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「助産婦の手記」29章  『われ立てりと思う者は、倒れざるよう注意せよ』

2020年08月21日 | プロライフ
「助産婦の手記」

29章

村からたっぷり半時間かかるところに、大きな堂々たる「森のお屋敷」がある。広い素晴らしい野原、緑したたる牧場、その上では、いま秋には見事な牝牛や若い家畜が群をなして草を食んでいる。私有の森さえも、その傍らにある。かつては、この森のお屋敷は、若い人たち全体の興味の中心点であった。そのお屋敷では、男の子はなく、ただ二人の娘さんが成長しただけであった。その娘さんたちと、私たちは、かつては学校友達であった。そのブライテンバッハ家のグステルとテレースとが、その森のお屋敷で結婚適令期に達したときには、求婚者が遠近から現われた。なぜなら、そのお屋敷は、南ドイツ的観念によれば、素晴らしい資産であったから。しかし、グステルは修道院にはいって、看護婦になった。そして、テレースは、なかなか婿選びの決心がつかなかった。

彼女は、遠近きっての一番金持の娘であった。そのことを、彼女はあまりにもよく知っていた。彼女は、全く高慢ちきで、選り好み放題にすることができた。夫たるべきものは、徹底的に彼女の要求の全部を満たすものでなければならなかったし、彼女のあらゆる希望と気まぐれに、如才なく応じる要領を心得ていなければならなかった。求婚者を、もがかせることは、彼女に、ひそかな楽しみを与えた。『糸の先きで操り人形を動かしているように、私は一本の指ごとに、一人の男を動かしているのよ。』と、彼女は友達連中のところで自慢した。いや、彼女は急いではいなかった。非常な金持の娘――そのようなお屋敷を持つ娘――といったような、そんなに人から求められ、熱望される代物は、求婚者なしには、いなかった。彼女は、ますます高く頭をもち上げた。

そして彼女は、自分もとうとう三十に近づき、そして三十を越えるようになったことを、全然見のがしていた。すべてのものには、時機がある。求婚するにしろ、求婚されるにしろ、同様である。次第に求婚者は、来なくなった。幾分か利巧な若者は、嫌気がさした。今では、ただ数人の持参金目当てのもの、他地方からの年寄りの求婚者、子供連れのやもめ男、ある破産した貴族といったようなものが現われるに過ぎなかった――しかし、人生の高杯(たかつき)に残ったこの黴(かび)の生えた滓(かす)のような人たちを、高慢なテレースは、その当時、もちろん、きっぱり断わった。今や彼女は、頭をもっと高く持ち上げ、そしてもし自分が欲しさえすれば、いつでもお婿さんを得ることができるであろうということを意識して、嬉しがっていた……彼女は、男なんか一人もいらないという、男性軽蔑婦人の役割を非常に巧妙に演じた。彼女は、経営に身を投じ、農業学校に入った(このことは、戦争前には、当地では、婦人としては全く異常な事柄であった)。そして時代に適合した改革を採り入れ、自分の農場を立派な模範農場とした。このようにして、彼女は、男たちに対しては、横目一つ使うこともしないで、ただひたすら働いた――それは、彼女の両親がわずかの間に、相次いで死ぬまでつづいた。
今やテレースは、そのお屋敷をただ一人で所有した。そのことは、悪かろうはずはない。彼女は、お屋敷を思う通りにすることができた。下男と下女、乳しぼり人と牧童、馬係りの男と刈入れ人、家畜商人と穀物仲買人も、簡単に彼女の意のままになった。だが、本当に悪いことは、寂莫と孤独であって、それは今や彼女の心を虫ばんだ。機を逸した幸福、ゆるがせにした機会が、彼女を悲しませた。

彼女は元々、処女的な堅い一大決心をもつて、主キリストのものたらんと志したわけではなかった。彼女は、結婚の機会を逸した後の、この危険なときに、困難の中から一つの德を身につけようと決心することもなかった。さらにまた、今でもなお、真面目に一生の伴侶を探そうと決心することもしなかった。もし彼女が、過大な要求を引っこめさえするなら、まだ然るべき男を見いだすことは、恐らく可能であったであろう。彼女は、全く自分自身の奥底を見拔かなかった。心の中の不調和と憧れとを、はっきり見すえなかった。自分自身が何であるかということを、正しく認めることもせず、そして偽善的な正義感をもって、人間界の右往左往を遙かに超越し、お高くとまっていた。

私は二三度、彼女の生活が正しい内容を持つことができるように、すなわち、愛し保護する何ものかを持つようにするために、どこかの子供をお屋敷に引き取ることを彼女に勤めようと試みた――しかし彼女は、それを聞き入れなかった。彼女の、そんなに愛に飢え、そして空虚に感じた心には、内面的調和が欠けていた――しかも、彼女は高慢のため、そのことをよう言い切らなかった――

さて、一人の若い下男が、そのお屋敷へはいり込んだ。年は十八で、旅をして廻るある籠作りの子であった。十人きょうだい中の最年長だった。大胆で、狙いを外ずさず、勝利の自信に満ちた奴で、若くて、徹底的に無軌道であり、信仰も良心もなかった。シャッを着ず、ズボンには穴があいており、靴には靴底がなかった。彼は、名優のように、家出息子が父の家に、母の心臓へ帰って来たような役割を非常に上手に演じることに成功した。その際、彼は、所作が敏捷で巧妙であり、そして驚きと感歎とに満ち、眼を非常に大きく丸く見開いて、その女主人を眺めたので、彼女の心は、いやが上にも暖かくなった。
『あの可哀想なお馬鹿さんに、うんと食べさせておやり。』と、彼女は下女に言いつけた。間もなく、その若者は、台所に間食にやって来て、特別なパン切れにありついた。やがて彼女は、彼のために、ソックスを編み、シャツを縫い、ズボンの穴を繕ってやった。その若者は、晚おそく、仕事の後でやって来て、今度はまた、一つの新しい態度を示した。そこに留まって、テレースと共に晩の食事をし、彼女の手に、馴れなれしくキッスした。『お母さん』と、数週間後には、早くもこう話しかけた。最初のうちは、皆のものは、この大胆な若者を笑った。しかし間もなく、召使たちは頭をふって、ささやき合った。『もし、古い穀物倉に火が燃えつくと……』幾ばくも経たないうちに、テレースは、夜になって、煉瓦ストーヴの周りのどこかに、その大胆な若者の眼が輝いていないときには、何か物足りないような気がした。そこで、もし彼が村の居酒屋へダンスや娯楽をしに行ったと聞くと、深い嫉妬が彼女の心に燃え、そのために彼女は落ちつかずに、部屋を行ったり来たりした。多分、いま頃は、彼は、めかしこんだ若い女たちの間に取りかこまれ、しかも恐らく、その女たちに誘惑されたかも知れない――それに反して彼女は、ひとり淋しくここのストーヴのそばに坐って、待っていたのだ……しかし、彼女は、今なお自分が、どんな状態にあるかということに気がつかず、そして、それはただ、自分の言うように、大きな子供に対する母親としての関心に過ぎないのだと、自分自身に言い聞かせた。実際は、彼は全く狡猾な曲者(くせもの)であった。彼は汐時(しおどき)を正確に知り、そして、ちょうどよい頃合いを利用したのであった。

四旬節の前の日曜日に、彼は新しい洋服を着こんでいた。『お母さん、僕は村に行ってこようと思います。なぜ、あなたはいやな顔をなさるんですか?』
『私は、お前を居酒屋には、全くやりたくないからです。そこにはお前のような若いものの為になるものは、一つもありません。今頃の娘たちは、とても悪いんですよ。』
『お母さん、僕はキッスをせねばならないんです。少しばかり愛が必要なんです。生れてから、そんなものは一つも持ったことがなかったんです。きょうは、ブドー酒を一ぱい飲まねばならない――コーヒーばかり飲んでいるのは、一週間で沢山だ。僕は全く若いんだし、それに、時は過ぎて行ってしまうんです。』
『きょうは、ここにいてもいいでしょう。いつの日曜日も、私は独りぼっちでいなくちゃならないの?』
『もし僕があなたにキッスしていいんなら、まあここにいますよ。でもあなたは、きっと僕を家から追い出しますよ――なぜなら、あなたはそんなに善いお方だから――いや、善くはない。僕は愛が欲しいんです――恋人の――お母さんの――僕にとっちゃ同じことだ! だが、少しばかり愛を……』
そして彼は、彼女の首を強く抱きしめ、キッスした。ほほに、口に……
もし、古い穀物倉に火が燃えつくと――そのときには大火事になる。

その二人は、カーニバルを自宅でやった。カーニバル。四十七歲で、これまで独身だった女と、十八歲の下男、旅人の子、狡猾な、狙いの確かな放浪者と。彼らのカーニバルは、復活祭が過ぎても続いた。それから村中が、そのことを知った。というのは、その若者が、居酒屋で、自分はあの森のお屋敷をポケットの中に納めているんだと自慢したからである。あまり長く経たなくても、人々は、金庫の金の減りようで、前途に見切りをつけた。召使われている人たち、下男と下女、馬係りと乳しぼり人は、相次いで暇を取って立ち去った。彼等は、もはやそこに留まっていようとは欲しなかった。

聖霊降臨祭に、私は思い立って、テレースを訪問した。それは村の噂が、どれだけ本当であるかを見きわめ、そして露骨に言ってやろうと思ったからだ。私は、口から口へ伝えられた事柄を信じることはできなかった――しかし、その御両人が本当にお八つを共にしていたのを見たときには、少なからず驚いた。母と息子のように? いな、もっと違ったものであった。私は今や、問わずして十分に知った。人は、時と共に、ある事柄に対する眼力を得るものである。で、テレースは、従来の様子と違って、非常に奇妙に円々(つぶつぶ)【肥え太っているさま】として来たように思われた。おお天主よ――まさかそうではあるまいが……
その若者が、ちょっと席を外ずしたひまに、私は話をその方に持って行った。彼女は笑った。『オールド・ミスの脂肪が乗ったのですよ。それは、年を取ると来るものです。私はいま、更年期にはいったんですよ……』
『いつから?』
『そう、カーニバルの頃が最後でした。』
『でも、テレースさん、医者に見ていただきなさいよ。あなたは、まだ終ってはいないんでしょう――御存知なの、あの若者が居酒屋で、とても色んなことをしゃべり散らしているのを……』
彼女は、不意の驚きで真っ青になった。『何をあんたはまた考えるんでしょう? そんなことは、私の年ではありっこありませんよ。何だってあの連中は、直ぐひとを中傷するんでしょう?』
『とにかく、あなたは、ぜひ医者へ行くべきです。長い間には、往々病気も起って来るものです。私は、もう言わねばなりませんが、全体、あなたは私の気に入らないんですよ。』
十月に、私は森のお屋敷へ呼ばれた。それは、遅すぎた。四十八歲のその婦人は、もはや子供を分娩できなかった。筋肉が堅く、こわ張っており、骨はあまりしっかりと癒合していた。靱帯と関節は、もはや伸びなかった。もちろん、彼女は医者へ行かず、また用心もしていなかった。私は、直ちにウイレ先生を呼びに人をやった。ところが、先生は医師会議のため旅行して不在であった。そこで、医者のマルクスを呼ばねばならなかった。そして彼は、私の怖れていたこと、すなわち、穿孔手術を施すことに決めた。帝王切開は、もはや不可能であった。また医者は、帝王切開を私人の宅で行うことは、原則的に拒絶した。
穿孔――それは、私たちが職業上、経験せねばならぬ最も恐ろしいものである。有難いことには、穿孔は今日では非常に稀れになった。それは助産に関する進歩と、婦人の知識が進んだことによるものであって、婦人たちは異常な場合には、大抵間に合うように病院へ行くのである。
穿孔。医者のマルクスが子供に死の宣告を下したとき、私は言った。『それでは私は、赤ちゃんが死なないうちに、洗礼を授けることにしましょう。』 私は、いつも用意している消毒水を取り出して、母胎にある子供に洗礼を施した。一切の消毒規定を忠実に守りながら。これを見て、医者は靴の踵で回転し、サタンのように笑った。『そう、子供の霊魂に、天国行きが保証されたからには、土中の虫どもに、餌を与えてやろうじゃないか!』

翌る朝、薬剤師が私に尋ねた。『あなたは一体、森のお屋敷で何をなさったのですか? 村中のものは、そのことを嘲っているのです。そんなに大騒ぎしなくてもいいんでしょうがね……』
『非常洗礼を、ある可哀想な赤ちゃんに授けてやったのです。衛生的に、そして規定通りに。私はあのマルクスさんがやるよりは、とにかく、もっと非難の打ちどころのないように、そして、もっと清潔にやりました。私のした子供の洗礼で、母親の死んだことはまだないんです――あの医者は、もっと口を慎まねばなりませんね。』
村の真中の居酒屋のところに、二三人のものが一緒に立っていた。私がそこを通って行くと、その中の一人が私に呼びかけた。
『我々は村会で、消火ポンプを調達することにしましたよ! あんたは、今度また何か起ったら、それを取りに来させていいですよ!』
まわりに、大笑いが起った。しかし私は静かに答えた。
『私は、敷布団で作った籠に、海草を一杯入れたのを、まだ一つ穀倉の上に置いているんです。それを、あなた方に差上げましよう。それは、村会が、自分自身に関係のない事柄について話をしないように、その大きな愚かな口を塞いでしまうに足りるでしょう。』
そこで嘲笑の言葉は、終りとなった。そして私は胸がすっとした。彼らは、またもや、リスベートには歯が立たないことを知った。
使徒聖パウロが、『われ立てりと思う者は、倒れざるよう注意せよ』と言ったのは、いかに正しいことか! 実際、人間は、いくら年を取っても、馬鹿なことをしないということは決してない。そして転落する危険は、もはや自分にはないだろうなどと、決して信じてはならないのである。――このことは、私がここで述べた最後の二つの出来事が、私の心に永久に刻み込んだのである。





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