Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

真理は、時代や場所によって変わることができない。教会の聖伝や歴代の教皇様の教えと断絶してしまうことこそ、これこそ離教的なこと、教会を破壊してしまうこと。

2021年08月11日 | お説教・霊的講話

【2020年10月25日、王たるキリストの祝日の説教から】

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は2020年10月25日、王たるキリストの祝日です。一緒にキリストが王であるということを黙想致しましょう。

【王たるキリスト】
天主は愛である。天主は私たちに祝福と幸福を与えることを欲しています。私たちはただそれを受ける準備をするだけでよいのです。そうすれば、幸福と祝福をたくさん受けることができます。では、どうやって準備をしたら良いのでしょうか?

それは、「天主に信頼し、天主に忠実に従う」ことです。

「天主に信頼する」、これは何故なら、天主の富と祝福とは、与え尽くすことも、汲み尽くすこともないものであるからです。天主は私たちを愛されているからです。
「天主に従う」、何故なら天主を拒むとは、天主の与える祝福を拒むということだからです。

私たちを愛して人となった天主イエズス・キリストは、私たちの最高の王です。ピオ十一世教皇はその回勅『クアス・プリマス』で、イエズス・キリストが王である理由を二つ挙げています。

一つは、まずイエズス・キリストが真の天主であるからです。天主と人間の本性、この2つの本性がイエズス・キリストの位格において、天主の位格において結合した神秘(ヒポスタシスにおける結合)によって、イエズス・キリストには天主のペルソナ(位格)一つのみがあり、イエズス・キリストは同時に完全な天主であり、同時に完全な人間である、というこの玄義の故です。ですから天主として、全ての被造物・全宇宙を、絶対最高の主権をもってイエズス・キリストは支配し統治しているからです。ですから、王だ、と言うことができます。

もう一つの理由は、イエズス・キリストが贖い主として、天主の御血を流すことによって、私たち罪人である人間を贖ったからです。人間の救い主として私たちの最大最高の恩人であるからです。イエズス・キリストは私たちを救うために人間になってこの地上に来られました。Et non est in alio aliquo salus. Nec enim aliud nomen est sub caelo datum hominibus in quo oporteat nos salvos fieri. (Act 4:12) 
「救いは主以外の者によっては得られません。全世界に、私たちが救われるこれ以外の名は、人間にあたえられませんでした。」これは聖ペトロの言葉です。初代教皇聖ペトロはこうやってユダヤの人々に宣言しました。これこそ永遠の真理です。カトリック教会の全ての教える真理を一言でいうと、まさにこれです。「救いは、私たちの主イエズス・キリスト以外の者によっては得られません。全世界に私たちが救われる名はこれ以外、イエズス・キリスト以外与えられませんでした。」

カトリック教会はこの永遠の救いを霊魂に与えるために建てられました、創立されました。イエズス・キリストの福音が、イエズス・キリストの与える聖寵が、その愛が、その教えが、霊魂たちに与えられるために。イエズス・キリストは、真の天主、私たちの贖い主として、したがって私たちの上に主権を持つ主として、王として、私たちから信じられ、礼拝され、希望され、愛される権利を持っています。
イエズス・キリストは、霊魂たちを愛する王として、霊魂の幸せのために、霊魂を統治する権利を持っています、王としての権利を持っています。霊魂に永遠の幸福を与えるために、人間となった天主、このイエズス・キリストのことを、この歴史的事実を、だれも知らないでいることはできません。私たちが救われるためには、真の救い主の教えと、恵み、つまりその統治を受け入れる必要があります。

私たち個人のみならず、家庭も、社会も、イエズス・キリストを王として認めなければなりません。何故かというと、イエズス・キリストこそが、全宇宙を支配する法を定め、愛の掟そのものである立法者であるからです。それと同時にイエズス・キリストこそが私たちを愛し、私たちを生かしめ存在させている御方であって、また最後の審判者であるからです。イエズス・キリスト、この世のすべての統治者と指導者らや、そして全ての国々を最終的に裁く方です。審判する方です。

イエズス・キリストの立てた御国である教会の外には救いはありません、あり得ません。何故ならイエズス・キリストの外に救いはあり得ないからです。私たちの主イエズス・キリストにおいてのみ、永遠の救いの価値が生じるからです。イエズス・キリストを通らなければ、だれも天国に行くことはできないからです。何故かというと、天国というのはすなわち、イエズス・キリストの神秘体でしかないからです。何故かというと、イエズス・キリストこそが天国であるからです。何故ならイエズス・キリストが真の天主、全ての真の創造主であるからです。

イエズス・キリストの御国とは、今日の「王たるキリストの序誦」にあるとおり、すなわち「真理と生命との王国、聖性と聖寵との王国、正義と愛と平和との王国」これです。

【ミサ聖祭】
唯一の贖い主であり、また同時に救い主であるイエズス・キリストは、その御自分の王国を十字架の祭壇の上で完成させました。永遠の司祭として、同時に、汚れなき且つ平和をもたらすいけにえとして御自分自身を御父に捧げつつ、唯一天主御父の聖心に適う犠牲を制定しました、御自分を奉献しました。

私たちは、全カトリック教会と共に、イエズス・キリストを真の王として認めています。特に、聖伝のミサ聖祭において、イエズス・キリストが私たちの王であることを、知性と意志と体の態度で示しています。
聖伝のミサによって、イエズス・キリストに、私たちの王としてふさわしい礼拝と賛美と感謝を捧げたいと望んでいます。イエズス・キリストの現存に、真に在し給う、御聖体の内に真に在し給うイエズス・キリストの現存に、ふさわしい礼拝、賛美、感謝を捧げなければなりません。

何故かというと、王としてイエズス・キリストはそれを私たちから受ける権利があるからです。そして私たちはそのしもべとして、主に、王に、それを捧げる義務があるからです。
私たちのカトリックの信仰を心の底から完璧に表明する、愛を表明する、この聖伝のミサを捧げ続けることを私たちは望んでいます。御聖体のうちに真にましまし給うイエズス・キリストに跪き、天主として、王として、崇敬し敬い続けなければなりません。

私たちはイエズス・キリストが愛をもって私たちを統治することを望みます。イエズス・キリストは私たちのすべてだからです。何故なら、イエズス・キリストこそが私たちを創り、生かして下さる、愛して下さる、愛しておられる真の天主であるからです。Regnavit a ligno Deus. 天主は十字架の木から統治するからです。

聖パウロが言う通り、天主御父は「キリストによって、キリストにおいて、すべてのものを和睦させ、御子キリストの十字架の御血によって、地にあるものも、天にあるものも、平和にさせようと望み給うた」からです。これは今の言葉は今日の書簡からの引用です。本当の和睦と本当の平和は、キリストの十字架の御血だけによる実りであり、結実であるからです。

私たちに伝えられた、この昔ながらの聖伝のミサは、私たちの主が持つその絶対的首位権を、祈りと態度で明白に表明しています。

しかし、新しいミサでは、残念ながら、人間が中心になっています。何故なら、十字架の犠牲の再現であるよりは、新しいミサの総則の定義によれば、「主の晩さん、またはミサは、聖なる集会の義、すなわち『主の記念』を祝うために、司祭を座長として、一つに集まった神の民の集会」(7)であり、「主の晩餐を食する」(10) ことだからです。つまり新しいミサは、主の十字架のいけにえというよりは、主の晩餐の記念の集会、食事の集会になってしまっている、ということです。

ですから新しいミサでは、もはや人から天主に向う垂直的な礼拝というよりは、それに代わって人と人との間での水平的な礼拝をやり方を制定している、と言えるからです。

【カトリック司祭の務め】
王であるイエズス・キリストは、ご自分の十字架によって勝ち取った天国の救いを与えるために、私たちに与えるために、カトリック教会を創立しました。従って、イエズス・キリストの福音、イエズス・キリストの御国、イエズス・キリストによる霊魂の救いを説教するのは、カトリック司祭たちの務めです。

天国のみならず、この地上での幸せをさえも、イエズス・キリストがなければ得ることはできません。何故なら、イエズス・キリストこそ、この世界の創造主であり、愛の天主だからです。私たちの主の恩寵なしには何もできないからです。イエズス・キリストこそが全ての恵みの源だからです。

カトリック司祭は、救霊を望む人々全てに本当のことを伝えなければなりません。イエズス・キリストだけが救いの唯一の手段である、と。十字架につけられたイエズス・キリストを司祭たちは語らなければなりません。もしも聖伝のミサが、教会の聖伝の教えが迫害されているとしたら、まさにこの真理のためです。

カトリック司祭は、イエズス・キリストの立てた宗教が超自然の真の宗教だ、と教え続けなければなりません。過去の歴代の教皇様たちが不可謬的にそう教えてきたからです。誤ることのない、不可謬の教えをそのまま信じ、繰り返さなければなりません。カトリック教会が教えてきたことをそのまま変えずに教え、語り続けなければなりません。使徒継承の教えを私たちは捨てることはできません。

何故かというと、真理は、時代や場所によって変わることができないからです。変わることがあり得ないからです。カトリック教会の聖伝と私たちは断絶してしまってはいけません。教会の聖伝や歴代の教皇様の教えと断絶してしまうことこそ、これこそ離教的なスキスマ的なことであって、これこそ教会を破壊してしまうことです。私たちはそのような態度を取ることはできません。教会の過去に、聖伝に、教皇様や、公会議や歴代の教えに、不可謬の教えに、ピッタリと密着して、それを信じ、語り続け、そしてそれをやり続ける、それを望んでおります。

カトリック司祭は、聖伝を礎(いしずえ)として教会を建てていかなければなりません。真の天主イエズス・キリストの上に、十字架の上に、聖伝のミサ聖祭の祭壇の上に、教会を建てなければなりません。これが2000年間、教会がし続けてきたことでした。12人の使徒たちから始まって、全世界に広まって、やってきたことがまさにこれです。数ではありませんでした。真理でした。天主の御恵みでした。ミサのいけにえでした。

王たるキリストの祝日の聖務日課では次のような賛歌を歌います。

(讃課)
キリストは誉れ高き御旗を
凱旋して大きく広げ給う、
民々よ、跪いて来たれ、
王の王に喝采せよ。

彼が諸国を服従させるのは、破壊によるのでもなく、
暴力によるのでも、恐怖によるのでもない。
[十字架の]木に高く挙げられて、
全てを愛によって引き寄せた。

三重(みえ)に幸いなる国よ、
そこにキリストが合法的に命令し、
天からこの世へ命じられた
法の順守を実行する社会!

不敬な戦争は火を噴かず、
平和は条約を固め、
心の一致も微笑み、
市民秩序は安全に立ち留まる。

忠誠は、婚姻を守り、
若者は、貞潔を尊び、
家庭生活の諸徳により、
慎み深い家族は花咲く。

望まれたこの光は私たちに光り輝かんことを、
いとも甘美なる王よ、
燦然たる平和を楽しむことにより、
[御身に]服従したこの世が御身を礼拝せんことを。

イエズスよ、御身に栄光あれ、
御身は世の王笏を統括し給う、
聖父と聖霊と共に、
代々に至るまで、アメン。

(晩課)

千代の八千代の君主なる御身を
キリストよ、諸国の王なる御身を
御身を精神と心の唯一の
判定者と私たちは告白する。

邪悪な群れは叫ぶ
「俺たちはキリストの支配を望まない」と
私たちは御身を全て人々の最高の王と
拍手喝采して宣言する。

おお、キリストよ、平和を与える君よ、
逆らう人々の心を平定し、
御身の愛によって道を外れた人々を
一つの群れと集め給え。

それのために、流血の木に
御身は掛けられ両の腕(かいな)を開き
剣にて開かれた
火に燃える聖心を見せ給う。

それのために、御身は祭壇に隠れ給う、
ブドウ酒と食事の姿で。
子供たちに救いを注ぎながら
胸を突き刺されて。

諸国民の指導者(政府)たちは
公けの名誉を捧げつつ、
学者たちも、裁判官らも、御身を崇敬し
法律も芸術も、それを表明せんことを。

奉献された王たちの御旗らが
そこで輝き出んことを。
柔和な支配に祖国を
全ての家庭を奉献せよ。

イエズスよ、御身に栄光あれ、
御身はこの世の支配を司り給う、
御父と、聖霊とともに、栄光が
代々、とこしえに。アメン

この聖務日課でも出てきましたように、邪悪な群れは「俺たちはキリストの支配を望まない!」と叫ぶかもしれません。特に現代世界ではその叫びがますます高くなっているかもしれません。しかし私たちは、天主の御憐れみと御助けにより、カトリック教会と歴代の教皇様たちと共に、イエズス・キリストを全ての人々の最高の王と拍手喝采して宣言しましょう。御国の来たらんことを!御国が天にあるごとく地にも来たらんことを!と心から祈りましょう。

【遷善の決心】
愛する兄弟姉妹の皆さま、最後にマリア様にお祈り致しましょう、ロザリオの聖母に祈りましょう。私たちを愛し、私たちを本当に幸福にすることを欲しておられる王であるイエズス・キリストに、私たちが心から従いますように。イエズス・キリストの愛の掟に従いますように。王なるイエズス・キリストの福音を生きることができますように。王たるキリストの御旗のもとに、善のために罪に対してたたかうことができますように。そして、ついには永遠の王であるキリストと天国で、キリストとともに、とこしえに喜びを得ることができますように。

イエズスは、「あなたのいうとおり、私は王である。私は真理を証明するために生まれ、そのためにこの世に来た。真理につく者は私の声を聞く」とお答えになった。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 



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