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映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった”真実” (その4)

2017年02月23日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった "真実"
映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった "真実"のその2
映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった "真実"のその3につづいて、

その4をご紹介いたします


天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

(続き)

フェレイラが背教から立ち戻るために、彼にコンタクトを取って説得しようとする試みが少なくとも3回ありました。

今回は、第3弾のその1を紹介します。


第三の試み:
最後の試みはアントニオ・ルビノ神父によってなされました。長年インドでのミッションで働いた後、1638年、ルビノは志願してマカオに送られました。1639年10月に視察師に任命されます。ルビノ神父の日本行きの強い望みは、自分の友人であったジョヴァンニ・バッティスタ・ポロ神父が捕らえられ転んだという噂を聞きさらに強まるばかりでした。

1640年11月、ルビノはフランシスコ・マルケスと日本に行こうとしましたが、嵐によってたどり着くことが出来ずコチンシナの海岸に漂着し、マカオに戻ります。多くのイエズス会士たちの反対があったにもかかわらず、断固として日本行きのために1642年にマニラに出港します。マニラから、司祭9名、修道士1名、カテキスタ数名という大きなグループで日本に行くつもりでした。しかしあまりに大きく目立ってしまう危険があるので、ルビノは二つのグループに分けます。ルビノ自身は1642年7月5日に4名の司祭たちと日本に向けて発ちます。第2のグループはペドロ・マルケスの指導の下に1643年に出航することになっていました。

ルビノはラテン語でフェレイラへの手紙を書き、それを日本に上陸するや彼に送るつもりでした。この手紙は Tu ille Christofihorus で始まり、つぎのような内容です。

【引用開始】
「おまえは、1596年にキリストの誕生という聖なる日に、16歳の時、天主とイエズス会のために生まれ、おまえの名前をこの会に与えた、あのクリストフォロなのか?
おまえは、両親と親類と友人たちを忘れ、この世のことを軽蔑し、1598年の殉教者聖ステファノの祝日にコインブラのコレジオで管区長クリストヴァン・ゴウヴェア神父の前で清貧と貞潔と従順の誓願を立てた、あのクリストフォロなのか?おまえは、キリストのために石殺しにされたかの偉大な殉教者の足跡を、ただ単にキリストを否むために従ったのか?

おまえは、1600年4月4日にポルトガルの祖国とその土地を離れ、東インドに福音の光をもたらすためにその地域へと航海したあのクリストフォロなのか?おまえは、かの光をそこにただ真の天主を否むためにもたらしたのか? おまえは、聖霊の息吹によって、1601年5月1日にゴアから日本への宣教へと旅を始めたあのクリストフォロなのか? おまえは、1608年、私たちの救い主イエズスがお生まれになったその同じ朝の夜明けに初ミサの聖なるいけにえを捧げたあのクリストフォロなのか?おまえは、サタンに捧げられるためにこれらの叙階の秘蹟を乱用したのか?おまえは、日本人の霊魂たちの救いに飢え乾き、1609年5月16日に乗船して日本に出港したあのクリストフォロなのか?おまえは本当に彼らに救いをもたらしたのか、それともおまえの悪しき模範により多くを真の道から迷わしてしまったのか?

おまえは、長崎で1617年10月1日に管区長マテウス・デ・コウロス神父の前で喜んで四つの誓願を立てたあのクリストフォロなのか?それほど多くの証人たちの前で、天主とイエズス会に誓ったこの忠誠をおまえは守らなければならなかったのではないか? 私たちが何を、またどなたにそれほど荘厳に約束したのかを、おまえは覚えていなければならなかったのではないか?

おまえは、1632年12月23日に私たちのイエズス会が、全日本の地区の指導と司教の義務とを大きな信頼をこめて委ねたあのクリストフォロなのか?おまえは、キリストと彼の会とに背を向けることができるようにのみ、それを管理したのか?なんという恐るべき代わりようだろうか!なんとおまえは身を落としてしまったことか!このことを思うと私は涙と嘆息で死んでしまいそうだ!」
【引用終わり】

1642年8月11日、ルビノとその一行の船は日本に到着し、直ぐさま逮捕されて長崎に連れられます。8月22日にそこで厳しく尋問を受け、大村の牢に投獄されます。1643年3月16日に穴吊しの刑を受けて、フェレイラの罪の償いとして殉教します。最後の3名は9日の穴吊しの後でもまだ生き延びていたので、穴から出されて首を切られて殺されます。


(続く)

【参考資料】
過去の記事をご紹介いたします。

「苦しみ」というものが何の為にあるか、それに価値があるものとなる為にはどうすれば良いのか。

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