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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記:13.2.1.「実りある中道」を探して

2009年09月13日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者

II. 苦悩と希望の間


 たとえ公会議会場で信仰のための闘いに跳びこんだりしても、大司教はたびたび活動をやめて自分の個人的な思想が盛られた文を好意的なジャーナルやはなはだしくは聖霊会総合会報(General Bulletin)にまで寄稿した。その文を見れば公会議の作業に対する彼の教えと苦悩と希望の間を行ったり来たりする気持ちが盛られている。ルフェーブル大司教は 二次元的な人物ではなかった。彼は否定的なことを見ても、肯定的なことを探そうと労力したりする人だった。


「実りある中道」を探して

 「典礼に関する憲章」の宣布があった第二総会に引き続き、ルフェーブル大司教イティネレール(Itineraires)誌 [Itineraires N. 81. mars 1964, 28-41] で「ペトロの後継者の行動の元」における状況に対して総括的に説明した。彼は「憲章の適用を自分勝手にあらかじめ先走る」権利が自分にあると思ている者たちを咎め、パウロ六世を非難しなかった。そうではなく、大司教は「司祭たちによる典礼の即席化よりもっと悪いことは大っぴらな不従順の悪習と悪しき模範である」と考えていた。

 聖霊司祭修道会の総合会報で、ルフェーブル大司教は修道会の会員たちに、計画された改革は本質的な要素を維持しているようであると説明している。「聖なる典礼に関する憲章(Dacrosanctum concilium)」はラテン語もグレゴリオ聖歌も廃止することなど問題外である、よって -- そしてルフェーブル大司教の基本的な態度は次のようだった -- ローマを信頼し、ローマの命令に厳格に従順でなければならない。この命令が改革の規範が合理的な適用を保証するからだ。

 こうは言いつつも、会報の中で大司教は公会議の憲章の弱点、及び憲章の裏面にある危険な精神を隠さなかった。

「典礼を使徒職の道具に下げ落とし、典礼をもはや天主に対する公式的な礼拝且つ賛美であると考えないということは、典礼を過小評価することではないだろうか?」

 これによって、「典礼の軽視」を誘発し「信者たちのうちで精神と宗教の精神とを減少」させることになる、と。

 1965年 6月、改革のまっただ中にありながら「実りある中道」を探そうと努力し、そんな路線が果たして見つかるのだろうか?と自問した。

 ルフェーブル大司教はミサの最初の部分、言い換えると「求道者のミサ」とオッフェルトリウムから始まる固有な意味でよりいけにえ的であるミサ (信徒のミサ) の部分との明らかな差を認識した。

「信者たちを教えるために作られたミサの最初の部分は、・・・更に明らかにその目標を果たす必要がある。司祭は信者たち近づき、彼らに語りかけ、彼らと共に祈り、歌うことが、聖書朗読台で行われ、彼らの言葉で祈願や書簡と福音朗読もなされるように。」

 しかし、ミサの二番目の部分については、ルフェーブル大司教は祭壇で為されるべきであり、またラテン語で小さい声で唱えることが保存されることを望んだ。

 ミサの第一の部分に関するこの高位聖職者の広い視野は興味をそそる。ルフェーブル大司教は、聖書の朗読と説教とが、犠牲に信者たちを準備させるにあって必要不可欠だと考えている。もちろん、オッフェルトリウムとミサの典文とは、このいけにえの難攻不落の要塞として残るべきである。

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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言

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