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【参考情報】教皇フランシスコ、新しい書簡でラテン語ミサの制限を倍増

2022年07月01日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】教皇フランシスコ、新しい書簡でラテン語ミサの制限を倍増

Pope Francis doubles down on restrictions of the Latin Mass in new letter

デヴィッド・マクルーン

2022年6月29日 米東部標準時夏時間午前8時37分

バチカン市国(LifeSiteNews)―教皇フランシスコは典礼に関する新しい使徒的書簡を発表し、聖伝のラテン語ミサに対する制限を再確認する一方で、改革後の典礼を「ローマ典礼の祈りの法(lex orandi)の唯一の表現」として推進しました。

教皇フランシスコによると、水曜日に発表された「デジデリオ・デジデラーヴィ」(Desiderio desideravi)は、第二バチカン公会議によって始められた改革より前の秘跡の祭儀挙行に狙いを定めた2021年7月の自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)に続くものです。この書簡には、「全教会がキリスト教の祭儀挙行の真理と力を再発見し、保護し、生きるように」と招待する、教皇の「典礼に関する省察」が含まれています。

聖座のメディア部門である「バチカンニュース」は、新しい教皇書簡は「新しい教えあるいは特定の規範を持つ指示ではなく、典礼の祭儀挙行の美しさと福音宣教におけるその役割を理解するための黙想」と説明しています

新たに発表された15ページの使徒的書簡の中で、教皇は、教会の伝統的典礼の祭儀挙行を制限する先の自発教令の文脈をさらに示し、明らかな「(伝統的)祭儀挙行をめぐる…緊張」は、単に「特定の典礼形式に関する異なる嗜好の間の単純な違い」ではなく、むしろ「解決困難なもの」という自身の立場を説明しています。

「キリスト教の祭儀挙行の美しさと教会の生活にとって必要な結果が、その価値についての表面的で短縮化された理解によって、あるいはさらに悪いことには、いつでも、何らかのイデオロギー的な考え方に利用されることによって、損なわれないようにしたいと思います」とフランシスコは書き、秘跡の祭儀挙行についての意見の分裂を強調しました。

「極論を捨てて、聖霊が教会に語っておられることに共に耳を傾けましょう」と彼は述べています。

教皇はその書簡を使って、聖伝の秘跡に対する懲罰的な制限の基盤となる議論として、聖伝の信奉者がミサの「古い使用法」(usus antiquior)への愛着の一環として第二バチカン公会議を拒否するという考えを、もう一度強調しました。

「(第二バチカン)公会議の有効性を認めて、同時に典礼憲章(Sacrosanctum Concilium)から生まれた典礼改革を受け入れないと言うことが――カトリック信者が厚かましくもそんな認めることができるというのには驚きますが、――どうしたら可能なのか、私には分かりません」と教皇フランシスコは書いています。

この憲章は、典礼の基本的で「完全で、意識的で、積極的で、実りある挙行」を推進するものだと、教皇は言っています。

「典礼改革を受け入れないことは、それを表面的に理解することと同様に、私が何度も繰り返している次の問いに対する回答を見いだす義務から私たちを遠ざけることになります。つまり "どうすれば、私たちは、典礼の行為を充分に生きる能力を育てていくことができるのか?どうすれば、私たちは、目の前の祭儀挙行で起こることに驚き続けることができるのか?"という問いです。」

それによれば、教皇は、「『聖パウロ六世と聖ヨハネ・パウロ二世が、第二バチカン公会議の教令に準拠して公布した典礼書は、ローマ典礼の祈りの法(lex orandi)の唯一の表現である』ことを確認することが教皇の義務」であると述べ、文書「トラディティオーニス・クストーデス」の教令を繰り返しています。

この文書の後半で教皇は、「すべての司教、司祭、助祭、神学校の養成者、神学部や神学院の講師、そしてすべてのカテキスタ」に対して、「(第二バチカン)公会議の教父たちが、ペトロとともに、ペトロのもとで(cum Petro et sub Petro)、聖霊の導きの下に司祭としての良心に従って、改革が生まれた原則を承認し、改革の必要性を感じた、あの儀式の形に戻」らないようにという教皇の命令を聞き入れるように呼びかけています。

フランシスコは、「公会議の改革の忠実さ」を保証するものとして、パウロ六世とヨハネ・パウロ二世の両教皇の働きを強調しました。

「このため私は、教会が、非常に多くの言語という多様性の中で、その一致を表現することができる一つの同じ祈りを掲げることができるように、『トラディティオーニス・クストーデス』を書きました」。

「すでに書いたように、私には、この一致がローマ典礼の全教会に再確立されるようにとの意向があります」とフランシスコは述べています。

最後に教皇は、信者にこう促しました。「私たちの極論を捨てて、聖霊が教会に語っておられることに共に耳を傾け、私たちの交わりを守りましょう。典礼の美しさに驚き続けましょう」。

「過ぎ越しの神秘が私たちに与えられました。主が私たちと一緒に主の過ぎ越しを食さなければならないと思い続けておられる願いで、私たち自身が包まれるようにしましょう。このすべてを、教会の母であるマリアのまなざしのもとに」とフランシスコは述べています。

この文書にツイッターで反応したカトリック作家でカテキスタのニック・ドネリー助祭は、教皇の省察は「全時代のミサを愛する人々にとって冷や水を浴びせる言葉」と書いています。

***ツイッターはじめ***

教皇ベルゴリオの「デジデリオ・デジデラーヴィ」には、全時代のミサを愛する人々にとって冷や水を浴びせる言葉が含まれています。

彼はその意図を明確にしています―ベルゴリオは、一致の口実のもと、ローマ典礼全体にノブス・オルドを強制することによって、聖伝のラテン語ミサを終わらせるつもりです 
pic.twitter.com/HOJ6ENjRUz

— Nick Donnelly (@ProtecttheFaith) June 29, 2022

***ツイッターおわり***

「ベルゴリオは、一致の口実のもと、ローマ典礼全体にノブス・オルドを強制することによって、聖伝のラテン語ミサを終わらせるつもりです」とこの聖職者は警告し、その後、教皇の「極論を捨てて、聖霊が教会に語っておられることに共に耳を傾けましょう」という勧告は、「私たちが聖伝を捨てて、彼(フランシスコ)の意志に服さなければならない」の遠回しの言い方であると論じています。

聖伝のカトリックのブログ「ロラーテ・チェリ」(Rorate Caeli)は、新しい使徒的書簡は、教皇が「典礼に関する『断絶の解釈法』の見解に挑戦したことを示していると、ツイッターのフォロワーに語っています。

「ラッツィンガーの典礼に関するライフワークとこれは、昼と夜のようにかけ離れている」とこのグループは述べています。

***ツイッターはじめ***

フランシスコ、典礼に関する使徒的書簡「デジデリオ・デジデラーヴィ」で典礼に関する「断絶の解釈法」の見解にまったく挑戦している――ラッツィンガーの典礼に関するライフワークとこれは、昼と夜のようにかけ離れている:https://t.co/UcMnceZqbh https://t.co/5xtSpkGbcE

— Rorate Caeli (@RorateCaeli) June 29, 2022

***ツイッターおわり***

バチカン記者ブリー・デイルは、「複数の情報源によると、その教皇フランシスコは、『継続性の解釈法』をめぐる『進行中の議論をもはや信じていない』が、『前任者のベネディクト十六世と決別し、彼の個人的な立場を明確にした』」と書いています。

***ツイッターはじめ***

複数の情報源によると、教皇フランシスコは、「継続性の解釈法」をめぐる「進行中の議論をもはや信じていない」が、「前任者のベネディクト十六世と決別し、彼の個人的立場を明確にした」ことは明らかなように思えます。しかし、これは「拘束力のある立場や宣言ではありません」。

— Bree A Dail (@breeadail) June 29, 2022

***ツイッターおわり***


「しかし、これは『拘束力のある立場や宣言ではありません』」と彼女は記しました。

カトリック典礼学者のマシュー・ヘイゼルは、ローマ典礼の聖伝の祭儀挙行への愛着の源を教皇が誤解していると嘆き、フランシスコは「私や他の多くの人々が聖伝のローマ典礼を愛している理由を知らない」と述べ、教皇は「関心を持つという気遣いさえ持っていない」と論じました。

「あなたにとって、私たちは皆、心理的に傷ついた『硬直した復古主義者』に過ぎない」とヘイゼルは書いています。


***ツイッターはじめ***

単に言えば、@Pontifex、コンシリウム(Consilium)はコンチリウム(Concilium)ではなかったからです。うっ。
あなたは、私や他の多くの人が聖伝のローマ典礼を愛している理由を知らないんです。もっと悪いのは、関心を持つという気遣いさえ持っていないことです。あなたにとって、私たちは皆、心理的に傷ついた「硬直した復古主義者」に過ぎない...💢 pic.twitter.com/adcTtaCgI1

— Matthew Hazell (@M_P_Hazell) June 29, 2022

***ツイッターおわり***

一方、ナンシー・ペロシ米下院議長は、地元の教区長サルバトーレ・コルディレオーネ大司教から、カトリック政治家として熱心に中絶を支持する立場を公に撤回するまで聖体を授けることを明確に禁止されたにもかかわらず、水曜日に行われた教皇フランシスコの主宰するミサで聖体を受ける姿が目撃されたと報道されています。

ニック・ドネリー助祭はツイッターで、教皇は「中絶論者のナンシー・ペロシに聖体拝領を許すことによって、ご聖体に対する冒涜を助長しました」と述べ、「この卑劣な冒涜は、教皇の聖ペトロ大聖堂でのパチャママの崇拝よりもひどいものです」と論じました。

***ツイッターはじめ***

教皇フランシスコは、中絶論者ナンシー・ペロシにご聖体を授けることで、ご聖体に対する冒涜を助長しました

聖ペトロと聖パウロの祝日に、聖ペトロの墓の上で。

この卑劣な冒涜は、教皇の聖ペトロ大聖堂でのパチャママの崇拝よりもひどいものです。

— Nick Donnelly (@ProtecttheFaith) June 29, 2022

***ツイッターおわり***

ペロシは先月、聖体拝領を禁じられた数日後に、首都ワシントンの小教区で聖体拝領し、この高位聖職者を無視しました

Photo Credit



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1 コメント

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Unknown (フランシスコ)
2022-07-01 02:53:42
この前、バイデン大統領をヴァチカンはなぜ破門にしないのかとコメントしましたがペロシの聖体拝領許可でわかりました。しかし、もう、カトリックでしょうか?みかけはカトリックですが中身はどうなんでしょうか?ベネディクト16世聖下は「継続性の解釈法」という妥協点をもうけてくださったんですよね。ベルゴリオ教皇はパウロ6世の創作ミサに愛着を感じるのでしょうか?感じるのであれば同じように聖伝のミサに愛着を感じることも理解できるのでは?聖伝のミサも聖伝の教えも目の黒いうちに葬り去りたいような執念を感じますね。今回の米国最高裁の判決が教皇の焦りにつながっているのでしたら悲しむべきことのように思います。就任最初の頃の聖ピオ十世会に向けられた友好的な態度は今にして思えばフェイクだったんですね。このあとどのようなことが起こっていくのか‥恐ろしいことですね。
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