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2024年2月12日無原罪聖母の騎士会霊的講話3:マリア様がわたしたちの母であるということの結論:尊敬、愛

2024年02月28日 | お説教・霊的講話

2024年2月12日無原罪聖母の騎士会霊的講話3(ファイファー神父様)

アリストテレスによると、軍隊の一番大切なポイントというのは、兵士たちがその指揮官と一致しているということです。

ところでわたしたちの指揮官は、マリア様です、無原罪の御孕(やど)りです。そしてマリア様とわたしたちは一致していますが、その理由はマリア様がわたしたちの母親であるからです。

ですからこの今日いまのお話の内容は、マリア様がわたしたちの母であるということの結果、具体的にいったい何が、どういうことが起こっているのか、ということを黙想します。

【尊敬】
まずマリア様がわたしたちの母親であるということの最初の結論は、天主の十戒の第4戒、つまり母親に対する親に対する尊敬です。

このマリア様にはどのような尊敬がなされているかということは聖書を見るとわかります。大天使聖ガブリエルは、マリア様の前で頭を下げ、そして聖寵に満ち満ちているお方、と申し上げました。

また聖ルカによると、イエズス様が御降誕されたときには、天が開いて天の天使たちが、贖い主がお生まれになったことを賛美して、そして、このベトレヘムの貧しい家族に尊敬を払いました。

また、それのみならず、天使だけでなく、羊飼いたちもそして東の国の博士たちも、マリア様の前に行って、お生まれになった王の前に跪いて礼拝しますが、もちろんこの王をわたしたちに産んでくだったお母様であるマリア様の前にも、特別の尊敬を払いました。

でもこの尊敬というのはたんなる尊敬ではなくて、宗教に基づく宗教的な尊敬で、つまり天主に向けられた尊敬の一部でした。

なぜかというと、この母と子どもに対する尊敬というのは、天主がこの子どもを送られたのであり、天主がその子供を産むようにこの母親を送ったのであって、天主がわたしたちの救いのためにこの子どもを送ったのであって、わたしたちの霊魂のために天主がこの子どもを送ったのだから、この子どもと母親に対する尊敬というのは、究極には天主に向かうものであって、天主に対する尊敬にたどり着くからです。

そこで、ところがプロテスタントの異端者の人たちは、カトリック信者がマリア様の前で跪いて尊敬を表すと、服を引き裂いて、「あー、スキャンダルだ!」「冒涜だ」「偶像崇拝だ」といいます。でも、プロテスタントは、天主とマリア様を引き離そうとしているからです。

しかし、マリア様をもしもわたしたちが尊敬するとしたら、それは実はマリア様が私たちにキリストをもたらしてくださったからです。それ以外の何物も理由はありません。ですからこのキリストをわたしたちにもたらしてくださったマリア様こそ、すべての代々はわたしを幸せなものと呼ぶだろう、とおっしゃった通りに、幸せなものと呼んでいるのです。

また“めでたし”も同じです。「御身は女のうちにて祝せられ、またご胎内の御子イエズスも祝せられ給う。」マリア様は祝せられたイエズス様をくださったからこそ、祝せられたといわれます。

【愛】
第一は、マリア様の母であるということの第一の結果は、わたしたちが宗教的な天主にかかわる尊敬をマリア様に捧げるということですけども、第二は愛です。まず母と子どもの間には愛があります。

この母と子どもの間の愛は、特に、マリア様の汚れなき御心が持っているイエズス様の聖心に対する愛、そしてイエズスの聖心が持っているマリア様への愛、これ以上のものはありません。特に、イエズス様は、マリア様との愛は愛で一致しているので、このすべての玄義を神秘をマリア様と分かち合いました。

聖ピオ十世教皇様は、無原罪の御孕(やど)りに関する回勅の中で、こう仰っています。「天主の御子がマリア様によってご托身した時に、新しい超自然の秩序、新しい超自然の世界がはじまった、と。そして救われる人は、すべてこの新しい秩序に、この世界に組み込まれなければならない。」

でも、この新しい超自然の秩序、新しい世界は、まずその最初は、二人のみこころ――イエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心――の愛の中で、確立しました。この愛がはじめとなって、この新しい世界の秩序が確立しました。

では、もしもわたしたちがその新しい秩序の中に入り込むにはどうしたらよいでしょうか。愛さなければなりません。もちろん天主はわたしたちを愛してくださって、その愛のおかげで洗礼を受けることができました。ですからそのお返しのためにも、その愛を返さなければなりません。ではだれを愛するのですか? 天主を、そして、イエズス・キリストとマリア様を愛さなければなりません。ですからプロテスタントのいうように、イエズス様だけを愛してマリア様を愛さないということはできないのです。なぜかというと、互いに愛するみこころは一致していて、もう分かちがたく離れがたくひとつになっているからです。愛は一つにまとめますが、誤謬は分裂させます。

ですから、わたしたちは、イエズス様とマリア様が互いに愛しあったように、わたしたちも愛さなければなりません。このわたしたちの宗教は、ここに基礎を持っています。では、どうしてわたしたちがそんなことができるのでしょう。なぜかというと、わたしたちは聖霊を受けていて、それで霊に導かれた者として「アッバ!父よ!」と呼ぶことができるからです。わたしたちは天主の子どもたちとなったからです。ちょうどマリア様を聖霊の陰がおおったように、聖霊がわたしたちに宿って天主を「父よ!」と呼ばせてくれるようになったからです。そしてその聖霊によってわたしたちは愛することができるようになるのです。

わたしたちがこどもである、養子である、ということをよく考えると、どれほど感謝しなければならないでしょうか。なぜかというと、聖パウロは「わたしたちが相続人となった」といいます。子どもとなったということは、つまり相続人となったということです。つまりイエズス・キリストにおいてのすべての富の財産が、天の宝が、わたしたちのものとなるということであるからです。つまり、「子どものなかでも二級のこどもとか三級の子どもとかがあり、本物の子どもはここにいるからこの子だけは特別だけれども、あとはもうどうでもよい」というのではないんです。そうではなくて、天主と全く同じ権利を持つ、すべての権利をわたしたちが同等に持つ、それが現実なんです。ですから、たとえこの地上で、病気とか辛いこととか悲しいこととか…があったとしても、それは大したことではありません。なぜかというと、この短い生涯の後に、永遠の現実が、わたしたちに待っているからです。ものすごい富を、相続することになっているからです。ですから、わたしたちは子どもとして、天主を愛さなければなりません。その現実を愛さなければなりません。

マリア様が母であるということの結果として愛がありますけれども、そのなぜ愛するかというその理由のさらに理由は、ただ単に相続人であるからだけではありません。つまり、わたしが相続人だから、チケットがここにあるから、そのお金をくれ、というのではなくて、実はわたしたちは、キリストの神秘体の一部に組み込まれるので、キリストはわたしたちをご自分の身体として愛されている。たとえばわたしたちが病気だとかいうときにはいつも、自分の身体を憎まずに自分の身体を大切にして、この病気を癒すようにしますが、それと同じように、わたしたちを自分の一部として愛されています。たとえば、結婚のときに聖パウロはこう言います。「夫よ、妻を愛せ。妻はお前の身体の一部だ。妻よ、夫に従え。夫はお前の頭(かしら)だ。一つの身体だ」というように、私たちはキリストの体の一部となったという非常にパーソナルな理由によって、愛されているので、わたしたちはキリストの身体を、神秘体を愛さなければなりません。

【貞潔を愛する】
もしもわたしたちがキリストの神秘体の一部であるとしたならば、天主が純潔を愛されるようにわたしたちも純潔を愛さなければなりません。不潔は、天主の神殿を汚します。ですから私たちの身体も、純潔のまま貞潔のまま守らなければなりません。天主は昨日も今日も将来も変わることがありません。天主はマリア様を童貞の母として愛されました。今日もその純潔を、貞潔を、天主は愛されています。でもいま現代は、非常に不潔の時代となって、しかもこの不潔を祝福しようと試みる教皇様さえいる時代になってしまいました。しかし天主は不潔を愛しません。聖パウロによると、不潔なものは天の国に入らない、と書いてあります。なぜかというと、不潔は神秘体の一部となることができないからです。また、「これは私の身体じゃない」と天主が拒否するからです。ですから、天の国に入ることはできません。もしもわたしたちが超自然の神秘体に組み込まれるのならば、その結果わたしたちは貞潔を、純潔をも守らなければなりません。

どれほど貞潔が重要かということを、ちょっと描写してみますと、童貞殉教者たちがそうです。殉教したというのは、まず信仰を守るため、そしてじぶんの身体の貞潔を守るために、彼女たちは、あるいは鼻を削がれ、あるいは目を引き抜かれ、あるいは胸を切りとられ、あるいはいろいろな拷問をうけて、身体は引き裂かれてボロボロになったにもかかわらず、そして宣伝のためには見た目にはもしかしたらそんなにきれいではないかもしれませんけれども、非常に美しい殉教童貞者です。ところでよくどっかの雑誌を飾るような女性は、もしかしたらお化粧もして綺麗な身体をしているかもしれませんけれども、しかし霊魂は不潔で、そして宣伝のためにはいいかもしれませんけれども、しかし永遠の命のためには何の益もありません。殉教者は、信仰の純潔のため、そして体の純潔のためにその命を落としました。

貞潔を守るために一番よいやり方は御聖体拝領です。よい、最も完全なやり方で、御聖体拝領をすることです。でもわたしたちは原罪を持っているので、わたしたちはどうしてもその貞潔を守ることができません。つまり不潔の臭いがします、ですから体に香水をつけて臭いを消すように、わたしたちの霊魂の臭いにおいを、香水をつけて消さなければなりません。そして霊的な香水というのがあります。それがマリア様です。マリア様は霊的にわたしたちといらっしゃるときに、わたしたちの臭いが取れてしまうからです。なぜかというと、例えばイエズス様はそのお生まれになったとき、あるいは最初の奇跡をされた時、あるいは十字架の下で、いろんな重要な時に必ずマリア様とともにおられたからです。それと同じようにわたしたちもマリア様と共にいる時に一番よいことができます。

【聖母と共に行う聖体拝領】
ですから、聖グリニョン・ド・モンフォールは、マリア様がなさったようにマリア様と一緒にマリア様の隣にいて御聖体拝領をするのが一番よい御聖体拝領ができるやり方だと言っています。ですからマリア様と一緒にミサに与り、マリア様と一緒に御聖体拝領に並んで跪いて、そしてマリア様と一緒に御聖体拝領をしてそしてマリア様と一緒に自分の席に戻る。そしてマリア様に「どうやってお祈りしたらよいですか?」と聞いてください。なぜかというと「私は ほんとうにこう頭がカラッカラでスカーッとまるで何もわかってないので…」と、マリア様に私の代わりにお願いしますと、マリア様に話しかけてください。マリア様と一緒に祈るのが最高の御聖体拝領ができるやり方だ、とグリニョン・ド・モンフォールは勧めています。

「御聖体拝領をマリア様と一緒にする」――この御聖体拝領は、わたしたちの全生涯のパターンでなければなりません。この御聖体拝領のように生活しなければなりません。イエズス様と一致して生活しなければなりません。わたしたちの霊的生活の目標であるべきです。ですから、もしも御聖体拝領をマリア様と共にするのならば、今度はミサの外でも、仕事をするにも朝起きるにもご飯を食べるにも、マリア様と一緒に起きてマリア様と一緒に仕事をしてマリア様と一緒にご飯を食べてマリア様と一緒になんでもする。これが「マリア様の聖なる御手の中で生きる」ということで、これこそがM.I.がその奉献を通して目標とすることです。

【イエズスは常に聖母と共に行った】
プロテスタントの人は、こう言うかもしれません。あるいはプロテスタントに影響されたカトリック信者は、こういうかも知れません。「あれっ、イエズス様はどこにもいるんじゃないですか。イエズス様と生活するのはとってもいいことだけれど、でも、なんでマリア様が必要なんですか。なぜマリア様が巻き込まれなければならないのですか。マリア様なしでもイエズス様と一緒にやることができるんじゃないですか。」

しかし、イエズス様は一人ではなにもなさらなかったんです。なにもなさりません。たとえば、イエズス様は三位一体の第二のペルソナで、常に、父と子と聖霊のその三位が働きます。そしてイエズス様は一人で人間になったのではありません。というか、バッと降りて来て人間になってババーンと降りてこられたのではなくて、マリア様のご胎内におられて、マリア様を通してわたしたちのところに人間としてお生まれになられて来られました。ですから、イエズス様はもしもわたしたちの霊魂を救うとしたら、一人でやるのではなくて、どうしてもマリア様とともにやるしかありません。

これが、イエズス様の「協力の法則」です。そして、すべてにおいて、わたしたちの協力を求めておられる、マリア様と一緒になされる、ということです。特に聖パウロは、ギリシャ語を作って、協力者と言う言葉を作って、イエズス様の協力者となるということを求めました。

聖パウロは、新しいギリシャ語の言葉を作り出して、共同行動者、共同に働く者、あるいは共同のパートナー、あるいは共同の身体を持つ者、という単語を作って、一緒にやるということを強調しますが、ではいったいマリア様はなんなんでしょうか。

では、もちろんわたしたちは、協力者、一緒に共同して働く者となりますが、ところでマリア様は、わたしたちの共同・協力のレベルをはるかに超えています。なぜかというと、マリア様は天主のすべての神秘に参与して、イエズス様と一緒にそれをおこなったからです。

マリア様が最も高いレベルにおいて協力してご一緒に働らかれた・人となった御言葉の御母となられた、ということなのですが、これはわたしたちM.I.にとってこのことを理解することが非常に大切なのですけれども、「マリア様は最も普遍的なレベルにまでその協力をなさった」ということです。わたしたちが協力するというのは、個別のところにおいてですけれども、マリア様はすべてにわたって普遍的な協力をイエズス様にされたということです。

【マリア様はわたしたちの協力を必要とする】
このことから導き出される結果は何かというと、このマリア様は絶対的に必ず必要条件として、この個別の協力者を必要とするということです。個別の働き手あるいは兵士たちを必要としていて、このことが天主の御摂理のご計画なんです。

では、マリア様はわたしたちの協力を必要とするというのは、いったいなぜなんでしょうか。そしてどのようにしようとしているのでしょうか。なぜかというと、これは天主の正義がこれを要求するわけです。なぜかというと、たとえば、もしもわたしたちの先祖のキリシタンが…おじいさん…立派な方でとても聖徳の高い方で、今は天国で栄冠を被っているとしたら、だからわたしたちはおじいさんがいるから何もしなくいいというのではなくて、もしもそのような偉大な祖先をもっているのならばわたしたちもそのような祖先のように行動しなければなりません。マリア様も、わたしたちのために貞潔を守ることはできません。もちろんマリア様が私たちのために、わたしたちが貞潔を守ることができるように、祈りそして助けることはできますけれども、マリア様はわたしのするべきことを代わりにしてくださることはできません。それはわたしたちがしなければなりません。ですから、私たちが協力することを必要とされているのです。

では私たちがやるべき協力とはなんでしょうか。わたしたちは何をすることができるでしょうか。それは、わたしたちが罪に対して戦うことです。コルベ神父様は、わたしたちは毎日わたしたちの罪をなるべく少なくするように、罪に対して罪を征服しなければならない、罪に打ち勝たなくてはならない、と言っていました。

ですから、私たちは、罪に対して戦って、罪の王国に対して戦いを挑んで、その罪の王国のテリトリーを小さくしなければなりません。私たちの霊魂にその戦いがあります。

もしも皆さんが親御さんであれば、子どもたちが今後罪を犯さないように、手伝ってあげなければなりません。

もしもみなさんが、お父さんお母さんでいらっしゃるならば、家庭という要塞を、敵に対して守らなければなりません。ですから、もしもこどもたちが罪の機会に自由にアクセスできたりするのならば、お父さんお母さんはつまり軍隊の指揮官として、作戦が失敗したということです。ですから携帯あるいはその他が、いったいどのように使われているかを、厳しくコントロールしなければなりません。

それは、もちろん簡単なことではありません。でも、目標があります。このような戦いをマリア様となさってください。もしかしたら、わたしたちは罪にたいして戦いを挑むがために、屈辱を受けるかしれません。辛い思いをするかもしれません。長い戦いをするかもしれません。でももしも、マリア様と共に行うならば、マリア様は私たちをサポートしてくれますし、マリア様はその戦いに報いを与えてくださいます。

また、自分の要塞を守る・家庭を守るという防御のみならず、攻撃も考えなければなりません。つまり、わたしたちの霊魂あるいは家庭のみならず、この世界において、マリア様の支配を確立させるということです。つまり政治においてあるいは病院あるいは間違った宗教を信じている人に対して、そのようなところからその間違いから真理へと、導き出してあげなければならないということです。これがM.I.の目標の一つでもあります。もちろんこれは難しい仕事ですけれども、マリア様と一緒にならばマリア様の助けを持っているならば、必ずこれはできます。

わたしたちは、M.I.の単純な義務を、よく実行するようにしましょう。M.I.の毎日の祈りを毎日唱えてください。もしもこれを暗記することができなかったら、おやつはないと思ってください。それから毎日不思議のメダイを身に着けてください。それができたら、そしてその次には、こんどは愛徳を持って、友だちにあるいは友達でないひとでもメダイを差し上げてください。そしてマリア様のもとに連れてきてあげてください。もちろん難しいケースがあります。でも難しいケースであればあるほど、それが回心した時には、天においてはマリア様にものすごい喜びがあることでしょう。

では、これで今回のお話はおわりますけれども、最後にM.I.の祈りを皆さんで唱えます。

三回このお祈りを唱えますけれども、まず最初に一回目は男性がこの祈りを唱えてください、二回目のお祈りは女性だけでこれを唱えてください、最後の三回目は男性も女性も声を合わせてこれを唱えて、これを終わります。

聖父と聖子と聖霊との御名において、アーメン。

(三回のM.I.の祈り)ああ原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、御身に依り頼むわれらのために祈り給え。また御身に依り頼まざるすべての人々、特にフリーメイソン会員のため、また御身に委ねられ奉りしすべて人々のために祈り給え。



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