アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
クリスマスの御ミサの報告をいただきました。兄弟姉妹の皆様にごしょうかいします。大阪ではミサに毎日欠かさずに与った方々がおられました!天主様に感謝します!
東京の謝恩会では、たくさんの差し入れをありがとうございました。多勢の方々が持ちよってくださり、食べ物も飲み物も、お恵みにもあふれていました。
今回初めて来られた方々が、聖伝のミサで顔見知りの人がやっぱり初めて来ていたので、喜んでおられました。今まで会場には来られたことはあったけれども、今回初めて聖ピオ十世会の御ミサでご聖体拝領をされた方々もおられたと伺いました。最後にでるゴミを全部持って帰ってくださった方もおられました。ありがとうございます。
ところで、新年早々の1月6日の初土曜日には、大阪でミサの直後に、日本と世界の平和と求めてファチマの聖母行列を行う予定です。
天主こそは平和の君であるからです。天主が平和を作ってくださらなければ、平和を作ろうとする人の労苦も空しいからです。天主が町を守って下さらなければ、町を守る警備も空しいからです。
Nisi Dominus edificaverit domum, in vanum laboraverunt qui edificant eam. Nisi Dominus custodierit civitatem, frustra vigilat qui custodit eam!
私たちは聖母の汚れなき御心に助けを求めます。何故なら天主は聖母を通して私たちに平和を与えることを定めたからです。
ジャシンタが病院に行く前にルシアにこう言いました。
「私たちはマリアの汚れなき御心を通して平和を求めなければなりません。何故なら天主は平和を聖母に委ねたからです。」
だから愛する兄弟姉妹の皆様、新年早々の1月6日の初土曜日には、大阪でミサの直後に、日本と世界の平和と求めてファチマの聖母行列に参加してください。日本と世界の平和は聖母にかかっています。
日本と世界の平和と求める聖母行列
日時:2018年1月6日正午(ミサ聖祭の直後)から
集合場所:聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2)
では、報告をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
レネー神父様のミサの報告
アヴェ・マリア・インマクラータ!
主のご降誕のお喜びを申し上げます。
小野田神父様こんにちは。
きっと韓国で素晴らしいご降誕をお迎えになられたことと思います。
私たちもご降誕前の2週間、レネー神父様の御ミサと素晴らしいお説教でご降誕の準備をすることが出来た事はなんという大きなお恵みだったことでしょうか!
平日は御ミサに与る方々の人数が少なくて、残念でしたが、二週間毎日2時間かけて通われた方や、朝一時間、二時間早く起きて早めに出勤し、ミサに間に合う時間に退社できるように調整して二週間毎日ミサに与りに来られた方々もいらっしゃいました。
実物大の聖骸布のレプリカは、圧倒的な迫力をもち、見る人に大きな感動と痛悔、イエズス様の愛の深さ、マリア様のお苦しみなどを黙想させてくれました。小さなご絵や写真で見るのとでは全く違った感銘を受けました。
レネー神父様は毎日、聖骸布の説明や、聖骸布とミサの関係の黙想、聖人の話などなど短いお説教をしてくださいました。
また12月10日の主日から25日まで、毎日歌ミサをして下さいました。このような体験をしたのは初めてで、これも大きなお恵みだったと思います。神父様は、きっとお疲れだったと思いますがいつも柔和でお疲れのご様子をお見せになられませんでした。
また、土曜日以外、御ミサの後には毎日神父様と終課を唱えました。
クリスマスの前日の夕方6時のミサの後、朝課までの間の一時間ほどの間、エレベーターホール前に神父様を囲んで皆が座り、朝課の歌詞の説明をお聞きしました。カトリック的な聖なる時間が流れそのまま朝課を唱えました。
私達には間違いや失敗がたくさんあったにも関わらず、レネー神父様は「朝課をしてくれてありがとう。とても嬉しかった。」と仰いました。いつもクリスマスには多くのミサ会場を回ったりしなければならないので10数年ぶりにクリスマスの朝課を複数で歌ってすることが出来たそうです。
ご降誕のミサのお説教は、レネー神父様の、マリア様への愛が溢れる非常に美しくも感動的なお説教でした。
レネー神父様を日本へ送って下さった天主様の御摂理に感謝し、レネー神父様の今後のご活躍とご健康をお祈りいたします。
御ミサ後の送迎会では、信徒会長が代表で霊的花束を神父様にお渡しくださり、皆でアヴェ・マリアの日本的なポリフォニー、高山右近の歌、宣教師を送る歌、シェ・ヌを神父様への感謝として歌いました。レネー神父様もフランス語の歌は一緒に歌って下さいました。熱唱でした!(;´∀`)
お別れするのは心が痛み、とても悲しいのですが、宣教師を送るうたの歌詞にあるように、「友よさらば、天国で会いましょう」という気持ちを持ってお別れしました。この淋しさもイエズス様への愛のため、罪人の改心の為、聖母の汚れなきに心に犯される罪の償いとしてお捧します。
【報告】
天主イエズス様の御降誕おめでとうございます!
レネー神父様の毎日の御ミサ、お説教、聖骸布、クリスマス、朝課・・・
たくさんのたくさんの御恵みを、御憐れみを
天主様に感謝!マリア様に感謝!聖ヨゼフに感謝!
レネー神父様に小野田神父様に、心から感謝いたします!!
幼き天主イエズス様、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
私たちの主イエズス・キリストのご誕生を、今年はいつもと違ったふうに黙想し、お祝いいたしました、ありがとうございます。
御降誕祭の前日のミサでは、私たちの周りには むち打ちと茨と十字架刑で痛められたことを指し示す聖骸布の複製と、復活の象徴のようなネガからポジに転写されたイエズス様の等身大のお姿も、掲げられていました。「聖骸布には イエズス様の御体が実在された姿かたちのまま証拠が刻印されているものだけれど、そこにイエズス様がいるのではなく、外見ではまるで違う御聖体のなかにこそイエズス様がいらっしゃいます」というレネー神父様の講話のお話を胸にご聖体拝領をいたしました。
聖骸布の複製の展示の中での御ミサに与った恵みに、心から感謝申し上げます。素晴らしい講話もありがとうございます。レネー神父様は、複製ではありますが実物大で重さもほぼ同じ"釘"を私たちに紹介してくださいました。イエズス様の手首と足を貫いた釘だそうで、とても大きく太く重く、驚きました。レネー神父様は、貴重な聖骸布の展示のために、パネルの外枠も一緒に持ってこられておりまして、その重さ大きさにも驚き、飛行機や新幹線などでの移動での時もとても大変だったと思います、本当に感謝申し上げます。
翌日の御降誕の御ミサのなかでは、目の前の小さな祭壇におけるクリスマスの秘密を教えられた感じでした。
心の中にイメージが浮かびあがり、十字架は飼葉桶となりイエズス様は赤ちゃんに変わりました。御復活祭と御降誕祭が、結びついて、ひとつのものとなりました。
「この赤ちゃんは(動物のようなものに過ぎない)人間のための食べ物として天から降りてこられました」、というお説教の言葉は、決してシュールに響きませんでした。かえって、なぜ幼子イエズスは、飼葉桶のようなものの中に寝かされて描かれるのか、ハッとわかった思いでした。
動物が食べる 飼葉・馬草のごとく、イエズス様は動物のごとき命のものである人間に食されるために、来られたのですね。
罪ある命から、天上の永遠の命へと変えられるように、食べるためのものとして来られたのですから。飼葉などの飼料を入れる桶に寝かされているイメージには、こんな意味があるのかなと、おもわず感じてしまいました。
幼子が食べられる物として来られたと、言葉で言うとひどく残酷ですが、映像であらわすなら、必要なことが伝わるだけです。でも、実際のところ、この赤ちゃんには残酷な刑が待ち受けていることを、私たちは知っているのだけれど。
お説教を聴いたので、目の前の十字架が馬草桶に、いばらの冠と鞭うたれたイエズス様の御体は赤ちゃんに、それからそのあとすぐ御母マリア様が受けとめてくるまれて後に聖骸布となった清浄な布も赤ちゃんをくるんでいる布に、イメージの中でその姿を変えたのだと思います。
イエズス様は 栄光の御復活の前に、このか弱き小さな柔らかい赤ちゃんの姿で、まずこのクリスマスの夜に 人間の世界に降りて来てくださったことが わかりました。
十字架上のイエズス様を礼拝賛美するときのように、同時にまた飼い葉おけに寝かされた幼子イエズス様を、心から礼拝賛美いたしました。
そして、聖変化の時に、飼い葉おけから十字架へと渡されたそのイエズス様の御体は司祭の手に掲げられて真っ白のご聖体のなかに今現存されていることを思いだして、おおイエズス様、御身こそまことの食べ物として御自身を私たちに賜ってくださいました天主様です、なんということでしょう!と、信仰を告白致しました。
これまでのクリスマスには感じたことのなかった小さな赤ちゃんのイエズス様への感謝の想いが広がり満ちあふれました、こんなふうにクリスマスの意味を教えてくださいましてありがとうございます!
クリスマスのお説教は、とても素晴らしくて、マリア様を讃えます賛美のようであり、次々とやって来ます美しいイメージにうっとりとなりました。
私は、弱い小さな信仰で深い意味も分からないままですが、これまで、よくわからなかった御誕生と御復活の神秘的な関係を、深く味わっておりました。
マリア様を通して人間の赤ちゃんとして来られたイエズス様が、十字架に架けられてマリア様によって傷の全てをきれいにされて、天に帰られました。この印象を心に刻んで、マリア様によってイエズス様をいつも心の中で、礼拝申し上げるように努めます。このようなクリスマスの意味を教えてくださいましてありがとうございます!この御降誕節の間、黙想を続けていきたいと思います。
レネー神父様、素晴らしいクリスマスをありがとうございました。オーストラリアでのご活躍をお祈り申し上げます。
愛する兄弟姉妹の皆様、
クリスマスの御ミサの報告をいただきました。兄弟姉妹の皆様にごしょうかいします。大阪ではミサに毎日欠かさずに与った方々がおられました!天主様に感謝します!
東京の謝恩会では、たくさんの差し入れをありがとうございました。多勢の方々が持ちよってくださり、食べ物も飲み物も、お恵みにもあふれていました。
今回初めて来られた方々が、聖伝のミサで顔見知りの人がやっぱり初めて来ていたので、喜んでおられました。今まで会場には来られたことはあったけれども、今回初めて聖ピオ十世会の御ミサでご聖体拝領をされた方々もおられたと伺いました。最後にでるゴミを全部持って帰ってくださった方もおられました。ありがとうございます。
ところで、新年早々の1月6日の初土曜日には、大阪でミサの直後に、日本と世界の平和と求めてファチマの聖母行列を行う予定です。
天主こそは平和の君であるからです。天主が平和を作ってくださらなければ、平和を作ろうとする人の労苦も空しいからです。天主が町を守って下さらなければ、町を守る警備も空しいからです。
Nisi Dominus edificaverit domum, in vanum laboraverunt qui edificant eam. Nisi Dominus custodierit civitatem, frustra vigilat qui custodit eam!
私たちは聖母の汚れなき御心に助けを求めます。何故なら天主は聖母を通して私たちに平和を与えることを定めたからです。
ジャシンタが病院に行く前にルシアにこう言いました。
「私たちはマリアの汚れなき御心を通して平和を求めなければなりません。何故なら天主は平和を聖母に委ねたからです。」
だから愛する兄弟姉妹の皆様、新年早々の1月6日の初土曜日には、大阪でミサの直後に、日本と世界の平和と求めてファチマの聖母行列に参加してください。日本と世界の平和は聖母にかかっています。
日本と世界の平和と求める聖母行列
日時:2018年1月6日正午(ミサ聖祭の直後)から
集合場所:聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2)
では、報告をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
レネー神父様のミサの報告
アヴェ・マリア・インマクラータ!
主のご降誕のお喜びを申し上げます。
小野田神父様こんにちは。
きっと韓国で素晴らしいご降誕をお迎えになられたことと思います。
私たちもご降誕前の2週間、レネー神父様の御ミサと素晴らしいお説教でご降誕の準備をすることが出来た事はなんという大きなお恵みだったことでしょうか!
平日は御ミサに与る方々の人数が少なくて、残念でしたが、二週間毎日2時間かけて通われた方や、朝一時間、二時間早く起きて早めに出勤し、ミサに間に合う時間に退社できるように調整して二週間毎日ミサに与りに来られた方々もいらっしゃいました。
実物大の聖骸布のレプリカは、圧倒的な迫力をもち、見る人に大きな感動と痛悔、イエズス様の愛の深さ、マリア様のお苦しみなどを黙想させてくれました。小さなご絵や写真で見るのとでは全く違った感銘を受けました。
レネー神父様は毎日、聖骸布の説明や、聖骸布とミサの関係の黙想、聖人の話などなど短いお説教をしてくださいました。
また12月10日の主日から25日まで、毎日歌ミサをして下さいました。このような体験をしたのは初めてで、これも大きなお恵みだったと思います。神父様は、きっとお疲れだったと思いますがいつも柔和でお疲れのご様子をお見せになられませんでした。
また、土曜日以外、御ミサの後には毎日神父様と終課を唱えました。
クリスマスの前日の夕方6時のミサの後、朝課までの間の一時間ほどの間、エレベーターホール前に神父様を囲んで皆が座り、朝課の歌詞の説明をお聞きしました。カトリック的な聖なる時間が流れそのまま朝課を唱えました。
私達には間違いや失敗がたくさんあったにも関わらず、レネー神父様は「朝課をしてくれてありがとう。とても嬉しかった。」と仰いました。いつもクリスマスには多くのミサ会場を回ったりしなければならないので10数年ぶりにクリスマスの朝課を複数で歌ってすることが出来たそうです。
ご降誕のミサのお説教は、レネー神父様の、マリア様への愛が溢れる非常に美しくも感動的なお説教でした。
レネー神父様を日本へ送って下さった天主様の御摂理に感謝し、レネー神父様の今後のご活躍とご健康をお祈りいたします。
御ミサ後の送迎会では、信徒会長が代表で霊的花束を神父様にお渡しくださり、皆でアヴェ・マリアの日本的なポリフォニー、高山右近の歌、宣教師を送る歌、シェ・ヌを神父様への感謝として歌いました。レネー神父様もフランス語の歌は一緒に歌って下さいました。熱唱でした!(;´∀`)
お別れするのは心が痛み、とても悲しいのですが、宣教師を送るうたの歌詞にあるように、「友よさらば、天国で会いましょう」という気持ちを持ってお別れしました。この淋しさもイエズス様への愛のため、罪人の改心の為、聖母の汚れなきに心に犯される罪の償いとしてお捧します。
【報告】
天主イエズス様の御降誕おめでとうございます!
レネー神父様の毎日の御ミサ、お説教、聖骸布、クリスマス、朝課・・・
たくさんのたくさんの御恵みを、御憐れみを
天主様に感謝!マリア様に感謝!聖ヨゼフに感謝!
レネー神父様に小野田神父様に、心から感謝いたします!!
幼き天主イエズス様、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
私たちの主イエズス・キリストのご誕生を、今年はいつもと違ったふうに黙想し、お祝いいたしました、ありがとうございます。
御降誕祭の前日のミサでは、私たちの周りには むち打ちと茨と十字架刑で痛められたことを指し示す聖骸布の複製と、復活の象徴のようなネガからポジに転写されたイエズス様の等身大のお姿も、掲げられていました。「聖骸布には イエズス様の御体が実在された姿かたちのまま証拠が刻印されているものだけれど、そこにイエズス様がいるのではなく、外見ではまるで違う御聖体のなかにこそイエズス様がいらっしゃいます」というレネー神父様の講話のお話を胸にご聖体拝領をいたしました。
聖骸布の複製の展示の中での御ミサに与った恵みに、心から感謝申し上げます。素晴らしい講話もありがとうございます。レネー神父様は、複製ではありますが実物大で重さもほぼ同じ"釘"を私たちに紹介してくださいました。イエズス様の手首と足を貫いた釘だそうで、とても大きく太く重く、驚きました。レネー神父様は、貴重な聖骸布の展示のために、パネルの外枠も一緒に持ってこられておりまして、その重さ大きさにも驚き、飛行機や新幹線などでの移動での時もとても大変だったと思います、本当に感謝申し上げます。
翌日の御降誕の御ミサのなかでは、目の前の小さな祭壇におけるクリスマスの秘密を教えられた感じでした。
心の中にイメージが浮かびあがり、十字架は飼葉桶となりイエズス様は赤ちゃんに変わりました。御復活祭と御降誕祭が、結びついて、ひとつのものとなりました。
「この赤ちゃんは(動物のようなものに過ぎない)人間のための食べ物として天から降りてこられました」、というお説教の言葉は、決してシュールに響きませんでした。かえって、なぜ幼子イエズスは、飼葉桶のようなものの中に寝かされて描かれるのか、ハッとわかった思いでした。
動物が食べる 飼葉・馬草のごとく、イエズス様は動物のごとき命のものである人間に食されるために、来られたのですね。
罪ある命から、天上の永遠の命へと変えられるように、食べるためのものとして来られたのですから。飼葉などの飼料を入れる桶に寝かされているイメージには、こんな意味があるのかなと、おもわず感じてしまいました。
幼子が食べられる物として来られたと、言葉で言うとひどく残酷ですが、映像であらわすなら、必要なことが伝わるだけです。でも、実際のところ、この赤ちゃんには残酷な刑が待ち受けていることを、私たちは知っているのだけれど。
お説教を聴いたので、目の前の十字架が馬草桶に、いばらの冠と鞭うたれたイエズス様の御体は赤ちゃんに、それからそのあとすぐ御母マリア様が受けとめてくるまれて後に聖骸布となった清浄な布も赤ちゃんをくるんでいる布に、イメージの中でその姿を変えたのだと思います。
イエズス様は 栄光の御復活の前に、このか弱き小さな柔らかい赤ちゃんの姿で、まずこのクリスマスの夜に 人間の世界に降りて来てくださったことが わかりました。
十字架上のイエズス様を礼拝賛美するときのように、同時にまた飼い葉おけに寝かされた幼子イエズス様を、心から礼拝賛美いたしました。
そして、聖変化の時に、飼い葉おけから十字架へと渡されたそのイエズス様の御体は司祭の手に掲げられて真っ白のご聖体のなかに今現存されていることを思いだして、おおイエズス様、御身こそまことの食べ物として御自身を私たちに賜ってくださいました天主様です、なんということでしょう!と、信仰を告白致しました。
これまでのクリスマスには感じたことのなかった小さな赤ちゃんのイエズス様への感謝の想いが広がり満ちあふれました、こんなふうにクリスマスの意味を教えてくださいましてありがとうございます!
クリスマスのお説教は、とても素晴らしくて、マリア様を讃えます賛美のようであり、次々とやって来ます美しいイメージにうっとりとなりました。
私は、弱い小さな信仰で深い意味も分からないままですが、これまで、よくわからなかった御誕生と御復活の神秘的な関係を、深く味わっておりました。
マリア様を通して人間の赤ちゃんとして来られたイエズス様が、十字架に架けられてマリア様によって傷の全てをきれいにされて、天に帰られました。この印象を心に刻んで、マリア様によってイエズス様をいつも心の中で、礼拝申し上げるように努めます。このようなクリスマスの意味を教えてくださいましてありがとうございます!この御降誕節の間、黙想を続けていきたいと思います。
レネー神父様、素晴らしいクリスマスをありがとうございました。オーストラリアでのご活躍をお祈り申し上げます。