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悲しみの聖母の元に行って、マリア様と共に苦しみを捧げる:マリア様は御一人で世界中の異端を滅ぼした方

2022年03月10日 | お説教・霊的講話

2022年2月26日(土)聖母の七つの御悲しみの随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は、マリア様の七つの御悲しみの随意ミサをしています。

マリア様の御悲しみは、御子イエズス・キリストの苦しみをご自分で感じた事でした。イエズス・キリストが、罪のない御子が苦しまれているのを、マリア様も共に苦しんだ事です。それと同時に、天主聖父の御旨が成就されているので、この苦しみを主の御旨として、共にお捧げしました。

マリア様は教会の神秘体の苦しみをご覧になって、どれほど今、共に苦しまれている事でしょうか。昨日、今ローマで行なわれている、去年の10月から開始された、「シノダリティーについてのシノドス」が行なわれているのを見ました。ドイツでのこの2月での投票と、その決議の結果を見ました。それによると、「女性司祭を導入する」「司祭の独身制を廃止する」「大罪の状態にある人でも御聖体を配る」あるいは「平信徒でもミサの司式をする事ができるようにする」あるいは「司教様の権力を縮小させる」絶対多数で、2/3以上でこれらが可決されて、今まで教会は、教会のミサがプロテスタントのようになってしまった、ミサが食事会になってしまった、色々な御聖体に対しての崇敬が失われてしまっただけでなく、そのドイツでの「シノドスの道」の結果を見ると、私たちは、御聖体に対する攻撃がますます更に酷くなる事を予感します。

女性が司祭になるという事は、つまりそのミサは全く無効となってしまう事です。

司祭の独身制というのは、御聖体がイエズス・キリストの御体で、真の御体であるからです。聖なる天主の御体であるからです。マリア様も聖ヨゼフも童貞でした。

御聖体を大罪の状態にある人にも配る事ができるというのは、それは御聖体というものがどれほど聖なるものであるか、という事を理解していないからです。分かっていないという事しかあり得ません。御聖体があたかもただのお菓子であるかのように考えているのでしょうか。

平信徒でもミサを司式する事ができるというのは、イエズス・キリストが立てた品級の秘跡、叙階の秘跡についての全くの無知があります。

ある、今聖伝のミサを捧げている神父様が、「なぜ聖伝のミサを捧げるようになったか」というインタビューを少し見た事があります。この話は皆さん知っている方もいらっしゃるかもしれません。繰り返しになるかもしれませんが、申し上げるのを許して下さい。

この神父様は大学生の時に、歴史の本や政治の本をたくさん読んで、ビルマで政府が国民たちを虐待していて、残酷に扱っている、不当に扱っているというのを見て、「何とかビルマの人を助けたい」と思って、ビルマに行ってビルマ政府に抗議したそうです。そしてこのような人々と連帯して活動していたのですが、3回投獄されました。1回目は15日間、2回目は15週間、3回目は15ヶ月、牢屋の中に閉じ込められたそうです。そしてその時にとても腹が立ったそうです。特に牢獄を守っている官吏は職員は、非常に意地悪で、わざと何か挑発的な、あるいは屈辱的な態度を取ったり、何かわざと怒らせたりするような事をしたり、人間とは取り扱わないような、牢獄が本当に地獄のようなものでした。

ところがある日、彼はその地獄のような牢獄の中で回心しました。突然「地獄が天国になった」と言います。何故そうなったかというと、「三つの理由がある」と説明しました。

一つは、聖書を牢獄の中で受け取って、それを読んで黙想しだした。主の愛について黙想した。イエズス・キリストについて読んだ。
第二は、自分の今までの罪を痛悔した。主に今まで逆らって、主の御旨の通りに生きてこなかった事を悔い改めた。深い痛悔があった。
第三に、今まで自分をいじめてきた、屈辱的に貶めようとしてきた、この今まで憎んできたこの男を、憐れみの目をもって接するようになって、彼を愛し始めた。愛を持ち始めた。

すると「今まで地獄だった牢獄が、天国になった」と言います。

そして牢獄から解放されて、外に世俗に出た時に、「牢獄がどれほど幸せだったか」という事を思ったほどでした。「今までの人生の中でこれほど幸せな時はなかった。そしてそれに代わる、それと同じような幸せを求めて、どこにあるだろうかと探した。どこにもなかったけれども、唯一それに匹敵するような、更にそれを超えるような幸せを見つけた。それが、カトリック教会の聖伝のミサだ。ラテン語のこのミサだ。」

そしてそれに与って、そして遂には司祭になった、というインタビューを私はYouTubeで見ました。

ドイツのシノドスは、この地上での最大の宝を無効とさせる、これを地上から取り除いてしまおうかという、ますますイエズス・キリストの神秘体への攻撃です。私たちは一体これに対してどうしたら良いでしょうか?

そこで、悲しみの御マリア様の元に行って、マリア様と共に、この苦しみを捧げる事を提案します。ファチマでマリア様は仰いました。「私だけが、あなたたちを助ける事ができる」と。まさにその通りです。マリア様は御一人で世界中の異端を滅ぼした方です。

マリア様は司祭になろうと思いませんでした。なぜかというと、マリア様にとって最も大切な事はそんな事ではなかったからです。主の御旨を果たす事だったからです。主の婢女となる事だったからです。そして主の婢女となって、主の御旨を果たす事だけを求めたところ、大司祭の母となって、天主の御母となって、最高の地位を、これ以上ない尊厳のある方となりました。天主の御母聖マリア。大司祭イエズス・キリストのその御母。

ですから女性は、「マリア様のようになる」という事のその意味が分かれば分かるほど、主の御旨を果たす事になれば果たすほど、偉大な方となるのです。主の贖いの御業に協力する事ができるようになります。

マリア様は童貞でした。その為にこそ、天主の御母となる事ができました。イザヤの預言にあった通りです。マリア様は罪の無い御方でした、無原罪の御孕りでした。だからこそイエズス様を御孕りにならす事ができました。御聖体拝領する時にも、マリア様に倣うべきです。

マリア様は、イエズス・キリストの御旨を果たして、使徒たちよりも先に立とうとは思いませんでした。そうではなくて、使徒たちがマリア様を尊重したからです。マリア様はミサを捧げようなどとは思いませんでした。それは使徒たちの役割であると、司教たちの役割であると、司祭たちの役割であると知っていたからです。しかしそのミサに熱心に与る事によって、自分の苦しみをいけにえとして捧げる事によって、より多くの霊魂を救う事ができました。

全ての解決は、マリア様がお持ちです。今の教会のこの苦しみ、これは「御聖体」と、そして「汚れなきマリア様」のこの二つで全て完璧に解決できる事です。ですから私たちはこの二つをいつも守る事ができますように、お祈り致しましょう。

今日は特に悲しみのマリア様に、私たちもいつもマリア様の傍を離れる事がないように、十字架の下を離れる事がないように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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