぁ」或いは誰かに、「こういう事をしてもらっては困るなぁ。」と思うと、全くその思っていた事と反対の事を誰かがする、或いは私を侮辱する、或いは屈辱する、という時に怒ります。そのような否定的なシグナルが私たちのところに来て、それが来て怒りの炎が巻き起こって、そして私はその否定的な事をした人を赦す事ができなくなります。

多くの人々が過去に生きていました。そしてその過去に生きていた人のリストをですね、こう私たちはこう作ります、「昨日、妻は本当に俺に悪い事を言った。あの態度は赦せない。」「1週間前、同僚は俺にこんな事を言った、こうやって悪口を言った。」「1ヶ月前、電話を長距離電話を受けて、私のおばさんが私の悪口を言った。」「20年前、会った人が私のポケットから1,000円を奪った。」

問題は何かというと、いつも怒っているのは、私たちは「赦す」という事ができないからです。特に、「誰かが私を騙した。」「お金を取った。」「損害を与えた。」「傷つけた。」「私に危害を与えた」という時に、その赦すのが難しくなります。「神父様、私は子供に、この子に全てを与えました。良い教育を与えて、もうお金も費やして、こうやって教育をやって、ここまでやってしたのに、この子は私に“ありがとう”も言いません。私の事を悪く言います。私はもう赦す事ができません。」もっと悪い例もあります。これは私の自分の耳で聞きました、「神父様、私はその人の為に人生を全て与えました。私の持っているものを全て、この彼のこの方の為に与えました。そして子供ももうけました。しかしそのそれがどこかの、どこかの誰かといなくなってしまって、子供も私もほっぽらかしにして、どうして私はこの人を赦す事ができるでしょうか。」

大きな、或いは小さな問題が私たちにはあります。私たちの人生には必ず、誰かが私たちの事を傷つけたり、悪さをしたりする人もいます。危害を与えるか、危害を与えようとしています。ですから或いは皆さんは、その彼に対して怒りを買ったり、或いはこの人を赦す事ができなかったりするかもしれません。皆さんはもしかしたら、「天にまします」の祈りを祈るのが難しいかもしれません。「御国の来たらん事を、御旨の天に行わるる如く、地にも行われん事を、」とは簡単に祈る事ができるかもしれません。「我らが人に赦す如く(-_-;)、我らの罪を(-_-;)赦し給え。(-_-;)」

そして、こういう私たちが長崎に行くと、殉教者を見ます。私たちの人生には、この西坂の丘で起こったような事は起こっていません。立派な侍で、もう何も不足する事がないのに、しかし全てをもぎ取られて、そして死刑をされる人々。財産を全て没収されたのみならず、自分の愛する家族や子供たちを、自分の目の前で殺される。唯一犯した罪というのは「キリストを信じていた」という事だけです。

「私は、私は何をやったでしょうか?」「私たちはこの国の最も偉大な恩人ではないでしょうか?この国の為に良い事をしました、善を施しました。その報いとしてあなたたちは私たちに、最も悪い“死”を与えようとしています。」

この侍のお父さん、最も力のあったお父さんのその3人の子供全部が、12歳、そして一番小さいのは5歳、自分の目の前で指を切られて捨てられ、海の中に捨てられるのを見て、お父さんはどれほど怒らなければならなかったでしょうか。しかしそれらの殉教者たちは、そのそれらにどのように反応するかというと、「赦し」でした。

パウロ三木のお説教を聞くのは簡単です。しかし皆さんが実際に十字架の上に付けられて、そしてその自分を殺そうとしている人々に、「私たちは何の恨みもありません。」と大きな声で心からそう言う事ができるでしょうか。

何も不足もなく、もう何の問題もなく、皆さんソファーに寝て、こう葉巻を吸ってゆくゆくとふかして、こっちにはサントリーのウイスキーがあって、それを飲みながら、「あぁ、赦します。」と言うのはどれほど簡単でしょうか。皆さん、皆さんの目の前に敵が恐ろしい形相をしてこう睨んでいて、そして皆さんを殺そうと拷問の道具を見て、こう皆さんを痛めつけていて、その目の前で「赦します。」と言うのはどれほど難しいでしょうか。

ここで「インマクラータ“無原罪のマリア様”」の力が分かります。私たちの本性から言えば、もしも私たちに危害を与えた時には怒り狂って、それを「絶対赦さないぞ!」というのが本性です。私たちの本性は、「友人には友人となり、敵には敵となれ」と言います。しかしこの殉教者たちは、それらの自然のやり方をほっぽり投げて、それと全く別の事をします。ですから、この殉教者たちを殺そうと拷問をかけた人たちはそれらを見て、「この人たちは本当に月から来たのではないか。宇宙からどこから来たのではないか。」と思った事でしょう。

このような事は、世界どこを探してもカトリック教会でしかありません。この「赦し」というのは、「何故カトリック教会の中でしかないか」というと、自然の本姓に全く反対する傾向であって、この「赦す」という事は、1つの所から流れ出て、1つの源泉地からしか流れ出ないからです。その源というのは、『十字架』です。

これは、この「赦し」というメッセージは、この長崎からの殉教者が皆さんに伝える、非常に大切なメッセージです。もしも私たちが本当にマリア様の子供であるならば、もしも本当にカトリック信者であるならば、「赦す」という事を知らなければなりません。ただ単にこう悪口を言った人を赦すのみならず、私たちの最悪の、もう最低の、もう極道の事をした人たちさえも赦す事ができなければなりません。

私たちには2つの態度があります。「長崎のように反応するか、長崎の人々のように行動するか」或いは「広島での行動のように反応するか」です。広島にも長崎にも原爆が落ちました。

でも広島は憎しみと怒りがあります。復讐しようという望みがあります。「このような事をして、決して忘れない。」と。これは異教の答えです。この非常に自然的な傾向で、よく理解できます【*】。でもこれは本当の答えではありません。広島のこの態度からは、憎しみと復讐の念が沸き起こってくるからです。

でも長崎はまた別です。1945年のこの原爆の時のその被害者は犠牲者は、これは殉教者の子孫でした、殉教者に続くものでした。ここではカトリックの共同体に原爆が落ちます。たったの1分で、たったの数秒で、カトリックの大聖堂が全く破壊されてしまって、カトリック信者は8,000人亡くなって、そして病院もなくなって、もう廃墟となります。何十万人の人が傷付いて、傷を受けて焼かれて、そして命を失いました。これは世の終わりのしるしでした。でもこのおかげで戦争は終結します。これは第二次世界大戦です。

でも広島の後では、戦争はまだたくさん続きました。何故かというと、戦争というのは憎しみの連鎖反応だからです。

でも長崎には平和を生み出しました。何故かというと、長崎では高貴な態度、心を生み出したからです。

例えば永井博士がその被害に合って、そしてその受けたその原爆の態度は、「赦し」でした。永井博士は自分の家のあった所に行くと、何もありませんでした。ただ灰があっただけです。「妻はどこにいるだろうか。」と探しました。博士は自分の家のあった所にちょっとした骨を見つけます。そしてロザリオを見つけます。「これは私の妻の手の骨だ。これは妻が握っていたロザリオだ。」とすぐ分かりました。

この有名な長崎大学病院のこの博士は、全てを失いました。最も愛する妻を失いました。怒る事もできました。この責任者に対して怒り狂う事もできたはずです。それも普通の反応でした。

でもこのロザリオの十字架を見て、マリア様のメダイを見て、「天主様に感謝します。」何故かというと、「妻はロザリオ唱えながら死ぬ事ができたから。」「天主様に感謝する。」何故かというと、「この犠牲によって戦争が終わる事ができたから。」

永井博士は夢想家ではありませんでした。お医者さんでした。何故こう言うかというと、最初の、原爆が落ちて最初の2日間は、お医者さんとして運ばれてくる患者をもう休みなくずっと看病し続けていて、自分は気絶しつつ気を失いつつも患者の為に全ての時間を使っていました。このような極めて大変な時に、自分の命をこうやってかけて患者を診て、そしてしかも赦す事ができるというのは、殉教者たちの態度と同じレベルの赦しです。

この長崎にはまた別の人も来ます。この男は長崎で、「インマクラータの、無原罪の聖母の町」を作ります。この長崎に6年間住んだだけです。長崎に居た後で、6年居た後に、自分の祖国に帰ってそこで亡くなります。聖マキシミリアノ・コルベ神父様は、ゲシュタポによって逮捕されます。そして遂に強制収容所に収容されます。

アウシュビッツの刑務所では、囚人たちは獣のように取り扱われました。特に司祭は、言葉で言う事ができないほど残酷に取り扱われました。強制収容所に入れられた人々の、普通の共通の多くの人々の反応は、「憎しみ」「復讐」「怒り」「憤り」でした。でもアウシュビッツのブロック60地区には怒りがありませんでした。何故かというと、このブロックには1人の男がいたからです。この男は、拷問を受けて辱めを受けて、もう痛み苦しみを受けながら微笑んで、そして平和を皆に撒き散らしていたからです。そしてこの一緒にいた、この監獄にいたポーランド人の友人に、「おぉ友よ、私たちは赦さなければならない。ドイツ人さえも。」

最後に10人の囚人が死刑を受けなければならない。何故この人が死刑になるかというと、誰か1人が監獄から逃げ出してしまったので、その罰として10人が死ななければならない事になったからです。その死も最もひどい死に方でした。どのようにして死ななければならないかというと、監獄の中に小さな所に押し込められて、何も与えられず、食べ物も飲み物も、何も、そのまま放置されます。10人選ばれたのですけれども、そのうちの1人がいきなり泣き出します、「おぉ!私の家族はどうなるのだ!私の妻はどうなる!子供はどうなるのか!」と。

すると突然、信じられないような事が起こりました。ある人がこの監獄の責任者の所の前に立ち進んで現れるのです。もしも誰かがこの列から、整列から離れるような事があればすぐに殺されます、射殺されます。しかしこの時には誰も、この男を射殺しようとする人がいませんでした。そしてこの出てきた男は立ち現れて、「私がこの代わりになる事を赦して下さい。この人の身代わりになる事を赦して下さい。」と言いました。

ここにいた監長責任者(Lagerführer, camp leader)は、“血に飢えたクロト”というあだ名を付けられた人(本名は Karl Fritsch)で、とても残酷で、もう非常に非道な人でしたが、このような事は今まで見た事がありませんでした。「お前はこの、一体このポーランドの豚は何が欲しいんだ。」そこでこの立ち進んできた男は「身代わりなりたい。」と言うと、「お前は一体誰なのか。」と聞きました。コルベ神父様はその時に、「私はマキシミリアノ・コルベです」とか或いは「ニエポカラヌフのインマクラータの騎士の総長で」とは言いませんでした。「私は、カトリックの司祭です。」と答えました。このような事を体験した事がない監長は本当にびっくりして、「それなら良い。」と、「代わっても良い。」と許可を出しました。

一体何でこのような人が、今までこの残酷で、「絶対ダメだ!俺のやる事をやるんだ!」というような人が態度を変えて、コルベ神父様の言うままに許可したのでしょうか?コルベ神父様のその素晴らしい勇気に感動したのでしょうか?

私の思うには、コルベ神父様はその男に、平和な目で、その目と目をじっと見つめたからです。この神父様の目には憎しみがありませんでした。この目には愛と赦しで満ちていました。でもクロトはこれが理解できませんでした。しかし、このような目は一度も見た事がありませんでした。この為にコルベ神父様は、最も偉大な英雄となりました。神父様は憎しみや怒りを、自分の愛で打ち勝ちました。

全てはこの長崎に集中しています。長崎は私たちにとってしるしです。こう私たちにとても貴重なメッセージを与えています。私たちはここに、キリスト教信者となる為に、カトリックとなる為に来ました。カトリックとは何か、そしてカトリックそれ自体になる、学ぶ為に来ました。カトリックというのは、美しい典礼や歌だけではありません。もしもそれだけでしたら、私たちの人生にはそれほども大きな影響力はなかったかもしれません。離教の正教がそうです。正教会は、素晴らしい長い長い豪華な典礼と、豪華な教会がありますが、しかし命がありません。カトリック信仰というのは、美しい典礼や、美しい神学や、美しい理論、それだけではありません。もちろんそれも大切です。

多くの殉教者たちは長崎の殉教者たちは、カテキスタでした。そして信仰を伝えた人でした。永井博士は自分の体を動かす事ができませんでした。ですから床に横たわって、本を書きました。横たわっていても本を書いたのは、「信仰を伝えたかったから」です。

日本に到着したてのコルベ神父様も何をしたかというと、『無原罪の聖母の騎士』という雑誌を作って、「是非信仰を日本の方に知ってもらいたい」と思って宣教しました。

でもそれだけではありません。もっと大切なのは「生き方」であり「命」でした。天主様がマリア様を通して私たちに与えようとしている、具体的なこの生活の生き方です。昨日のメッセージは、「終わりまで耐え忍んで忠実であれ。そうすれば栄光の冠を受けるだろう。」という事でした。今日のメッセージも同じです。「終わりまで赦せ。そうすればあなたたちも赦される。」

おそらく多くの皆さん、私たちの多くは殉教者にはならないでしょう。でも全て私たちは赦さなければなりません。ここからキリスト教信仰が生活が始まります。ですからこの精神を、私たちの心の中に浸透させなければなりません。長崎から始まらなければなりません。このここから、これが私たちを秋田に運んでくれます。それはマリア様です。そのように難しい状況において赦す事ができるというのは、マリア様が私たちの為に勝ち取って、お祈りして下さって得てくれる特別の、唯一の十字架からのお恵みだからです。

マリア様のご生活、マリア様の役割を、このポイントからこの観点からご覧になって下さい。マリア様の全生涯は全て「赦し」で始まり終わっていました。マリア様はイエズス様の命を狙うヘロデの手から逃れる為に、エジプトに行かなければならなかったのですけれども、これを赦さなければならなかったのではないでしょうか。

もしも明日突然、市長があなたの皆さんの家にやって来て、「さぁこの家を没収します。平地にします。出て行って下さい。追放です。全て財産も没収です。銀行も凍結です。」と言ったら、どのように反応するべきでしょうか。その時には、その人を赦すのは非常に難しいかもしれません。

皆さん想像して下さい、考えて下さい。ヨゼフ様もマリア様も、夜中に出てエジプトに逃げて、そして家も失い全て没収され、全くものすごい貧困のうちに生活する事を外国で余儀なくされたという事を。

「イエズス様が十字架の上で亡くなった」という事も考えて下さい。誰がイエズス様をこうやって処刑したのでしょうか。一体誰が「十字架に付けろ!十字架に付けろ!」と叫んでいたのでしょうか。イエズス様が癒した人。彼らがまだ病で苦しんでいた時に、或いはらい病だった時に、或いはお腹が空いていた時にご飯を与えられた人。色々な奇跡でお恵みを受けた人が「十字架に付けろ!」と言ったではないですか。

イエズス様だけが、「主よ、彼らを赦したまえ。彼らは何をしているか知らないからです。」と言ったのではありません。マリア様はイエズス様のお母様ですから、イエズス様の名誉を守る権利があります。

もし皆さんのお子さんは非常に良い教育を受けて、皆さんの手によって育てられて、そしてとても立派な子供になっていましたが、しかし不正な裁きを受けて、不当にも「死刑の宣告を受けた」とします。もしもそのような事があったら、皆さんお母さん自身が死刑の宣告を受けたよりも、もっと苦しみを感じるではないでしょうか。

マリア様はそのイエズス様を苦しめた、身分の高い人から身分の下にいる人まで、全ての人を赦しました。マリア様は、「皆は赦すけれども、アンナと、カイファと、それからピラトだけは!」と言いませんでした。マリア様は全て赦しておられました。

私たちを、十字架の上で私たちを子供として受けた時に、マリア様ですから、私たちをどれほど赦さなければならないでしょうか。マリア様が自分の愛する御子イエズス・キリストから、皆さんを「自分の子供として、頼むよ。」と頼まれた時に、どれほど苦しんだか分かりますか?一体どのような人を子供として受けたのでしょうか?

イエズス様という、この世の救い主であり、王であり、最も素晴らしい子供の代わりに、本当につまらない、無のように等しい私たちを受けたのです。無だけではありません。もう私たちは、その御子をそのマリア様の愛する御子を、何度も何度も侮辱して、罪を犯して、屈辱を与えた存在です。

愛する子供を持っていますね?「お母さん、この子を自分の子供として僕の代わりに受け取って下さい。この子は言っておきますけれども、この子供はあのおじさんの子供で産んだ子供で、このおじさんはお母さんの財産を全部没収して、こんなに悪い事をした人の子供なんです。」

マリア様は、「はい。」と言って、皆さんと私を本当の子供として受け取って下さいます。マリア様の私たちに対する最初の行為は、「私たちを全て赦す」という事でした。私たちはマリア様に対して、どれほど多くの悲しみを与えてきた事でしょうか。私はマリア様の愛するイエズス様に対して、苦しみと悲しみと、大罪を以って死にまで至らせました。そのような私を、マリア様は赦して下さいます。

この観点から長崎を見ると、今、今日ここで、特別な事を私たちが学ぶ事ができます。その一番深い意味というのは、「イエズス様もマリア様も、私たちを『赦したい』と思っている事」です。そして「イエズス様とマリア様からの赦しを得るのは、本当に簡単だ」という事です。私たちが不幸にして罪を犯して、罪の泥の中にドシャーン!と落ちてしまった時に、私たちはよく思うのは、「あぁ!何でだ!」と怒ったり、「これからどうなってしまうんだろう」と恐れたり、「あぁっ、本当にもう…」と悲しんだりするのですけれども、自分の弱さに悲しんだりするのですけれども、しかし私たちを「赦そう」「赦そう」と待っている方の事を忘れています。

愛する友人の皆さん、イエズス様は夜に昼に、皆さんを「赦そう」「赦そう」「赦そう」と待っておられます。イエズス様が「赦そう」と待っているのをご覧なれば、私たちはどれほど隣人を赦す事が簡単になる事でしょうか。告解に行くのをもう恐れる事はありません。何故かというと、「イエズス様は赦す事を待っているから」です。たとえ私たちが、もう最悪の最低の罪を犯したとしても、マリア様の元に行くのを恐れません。何故かというと、「マリア様は私たちを『赦そう』と待っているから」です。

お母さんが、小さな赤ちゃん子どもが、こう、よちよち歩きするのを見ています。このよちよち歩きをしている子が「あっ!」とこう倒れてしまうと、お母さんはすぐにその赤ちゃんをこう抱きかかえて起こします。その時にお母さんは、「え!?何だよ何!?倒れちゃったの!?ほら起きて起きて起きて!もう起きないの!?知らないよ!もうほっぽらかすよ!」と言うでしょうか。

これが長崎のメッセージで、本当の真正の全きカトリックのメッセージです。マリア様のこの模範が、私たちの心の中にもこう染み通らなければなりません。もしもこの私のような者をイエズス様・マリア様はこうやって赦して下さるのならば、どうして私が他の私に害を与えるような人を赦さないわけがあるでしょうか。そして赦し始めると、私たちの心の中には平和がやって来ます。私たちの心の中にいつもあった重い石が取れていきます。いつもこう怒って怒って、憤って、というのがなくなっていきます。そこで本当の微笑みがやってきます。これが殉教者のにっこりした微笑みです。これが永井博士のにっこりした微笑みで、そしてコルベ神父様の微笑みです。これがマリア様の微笑みです。

長崎には非常に多くのものがあります。皆さん長崎に来れて良かったですね。では行きましょう。


【*】【訳者追記】
2016年5月27日に、オバマ米大統領が現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問しました。

安倍晋三首相は5月10日、記者団に対し、オバマ米大統領が安倍首相とともに5月27日に広島を訪問すること、心から歓迎すること、オバマ大統領の広島訪問を「全ての犠牲者を日米で追悼する機会とする」こと、また、原爆投下に対する大統領からの謝罪は必要ないことを述べています。

広島市も日本政府も、米国には謝罪を求めたことはかつてありません。第二次世界大戦が終結して以来、政府はアメリカ政府に対して、原子爆弾投下について直接抗議を行ったことはありませんでした。

広島訪問前に共同通信が実施した「広島と長崎で被爆した百十五人に面接方式のアンケート」によると、原爆投下の是非に踏み込み謝罪することを78・3%が「求めない」と回答しています。(「求める」とした人は15・7%。)

朝日新聞デジタル(貞国聖子氏)の記事によると、1956年8月に結成された、被爆者唯一の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」は、1984年の基本要求で「米国への謝罪要求」を明記し、1990年代には、米国を相手取った訴訟を検討したこともありましたが、2016年5月18日付けで直接、ホワイトハウスにメールで、オバマ米大統領に要望書を送りました。日本被団協の事務局長の田中熙巳(てるみ)さん(84)によると、要望書は謝罪を求めていませんでした。要望書は、広島で被爆した男性が起草し、全国から集まった約20人の代表理事会に諮ったところ、異論は出なかったそうです。また、NHKが広島県内の被爆者231人の9割を超える人がオバマ大統領の広島訪問を「評価できる」、「どちらかといえば、評価できる」と回答しました。(広島県内の被爆者321人の内回答を得ました、72%に当たる231人。)NHKが実施した被曝者に実施したアンケートでも、オバマ大統領に謝罪を求める人は14%と少数でした。

被曝されて、今生存されている方々は、幼い頃に被曝されたのであり、戦争に関していかなる決定権もなく、全く受け身で犠牲となった方々です。実際に被曝されて、放射線によるさまざまな健康被害に苦しんでおられる方々が、謝罪を求めないとされていることは、すばらしいと思います。

今年の聖ピオ十世会の長崎巡礼に参加して、生まれて初めて長崎に来た巡礼者の中に、私の母もいました。母は、原爆記念館を訪問して初めてその悲惨さが分かったと言っていました。母は戦争中は広島から遠く離れた田舎に住む子供でした。被曝していない私たちは、被曝者のこの赦しの精神を心から尊重し、褒め称えたいと思います。被曝者の方々の大部分がそうであるなら、日本に今住んでいる大部分の方々も、謝罪は求めないと思います。

また、オバマ大統領を始め今アメリカに住んでいる方々も、戦争作戦について決定権を持っていたわけではなく、アメリカでも日本でも戦争を指揮したその当事者たちは皆亡くなっています。

今生きているの世代のアメリカの方々が、70年前に広島と長崎に原爆を落とそうと決定したわけではありません。日本にも、アメリカにも、第二次世界大戦後に生まれてきた方々が、大多数住んでいます。戦争を直接に体験していない人々は、戦争を直接しなかった人々に、謝罪を求めることが何故できるのでしょうか。

日本とアメリカとが、手を合わせて平和な世界を作っていこうという願い、その尊い思いが、被曝者の方々が、日本がアメリカに謝罪をあえて求めなかった理由だと思います。

私たちの主イエズス・キリストの赦しの精神、十字架の精神が、長崎と広島とから、日本中に、世界中に広がりますように!

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