イエズスのおん頭の上には、「これはユダヤ人の王イエズスである」と書いた罪標(すてふだ)がおかれていた。マテオ二七章
アヴェ・マリア!
御受難の黙想。
ローマの公式の裁判の判決を経た後、イエズス・キリストの罪名が罪票(すてふだ)に書かれた。これはイエズスの公式の「罪」が書かれた。従って、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語で書かれた。ラテン語は皇帝の言葉、ギリシア語とヘブライ語は民衆の言葉だ。外国に住むユダヤ人らはヘブライ語よりもギリシア語をむしろよく解した。
何故3つの言語で書かれたのか? 言語の混乱はバベルの塔の罪より由来した。和解の印である十字架のもとで、言語の一致を回復させるためだった。信仰と愛との一致において、全ての民族と言語が、十字架につけられた唯一の贖い主を一致して礼拝することにより、再び結合されるためであった。
罪票(すてふだ)には、「Iesus Nazarenus, Rex Judaeorum ナザレトのイエズス、ユダヤ人の王」と書かれていた。ローマの審判官はイエズス・キリストが罪のために十字架につけられたのではないことを明確に宣言した。キリストは「イエズス」であったがために、つまり、「天主私たちを救う」であったがために、「王」であったがために、真理を証明するために生まれてきた「王」であったために、十字架につけられた。
ローマの公式文書は書き換えられてはならなかった。「私が書いたものは書いたものだ。」 ピラトはローマの権威をかけて、計らずして真理を証明した。
ミサ聖祭は、十字架のいけにえの再現である。だから聖伝のローマ典礼ではラテン語と、ギリシア語と、ヘブライ語が使われている。聖伝のミサは、私たちの主イエズス・キリストこそが私たちの礼拝すべき贖い主、王であることを、はっきりと教えてくれる。
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