Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教、兄弟である司教たちへ:使徒の後継者、キリストの役務者、天主の奥義の管理者である司教たちよ、皆さんを裏切りの共犯者にしている無気力さから目を覚ましてください。

2022年09月04日 | カトリック・ニュースなど

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教、兄弟である司教たちへ

愛する兄弟の皆さん、使徒の後継者、キリストの役務者、天主の奥義の管理者(コリント前書4章1節)である皆さんにご自分の責任をお考えになるように勧告します。自分の役割と権威を乱用して誤謬をまき散らし、天主の御稜威を侮辱し、聖なる教会を辱め、霊魂たちを失わせている者たちがいますが、皆さんが彼らの教理的・道徳的逸脱を支持することから生じる責任について考えるようにお勧めします。私はキリストの傷を通して皆さんにお勧めします。皆さんを裏切りの共犯者にしている無気力さから目を覚ましてください。

2022年9月3日(金)

CARLO MARIA VIGANÒ to His Brother Bishops

カルロ・マリア・ヴィガノ

大司教、教皇大使
司教職にある兄弟の皆さんへ

栄光ある殉教者において、聖なる教会は、私たちに倣うべき英雄的な聖徳の模範を示し、天主の恩寵が、苦悩と死を前にしても、天主を愛する者をどれほど援助するかを教えてくれます。そして、邪悪な者たちが殉教者たちの不滅の霊魂を苦しめるために、その肉体に対してむなしく怒り狂う一方で、聖人たちは、ご托身の真理が誤謬にまさること、いけにえの愛徳がこの世の誘惑にまさること証しすることによって、まさにキリストとともに勝利するのです。殉教者の持つシュロの枝は、十字架の木から樹液を吸い、殉教者の冠は、私たち主の贖いの犠牲の光で輝くのです。

Πρόδρομος(プロドロモス)つまり先駆者である洗者聖ヨハネの模範を考えてみましょう。彼は天主なる師に先立ち、天主の到来と罪の赦しのための洗礼を告知しただけでなく、ガリラヤ分国の王、ヘロデ・アンティパスの手で死を前にしました。ヘロデ・アンティパスに対して、自分の兄弟の妻ヘロディアデと公然と姦淫してイスラエルの民につまずきを与えたことを、ヨハネが戒めたからです。これらの出来事は歴史家によって記録されており、継父に洗者の首を要求したサロメの役割とともに、福音書で述べられています。聖アンブロジオは、こうコメントしています。

adulteris justus occiditur, et a reis in judicem capitalis sceleris pœna convertitur.
姦淫者によって義人が殺され、死刑の宣告が、有罪とされた者によって、その裁判官に対してなされる。
Clauduntur lumina non tam mortis necessitate quam horrore luxuriæ:
洗者の目が光に閉じられたのは、死の必要というよりも、むしろ情欲をおそれてであった。
Os aureum illud exsangue, cujus sententiam ferre non poteras, conticescit, et adhuc timetur:

今は血の気もなく彼の黄金の口は -- この口の発する宣告に、ヘロデ、おまえは耐えられなかった -- 、もやは沈黙している、それでもおまえは恐れている。

親愛なる兄弟の皆さん、姦淫の合法化を前にして、どうして皆さんの声が沈黙していることができるのでしょうか。この世の精神に屈し、権力者に卑屈な態度を示し、その行為によって天主の掟を侵害し、教会の法を軽んじ、信者につまずきを与える者たちを、ご聖体の食卓に来るのを認めるところまで行く者たちの共犯者になることを選ぶのですか。結婚の神聖さと洗者聖ヨハネの証しが足元で踏みにじられるのを、いつまで許すのですか。聖アンブロジオの言葉をいつまで無視するのですか。今日、彼の司教座に座している後継者は、新しいヘロデの客に受け入れられるように、姦淫者に好意を見せているのです。(こちらこちら

先駆者は、ヘロデに対して声を上げることを恐れませんでした。義人が天主のみ旨に委ねるその穏やかな委託の心をもって、洗者は死を前に受け入れました。

「アモーリス・レティチア」(Amoris Lætitia)の誤謬と欺瞞が、先駆者以上にサロメによってかきたてられているとしても、「アモーリス・レティチア」の作者が、皆さんのキリストへの忠実さを理由に最悪でも皆さんを司教座から追い出すことができるとしても、皆さんは御言葉を宣教し、よい折があろうとなかろうと繰り返し論じ、反駁し、とがめ、すべての知識と寛容をもって勧める(ティモテオ後書4章2節)のを、恐れるのですか。そして、たとえ皆さんが宮廷に引き出されたとしても、この世の命を救って永遠の命を失うために、キリスト、十字架につけられたキリスト(コリント前書2章2節)を宣べ伝えるのを放棄することに同意するのでしょうか。

愛する兄弟の皆さん、使徒の後継者、キリストの役務者、天主の奥義の管理者(コリント前書4章1節)である皆さんにご自分の責任をお考えになるように勧告します。自分の役割と権威を乱用して誤謬をまき散らし、天主の御稜威を侮辱し、聖なる教会を辱め、霊魂たちを失わせている者たちがいますが、皆さんが彼らの教理的・道徳的逸脱を支持することから生じる責任について考えるようにお勧めします。

私はキリストの傷を通して皆さんにお勧めします。皆さんを裏切りの共犯者にしている無気力さから目を覚ましてください。その裏切りのために、皆さんは、死を迎える日に公正な裁判官に対して説明しなければならなくなります。皆さんの沈黙が、最高の牧者であるキリストから皆さんに委ねられた霊魂たちを、天国の栄光から遠ざけていることを考えてください。ローマに座している者でさえ、いつか答えることになります。贖い主のご受難を無駄にしないでください。主がいと尊き御血を流されたのは、罪の中にある罪人を追認するためではなく、悔い改めた罪人を救うためなのですから。

主は皆さんに、主の群れの導き手となり、皆さんの司牧の杖(司教杖)を使って羊を天国の牧草地へと導くよう求めておられます。皆さんの運命は、彼らを地獄の炎へと先立たせることではなく、彼らが創造され、贖われた永遠の栄光に向けて、愛徳をもって彼らと同行することです。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

2022年8月29日
洗者聖ヨハネの斬首の祝日



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