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2017年8月6日(主日) 御変容のミサ 「主の御変容とファチマ」

2017年11月05日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年8月6日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。

2017年8月6日(主日)私たちの主イエズス・キリストの御変容のミサ
小野田神父 説教


聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2017年8月6日、私たちの主の御変容の祝日を祝っています。
このミサの後に14時からは公教要理の勉強があって、聖書の背景となる、ポンシオ・ピラトとは一体誰だったのか、あるいはローマ総督とは一体どういうような人だったのか、なぜユダヤにローマ総督がいたのか、等という話の続きをしたいと思っています。
いつも話が長くなってしまうので、晩課の時間を守る事ができるように、14時から始めようと思っています。16時からは晩課があります。

明日は朝の7時からミサがあります。

8月は残念ながら、ファチマの国際巡礼にどうしても参加しなければならないという命令を受けたので、本当ならば皆さんの為にミサをしたいところを、巡礼団を引率してファチマまで参ります。

そこで8月は2回目のミサはどうしてもする事ができなくて、次は9月の最初の主日と第2主日です。このミサの会場の為に、第1・第2主日となっています。お間違えのないようになさってください。

ファチマに巡礼に行った時には、この前みなさんの名前が印刷された後、更に付け加えた名前をもう一度タイプで印刷して、それを大阪の方々の名前と一緒に、この金属のハートの形のマリア様の御心の中に入れて、それをファチマに持って行こうと思っています。そしてファチマのマリア様の前に、私たちの心からの奉献をお捧げしたいと思っています。どうぞ良いファチマ巡礼になるようにお祈り下さい。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は主の御変容の祝日です、8月6日。

そこで、主の御変容の祝日というのは一体何で8月6日にあるのか?主の御変容というのは何回もあるのではないか?そこで主の御変容とは一体何が起こったのか?という事を黙想して、

では2017年に私たちに一体、主の御変容というのはどのような意味があるのか、イエズス様は私たちに何をなさろうとしているのか?という事を黙想して、

最後に今回の、今日の主日の祝日の遷善の決心を立てたいと思います。

実は主の御変容についての聖書を読む、ミサの時に読むというのは典礼上3回あるのです。1つはローマの典礼で、非常に古来からあった四旬節第2主日のミサの中で、この主の御変容が読まれます。それのみならず、主の御受難の直前のミサでも平日のミサですが、そこでも主の御変容の記事が読まれます。

そればかりでなく、1456年に実はイスラム軍がトルコ軍が、ヨーロッパに侵略してきた時がありました。それをベオグラードの近くで防御して、それに打ち勝ったのが実は1456年8月6日、今日の事だったのです。そこでこのキリスト教世界が守られたという事を記念する為に、教皇シクスト三世がこの祝日を、今までは随意ミサ、ローマ典礼では随意ミサだけだったのですけれども、それを大きな祝日に変えました。

何で8月6日なのかというと、これはローマ典礼の四旬節第2主日と深い関わりがあります。

なぜかというと聖伝によると、「私たちの主イエズス・キリストが御受難の前に御変容なさった、3人の弟子たちを連れて変容なさったというのは、十字架に付けられる40日前だった」と伝えられているからです。

そこで典礼では、40日の事を4週間として、聖金曜日の前の4週間、4つ前の主日、すなわち四旬節の第2主日を主の御変容の日として祝ってきたのですけれども、なぜ8月6日かというと、これは9月14日に主の十字架の称賛の日があります。これは聖ヘレナがエルサレムで十字架を発見した、そしてその十字架の聖遺物がコンスタンティノープルに運ばれた、等というその色々な歴史上の経過によって作られた記念された日ですけれども、それの40日前という事で8月6日が選ばれています。イエズス様の十字架と主の御変容というのは深い関わりがある、という事を私たちに典礼は教えようとしています。

一体この御変容では何が起こったのでしょうか?

私たちはそれを色んな観点から、角度から、色々考察したり黙想する事ができますけれども、今回は1つだけそれを絞って、「イエズス様が光に包まれていた」という事を一緒に黙想したいと思っています。

光に包まれていたイエズス様の服は、真っ白い雪のように輝いていました。お顔は太陽のように燦然と輝いていました。聖トマス・アクィナスによると、「そのイエズス様のこの光り輝いたこの様子は、天主の栄光が現れたものだ」と言います。つまり、遂には私たちが受けるべき復活の栄光なのです。

ただ本質上は復活の栄光ですが、「それのモードが、あり方が少し違っている」と言います。どのように違っているかというと、復活した霊魂は復活体は、霊魂が天主の本性と分かち難く、永遠に離れる事のないように一致しています。そして「その霊魂が天主の光に満たされて、天主の光に満たされた霊魂から湧き上る、その余分な光が体から溢れ出るのが栄光の光であって、そしてそのような栄光体には4つの特徴がある」と教えています。

「1つは、体が輝き出す事。第2は、この体が非常に精細となって、どこでも壁を通してでもどこでも自由に移動する事ができる。また、俊敏であって、例えば水の上でも歩いたり、あるいはあっという間に移動する事ができる。そして最後に、苦しみを受ける事ができない、という4つの特徴を得る。」

これはイエズス様が御復活された時に、4つとも私たちに見せて下さったのですけれども、「そしてこの4つは決してなくなる事がない。ちょうど稲妻が、光りがない稲妻がないように、あるいは太陽というのはいつも輝いているように、必ずその4つの特徴を失う事がなく持っている。」

ところで、「イエズス様の御変容の時には恒久的に常駐的にあったのではなく、一時的にあったものだ」と言います。「ちょうど空気が太陽で照らされると、ちょうど太陽で照らされた間だけ明るくなるけれども、太陽が沈んでしまうと暗くなる、というように、イエズス様がその時だけ特別に、自分の天主性を肉体に輝き出させたのが御変容だ」と言います。

イエズス様がそのように、特別に御自分の天主である本性を使って、奇跡的に天主であるという事を見せた事が3回あります。1つは御変容であって、もう1つはイエズス様がクリスマスの時に御誕生になる時に、マリア様の体を傷付ける事なくお生まれになった事、あるいは海の上を歩かれた事などです。

しかしイエズス様は生涯、「苦しみを受けない」という最後の復活体のしるしだけは、それは手放す事はありませんでした。なぜかというと、イエズス様の御変容というのはすなわち、ついには御受難と関わっていたからです。天に現れた二人の証人モーゼとエリアは、イエズス様について、「イエズス様と御受難について話していた」と聖ルカは書いています。

このような光をもって弟子たちを光で包んで、そして天主御父の声が聞こえてきました、「これこそ我が愛する子。彼に聞け。」このビジョンのあとで、すぐに全ては普通のようになったのですけれども、では2017年に私たちには、どのようなこの御変容の意味があるでしょうか?

私の想像では2017年には、このイエズス様の御変容のスーパーバージョンが皆さんに準備されているのだと確信しています。そのスーパーバージョンというのは何かというと、今から100年前にあったその事です。マリア様がファチマで子供たちに現れて、子供たちを天主に光の中に3回包む事があります。5月13日と6月13日と7月13日です。子供たちは、「自分たちが光の中に包まれていて、天主の中に生きている」という事をしみじみと実感します。

特に重要だったのが6月13日のビジョンでした。マリア様は子供たちに、ご自分の汚れなき御心を見せました。それはイエズス様の聖心と同じ、受難の御心でした。茨の冠を被せられて、そして剣で刺し貫かれている、炎の燃える十字架でした。マリア様は非常にお悲しみになっているご様子で、マリア様は一言も仰いませんでした。御心のビジョンにおいては、それに関わる事はおっしゃいませんでしたが、子供たちはすぐに、「それがマリア様の汚れなき御心だという事分かった」と言います。

マリア様の汚れなき御心に対する特にそれに関する事は、数年後のトゥイという所でイエズス様が仰っています、「私は、」イエズス様の聖心は「燃える願いを持って、この御心に対する信心を地上に確立する事を望んでいる。」イエズス様は言います、「なぜかというと、この御心こそ、私からの恵みが溢れる泉であって、霊魂を私に引き寄せる磁石であるから」と言います。

これをこのイエズス様の御言葉と、マリア様の光とその御心を見て、3人の子供たちがそれの証人となったところを見ると、ちょうどタボルの山でのイエズス様の御変容とピタリと重なるように思われます。しかも3回もこのマリア様がお見せになったという事は、典礼で3回この話が出るというのと似ているなぁとも思います。

これを見ると、21世紀の私たちにおいては、二重の光で私たちを満たしたいのだと理解できます。一つはイエズス様の、天主からタボル山の御変容の光が私たちを満たし、そしてファチマのマリア様の汚れなき御心の光で、これもやはり天主の光ですけれども、それで満たし、何とかして私たちを天国に導きたいのだと願っているのだと思います。

タボルの上では天主御父は、「イエズス様に聞け。彼の言う事を聞け。これは私の愛する子供だ」と言いますけれども、イエズス様は私たちに、「マリア様は私たちの母だ、お前たちの母だ。このマリア様の汚れなき御心に対する信心を実践せよ。それを強く望んでいる」と言っています。

では最後にどのような決心を立てたらよいでしょうか?

マリア様は初土の信心を7月に仰いました。7月13日に、今から100年前に。

私たちは普通ここでは、月の最初の主日にミサがあるので、たとえ初土曜日ではなくても、その代理としてどうぞ、月の最初の主日に御聖体拝領・告解をなさって、できれば土曜日の日に黙想などロザリオを唱えていて、そして土曜日にはできない聖体拝領と告解は、ぜひ主日になさって、その信心をなさってください。特に罪の償いの為に、マリア様に対して犯される罪を償う為に、罪人の回心の為に、多くの霊魂が救われるように、多くの霊魂が変容の栄光まで至る事ができるように、お祈り致しましょう。

また今日第2に、そして最後に提案したいのは、私たちがこの初土の信心を、マリア様に対する信心を行う事ができる為にも、私たちもマリア様に倣って光輝く、私たちの終の究極の目的にたどり着く事ができるように、マリア様にますます倣う事に致しましょう、マリア様に対する信心をどうぞ深くなさってください。

8月15日はマリア様の被昇天の大祝日です。マリア様がついに栄光の光を受ける、その瞬間の時です。ちょうどよく計算すると、今日から9日間の後がそうです。ノベナを今日から始めるのはどうでしょうか。そしてそれをする事によって私たちがついに、マリア様とイエズス様の光の中にいつの日か入る事ができるように、お恵みを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-11-09 22:30:32
もし、神父様がご存知ならば教えていただきたいのですが、

ここの「信心の園」のサイトの<聖アルフォンソ・リゴリオが伝えられた例>として「聖アルフォンソ・リゴリオ 聖母マリアの栄光」に載っているエピソードの主人公の「リシャール」なる人物とは
http://hoarun.web.fc2.com/hell.html

こちらの徳川幕府時代の「元和の大殉教」のリストにある
http://www.pauline.or.jp/kirishitanstory/kirishitanstory23.php

*4 リカルド(リカルド・デ・サンタナ)[1585-1622.9.10]
 日本205福者殉教者の1人。フランシスコ会司祭。

・・・と同一人物でしょうか?
どちらも「1604年」「フランシスコ会」という共通点があったので気になりました。
「フランダース地方」(フランドル地方)はベルギーをも含むと言いますし、後者の「リカルド」は「Recard」と書くようで、南部ベルギー・ワロン語(フランス語系)などでは「リシャール」とも読めそうなので。
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福者「聖アンナのリカルド」 (Fr Thomas Onoda)
2017-11-21 12:59:32
アヴェ・マリア・インマクラータ!

Rev. Eugene Grim が編集した The complete works of Saint Alphonsus de Liguori の
Volumes VII and VIII in One
The Glories of Mary
p 230
によると

ベルギーのHainaultの、
アム=シュル=アール Ham-sur-Heure の教会には、聖アンナの福者リカルド(リシャール)の御影が飾ってあるそうです。

そこには、

アム=シュル=アールで1589年に生まれた聖アンナの福者リカルドは、1605年4月13日ニヴェルでフランシスコ会(レコレクト)Ordo Fratrum Minorum Recollectorumで誓願を立て、フィリピンで司祭に叙階されたのちに、長崎で1622年9月10日に火で焼かれて殉教したと書かれています。

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