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2017年2月3-6日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年02月10日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2月の初金、初土は大阪でミサ聖祭を捧げ、福者ユスト高山の生涯について黙想しました。

初金には、イエズスの聖心の歌ミサの後に、いつものように顕示された御聖体のまで聖時間を過ごしました。

初土のミサの後の公教要理には、映画「サイレンス-- 沈黙 --」の裏にある史実について黙想しました。フェレイラ神父の受けた拷問の穴吊しとその後のカトリック世界の反応を見ました。しかし時間切れになってしまったので、この続きは次回にします。

2月5日には東京で、聖ピオ十世会の東京の守護の聖人である日本二十六聖殉教者のミサを典例法規に従って一級で祝いました。午後の公教要理には、ユスト高山の生涯について黙想しました。

次回の東京での公教要理には、映画「サイレンス-- 沈黙 --」の裏にある史実について黙想します。フェレイラ神父の受けた拷問の穴吊しとその後のカトリック世界の反応をお話しいたします。

以下にミサ聖祭のご報告をいただいたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪でのミッションありがとうございました。
お疲れが早くとれますように、お祈りしています。

2月の初金・初土のミサの報告をお送りいたします。

2月3日(初金) 至聖なる聖心の随意ミサには15名が、
2月4日(初土) 聖母の汚れなき御心の随意ミサには16名が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!

金曜日のイエズス様の聖心の御ミサのアレルヤ唱で
「私は心柔和で謙遜なものゆえ、私のくびきをとって私にならえ、そうすれば心の平安を見出すであろう。」と歌ったように、
2月7日大阪で列福されるユスト高山右近がどのようにイエズス様のくびきをとり、イエズス様にならい、私たちに模範を示されたかを黙想いたしました。
キリシタンを捨てることを拒否したが為に領地も地位もすべてを右近から奪った豊臣秀吉の大阪城で、
400年以上の時を経てその同じ場所で高山右近が福者として列福の栄誉を受けることになったことに天主様の正義と御摂理を感じました。

土曜日には、前日に続いて高山右近の生涯がマリア様のメッセージの関係を黙想しました。
というのは、400年前に高山右近が聖イグナチオの霊操をしていたということです。聖イグナチをの霊操はそこから更に100年前にマリア様が聖イグナチオにマンレッサーで与えられたものでした。
「天主に背けば私の生きている意味がない」「天主と一致する事のみが唯一の人生の目的」と右近にいわしめたのはまさに 、霊操の精神そのものでした。
いつの時代にも、特に困難の時に、マリア様の御介入が私たちの信仰を強め、助け、救ってくださることを強く感じました。

日本でも、一昨年に聖イグナチオの霊操、昨年は聖グリニヨン・ド・モンフォールの聖母黙想会が聖ピオ十世会の神父様の指導で行われました。
私たちに今これらの御恵みが与えられたということをしっかり認識して、霊操とマリア様へのまことの信心をもっともっと自分のものにして、高山右近に倣って霊魂の救いと、天国だけを求めるカトリック信者になりたいと思いました。

土曜日の公教要理では、映画「沈黙」のモデルとなったクリストヴァン・フェレイラについてお話頂きました。
遠藤周作の「沈黙」では、このフェレイラの背教が話の軸となっていますが、残念ながら史実とは少し違っていることも沢山あるようでした。
フェレイラと日本のキリスト教迫害の歴史を大変詳しく知る事ができ、続きがとても楽しみです。

神父様は、聖務と移動だけでも超絶お忙しいのに、こんなに勉強する時間がよくおありだなあと感心していまいました。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

初金・初土の御ミサ、御聖体降福式、公教要理など色々本当にありがとうございました!!(*^▽^*)

新たに素晴らしい御聖体顕示台も寄付されて、御聖体の秘蹟の内に真に在し給うイエズス様を更に讃美する事ができてとても嬉しく思います!

また、ユスト高山右近様が列福される年のこの2月3日・4日に、大阪で初金・初土の御ミサが捧げられ、そして今日は東京の聖なる日本の殉教者教会で、日本26聖人の御ミサが捧げられ、今年も日本へのマリア様と聖なる日本の殉教者の方々の御取り次ぎによる、溢れるばかりのお恵みをひしひしと感じます!デオ・グラチアス!

家族で今日は日本二十六聖殉教者の信仰を求むる祈りも唱えました。
願わくは、二十六聖殉教者の御取り次ぎによりて、堅固なる信仰と迫害に堪うる勇気とをわれらに得しめ給え!

デオ・グラチアス!



【報告】【所感】
+Ave Maria! Immaculata!

大阪での2月の初金初土の御ミサをありがとうございました。
心から感謝申し上げます。

【所感】をご報告申し上げます。

【1】初土曜日のお説教での小野田神父様のお言葉が心に残りました。
「今から500年前にマリア様から与えられた『霊操』をそのとおりに実践したユスト高山右近が福者となることができたのなら、
100年前にファチマのマリア様から与えられた『メッセージ』を忠実に実践するならば、私たちにも高山右近と同じことが起こる。」

フルーガー神父様が、「この現代で聖伝のカトリック信仰を守り、そのとおりに生きることが、天主様からのどれほど大きな恩恵であるか!
この真のカトリック信仰を守り通し、カトリックを生きなさい。」とおっしゃったことが思い出されました。
この現代で、私たちカトリック信者のすべきことは、ファチマのマリア様のおっしゃるとおりに、
「天主と聖母マリア様の汚れ無き御心に対してなされた、人類の忘恩を、自分の忘恩をひれ伏してその赦しを懇願し、天主と隣人への愛ゆえに償うこと」だと思いました。
しかもこの償いの業は、おびただしい日本の尊き殉教者の耐えた拷問や、殉教ではなく、
「私たちの日々の務め、苦しみや困難、その全てを犠牲として償いとして、マリア様の汚れ無き御心にお捧げする」ことです。
シュテーリン神父様のお言葉:「朝起きるときに、自分は何者か?を思い出しなさい。自分はインマクラータの子供であり、奴隷であり、騎士である。隣人の救霊のために、この一日もすべてをお捧げすることを思い出しなさい。」は、毎朝、温かい布団からなかなか出れないときにも、私を助けてくれます(^_^;)

【2】また、小野田神父様のお説教と霊的講話では、列福されるユスト高山右近について、日本の殉教者について、
映画「沈黙~サイレンス」の背景にあるフェレイラ神父について、たくさんのお話を伺いました。

映画「沈黙~サイレンス」の予告篇を観て、感じたことを申し上げてもよろしいでしょうか(^_^;)
この映画は、人間の苦しみだけに焦点をあわせて、背教を勧めているのみならず、
日本のキリシタンに対しても、大きな誤解を与えているように思います。

昨年は聖ピオ十世会日本では、日本の尊き殉教者を讃え、その取り次ぎを願いました。
また秋田巡礼の10周年記念として、長崎秋田巡礼として長崎の各地を巡礼いたしました。
巡礼のパンフレットと2016年のカレンダーで日本の殉教の歴史と殉教者たちについて深く知ることができました。

数多くの文書記録(カトリック以外の外国人による記録もふくむ)では、キリシタンは清潔感があり、礼儀正しく、聡明で、貧富にかかわらず品格があり、柔和で愛徳があり、常に模範となる品行で、潔かったと書かれています。(映画とは全く異なっています) 
また迫害が起こる前に、日本にはすでに印刷機が持ち込まれて「マルチル(殉教)の心得」なども多数配布されて、キリシタンは霊的な準備をしていたそうです。死ぬことになっても天主を否まない。殉教でパライソへ参れる。日本の民の回心を願い、そのために自分の血も命も献げる。
そのために何十万人ともいわれるキリシタンは殉教していきました。キリシタンたちを聖なるミサと秘蹟、公教要理で養った司祭の方がた、ご自分の生き様をもって司牧した司祭、修道士の方がたのおかげでした。その司祭がた、修道者がたも、多くが殉教されてゆきました。

迫害の初期は、禁教のみせしめとしての処刑でしたが、潔く殉教するキリシタンたちのおかげで、逆にキリシタンに改宗する人が増えたので、幕府は方針を変え、拷問して転ばすことにしました。その拷問はあまりにも酷く、数多くの種類があり、戦慄を覚えますが、キリシタンは天主の御助けによりて、殉教者の元后なるマリア様の御取り次ぎで、雄々しく耐えぬき、殉教の栄冠を勝ちとっていきました。
たとえば、江戸の元和の大殉教では、将軍をはじめ、数千人の見物人がキリシタンの火あぶりをみせものとしようとしましたが、
50人全員が、苦痛の顔ひとつみせずに天をあおいで殉教していった姿に、驚愕し、あっぱれと讃えたそうです。
殉教での剛毅の徳は、天主からしか与えられない超自然の恩恵であり、天主に光栄を帰す奇蹟で、
自然法則を超えているため、天主を認めない人には理解も説明もできないと思います。
願わくは、日本人全てが真のカトリックとなりますように、日本の殉教者たちがお取り次ぎくださいますように!

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
日本の尊き殉教者、我らのために祈りたまえ。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

昨日は高山右近様の列福式おめでとうございました!
今までユスト高山右近の列福を求める祈りを、小学生の聖伝のミサを知る前からさせて頂いておりましたので、(一時期していない時期もあったのですが)高山右近様が亡くなって400年たった今、その列福の歴史を目の当たりにすると、とても感慨深いものがあります。デオ・グラチアス!

残念ながらご遺体は行方不明だそうですが、噂によるとマニラにあるそうなので、小野田神父様をお守り下さっているのかなと思います♪(o^^o)

御説教でも高山右近様のお話をして下さってありがとうございます。

イエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心を通して、高山右近様のような精神が私たちにも伝えられますように!そして日本の多くから高山右近様のような立派な聖人たちがたくさん出ますように!



【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 21人(内、子供2人)
女: 22人(内、子供3人)
計: 43人(内、子供5人)



【報告】講話の感想
アヴェマリア インマクラータ!

トマス小野田神父様

小野田神父様にユスト高山右近の講話をしていただき、わかったこと、もっと知りたかったことを簡単ですが、まとめてみました。

(わかったこと)

ユスト高山右近は大名という社会的にも相当高い位に位置していた人物でありながら、俗塵にまみれることなく、カトリック教徒として、その使命を全うしたという事実は、日本人として誇らしい気持ちになりました。
また、牧村利貞・蒲生氏郷・黒田孝高といったそうそうたる諸大名を強制することなくキリシタン大名に改宗させたということからも、その影響力の強さはしのばれますが、これはカトリックの信仰に深く帰依していたことによるものであり、天主様のご加護があればこそと思いました。
ユスト高山右近が福者に挙げられる今日的な意味は何かと思っておりましたが、本日の講話を伺う中で、ビジネスパーソンとしてのカトリック信徒のひとつの生き方を指し示しているようにも感じました。

(もっと知りたかったこと)

ユスト高山右近は現世的には成功者といってよいと思いますが、現世の成功は必ずしも永遠の生命に結びつくわけではなく、むしろ、往々にして、対立するものを含むと思います。そのあたりの葛藤はなかったのか、本人に聞いてみたいような気もしました。

いつもとても貴重な講話ありがとうございます!

デオグラシアス!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様 こんばんは!

先日は日本二十六聖人殉教者のための御ミサをありがとうございました。この日は「聖なる日本の殉教者巡回教会」で、「殉教者、聖ペトロ・バプティスタ、聖パウロ・三木等二十六聖人」のミサに与ることができるとのことで、数日前から二十六聖人殉教者に思いを馳せていました。二十六聖人がたは特別な恵みをいただいてこのような殉教を得たと教わりました。天国を望む恵みだったのだかなと思いました。神父様は、まだあどけない小さな子供を含む二十六人の殉教者の方々が 京都で見せしめのために引き回されたあと どのように800kmの道のりを喜んで殉教の地の長崎まで歩きとおし どのような聖なる死を遂げられたかを丁寧にお話下さり、殉教された一人一人のお名前を大切に挙げられて本当に心を込めて紹介してくださって、とても感動しました。一人一人の聖なる霊魂が私たちに 天国から微笑みかけていたかもしれません。

この聖人の方たちは、カトリックの信仰が 永遠の命を得るためにこの世の生活があること、そしてそのこの世の価値や名誉などが永遠の命に比べたらどれほど相対的な価値しか持たないものであるかということを、よく理解していたということでした。それを考えると 私はいったい 永遠の命を得るための努力を いまどれほどしているか 危ういと感じました。もっと真剣にならなければと反省いたしました。
 
日本の殉教者の初穂としての聖人がたは、いまこの時も天国から日本のカトリック信者の様子をご覧になられていらっしゃることでしょう。それに彼らは日本人だけではなく、外国人も含まれていたということ、・・・今の日本の状況もたくさんの国籍の方々とともに住んでいます。取次ぎを祈って、永遠の命がカトリックの信仰にとって最も大切なものであるというクレドの真の意味をもっと良く理解する恵みをいただけるようにと祈りました。なぜこの東京の教会が「日本の聖なる殉教者巡回教会」いう名称を御摂理で与えられたかよくわからなかったのですが、少し感じるものがありました、ありがとうございます。

また 午後の公教要理では、7日今日列福されたユスト高山右近のことをお話しいただきました。11歳で洗礼を受けてから62歳にマニラで客死されたユスト高山右近の生涯とその時代背景を初めて知ることができました。ありがとうございました。戦国時代の日本において まるでアシジの聖フランシスコのようにこの世の富と栄誉を捨てた場面のことや、領民たちがカトリック信仰を持つ慈愛深い城主によって幸せになり自分たちもカトリック信仰を選び長くその信仰が子孫に受け継がれたということ、が印象に残りました。そのようなことをこれまで知らなかったので、ユスト高山右近という方の生きざまが本当にカトリック信仰を持つものとしての生き方であったということ、そのような人が日本に生きていたということを知ることができてとてもうれしく思いました。熱病にかかっての死であったとしても、その生涯は迫害を受け続けた長い殉教の信仰生活であったということを感じさせられました。また、時代背景などのお話で プロテスタントが起こった1517年以降のことであるということも、プロテスタントの国との外交上のことがキリシタン禁令など どれほど影響したのかということもすこし推察することができました。ありがとうございました。

パードレの当て字として使われた伴天連という言葉は「天国に連れて行ってくださるかた・伴ってくださるかた」という意味になるよい当て字とのこと 当時のカトリック信仰がどのようなものか少し伺われたように思います。ファチマのマリア様は 天国に行くことがこの世に生まれて生きる目的であることを 三人の子供たちに思い出させてくださり そして聖寵により深く強く望ませてくださった と教わりました。あの16世紀の日本においてカトリックの信仰が身分の高い人にも庶民においても広まったのは、永遠の命を与えてくださる御方のことをパードレたちが命を懸けて熱心に述べ伝えたからなのでしょうか。また 日本二十六聖人殉教者・福者高山右近の聖人たちは 今この聖なる日本の殉教者巡回教会で与るミサと全く同じミサに 与っておられたのでしょうか。そして当時のカテキズムは 聖ピオ10世教皇様の公教要理と同じ内容なのでしょうか。

至聖なるイエズス様の聖心と汚れなき聖母マリア様の御心により頼み、私も聖なる望みを持つことができますよう お祈りいたしました。

デオ・グラチアス!

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