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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記:13.2.2.「私は、余りにも楽観的すぎた」

2009年09月14日 | ルフェーブル大司教の伝記
「私は、余りにも楽観的すぎた」

 ルフェーブル大司教は、公会議の幾つかの概要の背後に息づいている精神に対して次のように峻厳で明快な判断を表明している。すなわち、彼が 1964年に言ったように「[公会議文書には] 断絶の精神及び自殺の精神、カトリックではないエキュメニズムの精神、カトリックの教義を歪曲させようとその未知の手を使う雄羊となった理性一本主義者のエキュメニズムの精神」である。

「公会議教父たちのきわめて正当な望み」は、「大部分の教父たちが決して考えたこともないような」命題を承認させるために「彼らの知らないうちに、或る特定の教父のグループあるいは顧問たちによって」利用されたかのようであった。

 大司教はまだその時は公会議自体を告発するのを拒んだ。その代わり公会議に寄生しながら真の目標から離れて無関係の目的へと道を誤らせている反精神を攻撃した。

 第四総会以前の 1965年に、ルフェーブル大司教は教父たちに毒を盛って討論に影響をかける「世論という現代世界の新しい教導権」を告発した。どれだけ多い調整案が「その新しい教導権に一致しないかもしれないという恐れによって」震えながら作成されたち、承認されたことか!

 しかし大司教は楽観的だった。

「これは、教会の教導権以外の一つ別の教導権である。公会議総会を閉会する教皇たちの訓話、教皇たちの発言などは、このことを確かするだけである。しかし、ペトロの後継者のペルソナにおいて、教会はまだ聖伝的な教導権を新しい教導権で取り替えることもしなかったし、ローマ教会もそうしなかった...。大部分の枢機卿たち及び特にローマ教皇庁の枢機卿たち、そしてローマにある教会の枢機卿たちは、この新しい教導権の支持者ではない。カトリック教会の教義に対立反対する司教団体主義も、悪しく理解された信教の自由も、成功することはないだろう。」

 ずっと後になってようやく、公会議の間に書かれた文をまた読み直しながら、大司教はこう言うだろう。「私はその時、公会議と教皇とに関して、あまりにも根拠のない楽観主義を抱いていたことを、今は認識している」と。


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