マリア・テレジアさんの埋葬についての説教
ドモルネ神父さま
マリア・テレジアさんの埋葬レクイエム・ミサを捧げています。小野田神父様が2020年12月、マリア・テレジアさんに最後の秘跡を授けました。私たちは、マリア・テレジアさんが死後の裁きを受けるために、私たちの主イエズスに会うべき正しい心構えにあったと確信しています。今日、私たちはミサを捧げ、もしマリア・テレジアさんが今、煉獄におられるのであれば、一刻も早く煉獄から解放されるように祈ります。この埋葬の機会に、死という現実を思い起こしましょう。
死は私たちに必要な終わり
マリア・テレジアさんは106歳でした。100年以上…この世でそんなに長く生きられると本当に思っている人は、きっと誰もいないでしょう。しかし、どんなに長い人生にも、死という終わりが来るのであり、これはみんな同じです。聖書の次の言葉を、思い起こしましょう。「アダムの一生は930年であった。そして彼は死んだ。セトの一生は912年であった。そして彼は死んだ。エノシュの一生は905年であった。そして彼は死んだ。ケナンの一生は910年であった。そして彼は死んだ。マハラレエルの一生は895年であった。そして彼は死んだ。エレドの一生は962年であった。そして彼は死んだ」(創世記5章5-20節)。私たちは、どんなに長い人生であっても、最後には死ぬのです。
特に若いうちは、自分の死という現実を忘れてしまうかもしれません。宗教を人生の付属物と考え、真剣に気にするのは老後だけでいいという、誘惑に駆られるかもしれません。その結果、天主に最小限の時間しか捧げず、仕事、家族、社会活動、娯楽に忙殺されることになるのです。そんな、この世的な考え方と、霊的な生ぬるさのせいで、私たちは、聖徳を実践するのを怠ることになり、簡単に罪に陥るのです。福音の中にある、私たちの主イエズスの警告を思い起こしましょう。一生懸命に働き、この世のことに非常に積極的な金持ちがいて、こう言いました。「『魂よ、おまえはもうこれから長い年月を過ごせる多くの財を蓄えたから、休め、飲め、食べよ、楽しめ』。ところが、天主はその人に『愚かな者よ、おまえの魂は、今晩呼び戻されるのだ』と仰せられた」(ルカ12章19-20節)。
今日、マリア・テレジアさんの死は、どんなに長い人生でも終わりが来るということを、私たちに思い起こさせてくれます。この世での私たちの人生は、永遠と比べれば、とても短いものなのです。聖書の中で、ヨブは、こう言っています。「思い出したまえ、私の命は息吹に過ぎないことを」(ヨブ7章7節)。また、聖ヤコボは、こう言っています。「あなたたちの命とは何か。あなたたちは、しばらく現れて、瞬く間に消える湯気である」(ヤコボ4章14節)。私たちはいつか死ぬのですから、その覚悟をしておかなければなりません。
死を思い起こすこと
霊性の大家たちは皆、しばしば死を思い起こすように、と勧めています。これは、この世の精神や、霊的な生ぬるさをすべて振り払い、三つの情欲という錯覚を払いのけ、ありのままの現実を直視するための強力な手段です。その現実とは、天主と永遠です。イエズスは、こう言われました。「天地は過ぎ去る、だが私の言葉は過ぎ去らぬ」(マテオ24章35節)。
この世と私たちが持っているものは、消えてしまいますが、私たちの死後のイエズスによる裁きは永遠に続きます。「父の祝せられた者よ、来て、世の始めからあなたたちに備えられていた国を受けよ」、あるいは「呪われた者よ、私を離れて悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ」(マテオ25章34、41節)です。
死を思い起こすことは、私たちが悪を避け、聖徳を実践するのを助けてくれます。原罪が起きた時、楽園で何が起こったかを、心にとめておくのは興味深いことです。アダムとエワが、禁断の実を食べてはならないという掟に従うよう、天主は、死について、はっきりと強く警告されました。「その実を食べたら、おまえは必ず死なねばならぬ」(創世記2章17節)。しかし、エワは、悪魔に誘惑されたとき、こう言いました。「『それを食べても、それに触れてもいけない、そうすると、死ぬことになる』と、天主は言われました」(創世記3章3節)。エワは、天主の警告を真剣に受け止めず、死とその結果について、真剣に考えなかったのです。悪魔は、このことを理解し、それを利用したのです。すぐに、エワの抵抗に打ち勝つために、死という考えを捨て去ったのです。「いや、そんなことで死にはしない」(創世記3章4節)と。そして、エワは、それを信じ、罪に陥りました。
結論
親愛なる信者の皆さん、マリア・テレジアさんは、もうこの世におられず、その旅路は終わりました。私は、個人的にマリア・テレジアさんにお会いしたことはありません。しかし、私と皆さん全員にとって、今日、マリア・テレジアさんは、特別に好意を寄せる人です。マリア・テレジアさんは、私たち自身の死を思い起こさせてくれます。マリア・テレジアさんは、棺の中から静かに、集会書の次の言葉を私たちに伝えてくれます。「私の身の上に起きたことを思え、それは定めである。昨日は私だった、そして今日はあなたの番だ Memor esto judicii mei : sic enim erit et tuum : mihi heri, et tibi hodie.」(集会書38章22節)。
マリア・テレジアさんが安らかに眠り、永遠の光がマリア・テレジアさんを照らしてくれますように。アーメン。