Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

マリア様の浄配、天主の御母の夫、聖なる夫となるとはつまり、同じ事を考え、同じ望みを抱き、同じ愛で一致していたという事

2021年03月13日 | お説教・霊的講話
2021年3月7日(主日)四旬節第3主日

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、聖ヨゼフの特別聖年、そして聖ヨゼフの祝日が、教会の守護者である聖ヨゼフの祝日がいよいよ近付いてきました。3月19日です。

3月の最初から、私たちはノベナを始めています、第1回目のノベナの今途中です。
もしもまだ始めてない方は、第2回目のノベナが3月10日から始まります。どうぞ皆さん一緒になさって下さい。

今日は、聖ヨゼフの聖徳の偉大さについて、少しだけ垣間見てみる事に致しましょう。聖ヨゼフの聖徳はどこに根拠があるのでしょうか?どこからそれを私たちは知る事ができるのでしょうか?

聖トマス・アクィナスによると、「天主様は、私たちにミッションを使命を与えると同時に、それを果たすのに必要な御恵み、聖寵を与える」と。

ですから、「使命が偉大であれば偉大であるほど、それに相応しい特別の御恵みも与えられる」という事です。

では、聖ヨゼフのミッションとはどうだったのでしょうか?

それは、聖家族を守る事、保護する事。そしてマリア様の浄配となる事でした。

「マリア様の浄配、天主の御母の夫、聖なる夫となる」という事はつまり、「この二人は、夫婦は、同じ事を考え、同じ望みを抱き、同じ愛で一致していた」という事です。

「天主への愛、イエズス・キリストへの愛で、全く同じ事を考えていた」という事です。

マリア様のお望みはすなわち、聖ヨゼフのお望みであって、ですからこのマリア様の聖徳のその輝きを考えると、聖ヨゼフの望みはまさに清められていて、全く聖なるものであったとしか、それ以外考えられません。

最近の、近年の神学の研究の深みにより、私たちは教皇様の断言によって、私たちはこの事を知っています、「聖ヨゼフは、洗者聖ヨハネの聖徳よりもはるかに優れていた」と。「なぜなら、そのミッションが優れていたから。」

ところで、洗者聖ヨハネは、その母聖エリザベトの胎内6ヶ月いた間、私たちの主によって既に罪の赦しを得ました。原罪の汚れをきれいに取り去られました。ですからその原罪の罪の傾きはたった6ヶ月しかありませんでした。

ところで、聖ヨゼフはどうなのでしょうか?もしも聖ヨゼフは洗者聖ヨハネよりももっと聖徳が高いとしたら、その原罪の汚れの影響はもっと少ないかもしれません。これはまったくの推測に過ぎませんですけれども。そして聖ヨゼフは、マリア様のような無原罪の御孕りというわけではないでしょう。それは、マリア様だけが特別に受けた御恵みであるからです。では一体、聖ヨゼフはどうだったのでしょうか?

聖トマス・アクィナスは、マリア様の無原罪の御孕りについて、実は間違っていました。なぜかというと、本当は、事実は、マリア様は一瞬たりとも原罪の汚れの影響を受けていない、無原罪の御孕りの方ですけれども、聖トマス・アクィナスは、ほんのちょっとだけ、一瞬だけを実は認めてしまっていたからです。

ところである神学者によると、「もしかしたら、この聖トマス・アクィナスがマリア様に想定したような、その最低限の事が、原罪の影響が、聖ヨゼフに適用されるかもしれない」と主張しています。

なぜかというと、聖ヨゼフの聖徳は、偉大でなければならないからです。なぜかというと、そのミッションがあまりにも偉大であるからです。「天主の御母の聖なる浄配となる」という使命を受けたからです。

この聖徳の輝きの聖ヨゼフを見ると、どれほど聖ヨゼフが童貞の内の童貞であるマリア様を守って、そして純潔自身であるイエズス様を守る、その童貞の守護者、純潔の保護者であった、その輝きを見る事ができます。

特に現代、聖ヨゼフの模範は、私たちにとって必要です。なぜかというと、この世界はあまりにも多くの不潔や、汚い事で乱れているからです。今日のちょうど書簡にも聖パウロは言っています、「私たちにはそのような事を、口にする事もできないほどのものがたくさんある。そういう事があってはいけない。それは偶像崇拝者だ」と。

聖ヨゼフにぜひ行きましょう。「Ite Ad Joseph.」そして、私たちにその聖ヨゼフの聖徳に倣う御恵みを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





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