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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2016年12月16-19日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2016年12月22日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御降誕も近くなってきました。
先日の待降節の四季の祭日には大阪で、待降節第四主日は東京で聖伝のミサを捧げることが出来ました。

2016年は、ファチマ一〇〇周年準備の年で、大阪では5月13日に新しい御聖堂の契約があり、10月13日に御聖堂にステンドグラスが入り、天使たちの御像も二位、ファチマの聖母の御像、イエズスの御心の御像も設置することが出来ました!このお恵みをファチマの聖母に深く感謝します。
また、東京では今年から主日のミサ聖祭を月に二回捧げることが出来るようになり、お恵みが二倍になりました。天主の憐れみに感謝します。

フランシスコ教皇様も、去年と今年、聖ピオ十世会の司祭の栽治権を認める声明を公式に出していますので、ますます多くの方々が、聖伝のミサや改悛の秘蹟のお恵みを受けられることを切に祈ります。

クリスマスの特別のプログラムは次の通りです。どうぞ、なるべく多くの方々が聖伝のミサに与ることが出来るようにお友達などを招いて下さい。

御降誕の聖伝のミサでお目にかかりましょう!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂
EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

12月22日(木) 待降節の平日(2級)紫 (←追加されました)
          午後5時半  ロザリオ及び告解
          午後6時   ミサ聖祭

12月23日(金) 待降節の平日(2級)紫
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭 (←時間が変更となりました)

12月24日(土) 平日の主の御降誕の前日(1級)紫
          午前09時  洗礼式
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭

          午後09時  御降誕の朝課(グレゴリオ聖歌)
          午後11時半 幼きイエズスを馬小屋にお持ちする
12月25日(主) 午前 0時  「主の御降誕 真夜中のミサ」ミサ聖祭 (←追加されました)


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

12月25日(主) 主の御降誕(1級祝日、八日間付き)白
          午前9時   ミサ聖祭「曉のミサ」(←時間が変更になりました。)
          午前9時45分 告解
          午前10時半 ミサ聖祭「日中のミサ」
          午後1時   クリスマス軽食会(食べ物は各自持参です)
          午後2時   クリスマス・キャロル
          午後2時半  御降誕の晩課(グレゴリオ聖歌)

12月26日(月) 最初の殉教者聖ステファノ(2級祝日)赤
          午前7時 ミサ聖祭


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

私達の大切な小野田神父様、御ミサの報告をお送りいたします。

12月16日(金)12月の四季の金曜日 の御ミサには10名が、
12月17日(土)12月の四季の土曜日 の御ミサには13名の方々が御ミサに与り御聖体拝領するお恵みを頂きました。デオ・グラチアス!

16日のお説教では、
待降節の朗読、固有文、聖福音に登場する三人の聖なる方々にスポットを当てて黙想いたしました。
まず、多くのイエズス様に関する予言を残したイザヤ。
イザヤは「イエッセの根から出た小枝(マリア様)から花(イエズス様)が咲く。その花には七つの霊がとどまる」と予言しました。
ご降誕七日前から始まる七つのオ・アンティフォナは、この七つの賜を意味しています。

そして、洗者聖ヨハネはイエズス様をどうやってお迎えすればよいかを教えてくれます。
多くのユダヤ人たちはイエズス様が近くに来られてもこれを認めず、知らず、この世の浮き事に気を取られていましたが、
自分が生まれる前、母の胎内でさえイエズス様が来られたことを知って喜び躍ったヨハネに倣って、私たちもクリスマスの本質を認めて、
イエズス様が来られている事を感じ、感謝したければなりません。
ミサの中でいけにえとして、御聖体の中で霊魂の糧として、私たちを訪れて下さるイエズス様の無限の愛を私たちはどれほど理解できているのでしょうか・・・。

イエズス様をエリザベトとその体内のヨハネに運んで下さったマリア様。
イエズス様をお迎えしたいならばマリア様を喜んでお迎えすることが必要。
誰よりも大きな愛を持ってイエズス様をお迎えになったマリア様に、イエズス様をお迎えする良い準備が出来る恵みを願いもとめなければなりません。

17日(土)のお説教は、
四季の斎日のミサについて黙想いたしました。

初期の教会では叙階式は年に一度、ヴァチカンの聖ペトロの丘で12月の四季の土曜にに行われていた。
後に四季の土曜日全てで叙階が行われるようになったが、12月は特別なものであった。
夜中から始まる数百人の各階級の叙階がして、ミサが終わるころには日が昇り始めていた。
夜が救い主を待っていることと、光(日の出)が救世主の訪れを意味することを実感するために教会が配慮していた。

この日の朗読は5つは、救い主の前表の箇所であり、固有文も主の訪れを強く待ち望む教会の声を感じさせる。

質問:
この日の朗読のうち、最初の四つのイザヤの予言書は、救い主を啓示していることがよくわかりますが、五つ目のダニエル書のかまどで焼かれる三人の若者の話も、救い主を暗示しているのでしょうか?

この日のミサには特に救い主の来臨にたいする強い思いが現れていて、クリスマスを迎えるにあたって喜びがにじみ出ているものでした。
待降節の精神に深く入って、心を『イエズス様化』するほどに、益々謙遜、愛徳、忍耐、従順、祈り、犠牲をもてるように、イエズス様にクリスマスの良い贈り物ができるように残る1週間をすごせますように。

公教要理ではクリスマスの「O Antiphona 」について勉強いたしました。
七つのアンティフォナは全て「O △△△ 」という天主への呼びかけで始まり、七つの賜物に対応していて、オタンのホノリウスによるとそれらは人間の七つのみじめさ(弱さ)に対応しているそうです。
天主にたいする呼びかけ
O Sapientia
O Adonai
O Radix Jesse
O Clavies David
O Oriens
O Rex gentium
O Emmnuel
の,七つの頭文字を逆さに読むと、
「ERO CRAS (私は明日来る)」となるそうで、なるほどクリスマスの前に歌うにふさわしいと思いました。

また、この度は、イエズス様の聖心と、マリア様の御心の木像をお持ち下さいまして、ありがとうございました。
大阪の御聖堂がますます聖堂らしくなり、御手を広げて私達を迎えてくださる美しいイエズ様とマリア様を仰ぎ見ながら、そこから離れたくない気持ちになりました。かなり重い二つの御像を一度にもってきて下さった小野田神父様の優しさと、愛に深く感謝いたします!


【お返事】
「五つ目のダニエル書のかまどで焼かれる三人の若者の話も、救い主を暗示しているのか?」というご質問ですが、「復活」と「殉教」の印なので、救い主の受難と復活とをも暗示しているのだと思います。


【報告】
御ミサの所感をご報告いたします。
このたびも、大阪と東京のミッションをありがとうございました!

【お説教で】
特に、12月の待降節の四季の斎日の深い意味を理解できました。
神父様も四季の斎日を歌ミサでお捧げできたことは生まれて初めてだとおっしゃっておられ、私たち信徒も大変嬉しかったです。
また、神父様の「待降節はどんな心配ごとも苦しみも、全て忘れて、ただひたすらに、イエズス様を待ち望むようになさってください。」というお言葉で、
「あー!!そうなんだ!!。日々の苦しみは、ほうっておいて、ただイエズス様だけを待ち望めば良いんだ。それほど待降節は大切なんだ!」
と思いました、教えていただきました。それまでイエズス様よりも、苦しみや心配ごとに心を占領されていた自分を深く反省して、マリア様に、残る待降節をイエズス様のことだけを考えて、待ち望むことができるように、お助けを願いました。

【公教要理で】
O Antiphona については、大変興味深い内容でした。
聖務日課は天主イエズス様の花嫁である教会の祈り。天主への畏敬と愛にあふれる礼拝と讃美、感謝、懇願の祈りで、
聖職者がたのこの、教会としての祈りは聖なるミサのいけにえの次に重要な祈りと伺っています。
旧約の預言者、太祖によって作られた詩篇から作られているため、天主への人類の最古の祈りであると感じます。
12/24の大阪のクリスマスでは、11時からのクリスマスキャロルの前に、9時から主の御降誕の【朝課】をグレゴリアン聖歌でお捧げする予定です。
古くから世界じゅうの修道院、神学校で歌われてきた「教会の祈り」を、日本のカトリック信者、日本の代表として、天主幼きイエズス様にマリア様の汚れ無き御心をとおして、心からお捧げしようと思います。

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。


【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 19人(内、子供3人)
女: 22人(内、子供2人)
計: 41人(内、子供5人)


【報告】【東京】
+アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様

小野田神父様、こんばんは! 今週も日本で御ミサを捧げてくださいましたことを本当に感謝いたします。ありがとうございます。
12/18の御ミサの感想をお送りいたします。

これだ!とわかったこと
御降誕とは、天主の本性としては天主御父の御子であるイエズス様が、人性をとってこの世にお生まれになった出来事であり、また、その目的はこの世を聖化するため、私たちのためであった  ということがわかりました。 
御降誕の偉大な神秘は理解しようとしても理解し尽くすことは到底できませんが、それでも、天主様が私たちに本当に大きな大きな憐れみをかけて下さっていることを本当に有難く思いました。

この御ミサ全体の内容も教えていただきました。入祭文では「天よ、汝のつゆをしたたらせ、雲よ、義人を降らせよ、地よ、ひらかれて救主を生まんことを。」とイザヤが天主を呼び求め、聖福音では洗者聖ヨハネが登場し(まるで御ミサのカノンが始まる直前に司祭のお説教があるように、天主の前に荒野で説教をした)、そして奉献文では御降誕の天主の直接の与え主であるマリア様のことが語られ、聖変化でイエズス様がおいでになり、そして聖体拝領唱では、エンマヌエル・救い主は我らと共におられる、とお祈りし、まさにこの御ミサに待降節の内容・要点が詰まっていることを理解することができました。

入祭文の「天よ、汝のつゆをしたたらせ、雲よ、義人を降らせよ、地よ、ひらかれて救主を生まんことを。」(イザイア書、45ノ8) の「露」には以下の4つの意味、解釈があるということも教えていただきました。これはコルネリウス・ア・ラピデという方の解釈だそうです。
・露はどこから生じるか分からないものであり、神秘のうちに凝結して露となる。これと同じように天主様のご誕生も一般の人々には隠されており、神秘のうちに人となられたから
・霧よりも更に清い純粋な水蒸気が露となることから、清い童貞であるマリア様がお母様になられることを指している
・露は美しい甘美な潤いを与えるもので、聖寵を思わせる
・露は美しくその輝きはまるで宝石のようであり、まるでイエズス様のようだ

また、「多くの旧約の偉大な預言者たちさえも、洗者聖ヨハネでさえも、新約の時代・新約の扉がひらかれるその前に立って天主の御来臨を呼び求めていた」という内容のお話も印象的でした。今、新約の時代に生きる私の前には、天主の憐れみと多くの偉大な預言者たち教父たちが祈りと犠牲のうちに残した遺産である美しい信仰のドグマ、聖人たちや教皇様たちの残した美しい文章や、美しいお祈りや聖歌があるにも関わらず、御聖体のうちにイエズス様を拝領することができるにも関わらず、そしてもう既に天国はひらかれているにも関わらず、それら多くの遺産を蔑ろにし、それらが与えられていることが当たり前であるように振舞っていることを反省いたしました。


分からなかったところ
今回の御ミサ中のお祈りでは読まれないのですが、待降節ということでぜひ質問させていただきたいことがあります。
神父様が以前ブログにお書きになったRorate Caeliの関する記事(http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/b6ec5a8a3187b63324e445778b4caa67)を読みましたが、その中に、イザヤの預言40章「主から二重の罰を受け終えた」という部分があります。この「二重の罰」とは何を指しているのでしょうか。
教えていただけましたら幸いです。


午後の講話では、12/17~12/23に歌われるグレゴリオ聖歌「大アンティフォナ」について、その意味と、7日間に渡って歌われる7つある歌がなぜ7つあるのか、と言うこと教えていただきました。

大アンティフォナは、
・全ての歌詞が≪O»から始まる
・キリストはどんな方が形容する歌詞である
・全てに ”Veni!” 来たり給え! という言葉が入っている
という特徴があること
そして、なぜ7つあるのかというと7つの聖霊の賜物と、そして原罪によって人間の霊魂におこった7つの悲惨な状態にそれぞれ対応しているからだ、ということが分かりました!
現在によって入り込んだ7つの悲惨な罪の状態から解放し、霊魂の救いのため7つの聖霊の賜物を与えてくださる天主を7日間、聖歌を歌いつつ待ち望む、そして、来たり給え! と天主に希望するとは、なんと美しいカトリック教会の祈りだろうと思いました、本当に素晴らしいです!
7というと、以前教えていただいたカステラニ神父様の著書に依る黙示録の注解が思い出されました。「7つの教会」や「7つの封印」など人類の歴史の段階を表しているように、聖霊の賜も7つの段階を経てもっとも頂点の「上智」に到達するので、何か共通点があるように思われました。

来週は御降誕の主日です。今年は待降節第四主日~御降誕の主日まで丸一週間あるので、この一週間を祈りと犠牲とをもって天主様を迎えるに更に相応しく準備できますように、マリア様に御取次を願いお祈りいたします!
祈りと犠牲によって、イエズス様へ相応しいクリスマスプレゼントを準備することができますように!
旧約の義人たちがなさったように、御降誕の御ミサでは更に熱烈な愛と期待とを持って天主様に「天主イエズス様、どうぞ我が霊魂においでください!」と言うことができますように!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!!

+In Mary Immaculate,


【お返事】
Rorate Caeliの関する記事(http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/b6ec5a8a3187b63324e445778b4caa67)にあるイザヤの預言40章「主から二重の罰を受け終えた」という部分の「二重の罰」とは一体なんでしょう?
とても興味深い質問です。
聖アルフォンソ・デ・リグオリは、次のようにいいます。
God Wishes All Men to be Saved; Christ Died for All Men, Section 2

The gain which we have made by the redemption of Jesus Christ is greater than the loss which we suffered by the sin of Adam. The Apostle plainly declared this when he said, "Not as the offense, so also the gift. For where the offense abounded, there did grace more abound." [Rom. 5 15, 20] Our Lord says the same: "I am come that they may have life, and have it more abundantly." [John 10: 10] David and Isaias had predicted it: "With Him is plentiful redemption.-----She hath received of the hand of the Lord double for all her sins." [Ps. 129: 7; Is. 40: 2] About which words the interpreter says: "God has so forgiven iniquities through Christ, that men have received double-----that is, very much greater good, instead of the punishment of sin which they deserved."

私たちがイエズス・キリストの贖いによって得たものは、アダムの罪によって私たちが失ったものより偉大だった。ダヴィドとイザヤはそれを預言した。「彼と共に豊かな贖いがある。Suscépit de manu Dómini duplícia pro ómnibus peccátis suis. その全ての罪々のために、主の手から二重を受けた。」これについて注解者はこう言っている。「天主はキリストを通して邪悪を赦したが、それは人々が二重に受けたほどだった。つまり、彼らが受けるにふさわしかった罪の罰の代わりに、更にもっと偉大な善だった。」
これは、聖アルフォンソの解釈ですが、罪の罰をさらに上まわる憐れみと恵みを「二倍にして」受けた、ということです。

ところで、原罪によって人間の霊魂におこった7つの悲惨な窮状について注意深く聞いて下さったことを感謝します。
私たちの主イエズス・キリストの御降誕のお恵みにより、カトリック教会が、現代の教会を襲う信仰の危機という窮状のしがらみから早く抜け出して、旧教の聖伝に基づく典礼や信仰に立ち戻りますように!


【報告】
十アヴェ マリア インマクラータ!

トマス小野田神父様!

待降節第4主日の御ミサをありがとうございました。入祭文は、”天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ、開きて救世主を出せよ。・・・”という文で始まりましたが、「待降節の祈り」の最初の文章も、やはり同じ”天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ、開きて救世主を出せよ。”で始まっています。

三週間ずっと「雲よ、義人を降らせよ。」という祈りの文に親しんで、もしかしたら・・?そして今回のお説教を拝聴して やっぱり?そうなんだろう!と 思いました。 雨(恵み)をもたらすものとしての意味で、雲はマリア様を示しているのだろう、と。以前カルメル山の聖母のお話を聞いたことがあったのですが、スカプラリオとの関連でカルメル山の聖母の由来は列王記に出てくる旱魃の時エリアが呼んだ雲・あの掌ぐらいの雲のことです、という内容を思い出しました。でも、どうしても 雲とマリア様がなかなか結び付くことができないのでした。このところ 何度も何度もそして典礼においてもずっと 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ、と目にしているうちに、次第次第に「雲よ、義人を降らせよ、」と口で言いながら、マリア様!救い主を 恵みの方をどうか私たちにもたらしてください!と心で祈っている感じでした。お説教の露について四つの理由を拝聴しながら「露」という言葉一つに大切な意味が込められていることを教えていただいて、やっぱりそうだと、露が集まり雲となることと雲とマリア様のつながりを知ることができました。旧約の人たちは 救い主をどれほど待ち望んでいたことでしょう。私の霊魂はまったく汚い家畜小屋ですが、それでも救い主よどうか私の霊魂のうちに来てくださいと 待ち望みます。 

 聖ファウスチナの日記に「心の中に小さな独房を作って、そこにいつもイエズスと一緒に過ごすようになりました。」とあります。シエナの聖カタリナも「魂のうちに小さな聖堂をつくり精神的にそこに隠れ・・・。」るようにされていたそうです。そのような生活が本当のカトリック信者の内的生活かもしれないと憧れをいだいていましたが、文語体の「待降節の祈り」では「・・・心を浄めて、主の御ためにふさわしき住家を備え奉らん。」と昔から普通に祈られていたと気づきました。お告げの祈りでもお祈りします。長く信者が唱え続けてきている伝統的な祈りは本当に信者を支え養ってきたのだなと感じます。
今回の御ミサのお説教でも 同じ勧めをいただき とてもうれしく拝聴しました。私もイエズス様をお迎えするためにきれいに掃除し暖かく整えた小さなイエズス様の小部屋を用意できるよう努めたいです。



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